Coolier - 新生・東方創想話

HOTELエイリアン

2019/05/04 01:04:41
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『藤原妹紅』

 最初の三百年で、彼女は人々から忌み嫌われ、その身を隠して過ごした。

 次の三百年、妖怪達を手当たり次第に退治し、辛うじて自我を保った。

 次の三百年、彼女は想像を絶する虚無に陥り、ついに生きる意味を失った。

 そして三百年、私達は彼女を見つけた。

 当時、私は身分を隠し、人間達の間で小さな診療所を開いて生計を立てながら、蓬莱山輝夜を匿い続けていた。その時、「炎の獣」の噂を聞いたのである。人々から相談され、私はその獣の退治を引き受けた。酷く強い雨の日であった。最初は、随分と見覚えのある獣だと思った。だがその正体は、輝夜と縁のある少女であった。流石に私は驚きを隠せなかった。あの時代から既に千年は経つというのに、どうしてこの娘が生きているのだ? まさか、いや、だが……。もう、彼女はある意味で生きてはいなかった。抜け殻のように虚ろな目をしていた。黒髪は嘘のように白く変色していた。ぼそぼそと譫言を口にしながら、その身体を妖力による炎で燃やし続けていたのだ。彼女の肉体の一片が焼け落ちたかと思えば、瞬く間に再生を繰り返す。その様子を見て確信した。彼女は、『蓬莱の薬』を飲んでしまったのだ。そこにどういう経緯があったのかは知らない。容姿の変わらない長寿は「怪物」と同一視される。故に、私と輝夜は今まで土地を転々として生きてきたのだ。一体どれほどの孤独の中で、彼女は生きてきたのだろう? だが、私が彼女に対し憐憫の情を抱いた瞬間、彼女は、目の色を変え、私に向かって文字通り獣のように鋭い爪を振りかざし、襲いかかってきたのだ。彼女は、言葉を忘れていた。言葉というより、人と人を結ぶための意図のような物を思い出せないでいたのだ。何度か私は彼女の名を叫んだ。藤原妹紅、彼女は我が身に降りかかる激しい雨の粒を瞬時に蒸発させるほどの熱い炎を纏っている。さながらそれは身を守る為の鎧ではなく、自身を苛むための牢屋でもあった。彼女は炎の中に囚われていた。酷く屈折した自傷行為である。彼女にとって、痛みだけが唯一信仰に足る「神」であった。苦痛だけが、彼女の命を司っていた。歪な咆哮と共に繰り出される火の爪は、悲しくなるほど鋭利であった。私は瞬時に弓を持ち、彼女の顔面に向けて矢を放った。矢は風となり、無限に続く雨音を切り裂きながら彼女の頬を抉った。血の混じった火の粉が辺りに激しく吹き荒れた。その瞬間、妹紅はほんの一瞬、その仄暗い瞳の中に微かな光を取り戻した、かのように見えた。土砂降りの雨の中で、私は妹紅から距離を取った。一手、二手と激痛を伴う炎に向けて矢を放つ。妹紅は私の矢を一切避けない。最早彼女にとって、その程度の痛みは何の意味も成さないのだろう。びしょ濡れのまま、その白い肌を血で汚しながら私へ攻撃を仕掛けてくる。妹紅の刃を受け流し、再び、近距離で彼女の心臓目がけて矢を放つ。不死であろうと、心臓を貫けば怯むだろうと思った。彼女の肋骨を砕き、ドクドクと脈打つ心臓の片半分を潰した。だが驚いた事に、妹紅は瞬き一つせず、私の腹部に向けて炎を叩き付けてきたのだ。……妹紅は、月の使者とは訳が違う。彼女は正真正銘、血の通う「人間」である。妹紅の炎を受け、私は泥の上に倒れた。瞬時に妹紅が私の身体に覆いかぶさる。雨に濡れる彼女の表情は、この時、笑っているようにさえ見えた。賊が女を犯す時のような目で、妹紅は私を「壊し」始めたのだ。彼女の纏う炎で四肢を焦がされる。何度も何度も、肉体を砕かれ、皮膚を汚され、内臓を壊され、辺り一帯に広がる水溜りは見る見るうちに血の海へと変わり果てる。私は何も言わず、悲鳴を上げる事も許されず、彼女の「行為」を凝視し続けた。やがて、妹紅は気付いた。目の前に倒れ伏す私の「命」が、幾ら奪っても減らない事に。私と輝夜は、妹紅と同様に死の概念が欠落している。妹紅は、私の瞳を見つめた。そこにあるのは怨嗟でも乞いでもない。私が心に抱いた物は、彼女に対する「哀れみ」だけだ。途端、妹紅は小さく悲鳴を上げ、ぐちゃぐちゃと泥の上で後退った。大雨の中でもわかるほどの清らかな涙が彼女の頬を伝う。血で染まった妹紅の顔を静かに撫でるかのように。私は立ち上がり、再び弓を取って妹紅の目の前で構えた。妹紅は酷く怯えた様子で地に這い蹲っていた。間髪入れず、私は妹紅に矢を撃った。至近距離で、何度も何度も。その度に妹紅が悲鳴を上げた。これは、痛みに対する悲鳴ではない。妹紅が恐れている物は、「感情」である。言葉の代わりに、私は痛みで妹紅に語りかけている。矢が妹紅の身体を次々と苛んでいく。膝を打ち、自由を奪う。それでも妹紅は私から逃げようともがき続けた。これは、贖罪を孕んだ、私なりの覚悟であった。ついに矢が無くなり、私は妹紅の震える瞳を見続けた。妹紅が血塗れになった両腕を伸ばし、私に縋りつく。妹紅は、忘れていた言葉を、血を吐くような思いで口にした。


「しにたい」


 どれだけの歳月を積もうと、幾千の言葉を忘却しようと、多分、その言葉だけは忘れられなかったのだろう……。
 
 彼女を焼殺し続けた火炎が弱くなる。
 鼓動が雨粒よりも静かになる。

 炎の獣は死に、藤原妹紅は、再び人間へと戻った。

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