Coolier - 新生・東方創想話

【それじゃあ、また百年後】

2015/05/10 16:43:45
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【鈴蘭畑で一休み】(梅雨の晴れ間)


[幽香]

 目覚めは無名の丘だった。

 今朝は少し風がある。気温はまだ低く、丘に降りた朝露は、昇りたての太陽を浴びて光っている。風が吹く度に色を変えて、水滴が花たちを洗ってゆく光景は、何度見てもはっとするほど美しく満ち足りたものだ。まったくもって良い朝である。幽香はともすれば歌い出してしまいそうなほど朗らかな気分だった。しかしそれは止めておいて、代わりに昨晩休んだ花が少し草臥れているようなので撫でて労ってあげた。さあ背筋を伸ばして上を向きなさいと幽香が言って聞かせると、花も幾分か元気を取り戻したようだった。
 それでも花弁の重さに耐えかねた、限りなく水平に項垂れた茎はどうにもならないようだったので、幽香は一晩のお礼にほんの一欠片力を分け与えてやることにした。瞬く間に花は息を吹き返す。幽香にとっては何てことのないことだ。そして、花もそれを驚きはしない。だからこれは、猫の欠伸と同列の取り留めのないこととして、誰に知られることも無く歴史にもならずにひっそりと消えていくただの現象に過ぎないことのはずだった。けれどその朝は少し様子が違うこととなった。

「相変わらず見事ね」

 幽香は後ろを方を振り向く。唐突にかけられた声に驚いた様子はない。

「おはようメディスン。蓮の花のように早起きね」
「もっと早くから起きていたし、もっと前からここにいたよ。どうせ最初から気づいていたんでしょう?」
「まあね。でも、こうも鈴蘭でいっぱいだとねぇ」
「いっぱいだと?」
「毒人形の一つくらい、どこにいようと変わらないわ」
「ふうんなるほど」

 つまり幽香はメディスンが話しかけてくるまでどうでもいいとしらんぷりを決め込んでいたということだろう。この丘の主であるメディスンを粗雑に扱うことをちらとも気に懸けていないのだ。一晩も我が物顔で寝ておきながらこれとは全く面の皮の厚いこと。挨拶の一つくらいあってもいいのにメディスンは頬を膨らませた。正確には膨らませた気持ちになった。どうせこの小さな王様の方からしびれを切らすと幽香はわかっていたのだ。そして毒人形にはそれが面白くないのだ。

「それで、その毒のない人形はどんな感じなの?」
「毒のない人形?アリスのことを言っているのかしら。ああ、そう言えば殺妖未遂の犯人は貴女だったわね」
「あっちが勝手に行き倒れただけ!」
「あの子ならもういないわ」
「え」
「アリスはいますが」
「え?え?どういうこと?」

 混乱するメディスンの言葉に、風見幽香は答えない。知りたければアリスに直接訊けばいいのだ。あの小さな洋館の戸を叩けば、ケトルの吐き出す湯煙の中、きっと彼女は茶葉と茶菓の香りをまとってひょっこりと無防備に出てくるに違いない。誰か道に迷ったのかしらなんて首を傾げて。そうして、骨の髄まで甘ったるいお菓子か何かのような妖怪は、訪問者に一時の休憩と茶を勧めるのだ。もしもメディスンが彼女の家に行き、戸を叩いたら、と幽香はその場面を想像する。彼女は自分をわざわざ訪ねてくる者がいることに驚くことだろう。あの魔法使いのいない今、彼女にとって森はただ人や妖精や妖怪が迷い込んでくる場所なのだから。用件を聞いたアリスは複雑な顔をしながらもメディスンの疑問に答えるのだろう。馬鹿正直に。言いたくないところは黙りを貫いて。アリス・マーガトロイドは嘘を吐くことが不得手に創られている。紅茶を三杯のみ終わる頃にはメディスンも事の顛末をすっかり理解することになるだろう。 

――気をつけることね。メディスン・メランコリー

 幽香は無名の丘を離れる。
 お次は何の花の元に行こうかと考えながら。
 ひょっとすると今晩は誰も無いかもしれない無名の丘を後にする。

「菓子は菓子でも、あの子はハズレ入りガレット・デ・ロワだから」


 アリス・マーガトロイドというキャンディのような少女。
 
 引き当てたのが王冠ならいいけれど。
 そうでなければ大変。
 ああ。舌のヤケドにはご用心、ご用心。
 
 とりあえず、あの子にはそれとなく来訪者が来ることを予言してあげようか。


[Alice]

 久々の晴れ間である。

 アリスが本を読んでいると、何か強大な力を持った者が、家の近くまで来ているのを感じた。覚えのある気に、アリスは顔を上げた。力強いけれど怖くはない花の気だ。ああ、幽香が来たんだとアリスは思った。

「二週間ぶりくらいかしら」

 この前は梅雨の初め頃だった。あの時は栗畑からだと言っていたが、今日はどこから来たのだろう。栗の花は白く小さい。それが延々と続く畑は遠くから見ると春霞のようなのだ。白花が無数に咲く場所ではあの傘も目立つまい。きっとその場で幽香だけが一人赤く、しかし彼女はいつものように花の気に紛れてのんびりとしていたのだろう。アリスはその光景を夢想する。黙って笑っているだけなら力あるようには見えないのだ、あの妖怪は。
 栗の花は梅雨入り時に散ってしまう。あの日はちょうど移動日だったのかもしれない。思えばいつもこのくらいのペースで立ち寄っている気がする。幽香にとってアリスの家は、次期の花を目指す途中の休憩所といったところなのだろうか。

「ここには花が無いのにね」

 ちょっと寂しい声が出た。

「さぁ、今は何の花が散る頃なのかしら」

 アリスはドアに向かった。ノックを待たずに進み出している足にアリスは疑問を抱かない。頭の中は別のことに気を取られていたから。アリスは幽香に、それとなく何処からから来たのか訊いてみようと思った。気が向けば、これから何処に行くのかも。そう思いながら、アリスは扉を開ける。

 挨拶の前に鼻をくすぐった香りに、アリスは最初の疑問を飲み込むことになるのだった。

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