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《花果子念報》読書面連載「トラとネズミの交換読書日記」(第0回~第7回)

2020/04/01 01:18:45
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第6回 書評家だって苦手な作家はいるんだよ――ナズーリンから寅丸星へ


 いやはや、参ったね。何がって、前回の御主人様の原稿だ。あれじゃまるで『風天娘は風まかせ』が、御主人様の小説みたいな説教臭い話みたいじゃないか。むしろコマ子は、依頼人を敢えて突き放して、他の小松町子作品の主人公みたいに他人の問題にずけずけと踏み込むような真似をしない、ハードボイルドなところが魅力のはずなんだけどね。御主人様にはコマ子が、お節介焼きな《銭投げ捕物帳》のマチと同じに見えるのかい?
 ついでに言うと、小松町子はむしろ他者の善性を全く信じてない作家だと思うよ。本業が三途の川の船頭だ、人間の醜悪さをいくらでも見ているだろう。そんな死神が能天気に性善説を信じているとは思えない。小松町子が人情小説を書き続けているのは、むしろこの世には人情なんて存在しないからこそなんじゃないのかな。人情が当たり前にどこにでもあるものなら、わざわざ小説に書く必要なんかないじゃないか。この世には善も情けもないからこそ、小松町子の人情小説が心に染みる――という読者が多いんじゃないのかい?
 ああ、これは別に聖や御主人様に対する批判じゃないから誤解しないように。ま、もし聖が単なる善人だったら私はさっさと毘沙門天のところに帰ってただろうね。――こういうことを言うから、御主人様に「斜に構えすぎ」と責められるんだろうな。やれやれ。

 ところで、書評子としては普段なかなか口にしづらいことを告白しておきたい。
 私は、白岩怜の小説が苦手なタイプの読者だ。伊吹萃香氏のように、事あるごとに「苦手」と公言する度胸はないので今まで黙っていたが、正直なところ、白岩怜の作品に対する印象は伊吹萃香氏とほぼ同じだ。何を読んでも同工異曲の、むずがゆい通俗恋愛小説――と、こういうことを書くと、白岩怜ファンの響子とかに怒られるんだろうな。
 もちろん、稗田阿求氏をはじめとして熱烈なファンの多い作家だ、その作家的技術を認めるぶんには吝かじゃない。通俗に徹して、あざとい話をあざとく書いて読者を泣かせられるというのは、それはそれで得がたい才能だし、通俗的である自体は悪いことではない。『全て妖怪の仕業なのか』だって『風天娘は風まかせ』だって通俗だ。通俗か否かというのは、作品の質ではなく、どういう読者層に向けて小説を書いているかの違いでしかないと思っている。
 それでもやはり、白岩怜はあざとすぎて苦手だ。稗田文芸賞を獲った『雪桜の街』をはじめ何冊か読んだけど……冬に人間と妖怪が出会い、種族の違いを超えて恋に落ち、けれどやがて悲しい別れが――というパターンを何度も読まされると、そういう恋愛小説に愛着や思い入れがない身としては、うんざりしてくるのは責められないと思う。長編で素直に楽しんで読めたのは、構成が凝っている『銀色夜話』と、恋愛小説ではない『冬色家族』ぐらいかな。まるっきり伊吹萃香氏と同じ評価なので、彼女と白岩怜について話したら意気投合できるだろうね。
 というわけで、この短編集は読み落としていた。二作続けて私の未読作品を引き当ててくるとは、御主人様もなかなかやるじゃないか。『名残雪の消える前に』――白岩怜の初期短編を収めた作品集だ。収録作は「まどろみ十月」「初雪灯籠」「凍りついた時計を抱いて」「氷柱」「名残雪の消える前に」の五編。晩秋から初春にかけて、作中の季節が進むように配列されているけれど、各作品に繋がりはない。
 五作全部を詳しく紹介する紙幅はないのでごく大雑把にまとめると、五編とも全て人妖恋愛小説だが、「まどろみ十月」はほのぼのとした話。「初雪灯籠」は幻想色が強い。「凍りついた時計を抱いて」と「氷柱」は心理サスペンスとしても読める。表題作は代表的な長編群と同じ、泣かせに特化した悲恋話だ。
 先に敢えて「苦手」という話をしたのは、この短編集を読んで、白岩怜に対する認識を改めなければいけないな、と思ったからだ。意外と言っては失礼だが、この短編集は収穫だった。この企画がなければ読まずに済ませていただろうから、これは御主人様のセレクトに感謝しなくてはならないね。
 特に感心したのが「氷柱」。冬の人間の里の軒先で短い交流を繰り返すうちに惹かれあう人間と妖怪の話だが、タイトルになっている氷柱というモチーフの使い方が実に巧みだ。少しずつ膨れあがっていく感情が氷柱の形成に仮託され、人間がそれを折って握りしめるラストシーンには、言いしれぬ不穏さが漂っている。氷柱はふたりの関係の象徴だけれど、同時に凶器にもなりうる。哀しみと殺意の狭間を切り取ったこの幕切れの鮮やかさは特筆に値するね。
 「初雪灯籠」も、白岩怜の語りの巧さを感じさせる佳品だ。雪灯籠の光の中にしか現れない少女への初恋の話だが、それを一歩引いた傍観者の視点から書いたことで、幻想性が高まり、闇の中に雪灯籠の光が溶けて消えるラストシーンが印象的なものになっている。
 改めて考えてみると、白岩怜の巧さは結末の巧さなのかもしれない。白岩怜の恋愛小説は人妖恋愛がテーマであり、種族の違いが生む悲劇性が読者の涙を絞るわけだけど、代表作の『雪桜の街』も、その悲劇的な別れのあと、登場人物の「その後」はほとんど語られないまま物語を終える。死別の話でも、生き残った方にはその後の人生があるということを、白岩怜の小説はほとんど感じさせない。ふたりの愛が終わった時点で、その先になど何の意味もないとばかりに筆を止めてしまう。その放り出されたような読後感が、強い余韻を残し、クライマックスの悲劇性の印象をより強めるんじゃないかな。
 恋のために生き、愛のために死に、それ以外の時間はどうでもいいのだ――と言わんばかりの割り切りは、究極の恋愛脳とでも言うべきかもしれない。作者本人が自覚した上でこう書いているのかどうかは私には知りようもないけれど、この余分を削ぎ落とした結末の語り落としが、白岩怜をただの通俗作家ではないものにしているのかもしれないね。稗田阿求氏のような読み巧者の熱烈な支持を得るからには、やはりそれだけの何かがある。それを発見できたという意味で、有意義な読書だったよ。

 かくして、今回は苦手な作家への苦手意識を少し減らすことができた。こういう読書をできると、こんな恥を晒すような企画を始めた甲斐もあるというものだ。御主人様の選書には今後も期待しておいてあげようかな。
 じゃあ、今度はこっちの選書だ。そろそろ少し目先を変えてみてもいいだろう。御主人様がこれにどんな反応をするか見てみたい作品を読ませてみようか。
 というわけで、私からの今度の選書は水橋パルスィ『あなただけを見つめてる』(旧地獄堂出版)。白岩怜が選考委員をしている稗田恋愛文学賞の受賞作だ。選考会では白岩怜がこれを推して受賞に至ったらしいよ。じゃ、よろしく。

 追伸。私は『風天娘は風まかせ』だったらお団子姫派だけれども、それは別にどこぞの外面だけ良くて中身はポンコツな誰かさんと重ねたりしているわけでは断じてないからね。誤解しないように。だいたい、私はお団子姫の方とくっついて欲しいというだけで、『風天娘』で一番好きなキャラはコマ子だからね。誰かさんにもあのぐらい、決めるべきときにしっかり決めてほしいものだよ。誰とは言わないけどね。誰とは。

従者から主への一冊 水橋パルスィ『あなただけを見つめてる』

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