Coolier - 新生・東方創想話

ゆかれいちゅっちゅっ【春】

2011/03/09 00:05:20
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* * * * *


 お家を出発したゆかりんは、とりあえず迷い家の様子でも見ておこうと、意図的にマヨヒガの森に迷い込んだが、そこで待っていたのは、立派な門を持ったお屋敷ではなく、ところどころが損壊して見るも無残にオンボロ屋敷となった何かだった。
 思わず唖然としてしまったゆかりんだが、しかしゆっくりとビックリしてもいられなかった。紫が敷地内に入った瞬間、橙が幾度となく拾って来た野良猫達がわぁーっと出てきて、第二次フルもふもふアタック(やっぱりルナティックバージョン)を喰らってしまったからだ。
 何十匹という猫で構成された、正に猫弾幕としかいい様がない猫達のフルもふもふアタック。紫は「橙の弾幕もいつかこんな風になると面白いわねぇ~」とか呑気に思いつつ受け止める。流石は大妖怪である。猫達はにゃーにゃーと紫に飛び付いて、すりすりと体を擦り付けて喉をゴロゴロと鳴らした。
 何やら超歓迎されているらしい。と、紫は理解する。
 猫達がにゃーにゃーごろごろにゃぁんと各々鳴き声を上げて紫に甘えまくる。紫も猫語を駆使して対応する。
 どうやら住処にしていた屋敷が壊れてしまって困っているらしい。
 そして何やら「ゆかりが起きて来たにゃー」「春だにゃー!」「やっと春だにゃ!」「これで安心して昼寝ができるにゃー!」とハイテンションで騒いでいた。

「分かった、分かったから……よしよし……そうね、春ねぇ。うん、みんなおはよう……あ、こーら。そんなとこ舐めちゃダメだってば……」

 視界も体も全部猫で覆われて、紫は身動きが取れずに苦笑する。でも猫の舌はザラザラしていて結構痛いので、苦笑ばかりもしてられなかった。
 紫は猫と充分に戯れた後、屋敷を元通りに修復し、そしてなかなか離してくれない甘えん坊な猫達と別れる為に、スキマから某老舗の高級鰹節を取り出してばら撒き、どうにか脱出に成功したのだった。

「ふぅ。マヨヒガまで……でも、どうして屋敷があんな風に損壊していたのかしら?」

 基本的に此処を管理している者以外は、訪れる事の出来る可能性は運に因る。
 偶然というランダムな確率でしか、ここには滅多に来れない筈だ。

「まぁ、それは良いとして」

 問題は何故屋敷を破壊されていたかだ。
 マヨヒガは結界で覆われて保護されているから、自然災害の影響は出ない。だから誰かの手で破壊されたという可能性しか存在しないのだが。

「……運と言えば」

 運命を操れる吸血鬼の事が脳裏に浮かび、紫は次はそこへ行ってみようと、X・Y・Z軸の座標を計算して、スキマを展開した。




 ……までは良かった。




 紫はマヨヒガの時と同じように、いや、それ以上に唖然として、口を半開きにする。
 何故ってそりゃあ、紅魔館が無かったからだ。

「……あるぇ?」

 思わずそんな言葉が出てしまった。一度こう言ってみたかったなんてことは内緒だ。
 きちんと座標を計算してちゃんと見直しだってしたから、ケアレスミスなんて無い。というか何度も来ているし、間違える筈がない。
 だがしかし、スキマからにゅっと出てみれば、そこに紅い館は無かったわけで。
 あんなド派手な建物は他にないから見失うなんて事はないのに。

「あ、そっか」

 紫はポンッと手を叩いた。

「お引越しね」

 そうして満面の笑みで虚空に向かって呟く。
 だが、空から「ピンポーン」という正解を示す音が降って来るわけが無かった。

「……はぁ」

 深い溜息を吐いて、紫はこめかみに指を当てた。
 ぶっちゃけ頭が痛かった。確かに睡眠不足な気もあったりする。この前の冬は色々あって初雪が降るまで起きていたから、実はちょっと寝足りないのだ。でもこれ以上寝坊すると色んな人に色々な文句を言われそうでだったので頑張って起きたわけだが。
 もう一度寝たいなー。帰って寝ちゃおうかなー。と、紫は春の空に向かって棒読み気味に発する。
 ぽかぽかと暖かい日差しが肌を柔らかく滑って行く。
 緩やかな風が髪をゆったりと梳くようにそよぎ、春の匂いを運んできた。草花の芽吹きの匂い、柔らかな若葉の匂いがする。
 紫はそんな春の空気を肺いっぱいに吸い込んで深呼吸し、目の前の現実に向き合った。

「…………」

 やっぱり、紅魔館は無かった。
 崩れ去った紅魔館らしき残骸物が広がった敷地はあったが。
 瞬きをしてもその光景は変わらない。
 紫は増した頭痛を紛らわすように、大きな溜息を吐いた。

「……フランドールが暴れたのかしら?」

 思わずそんな言葉を漏らしたくなるくらいに、紅魔館は大破していた。
 具体的に言えば七割程(厳密にいえば73.25%)が瓦礫や煤や炭や砂や灰や使えない木片や砕けた石材等になっていた。
 じゃあ残り三割は? といえば、それは屋根が吹っ飛んで日当たりが凄まじく良くなった大図書館が大半を占めた『その他』である。

(レミリアの能力で、大図書館だけはなんとか守ったのかしら?)

 主に其処に居座る魔女の為に。そう紫は考察しつつ、損壊した紅魔館を眺める。
 立派な門があった筈の場所に門が無いのは勿論、薔薇が咲き乱れていた美しい庭園も焼き払われていたり、崩れた瓦礫の下敷きとなっている。
 敷地内には簡易テントがいくつも設置されていて、その下には怪我を負ったメイドやら門番隊やらでいっぱいになっていた。
 辛うじて動ける者は瓦礫の撤去や掃除、怪我人の手当てと奔走している。
 その中に、瀟洒と有名なメイド長と、破れた服の端々から包帯を見え隠れさせている紅い髪の門番の姿を見つけた。

「酷いわね。なんというか……死屍累々?」

 死んでいる者はいないようだが、皆焦燥し切っている様子で、顔に濃い疲労を浮かべている。
 普段の笑顔と活気で溢れる賑やかな紅魔館から比べたら、今の雰囲気は『死屍累々』という言葉がよく似合っている気がした。
 片腕を包帯で吊りながら、または松葉杖を付きながら、そうやって負傷した体を引き摺りつつも、仲間達と協力して瓦礫を退かしている者達の姿も痛ましい。
 悪魔の妹が暴れる場合も、こうして紅魔館は大破する事は多々あるが、こんなにも負傷者が出る事はまずない筈だ。
 狂気に囚われる時は僅かな前兆があり、それを紅い髪の門番が素早く察知すると同時に皆を迅速に避難させる。避難が終わるまでは、悪魔の姉と門番が正気を失った妹を喰い止めておく……というのが通例の筈だから。

「フランドールじゃないとすると……」

 この暴れ具合や、空気に残った気配の残滓から察するに、もう一個しかない気がしたが、紫はその事実から積極的に目を逸らして気付かないフリをしておいた。
 だって嫌な予感しかしないんだもん。
 紫はやや離れた所から紅魔館を見渡して、主は何処かと探す。
 日陰にいるんじゃないだろうかと視線を巡らすが、見当たらない。と思ったら、敷地のど真ん中、瓦礫をちょっと退けてスペースを作ったかのような所にいたりした。大きなパラソルを差して意図的に作った日陰の下、丸テーブルにぐったりと突っ伏している、なんだか生気の無い吸血鬼の姿がある。皆と同様に服の所々が破れ、煤や埃、砂に汚れた肌が見え隠れしていた。
 控えめに言うと、公園などで遊び疲れてダウンした幼い子供。大袈裟に言えば、人類との度重なる激しい戦闘に因り疲弊し切った吸血鬼の長。
 紫にはその二つを丁度良くブレンドしたように見えていた。
 容姿が幼い故に痛々しさが際立っていて、母性本能豊かな紫の心は痛み、眉尻が自然と下がる。

「あーっ!!」

 と、ふと大声で誰かが叫んだ。皆がそちらへ視線を集める。紫もそっちへと視線を向ける。
 声を上げたのは、鼻っ柱と頬に絆創膏を貼り付けた紅い髪の門番、美鈴で、その穏やかな群青色の瞳を大きく見開かせて、声を張り上げていた。その見開かれた目に映っているのは、紛れもなく紫の姿で。

「紫様ぁ!?」

 一同が美鈴の大声に反応してどよめく。
 美鈴に集まっていた視線が、いっきにコチラへと集まった。

(……え?)

 敷地に入るか入らないか(といっても壁も門もぶっ飛んでいるので、どっからが敷地の内外の境界が曖昧だが)で佇んでいたゆかりんは、訓練された軍隊宛(さなが)らにざっと一斉に自分に向けられる大量の眼に、一瞬内心でビクッとする。

「紫様よぉ!」
「八雲紫だぁー!」
「ゆかりんが起きたぁー!」
「これでかつるぅ!」
「やっと、やっと春が来たのねー!!」
「うぉおおぉぉ! 紫様ぁあぁぁ!」

 そして、次の瞬間に上がる悲鳴、というか歓声というか、そんなよく分からない奇声に「えぇ?」と内心で戸惑った。
 少なくとも「歓迎されるのは嬉しいんだけど、自分達の主ほっぽってそれで大丈夫なの?」と突っ込める雰囲気ではない。
 最初に紫の姿を発見した美鈴はといえば、そんなどよめく紅魔館の従業員の間を縫うように疾走し、あっと馬に目の前まで迫ってきていた。
 絆創膏を貼り付けた顔が茶目っ気を醸し出していて子供っぽい。
 なんて思っている暇も無く、

「紫さまぁ!」
「はい!?」

 高い高いをされた。
 まるで幼い子供にでもするかのように、両脇の下に手を入れられ、万歳をするように、高々と。
 しかも超満面の笑みで。百点ハナマルな笑顔で。

「起きてきて下さったんですね!」

 わぁーいわぁーいと高い高いを繰り返す美鈴。

(この年で高い高いされるなんて……)

 しかも公衆の面前で。流石にこれは恥ずかしい。メチャクチャ恥ずかしい。これはただの羞恥プレイ以外のものに他ならない。ギャラリーの震える歓声やら、熱い……というか、なんだか感極まって潤んじゃってる視線も痛い。超痛い。

「あの、下ろしてくれると嬉しいんだけど……」

 それでも紫は微笑も平静も崩さずに美鈴に言う。
 美鈴ははっと我に返って、紫を地べたに下ろした。

「す、すみません。あんまりにも嬉しくて、つい……」

 そうして、しゅんと項垂れる。だが、そうしながらも全身から喜色が滲み出ていた。
 まるで、怒られたけれど構って貰えて嬉しいなぁ~。とか思っている犬を見ているようだ。動物も子供好きなゆかりんは、反射的にその頭を撫でたくなったが、その寸でのところで、

「紫ぃー!」
「ぐへっ!?」

 横から思いっきり抱き付かれて、紫はバランスを崩した。
 それは、いつの間にか傍に来ていたメイド長で。咲夜も美鈴に負けぬ満面の笑みで紫の脇腹にタックルをかましていた。
 横に傾いでいく紫の肢体、

「このバカー!」

 だが、反対側からも同じように、というか、それ以上の力でタックルされて体の傾きが逆へと強制修正される。
 罵り叫びながら抱き付いて来たのは、さっきまで丸テーブルに突っ伏していた筈の吸血鬼だった。

「ぐぅ!?」

 両の脇腹を圧迫されて、紫は喉で音を詰まらせる。
 朝飲まされた『ほっといちご』が逆流してきそうだった。

「遅いよー!」
「がっ!?」

 と、胃の内容物(液体百パーセント)をリバースしそうになっていたら、レミリアの言葉を継ぐように叫びながら、トドメとばかりに背中にタックルを喰らった。

(背骨がイっちゃうっ!)

 いや、冗談抜きで。
 前方に倒れながらも僅かに振り向くと、そこには無邪気な笑顔のフランドールの顔が僅かに見えた。
 吸血鬼に手加減無く勢い良く抱き付かれたら、そら背骨の一本や二本くらい軽く逝っちゃうに決まっている。
 でもゆかりん強い子。ゆかりん負けない。だから背骨も簡単には折れない。大丈夫。
 だが勢いは流石に殺せず、紫の体は前方へ。
 慌てて抱き止めようとした美鈴の腕をすり抜けて、地面と接触する刹那、紫は咄嗟にスキマを展開した。
 ぎゃーとかきゃーとか奇声が上がる。ぱくんとスキマへ呑まれた人間一人と妖怪三匹は、その場の宙空に開いたスキマから再び出現し、紫は体の左右と背後に張り付く三人を支えたまま、なんとか地面に着地した。

「い、いきなり何」

 抗議の声を上げるが三人が取り合ってくれる筈もなく、紫の言葉は、

「もうバカバカっ! もうちょっと早く起きて来てよ! お陰で私の屋敷がメチャクチャになっちゃったんだから!」

 というレミリアの涙声と、

「やっと春になったのね! 長かった……うぅ……これでやっと美鈴と春を過ごせるぅ……」

 という咲夜の嘆きと、

「紫おはよー。久しぶりだね~」

 というフランドールの無邪気な声に掻き消されてしまった。
 咲夜の言葉に対する「貴女達は一年中春でしょうに」と、いう呆れ声での突っ込みも、やっぱり三者三様の声に掻き消されてしまう。
 紫は溜息を吐く前にとりあえずと、スキマから日傘を出し纏わり付く吸血鬼達の上へと差して春の陽光からその体を保護してやった。
 それに気付いたフランドールは、紫の背中に纏わり付いたまま、腕を紫の首に回して肩に顎を乗せて日傘の中に入る。足を楽しげにブラブラとさせて、鋭い犬歯を覗かせながら「あそぼー」と言っていた。

「大体ね、貴女が冬眠なんかするから……だからこんなこ」
「いい加減に離してあげなさい」
「あべしっ!?」

 まだ続くかと思われたレミリアの愚痴が唐突に終わりを迎えた。勿論終わらせたのは図書館に引き籠っている筈の魔女。パチュリーは分厚い魔導書の角でレミリアの脳天へめり込ませていた。
 レミリアは瓦礫が転がる地面へとその頭を叩き付けながら、丁度頭を打った所に転がっていた砕けた石材の角におでこを打ち付け、カチ割れて血が噴き出す脳天と額を手で押さえて瓦礫の上をゴロゴロと悶え転がる。そして、今は昼間なので転がりながら太陽の光にも晒されてしゅわしゅわと体を焼いて灰をぶちまけた。
 どうでもいいかもしれないが、主がそんな非常事態に見舞われている中、従者は何をしているのかと言えば、

「めいりぃーん!」

 涙を零しながら美鈴に抱き付いていた。
 美鈴は「咲夜さん!」と言いながら咲夜を受け止め、そのまま両の脇の下に手を入れて高く持ち上げて、その場で愛のメリーゴーランドと言わんばかりにグルグルと回り出す。

「美鈴、春が来たわよ!」
「はい咲夜さん、これでやっと平和になりますね!」
「うん。これでゆっくり一緒にお昼寝も出来るわね!」
「はいっ! お外でピクニックも出来ますよ!」
「めーりーん」
「さくやさーん」
「めぇりーん」
「さーくやさーん」

 あはははっ。うふふふっ。というバックミュージックが聞こえてきそうな仲良しぶりで、二人の世界へと旅立っている美鈴と咲夜。
 これが噂の紅魔館名物、メロフェン担当の世界名作劇場である。ついでにいうと、このメロフェンの「めろ」とは「めろーん」の「めろ」であり、「めろーん」とは「めろんめろん」、つまり「メロメロ」の最上級系である。

「もうこうなると手が付けられないから」
「というか、関わるのが面倒臭いだけでしょう?」
「まぁ、そうとも言うわね。とにかく放置一択」

 きゃっきゃっうふふな美鈴と咲夜の様子を見ていた紫とパチュリーは、互いに見守るという名の『放置』を選択する事で合意した。
 パチュリーは「折角だからお茶でもどう?」と、先程までレミリアが突っ伏していたパラソルの下へ緩慢な足取りで移動していく。
 紫もその後に続こうとして、

「……ねぇ、あれはいいの?」

 立ち止まり、魔女に尋ねる。
 紫が『アレ』と指差したのは、カチ割れた頭から血を流しっぱにして、地面に突っ伏して灰になりかけている吸血鬼だった。

「放置一択」

 魔女は一瞥さえせずに即答する。
 紫の首にぶら下がったフランドールが足をブラブラさせて「ねー、遊ぼうよー」と強請って来るが、紫は「もうちょっと後でね」と答えて、パチュリーの隣に並んだ。

「ヤキモチかしら?」

 ちょっと意地悪な笑みを浮かべて言う紫。
 パチュリーのゆっくり過ぎる歩みに合わせて歩いていると、フランドールが背中を攀じ登ってきて、いつの間にか肩車状態となっていた。そんなフランドールに日傘を代わりに持たせる。無邪気なフランドールの姿になんだか和んでしまい、紫は上を向いて微笑みかけた。

「まさか」

 魔女がスキマ妖怪の言葉をしれっと否定する。
 そうして、魔女らしい底意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべた。

「レミィの愛は、紅魔館と自分の妹と従者と門番と、それから私でもういっぱいいっぱい」

 「それに、漸く春になってくれて、私も嬉しい」と魔女は付け加え、紫の手を両手で握った。
 今度は少女らしい微笑みを浮かべて紫を見上げる。
 パチェがデレた。

「後ででいいから……」
「……はい?」
「……図書館だけでも直して……」

 そうして、うるうると潤んだ瞳で懇願した。
 この魔女だけは意味不明なハイテンションをしていないと思ったら、実はそんなの表面だけで、内心ではかなり情緒不安定になっているらしかった。
 紫は溜息混じりに「はいはい」と返事をして、春ってこんなに疲れる季節だったかしら? と考えるのだった。





* * * * *


 とりあえず仕切り直しと、大きなパラソルが広がるテーブルを紅魔館の面々と囲む。
 その前に、吹っ飛んだ本を棚に戻したり、紛失した本を探したりと業務をこなしていた小悪魔が来て、紫に勢い良く(良心的な勢い)抱き付いたりしたが、それでもなんとか落ち着いてテーブルを囲んだ。

(って、あんまり落ち着かないけれど……)

 主に紅魔館の皆さま達が周囲を覆って壁となっているので、物凄く落ち着かない。しかもそこにいる誰もがにっこにこの笑顔でこっちを見守っているので、なんだか居心地が悪かった。ついでに一緒にテーブルを囲んでいるレミリアもパチュリーも咲夜も美鈴も小悪魔も嬉しそうに笑ってこっちを見詰めてきているので、本当に居心地が悪くて、そして気味が悪かった(ついでにフランドールは紫の膝の上にいたりする。フランドール曰く「お母さんみたいで、なかなかよし」との事)。

「…………」

 紫も笑顔を絶やさないように努める。にこにこ笑う。にこにこと笑い返される。しかも邪気も毒気も無い、ただただ嬉しいという感情のみが籠っている笑みで。
 普段から胡散臭いとか気味が悪いとか、信用できないとか、嘘つきだのと言われ、基本的に疑惑や懐疑、猜疑心の籠った目で見られ、嫌悪されたり牽制されたりすることが殆どで。
 そういう風に仕向けることも多々あるので、そんなプラスとマイナスの間や、完全に負の方向に向いている感情に対する対応や耐性は充分過ぎる程にあるが、こういう完全プラスど真ん中の純粋な笑みを向けられる事はあまり無い為、裏があるのではとつい勘繰ってしまう。
 要は何が言いたいかというと、ちょっと困っているということである。

(なんなのかしら……春だから? 春だからみんなデレ期なの? みんな一斉にデレるとかそんな時期だったけ? 春ってそんな季節だった? それでもいいけれど、だったらみんなもっと自分の大切な人だけにデレれば良いと思うんだけど……)

 紫はそんな事を考えて思考を遊ばせていると、ふっと隣に咲夜が佇み、紅茶とお菓子を紫の前に並べた。

「悪いわね。キッチンも壊れてるから、こんなものしか出せないけれど……」

 とかなんとか咲夜が言って出して来たものは、そんな言葉を覆す料理で、紫は心の中で思わず「……ぅ」と小さく呻いてしまった。
 出された物は、さっくりとしたタルト生地に、香ばしいアーモンドクリームを敷き、その上へ滑らかなカスタードクリームが盛られ、更にその上には寒天液が塗られた艶々ぷるぷるとした真っ赤な苺がどっちゃりとのかっている洋菓子、苺タルトという代物で。しかも直径十五センチくらいの大物である。

(また苺……確かに旬の果物だけど……もっと他にも春の果物ってあるんじゃない?)

 とか思いつつ、甘そうな苺タルトを見下ろす。紅魔館の住民は、甘党が多い。というか、主力メンバー全員がどっちかというと甘党派だと思われる。因ってこの苺タルトはきっと相当甘い。紫はそう正しく理解して、目の前の苺タルトに軽い絶望を覚えた。
 でもこれだけの大きさだから、きっと皆で食べるんだろうな、と当然の推測もする。だが、用意されたナイフとフォークは紫の前に置かれた一式のみ。こんな大きな苺タルトを一人で食えとか、そんな鬼畜な事をいうんだろうか。
 視線を傍らに立っている咲夜に向けると、盆を胸に抱えてにっこりにこにこ。その隣に佇む美鈴も涎を垂らす事なくにっこにこ。目の前のレミリアとパチュリーもにぃっこり。膝の上のフランドールは「美味しいから早く食べなよー。紅茶も冷めちゃう」と無邪気に紫を急かしていた。

「ねぇ……」

 楽しいお茶会(ここまで概ねそんなに楽しくない)の前に、聞きたい事があるので声を出すが、

「いいから食べなさいって」
「そうよ、何も言わずに食べなさい」

 レミリアとパチュリーが直ぐ様紫の言葉を遮った。
 朝もこんな事があったな。と紫は既視感を覚える。

「咲夜さんの手作りですから、とっても美味しいですよ」

 そしてさり気無く嫁自慢を噛ます美鈴。

「それはそうでしょうけど……でもキッチン壊れたんじゃないかったの?」
「そこは気合いよ。あと愛でどうにかなるわ」

 流石は瀟洒だ。と、いうことにしておこう。

「……あの」
「「「いいから、何も言わずに食べて」」」

 綺麗にハモるレミリアとパチュリーと咲夜の、笑顔で紡がれる威圧的な三重奏。
 何を言っても取り合ってくれなさそうだったので、紫は困ったように眉尻を下げてしょんぼりと口を閉じ、仕方なく苺タルトと向き合う。
 苺タルトは膝の上にいるフランドールによってナイフで十字に切り分けられていた。

「もー、しょうがないな。わたしが食べさせてあげる」
「……はい?」

 そうして「こんなサービス、滅多にしないんだからねっ」と、綺麗な扇の形になった苺タルトにフォークを突き刺し、そのまま紫の口許に持って行くフランドール。
 そんな姿に傍らの美鈴が「お優しいですね、妹様」と頭を撫でた。

「……貴女もデレ期なの?」
「うん。今日だけね」

 にっこりと笑って、ずいっと差し出される苺タルト。食欲をそそる香ばしい匂いと、物凄い甘い匂いが鼻先で交錯している。
 紫は「ぐっ」と内心で呻きながらも、口を開けて一口齧り付いた。
 表面はさっくり、しかし中は少ししっとりしているタルト生地が歯と心地良く、滑らかなカスタードクリームの感触が舌先で遊ぶ。そして完熟した苺の甘みと程よい酸味が口の中で、それらと融合する。

「おいしい?」

 一同の視線がそう問うてくる。

「とっても美味しいわ」

 紫は穏やかな微笑を浮かべて、その視線に答えた。
 例え心で「甘いよぉ」と口の中を蹂躙する糖分に泣きそうになっていても。

「良かった」

 咲夜が嬉しそうに言葉を漏らす。
 そんな姿を見せられると、余計に微笑みを崩せない。

「まだまだたくさんあるから、遠慮しないで食べて」
「……え」

 紫の表情が若干引き攣る。
 咲夜がぴっと指差した方向には、ワゴンにもりもりと乗った苺タルトの山だった。マジで苺タルトのみで形成されている山だった。
 そうだった。紅魔館の住民は殆どが甘党で、そして大半がドSだった。
 紫の背筋に、冷や汗が一筋流れる。

「あ、ありがとう。でもそんなに食べれないし」
「お持ち帰りオーケーだから」
「…………」

 何が何でも食わせる気らしい。
 紫が溜息は吐こうと口を開いた瞬間、フランドールに差し出された苺タルトが口腔を強襲した。

「むぐ、ぐっ」

 どうにか一口大に噛み切って咀嚼する。
 口の周りがカスタードやら苺の果汁やらで汚れてしまう。そんな口許を咲夜と美鈴が愛の共同作業と言わんばかりに、楽しそうに拭ってくれる。
 至れり尽くせりなのに、あんまり嬉しくないのは何故だろうか。
 紫はいきなり大量に突っ込まれた苺タルトを飲み込むべく、一緒に用意された紅茶に手を伸ばす。
 が、鼻先に持って行った時、紅茶から漂う匂いに紫の顔色は悪くなった。
 紅茶からもするのだ。春の爽やかな、瑞々しい苺の香りが。

「……ストロベリーティー?」

 恐る恐る呟くと「ザッツライト☆」と咲夜が良い笑顔で親指をぐっと立てた。
 ここまでする? 普通する? 全部苺味よ? 紅魔館は春の苺フェスティバルとかいつの間に開催したの? れっつぱーりぃーなの?

(このままだと全身苺塗れで、スキマ妖怪イチゴ味☆ とかになっちゃいますわ……)

 などと紫は思考を遊ばせて現実逃避を図る。しかし苺からは逃げられないらしい。
 紅茶を口に含む。熱さが舌先の甘さを一瞬一蹴してくれた。芳醇な紅茶の香りが鼻を通って抜け、ほっとしたのもつかの間、後から苺の香りが追いかけて来た。舌の上にも仄かな苺の甘さが広がる。

「おいしい?」

 また一同の視線で問われる。

「えぇ、美味しいわ」

 紫は「美味しいけれど苺味だよ。しかも仄かに甘いよっ」とは言えずに、やっぱり頬笑みを浮かべて肯定したのだった。



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