Coolier - 新生・東方創想話

寅年、最後の夢

2011/01/22 19:44:57
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「寅年って、私の年ですよね」


 ある寅年の日。二人きりの夕食を終えた後居間でくつろいでいると、不意にご主人様がそう呟くように言った。
 他愛も無い話の中で突然飛び出した、理解に苦しむ妙な言葉。いったいどう答えろというんだ。

 仕方なく私はだんまりを決め込む。すると、反応に困って何も言えずにいる私に苛立ったのだろうか、彼女はほんの少しだけ怒ったような口調で言ってきた。

「もう、聞いてますか?」
「あ、ああ。独り言かと思ったんだ。まあ確かに、ご主人様の年だと言っていいんじゃないか?」
「そうですよね。だったら……だったら、いい事が少しくらいは起こるはずですよね」

 そう言ってご主人様は寂しげな表情を浮かべた。



 大切な仲間達を失ったあの日から、既に数百年の時が経過している。
 人間の信仰の拠り所であり同時に力のない妖怪達の居場所でもあったこの寺も、今はすっかり荒れてしまった。襖も障子もぼろぼろ、床板はギシギシと軋み所々腐りかけていて、まさに放置された古寺といった状態だ。
 その荒れ果てた寺の居間で、全てを失った私達二人はつい先程まで年越し蕎麦をすすっていた。
 今日は大晦日、新年を祝う気にはなれないがせめて形だけでも何かしたい。そんな事を言っていたご主人様が、どこからか蕎麦を買ってきたのだ。
 きっと、精神的にも限界だったのだと思う。数百年の間、彼女は自分を責め続けているのだから。

 ご主人様が優秀だと評される主な理由に、彼女の強い責任感がある。任されたことは何があってもやり遂げ、最後はきちんと結果を出す。毘沙門天様の下に修行に来た時から、そういった姿勢は変わっていないし、私も彼女のそういうところを気に入っている。
 けれども、その強すぎる責任感はご主人様を苦しめる要因でもある。彼女は、何もかも全てを一人で背負いすぎるのだ。
 寺の仲間達が封印されたのは、誰かに落ち度があったからではない。人間と妖怪、相容れない両者が歩み寄るのはそう簡単なことではないのだから、誰だってあの一件を避けることなど出来なかったはずだ。
 けれども、ご主人様は自分のせいだと言って聞こうとしない。あの時何も出来なかった自分が全て悪い、自分のせいでこんな事になって申し訳ない、と言うばかりなのだ。

 そのせいか、あの日以来ご主人様は今まで以上に修行に力を入れるようになった。
 勿論、今までがいい加減だったのではない。寧ろ、以前だって頑張りすぎと皆に言われるくらいだったのだ。
 夏の暑い日も冬の寒い日も関係なく、ご主人様は本堂に籠り厳しい修行に身を捧げる。いつか来るであろう、仲間達との再会のために。

 そんな彼女でも、やはり限界はある。
 既に身体的にはぼろぼろの彼女は、強靭な精神でなんとか修行を続けている状態だ。そうは言っても、その精神だって無限なわけではない。どんなに強い意志だって、決して曲がらないと言い切れはしないのだから。
 蕎麦を買ってきたのも、自分を元気付けるためだったのだろう。少しでも縁起のいい事をして、自身を奮い立たせようと考えたに違いない。



「でも、今年も今日で終わりですものね」

 ご主人様の言葉で不意に我に返る。彼女の寂しそうな横顔を見た瞬間、咄嗟に言葉が出た。

「いや! いいやご主人様、まだ希望がないわけではないよ」
「いいんですよナズーリン、無理に励まそうとしなくても。何があったとしても、あと数時間したら今年が終わってしまうんです。そんな短い間に何かが起こるわけがないでしょう?」
「いや、それはつまり……」

 言葉が後に続かなかった。
 いくつかの案は、既に浮かんでいた。“今年起こらなかったのなら、きっとその分がいつかまとめて起こるはずさ”や、“どこかに行ってみようか。待っていても出会えないなら、そのいい事をこちらから探しに行けばいい”などという言葉はすぐに思いついた。
 けれども、そんな曖昧な答えではご主人様を元気付けることは出来ないと分かっている。
私が思いついた言葉は、結局ただの言い訳でしかない。そんな幻想では、彼女の苦しみを癒してやることは出来ない。

「……夢でいいから、また皆に会いたいなあ」

 そう呟くご主人様の瞳は、いつしか潤んでいた。けれども、今の私にはそれを拭ってやることも出来ない。頬を伝う雫を拭うことは出来ても、その奥の悲しみまで拭い去ることは出来ないのだ。

「……来年は、いい事があるさ」

 結局私が言えたのは、こんな薄っぺらな言葉だ。これでは、ご主人様を支えられるわけがないじゃないか。
 その言葉に微笑を浮かべたご主人様は、炬燵から抜け出しながら静かに言う。

「そう、ですね。来年はいい年にしましょう。……なんだか私、疲れちゃったので先に寝ますね。おやすみなさい、ナズーリン」
「ああ、おやすみご主人様」

 私に笑顔を見せつつ居間を出て行くご主人様。その寂しそうな姿を見送りながら、私は唇を噛み締めていた。


 なにが従者だ。二人ぼっちになったあの日、「あなたをいつまでも支える」と誓ったのはどこの誰だ。「努力はいつか報われる」などと無責任なことを言って主を苦しめた挙句、ぼろぼろの彼女に「いつも心配ばかりかけてすみません。私、頑張りますから」などと言わせる大馬鹿者が従者をしていていいわけがない。
 彼女の従者としてだけじゃない。寅丸星という不思議な存在に魅せられた者として、彼女をこのままにしているわけにはいかない。

 何としてでも、仲間を探し出してやる。遥か遠くにいようと、私の能力が及ばないような場所にいようと関係ない。これ以上ご主人様を苦しめずに済むなら、どんなことでもやってやる。代わってやることも、支えてやることも出来ないあの苦しみから救ってやるには、もう彼女を喜びで包んでやるしかない。もう彼女が一人で泣かずに済むのなら、私は何だってする。

 私達が失くしてしまった大切な存在を、来年こそは必ず探し出してみせる。





 ご主人様が行ってしまった後の居間。一人でそんな事を考えていると、何故か無性に眠くなってきた。
 変に思って時計を見てみると、既に時刻は午後十一時を回っている。

 いつの間に時間が経ってしまったのだろう。ともかく、私もそろそろ寝るとしよう。このまま年明けを迎えてもいいが、一人起きているのは少し寂しい。
 そう考えて、私は居間を出た。

 寝室に向かう途中、先程まで考えていたことを思い出してみる。

 確かに、このままではいけないことは分かっている。けれども、そう巧くいくだろうか。
 私だって、この数百年の間何もしなかったわけではない。封印された仲間の居場所を探り、あわよくば解放しようと毎日あちこちを探し回ってはいるのだ。
けれど、どうにもいい結果に行き着くことはなかった。もしかすると、彼女達がいるのは本当に私の能力では辿り着けないような場所なのかもしれない。
 そうだった場合、いよいよ私達に打つ手がなくなってしまう。何百年も人目につかないようにしてきたせいか、私もご主人様も自分の能力を以前のように発揮出来なくなりつつある。そんな私達が、そんな強固な封印を破ることが出来るだろうか。
 しかし、それもやってみなければわからない。見つけることさえ出来れば、救い出すこともきっと出来るだろう。いや、救い出してみせるさ。

 そう自分に言い聞かせたところで、丁度部屋に着いた。
 部屋に入ると、ほのかな温かさが私を迎える。それだけ、廊下の冷え込みが凄まじいということだ。

 布団を出しながら、ご主人様のことを思う。
 自分の部屋で、今夜もまた泣いているのだろうか。私にさえ、その姿を見せようともせずに。
 苦労をかけたくない、と彼女は言う。けれど、頼ってくれないほうがよっぽど辛い。

 だが、そんな関係も今年で終わりだ。来年は頑張って、ご主人様に余計な気を遣わせないようにしよう。そして、二人で皆を迎えに行こう。

 敷いた布団に潜り込みながら、再会の時を想像する。
 泣きながら笑うご主人様。それにつられて泣き出す白蓮達。きっと、私も泣いてしまうだろう。
 儚い夢、といえばそれまでかもしれない。けれど、絶対にそれを実現してみせる。他の誰でもない、ご主人様のために。

 そんな事を考えていると、先程の眠気が再び襲ってきた。
 ゆっくりと目を閉じてそれを受け入れる。
 だんだんとぼやけていく意識の中で新たな年に希望を託しつつ、私は眠りについた。




 













 次に目覚めた時、私は見知らぬ部屋にいた。

 まずおかしかったのは、寝ていた布団だ。
 普段、私はかなり年季の入った薄い布団で寝ている。買い換えようにも資金がないため、どうしても眠りにつくまでの間は寒さとの戦いになる。目を醒ますのだって、朝の冷え込みがきっかけになることがほとんどだ。
 けれど、この時私が寝ていた布団はかなり温かかった。ゆったりと体を包み、熱を逃がさない。布団自体の重さも、心なしか重いような気がする。

 なんだか気味が悪くなって、私は慌てて目を開けた。
 眼前に広がっているのは、やけに整理された小綺麗な部屋の様子だ。いよいよもって、私が寝ていたはずの古寺にある一室とはかけ離れている。どうやら、私は本当に見知らぬ場所に来てしまったらしい。

 もしもご主人様が今の私だったら、軽くパニックを起こしていたかもしれない。あの人は真面目すぎて、予期せぬ出来事に弱いから。
 けれども、私は特段慌てもしなかった。なぜなら、これは夢だとすぐに気づいたからだ。
 こんなわけのわからない事が唐突に起こるなど、夢でしかあり得ない。そうだと分かっていれば、何が起こったところで驚くわけでもない。

 この初夢は縁起のいいものだといいが。そんな事を考えつつ、私は布団を出た。とりあえず外の状況を見てみようと思ったのだ。
 今分かっているのは、この部屋の状況のみ。これだけでは何もわからないし、このままではつまらない。ここでじっとしているより、外に出てみたほうがいい。

 布団を上げた後、襖にそっと手をかける。
 この先待っているであろう未知の世界に、胸を高鳴らせながら。



 


「あ、おはよーナズーリン」

 廊下に出た瞬間、声をかけられた。
 慌てて振り返ると、そこに立っていたのは見知らぬ妖怪少女だった。左右非対称の奇妙な羽が、彼女が人外の存在であることを物語っている。
 そう堂々と羽を出していても平気なのだろうか。尤も、今は私も耳と尻尾を出したままだが。
 いや、そんなことはどうでもいい。何より奇妙なのは、彼女が私を知っているということだ。私の知らない少女が、何故私を知っている。たとえこれが夢だったとしても、奇妙であることには変わりない。

「どうしたの、ぽかんとしちゃって。……ああそっか、挨拶が違うだろってね。あけましておめでとうございますナズーリンさん、今年もよろしくお願いします、っと。これでいい?」
「い、いや、そういう問題ではなくて、その……変に思うかもしれないが、君はいったい誰なんだ?」

 思いきってそう訊ねると、少女が浮かべていた悪戯っぽい笑みが急に消えた。
 しかしそれはほんの一瞬で、次の瞬間には彼女は弾けるように笑い出していた。

「ちょ、ナ、ナズー、あはは!!」
「な、なんだ? 何故そんなに笑う?」
「はあ、はあ……あーもう、いきなりボケるのは反則だって。いやあ、やっぱりナズーリンの不意打ちボケには勝てないわー」
「生憎私はふざけているんじゃないんだ。見覚えの無い場所で見知らぬ相手が親しげに話しかけてきたら、誰だって変に思うだろう?」
「はいはい、もうわかったってば。それより早く行かないと皆に怒られるよ、ねぼすけは掃除当番だぞーってね。ほら、行こうよ」

 そう言うと少女は私の手を取り歩き出そうとする。どういうわけか、私の質問は彼女にとっては既に解決したものらしい。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! まだ質問に答えてもらってないぞ」
「そのキャラまだ続けてるの? まあいいけど、星の前ではあんまりやらないほうがいいよ、すごく心配しそうだから……あ、でもそのほうが面白いか」
「星だと? ご主人様がここにいるのか?」
「いるに決まってるでしょ、皆一緒に住んでるんだから。そういうボケはもういいって、もうおなかいっぱい」

 そう言って少女はわざとらしく顔をしかめてみせる。
 けれども、私の意識は既にそこにはなかった。

 ここにはご主人様がいる。しかも、“皆”と一緒に。もしかすると、いや、きっとそうだ。あの人と一緒にいる“皆”なんて、彼女達しかいない。
 私達が望んだ夢が、ここにはある。私はそう確信していた。たとえそれが現実ではないとしても、こんなに喜ばしいことはない。数百年見続けた夢が目の前にあったとしたら、誰だってそう思うことだろう。
 とにかく、早く確かめなければ。

「どうしたの? 難しい顔しちゃって、なんか今日のナズーリン変じゃない?」
「い、いや、なんでもないさ。少しふざけてみただけだよ」
「まったく、新年早々やってくれるなあ」

 ケラケラと笑いながら、少女は廊下を進む。それに続いて、私も歩みを進める。

 いかにも夢らしい、無茶な状況だ。けれども、もしかしたら。数百年間ご主人様と二人で願い続けてきた想いが、今ようやく叶うかもしれない。そう考えると、自然と笑みが零れてくる。

 目が覚めたらご主人様にも話してやろうか。そんな事を思いながら、私は少女の後ろを歩いていった。



 廊下を少し進むと、居間らしい部屋の前に着いた。
 夢の中とはいえ未知の状況に足を踏み入れるのには一切の抵抗がなかったわけではないが、少し前を行く少女は私にそんな心配をする時間を与えなかった。
 彼女は立ち止まることもなく、襖を開けて中へと入っていく。

「おはよー。あけおめー」

 間の抜けた調子でそう言う少女。彼女に続いて中に入ると、懐かしい声が丁度それに答えるところだった。
 返事にしては妙に思えるくらい、戸惑いを含んだ口調で。

「ああ、丁度よかったわ! ぬえちゃん、いきなりで悪いんだけど、ちょっとこっちに来てくれる?」
「え? う、うん、いいけど、私まだ叱られるようなことしてないよ」
「お説教じゃないわよ。それとも、後ろめたい事でもあるの?」
「ふん、そんなのないよ。それに、あったとしてもムラサには関係ないじゃん」
「あらあら、上等じゃない。どうやら新年早々から鉄拳制裁をお望みのようね」
「二人とも、その辺にしなさいよ。星、この子がぬえよ。思い出せない?」
「うう……見覚えがありません……」
「何だって?」

 ご主人様の声を聞いて、私は思わずそう呟いた。
 炬燵の側に立っている彼女の瞳には涙が見える。懐かしい仲間達は彼女の周りを囲むように立ち、なにやら慰めているようだ。加えて、先程のご主人様の発言。
 もしかすると、この夢の中で異質なのは私だけではないのかもしれない。

 私の声に気づいたのだろう、一輪が私の方を見て言う。

「ナズーリン。星の様子がおかしいのよ。私達を見てやっと逢えたって言いながら泣いたり、自分は皆が封印されている時代の古寺にいたはずだって言ったりしているの。ぬえを見ても誰だか分からないって言うし……」
「……やっぱり、ご主人様もなのか」
「え?」
「信じてもらえないかもしれないが、私もご主人様と同じなんだ。私達二人は、ここの住人じゃあない。――皆が封印されていた頃の、あの時の私達なんだ」

 ご主人様を見つめながら、はっきりとした口調でそう告げる。
 状況を飲み込もうと必死なのか、白蓮達は驚きを顕にしたまま私を見つめている。


 それがどの位続いただろうか。
 静寂を打ち破るように、白蓮が静かな口調で声を発した。

「そうだったのね……二人とも辛かったでしょう。よく頑張ったわね」
「ちょ、ちょっと待って姐さん! 本当に二人は昔の二人なのかしら? どうも私には理解できないんだけど」
「あら一輪、二人を疑っているの?」
「いや、そうではないけど……」
「でも、あなたの言うこともわかるわよ。正直私だってこの事態の全てを呑み込めたわけではないもの。けれど、二人が嘘を吐くなんて思えないし、二人で口裏を合わせた様子もない。何より、二人がはっきりとそう言っていることが何よりの証拠だわ」
「……そうね。こんな時に二人を信じないなんておかしいわね。星、ナズーリン、疑ってごめんなさい」
「い、いえ、そんな」
「私達も事態を受け入れられたわけじゃないんだ。謝る必要はないよ」

 申し訳なさそうに頭を下げた一輪にそう言うと、彼女は懐かしい優しさを含んだ微笑みを見せた。
 その直後、その様子を笑顔で見守っていた白蓮が急に私達を抱きしめてきた。

「ひ、聖!?」
「二人とも、本当にご苦労様。星、今まで頑張ってくれてありがとう。ナズちゃん、星を支えてくれてありがとう」
「聖……私には、感謝される資格なんてありません。ナズーリンがいてくれたから、諦めずにいられたんですから」
「それは私も同じだよ。ご主人様を支えようと色々考えたが、実際に彼女の役に立てたとは思えない。その結果、しなくてもいい無茶までさせてしまった」
「あら、でもそれはつまり、二人が一緒だったから諦めずにいられたってことね」
「それは、その……そうなる、かな?」
「そ、そうですね。そういうことになりますね、一応は」

 なんだか照れくさくなって、つい二人とも言葉を濁す。見守ってくれているその穏やかな笑顔は、かつての優しさに包まれたままだ。

 と、次の瞬間。今まで隙を窺っていたのだろうか、ずっと事態を静観していた妖怪少女・ぬえが突如として口を挟んでくる。

「つまり星とナズーリンは両想いってことだね」
「な!? ななな、何を言ってるんだ君は!?」
「りょ、両想いですって!? わ、私はただ、ナズーリンのことを大切に思っているだけで、あの、その」

 ご主人様と二人で必死に否定すると、ぬえはご満悦といった感じの笑みを浮かべた。

「あっははは、冗談だよ冗談! でも、これで二人が本来ここにいるはずの二人とは違うんだってことがはっきりしたよね」
「どういうこと?」
「だって、今の二人だったら『ああ、確かに私はご主人様のことを大切に思っているし、その反対も然りだ。そういう意味では、両想いと言っても差し支えないんじゃないかな』とか、『両想い、ですか……ふふ、なんだか照れちゃいますね。両想い……えへへ』とか言うはずでしょ?」
「ちょっと待て。私はともかく、ご主人様に何があった?」
「そ、そうですよ! 私はそんなふうに浮かれたりしません!」
「でも、確かに今の二人だったらぬえの言うような台詞を言っても違和感ないわね」
「そ、そうなのか?」
「ええ。二人の仲の良さはこちらまで笑顔になるほどですもの」
「や、やめてくださいよ聖」

 恥ずかしそうに声を上げるご主人様。なんだかこっちまで恥ずかしくなってくるようだ。
 その様子に皆笑みを浮かべていたが、一輪が少し真面目な口調で切り出した。

「でも、どうしてこんな事が起こったのかしら? 突然、しかも二人が昔の人格に戻るなんて変でしょう?」
「確かに。これが異変というものなんでしょうか……」
「あ、もしかしたらさ、願いが叶ったんじゃない?」

 軽い調子でそう口にするぬえ。皆の視線が一斉に彼女に集まる。

「どういうこと?」
「去年、って言っても昨日だけどさ。とにかく、去年は寅年だったでしょ?」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
「いつから来たのかわかんないけど、きっと二人がいた年も寅年だったんじゃないかな。ずっと二人が願い続けてた想いが叶った、みたいな。ほら、星は寅だし縁起がいいし」
「その理屈なら、子年でもいいんじゃない?」
「そ、それは……」
「しかし、その可能性が現状では最も高いのは事実だ」
「まあ、そうなの?」
「ええ。確かに私達がいたのは寅年でした。その年の大晦日を迎えたのを覚えています。その後の記憶がありませんから、つまりこれは……」
「……夢。私達のどちらかが見ている夢である可能性が高い。まあ、何故面識のないはずのぬえが登場しているのかなど、不可解な点は多々あるがね」

 いつも通り冷静な口調でそう告げる。
 やはり事態を受け止めるのに時間がかかるのか、仲間達はしばらく反応を示そうとしなかった。




「……素晴らしい」

 沈黙を破ったのは、白蓮の言葉。物音一つない静寂の中に、彼女の呟くような声が響く。
 その次の瞬間、その静寂は歓喜の叫びで包まれた。

「素晴らしいわ! ああ、毘沙門天様!!」
「ひ、聖? どうしたんですか?」
「星、ナズーリン、あなた達にここで逢えて本当によかった。これがあなた達の夢だとわかった今、それが嬉しくてたまらないの。
 夢で逢うということは、それだけ救いを求めているということ。けれども、そういった場合は夢でさえ出逢うことが出来ないことが殆どよ。幻想すら抱けないまま、辛い現実を生き抜かなければならない。悲しいけれど、それが普通なの。でも、あなた達二人はこうして私達に辿り着いた。夢だけど、現実ではないけれど、実際にこうして出逢うことが出来たのよ。確かに、夢は夢でしかない。でも、夢に意味がないわけでもないわ。耐え抜く力を、辛い現実を進む心を与えてくれる。夢は、形のない原動力なのよ。
 これが夢である以上、私達が直接あなた達にしてあげられることは殆どないわ。けれど、夢であるからこそ出来ることもある。二人の精神的な支えとなって、いつか実際に再会するその日まで応援し続けることが出来る。直接助けてあげられないのが心残りだけれど、あなた達の心に希望を宿すことができる。私は、それが嬉しくてたまらないのです」

 そう言って白蓮は温かな微笑を浮かべる。
 記憶の奥に残る、彼女の優しい笑み。いつまでも色褪せることのないその笑顔が、今こうして私達の目の前にある。そう思うと、自然と涙がこみ上げてくる。
 そのせいで、私達は何も言うことが出来なかった。ご主人様と二人、同じ色の涙を流す。その様子を見た白蓮は、瞳を潤ませながら微笑んでいた。


 少しして、もらい泣きしていた一輪が涙混じりに言う。

「そうね。二人の力になれるなら、こんなにいいことはないわ。そういう意味でも、姐さんの言うとおり今日が最善だったんじゃないかしら」
「確かに、昔の認識しかない二人ならびっくりするだろうね。でもきっと支えになってくれるわよ」
「どういうことだ? 今日は元旦のようだが、それ以外に特別な事でもあるのか?」
「まあ、その辺は見てのお楽しみってやつだよ。今日の夕方、何かが起こる!! ってね」

 そう言ってふざけているぬえ。初対面の時から思っていたが、やはり彼女はかなりのお調子者らしい。
 正直彼女のことはどうでもいいが、今日の夕方にある何かには興味が湧いてきた。皆でこんな言い方をされては気にならないわけがない。
 先程まで涙を拭っていたご主人様も同じ気持ちになったのだろうか、笑みを浮かべながら一輪達に訊ねた。

「いったい何があるんです? 内緒なんてずるいですよ」
「ふふ、まだ教えられないわ。今話したら感動が薄れちゃうから。ね、姐さん?」
「ええ、そうね。きっと今日は二人にとって素晴らしい一日になるわよ」
「白蓮までそう言うなら、今は聞かずにおくとしようか、ご主人様」
「そうですね。あの……それより、そろそろ朝食にしませんか? 皆に逢えて安心したら、なんだかおなかがへってしまって」
「あらあら、それはいけないわ。それじゃあ、ご飯にしましょうか」
「ふふ、いつもの星らしくてよかった」
「はは、まったくだね」

 そんな事を言いながら仲間達は動き出した。台所へ向かう白蓮に、手伝うと言って彼女の後を追う一輪。村紗やご主人様もそれについていく。私と真っ先に炬燵に足を突っ込んだぬえは、半ば居間に取り残された形だ。

「入らないの? 寒くない?」

 私のいる正面からも見える自身の羽を気持ちよさそうに揺らしながら、彼女が言ってくる。本当にぬえという奴はマイペースな妖怪らしい。
 仕方なしに炬燵に入りつつ、皮肉混じりの口調で答えた。

「しかし、君は変な奴だな」
「いきなりなにさ。まあ、自覚はあるけど」
「何故このような状況でそうのんびりしていられる? 普通だったらもっと慌てるものだと思うが」
「だってまあ、ここじゃ変わった事が起こるのが普通だし、いちいち気にしてらんないよ。それに、私そういうの大好きだし」
「ほう、変わった事ね」
「そう、この幻想郷じゃ珍しいことでもなんでもないって。かくいう私も、地上に出て間もないんだけどね」
「なんだ、通ぶった講釈が台無しだね……待て、今なんと言った?」
「いや、地上に出て間もないって」
「そっちじゃない! さっきここの地名みたいなものを言わなかったか? 聞き覚えのないものだったんだが」
「ああ、知らないんだ。簡単に言うとね、ここはだいぶ特殊な場所なわけよ……知りたい?」

 急に真面目な顔になるぬえ。彼女に気圧されて、ただ黙って頷く。
 それを見た彼女がわざとらしく溜息を吐き、間を作る。
 居間に流れていた空気が、たちまち緊張の色を含んでいく。

 それが最高潮に高まった時、ぬえがにやりと笑った。
 彼女の口が言葉を発しようとした、まさにその時。


 台所側の襖がガラリと場違いな音を立てて開かれた。


「ふう……休んでいろ、と言われても……落ち着きませんね……」

 溜息を吐きつつ、ご主人様が入ってくる。どうやら、先程まで漂っていた雰囲気にはまったく気が付いていないようだ。
 なんというか、こういう間の悪さは相変わらず折り紙つきだな。

「あの、ご主人様」
「ナズーリン。そんな顔をして、どうかしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないよ。せっかくいい感じだったのにさ」
「え? も、もしかして、私のせいで何かまずいことになったりしちゃいました?」
「いや、そんなことはないさ。むしろ丁度よかったよ、ご主人様も聞いておくべき話だったから。そういうわけでぬえ、よろしく頼む」
「はあ、なんか萎えるなー……一言で言っちゃえば、ここは人間以外の生き物が大勢いる場所なのよ。私達みたいな妖怪から、果ては神様までもがね」
「な、なんだって!?」
「ぬ、ぬえ、もっと詳しく教えてください!」

 ご主人様と二人、思わず身を乗り出す。それが彼女のひねくれた心のどこかを刺激したのだろうか、ぬえはうれしそうに微笑みを浮かべて話を続けた。

 彼女の話は多岐に渡っていた。ここは広い範囲を結界で封じた場所で、幻想郷と呼ばれていること。その中には外側で忘れ去られた幻想が集まること。そのため、外の世界で生きにくい妖怪や妖精などが集まってきて、独自の社会が形成されていること。そして、白蓮の封印を解こうとこの地を訪れた私達は彼女の解放後ここに命蓮寺を建て、今もそこで暮らしていること。
 そのどれもが、衝撃的でかつ興味深いものだった。
 少なくとも、今の私にはぬえの言う世界など想像もつかない。けれど、実際私はその想像もつかない世界に存在しているのだ。

 頭の片隅では夢だとわかっていても、この湧きあがる興奮を抑えることはできない。
 それはご主人様も同じだったようで、目を輝かせながらぬえの話を聞いていた。

 と、その直後。ご主人様が入ってきた襖が再び開いた。たちまちに夢とは思えないくらいにおいしそうな匂いが広がる。

「おまたせ。今日はお正月ですから、いっぱいあるわよ」
「わあ、立派なおせち料理! おいしそうですね、聖!」
「ふふ、だいたい半分くらいはあなたが作ってるんだけどね」
「え? あ……あの、ええと」
「でも星の料理はおいしいし、何も間違ってないわよ?」
「そうそう、ナズーリンの調味料補佐があればね」
「……成程ね。ということはだ、ご主人様の“多くの手順を同時に進めようとすると調味料を取り違える病”や“最後の仕上げでうっかり思いもよらぬことをしでかしてくれる症候群”は未だに完治していないというわけだな。ねえ、ご主人様?」
「わ、私だって、そんなドジを毎回するわけじゃありませんよ! ねえ、一輪?」
「うーんと、ねえ……一週間くらい前のことなんだけど、ナズーリンが依頼で帰りが遅くなった時があったのよ。ああ、依頼っていうのは失せ物探しのことね」
「ほう、今の私はそんなことをしているのか」
「ええ、けっこう好評なのよ。話を戻すと、その日は星が料理当番だったから一人で台所に立ったんだけど、あれは……」
「……正直、ひどかった。一人だからいつも以上に頑張ろうとしたんだろうけど、それが全速力で空回りした感じだったね。色々あったけど、あんまり思い出したくないわ……」

 そう言って下を向く村紗。なんだか本当につらそうだ。それを見て、つい笑みをこぼす。
 それに気付いたのか、ご主人様が少し怒ったように言ってくる。

「わ、笑わなくてもいいじゃないですか」
「ああ、ごめんごめん、つい」
「まったく……」
「それじゃあ、そろそろいただきましょうか。皆、座って」

 ぽん、と一つ手を叩いて白蓮がそう言う。彼女の言葉に従って、私達は炬燵の前に座った。
 それを受け、目を閉じた白蓮が静かに言う。

「今年も、いい年でありますように。――それでは、いただきます」

 彼女に従い手を合わせる。
 皆で一つの食卓を囲む。あの日から待ちわびていた仲間達との生活が、今やっと戻ってきたのだった。





 遅い朝食の後、私とご主人様は居間でくつろいでいた。
 白蓮達は朝食を終えると何かの準備に向かってしまった。当然私達も手伝おうとしたのだが、どうやらそれは例の“何か”の準備だったらしく、二人は居間で待っていろと言われてしまったのだ。

「何があるんでしょうね」

 問いかけに応じて顔を上げると、ご主人様は蜜柑を剥きながら私の方を見ていた。いつも通りの様子に苦笑しつつ、彼女に答える。

「さあ、わからないが楽しみだね。私達がびっくりして、しかも支えになるというが、まったく見当がつかないよ。夢の中の事とはいえ楽しみだ」
「……やっぱり、夢なんでしょうか」

 ご主人様に倣って蜜柑に手を伸ばそうとした直後、彼女の不安に満ちた声が聞こえた。
 顔を上げてみると、今にも泣き出しそうな顔をしている。
 思いがけない表情に何も言えずにいると、彼女は続けた。

「私だって、こんなことが実際に起こるわけがないということくらいわかっているつもりです。けれど……けれど、もしもこれが夢じゃないとしたら。聖達に出逢えたのが夢じゃなかったとしたらどんなにいいかって、私思っちゃうんです。ナズーリンは、そう思いませんか?」

 そう言ってご主人様は潤んだ瞳をこちらに向けてくる。


 正直、どう答えるべきか悩んでいた。
 確かに、私だってこれが現実だったらどれだけうれしいか、とは思う。ずっと二人で夢見てきた、仲間との再会。それが実際に叶ったというのならばうれしいなんてものじゃない。
 けれども、やはりこれは夢なんだ、とも一方で思う。現実はこんなに事態が急変したりしないし、第一いきなりこの命蓮寺に移動したりするわけがない。十中八九、これは私達の願いが見せた夢なのだろう。

 ただ、普通の夢とも何か違う節もある。
 一般的に、夢に登場するのは自分の知っているものだけだ。物が本来ないはずの場所にあったり、本来は関係性のないはずの事柄が結びついたりこそすれ、まったく面識のない人物や事柄が夢に現れることはほぼあり得ない。
 しかしながら、この世界はそういったもので満ちている。ぬえという新たな仲間の存在や、幻想郷と呼ばれるこの地。白蓮・一輪・雲山・村紗の四人を除けば、私達の知らない物・者でいっぱいだ。しかも、そのどれもが妙なリアリティを持って存在している。適当に創り上げられた虚構などではなくて、それらはもっと確からしい存在として今私達の目の前にある。
 そういった点を踏まえて私が導き出した結論は一つ。

 おそらく、これはいずれ現実となる世界なのだ。今は不確かな夢のようであるが、いつかは私達もここに辿り着ける。蜃気楼に映し出された船は近くになくとも確かに存在しているように、この幻想もいつかは私達の現実となるのではないか。
 まったく、幻想郷とはよくいったものだよ。

 皮肉めいた笑みを一人浮かべた後、ご主人様に語りかける。

「……正夢、なんじゃないかな」
「正夢……つまり、いつかはこういった世界が実際に来ると?」
「まあ、確実にそうだと言えるほどの証拠はないんだがね。少なくとも、私はそう思っているよ。だって変じゃないか、寅年最後の夢がこれだなんて。私には、どうしてもただの夢だとは思えないんだが」
「それは、まあ……」
「納得できないかい、ご主人様?」
「……いえ。むしろ私は、ナズーリンの言うとおりだと思います」

 じゃあどうしてそんなに悲しそうな顔をするんだ。そう口にしようとして、慌ててやめる。
 それを聞いたら、ご主人様が余計に悲しむ気がしたから。
 そんな私の思いに気づいてしまったのだろうか、ご主人様は急に笑みを浮かべた。

「ああ、考えていてもわかりませんよね。もうこの話はやめにしましょう。ああ、この蜜柑おいしいですねえ、ナズーリン」

 なんだってこの人はすぐ無理をするんだろう。嘘を吐くのが下手なのに、どうして気を遣って笑顔なんか作ってみせるんだろう。不安や悲しみ、苦しみに押しつぶされそうなあなたの心を、そんな作り物の笑顔で隠し通せるわけがないのに。
 どうして、私を頼ってくれない。どうして、私があなたの悲しみに触れるのを嫌がる。私はただ、本当の笑顔が見たいだけなのに。空に燦々と輝く太陽のような、穏やかで温かい笑顔が見たいだけなのに。そんな作り物を見せられても、悲しいだけだよ。
 手伝わせてくれよ、ご主人様。私に何ができるかわからないけど、せめて少しでもあなたのために働かせてくれよ。もう二度と、そんな顔は見たくないんだから。だから――
 ――お願いだから、私にだけは気を遣うのをやめてくれよ。だって、私はいつまでもあなたを支えると心に誓っているんだから。



 私の心はもう、ご主人様に対する想いでいっぱいだった。取り繕おうとする彼女の声も、今はもう耳に入らない。
 そんな私を見て、ご主人様は懸命に話しかけてくる。

 最低の悪循環だ。
 ご主人様が私に気を遣うことで、頼りにされない私は悲しくなる。その様子を見て、今度はご主人様が自分を責める。私が悲しそうな顔をするのは自分のせいだと感じた彼女は、ますます私に気を遣うようになる。それが苦しくて、また私は返事ができなくなる。その繰り返しだ。
 いっそのこと、これをすべてご主人様に話したらどうか。そんなことも考えたが、実行できるはずがない。そんなことをすれば、きっと彼女は今まで以上に自分を責めるようになってしまうから。他人のためなら、自分にどこまでも厳しくなれる。ご主人様はそういう人だ。だから、この悪循環を彼女に伝えるなんてことが出来るわけがない。

 居間の空気が、ゆっくりと停滞していく。
 仲間達と共にいたあの時の、朗らかで心地よい雰囲気はもう既に消え失せた。
 今この空間に漂うのは、すれ違う一組の主従が抱いた悲しみだけだ。





 しかし、次の瞬間。
 ガラリという威勢のいい音を立てながら、廊下側にある襖が開いた。

 その瞬間、重苦しい空気が薄れていくのを感じた。ふとその襖の方を見てみると、そこにいたのは例のマイペース妖怪だ。

「準備できたよ! さあ二人とも、こっちこっち!」

 そう言うとぬえは私達の袖を引っ張って無理やり立たせようとする。

「ちょ、ちょっと待て! 準備って、早すぎないか?」
「何言ってんの、もう夕方だよ? ほら」

 彼女の肩越しに外を見ると、綺麗な夕焼けが広がっている。確かに、皆と別れたあの時からは大分時間が経っているようだ。話や重い空気のせいで時間の感覚が狂ったか。まあ、夢で起こる事に理屈を求めるほうがおかしいな。

「ほら、早く早く! 皆待ってるんだから!」
「み、皆? 聖達以外にも、どなたかいらっしゃるんですか?」
「うん、大勢だよ! 話はいいからさ、早くしてよ! さあ、さあさあ!」
「わかった、行くから引っ張るのをやめないか! まったく……ご主人様、とりあえず行ってみるとしよう」
「え、ええ。そうですね、ナズーリン」

 突然のことで慌てていたからか、ご主人様の悲しみも少しだけ薄れたようだ。彼女に感謝するのはあまり気が進まないが、今回ばかりはぬえのおかげで助かったと言わざるを得ないだろう。

 私達の少し先を行くぬえに続き、廊下を歩く。
 やっとお目にかかれる“何か”への期待と、ご主人様への不安を胸に抱きながら。



 しばらく進むと、境内へと出るための戸が見えてきた。どうやら、例の何かは外にあるものらしい。
 そんなことを考えていると、その戸の前でぬえが急に立ち止まった。
 彼女は私達の方に向きを変えると、仰々しい調子で何やら語り始める。

「いやいやお二人さん、大変長らくお待たせいたしました。ついに、例のやつがお披露目でございやす」
「そういうキャラはいいから、早く開けたらどうだい?」
「わかってないなー、こういうのはまず形が大事なわけよ。何かのお披露目にはわざとらしい口上、これがテンプレでしょうが」
「訳のわからん事はもういいから、早く次に進んでくれると助かる」
「あの、私も早く見たいんですが……」
「な、星までそんなこと言うわけ? ちぇっ……わかったよ、言われなくても開けますよーだ。私達の新しい生き方、その目で見て驚きなよ!!」

 捨て台詞とともに、勢いよく戸が開けられる。
 その先に広がっていた光景を見て、私達はしばしの間完全に言葉を失った。


 
 
 
 








 境内一面に広がっていたのは、様々な露店。綿飴、金魚すくい、射的、なんでもありだ。まるで神社の縁日のような、素朴でどこか懐かしい雰囲気の世界が、眼前に広がっている。
 けれども、私達が驚いたのはそんなことではない。気になったのは、そこかしこにいる人々の様子だ。


 背中に羽を持った少女が、うれしそうにはしゃいでいる。その脇にいるのは、いたって普通の少年。おそらく、少年は人間の子で、少女は妖精かなにかだろう。
 奇妙なことに、少年はその少女に対して何ら反応を示していない。いや、むしろ周りにいる人間達は皆、明らかに異質であるはずの存在に何の感情も抱いていないようなのだ。
 人間ではない者が、人間の集団の中にいるという状況。明らかに異常な事態なのに、そこにいる人間達はまったく反応しない。まるでそれが当然だと言わんばかりに、彼らはその少女と同様縁日の雰囲気を楽しんでいる。

 少なくとも、私達はこんな世界を知らない。まるで人間とそれ以外の存在が共存しているかのように見えるこの光景を、私達は理解できない。
 けれども、それは実際今目の前に存在している世界なのだ。奇妙で理解し難い世界が、ここ命蓮寺の境内一帯に広がっている。これは本当に、夢か現か幻か。それとも、これこそが幻想だとでもいうのだろうか。


「あ、あの、ナズーリン」

 魂の抜けたような声でご主人様が声をかけてくる。

「あれ、妖精の子かなにかですよね」
「ああ、たぶんね」
「周りにいるのは皆、人間ですよね」
「ああ、おそらくね」
「なんであの人達は何も反応しないんでしょう」
「さあ、どうしてだろうね」
「人間と妖精が一緒にいるのは当たり前、みたいに見えますよね」
「ああ、そう見えるね」

 魂の抜けた者同士、そんな意味のないやり取りを続ける。ご主人様も私も、正直言って何が起こっているのかまったくわかっていないのだ。

 と、その直後。マイクか何かを通して、ぬえの声がどこからか飛んできた。

『あーあー、テステス……えー、みなさん、お待たせしました! これより命蓮寺・新年祭を開催します! それではさっそく、主催者である聖白蓮からご挨拶をさせていただきます。では、どうぞ!』

 どこから聞こえてくるのかと思い辺りを窺うと、少し離れたところに特設ステージのようなものが見えた。件のお調子者は、その上に立って話していたようだ。彼女がいつの間にかいなくなっていたのにはまったく気づかなかったが、それだけ私達が混乱していたということか。
 そんなことを考える間もほとんどなく、ぬえの持っていたマイクが壇上に上がった白蓮に手渡される。目を閉じて場の空気を落ち着かせた後、彼女は静かな調子で話し始めた。

『皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。私共がこうして命蓮寺で修業をしつつ過ごせておりますのも、皆様のおかげでございます。そもそも、私は人間と妖怪の平等について云々……なーんて堅苦しい話はいたしません! 難しいことなんて考えずに、今宵は人間も妖怪も関係なく楽しんでいってくださいね! それでは、これで挨拶を締めさせていただきます! 南無三!』

 ものすごい勢いで右腕を振り上げつつ挨拶を終えた白蓮。その刹那、境内からは拍手と歓声が湧き上がった。いまいちよくわからないが、新年祭が開催されたようだ。

「ええと……どうしましょう?」

 困ったような様子でそう訊ねてくるご主人様。正直、そう言われても困るんだが。

「そうだな……とりあえず、話していた二人を捕まえるか。状況を聞かないとまったくわからないからね」
「でも、あそこまで雑踏を抜けていくのは大変そうですよ……あっ! あそこの屋台にいるの、一輪と村紗じゃないですか?」

 ご主人様の指差す方を見ると、雲山そっくりの大きな張りぼてが真っ先に目に入った。その中を確認すると、作業をしているのは確かにあの二人だ。というより、あんな目立つ看板を掲げている時点で一輪は確定じゃないか。ともかく、あそこならすぐに行けそうだ。

「そうみたいだね。行ってみよう、ご主人様。いいかい、絶対にはぐれないでくれよ?」
「いやいや、子供じゃありませんよナズーリン」

 ご主人様のことが心配で、わざと軽口をたたいた。どうやら、彼女の不安は思ったよりも軽減されているようだ。それに胸を撫で下ろしつつ、二人の屋台を目指す。
 なんとも形容し難い、妙な気分を抱きながら。


 しばらく歩いて、私達は屋台の前に着いた。
 店の名前は『雲山のふわふわ綿飴~カレースパイシー味もあるよ!~』だそうだ。綿飴にカレーとはこれいかに、などと考えている間もなく、声をかけようと進む。
 と、その時。横を歩いていたご主人様が、急に袖を引っ張った。慌てて止まり、彼女に訊ねる。

「どうかしたかい、ご主人様?」
「しっ! ナズーリン、あれ、屋台の前!」

 小声で怯えたように言うご主人様。なんだか変だなと思いつつ前を見ると、丁度子供が綿飴を受け取るところだった。

「なんだ、子供じゃないか……子供!?」
「そうです、人間の子供です! どうしましょう、妖怪だってばれないといいんですが」
「くっ、尻尾はまだしも耳を隠せるものなんて持ってないぞ……いや待て。確か、さっき白蓮が気になることを言ってなかったか?」
「えっ? あ、そういえば。人間と妖怪の平等は聖が以前から願っていたことですが、『人間も妖怪も関係なく』とも言っていましたね。それはいったい……」
「……とにかく、二人に聞いてみよう。今なら客もいない、行こうご主人様」
「は、はい!」

 ご主人様と二人、屋台に向かう。綿飴の甘い匂いが、こんなに心を躍らせないのは初めてだ。


「あらお二人さん、いらっしゃい」
「デート? 仲いいなあ妬いちゃうなあ」
「デ、デートなんかじゃありませんよ! べ、別にナズーリンとならその、嫌ではないですけど」
「ご主人様、今はそれどころじゃないぞ。なあ一輪、聞きたいことがあるんだが」
「何? ああ、おいしさの秘密? 企業秘密なんだけどなー、教えちゃうと雲山がすねるからなー」
「ふざけないでくれ! ……率直に聞くが、ここの人間達は何なんだ? 何故妖怪を見ても怯えない? 妖怪達も、何故わざわざ人目につくような真似をするんだ? 最後にもう一つ、こういった状況にあるにもかかわらず、何故衝突が起こらない?」

 私に合わせたのだろうか、話を聞く間一輪は真面目な顔で私の目を見ていた。
 けれども、それはあくまでも話の間だけ。私が質問を終えると、彼女は少し黙った後に何故かにっこりと笑ったのだ。

「な、なにがおかしい!?」
「ふふ、やっぱりそう思うんだなあって思ってね。まあ、二人ともそういう世界にいたわけだし、仕方ないけどね」
「もう、ちゃんと話してください! もう内緒はいやです……」
「ごめんごめん。実はね、この幻想郷にはいくつかのルールがあるの。その中に、『人間の里では人を襲わない』っていうのがあってね。この寺は人里の近くだから、わざわざ敵意のある妖怪は寄ってこないってわけ」
「だが、そのルールの限りでは里の外でならば妖怪の好き勝手が許されるわけだろう? それならば、妖怪に対する人間の憎悪や恐怖は消えないはず。だとしたら、たとえ命の保証がされる場所でも何気なく接するのは難しいだろう。それこそ、ここの人間と妖怪の関係になるとは想像し難いんだが」
「うーん、まあそう思うわよね……こればっかりは、実際に体験しないとわからないと思うわ」
「そういうわけで二人とも、はいこれ」

 そう言って村紗が手渡してきたのは二つの綿飴。とりあえずそれを受け取りつつ、納得のいかない私は彼女に訊ねた。

「な、なんで綿飴なんだ?」
「いやほら、お祭りの雰囲気を味わうには食べ歩きしないと。ああ、お金はいいわよ、私達のおごりで」
「そうじゃなくて、どういう意図があるのかと聞いているんだ」
「でも、私は好きですよ、食べ歩き」
「すまないご主人様、ちょっとだけでいいから黙っていてくれないか」
「何、綿飴嫌い? あ、そっか! やっぱりカレー風味じゃないと物足りないわよね、うん! それじゃ、こっちのスパイシー味を召し上がれ♪」
「だから、ふざけないでくれと言っているじゃないか! だいたいなんだ、カレー風味の綿飴とは。人々が綿飴に期待しているのは仄かな柔らかい甘さであってだな、ピリリと辛い大人向けの味なんて誰も求めちゃあいないんだよ!」
「あうう、そこまで言わなくたっていいじゃんさー……」
「だから言ったじゃない、無理があるって。まあとにかく、騙されたと思って少し回ってきなさいよ。理屈じゃなくて、きっと二人もわかるようになるから」

 そう言って微笑む一輪。裏方で黙々と綿飴を作り続けていた雲山も、いつの間にか作業を止めてこちらに穏やかな笑みを向けている。
 信じ難い話だが、彼女達が嘘を吐くはずもない。ここは二人が言うとおり、見て回るのがいいのかもしれない。

「……わかった。何かがわかるまで、見て回ることにするよ。ご主人様、それでいいかい?」
「ええ、私ももやもやしたままでは嫌ですから。食べ歩きも楽しみですし」
「ま、まあ、それはご主人様に任せるよ。それじゃあ二人とも、また」
「ええ。何かが掴めるのを願ってるわ」
「戻ってきたらさ、スパイシー食べてみてよ! おいしいんだって、絶対おいしいんだってばよ!」

 なにやら一人で騒いでいる船幽霊を無視して、二人で縁日を進む。
 ご主人様に抱いていた不安は、この状況への興味にすっかり入れ替わっていた。
 それはご主人様も同じなのか、少し前まで感じた彼女の不安はもう姿を見せることはなかった。



「けど、本当に不思議ですよね」

 一輪達と別れて少しした頃、不意にご主人様がそう口にした。

「人間が妖怪に敵意を抱かないなんて、私達の常識では考えられません」
「確かに、あの時代には考えられないね。しかし、こうして実際目の前でそれが起こっているんだ。きっと、両者の関係を変える何かが、ここにはあるんじゃないかな」
「そうかもしれませんね。それが早くわかるといいんですが……」
「まあ、なるようになるさ。……しかし、さすがだね。もう綿飴を食べ終えるとは」
「え? あ、ああ、おいしかったもので、つい」

 そう言って少し恥ずかしそうに笑うご主人様。この時ばかりは、いつもの明るい笑顔を浮かべている。
 それに安堵していると、前の方から歓声と共に子供の声が聞こえてきた。

 

「わちきの唐傘さばきを見ておどろけー!!」

 声につられて見てみると、全体的に水色をした少女がへんてこな形をした傘の上で鞠を回していた。その風貌や言動からみても、彼女は妖怪の少女で間違いないだろう。
 やはり、というのも何だが、彼女の周りに集まっているのは人間達だった。器用にくるくると回すその様子を見て、大人も子供も皆一様に感心している。

「わあ、小傘ちゃんすごい!」
「おお、上手いじゃないか! こりゃあ長屋の重爺よりも上手なんじゃないか?」
「いや、ほんとすごいよ!」
「やった、皆びっくりしてる! 練習した甲斐があったなー」

 小傘と呼ばれたその少女はそう言いながらうれしそうに笑っている。どうやら人間に褒められたのが相当うれしいようだ。
 確かに皆驚いてはいるが、「驚け」と言いながら行う脅かし方ではないような気もする。まあ、本人が喜んでいるのだから問題はないが。
 それより気になるのは、彼女と人間達との関係だ。
 少なくとも、人間の前であんなにうれしそうに笑う妖怪を私は見たことがない。両者の心が繋がっているようにも見えるこの関係は、いったいどこから生まれているのだろうか。

「ナズーリン、気になったんですが」
「どうしたんだい、ご主人様?」
「あの小傘という子、本当にうれしそうでしたよね? 妖怪が人間の前であんな顔をするでしょうか?」

 どうやらご主人様も同じことを考えていたようだ。そして、彼女も同様に今の状況を呑み込み切れていない様子だ。
 どこか不安そうな表情を浮かべたご主人様を少しでも安心させようと、いつも以上に落ち着いた口調を意識しつつ答える。

「私もそれが気になっていたんだ。けれど、まだ結論は出せそうにない。やはり、もう少し先に進んでみるしかないようだね」
「そうですね。でも、少しずつ近づいているような気がします。私達の知らない、人間と妖怪の可能性に」
「ああ。それじゃあ、行ってみよう」

 唐傘少女に送られた歓声に後押しされるように、私達は歩き始めた。
 答えが出そうで出ない、なんとなくもやもやした気持ちを抱えたまま。



 歩きながら、私は露店の店主と客を眺めていた。
 需要と供給が合わないからか、店を営んでいるのはそのほとんどが人間だ。中には屋台を営む夜雀や綿飴屋をする一輪達もいたが、全体では数えるほどもいない。
 その代わり、客には人間以外の者も大勢いるようだ。先程の夜雀の屋台にも、鰻かなにかをおいしそうに頬張る金髪の少女や店主と親しげに話す緑髪の少女がいた。その髪の色や奇妙な出で立ちからも、彼女達が妖怪であるのは間違いないだろう。その他にもあちこちで羽や尻尾などが人混みの中でも確認できた。

 本当に、奇妙な世界だ。人間と妖怪、元来相容れないはずの両者が同じ場所にいて、しかも一切の問題が起きないだなんて。こんな言い方をすると白蓮に悪いが、水と油は決して混じり合わないように、人間と妖怪が仲良くするなんてそれこそ夢物語のような話だというのに。

 そんなことを考えながら歩いていると、急に前の方で子供が騒ぐ声が聞こえた。
 気になって声のした方向に目を向けると、そこは金魚すくいの露店だった。そこに立っていたのは、二人の妖精と数人の子供達だ。

「だから! あたいのどこが悪いっていうのさ!」
「どこが、だって? 嬢ちゃんの遊び方が悪いに決まってんだろうが! どこの世界に金魚すくいの金魚凍らせる馬鹿がいるってんだ! 網を使えよ網を!」

 少し近づいて見てみると、そこには惨状が広がっていた。
 氷漬けにされ水面をプカプカと漂う金魚。何故か大量に突っ込まれている氷塊も相まって、水槽はすっかり氷河地帯になっている。少なくとも、これは金魚すくいではない。
 この状況を作り出したのは、おそらく今怒られている水色の妖精。背中の羽は薄い氷のようで、どこか繊細で美しい。まあ、言動はかなり稚拙のようだが。
 怒れる店主の言葉も届かず、彼女は偉そうに胸を張って言う。

「ふん、どう遊ぼうとあたいの勝手じゃん。だいたい網ですくったって面白くないんだよ、すぐ破けちゃうしさ」
「でもチルノちゃん、金魚すくいってそういう遊びだよ。凍らせて遊びたいっていう気持ちもわかるけど、ちゃんとルールは守らないと。ほら、ちゃんと謝ろう?」
「なにさ大ちゃんまで。だいたい、あたいが謝ることなんてないもん」
「おいおい嬢ちゃん、いい加減おじさんも怒るよ?」
「ああ、すいませんっ! うう、チルノちゃんってば」

 大ちゃんと呼ばれた緑髪の妖精は頭を抱えている。けれど、彼女が心配しているチルノとやらは相も変わらず偉そうな態度のままだ。店主はというと、やり場のない怒りに頬をひくつかせていた。いくら相手が妖精とはいえ、子供相手に本気で怒りをぶつけるのはさすがに気が引けるのだろう。
 しかし、このままではこの状況は変わりようもないのは事実だ。やり取りを見るに大ちゃんはチルノの友人なのだろうが、見るからに天真爛漫なチルノを説得するのはさすがに難しいだろう。

 やはり、人間とは分かり合えない部分もあるのか。そう思いかけた瞬間、妖精達の近くにいた少年が声を発した。

「チルノずるいぞ!」

 余程気に障ったのだろうか、チルノは勢いよく振り返りながらその少年に牙を剥く。

「はああっ!? あたいのどこがずるいってんだこのガキんちょめ!!」
「だって金魚すくいなのに網使ってないじゃん! 妖精だからって能力使うのはずるいじゃんか! あとガキって言うなバーカ!」
「なにをーっ!」
「チルノちゃん! この子の言うとおりだよ。湖の魚を凍らせるのはいいけど、それを金魚すくいでやっちゃ駄目。網がうまく使えなかった腹いせなんて、もっと駄目だよ」
「うっ」

 図星だったのだろう、チルノはそれきり何も反論しなかった。
 せっかく遊ぼうとしたのにやり方がうまくわからず、頭にきて八つ当たり。いかにも子供らしい、単純明快な動機だったわけだ。しかし冷静にそれを見抜くあたり、大ちゃんとやらも中々目が効くようだ。

 事態がどう収束するのかと思い見守っていると、やがて声を発した少年がわざとらしく頬を掻きながら口を開いた。

「……しょうがねえなあ。俺が教えてやるよ」
「えっ? あ、あの、ほんとにいいの?」

 そう訊ねるチルノ。傲慢にも見えたあの態度は、既にそこにはない。うれしそうな、恥ずかしそうな、そんな子供染みた表情をしている。

「ああ、だってうまく出来ないままじゃつまんないだろ?」
「大丈夫、ケンちゃんすごく上手なんだから!」
「慣れてきたら勝負しようぜ!」

 少年の周りにいた子供達も、屈託のない笑顔を浮かべてそう答える。それを見たチルノは本当にうれしそうに笑った後、視線を外しながら言った。

「し、仕方ないわね! じゃあ、教わってあげるわ!」
「ふふ、よかったねチルノちゃん! でも、その前におじさんに謝らなきゃね」
「えー……仕方ないなあ……あたいが悪かった。ごめんなさい。これで満足?」

 そう言って店主を見上げるチルノ。さすがにもう青筋を立てるような怒りを覚えてはいないようだが、彼の顔は無表情で未だ納得できずといった様子にも見える。
 と、次の瞬間。彼の緊張していた頬が、一瞬で緩んだ。

「わかりゃあいいのよ。んじゃあ少年少女達よ、この氷片付けるの手伝ってもらえるかい? 一回分サービスするからよ」
「やった、おっちゃんナイス!」
「はっは、その代わりちゃんとやってくれよな」
「任せてよ、あたいを誰だと思ってるのさ!」
「氷ぶち込んだ張本人が言うな!」

 店主の鋭いツッコミに子供達が笑い出す。当のチルノも最初はムスッとしていたが、皆につられて笑い始めた。
 
 
 

「よかったですね、喧嘩にならなくて」

 歩きながらご主人様がそう言ってくる。

「ああ、さっきの話か。そうだね、ただ気になるのは……」
「あの展開ですね。昔だったら、金魚を凍らせた段階であの妖精はただでは済まなかったでしょうに」
「化け物だのなんだの言われて追い立てられ、それで済めば御の字、最悪の場合退治されるな」
「うう、ますますわからなくなりました。いったいなんでここの人間達は妖怪に怯えたりしないんでしょう」
「まるで互いを理解し合っているかのようなこの関係、やはり納得がいかない。一輪達はしばらく見て回ればわかると言っていたが、どうにもこれは……」
「あら二人とも、難しい顔をしてどうしたの?」

 突然の声に驚いて振り向くと、そこに立っていたのは白蓮だった。いつもと変わらないふわふわした雰囲気が、今はなぜか嫌なものに感じられる。答えが出ないことに苛立っているからだろうか。
 けれども、彼女なら教えてくれるだろう。私達と今を生きる者との間にある、決定的な違いを。
 そう考えた私は、思い切って口を開いた。

「白蓮、頼みがある。この祭りの中を歩いて私達が感じた疑問に答えてはくれないか」
「疑問?」
「ええ。この祭りを通して、私達は人間と妖怪が共に生きているのを見ました。もちろん、それ自体はとても喜ばしいことです。人と妖の平等は聖がずっと求めていたことですし、私にとってもその関係は理想でした。けれども、実際にそれを見た今、どうしても納得できないんです。何故、人間は妖怪に怯えなくなったのでしょうか? 何故、妖怪は平気で人間の前に出るようになったのでしょうか? なんとなくはわかるのですが、はっきりとした答えが自分では出せませんでした。聖、どうかそれについて話していただけませんか?」

 ご主人様も同じ気持ちだったのだろう、彼女が私の言いたいことを全て代弁してくれた。あの時代に生きていれば、やはり思うことも同じか。
 ご主人様の言葉を聞き、白蓮は目を伏せて軽く息を吐く。その直後、彼女は本堂脇の縁側に腰かけると、固い表情で見守っていた私達を見ながらその隣をぽんぽんと叩いた。座って話をしよう、ということだろう。それに倣って私達も縁側に腰を下ろす。
 やがて、彼女はいつもの優しい口調で、ゆっくりと話を始めた。

「そう難しいことではないのよ。両者の関係を悪くしていた最大の要素である偏見がなくなっただけですもの」
「へ、偏見がなくなる? そんなことがあり得るんですか?」
「まあ、普通はそうならないでしょうね。そうねえ……星、あなたはどうして偏見が生まれるんだと思う?」
「え、ええと……人間と妖怪の関係でいえば、やはり根源的な部分が関わっているんだと思います。一般的に妖怪は人間の恐怖や畏怖から生まれてきますから、どうしても人間側はそういった感情を潜在的に持ってしまうのではないでしょうか」
「そうね。それじゃあナズちゃん、もしも恐怖や畏怖といった感情を持つ必要がなくなったとしたらどうかしら?」
「それなら確かに偏見も持たずに済むかもしれないが、そんなことができるだろうか?」
「ふふ、そこで重要な役割を果たしているのが、この幻想郷という特殊な環境なのよ。二人はもう聞いているかもしれないけれど、この幻想郷にはいくつかの決まりがあるの。その中に人間の里では人を襲ってはならないという決まりがあるんだけど、そのおかげで両者は余計な偏見を持たずに済むのよ」

 私達のことを思ってか、白蓮はそこで一旦話を区切った。

 腑に落ちない、というのが正直な感想だ。
 人を襲ってはいけない話は既に一輪達から聞いた。確かに、危険がないのであれば人間側も警戒を緩めるだろうし、妖怪側も恐れられるような行動を取りはしないだろう。けれども、それだけで無くなるほど両者の間に存在する偏見は浅いものではないはずだ。少しくらい安心することはできるとしても、今のように相手を認めるような状態にはならないだろう。


「あの、聖」

 不意にご主人様が口を開いた。どうやら彼女も納得がいっていないらしく、その表情は曇ったままだ。

「なんとなくですが、理解はできます。確かにそれなら両者が憎しみ合うような最悪の関係は避けられるかもしれません。ですが、それだけでは今のように仲良くはなれないんじゃないかと思うんです」
「そう、星の言う通りよ。両者が互いを受け入れられるようになるまでには途方もない時間がかかった。けれど、それは全て無駄ではなかったの。少しずつ、自分達の間にある違いを理解していく。時に歩み寄り、時に衝突しながら両者は前に進んでいった。その過程で、過去の偏見は次第に無くなっていったそうよ。人間は妖怪を畏れ、妖怪は人間に手を出すという根源的な部分は変わらないままね」
「しかし、時間の経過がすべてを解決したとは思えない。何かこう、もっと別の要因があるように思えるが」
「ふふ、さすがはナズちゃんね。もちろん、両者を変えたのは時間だけではないわ。その時代時代に生きた指導者達が、人々の固まった心を解いていったのよ。この話を私にしてくださったのも、妖怪の賢者と呼ばれる方と、今の里長さんよ。お二人とも、今の環境を作るのに相当尽力してくださったの。そういう意味でも、やはり人間と妖怪の平等はこの幻想郷が創り出してくれたと言えるわね」

 そう言うと白蓮はいつものように優しく微笑んだ。先程と変わらないその笑顔を、もう疎ましいと思いはしなかった。

 今まで、私は白蓮の理想が形になる日は来ないと思っていた。確かに彼女の思想は立派だし、誰もがその実現を望むものだったが、両者の間にある偏見を変えることは不可能だと考えていたからだ。
 けれども、幻想郷という不思議な世界には、彼女の言う理想があった。限定的ではあるにせよ、確かに人間と妖怪が憎み合うことなく存在している。両者は互いの存在を認め、それなりに仲良く手を取り合っている。
 数百年前に彼女が説いた平等は、幻想の中で達成されていたのだ。多くの人々の手で、彼女の理想は現実となっていた。


「……信じられないけど」

 ご主人様が息を漏らす。うれしそうに泣きながら。

「でも、本当にうれしいです。聖の理想が、人々の手で達成されるなんて……私、本当にここに来てよかった。今、改めてそう思いました」
「そう言ってもらえるとうれしいわ。秘密にしていた甲斐があったかしらね。さてと」

 そう言って白蓮は立ち上がった。見上げる私達を見つめながら彼女は言う。

「夜はまだ永いわ。二人とも、もう少し楽しんでくるといいんじゃない? 難しいことは考えずに、この穏やかな雰囲気に身を任せて」
「あの、それなら聖も一緒に見て回りませんか?」
「せっかくだけど遠慮します。二人の邪魔になってしまうもの」
「べ、別に私はご主人様と二人でなくとも平気だが」
「ふふ、冗談よ。ただ二人だけのほうが色々な話もできるかなと思っただけ。それじゃあ、行ってらっしゃい」

 とん、と背中を押される。よろよろと二、三歩前に出て振り返ると、私達を迎えたのはいつもの微笑みだ。これでは、どうも断りにくい。
 仕方なく、頬を掻きながらご主人様に言う。

「せっかくだから、行こうか、ご主人様?」
「え、ええ、そうですね。それでは聖、また後で」
「ええ。いい夜を」

 白蓮に手を振られ、私達は歩き出した。
 先程までのもやもやは、既に無くなった。
 今心にあるのは、明日への希望と喜びだけだ。






 それから数時間ほど経った頃、私は自分の部屋にいた。
 白蓮と別れた後も縁日は続いていたが、その様相はいつしか様変わりしていた。夜が更けるにつれ子供の姿が少しずつ減っていき、代わりに辺りで酒の匂いがするようになっていく。どうやら、大人の時間の始まりらしい。
 雰囲気の変わった露店の中を、私達は歩いた。焼きそばを買って食べたり、ご主人様が射的でなぜか大当たりしたり。周りが周りだったので、あまり得意ではない酒も二人で呑んだ。うまく言えないが、その時間はとても不思議で楽しかったのは事実だ。

 そんな浮かれた雰囲気を満喫しつつ、本堂に戻ったのがつい十分ほど前。
浮かれすぎてただの酔っ払いと化した、駄目寅とともに。

「さあ、着いたぞご主人様。ひとまず部屋に戻るが、あなたの部屋はどこなんだ?」
「ふにゅう、せかいがまわってますぅ」
「それは三回くらい聞いた。まったく……」

 なんだってこの人は酔っ払うほど呑んだりするんだ。たいして呑めもしないのに、こうやって迷惑ばかりかけて。 ――まあ、頼ってくれるのは、いいことだが。
 とはいえ、これでは聞き出せるはずもない。とりあえず、私の部屋に運ぼう。そう考えて、ご主人様に言う。

「さあ、行くよご主人様。とりあえずは、私の部屋にいるんだ」
「あうぅ」

 彼女の発する奇声を無視して、私は前へ進んだ。
 つい緩んでしまった口元も、見る者がいなければ問題ない。




 そして今、私はご主人様と共に部屋にいる。

「うう、すみませんでした。まさか酔っぱらってしまうだなんて……」

 水を飲んで落ち着いたのか、ご主人様の酔いはかなり醒めているようだ。こんな時でも忘れない無用の気遣いに苦笑しつつ、皮肉を込めて答える。

「まったく、困ったものだよ。いくら気分が高揚していたからといって、酔っ払うほど呑まなくてもいいだろうに」
「ごめんなさい……」
「さあ、酔いが醒めたら部屋に戻るんだ。そうしないと夢から覚められないよ?」
「……やっぱり、目覚めなきゃいけませんよね」

 途端にご主人様の声色が悲しみの色を帯びていく。それがあまりに急だったので、私もすぐに反応を示せなかった。
 悲しそうな顔のまま、ご主人様は言う。

「本当に、素晴らしい夢でした。聖達にも逢えたし、戻った後の希望まで持つことができました。そういう点では、この夢を見られて本当によかったと思っているんです。
 でも……この夢をいつまでも見続けていたいという気持ちを、私はどうしても捨てきれないんです。たとえ夢であっても、現実ではないんだとしても、私はこの世界に留まっていたい。もう二度と、あんな悲しみの世界には戻りたくない。そう思ってしまうんです」

 そう告げるご主人様の顔は、既に涙でぐしゃぐしゃだった。


 正直、私には正しい判断をする自信がなかった。
 どんなに希望を与えてくれても、夢は夢だ。そう言うのが最良だとは思う。けれども、彼女の悲しみは嫌というほど知っている。
 ご主人様はいつも、私に苦労をかけまいとしてきた。辛いことは全部自分で背負って、しかもそれを私に悟られまいと懸命に努力してきたのだ。そして、彼女は数百年間自分を責め続けてきた。全ての責任は自分にあると考え、無茶な修業に明け暮れた。それで過去が取り戻せるならと、彼女は身を削って生きてきた。
 私がこの数百年で感じた苦しみなど、ご主人様のそれに比べれば微々たるものだ。結局、私は彼女の苦しみを何一つ癒してやることができなかったのだから。

 その彼女が、夢の中で仲間達と再会した。敬愛する白蓮の理想が叶った世界で、自分も含めた仲間達が人間とうまく共存している。たとえ夢であれ、そんな世界を目の当たりにすればそこに留まりたいと思うのも仕方がない。
 夢が永遠に夢であり続けることよりも、辛い現実に戻ることをご主人様は嫌がった。それ程までに、彼女の抱えてきた苦しみは大きく深いものだったのだ。

 けれども、絶対にそれを認めるわけにはいかない。幻想の中でではなく、彼女には現実の世界で、本当の意味で心から笑ってほしいから。
 偽物ではないあの太陽を、もう一度この目で見たいから。



「……あなたの言うことは、すごくわかるよ」

 自然と言葉が出た。顔を上げてくれない彼女に、私は想いをぶつける。

「でもねご主人様、やはりこの夢からは目覚めなければならない。なぜなら……そうしないと、あなたの太陽は輝いてくれないから」

 俯いたままのご主人様が、ピクリと身を震わせる。
 このまま、彼女の心に届いてくれ。そう願いつつ、私は続けた。

「ご主人様。私は、あなたの笑顔が好きだ。けれど、ただ笑えばいいってものではない。あなたが幸せを感じた時に見せてくれる笑顔が、私は好きなんだ。あの太陽のような煌きは、普段の笑顔にはない。ご主人様が本当の意味で幸せにならないと、そう笑ってくれないんだ」
「……でも、私は今だって十分幸せですよ」
「違うんだ。笑顔を見ていればわかるさ。うまく説明できないが、今のご主人様にはこう、輝きがない。辺りを温かく照らす太陽のような、そんな煌きがないんだよ」
「……けれど、もう私は辛い思いをしたくありません。もう、いやなんです」
「だから幻想に手を伸ばす、かい? どうやらご主人様は肝心なことを忘れているようだね。いいかい、夢は見ていれば、いつまでも夢だ。けれど、それを叶えようとさえすれば、夢は現実になるんだよ。確かに、今私達が戻るのは辛い現実だ。けれど、それもいつかは終わる。希望を常に胸に灯していれば、いつかは現実が変わる。そうだろう?」
「それは、そうですけど……」
「ご主人様、よく考えてくれ。この幻想郷という不思議な場所で、私達は最高の夢を見た。その私達が次にすべきことは、その夢の中に留まろうとすることじゃあない。目を覚まして、その夢を現実にすることなんだ。他の誰でもない、私達自身の手でね」
「けれど……それではナズーリンが……」
「私? 私がどうかしたか?」
「えっ!? い、いえ、なんでもないですよ」

 そう言ってご主人様が浮かべたのは、紛れもなく偽物の笑顔。明らかに、今言いかけた部分に彼女の本音がある。
 真相を聞き出そうと、出来るだけ優しい声でご主人様に訊ねる。

「ご主人様、今言おうとしたことを教えてはくれないか。私達の間で隠し事はなしだろう?」
「言えません。何があっても、ナズーリンにだけは言えないんです」
「……私を信じてはくれないのか」
「ち、違いますよ! 私はただ……あなたに、迷惑をかけたくなかったんです」
「……すまない、意味がわからないんだが」
「ですから、ナズーリンに心配や苦労をかけたくなかったんですよ。夢から覚めても、いつこの世界が現実になるかはわかりません。その間に、いつかナズーリンをあてにするようにならないか不安だったんです。私のせいでこんなことに巻き込んでしまったのに、これ以上辛い思いをさせたくありませんから」
「……つまり、この先私に頼るようになってしまうのを恐れて、夢に留まりたいと言い出したのか? 辛い思いをしたくないというのも、本意ではないと?」
「……はい。できれば、こんな話したくなかったんですが……」

 そう言ってご主人様は困ったように笑う。

 正直、呆れてしまった。
 ご主人様が私に心配をかけまいとしているのは知っていた。けれども、まさかそれを理由に夢にすがりたいと言っているとは思わなかった。彼女は、自分が辛い思いをすることよりも、それを私に背負わせてしまうことを恐れたというのだ。私なんかよりも、ずっと辛い思いをしているというのに。

 勝手に全ての荷物を一人で背負って、可能な限り持とうと従者が行くとそれを渡してくれない。本当は重くて困っていても、余計な責任感と気遣いが邪魔をする。
 やっと休憩に入ったと思うと、また一人で全てを背負おうとする。やはり従者が側に行くと、本当のことを話してくれない。こちらを気遣うような笑みを浮かべて、彼女は行く。

 たとえれば、ご主人様はそんな人だ。
 こんな馬鹿で純粋で従者思いの主など、いてたまるか。寧ろ、そんなのがいたらこっちが困るんだ。そんなことをされたら、大切な主の力になるという役目が果たせないじゃないか。


「……すまないご主人様、一言だけ言わせてくれ」
「は、はい。なんでしょうか?」
「はっきり言って、あなたは馬鹿だ」
「な、なんですかいきなり!」
「実際そうだろう? 私を頼ってしまうのが嫌で夢に留まりたいなど、理由にもなってないじゃないか。だいたい、主が従者の負担を肩代わりしてどうするんだ。主は従者を頼ってこそだろう」
「それは、そうですけど……」
「なあご主人様、従者にとって一番の幸せはなんだと思う?」
「え? ええと、主に尽くすこと、でしょうか」
「わかっているなら何故そうさせてくれないんだ!」

 思わずそう大声で叫んだところで、はっと我に返る。びっくりして瞬きしているご主人様を見ながら、慌てて謝った。

「す、すまない、つい興奮してしまった。とにかく、ご主人様の気遣いは無用だということだよ。私個人を気遣ってくれたのはうれしいが、それではあなたの力になれない。私だって、苦しんでいるあなたのために尽力したいと思っているんだからさ」
「わ、わかりました。確かに、考えてみると私のほうがおかしかったですかね。一人で全部やろうとして、無茶をしていたと思います」
「そういう時には、すぐ私を頼ってくれればいい。もちろん出来ないことはあるが、可能な限りあなたのために働こうじゃないか」
「ふふ、では今度からはそうさせてもらいましょう。それでは、改めて寝るとしましょうか。夢から覚めるために」

 そう言うと、ご主人様は立ち上がった。どうやら、夢から覚める決心をしてくれたようだ。尤も、私達の間にあった誤解が彼女をそうさせていただけだから、それが取り除かれた今はそれが当然のことではあるのだが。

「おやすみ、ご主人様。いい夢を」
「ふふ、なんだか変な感じですね。おやすみなさい、ナズーリン。これからもよろしくお願いしますね」

 そう言うと、ご主人様は部屋の襖を閉じた。
 別れ際の笑顔を思い出しながら、彼女の寝ていた布団に入る。

 あの笑顔は、昔の輝きにかなり近かった。やはり不安もあるのだろうが、この先はもう偽物の笑顔を浮かべることはないだろう。しかも、ちゃんと私を頼ってくれる。それだけでも本当によかった。

 そんな事を思いつつ、目を閉じる。たちまちに眠気が私を襲ってきた。ついさっきまで全く眠くなかったというのに、不思議なものだ。

 次に目覚めれば、そこは古寺。白蓮も一輪も雲山も村紗も、もちろんぬえもいない、二人だけの世界。けれど、私達には希望がある。幻想という名の希望が、私達の胸に灯っている。これなら、諦めずにいられそうだ。仲間達と実際に再会するその日まで、ご主人様と二人頑張っていける気がする。
 そんな思いを抱きながら、私は眠りについた。












 ガタガタと鳴る障子の音で、私は目を覚ました。
 落ち着いて周りを見ると、そこは見慣れた私の部屋だ。襖は破れ、余分なものは一切置いていない部屋で、薄い布団を被って私は寝ていた。正真正銘、これが現実というわけだ。

 けれど、落ち込んでいる暇などない。あの夢を現実にするまで、休んでいる暇はないのだから。
 布団から勢いよく起き上がると、一気に布団を片付けた。
 いつもと違う晴れ晴れとした気持ちのまま、居間へと向かう。

 


「あ、おはようございます、ナズーリン! 今年もよろしくおねがいします!」

 居間に入ると、元気のいい声が迎えてくれた。いつも以上に明るいその声は聞いていてとても気持ちいい。

「こちらこそよろしく、ご主人様。今日はずいぶんと調子がいいみたいだね」
「ええ! 実は昨夜、とっても縁起のいい夢を見られたんですよ。聖達と再会する夢で、もちろんナズーリンも出てきましたよ」
「なるほど。やはり、ご主人様も同じ夢を見ていたか」
「えっ? あ、あの、じゃあ夢の中のナズーリンも私と同じ境遇だったのは偶然じゃなかったんでしょうか」

 興奮した様子でご主人様がそう聞いてくる。目を見開いて、何故そう落ち着いていられる、と言わんばかりの様子だ。

 夢の中にいる時から、普通の夢とは違う気がしていた。夢であるはずなら、知らないモノが出てくるはずがないからだ。もうその時点である程度意識はしていたので、今更二人が同じ夢を見ていたと知っても驚くことはない。
 極めて冷静に、私はご主人様に答えた。

「おそらくね。何にせよ、これで正夢の可能性が大分増したんじゃないかな?」
「そうですね。信じていれば、いつかはあの世界が現実になる」
「そこに至る道がいかに険しかろうとも、いつかは努力が報われる。私はそう信じているよ」
「私もです! いつか来る再会の日まで、よろしくお願いしますね、ナズーリン」
「期限なんて決めないさ。たとえ何があっても、私はあなたを支え続ける。だから、もっと私を頼りにしてくれよ、ご主人様?」
「ふふ、そうさせてもらいますよ。さあて、ご飯にしましょう! なんだかやる気が出てきたのでお雑煮を作ってみたんですよ」
「ほう、それは楽しみだ」

 自信作なんですよ、などと言いながら微笑むご主人様。
 その輝きは、まさしく太陽だった。




 不思議な夢だった。けれど、見ることができて本当によかったと思う。
 白蓮達に逢い、彼女の理想の実現を目にしたことで再会の日まで努力し続ける希望をもらえた。
ご主人様との誤解を解き、頼ってもらえるようになった。そのおかげで、これからはご主人様のために働くことができる。
 そして何より、ご主人様の笑顔を取り戻してくれた。偽物ではない、彼女の太陽を取り戻してくれた。
 一つの夢で三つもいいことがあったんだ。これはもう、奇跡だとしか思えない。


「はい、どうぞ」

 ご主人様の声に視線を上げると、彼女が雑煮を手渡してくるところだった。礼を言いながらそれを受け取ると、ご主人様はにこにこしながら聞いてくる。

「考え事ですか?」
「ああ、夢のことを考えていたんだよ。三つもいいことがあるなんて奇跡だなと思ってね」
「三つ、ですか? 聖達のことと、私達の誤解のことと……あともう一つはなんですか?」
「それはご主人様の……いや、なんでもない」
「私の? 私、何かしましたっけ?」
「気にしなくていいよ。たぶん私の勘違いだ」
「そんな、気になるじゃないですか。私達の間で秘密はなし、でしょう?」
「うっ……仕方ないな。すぐに、忘れてくれよ。……あなたの、笑顔が取り戻せてよかった、ということだ」

 恥ずかしくて、下を向く他なかった。
 なんだって、こんな台詞を二度も吐かなければならないのか。しかも、夢の中と違って言葉が現実味を帯びてしまうじゃないか。あの時は仕方なく、という言い訳が、もうできなくなってしまうじゃないか。



「……ありがとうございます、ナズーリン」


 突然の礼に驚き顔を上げると、彼女はうれしそうに笑っていた。その優しい輝きが、なんだかいつもよりも明るく感じられる。
 温かい笑顔に、すっぽりと包まれるような感覚。なんというか、こういうのはやはりずるいだろう。
 そんなふうに笑う姿を見たら、ますますそれを守ろうと思ってしまうじゃないか。


「べつに、礼なんて要らないよ。忘れてくれ」
「いやですよ。こんなにうれしいことを言われて、忘れられるわけないじゃないですか」
「……勝手にするといい」

 目の前の太陽を意図的に無視して、雑煮に口をつける。
 その瞬間、ご主人様の悪い癖はまだ治りそうにないと感じた。


 醤油で仕上げたはずのこの雑煮が、こんなにも甘いのだから。
 
 
 
いや、約一か月前に投稿しておきたかったというのが本音ですが、ひとまず無事投稿できてよかったと私自身思っております。バックアップは取る習慣がないと後悔しますね、はい。

ともあれ、拙作を読んでいただきありがとうございました。

1/23追記:

冒頭を少し修正しました。ご指摘くださった>>10様、ありがとうございました。
でれすけ
http://
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コメント



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遅く来ましたが、非常に素晴らしいお年賀いただきました!
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面白かったです
10.無評価名前が無い程度の能力削除
一行目の
ある日の大晦日
ってのが気になります(x_x;)
29.100名前が無い程度の能力削除
happy endから始めても良いじゃない
31.90oblivion削除
素朴だけど素敵。儚くて温かい。
縁日の風景がさーっと視界に入ったとき、不覚にも感動でしたよ。ここに命蓮寺の何百年分の思いが詰まっていることか。
不躾なことを言えば、ここをもっと強調すると完全に私好みでよかったかなと思いました。そのぐらいこのシーンが好き。
35.100名前が無い程度の能力削除
夢と現の境界、過去と未来の境界。
垣間見た世界は、彼女達を導いてくれたようです。