Coolier - 新生・東方創想話

ゆかれいちゅっちゅっ【春】

2011/03/09 00:05:20
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 家族とのもふもふタイムも終わり、紫は風呂に入って体を清め、大陸風の導師服といういつも通りの服装に着替えを済ませる。
 どうでもいいが、お風呂も髪を乾かすのも着替えも藍の強い申し出によって半ば強制的に全て藍に委ねなければなかったというのは内緒である。

「にゃにゃにゃっ。シャンプーの匂いですね~」
「あらあら」

 居間へと顔を出したお風呂上りの紫に、橙が早速抱き付いた。
 ふわふわの髪に顔を埋めて、何処かうっとりとした様子で橙は言う。
 紫はそんな橙を抱き上げると、片手でその小さな体を支えながら、もう片手で顎を擽った。
 直ぐにごろごろとご機嫌そうに喉を鳴らして、紫に頬も自然と緩んでいく。

「出掛けるのですか?」

 台所から盆を抱えて紫の傍へと藍がやってくる。
 いつも通り白湯でも持ってきたくれたのかと思い、紫は橙を下ろして盆の上に乗った湯のみへと手を伸ばした。

「えぇ。貴方たちが口を噤む理由を調べに行かないといけないでしょう?」
「面目ないです」

 あははっ。と、藍は乾いた笑みを漏らして、それに橙も続いた。
 紫はそんな二人に苦笑を漏らし、湯飲みに口を付け、

「……!?」

 ようとして、手を止めた。

「こ、これ……」

 藍に視線を向ける。でも藍はその視線から逃れるように亜音速で顔を背けた。
 次に橙に視線を向けるが、橙も負けじと亜音速で顔を逸らした。

「ら、らん……?」
「何も仰らないで下さいっ! 何も仰らず、そのままお飲み下さいっ!」

 物凄い剣幕というか、なんだか必死に言葉を紡ぐ藍に、紫は受け取った湯飲みの中身を改めて凝視した。
 なんというか、湯飲みの中がピンクだった。なんとも言えぬ、とろりとした甘いピンク色だった。可愛らしいともいえるキュートで甘そうなピンク色だった。
 そして、それからは、

「……いち、ご……?」

 爽やかな春の匂いとも言うべき、芳醇な苺の香りが湯飲みの中の液体から立ち上り、紫の鼻腔を擽る。
 寝起きにこれはちょっと辛くないですか? と視線を藍に送るが、藍はやっぱり亜音速で顔を背けて「申し訳ありませんっ! でもどうか、どうか何も仰らずにお飲み下さいっ!!」と、悲痛そうに声を上げるだけだった。

「……飲まなきゃダメ?」

 上目遣いで問うてみる。藍の鋼鉄の意志がぐらっと揺らいだ気がしたが、それでも大きく頷いた。

「申し訳有りません、紫様。紫様が甘い物が苦手だと言う事は重々承知しております。長い付き合いです。この可愛い橙や、わたくしの為、それから白玉楼の亡霊殿やら、博麗の巫女やら、太陽の畑に居座る妖怪やら、魔法の森に住んでいる人形師やら、白黒の魔法少女やら、挙句の果てにはなんだかんだ言いつつ面倒を見ている天界の総総領娘やらに、自分は食べれない癖に何処ぞの老舗にまで足を運んで手に入れて来た菓子をちょくちょくと差し入れているのも存じております。全くどんだけフラグ立てれば気が済むんだが……はっ! いえ、そうではなく。心優しい紫様が皆の為に自身の苦手な甘味を購入しては各所に赴き、一緒に食べようと誘われて毎回自爆しているという事も知っております。全く、お優し過ぎます。まぁ、そんな所も可愛らしいのですが……」
「いえ、全くその通りなんだけど……一体それとこの苺色の液体に何の関係が……」

 問うが藍のマシンガントークは止まらない。
 寧ろ加速していく。勿論、紫にとって都合の悪い方向へ。

「そして、紫様がこのわたくしの尻尾が大好きだと言うことも知っております。幼い頃はよくわたくしの尻尾の中ですやすやと可愛らしい寝顔を浮かべて安らかに眠ってらっしゃいました。あれはもう本当に可愛らしく、鼻血とかそういうレベルの次元の話では当然無く、いうならばまさに筆舌に尽くせぬ可憐さでありました。写真というものがあの頃にあれば間違いなく何万枚と撮影させて頂きましたが、残念ながらあの頃はそういった便利な物が無かった為、わたくしの脳裏に焼き付けて、永久(とわ)に忘れることがないように繰り返し繰り返し刻み付けておく事しか出来ず」
「スットプ! 藍、ストップ!」

 恥ずかしいからやめて! 本当に止めて! 橙もそんなに瞳を輝かせて聞き入らないで! と、紫は頬を羞恥に染めて叫んだ。
 もう、集まった親戚の人たちにアルバムを引っ張り出して遠い過去の思い出を自慢げに語っちゃうお母さんやお父さんを目の前にした気分だった。

「分かったから、飲むから。だからもうやめて……」

 紫は覚悟を決めて、手の中の湯飲みと向き合う。正確にはその苺の匂いがする苺色を液体と、だが。
 湯飲みは温かく、その苺色の液体からは湯気が立ち上っている。紫はごくっと生唾を飲み込んで、ぐっと湯飲みを煽った。

「ぐっ!?」

 一口流し込んで早々に、紫は苦悶の表情を浮かべた。
 なんだかとろっとした感触の液体が喉に絡まって、上品な……メイプルシロップ? 的な匂いと甘さ、苺の爽やかな匂いが、ぶわっと鼻の奥と食道にぶちまかれる。

「ぅぅ……ぅ~」

 丁度良い温かさが胃に心地良い……のは良いとして、やっぱり寝起きにこれはキツくないですか? と、紫は誰にともなく問うてみた。
 ずっと眠っていたので当然、消化器系だって当然お休みしていたわけで。
 そんな寝起きの胃や腸さんにいきなりこんな甘いもん流し込んじゃって大丈夫か? いや、あんまり大丈夫じゃない。きっと胃もたれする。問題だ。
 っていうか胃腸の心配とかする前に、これムチャクチャ甘い。ものごっつぅ甘い。

(ぐっ……ぅ、くっ……)

 でもゆかりん負けない。ゆかりん強い子。
 紫は涙目になりながらも、頑張ってぐびぐびと飲み込み、胃へと流し込んで行く。
 飲み終えた時には、紫の唇はまるで苺のグロスでも塗ったかのように艶々としていたが、目からはぽろぽろと涙が流れていた。

「ゆ、紫様!」
「ゆかりしゃまっ!」

 藍と橙が慌てふためく。橙は台所へとダッシュして口直しの緑茶を取りに行き、藍は紫を抱き締めてその場に座り、もふもふの尻尾であやした。

「うっ、うぇ……甘いぃ……」
「お、お気を確かに……」

 物凄い心配そうな顔をしながら、でも紫の涙を美味しそうにペロペロと舐める藍。
 その効果があったのかはさておいて、橙が緑茶を持って帰ってきた時にはどうにか紫の涙は治まっていた。
 緑茶をびくっと飲み、口の中の糖分をカテキンでどうにか浄化し終え、紫はふぅーと溜息を吐き出して落ち着きを取り戻した。

「ねぇ、藍」
「……はい」
「これって……ほっといちご?」

 さっきまで苺色の液体が入っていた湯飲みを指差して言う。
 藍はコクンと頷くと、橙と顔を見合わせて項垂れた。

「ご察しの通り……これは春の初積み苺を絞り、そこへ純正メイプルシロップを入れてお湯で割った『ほっとれもん』ならぬ、『ほっといちご』です」

 考案も作製も藍しゃまですよ。と、橙が付け加える。

「……そう」

 紫は力なく頷いて、溜息を吐いた。レモンだけではなく、柚子や桃まであるのだから、苺があってもおかしくはないかもしれないと、なんとなく諦めた気持ちで思ったりした。

「寝起きにこれは、イジメよ……」

 ちょっと潤んだ瞳で、藍を上目遣いに見て咎める。
 すると藍は頬を若干赤く染めて、それから何度か「申し訳有りません」と謝った。
 これくらい苛め返してもいいでしょうと、紫は適度に見切りをつけて切り上げると、さてとと言った様子で藍のもふもふ抱擁から逃れて立ち上がった。

「こんな式神になっちゃダメよ?」
「はい、ゆかりしゃまっ」

 もっとゆかりしゃまを愛でられるように頑張ります!
 と、橙が間違った方向に決意している事も知らず、紫は良いお返事ね、と橙の頭を撫でた。

「それじゃあ、行って来ます」
「お気を付けて」
「夕食に遅れるようでしたら、ご連絡を」

 紫は自身の目の前にスキマを開いた。二匹の式神に見送られながら、紫は我が家を後にする。
 口の中にはまだ、苺とメイプルの甘ったるさが残っていて、紫は困った顔をしつつまずは何処から行こうかなとスキマの中で思案した。

 春の幻想郷に、久しぶりの幻想郷に、スキマを開く。
 心の隅で沸き起こっている昂揚感と嬉しさを隠せずに、紫は自然と頬を綻ばせていた。

 でも、紫はまだ知らなかった。
 冬の間に幻想郷がどんな風になっていて、そして自分がこれからどんな目に遭うのかという事を。


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