雨と埃だけ食って辛うじて生きる

白と黒

2016/04/01 23:37:06
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「ねえ、今日は何を言っても嘘になると聞いたのだけれど」
 夢の世界に降りてくるなり、サグメはいかにもとぼけた調子でそんなことを問うてきた。冗談にしてはずいぶんと拙いものなので、きっと本心からの言葉だったのだろう。
「だいたいそんなようなものです」
 手をひらひらと振りながら返答する。サグメは少し考え込んで、「どっち」と尋ねた。わざわざ説明する気にもなれず、適当に答えようとしたのだが、どうもうまくいかないものだ。
「うーん、『はい』か『イエス』の二択しか回答が存在しないとしたら、『イエス』を選ぶと言えばよいでしょうか」
「わからない」
 私は、どっち、とは言わないことにした。正直、伝わったか否かはどちらでもいい。
 それはサグメも同じだったらしく、くるりと身を翻すと話題を一転させた。
「本題を言うとね、今日なら何を言っても許されるんじゃないかなって」
 重要な打ち明け話をするように、一段小さな声でサグメは言った。
「そもそも、夢の中なら自由に喋っているでしょう」
「それもそうだけど……ねえ、私はほんとうに自由に話せている?」
「その面倒くさい質問を堂々とできるということが何よりの証明です」
「でも、ここでだって言いづらいこともあるわ」
 切実そうな口調をしながらサグメは目を伏せた。
「何でも言ってみればいいと思います。ここはあなたの自由な夢ですから」
 一匙の罪悪感からか、私はそのような提案をしてしまった。
「じゃあ言ってみようかな」
 そうして顔を上げたサグメの表情には笑顔が戻っていた。私は掌を差し出して続きの台詞を促した。頬を赤らめながらも、サグメは勇気をもって口を開いた。
「ドレミーの服、ちょっと変だよね」
 数秒の沈黙があった。私の喉の奥で「え」という音が鳴った。え。
「ごめん嘘」
「ほっとしました」
「かなり変」
「え」
 二度目の「え」だった。いつから発声は不随意になったのだろう。
「そんなことを言ったら、あなたの服の方がおかしいと思いますが」
「ドレミーの服は白黒しかないからつまらない」
「『変』と『つまらない』とは違いますよね」
「形が変で、色がつまらない」
「おもしろ矢印スカートさんのセンスは複雑怪奇ですね」
「照れる」
 照れないでほしかった。
「その服はドレミーのセンスのせいでそうなっているの?」
「まあそうですが」
「じゃあ変えることもできるってこと?」
「できないこともないですよ、夢ですから」
 サグメは少しだけ飛び上がって喜ぶと、一つの提案をした。彼女の言うとおりに私の服装を変えてみたいとのことだった。あまりに予想どおりだったので、清々しく肩を落とすことができた。
「とりあえずその無数の玉を外してみて」
「えー」
 露骨に嫌な顔を見せても、効果はなかった。サグメにはふわふわの魅力がわからぬ。渋々ながら、いとしい玉の数々を消してみせた。後には冬の砂漠のように平坦な白黒だけが残された。
「じゃあ本格的に形の矯正を……」
「矢印は嫌ですよ」
「ドレミーは矢印が嫌じゃなくなる」
「能力に頼らないでください」
「でも」
「でもじゃありません」
 サグメは子供のように落ち込んでいた。同情したくなったが、私にも越えたくない一線というものがあった。まともな神経をしていたらあんなスカートは誰だって拒否するはずだろう。
「だったら色だけでも」
「仕方ないですね」
 そうして、サグメの言葉に従って、服の色彩は様々に変化した。赤や青や紫など、ふだんの私ではとうてい考えられない鮮やかな彩りが一言ごとに切り替わるのを私たちは見た。そのうち部分ごとに細かく色を調整できることがわかると、この色遊びの幅は一気に拡大した。つまるところ、私の服は一つのスクリーンと化していた。私たちはこの冗談の熱にすっかり浮かされた。サグメと向かい合うようにして座り、私は映画の真似事を始めた。音声も頑張って自分でつけてみた。これが思いのほか好評だったので、調子づいた私はサグメの過去の夢の上映に踏み切ったが、明らかな放送倫理違反だったらしく、すかさずサグメの折檻が飛んできた。私は謝りたおし、しばらくサグメの好きに服装を弄らせてやるのと引き換えに許しを得た。それからは無残な敗北の歴史だった。要するに、私もまたおもしろ矢印の一員になってしまったのだ。さすがにそのままでいるのはとてもつらかったので、再び誠心誠意謝罪をして戻してもらったのだが。ようやく服が元の白黒に戻ったときには感激して涙を流した。いとしいふわふわの玉たちが帰ってきたときには、サグメが神様に見えた。私は服の上に二十ヶ国の言語で「ありがとう」を映し出した。サグメは笑った。

「ああ、私はこの日のことをもっと早く知りたかったのに」
 お互いに冷静さを取り戻すと、傍らに座るサグメは先ほどまでの時間を惜しむようにそう吐き出した。
「そうしたら今日の現実でも話せていたから?」
サグメは静かに頷いた。私はその顔にどこか切実なものを感じ取った。もし真実だとしても、確認したり尋ねたりすれば運命が逆転してしまうかもしれない。そんな迷いを抱えながら、この一日を悶々として過ごしていたのだろう。
「確かに残念かもしれませんが……でも、これで良かったのだと思いますよ」
「どうして?」
「もし叶っていれば、夢も現実も同じになってしまいます」
 目を背けながら私は言った。不意に出たこの一言に、自分の醜い独占欲が覗いているのではないかと多少のうしろめたさを感じていた。
「それもそうね」
 私の胸中を知ってか知らずかサグメは笑ってみせたが、それが本心ではないのは明白だった。そんなことは目を見ずともわかる。
「ドレミー?」
 自責の念に沈みつつあった私を、サグメの声が引き上げた。彼女のどこかずれた表情を見ていると、一人で勝手に情けない気持ちに落ち込んでいるのが妙におかしくなった。今日くらいはあらゆる嘘をついてもいいはずだ。長い――あるいは短い――沈黙の末に、口を開く決心した。
「ごめんなさい、やっぱりあなたは正直になるべきです」
 真っ直ぐ彼女の瞳を見つめ、私は嘘をついた。
「ありがとう、ドレミー」
 サグメの視線もまた真っ直ぐだった。意は確かに伝わっていた。
見つめ合うこと数秒、気恥ずかしさからか二人で黒い空を見上げると、地球が徐々に満ちているのがわかった。
「いけない」
 ぼうっとした声で、私は知らず呟いていた。
「このまま寝ていたら、今日が終わっちゃう」
 サグメも同じようにして言った。
 せっかくの結論も、今日が終われば水の泡だ。先ほどのことを現実にするには、それこそ現実に帰らなければならない。
「ねえ、ドレミー」
 声は頭上から降りてきた。サグメは立ち上がり、私は座ったままでいた。夢から覚める者と、夢に残る者がここにいた。
「私、がんばってくる」
「ええ、いってらっしゃい」
 私はただ手を振った。
 稀神サグメは月の夜へ溶けていった。
そして月の都は爆発した。
空音
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コメント



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1.14姫路城削除
良かったです
2.14姫路城削除
ありがとう 謝謝 감사합니다 ขอบคุณ ครับ សូមអរគុណ។ Спасибо  Благодаря! Danke obligado Děkuji شُكْرًا مرسی۔ გმადლობთ. Tesekkur ederim תודה asante dankie  ኣመሰግናለሁ። murakoze kia ora