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《花果子念報》読書面連載「トラとネズミの交換読書日記」(第0回~第7回)

2020/04/01 01:18:45
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第1回 理解には話し合いが大事――寅丸星からナズーリンへ


 《花果子念報》読者の皆様、はじめまして、寅丸星です。普段は命蓮寺の本尊などをやらせていただきながら、「星丸小虎」という筆名で拙い児童小説などを書かせていただいておりますが、書評の仕事というのは初めてになります。「書評だと思って変に肩肘張らず、素直な読書感想文でいいんだよ」とはナズーリンの言ですが、交換読書日記を広く公開するというのは、改めて原稿を書き始めてみると気恥ずかしいものですね。
 ところでこのコーナー名、本当に「主従交換読書日記」でいいのでしょうか? 私とナズーリンの関係は、一般的に言うところの「主従」とは少し違うと思うのですが……。
 ああ、話が逸れてしまいました。本題に入りましょう。課題図書の『フェアリーウォーズ』は、恥ずかしながら未読でした。ナズーリンから借りようと思ったのですが、「自力で入手することと言っただろう」と怒られてしまいました……。というわけで、里の霧雨書店で購入して参りました。霧雨書店さんは霧雨魔理沙さんの作品をいつもたくさん積んでおられて、入手が容易なのはありがたいことです。

 さて、『フェアリーウォーズ』は、妖精の少女たちの友情と対立、そして和解と共闘を描いた、とても爽やかなお話です。陳腐な表現になってしまいますが、寝る前に少し読もうとページを開いたらもう止められず、徹夜で読み切ってしまいました。巻を措く能わず、という慣用句は、きっとこういうときにこそ使うのでしょう。
 あらすじを紹介しますと、主人公は、風の妖精・ミルノ。友達である水の妖精・タイアと、森の中の湖で楽しく暮らしていました。しかし夏のある日、突然そこに三匹の妖精がやってきて、ミルノの湖を乗っ取ってしまいます。湖を追い出されてしまったミルノとタイアは新しい居場所を探そうとしますが、折悪しくその夏は日照り続き。湖から引き離されてしまったタイアは、みるみる弱っていきます。タイアを救うため、ミルノは三匹の妖精から湖を取り返そうとするのですが……実は、三匹の妖精が湖を乗っ取ったのには、ある切実な理由があったのです、というところまでは書いても大丈夫でしょうか? 何しろ書評なんて普段書かないので、どこまで言えばネタバレなのかというのが、どうもよくわからないのですが……。
 ええと、それはともかく、『フェアリーウォーズ』を読んで私が最も強く感銘を受けたのは、やはりこれが相互理解の物語であるということでした。
 最初は憎たらしい悪役として登場する三匹の妖精に、友達を救うために単身で立ち向かうミルノの姿を応援していると、次第に三匹の妖精の側にもそうしなければならない切実な事情があったことがわかってきて、お互いに大切なもののために頑張っているだけなのにすれ違ってしまう様に、中盤はハラハラが止まりません。
 結局、散々やりあったところで本当の脅威が姿を現して妖精同士の戦いは中断し、妖精たちはお互いの事情を打ち明け合って、状況を打開するために本当の脅威に共闘して立ち向かうことになります。このとき、きちんと互いの行動の理由と求めるものを開示して、最善策として共闘を選ぶという手続きが踏まれていることに、命蓮寺の者として、我が意を得たりという思いがしました。
 命蓮寺住職である聖(白蓮)の人妖平等思想は、何かと誤解を受けがちですが、決して人間と妖怪の根本的な力や寿命の差、妖怪が人間を捕食するという事実を無視したものではありません。人間が自分に害を為す妖怪を正当に怖れることまで、聖は否定してはいません。そもそも妖怪は人間の怖れがなければ存在できない者が多いのですから。
 人間に害を為す妖怪を、人間が自分の身を守るために退治することも、聖は闇雲に否定するものではありません。しかし、妖怪への怖れが行きすぎて、人間に対して害意のない妖怪まで一括りにして退治し始めたら、これは妖怪に対する差別、迫害というものであり、聖はこうした行いを諫めておられるわけです。
 人間の皆さんは「そうは言っても、『害意のない妖怪かもしれない』と思って近付いて、食べられてしまったら取り返しがつかない、だから妖怪を一括りにして避け、退治する方が合理的だ。それを差別と言われてもどうしろと」と思われるかもしれません。確かに人間の立場からすれば、その方が合理的であるというのは事実でしょう。
 ですから、聖はそこで、人間と妖怪の仲立ちをするものとして私たち妖怪に御仏の教えを伝えて回っているわけです。人妖双方の立場に立って物事を見て、考え、人妖の利害が対立したときに落としどころを見つける。そうして人間と妖怪の間に適切な距離を保ち、互いが闇雲に排撃し合わない社会を作ること。それが命蓮寺の目指す「人妖平等」なのです。
 『フェアリーウォーズ』の中での対立と和解、共闘のプロセスは、まさにこの聖の思想、命蓮寺の目指す人妖の相互理解の形を、妖精同士の喧嘩と仲直りという形で、わかりやすく説いたものと言ってしまって構わないでしょう。互いに何を求めて、なぜそうしたのか。それを対話で伝え合い、妥協点を探り、双方にとって最善の結果を目指す。そうして対立していた者同士が共存することができる社会こそを、命蓮寺は目指しています。ミルノたちが最終的に立ち向かうことになるのが誰かの悪意ではなく、あくまで自然現象であるということも、この作品の読み口の爽やかさに一役買っていることは間違いないでしょう。わかりやすい悪者などいないのです。誰にも事情があり、誰もが自分にとっての最善を目指している。その結果として対立が生じてしまうとき、その対立を解消するには、対話による相互理解が欠かせません。
 そういうわけで『フェアリーウォーズ』は、命蓮寺の教義の中核を伝えるテキストとして寺で配布したいほどです。霧雨魔理沙さんは博麗霊夢さんと一緒に妖怪を闇雲に退治して回る人だとばかり思っていましたが、このような命蓮寺の理想と通底する思想をお持ちだったとは、我が不明を恥じるばかりです。是非、命蓮寺に入門していただけないものでしょうか。

 なんだか書評というよりは、聖の教えについて語る、いつもの説法のようになってしまいましたが、このような原稿で良かったのでしょうか?
 それにしてもナズーリンはとても良い作品を薦めてくれました。さすがはナズーリンです。薦めてくれたということは、ナズーリンもこの作品を良いものだと思っているということでしょう。どうも聖から距離を置きがちなナズーリンですが、やはり私たち命蓮寺の教えにちゃんと共感してくれているからこそ、私の従者を千年以上も務めてくれているのだと思います。
 ナズーリンが私たちのことをちゃんと解ってくれていることが伝わりました。

 さて、そろそろ紙幅が尽きそうですが、私の方から課題図書を指定しなければいけません。しかし、私が読んだことのあるような本は、書評家のナズーリンはとっくに読んでいる気がするのですが……。どうしましょうか。
 しばらく悩みましたが、最初に浮かんだこの一冊にすることにします。宇津保凛『地の底のイカロス』(旧地獄堂文庫)。できれば三部作通しての感想が聞きたいですが、一作目だけでも構いません。それでは、ナズーリンへ。よろしくお願いします。

主から従者への一冊 宇津保凛『地の底のイカロス』

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