Coolier - 新生・東方創想話

【それじゃあ、また百年後】

2015/05/10 16:43:45
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【月酔い】(魔導書干しに最良の晩)

 花異変から暫くした日の夜のことです。

 その晩は満月で、妖怪にとってはすこぶる良い月加減でした。魔法使いであるアリスも例外なく上機嫌で、屋根に上がって月を仰いでいます。冬眠状態だった彼女は酷い魔力不足に悩んでいたので、こうして満月の光に当たることは治療行為でもあるのです。

「本当に良い月。そうだ、せっかくの満月だもの。本も月干ししましょう」

 思い立ったが何とやら。アリスは家の中に引っ込むと、大量の魔導書を人形達と共に抱え出てきました。普通の本は昼間に陰干しするものですが、魔法使いの使う魔導書は月光を好みます。それ故、魔法使い達は定期的に愛蔵書を引っ張り出しては、こうして月干しをするのです。紅魔館の居候の彼女も、今頃は使い魔と右往左往しているのかもしれません。その様を想像仕掛け、いえ待ってあそこは天井が開くんだったわねと思い出しました。楽そうでいいなぁ私の家も何か工夫しようかしらと考えながら、アリスは人形と手分けして本を並べていきます。

 と、そこへ花の大妖怪である風見幽香が傘を広げ、メリーポピンズさながら降りてきて人形遣いに挨拶をしたので、アリスの平和な夜はそこで終わってしまいました。けれどこれは、本当はそんなに悪いことではなかったのです。

「今晩はアリス」と幽香は言いました。
「ああ幽香」

 人形遣いは驚いた声を出し、その後大変に嫌そうな顔をしました。随分な態度ね。花の妖怪は傘を畳んで握り、こつこつと屋根を突きます。まさかそれでぶったりするような彼女では無いのですが、どことなく威圧的な空気にアリスは慎重に喋りました。

「だって貴女、いつもなら夜は眠っているじゃない」

 幽香は花を好む妖怪なので、日差しがたっぷりと注ぐ昼間に専ら活動をしているのです。

「花は何も昼に咲くものばかりでないと知っている?アリスの方こそ、いつも今頃はベッドの中でぐっすりじゃないの」
「私は魔法使いよ?月明かりでこんなに明るいんだもの。寝るより起きている方が疲れないわ」

 妖怪にとって月光は欠かせない栄養源であります。それさえあれば飲まず食わずで生活できる者も少なくありません。(食べ物のおいしさを知っているなら、誰もそんなことはしませんが)。
 幽香が当たり前のように屋根へと腰を下ろしたので、アリスは仕方なく丁度そこに並べようと思っていた魔導書を自分の膝に置きました。これで今夜干そうと考えていた分は全部屋根の上に収まったことになります。一仕事を終えたアリスは月を肴に休憩をとることにしました。幽香は黙ってアリスの隣に座っています。

 二人はそのまま、しばらくのあいだ月をぼんやりと視ていました。薄金色の光が辺りいっぱいに漂って、つるりとしたおでこや薄い耳などを緩やかな風が撫でました。春の夜といえどまだまだ寒さの残る時分でしたが、この時の二人には何の問題もありませんでした。冷たい空気をめいいっぱい深く吸っても、平気でした。それほど見事な月の晩でした。そんな風にあんまり良い気分だったからでしょう。やがてアリスは船をこぎ出しました。

 危なっかしいなと見ている幽香のすぐ目の前で、アリスは一度大きく前のめりになったと思うと、傾いたままにごろり。屋根の上を転がりだしました。意識はないようでした。転がるアリスに弾かれた本の何冊かが屋根を滑り地面へと落下していきます。このままではアリスも魔導書と同じ末路を辿るのは目に見えていましたので、花の妖怪はふわりと、しかし素早い身のこなしでアリスの片腕を掴むと、ぐっと重力と真逆の方向に力を軽く入れてやりました。
 すんでの所で魔法使いは軒先からぶらり、腕一本で垂れ下がります。

「危ないじゃない魔法使い。貴女の強度は人間並でしょう?」

 幽香の問いかけに意識を取り戻したアリスは何事かを小さく呟きましたが、よく聞き取れません。単に呻きだったのかもしれません。アリスは力を入れたようでしたが、どうも上手く飛べないらしく、その動きはひどく頼りないものでした。魔法使いの細い腕が痛々しく真っ白なので、花の妖怪は仕方なく屋根へと引っ張り上げてやりました。

「いったいどうしたのよ」

 幽香は無造作にアリスを転がし、顔を覗き込みました。長い睫は髪の色と同じプラチナブロンドで、ちょうど今夜の月明かりのようでした。

「……よった」
「は?」
「まほうよい。ひさびさにいっぱいになったから」

 魔法酔いというのは、元人間等が魔法使いに成り立ての頃によく見られる力の暴走の一つです。人間が魔法使いになるのは大変なことです。慣れない内はエネルギー制御が上手くいかず、様々なトラブルが起こります。急にハイになったかと思うと数日指一本動かすのも徒労に感じたり、五感が消えたり、逆に過敏になってパニック状態に陥ったりと、それはそれは大変な事になるのです。今、アリスがなっているのは中でも大分マシな魔法酔いといって、これは急激な魔力摂取をしたときに起きる現象です。言ってみれば魔力が胃もたれをしている状態なので、基本的に時間が経てば消化されて正常な状態に戻ります。
 本来ならこのようなことになるはずも無いアリスがこうなったのは、彼女の事情によるものでした。詳しい話は省きますが、ようは近頃魔力に枯渇していたところ、急に月光を浴びたので躰を驚かせてしまったようなのです。百年以上も魔法使いをやっている者にはまず起こりえないことですから、ベテランの魔法使いとしてはとても恥ずかしい話です。しかしその時のアリスは酔っていたので、むしろ上機嫌でした。

――血管にシャンパンが流れているみたい。
――気持ち良すぎて気持ち悪るくて気持ちいい。

 そう言って、魔法使いは子どものような調子で無邪気に声を上げて笑いました。笑って、普段なら絶対にしないのですが、幽香に抱きつきました。するとアリスと幽香が触れ合った場所からパッとオレンジ色の火花が散りました。二人はちょっとだけびっくりして、アリスはすぐに離れました。

――ああ、これはきっとお母様の。

 アリスがぼんやりとした調子で言ったのを聞いて、幽香も理解することが出来ました。おそらくこれは一種の結界というやつでしょう。アリスの母親はとてもとてもとっても過保護な人なのです。先程は助けることに気を取られていたので気がつきませんでしたが、改めて見た幽香の手は少し紅くなっていました。アリスの腕を掴んだから焼けただれたのです。もちろんアリスの方はなんともありません。
 これにはさすがのアリスも申し訳なさそうに目を伏せ、謝罪の言葉を口にしかけましたがそれより前に幽香がぱっと腕を振るったかと思うと、もう傷はどこにも見あたりませんでした。幽香は強力な大妖怪なのです。珍しく申し訳なさそうに項垂れる、屋根から落ちれば最悪死んでしまうような人形遣いとは格が違うのです。アリスは内ポケットの中で差しだそうかと思っていた絆創膏をクシャリと潰しました。




これが、五月の夜のことです。

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