Coolier - 新生・東方創想話

非公式飛行記録

2020/03/15 20:14:44
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急 曇りのち雨

 閑散とした香霖堂店内で、魔理沙が悲劇について熱弁していた。店主の霖之助は彼女の持論の部分を軽く聞き流し、ブラックジョークのような教訓をまた一編手帳にしたためた。これで魔理沙が語る悲劇のエピソードも九編目になる。恋愛短編集として本にできそうなほどである。似たような話が多く、最後のほうで必ず巫女が現れて、唐突に物語が終了する。彼女は悲劇にオチをつける機械仕掛けの神だった。むしろ主役が霊夢であるといっても過言ではないと霖之助は思った。
「おい、ちゃんと聞いてんのか」
「もちろん。あとで組み立てて、推敲するよ。後世に残るようにね」
 出来事を文章に残すということはつまりは歴史を作る行為である。真偽がどうあれ、最後まで残ったものが正しい歴史となる。だから霖之助はなるべく主観を排除して文章にしようとしていた。それでも考察やら思想やらが入り混じってしまうのが彼の難儀なところであった。
 魔理沙がそのことを指摘すると、霖之助は「じゃあ君が書けばいいじゃないか」と悪びれもせず答えた。
「ストーリーテラーは誰かに任せることにしたんだ。適材適所ってやつだ」
「僕が語り部なら君はなんだい? 主役か、サポーターか」
「決まってんだろ。悪い悪い魔法使いだよ」
 いーひっひっひと笑いながら言った。主役ではなく、普通の魔法使い。それは幻想郷の主役は霊夢や賢者たちといった根底に関わる存在もしくは幻想郷そのものが主役であり、自分自身はわき役にしかなれないという悔しさを、押し殺した末に縋っている魔理沙の自負であった。一時期は思春期らしく「たとえ今自分が死んでも世界は何も変わらない」とか「誰もが人生の主役だと笑わせんなクソが」とか思いつつやさぐれていたこともあった。そんな鬱々とした感情を秘めながら、口には出さずに霊夢の寝首をかいてやると狂ったように弾幕勝負を挑み、返り討ちにされていた。
 しかし、三年前に霊夢が失恋してからというもの魔理沙の青い葛藤は嘘のように消えていた。その代わり、霊夢を救ってやりたいという強い想いが芽生えた。魔理沙はこれを愛と呼んだ。
 決して言葉にはしなかったが魔理沙なりの愛は歪曲されつつ伝わっていた。普段は気を張っている霊夢は魔理沙といるときだけ心休まるのだ。
 霊夢はあの凍てつく暁の日から、修行を繰り返し欲求を昇華させ、足掻き続けていた。それでも闇夜よりもどす黒い嫉妬の炎は消えなかった。無関心を装っても人と妖怪の逢瀬を目撃するたびに幾度となく沸き上がるのだ。
 なぜ、手をつなぐ、なぜ口づけを交わす、ほんのりと朱が差したその顔は何だ。熱に浮かされ、緩み切って、その先は破滅だ、それだけなのに、なんでそんなに楽しそうなんだ。ああ、なんで私だけ……そうだ、思い出した私が博麗の巫女だからだ。穢れを払う、巫女。なら、彼らを清めなくてはならない。歴史が研鑽した力で、大博麗、その名の信仰で、徹底的に。妖怪は人に忌み嫌われなくてはならない、決して互いに恋慕の念を抱いてはならない、畏怖と信仰こそが正当なるつながりで、それ以外の要素が介在する余地はない。
 大儀を得た巫女は、決して負けなかった。それがこの世界の掟であった。霊夢は掟にのっとり、己に備わった実力を持ってして妖怪退治を執行し続けた。
 魔理沙はいつもそんな彼女の助けになっていた。悪い魔法使いとして、できる限り傍で支えていた。彼女の安らぎのためなら何でもやる。それが魔理沙のエゴであり、覚悟であった。
「そうだね、酷い魔法使いだ。加担する僕の身になってくれ」
「それは……悪いと思ってる、嫌ならやめたっていいんだ」
 魔理沙はばつの悪そうな顔をした。彼女は悪だくみの真っ最中であり、最後の仕上げは霖之助にも手伝ってもらわなければならない。それはある程度危険の伴うことだった。
「冗談だよ。最後まで噛ませてもらう腹積もりさ。落ちるときは一緒に、だ」
「今の台詞、なんか気障だな。似合わん」
「そうかい、練習しておくよ」
 裏方ではあるが霖之助も支えとなり、霊夢も甘んじていた。もし、霊夢の心が壊れて狂気に陥り残虐な殺戮兵器になっていたら、甘えは一切消えただろう。それが一番恐ろしい。彼女には存分に甘えられる場が必要である。魔理沙と霖之助は、たとえ彼女がどんな姿になり果てようともその場所を提供するつもりだった。


 魔理沙は帰路についた。たまには歩いて帰ろうと雪の積もった道をじゃくじゃくと踏みしめた。長靴で霜を踏むと子気味良い音がする。冬は寒いが、ふわりふわりと降り積もる雪は季節を知らせる妖精のようでどこか風情がある。雪かきの重労働さえ免除してもらえるのなら、魔理沙は冬が一番好きな季節だと公言できる。
 魔理沙が玄関で帽子の雪を払い、扉を開くとなぜか家の中から暖風が溢れ出てきた。ストーブを焚いた覚えはないし、魔法を使ったわけでもない。誰かが勝手に上がり込み図々しくも暖をとっていることが窺い知れた。
「なんでどいつもこいつも、不法侵入だぞ」
 自分の事は棚に上げるのが得意な魔理沙は、ブツブツ文句を言いながら帰宅した。
 居間には八雲紫がいた。ソファーに腰かけて、それはもう優雅に佇んでいた。なぜ、と問いかけると面倒な返しをされそうなので魔理沙は無視を決め込むことにした。沈黙は五分続き、しびれを切らしたのか紫の方から話しかけてきた。
「今日は寒いわ。布団が恋しいの」
 じゃあ帰れよ、とは言わなかった。魔理沙は紫の言葉遊びの中にある真意を探っていた。この妖怪は秘密主義者であり、伝えたいことをぼかすきらいがある。だが、今回は簡単な話であった。
「冬は寒いわ。だから、温もりが必要なのよ。この私でさえ」
 紫は寂しがりやの霊夢を案じているのだ。魔理沙に送るあまりにも回りくどい激励と謝辞であった。
 魔理沙はそれを読み取った。どんな粋な返しをしてやろうかと言葉を練っていたが、結局答える前に紫はスキマの中に消えていった。
「自分で行けばいいのに、難儀なやつ、ああはなりたくないな」
 魔理沙は悪態をついて、ごろんとソファーに寝そべった。


 季節はひとつ巡り、春一番が吹いた。森の雪はもう半分以上溶け、土や緑が露出していた。春告げ精が元気に叫びまわるせいで、山彦は辟易していた。
「春ですよー!」
「うるせーもう聞いたー!」
 こんな風情もへったくれもないやり取りが行われている。
 この日、雪ではなく久しぶりに雨が降った。小雨であり、がさつな人物なら傘を持たずに出かけられる程度だった。
「頃合いだ」
 魔理沙は今日を好機とし、ずっと温め続けていた悪だくみの仕上げを実行することにした。


 魔理沙は博麗神社に行き、霊夢に弾幕ごっこを仕掛けた。「濡れるのが嫌」と言うので、雲の上まで強引に連れ出した。渋々とついていき、雲海と有頂天の狭間で弾幕ごっこを行った。魔理沙が逃げ回るばかりでうまく近づいてこれず、スタミナ切れを起こしたため今回は霊夢が辛勝した。
 魔理沙は悔しそうに地団駄を踏んでみせた。空中でしかも箒の上で踏むという器用さである。しばらく悔しがった後、下に降りようと提案した。
「もしかしたら雨も止んだかもしれないしな。雲の上で虹は見えないし」
「晴れてたらいいんだけど」
 雲を突っ切ったが、雨は降り続いていた。勢いが先ほどよりも増したようで、二人はすぐ濡れ鼠になった。
「こりゃ堪らん。雨宿りしよう」
「そうね、急ぎましょ」
 ぴったりと張り付く服が体のラインを浮き上がらせた。霊夢は魔理沙よりデカかった。心の中で今度は本気の地団駄を踏みながら、下へ下へと降りた。
すると、一軒のガラクタまみれの建物が見えてきた。二人にとってなじみの店、香霖堂である。ドアを二度叩き、カランコロンとベルを鳴らして床が濡れるのを気にも留めず上がり込んだ。
「雨宿りさせてくれ」
「お邪魔しまーす」
「唐突だね、随分と」
 霖之助は二人にやたら水を吸う不思議なタオルを渡してやった。名称はマイクロファイバー、マイクロわかりやすく言うと微、微とは生き物が認識できない僅かな時――がいくつか積み重なっていること、割愛するがとにもかくにも非常に吸水性が良いのだ。
 それで身体を拭きとった魔理沙は、近くの大きな壺に腰かけた。その動作があまりにも自然で、まるでそこが定位置であるかのようだった。しかし、久方ぶりに来た霊夢はどこに腰を下ろそうか迷ってしまい、なじみの店なのにもどかしい思いをした。昔はもっと図々しかったはずなのに、つまらない遠慮をしてしまった。
 霖之助が気を利かせて椅子を勧めてくれたのでようやく座れた。
 久方ぶりに三人が揃ったということで、募る話もないが、会話はそれなりに弾んだ。拾った道具の事、最近の研究成果、妖怪退治の事、それぞれが日記のような特に山も谷もない出来事を語り、時たま相槌を打った。
 起伏のない穏やかな時間が過ぎた。炬燵のような心地よさから抜け出せなくなりそうだが、ここでついに魔理沙が口火を切った。
「そういやさ、な、香霖」
「なんだ、伝えてなかったのかい」
 秘密めいた語り口に「え、何々」と霊夢は楽し気に首を突っ込んだ。心なしか姿勢も前のめりである。魔理沙はもじもじしながらちょっとだけ焦らして「勘のいい霊夢なら察せるだろう」なんて言ってみたりして、霊夢をやきもきさせた。そして苛立ちが口から出る直前を見計らって意を決したように言った。
「私たち、付き合うことにしたんだ」
「ああ。まあ、以前と大して変わらないが」
「中身じゃなくてそういう「てい」が大事なんだよ。わかってないなぁ」
 いつもの調子で仲良く喋る二人に対し、霊夢は茫然としていた。
「嘘、どういうこと」
「まんまだよ。ちょっとだけな、私も大人になったんだ。なんつーか、恥らいが消えたというか」
「僕も素直になることにしたんだ。少しは甲斐性ってやつを見せようと思ってね」
 照れがまだある微笑ましいやり取り、幸せそうに笑う二人と霊夢の間に深い溝ができた。霊夢は怯えたように戸惑うしかなかった。
「え、なんで、霖之助さんと、あんたが」
 お構いなしに魔理沙と霖之助はぎゅうと身体を抱き寄せた。そして互いに顔を近づけて、短く口づけを交わした。
 それを見て霊夢の中の憎悪が沸き上がった。仲は良いが決して一線を越えない、と霊夢は高をくくっていた。しかし、その予想は裏切られ、心地よかったはずの空間は金槌を叩きつけたガラスのようにバラバラに打ち砕かれた。
「悪かったな」
 魔理沙がポリポリと頭を掻きながらそう言った。
 霊夢はその言葉の意味を捉えられなかった。悪かった、何がだ。私に隠れてコソコソしていたことか、だったらずっとコソコソしていればよかったのに、なんで伝えたんだ。
「嘘って言って。冗談でしょ、あんたは嘘ばっかりつくもん」
「じゃあ嘘だ」
 魔理沙はニカリと笑った。嘘をつくという罪を気にも留めてない普段通りの顔だった。
 霊夢は余計不安になった。嘘なんだ、ああよかった、ふざけているだけ、いや嘘つきが嘘っていったんだから本当なのか、二人は親密な、恋人のような甘い甘い時間を過ごしたのか。
「何か言ってよ、霖之助さん」
 いつも饒舌な霖之助はこの時ばかりは黙り込んだ。それは重厚な無言の返答であった。
「霊夢……」
「近寄らないで、いや、やめて、なんでそんなことするの、いや、私っ」
 くらくらとめまいがした。
 元は里の人間である魔理沙をたぶらかした霖之助という半妖を、霊夢は博麗の名のもとに退治しなければならなかった。しかし、そうなれば魔理沙が立ち塞がるだろう。真の魔女になるとも言いだしかねない。だから霊夢は二人とも粛清しなければならない。仲を引き裂いて、二度と癒えない傷を与えなければならない。
「やだ、やだ、やめてよ、ねぇ、友達でしょう」
「ああその通りだ。だから伝えたんだ、本当のことをな」
「僕たちの関係だって変わるものさ。でも不快になったのなら、謝るよ」
 優し気な、いかにも気をつかってるみたいな言葉をかけるな、そう思い泣きそうになった。壊れた天秤がどちらに傾けばよいのかわからなくなっているかのように、霊夢の心は揺れ動いていた。
「帰る」
 霊夢はその場から立ち去った。視界に誰も入れたくなかった。乱暴にドアを開け、雨も気にせず神社へと一直線に飛んでいった。
 ざあざあと雨音が聞こえてくるだけの店内にて、魔理沙はぺたんと床に尻もちをつき、冷や汗を拭った。ようやく心音と呼吸が荒くなっているのを自覚した。霖之助もすました顔を崩さないでいたが、内心怯えていた。
「見たかあの眼」
「ああ、ずっと演技できた自分に驚いているよ」
 魔理沙のたくらみとはこれである。霊夢の心をかき乱し、現状にひびを入れる。苦悩する霊夢を救うためには一度すべてぶっ壊す必要があると考えたのだ。悪役でも構わない。たとえ結果がどうであれ、大きな変化が訪れることは確信していた。そのために一芝居をうったのだ。弾幕で負けたのも、香霖堂に誘導したのも、すべて魔理沙の作戦であった。霖之助には前々から頼んでおり、確実に霊夢が動転するよう何度もこの恋人ごっこを練習していた。
 レミリアが見た未来では、これからの魔理沙の運命は平和か惣忙か破滅に転がるらしい。破滅は回避できたように思われるが、まだ安心はできなかった。
 霖之助はほうとため息をつき、力なく言った。
「あとは、天に祈るだけか」
 どう転ぶかは運否天賦である。魔理沙の提案を初めて聞いたとき、霖之助はたちの悪い冗談と受け取った。しかし、本気で霊夢を救おうとする想いだけは確かだということがわかり、彼女の努力を知っている霖之助はリスクも顧みず応えることにしたのだ。
「いや、大丈夫だ。絶対。私にはわかる」
 開け放たれたドアの先、溶けかけの雪を見ながら、魔理沙は自分に言い聞かせるように言った。自分の行いが正しいと心から思えるよう、何度も復唱した。
「大丈夫だ。私じゃない。私じゃ足りないんだ。あいつには。クソ、いや、だから大丈夫なんだ」
 魔理沙が延々とつぶやき続けた。彼女の震えた声を霖之助はずっと聞いていた。


 あの場から逃げた霊夢は頼りなくふらふらと神社に向かっていた。親密にしていたあの二人でなければ、霊夢は躊躇なく退治できたはずだった。雨が降っている。なのに霊夢は一切水を被らなかった。万物から浮き、自身の世界に没入していた。両価性の感情が頭を混乱させ、無意識に能力を発動させたのだった。
 思考が無節操に巡り続ける。あいつの冗談だ、からかいだ。嘘って言った。でもあの居心地の悪さ、嫌いだ、なんで。霖之助さんは私を支えてくれて、魔理沙はいつも私を追いかけてきて、そうか当てつけか、私への嫌がらせだ、そうに違いない、だってこんなことするはずない。私が人妖の恋愛が嫌だって知っているはずだから。なのに、キ、キ、キスまで。嬉しそうに。紫はあんな嫌がってたのに。嫌だ、憎悪が膨れ上がる自分が嫌だ、あんなもん見せつけやがって、ああ、もう嫌だ。嫌いだ、私もあいつらも、チクショウ、私なんてほっといてくれればよかったのに。
 あいつは人間だ、魔女じゃないって言ってた。霖之助さんは半分妖怪で、受け入れられるはずがない、絶対不幸になるから、なのにイチャイチャと、苛つく、むかつく、掟破りめ、いつもそうだ。普通にしてればいいのに。普通の普通のって里のいいとこの娘のくせに。ふざけやがって。ああ、クソ、変な奴。変な奴だ、私に気安く話しかけてきたっけ。最低だ、滅茶苦茶にされた。だめだ、違うだめだ、なんやかんや助けてもらってる。
神社に着いても霊夢の葛藤は消えなかった。そのまま布団に潜り込み、夢の世界へ逃げようとしたが、眼を瞑ると瞼の裏に焼き付いていた二人の接吻がより鮮明に思い返された。
 そんなもの見せないで、私の前で。ずるい、嬉しそうに頬を染めて、ああいいな、いいな、抱きしめてもらっちゃってさ。あったかいんだろうな、羨ましい。殺してやりたい、あのにへらって緩み切った顔を血涙で歪ませたい。声にならない悲鳴をあげさせて、眼球がしわくちゃになるまで泣かせたい。私だってそうだったもん。ああだめだ、あいつは私の友達なんだから祝福しなくちゃ。祝福、嫌だ。裏切りやがって。理解者面しやがって。
 怒り、妬み、自責、彼女の様々な思いが入り混じり、形がわからないほどぐしゃぐしゃになった。
 混濁した思考を一晩中繰り返した。
 朝陽が障子の隙間から差し込み、霊夢は最後にこうつぶやいた。
「いいなぁ魔理沙は」
 永遠に続くような長い葛藤の夜を経て、霊夢の超自我は精神の瓦解を選んだ。


 ある晴れた日。天照がこれ見よがしに美貌をひけらかしている陽気な午後、暁どころか白昼すら覚えたくないというのに、八雲紫は大忙しであった。朝っぱらから神社にて霊夢の相手をしていた。
「どうしたのー」
「おなかすいた」
「わかったわぁ、今日はほら、抹茶のアイス持ってきたの。一緒に食べましょう」
 スキマから取り出したカップアイスを見せた。正座した紫の膝に尻を乗せ、霊夢は餌を待っている子犬のように愛らしく頬を綻ばせた。紫は匙でアイスを掬い、霊夢の口へと運んでやった。
 一口食べたところで襖が開き、意気揚々と魔理沙が上がり込んできた。
「あ、まりさ」
「やあやあ、仲睦まじいようで。私にもくれよ」
 紫は鋭い眼光でギロリと睨みつけた。そこには怨念が込められているようだが、普段の妖しげな笑顔に比べれば恐ろしさは十分の一にも満たない。
「ケチらずにさ。私も頑張ってんだよ、ちょっとしたご褒美にさ」
 幻想郷でも食べられないことはないが、冷凍技術が発達しきっていないためアイスクリームはまだまだ高級品である。また、味のバリエーションも極僅かで、抹茶味の甘味と言われれば非常に食欲をそそられてしまう。
「言っときますけど、許しませんからね。ええ、あなたは善かれと思ってやったのでしょうけど、一歩間違えれば破滅の道を辿っていたのです」
 霊夢は幼児退行していた。容姿はそのままに思考も、責任もすべて放棄し、か弱くて可愛らしい存在へと成った。永琳曰く、過剰な防衛反応の一種とのことで、一時的な記憶喪失や失行を伴う精神病だそうだ。永琳は薬で無理に刺激するより、自然に任せる方がよいという見解も出した。
 霊夢の幼児退行を知った紫は飛び起きて、取り乱し、怒り狂い、嘆き、最後には現状を呑み込み、世話を焼くことに決めた。自然に任せると言っても、現状の彼女には無償の愛が必要である。それが霊夢の願いであり、また妖怪の賢者がするべきことであった。彼女の歪みは、博麗のシステムと自身の至らなさが起こした悲劇であると紫は悟ったのだ。正しく博麗の巫女を導き直すのだ。二度と同じ過ちを犯さない、賢者はそう誓った。
 事のあらましを魔理沙がすべて白状した時、紫は彼女を衝動的に絞め殺しかけた。博麗が崩れれば幻想郷が消えていたかもしれない、幾人もの犠牲が出たかもしれない、たとえそれらを食い止めたとしても、霊夢が廃人になっていたかもしれない、といくつもの可能性を上げ、脳なしの能なしの悩なしで無知で馬鹿で阿呆で屑で最低なエゴイストで自分の考えに酔ってるナルシストかつ吐き気を催すテロリストと罵った。おおよそ、淑女とは思えない程の下品な暴言も飛び出した。彼女の怒髪が有頂天を串刺しにして総領娘様がひんひん言うほどキレ散らかした。
だが魔理沙は決して謝らなかった。その時も、そして今もあっけらかんとこう言うのだ。
「私は霊夢を一番よく知っているんだ」
 紫はカチンときた。事実であることがまた腹立たしく、この自慢げな言葉は紫の苛立ちを吐き出させる十分な理由であった。頭の中の膨大な語彙の内、最上級の罵詈雑言を浴びせてやろうと紫が口を開きかけた時、霊夢が振り返って笑顔を見せた。
「おいしーね、これ」
 彼女はとても勘が良く、また平和主義者だった。自身の笑顔に争いを宥める力があることを子供は本能的に知っていることがある。霊夢はしたたかで、幼いながら怯えもせずにその力を行使できるのだ。
 唐突な笑顔により、紫は冷静さを取り戻した。
「ええ、そうでしょう、そうでしょう。霊夢のために、持ってきたのよ」
 霊夢のため、を強調して言った。紫がアイスを掬って食べさせようとすると、霊夢は少し嫌がるそぶりを見せた。
「いい、できるもん」
 霊夢は匙を奪い取ると、自分でアイスを食べ始めた。口の周りについてしまっていたが、こぼすことなく、上手に食べていた。嬉しそうに食べる姿を見て、魔理沙は少しだけ紫に嫉妬した。そしてそれを隠すためにからかうように言った
「なんだなんだ。私が来たから恥ずかしがってんのか」
「ちがう、できる」
「ふふふ、凄いわ霊夢。もう上手にスプーンも使えるのね」
 生命維持活動のすべて代行してもらう時期が終わると、なんでも自分でやりたがる好奇心と自立心が芽生え始める。その時期は様々な道具を使えるよう促し、出来たら存分に褒めるとよい。用意周到な紫は本を読み漁り、その通りに実践した。尤も、記載の何倍も成長が早かったのでうまくいかないこともしばしばであった。
「だな、ほんの一月前は碌に喋れてもなかったのに」
 筋肉や手先の運動能力が失われたわけではないはずなのだが、精神の影響か不思議とそれらも退行していた。三か月経ち、当初立つことすらままならなかった霊夢は現在二、三歳並の精神年齢まで成長していた。
「よかったじゃないか、凄まじい成長速度だ」
「この子は優秀だから。誰かとは違ってね」
「あー?」
「別にあなたとは言ってません、金髪で若々しい少女のことです」
「私じゃないか」
「さて、どうでしょう。今のあなたは黒髪のようだけど。すごく似合わないわ」
 躓いて転んで、立ち上がって、また転んで、時には道を戻ったりして、それでも霊夢は前を向けるだけ上等だ。紫はそう思った。自分は、立ち止まって見て見ぬふりをしてしまったから、心地よい停滞に甘えてしまったから。彼女がとても尊い存在に思えた。
「その調子だと、あと数か月ってとこか」
「医者は、わからないと言っていたわ」
 永琳曰く、退行現象は行ったり来たりを繰り返し、徐々に寛解するのだそうで、成長速度は予測が難しく、また、本人の気持ちに依るところが大きいのだとか。霊夢が早く治りたいと願う、つまり彼女の心の空洞が満たされれば自然にもとに戻るのだ。
 賢者にも予想できないが、子供の成長は案外早い。紫はこう言ってみた。
「ねえ霊夢、お母さんって呼んでもいいわよ」
「? ゆかりはゆかり」
「くくく、残念だな。刷り込み失敗だ」
 ちなみに魔理沙も元に戻ったときにからかう種を作るため、霊夢に「おねえちゃん」とか「魔理沙様」とか呼ばせようとして失敗していた。
 霊夢は幼くてもドライであった。母親や恋人を求めているわけではない。彼女はただ、愛情の実感が欲しかったのだと、紫はようやく悟った。私は私、腑に落ちた気がした。
 紫は霊夢の髪の毛を撫でつけながら言った。
「ごめんね、霊夢。気づいてあげられなくて」
 霊夢はキョトンとしていたが、特に何かを尋ねたりはしなかった。


 霊夢が昼寝をしたので、紫はようやく一息つけた。すうすうと寝息を立てている彼女を見ると食べたくなる(比喩ではない)ので、困りものであった。ぷにぷにとコラーゲンたっぷりのもち肌をつつき癒しを得ることで、欲望を押さえつけていた。
「はあ、子育ても大変ね」
 慣れては来たが、自分の式たちとは勝手が全く違うため苦労していた。繊細なのは同じだが、式の何倍も脆く、さらに我儘である。残酷で喧しく、気分屋なので相手するのが面倒だ。身体は大きいままなので、それも苦労に拍車をかけた。
 霊夢が退行したと聞いて各地の有力者たちがからかいもとい様子を見に来たので、対応や事情説明もしなければならなかった。交友が広がり、なぜか紅魔館のメイド長とママ友みたいな関係になったりしていた。子供が嫌いな野菜をプリンやゼリーにして騙す手技を学んだのは彼女からである。
 苦労の数々を少ない友人である幽々子に愚痴ると、物凄くつまらなそうな顔をされ、最後に「生きてる人間って面白いものね」と言われた。ちょっと怖かった。
 今はかなり落ち着いてきているのだ。魔理沙が労いを込めて言った。
「まぁ頑張ってくれ。あんたじゃなきゃ務まらない」
 紫は少しだけ嬉しそうにしていた。前に一度、紫が疲弊しきった時に式たちが代わりを務めたが、人見知りする時期だったのもあって霊夢は四六時中ぐずっていた。現在は落ち着いて誰にでもなつくようにはなっていたが、あれ以来基本的には紫が身を削って育児していた。
「誰のせいよ、誰の」
「だから、埋め合わせしてんだろ。苦手分野なんだよ実は」
「一介の小娘に務まる役じゃないし、それに私たちの作った結界はそこまでやわじゃないわ」
 苦し紛れに紫はそう付け足したが、実際は大打撃を予想していた。いくら結界の管理諸々がずさんな霊夢とは言え、博麗の存在は幻想郷の根底に関わるものであり、跡継ぎもまだ用意していなかったため、その損失は予測もつかない大被害を引き起こす可能性があった。
 現在、結界の穴は魔理沙が埋めていた。歴史に倣い、人間のまま極限まで身体能力を引き出し、大量の知識と術を詰め込んでいたおかげで、最低限の対応はできた。魔理沙にぴたりと合わせた霖之助特注の巫女装束を着て、異変も今まで通り、各勢力と出し抜き合って解決していた。結果的に言えば、幻想郷は平和だった。
「正直なところ、よくやってるとは思うわ。いえ、十二分に。結果的には丸く収まりかけている」
「そうだろう、そうだろう。終わりよければすべてよしって言うし」
「でも許しません」
「それでいいぜ。で、どうする」
「この子と一緒に退治します。大博麗の名のもとに」
「そりゃあいい、偽物異変だ。私はいつまでも待つからな」
「ええ、その日まで泳がせておくことにしましょう。最後は史上最悪のテロリストとして歴史に刻んでやる」
 紫の著書物のいくつかは実際に資料となっているので、その気になればいくらでも実行可能である。
「武勇伝として語り継いでくれ」
「嫌よ、悪事を克明に記録して散布してやるわ」
「……まあいいかそれでも。じゃ私は行くぜ」
 自分は語り部じゃない、歴史はあんたらで勝手に決めてくれ。
 心の中でぶっきらぼうにそう言って、魔理沙は紅いリボンをはためかし、一点の曇りもない晴天の空へと飛び立った。


 鳥か、飛行機か、いや博麗の巫女だ。誰かが空を仰いで、そう言った。
 弾を華麗に躱し、針と陰陽玉を用いて勇敢に戦い、強固な結界を張る。紅白の衣をまとい、空を自在に飛ぶ少女、彼女の名は霧雨魔理沙。
 普通の魔法使いで、博麗霊夢の親友だ。
愛憎渦巻く?非行少女の非公式の飛行記録でした。レイマリ好き、ゆかれいむも好き。
家出してるけど、物盗るけど。非行少女だけど魔理沙は多分いい子。
灯眼
http://twitter.com/tougan833
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コメント



0.150簡易評価
2.90奇声を発する程度の能力削除
とても面白く良かったです
4.100終身削除
要所要所で入れ替わる物事を追っていく主観としての視点が他の人物の言動としての諫や意見に揺さぶられる様子が見てて思わず耐えきれなくなってしまうような重みがありました
立場から相手への想いを縛らなければならないゆかれいむが不憫でたまりませんね 友人だったりとか式だったりとか愛情をくれる相手は確かに居るのにかえってそれが孤独を引き立ててしまう感じがどうしようもなく心に苦しかったです
そんな2人とは逆になんなら友人のために自分は人間であるという立場を縛ってしまうくらいの魔理沙の強さも印象に残りました 
その強さからの行動は最後には2人を救ったんでしょうか?微妙な幕引きが読んだ後も離しませんね 
5.80名前が無い程度の能力削除
よかったです
6.100名前が無い程度の能力削除
ちょっとこれは予想してなかった