Coolier - 迎え火 送り火 どんど焼き

火 / 灰

2019/04/01 19:24:14
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  火

 竹林は、入口こそ風にささめく葉の音に耳を傾けることができたが、しばらく分け入ると大気は凪ぎ、太陽の方角すら曖昧に紛れてしまった。本来の目的に照らせばこれは都合のいい環境ではあるものの、やはり確かな指針を失うことへの不安は否めなかった。この、あらゆるものを抱き、隠すという深遠さ。あまりに優しい自然の形を成しているがゆえに、そもそもこの神秘を暴いてやろうという気さえ起こらないのだ。それに対して、私たちは、本能的に抗いえないことを心得ている。
 なにぶん勢いだけでここまでやってきたものだから、もうずいぶんと深くまで踏み入ってしまったのではないかと思う。引き返そうかと迷ったが、それはきっと無駄なことだ。この竹林において進む方向に差異などない。ここに入ったのは一種の逃避のためだった。そうした意味ではここは非常に安全な場所だったが、自分がすっかり迷ってしまうという事態は、もちろん本来的には危険なことだ。それでも私は、もはや油断といって差し支えないほどに安心していた。なぜならこれは、覚めれば消える夢に近いのだから。自覚した夢の中では、つい気が緩んでしまうものだ。
 しかし、いくら夢だといっても、私の能力はけっして想像力の域を超えはしない。まだ十分に踏み均されていない道を延々と行くのは一苦労だった。飛べば楽になるだろうかと考えたが、それを実行に移すとなると話は別だった。見上げてみれば、深い霧が頭上を覆っている。もし霧に身を投じたら、なおさら惑わされてしまいそうだ。平面のみならず、垂直方向にも迷いの呪いが及んでいるならば、飛び上がっても無意味だろう。
 そう考えて視線を落とすと、片手に携えている日記帳が視界に入った。念のため確かめてみれば、それは変わらず白い鍵によって閉ざされており、私はひとまず安心した。この日記帳こそ、私がここへ逃げ込んだ原因だった。過去の自分が書いた私的な文章ほど恥ずかしいものはない。しかも厄介なことに、こうしたものは歳や関係の近い人に見られる方が余計に辛い。だから、こちらで目覚めた私がまず危惧したのは、霊夢さんや魔理沙さんに出会ってしまうことだった。
 そういうわけで、私は竹林に入って歩きつづけた。別に一所に留まっていても良かったのだが、それはどうにも退屈だった。時間の流れを感じるには、歩いている方が都合いい。もちろん、迷ったらそこを動くな、というのは常識だが、今の私は果たして迷子と呼んでいいのだろうか。目的地もなく、帰るべき場所も存在しないのならば、それは迷子ではない。それは単なる散策だ。しかもここにはいかなる指標も存在しないのだから、そもそも位置という概念を考えること自体に疑問が生じてくる。霧と竹林から成る景色はもう長いあいだ不変だった。何か新奇なものを探して視線を彷徨わせるのも無駄に思えてくる。そうため息を吐いたとき、私は微かな変化に気が付いた。それは音だった。私の他に、竹林を行く誰かがいるのだ。はじめは動物かと思ったが、それにしては音がやけに安定している。それは着実に私の方へ向かって来ていた。日記帳を背中の方へ隠しながら、逃げるべきか否か迷った。思わず一歩退き、私はそのまま駆け出そうとした。だが、声が引き止めた。振り向けば、妹紅さんがいた。驚いた表情をしていた。私も同じだった。お互いにまったく意外な邂逅で、不意をつかれてしまったのだ。
「どうして」
 つい同じ感想が零れたが、先に言ったのは向こうの方だった。
「迷ったのなら、出口まで送るよ」
彼女はそう言った。私は慌てて首を振った。
「迷ったんじゃないの、ちょっと事情があって……」
 そして、「だから、目覚めるまでここにいるつもり」と答えた。
「でも、ここは危険だし……」と彼女は言いよどむ。それから少しのあいだ考え込むと、彼女は提案した。
「だったら、私の家に行こう。それなら竹林から出ずに済む」
 予想していなかった答えで戸惑ったが、おそらく彼女はこれ以上妥協してくれないだろう。頷くと、彼女は来た方へ踵を返した。ついて行く途中、私は黙っていた。彼女もそうだった。静寂は、一人で歩いていたときと同じことだというのに、今はそれがやけに気になった。その違和感を埋めるべく、私は口を開いた。
「聞かないの?」
「何を」
「事情」
「その鍵を見れば、だいたいは」
 問答は端的だった。二人とも目を合わせることなく進んだ。ふたたび風の音を聞くことができ、私はなぜか安堵した。そしてすぐに、この密かな変化を彼女に気取られたのではないかという危惧を覚えた。私は平静を装ってその背中を見たが、彼女はいっさい迷うことなく道を辿っていた。
 やがて、変わらぬ竹林の風景の中に、小さな庵が現れた。
「見た通り、何もないけど」と自嘲する彼女に続いて、私もその中へ上がった。
 別にじっくりと観察したわけではないが、確かに部屋の生活感は薄かった。家具と呼べるものはほとんどない。一応、食糧の貯蔵だけはまだいい方に見えた。
「慧音が――ああ、友人がたまに持ってきてくれるんだ」
 私の視線に気付いてか、彼女は言った。
「寺子屋の先生をやっているから、色々と人望があるんだろうな」
 その口ぶりに友人を過度に誇るような感じはなかった。それは、まったく自然体の言葉だった。おそらく彼女は何度もこの気取らない表現で友人を表してきたのだろう。
「へえ、一度会ってみたいものね」
「授業のないときなら、暇しているかなあ」
 そう話しながら、私は自分の素行を思い出した。私はふだんから授業中に居眠りばかりをしている不良生徒である。そのまま尋ねてみると、妹紅さんは少し唸ってから答えた。「ちょっと怒られるかもしれないな」
「慧音は真面目だからね。あの食糧だって、目を離すと私が不摂生をするからっていうのが理由の大半で……」
 彼女はそう愚痴を漏らしたが、その表情に暗い部分はなかった。そしてそれは、言葉としても現れた。「まあ、ありがたい話だけどね」と彼女は苦笑するように言った。それから、いっそう明るい笑顔で「慧音はいい友人だよ」とも言った。
 それが眩しくて、私は思わず目を背けかけた。ただ曖昧に笑って頷くこともできたが、私は何を言うべきか悩んでいた。「私も、きっとそう思う」と結局そのような言葉が零れた。
「お茶でも飲む?」と彼女は立ち上がって聞いた。私が首を振った。彼女は一人分だけお茶を淹れはじめた。手持ちぶさたになると、どうしてもあの日記帳が気になった。鍵の掛かったその表面を、私は何度も撫でた。
「ねえ、何か印象に残っている夢ってある?」
 彼女が戻ってきたところに、私は思わずそう尋ねていた。
「夢はあまり見ないからなあ」
「そっか」
 返答を聞いて、我ながら余計なことを言ったものだと後悔した。しかし、彼女の言葉に過不足のないことを鑑みれば、むしろ奇妙なつり合いがとれている気もしていた。
「それと何か関係があるのか?」と彼女は日記帳を指差す。私は少し答えに迷ったが、結局肯定を返した。
「そうだな」と彼女は少し考え込んでみせた。こうした、会話の合間にときおり訪れる沈黙は、淀みない発話よりもむしろ心地よかった。静寂は話の流れを妨げない。そのことを感じるのが好きなのだと分かった。
「富士の夢ばかり見ていたときがあった」
「へえ。でも初夢には良さそうね」
「どうだろう」と彼女は呟いた。「夢と言うよりは、嫌な現実の繰り返しだったし」
「そのわりには、気にしていない顔に見える」
「まあ、昔の話だからね」
 果たして彼女がほんとうにそう思っているのかは疑わしかった。なにせ千年を超えているのだから、その時間の感覚を推し量るのは私には難しい話だ。だが、そうした疑問は流石に言う気になれなかった。その代わりに、「私も昔の話をしていい?」と尋ねた。彼女は頷いた。
「小学校のときだから、たぶん七年くらい昔のことかな。夢日記を書いていたの。はじめは単なる好奇心だったんだけど、記録している内に夢の内容も複雑になって、それにますます惹かれていって……。でも、一冊埋まった頃にやめちゃった」
 それがあの日記帳だった。先日、部屋で偶然見つけるまで、私はその存在をすっかり忘れていたのだ。それでも読み返すうちに、私は当時の自分の記憶をほとんど正確に辿ることができていた。
「たぶん、怖かったんだと思う。夢が現実を超えはじめているのが。だから、この一冊でやめにして、鍵を掛けたまましまいこんでいたの」
「でも、見つけてしまった、と」
「そう。それでどうしようか、読みながら悩んでいたんだけど、眠っちゃって」
「ふうん」と彼女は沈黙した。しばらく考えるようにしていたので待っていると、彼女はまた口を開いた。
「もし捨てるつもりなら、手伝うよ」
 私たちは静かに立ち上がると、外へ出た。しばらく見ないあいだに、霧はずいぶんと濃くなっていた。
 庵から十分離れたところに、ある程度開けた場所があった。私はその脇に立ち、中心に向かって日記帳を投げ出した。妹紅さんが前に進み出て、それを取り上げた。音も無く、彼女はたちまち火となった。
 彼女の一生とともに、過去の記憶が空へ還ってゆく。絶えない火が一夜一夜と明かしてゆく。純粋に白い灰はどこにもない。すべてどこかに黒が混ざっている。それはもちろん炎の焦げ跡だろうが、もしかしたら無数の夢を綴ったインクの跡なのかもしれない。しかし、すべては霧と煙に紛れた。白とも灰ともつかぬ曖昧な風の中で、ただ一つ、あの鍵だけが元の白を留めていて、幻想を永遠に閉ざしていた。
 私は黙って火の音を聞いていた。掌に灰の一片が落ちた。







この先、全部灰








・本質的に無欲な青娥とゆえに彼女の欲を読めない神子の話。周縁によって定義される穴/穴によって定義される周縁
>>
神子は青娥に対しては彼女の欲を知っているように振る舞うが、実際はそうではない。
青娥は神子が自身の欲を知っていると思っており、それによって自身の欲の存在を仮定している。

果たしてはじめに穴を穿ったのはどこだったか。

何がしたいかわからない から 何かを欲している様を装う。 自分の欲を知りたい
けれども核心には何も無い。

師の期待に、嘘をもって応えることしかできない。
それでしか彼女を引き止めることができない。
青娥という穴をもってわれわれ周縁は存続している。

 娘であり、妻であり、師であり……私は流転しているように見えるけれども、結局はどれも他者との関係にすぎない。
才ある者の傍らにいることを好むのも、自身の周縁を求める欲。

「私の欲を教えてください」

「今だから告白しますが、私はあなたの欲が分からない」

「あら諧謔?」

「いいえ」
彼女は真剣な面持ちで耳当てを外した。それでも彼女の表情は凪いだままだった。私は理解した。
「……失望しましたか」
「驚きはしましたが、

青娥は傍らの死者の周縁として
そして翻って死者が青娥の周縁でもある

・菫子と妹紅。疎外感と人間関係との向き合い
>>
喪失感を覚えるとしたら、私の世界と彼女たちの世界との連絡が途切れてからだと思っていた。

私は永遠に異邦人なのだ。

「それを言うなら、菫子だって馴染んでいるだろう」

「別に私たちだって、毎日皆と顔を合わせているわけじゃない」

「異邦人なのは仕方ない話だ。それは過去に起因する話だからね。ただ、今は同じ場所にいられるんじゃないかと思っている。精神的に」


「こういう言い方は気に障るかもしれないけれど」と彼女はらしくない前置きをして言う。「むしろ菫子の側がこちらとの境界線を気にしているんじゃないかとも思う。お前にとって私たちは、まだ単に暴きたい秘密のままなのか……それとも、ある種の隣人となりえているのか……」

 つまるところ私は、宇佐見菫子個人として彼女たちに関わる術を知らないでいたのだ。私は他者との関わりを絶って生きてきた。あるいは秘封倶楽部という外殻によって、クラスメイトとは断絶という関係を、幻想郷の住民とは異邦人という関係を築いていた。
 それは戦略としては正解だった。少なくとも今までそれですべてが上手くいっていた。人間関係などという凡庸な煩瑣の回避にそれは役立った。
 だが、彼女たちと接したときに感じたプリミティブな衝動は、間違いなく私自身の物だったはずだ。他者を遠ざけるための外殻に秘封倶楽部という名を付けたのは

「友達でいてくれますか」
「なかなか恥ずかしいことを言うね」
 彼女は呆れているのか、茶化すように笑った。それでも、私が何と取り繕えばいいか分からず迷っていると、「うん」と彼女は答えた。

・菫子と妹紅2。容姿と美的感覚について。不老不死の人間は自分が勝てるときのみ美醜のゲームに参加するという優位性を持つが、永遠に美の究極でありつづける他者が傍らに存在している場合にはむしろ場から降りつづけなければならない運命を背負わされるという構造。
>>
私たちはしばしば先天的な容姿を憂う。それは、誰に言われたわけでもなく(本当は「誰もに言われて」という方が正しい)ある共有された尺度に照らしてその優劣を測るゲームに参加しているからだ。
もちろんどの程度関わるかは個々人あるいは共同体の愚かさによる。
しかし彼女は少なくとも外見上は若さを留めたままで、周りの人間が、ゆっくりと入れ替わっていくのを何度も待つことができる。他者が皆いなくならない限りは。
若くあることよりも老いていることが希求される時代など来るのだろうか。私には想像できない。それは私が将来に希望を抱いていないというだけのこと(なぜなら私は無敵の女子高生なので)なのかもしれないが、より一般的な拡張も考えられる。つまり、生者はもしかすると先天的にそうなのかもしれないという想像。(死に近い者を選好するような種族は絶滅する。)

それは彼女が本当の不死であることの証拠であるように思えて

・ある日子供を身籠って帰ってきた紫苑に寄りそう女苑の話。幸福観の根本的な差異と諦めきった者について。
>>
 運が悪かった、という言葉は私たちに降り掛かる出来事の多くを曖昧にしてくれる。それは終わりの見えない因果の系列に対する一種の諦めだからだ。たとえば車に撥ねられたのは視界が悪かったから。視界が悪いのは傘を差していたから。傘を差していたのは雨が降っていたから……。
不運はいわば因果にとっての機械仕掛けの神であって、
 私たちにとって、自由な選択なんてものは無い。あるとしても、ごく限られた手札からどれを切るかを選ぶくらいのものだ。あるいは、他者の数枚の手札の内どれがババであるかを窺って、結局大差無い結末に行き着くような……。
 そんな風に考えていくと、環境と意志の区別が付かなくなってきて、たいていありきたりの袋小路に辿り着く。雨が降っているのは私の周辺の話で、そうでない所もある。じゃあそんな所で暮らしているのがいけないのかもしれない、そんな所に生まれたのがいけないのかもしれない、なんて。そんな結論のことを、私たちはまとめて「運が悪かった」と呼んでいる。
 私たちの不運は、そうした迂遠なドミノ倒しに巻き込まれるようなものだ。

 だから、恨まないでほしい。私があなたから財産を取り上げるのも、そうした長い長い連鎖の中腹の出来事でしかないのだから。代わりに私が私を恨んでおこう。決まって連鎖の終端にいる奴のことを、私は誰よりも知っているから。

野良犬に噛まれたとか、日常的な不運と並列して、あるいは、その犬が普段よりも大きかったというくらいの調子で語ったので、私は事態を受け止めるのに少々時間が掛かった。

人里の外れの小屋で私たちは暮らしていた。

人里が機能しなくなる、という事態は避けなければならなかった。以前は焼き畑のように里中の財産を流れ出させていればそれで良かったのだが、姉さんが身重である今、不必要な移動は出来る限り避けたかった。

村の上流層を把握して、器の大きい者から小さい者へと順番に富が流れていくように、
そうして、彼らの器が取り零した分を私たちの生活の糧にした。

姉さんは何もできない。物乞いくらいならできるだろうけど、人間相手には空振りで終わるだけだし、たまに動物を連れ帰ってくるが、

生理的なものもあるのだろうが、それよりも精神的な

姉さんは、ふと慈しむように腹を撫でては、それが重大な過ちであるかのように表情をこわばらせ、そしてそのような直感が別の意味でいっそう倫理に反していると気付いたのか、嘔吐した。

たまらないし、また気が滅入るという連鎖

小屋の裏口の傍に穴を掘った。
それでも雨の日などには、水と土の生臭さの中で酸の残滓がつんと鼻をついた。
姉さんは気付いているのだろうかと思う。

いっそ、もうどうにもならないくらいの欠陥を負って生まれていれば、と思うことすらあった。
しかし、赤子は生存については何ら問題無かった。もちろん、私たちが手を貸してやらねば生活はままならない。でも、それはいかなる子供にも言えることで

彼女を人里へ連れて行くのは憚られた。
住人は素朴で善良だったが、きわめて無知だからだ。彼らは妖怪を恐れるが、より正確に言えば、それは埒外への恐怖だった。つまり、

姉さんの嘔吐の頻度は増した。食事は嘔吐の準備となった。古代の貴族とは真逆で、いかにも姉さんらしいと私はひそかに思った。

そうしている内に梅雨が来た。
私は新たな穴を掘っていた。一つの穴ではそろそろ誤魔化しきれなくなってきたから。
穴掘りというのはきわめて単純で時間ばかりの掛かる作業で、余計なことを考えはじめる頭を

思わず、私は嘔吐した。掘っていた途中の穴はそれで台無しになった。すぐに次の穴に取り掛かった。

限界なのだと分かった。掘って、吐いて、掘って、吐いて、その繰り返しだった。
とはいえ胃の中身なんてたかが知れているから、八度目辺りからはほとんどまっさらな液体を枯れた喉から絞り出すように喘ぐだけになって、私は最後の穴の傍に跪いて、泣きながら嘔吐しつづけていた。
髪に滴る雫を舐めて焼け付く喉を癒そうとする自分がひどく惨めで、

雨が止んだと思った。
姉さんが私を抱きしめていた。ごめんね、と彼女は言った。違うの、と言おうとして、また吐いた。
私は、もう姉さんを助けることはできないと悟った。それどころか、私の方が参ってしまっていて、このままいくとおそらく姉さんは二つの重荷を抱えながら、あの諦めた笑顔で暮らしていくことになるのだろう。

私はあの子を食べた。彼女は抵抗しなかった。そもそも、力で及ぶはずもないのだが。
「何してるの」と紫苑は言った。
「妖怪が人間を食べるのは当然でしょう」と私は答えた。
 彼女は驚いているのか、それきり黙って私を見ていた。床板がきしりと鳴った。

 子供はひどく不味かった。味覚が変わったのかと思ったけれども、そんなことは無いはずだ。

 答えは簡単だ。私は疫病神で、すなわち奪う存在だった。相手の大切な財産を、相手の幸福をつまらないことに浪費させて破滅させることが私の幸せだった。
ならばどうして、私はいま幸せでないのだろう。子供の肉が美味しくないのだろう。
答えは簡単だ。この子供は姉さんの幸福ではなかったのだ。そして、だからこそ私はいま私の幸福を感じているのだ。
 私は、系列の最後に手を掛けた。姉さんに彼女の右半身の肉を差し出す。「恵んであげるわ」と彼女の口元に押し付けながら、私は精一杯意地悪く言ってみせる。
 彼女はそれを咀嚼しながら言った。「ありがとう」
その笑顔があまりにいつもの通りなのでやけに苛立って「お人好し」と私は姉さんを小突いた。
「お人好しは女苑の方だって、私は知っているからね」
 その返答を聞いて、私は内心少し喜んでしまった。身勝手な親切が相手の心情と偶然一致したのではないかという希望を持ってしまった。
 だが、姉さんは続けて「右の方がお肉が多いから、そうしてくれたんでしょう?」と平気な調子で笑った。
 私は言葉を失った。
 私は姉さんの共犯者にすらなれない

・射命丸文の新聞配達を時報として用いる十六夜咲夜という構図。タイムズ・スクウェア。
>>
「鬼の居ぬ間に失礼」
「誰が鬼の犬だって?」
「犬は嫌いなんですよねえ、色々と」

「あら、鬼」
「鬼ですね」
 
「はいはい、鬼だよ」

「それで何の用?」
「新聞購読の勧誘、だそうですわ」

「咲夜が決めるといい」

「毎日、決まった時間に持ってきてください。どんな些細な記事でも良いので」

ここのところ、私の時計は射命丸文によって動いていた。

だが、私は決して二君に仕えることはしなかった。時計屋が主君となることなどありえない。私たちの関係は、恒星と惑星と衛星の関係に似ていた。つまり、紅魔館の時計はレミリア・スカーレットを中心としているのであり、射命丸文は私の振り子にすぎないのだ。
そして奇妙なことに、この二重の振り子は私にとってきわめて簡明な基準を与えた。

・秘封。古い本の解読という形式。本は月が満ちた頃に風化する。何も覚えていないがおそらく円環の砂時計の前身か?
>>
私の友人が、東京のちょうど中心付近にある森林で一冊の本を発見したのは、たしかちょうど半月前のことだった。友人は誇張を多分に含ませながらその発見へ至る冒険譚を語っていたような気がするが、もうほとんど覚えていない。私はその本の内容ばかりが気になっていた。
 今はもう長い時の雨や風のせいでくすんでいるが、それには金の装飾が控えめに施されていて、不思議と古めかしい威厳のようなものが感じられた。おそらく一世紀ほど前のものだろう、と友人は見立てていた。
私たちはそれから今に至るまで、図書館に通いながらその本の忠実な解読を試みている。というのも、本のいくつかのページは欠けており、長い時の雨や風が多くの箇所の判読を困難にしていたのだ。

記述の詳細を可能な限りここに再現してみようと思う。ただし、たいていの人間がそうであるように、記憶は常に曖昧であり、記述はともすれば恣意的に陥りがちである。せめてもの努力として、私はこの手稿の筆者に最大限の信頼を寄せることとし、いかなる事実も受け入れることとする。

・円環の砂時計・注解。対称的な議題と議論の対称性。
>>
「きりが無いわ」

砂時計を用意した。

私たちの議論は、

先に相手の主張を整理して、それから反論と自身の主張を行うという形を取った。
たとえ主張の途中であっても、私たちは平等に遮って砂時計を反転させた。この形式は上手くいった。

だが、議論が進む内に、私たちはある奇妙な状況に陥りはじめていた。

つまり議論の蓄積によって、各々に与えられた時間の前半の、相手の主張を整理する段が徐々に全体を占めはじめてきたのだ。
すると蓮子は私の主張を補完し、私は蓮子の主張を補完する形になる。
最終的に私たちは当初の自らの信念とまったく逆の主張をすべての時間を用いて主張することになるだろう、という予感が膨らみはじめた。おそらく蓮子もそうだ。だが、私たちはそれを口には出さなかった。時間が無いから。

そうして、予感はついに現実の物となった。私は砂時計の周期的な反復を完全な形で論証し、蓮子はその完全な球の形態の可能性について同様にそうした。
私たちのなすべき主張はちょうど砂時計の天と地をそれぞれ満たす時間で行われた。

議論の終わりに、私は砂時計の時間を調べた。結果は四分四十二秒前後と、いかにも中途半端な数字だった。
しかし、それで私は確信した。奇妙な言い方だが、私たちの議論は、少なくとも時間について予め定められていたのだと。あるいは議題となったあの夢の記憶、その材料であろう現の経験、そしてまさにすべての当事者である私と彼女の成す蝶番についても。

だが、私は――私たちは――この途方もない想像を決して口にはしなかった。沈黙は言葉について二つの無限が合一する点であり、そうした砂時計の中心に私たちは存在しているのだから。

・オルレアン人形の話。二人の魔女と無数の人形、それから零になった巫女について。
>>
三日前の夜、私たち後天的な自律人形の数は五つに達した。

私たちの顔はよく似ていた。
私とあなたが、ではない。私たちと母が、だ。

「オルレアン」と彼女は私を呼んだ。私はひどく打ちのめされた気分になった。博愛のオルレアン人形

「オルレアン人形は、瞳の底が最も青い」

わずかに熱を帯びた彼女の指が私の目尻に触れる。

きっとこの瞳が母の物だから、あの金色を愛してしまうのだ。

・万里の長城は地上における月の都の結界の影。理想的な無限小の結界は現実においては無限長の形態を取らざるをえない。実質的にも理念的にもバベルの塔の基礎としての長城。

・転生の儀式は左回りの迷宮の形態を取る。

クリオネ一周年2018
ありがとう文果真報2017
BLEACH白鷺城2016
無理にならないようにしますが無理になったら消えます
空音
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1.891奇声を発する(ry削除
雰囲気が良かったです
2.891虚無太郎削除
じぶんもこの先の展開とか断片的なセリフやアイディアをこうやってテキストの後半にまとめて書くようにしているのでシンパシー
3.891終身名誉東方愚民削除
描写がすごく繊細で、細かいところまで頭の中でイメージしやすかったです。
未完の部分もはんぱなく精密なところまで凝ってあって何から何まで勉強になりました。