Coolier - 新生・東方創想話

【それじゃあ、また百年後】

2015/05/10 16:43:45
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【午睡日和】(心機一転の快晴)

そう言えば貴女、随分と髪が伸びたのね。

[花と人形]

 幽香がアリスの家を訪ねたとき、彼女はちょうど人形の髪を梳いているところだった。いつものように人形にお茶を用意させて、アリス本人はゆったりとした椅子に腰掛けてしきりに手を動かしている。人形の髪が絡まっている、ということではない。梳くことによって埃を取り、艶だしを行っているのだ、とアリスは幽香に説明する。幽香にとって人形はどうでもいい存在なので、適当に聞き流した。あるいは、と幽香は考え直す。むしろ自分にとってアリスの人形は好ましくない物ですらあるかもしれない。アリスの関心や執着といった感情、そして研究の為の時間。それらのほとんどは人形に捧げられているのだ。

 幽香は人形を見るのを止め、視線をアリスに移す。アリスの髪は蓮華の花の蜜のように淡く薄くおだやかな金色をしている。春の木漏れ日のように柔らな髪は巻き毛なのに丁寧に櫛が通っていて、霊夢の黒髪ほどではないけど艶もあるから、頭上を見下ろせば淡い天使の輪っかが見える。本人には見えないそれを、幽香はいつもくしゃくしゃにしてやりたいと思っているけれど、髪に触れられることを嫌うアリスは、そんな時だけは気配を敏感に察知してしまうから成功したことはほとんど無かった。

 こちらがそういった邪な気持ちを持ち合わせていない時には逃げないから、素知らぬふりをしているだけで、案外常にこちらを気に懸けているのかもしれない。光の加減によってはほとんど銀色にも見える髪に触れるとき、幽香は彼女の母親のことを思い出す。実際に会ったのはもう随分前だけれど、アリスがこっそりと寝室に飾っている写真を何度か見ているから、姿だけは簡単に思い出すことができる。この少女の姿はあの女が生み出したものだ。それを考えると幽香はどうしても最後には天使の輪っかをぐしゃぐしゃにく崩してしまうので、いつもアリスを怒らせてしまう。でも幽香は絡み合った髪をぷりぷりと不機嫌に櫛で撫でつけるアリスも気に入っていたから、一度だってそれを悪いと思ったことは無い。
 花の蜜を練り込んである特製の整髪料で再び輝く輪っかをかぶり直す彼女をに毛繕いが終わったばかりの愛玩動物みたいねと褒めてあげたら、当然だがアリスはたいそう嫌そうな顔をした。

 思い出して幽香はくすくすと笑う。アリスも最近は表情が戻ってきて、むしろ前よりも幽香の言葉にいちいち反応を示してくれて面白い。あの人間達と付き合っていた頃よりもずっと人間らしさを増しているのは、皮肉なことに彼女が妖怪だからなのだ。永遠に少女であることを求められている存在だからこそ、アリス・マーガトロイドはそのように在るのだ。成熟しない精神と肉体。可愛い可愛い神様のお人形。

「何で笑ってるのよ」
「ちょっと思い出しただけよ」
「思い出した?貴女がご機嫌になることなんて、花関係か、そうでなければ霊夢のことかしら」

 貴女のことよとは教えてあげなかった。悩んでくれれば良いと思う。アリスに意外と卑屈なところがあるのを知ったのはつい最近のことだ。巫女ではなく貴女のことを考えていた、と言ってやっても、どうせ本気にはしないのだから教えても教えなくても同じだろう。幽香はアリスが自分の言葉をまるで信用していないと知っていた。

「ところで幽香」
「なに」
「貴女、他人(ひと)の髪を切る事って出来る?」

 世の人が物事を「出来ること」と「出来ないこと」に分ける中、「やりたいこと」と「やりたくないこと」に分けるのが幽香である。特に深く考えずに、幽香は出来ないってことはないわね、と答えていた。
幽香の答えを聞いて、アリスはちょっと表情を明るくした。

「それなら、お願いね」

 はい、と鈍く銀色に輝く鋏を手渡される。

「今朝水浴びして、髪は湿っているから霧吹きは要らないわよね?」
「…………」

 散歩の途中に良い庭だと覗いていたら、家主が出てきていきなり剪定を任された気分だった。

「伸ばしているんじゃないの?」
「だって、気になるんでしょう?」

 幽香がそう言ったんじゃない、と指摘されて思い出す。遡ること二週間ほど前、そう言えばそんな話をしたような気がした。成長を知らないアリスも髪だけは伸びるので、何年も眠っている間、彼女の髪は腰に届くほど長いものになっていた。幽香の記憶の中でのアリスは、霊夢や魔理沙が生きていた頃は、いつも肩にかかるくらいしかなかった。だから新鮮に見えたのだ。アリスはどうもその評価が気にかかっていたらしい。幽香としては、どちらかというと好意的な発言だったのだが。

「邪魔じゃ無いのともきいたじゃない」
「そうだったかしら」
「言ってたわよ。洗うのが大変そうって」

 覚えていないのは、多分どっちでもいいことだったのだろう。髪が短かろうが長かろうが。どっちでも似合っている。アリスは時々、変なところで他人に自分の決定権を回してくるから、幽香はその度に理想的とは言えない反応をするはめになる。 切るって言ってもねえ、この子、自分基準で物事を考えてないかしら。そんなスキルなんて普通は無いわけで。普段、自身の器用さを売りにしてる癖に、当然の顔して他人にも同じレベルを求めてくるのは矛盾している。そもそも切っ掛けになった私は覚えていないし、一度考え直した方がいいのではないだろうか。
 一瞬で様々な言葉が頭の中を高速で駆けめぐった。が、結局はそれらを一切口にせず、鋏を受け取った幽香はアリスの背後に回り、実に思い切りよくじょきりと言わせた。ただし、切ったのは下から五センチ程度の、いくらでも直しがきく辺りだけど。

「幽香?」

 アリスの声はそんなところを切っても何も変わらないとでも言いたげだった。

「切れ味を確かめただけよ」
「なるほど。それで?」
「よく切れるわ」
「そうね」

 錆びないようにちゃんと手入れしてるもの。こちらの戸惑いなど全く気付いて持っていないらしいアリスは暢気に言った。髪が目に入らないようにだろうか、アリスは目蓋を閉じている。幽香は無防備な後ろ姿に顔をしかめた。用心深さが経験によって培われるなら、きっとアリスの髪を切った全ての人は良い腕をしていたのだろう。鏡さえ用意されていない状況にそう思う。

「ねえ、幽香が今考えていること、当てて見せるわ」
「きかせて」
「私を頭の弱い子だと思っているでしょう?」
「まさか。頭だけで済むわけないじゃない」

 わかりやすくけなしてあげたのに、アリスは「くすくす」とご機嫌そうに笑った。笑い声はじゃれつくように幽香の周りで響く。今日はずいぶんと簡単に笑うのね。幽香はそんなアリスを珍しく思う。アリスは少し自慢そうにした。

「私の目が二つきりだと思わないことね」

 冷めてしまった紅茶を片付ける人形達を見て、なるほどと幽香は得心した。隙を見せたのはこちらの方だったらしい。



 髪を切って貰い、さっぱりとしたアリスはご機嫌だった。最近増築した二階の張り出し窓にごろんと寝そべって、幽香にも同じように傍で身を休めることを無言で了承した。日向ぼっこに興じながら、アリスは後で髪を念入り洗わなきゃ、となんとも平和的な予定を立てる。それからちらりと横を見て、何事かを考えているらしい幽香を伺った。アリスが期待していた以上に幽香は器用だったらしく、滞りなく済んだ散髪にアリスは満足をしていた。何か下手をするようなら即座に人形に切らせようと思っていたけれど杞憂だったようだ。慎重に鋏を髪に入れている珍しい彼女の一面も見られたのも上機嫌の理由の一つだった。
 それにしても真っ赤な目だなぁとアリスは幽香を見て思った。鼻の先で広がる髪は緑色だから、草むらで蛇苺でも見つけた気分になる。アリスはあの赤が結構好きで、食べられないと知っていても見かけると妙に嬉しくなるものだ。幽香の髪はちょうど蛇苺の葉の緑とよく似ている。その髪から日向の匂いがこぼれ落ちた。目を閉じてしまえば、本当に草原にいるような気がするだろう。幽香はオソロシイ妖怪だけれど、自然に連なる力の持ち主だからだろうか。得体の知れない怖さはあんまりなくて、この点だけは紫を筆頭にした他の連中と違い、アリスの心をわずかばかり穏やかにしてくれる。いつも漂わせている花の香りも嫌いじゃなかった。

――――変なの。幽香に安心するなんて。

 そう思わなくもないけど、実際として幽香はそんなに酷いことはしないのだ。だから温まった柔らかい木の感触にそのままウトウトとし、長い睫の付いた瞼は危うくアリスの瞳をすっかり隠しかけたが、すんでのところで留まると、アリスは眠気を散らすように小さくかぶりを振った。だってほら、なにしろこんなに良い陽気なんだから。「お布団干さなきゃ」眠っている場合じゃなかったのだ。


 一方、幽香は珍しくアリスがすぐ傍で大人しくしていたので、「これは良い機会。髪をぐしゃぐしゃにやろう」と手を伸ばしたところだった。先程は整えることばかり意識していたから、ちょっかいをかけ忘れてしまったのだ。しかし、触れる直前にアリスが先の通り布団を干すという使命を思いだして動いたので、着地を失った手は遣り場無く元の位置に戻るしかなかった。視線が合ってしまう前に手を引き戻し、明後日の方向に体を向ける。
 内心では蓮華蜜を連想させる薄色の金糸を未練っぽく思っていたが、アリスはそれに気づくことなくふわり軽やかに身を起こすと、むしろどことなく気遣いを持って幽香の傍をそっと離れた。その動作にあえて言葉を付けるならば、どうぞ貴女は寝ていらして、といったところ。余計かつ至らない気遣いである。
 あーあと部屋を出て行くお人形のような少女を見つめる。これがアリスという妖怪で、しかしながら実のところ、幽香はこんな関係が嫌いではないのだった。

じっと手を見る。

――――私は、妖怪だもの。

 だから気は長い方だ。
 どこぞの人間とは違う。

 幽香は手を握り直し、出来たこぶしの裏で磨り硝子を小さく叩いた。窓の外、一階の屋根に布団を並べていたアリスは、その音に気づいて幽香の方を見た。

「     」

 見上げてくる青い瞳に、幽香の唇が何事かを口ずさむ。アリスは首を傾げる。

――――きっと

 幽香は曖昧に頬笑み返し、今度は自分の為に呟いた。



「きっと聞こえていても、アリス。貴女は同じように首を傾げるのよ」


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