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いつかのはなし
目を覚ますと、雀の鳴く声がけたたましいまでに聞こえてきた。どうやら今日の天気はいいらしい。
欠伸を噛み殺しながら顔を洗い、しかる後に食堂に行くと、妻であるところの椛が出迎えた。
「おはようございます、旦那様」
微笑みながら立ち上がり、こちらの挨拶を受け取ると
「すぐに朝餉の支度をしますね」
大きな尻尾を振りながら厨へと消えて行く。
ふむ。こうして見るとあんなに目立つものなのに、どうして生えていないという噂が立つのだろう。
この世の不思議に小首を傾げながら待っていると、ほどなくして朝餉を乗せた椛が戻ってきた。
見間違いでなければ、置かれた盆の上に我が家としては珍しいものが乗っている。
「これは……ゆで卵、ですか?」
「はい、見ての通り、そうですよ。旦那様はゆで卵はお嫌いでしたか?」
「いえ大丈夫です。ただ、珍しいなと……」
いつも卵が出るとすれば目玉焼きか卵焼きの形で登場するのが主流であって、ゆで卵というのはなかなかお目にかかることはない。
しかも、ご丁寧に殻はきれいに剥いてあった。
余談であるが、温泉卵は卓上に上がることはない。
それは我が家における暗黙の了解、というより、調理する義務を有する=メニューを決定する権利を有するところの椛が、温泉卵がダメというのが理由の一つである。
「理由の一つ」というからには複数理由が存在する前提の表現であるわけだが、何のことはない。
自分も温泉卵が嫌いだから、それがもう一つの理由。ただそれだけのことである。
「半熟ですけど……あ、もしかして旦那様は固ゆで派でした?眉間にしわが寄っていますけど」
「いえ。さすがは椛、ツボを心得た出来と申し上げるしかありません。
表情がこわばっていたとすれば、それは嫌いな食べ物の食感を思い出していたからです」
「はあ」
「ところで、卵と言えば、温泉卵という名前は温泉でしか作れなさそうな響きが限定感を煽っている気がして傲慢な印象なのが否めませんね。日本人は限定という言葉に弱いと言いますが、西洋、たとえば霧の湖の向こうの館などではその温泉卵がどのような評価を下されているのか興味は尽きません。ゆで卵だってこのように『御家庭で簡単に』作れてしまうのですから、白身が固まっていない状態の卵など何をかいわんやというところでしょう。地下には温泉が沸いているとかそこには鴉がいるとかいないとか、そういう話を聞いたり聞かなかったりしているわけですがその鴉は卵を産むのですかと。その卵は温泉卵になりますかと。むしろ旧地獄卵ですかと―――――」
「てい」
ドスリと、こちらの額に手刀が叩きこまれる。
その瞬間、思考の全てが白紙で上書きされた。
「……はっ!?」
自分は今、何を考えていたのであったか。
目の前にはニコニコ顔の椛と、手つかずの朝食。
「遅刻しますよ、旦那様?」
「え、あれ。……ああ、これは失礼……では、いただきます」
深く考えず、食事にとりかかろう。
食足りて世は平らか、という言葉を読んだことがあるが、誰の言葉だったか。
食すというのは原初の嗜好であり、選択の余地を許された最初の自由であると思う。
その中で好きなものを食べられるというのは、至福の時と言わずして何と言おうか。
白米の握り飯(おかか)を一つさらえ、味噌汁と残りの握り飯を処理した後、意を決して残されたゆで卵に向かう。
ご丁寧に卵立てに乗っているが、こんな食器いつの間に取り入れたのだろう。
なお、食器は箸のみである。
「このゆで卵を、どう食されますか?」
まるでそう問いかけられているかのようなこの光景、そして緊張感。
意を決して、手を伸ばす。
「まぁどうしても、そうなっちゃうよな……」
手づかみですぽんと卵立てから引き抜き、口中に投じる。
歯で絶妙な柔らかさの白身を無残に貫き、黄身のまろやかさを舌の面で堪能する。
しかる後に、残った白身のつるんとした部分を喉越しで味わいながら、一飲みし、本日の朝食を終了させる。
「大変美味しゅうございました。ごちそうさまでした」
両手を合わせて一拝。本日も満足のいく朝食をとれたことに感謝する。
と。
「旦那様、えっと、その」
「ええ。おそらくこれは『幻想郷住人格付けチェック』などの企画があろうものなら二流のやることでしょうね。
ですが自分は正しく食べたつもりも間違った食べ方をしたつもりもありません、
おそらくですが、問題そのものが間違っていますので無効試合でしょう」
口元をぬぐいながらそう返すと、椛は少し困ったといった風な表情をしていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、そうではなくてですね。ゆで卵って何かかけられますか?と聞こうとしたら一気にいかれたので……」
「ああ。この通りプレーンでも、塩でもマヨネーズでもいけますよ。次回の参考にしておいてください」
「承知しました」
それだけ言うと、椛は盆を持って厨へと再び姿を消す。
さて時刻は、と柱の時計を見ると、そろそろ支度が必要な時間であった。
食事は急いだつもりも無為にのんびりしたつもりもないので、おそらく起きるのが遅めだったのだろう。
そう結論付けて着替えを済ませ、玄関へと向かう。
下駄を履いていると、椛がパタパタと現れた。
「これ、お弁当です。お忘れなく」
「ありがとうございます。椛は今日は休日なのでしたか?」
「ええ、なのでちょっとにとりのところで将棋でも指してこようかと」
将棋か。自分は強い方だとは思わないし、人からそう言われたら社交辞令を通り越して嫌味以外の何ものでもないほどの勝率を誇るが、それゆえに強い(と、少なくとも自分は彼女達のことを思っているし、実際強い)者同士の対局というのがどんなものか、見てみたくはあった。
が、残念ながら今日は自分の方が仕事であるため、それはかないそうにない。
「じゃあ、にとりさんによろしく伝えておいてください」
「はい。確かに承りました。行ってらっしゃいませ、旦那様。いえ……」
下駄を履き終えて立ち上がり、振り返るとそこには目を細めて微笑む妻の顔。この時ばかりは、彼女は自分のことを名前で呼ぶ。
「行ってらっしゃいませ、『椛』さん」
「ええ、行ってきます。椛」
申し遅れたが、自分の名前は犬走椛。
どこからどう見ても人間の見てくれをしてはいるし、
天狗社会では駆け出しもいい所ではあるが、これでも白狼天狗のはしくれである。
-了-
最初の映姫様と「犬走椛」の会話で興味を引かれましたし、対局も将棋の勝負ではなく気持ちの勝負だったわけですから特に気になりませんでした
ただやっぱ二次創作を読むつもりできてましたので浅く、薄く、散らばった印象は否めませんでした
葛藤や心情の変化なんかが強く書かれてた方が自分は好みですし
あと天魔様ってこの作品単体で読んだ場合思わせぶりな割に出番もなくてなんでいるのかわかんないキャラになってると思います
オリキャラってやっぱり読んでる方としては良くも悪くも興味を強く引かれるので、
作中の役割や扱いが雑だと悪い印象強くなります
あとついでと言ってはなんなんですが章ごとにページ変えられちゃうと読んでる方としてはいちいち読み込みが必要になるわけで集中が途切れちゃいまして……
できれば章の変わり目もいくつか行を空けるぐらいですましていただくと読みやすくてありがたいです
ページ分割は読み手への配慮だと思いますが、『起』『承』『転』『結』の四分割程に抑えておいた方がよろしいかと。
節ごとに読者にめくらせる感じが
幻の対局はどっちも椛であると言うのを考慮してか、彼/彼女で統一されてて演出的にはアリかと思ったけど、すっごい読み難かった場面でもあるゾ…男/女みたいな呼び方の方がまだ読みやすい気がする…気がしない?
犬走の親父さんは死人の名前を新しい娘にそのままつけるとか、死んだ兄に負けないくらいの愛を注ぐと言う意図に反して、狂気を感じましたね…