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《花果子念報》読書面連載「トラとネズミの交換読書日記」(第0回~第7回)

2020/04/01 01:18:45
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第3回 ひねくれもほどほどに――寅丸星からナズーリンへ


 前々から思っているのですが、ナズーリンはいささか斜に構えすぎなのが玉に瑕です。常に俯瞰的に物事を見て冷静に対処するその姿勢に助けられたことは何度もありますから、皮肉屋なのも一概に否定はしませんが……。なんだか、皮肉屋であるためにわざわざ皮肉を言うポイントを探すようなことをしていませんか? 《イカロス》三部作を素直に読んで、あんな感想は普通出てこないと思うんですが。
 自分はこういう存在である、という自意識の束縛から逃れることは難しいものですが、しかしあまり自分を自分で規定しすぎてしまうのは考え物です。ナズーリンにもたまには、脇目もふらず何かに熱中するような姿を見せて欲しいと思います。
 あと、《イカロス》三部作を挙げたのは単純に好きな作品だったからで、別にナズーリンが邪推しているような理由ではありませんよ。くれぐれも誤解しないでくださいね。

 さて、ナズーリンの今回の選書は富士原モコさんの『亡失のフェニックス』です。恥ずかしながらこれも未読でした。一応曲がりなりにも作家の肩書きを得ていながら、本当に読めていませんね、私……。反省します。
 あらすじを簡単に紹介しておきましょう。物語は夜の竹林から始まります。五人の同行者とともに竹林に迷い込んだ主人公の慧は、妖怪に襲われ、同行者全員があっという間に殺されてしまいます。絶体絶命の危機から慧を救ったのは、その不死身ぶりから〝フェニックス〟と呼ばれる妖怪ハンターの青年・紅でした。慧と紅は凶暴化した妖怪が溢れる竹林から脱出しようとするのですが、ふたりを次々と妖怪が襲ってきます。どうもこの妖怪の凶暴化には、《不死者》と呼ばれる特殊な人間の影響があるらしいのですが……という、ハラハラドキドキのアクション小説です。
 なんだか前回の原稿でのナズーリンの薦め方に意地悪なものを感じるのですが、それはそれとして、私は本作を非常に楽しんで読みました。ナズーリンが言っているのは中盤の大きなドンデン返しのことだと思いますが、大変驚いて声をあげてしまい、一輪が部屋に駆けつけてきてしまったことを白状しておきます。同時に、聖がこのドンデン返しで驚きそこねたというのも、なんとなくわかる気がします。
 こういうドンデン返しのある作品は、そこをバラしてしまうと読者の楽しみを奪ってしまうということはわかっています。しかし、この作品については中盤のドンデン返しについて言及せずに語ることはほとんど不可能だと思いますので、未読の方はここから先は読まれない方がよろしいでしょう。
 よろしいでしょうか? では……。
 本作のドンデン返しのキモは、人間を食らう妖怪にとっては無尽蔵の餌となるため、妖怪に襲われやすい体質である《不死者》の存在です。中盤までは読者には紅の方が《不死者》だと読めるように書かれているのですが――178ページで、《不死者》は慧の方であり、紅の方が普通の人間だったということが明かされます。こうあっさり書いてしまうと、これがどれほどの衝撃かが伝わりにくいのがもどかしいですが……。本当に驚きました。最後まで読んだあと、思わずもう一度前半を読み直して、冒頭の慧の同行者が殺される場面や、紅の「俺のせいだ、すまない」という台詞、紅が単身で妖怪を引きつける場面などに込められた本当の意味に、ただただ感嘆するしかありませんでした。読者の私がどの場面をどう読んでどう感じるか、全部作者に計算されていたわけですから……。もちろん私も小説を書くときは、読者にこの場面はこう読んでこう感じてほしい、と思いながら書くのですが、ここまで緻密に計算されたものはとても書けそうにありません。
 同時に、聖が驚けなかった理由もわかりました。聖自身が、慧と同じくかつては普通の人間で、後天的に不死の身体を手に入れた身だからでしょう。この作品は全貌を知って読み返すと、ちゃんと慧の方が《不死者》であると考えた方がいろいろと腑に落ちるように書かれています。聖はその不自然さを嗅ぎ取って、慧こそが《不死者》だと序盤から理解してしまったので、そもそも作者がそれを隠そうとしているとは思わなかったのではないでしょうか。ですから、聖はむしろこの作品に隠された意図をちゃんと読み取っていたのではないかと思うのです。ちゃんと読み取りすぎてしまったが故に、作者の術中に嵌まりそこねたとすれば、作者としては痛し痒しというところなのではないでしょうか。見事に作者の手のひらの上で転がされた私は幸福な読者だったのでしょう。
 ところで、人妖平等を掲げる命蓮寺の本尊が、妖怪退治小説を褒めるのは問題があるのでは、という声が聞こえてきそうですが、それに対しては、命蓮寺は人間に明確な害意を持つ妖怪を自衛のために退治することまでは否定しません、と改めて強調させていただきます。私たち命蓮寺は、人間に害意を持たないにもかかわらず迫害される妖怪を救い、人間への害意に囚われた妖怪をその軛から解放し、人間と妖怪の相互理解を進めることが目標なのです。
 本作では妖怪は人間を襲う完全な脅威として描かれていますが、本作においては人間の目から見た妖怪の恐怖を徹底的に描いていることが、人間としては異物である《不死者》の慧と、妖怪ハンターである紅の友情を際立てていると感じました。慧は普通の人間から見ればむしろ妖怪に近い存在だと思いますが、その慧を人間と認めて救おうとする紅の姿と、それによって異物になってしまった絶望から慧が救われる様には、命蓮寺の者として相互理解の大切さが改めて感じられ、非常に感じ入るところがありました。この上に、害意ある妖怪との相互理解が描かれていないと文句を言うのは、ないものねだりというものでしょう。本作は慧と紅というふたりの友情の物語として美しくまとまっているわけですから。

 さて、こんなところでしょうか。ナズーリンには満足してもらえたでしょうか? 私としては、二冊続けてとても素晴らしい作品を紹介してもらえて感謝しています。
 私の方も、ナズーリンが喜ぶ作品を紹介したいところですが……。ううん、私が読んでいて、ナズーリンが未読で好きそうな作品なんて、あるのでしょうか? とりあえず、ナズーリンが今まで各種媒体に発表した書評原稿を全部確認して、ナズーリンが書評で取り上げていない作品から選んでみることにします。
 そのチェックをしていたら〆切ギリギリになってしまって、姫海棠はたてさんにはご迷惑をお掛けしました。というわけで、ようやく選書が決まりました。これでナズーリンがもう読んでいたらごめんなさいと謝るしかありませんね。
 十六夜咲夜さんの『チェリーパイで紅茶を』(紅魔文庫)。私は決して十六夜咲夜さんの良い読者ではないのですが、これは個人的にお気に入りの一冊です。ナズーリンの感想をぜひ聞かせてください。

主から従者への一冊 十六夜咲夜『チェリーパイで紅茶を』

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