第七回 ちょっとドキドキしますね――寅丸星からナズーリンへ
この連載を始めてからというもの、読者の皆さんに、ナズーリンがとても性格の悪い子に思われていないか心配になってしまいます。
皆さん、どうか誤解しないでくださいね。確かに斜に構えた皮肉屋ですけど、ナズーリンはとても良い子なんです。なんだかんだ言っても、人助けを頼まれると断れない性格ですし、面倒見がとてもいいんですよ。小傘や雲山と一緒に子供の面倒を見てくれたりしているのは、命蓮寺によくいらっしゃる方はご存じかと思います。
前回の原稿でナズーリンは小松町子さんについてあんなことを書いてますけど、あれはナズーリンの照れ隠しですから。ナズーリンはとても優しい子なんです。毘沙門天の名にかけて保証しますから、ナズーリンのことを嫌ったり怖がったりしないでくださいね。
そういえばナズーリン、「外面だけ良くて中身はポンコツな誰かさん」ってどなたのことですか? 心当たりがないのですが……。
さて、今回のナズーリンからの課題図書は、水橋パルスィさんの『あなただけを見つめてる』です。自分で買ってきましたが、もしこれをナズーリンから直接手渡されていたら、意味深でちょっとドキドキしますね。……冗談ですよ? 怒らないでくださいね?
冗談はさておき、水橋パルスィさんのお名前は側聞しておりましたが、著作を読むのは初めてです。ナズーリンのお薦めですから、楽しみに読み始めたのですが……。
連載を始めるとき、ナズーリンから「課題図書を無理に褒める必要はない、素直な感想を書く」ということを言われていましたので、これは作品に対する批判ではなく、純粋に一読者としての感想として書くのですが、あの、私にはこの作品がさっぱり理解できません……。
いえ、書いてあることが難解というわけではないのです。文体は読みやすいですし、ストーリーが複雑でわからないということもありません。むしろ物語はものすごく単純です。ある妖怪の三百年間にわたる一方的な片思い。ストーリーは、ほぼこの一文だけで完全に要約できてしまいます。
ある日、橋の上ですれ違った妖怪に一目惚れした語り手が、名前も知らないその妖怪にこっそりとつきまとい、日常生活の全てを監視し続けるのですが、相手は一向につきまとわれていることに気付きません。作中では三百年という時間が流れますが、ふたりの間にはついに一言の会話もなければ、指一本の接触もなく、視線すら合わないままに小説は終わります。
どうしてそれで長編小説が成立するのかといえば、小説の大半が語り手の勝手な妄想に費やされるからです。ひたすら陰から相手につきまとい、断片的な情報を集め、それを元に語り手がどんどん妄想の翼を広げて、見当違いな嫉妬の炎を燃やしたり、相手とのロマンスを延々と想像したり……という展開が、ひたすら続くわけです。
語り手に対して、その監視とつきまといに向ける情熱を、相手とのコミュニケーションを図ることに向けるべきなのでは――という至極まっとうな指摘をする人物が、最初から最後までいないため、ただひたすら語り手の独りよがりな妄想を延々と読まされることになるわけでして。……あの、ナズーリン、これが貴方のお薦めなんですか? いったいどういう意図でナズーリンがこれを薦めてきたのか、さっぱりわかりません……。
いえ、これは単に私の読解力の問題なのでしょう。幻想郷恋愛文学賞というちゃんとした賞を受賞された作品ですし、何冊も作品が出ているということは、水橋パルスィさんの作品にはファンが確実についていらっしゃるはずです。恋愛小説が好きな響子に話を聞いてみましたが、どうも水橋パルスィさんの作品はどれもこういう独りよがりな妄想が暴走するタイプの恋愛小説なのだそうで、別に私には、そういう小説を面白いと思って読んでいる読者がいるということを否定する気は毛頭ありません。ありませんが……ううん、私にはわかりません。
でも、こうしてナズーリンに感想を返す以上、「わからない」で済ませてしまうわけにはいきません。わからないなりに考えてみたのですが……ひょっとして、あの、私がこの原稿で読書感想を借りて命蓮寺の教えの説法をしているような形になっていることへの、ナズーリンなりの批判なのでしょうか?
なにしろこの作品は、語り手とその恋の相手との間に、最初から最後まで一ミリもコミュニケーションが成立しないわけでして、人妖の相互理解による平等を掲げる命蓮寺の教えに、真っ向から反しています。今まで私はこの原稿でも、相互理解の大切さについて筆を費やしてきました。そんな私に、こういう反相互理解小説をナズーリンが薦めてくるということは、説法が目的の原稿ではないのだから、少し自重したまえ、という意味なのでしょうか。
確かに、少々命蓮寺の教えに筆を割きすぎていたかもしれません。命蓮寺の本尊・寅丸星として原稿を書いていますので、聖の教えを広めなければという考えが無意識に溢れてしまっていたのでしょう。反省します。ナズーリンからもよく私の作品は「説教臭い」と言われますからね……。なるべくそのような話にならないよう、今後は心がけたいと思います。
しかし、一冊の小説を最初から最後まで読んで、その作品を貫く価値観が全くなにひとつ理解できなかったというのは、初めての体験なので戸惑っています。あれこれ悩んだ結果、この原稿も〆切ギリギリになってしまい、姫海棠はたてさんにはご迷惑をお掛けしました。お詫びします。水橋パルスィさんのファンの方は、この作品のどういうところを楽しんでいらっしゃるのでしょうか? 純粋に興味がありますので、命蓮寺を参拝された際にでも教えていただければありがたいです。
モヤモヤしたままですが、そろそろ紙幅もありませんので、次回の選書に移りましょう。
そういえば、この連載で相手に読んでもらう本は小説でなくても良いのでしたよね?
ナズーリンは書評家としては小説専門のようですし、私は小説以外の本を薦めた方がいいかもしれませんね。まあ、そちらも自慢できるほど読んでいませんが……。
というわけで、次回の選書は茨華仙さんの『万歳楽記録』(博麗神社)にしましょう。一時期、里で非常に人気を集めた、河童の飼っている怪魚・万歳楽についてのノンフィクションです。八坂神奈子賞のノンフィクション部門を受賞されていますね。幻想郷に迷い込んで来た生き物への、著者のあたたかいまなざしが魅力的な好著だと思います。
そういえば、響子が「白岩怜さんの最高傑作は『雪桜の街』じゃないですし、今だって別に泣かせる話しか書いてないわけじゃないです! 『雪桜』は一番有名なだけであって、もっと面白い作品がいっぱいあります!」と主張していました。私も同感です。白岩さんの最近の作品、面白いですよ。『冬色家族』が好きなら、『名前のない雪うさぎ』や『キタキツネの指輪』は気に入るんじゃないかと思うんですけど、どうでしょう?
主から従者への一冊 茨華仙『万歳楽記録』
(to be continued...?)
そして今回もやたら面白そうに描写されるフェアリーウォーズ・・・実物読みてぇッ・・・!
いい面も飲み込みづらい点も併せて細かいところまで描写されてるのが想像力を掻き立てられてどんな作品なのか気になってしょうがなくなる魅力が詰まっていたと思います
凛氏の作品を読んでみたい人生だった…
と、浅木原忍さんの作品感想欄でこれを言ってしまうのも、釈迦に説法もいいところでしょうね。
星ナズの物語としてもしっかり楽しめるのが素晴らしい。続きを読みたいと思いました。