Coolier - 新生・東方創想話

歩き方と手のつなぎ方 - 翠

2011/01/12 18:36:49
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※本作は【 始 → 翠 → 銀 → 金 → 結 】という流れで構成されます。
※お手数ですがタイトル横の文字を確認し、流れにそった順番でお読みいただきたく思います。










「…………」

 魔理沙が腕を組み、苛立つように貧乏揺すりをする。

「……いや、別にいいんだけどさ。いいんだけども」

 神妙に開かれた口からはそんな言葉が漏れた。そして魔理沙はこう続ける。

「紫、お前はこれからも参加する気なの?」
「さぁ~」

 紫が四人の集会に歓迎されたのは先日だけで、二度目の今日は嫌そうにして迎えられた。
 あのときは数年来の再会だったし、会話も弾んだ。けれども霊夢と同様に三人も、付き合い方が分からずに疎遠になってしまった部分があるのだ。元々、そういうしがらみが鬱陶しくて、同じ人間で親交のあった四人で集まろうということだったはず。だからそこに紫がいては本末転倒なのである。

「さぁってお前なぁ」
「冗談よ。次からは来ません」
「……まぁ、それなら」

 まるで無理強いに追い出したみたいで後味が悪いが、これだけは譲れない部分でもあった。そして同時に、その辺りが彼女達の根本的な問題でもある。だがそれを解決するにはまず、各々の悩みを取り除いてあげるべきだと──

(──説明されてもねぇ……)

 霊夢が溜め息をつく。
 そうやって説明されたのはここに向かってくる道中でのことだった。

(悩みったって、そんな悩んでいるようには見えないけど)

 霊夢は三人の顔をまじまじと見てみる。

 

(魔理沙は……そうねぇ、昔の方が元気だったかもしれない)
 でもそれは若さからだろうと結論する。

(咲夜は大丈夫そうよね。でも少しだけ覇気が無いような気がしないでも……)
 だがそれは仕事の疲れからだろうと結論する。

(早苗はよく分からないのよねぇ……。昔とちっとも変わらないと思うんだけどなぁ)
 恐らくそれは気のせいではないだろうと結論する。



(なんだ、全然問題ないじゃない。でもまぁ強いて言えば、私を含めて四人共独り身だってことくらいかしらね。ふふふ…………)
 
 どこか暗い笑みを浮かべて、霊夢は自嘲する。そんな冗談を呟ける余裕が生まれているのは良き傾向だった。

(紫に誰かと接触を持てって言われたけど、それって悩みを訊き出せってことよねぇ……。そういう踏み出しができないから、今まで思い詰めてたっていうのに……)

 吐く息は重くも暗くはない。疲れることだけを危惧する、ごく普通の溜め息だった。
 手伝うと言った紫だったが〝悩みを聴いてあげなさい〟という高尚な台詞だけで、具体的に何をするのも霊夢一人。内心、一人でできるのかという不安は確かにあった。それでも〝そこまでは甘えない〟と啖呵を切ってしまった以上、鳴りを潜めていた数少ない自尊心が逆毛立てて反応し、紫の袖を引くのを強く拒否した。
 霊夢も、きっと一人でやることに意味があるのだろうと分かっている。だからやれるだけやってみようとは思っている。うまくいかなくても、紫は相談には乗ってくれると言っている。そうやって少なからず背を押すものはあるのが…………。

(あれが悩んでるような顔かしらねぇ)

 今回限りだぞ──と釘を刺されながらも、紫を交えての四人の雑談は盛り上がっていた。
 なんだかんだで博識な紫である。それは会話という舞台の上で、数多の武器を持っていることに等しいだろう。
 それを霊夢は、じと~っとした目で眺めていた。除け者にされているようで気分は良くないが、元々喋りではないのでこの扱いには甘んじるしかない。最近は口数が滅法減っていたのも事実だし、これは三人を観察する良い機会でもあった。

(誰か一人を選ばないといけないのよね……)

「……やんなっちゃう」

 ぼそりと呟かれたその言葉に、三人は首を傾げて、紫だけが肩をすくませた。





「……ありがとうございます」

 店を出ると、紫はさっそくスキマに呑まれて姿を消した。
 四人も特に予定があるわけではないが、例に倣って各々の家路に着こうと散会し始めたそのとき──

「ね、ねぇっ! 今日、あんたん家、行ってもいい……?」
「えっ?」

 半ば焦ったように言葉を突き出してしまったため、関係ない二人までギョッとして振り向いた。

「今からですか?」
「そ、そお。ダメ……かな?」

 腕を掴み、引き止めてそう声を掛けた相手は早苗だった。
 唐突な申し出で霊夢は失敗したかとも思ったのだが、意に反して早苗は物腰柔らかく頷いた。

「もちろんいいに決まってるじゃないですかっ! 霊夢さんが訪ねるなんて何年ぶりでしょう!」

 胸の前で手を合わせ、浮かべる嬉しそうなその表情に霊夢は堪らず恐縮してしまう。

「なんだよ、珍しいな」
「いいじゃない。無粋に割って入ろうなんて考えないことね。それが嫉妬でも」
「咲夜、お前は少しご主人様に似たんじゃないか? 主に胸周りと、口が、なっ」

 魔理沙と咲夜はそんなやり取りをしながら、声を弾ませる早苗に背を向けた。

「それじゃあ早速行きましょう! お腹が空いていればお昼ご飯をご馳走しますねっ!」
「あ、ありがと」

 大人が浮かべるにしてはあまりにも無邪気なその笑み。それが自分に向けられているのだと思うと、霊夢は少しだけ照れにも似たこそばゆさを覚えた。
 それから二人は肩を並べて、早苗の住まいがある妖怪の山まで徒歩で向かっていく。
 並んで歩けば、早苗はあれやこれやと楽しげに話しかけてくる。少しだけ口下手になってしまった霊夢も、それに関しては嫌ではなくて純粋に楽しい時間に思えた。
 だから少しだけ……霊夢が歩幅を短くしながら歩いたのことは、誰にも秘密である。




















「ただいま帰りました」

 そう言って早苗が戸を引いて中に入る。

「……お邪魔します」
「今日はお友達を連れてきましたよ」

 ドタドタドタ────。
 駆けてくる音の次に、顔を覗かせたのは神奈子と諏訪子だった。霊夢の顔を見るなり、何故か落胆したようにこう言う。

「なんだぁ、男じゃないじゃない」
「だから言ったでしょ。早苗に男連れ込む甲斐性なんて無いって」
「もうっ、霊夢さんの前でそういう話はやめてくださいよっ」

 仲良く団欒しているところに、霊夢が声を割り込ませる。

「べ、別にすぐ帰「早苗は顔がいいんだから、さっさと男を捕まえて所帯を持つべきよ。いい歳なんだし」
「ちょっと、話を「ああ、そうだった。性格だって申し分無いよ。うん!」
「……くぉら」

 神奈子の頭を小突く。

「あら、霊夢。まだいたの?」
「しばらくいるわよっ!」
「というかあんたぁ、随分と老けたわねぇ。別に無理していることなんてないんだから。さ、帰っていいわよ?」
「生憎だけど、そうはいかないの」
「帰っていいわよって言ってるのよ?」
「だからね、用があって来てるんだから……」
「帰っていいわよって言ってるのよって言ってるのよ?」
「…………早苗、助けて……」

 疲れた面持ちで、早苗に助けを求める。

「神奈子様っ、久しぶりにこうして来てくれたんですから、素直に迎えてあげてください」
「あ~あ、こりゃ神奈子、早苗に嫌われたね。早苗の子供を先に抱くのは私で決まりかな~」
「わ、分かったわよ……。霊夢、命拾いしたわね」

 ビシッ──と人差し指を向けられる。

(なんで、命狙われてんのよ……)

 こんな応対を面倒くさいと思う反面、なんだか微笑ましくもある。
 きっと二人は早苗が好きで、早苗も二人が好きなんだろう。そんな味方が身近に二人もいて、霊夢は早苗のことが少しだけ羨ましく思えた。


 ──悩みを抱えているわ。


 ふと過ぎる紫の言葉。
 本当に……こんな二人といる早苗が悩みを抱えているのだろうか。仮に抱えていたとしても、それに気付かない二人だろうか。

「かぁ~っ! なんで早苗ってばそんなに奥手なのかしらねぇ!」
「そうそう。そんなんじゃ男は靡かないって。もっとこう、押し当てたりとか」
「えっ、えぇっ? お、押し当てるって何をですっ!?」

 目の前で言葉を交わす三人は……紛れも無く、誰が見間違うでもなく、口を揃えて〝家族〟と呼ばれるだろう。どうやら早苗は、霊夢のように壁を作ってしまっているということではないらしい。
 万が一、早苗が悩みを抱えているとする。でもそうなると、あの二人でも解決できないほどに深く、触れられないほどに繊細な問題になってくる。
 それを無難な言葉だけを選んで接してきた自分が、なんとかできるなんて有り得るのか。こうしておこがましくも家まで押しかけて、偉そうにも助けてやろうなどと思っている。そんな自分は、彼女の心にあるであろうその悩みすら見つけられるかも分からない。
 見せ付けられる三人の仲に、霊夢は早くも不安を覚え始めていた。





 和室に通されると、約束通り昼食を作ると言って早苗と諏訪子は出て行った。
 その場に残されたのは霊夢と神奈子。神奈子は部屋の隅に積まれた座布団を一枚取って、それを敷いてからあぐらを掻く。

「あ、私のは?」
「ん~?」
「座布団」
「〝取ってください。神奈子様〟」
「…………。……取ってく「やっぱり〝美しい神奈子様〟に変えよう」

 目の前のテーブルに肘をつき、霊夢に挑発的な目を向けている。

「……もういいわよ」

 四つん這いの格好で這っていき、一枚取って神奈子の対面へと腰を落ち着かせた。

「…………」
「…………」

 やたらと静寂な室内。
 神奈子は肘をついた手の上に顎を乗せて、そのまま目を瞑り何も発さない。

(……聞いてみるべきかしら)

 開け広げられた襖の先は縁側になっていて、そこからは何に遮られることのない風が緩やかに流れ込んでくる。冷たい風だが、イ草の匂いがそれに乗って鼻腔をくすぐった。なんとも落ち着くその匂いに、霊夢は眠気を誘われる。
 うとうと、うとうと……。
 頭が大きく傾いて、その拍子に霊夢はハッとして目を見開いた。気が付くと、神奈子がじぃっと視線を向けている。

「あんたさぁ、なにしに来たの?」
「…………」

 霊夢はなんと言ったものかと言葉を探す。

(素直に、悩みを訊きに来た……なんて言った日には、変に警戒されるかもしれないわよねぇ……)

「昔はそこそこ顔を見せてたけどさぁ、最近はちっとも顔を見せなかったじゃない。なのに急に押しかけてきて、それがただ昼食をご馳走になりに来たわけじゃないでしょ?」

 流し目でそう問われ、鋭い切り口に探していた言葉が吹き飛んでしまった。

「まぁ別にね、ただ単に遊びに来たなら何も言わないよ。早苗も喜んでるし。んで、そこんところはどうなのよ。ねぇ?」
「それは……」

 喉の奥が詰まり、何も言えなくなってしまう。
 神奈子は意地を悪くして言っているのでなく、霊夢が己達に降りかかる火の粉ではないのかと危惧しているだけなのだ。
 そんな胸中を察すればこそ、霊夢は虚実どちらを口にすればいいのか迷ってしまう。嘘で誤魔化すのは簡単だが、それはどこか心苦しい。かといって正直に語れば、余計なお世話だと火の粉のように払われるかもしれない。
 そんなせめぎ合いの最中、空気を入れ替えるように縁側とは逆側の襖が開いた。

「お待たせしました」

 早苗が大きなお盆を持って部屋に入って来る。

「煮込みうどんを作ってみたんですけど、霊夢さん、お好きですか?」

 霊夢はゆっくりと頷いてから少しだけ、神奈子に視線を動かした。すると彼女は──

「霊夢、美味い以外の単語を発したら……ドンッ! だからね?」

 握り拳をパッと開く動きを見せて、霊夢を脅迫していた。
 早苗の運んできたお盆の上には一つの大きな鍋と、取り分けるための小皿が人数分乗せられている。そして少し遅れてから諏訪子も現れ、同じように運んできたお盆には麦茶の注がれた人数分のグラスが乗っていた。
 それをテーブルに並べてから二人も腰を下ろし、号令と共に箸が鍋に伸びる。

「「「いただきまーすっ」」」
「…………いただきます」

 冷たい縁側からの風が吹き抜けていく中、できたてで熱い早苗の煮込みうどんは、身体に沁みこんでいくように美味しかった。 

「霊夢さん、美味しいですか?」
「えっ、あ、うん。すごく美味しい」
「それは良かったです」

 にっこりと笑って、もっと食べてください──と勧めてくれる。
 その反応に、霊夢は思ったことを素直に言えて心の底からほっとした。

「早苗が作ったもんが不味かろうはずがないじゃない。ねぇ?」
「そうだね。神奈子に爪の垢を飲ませてやりたいよ」
「せめて煎じてからにして欲しいわ……」


 こんな調子で悩みを訊き出せるのか……。


 そう不安が過ぎっては、啜るうどんの美味しさに消えていく。
 そして、気が付いたのは鍋の底が見え始めてからだったが、霊夢はこんなにも大勢で食事をしたのが数年ぶりで、胸に広がる暖かさがうどんの熱以外の暖かさだと分かると、最近緩みっぱなしだった涙腺から涙が滲んだ。

「わ、わっ!? 霊夢さん、どうしましたか? しょっぱかったですか?」

 そんな気遣いの言葉を掛けられると、むしろ逆に涙が溢れる。



「まぁまぁ早苗、涙ってのはね、流れるときに流しておいたほうがいいんだって」

 そう言って、諏訪子は残りのうどんを自分の小皿に盛った。

「そうそう。人間ってのは無駄なく作られてるんだから、さ」

 そう言って、神奈子は鍋を傾けて自分の小皿に残り汁を注いだ。

「そ、そうかもしれませんけど……大丈夫ですか?」

 そう言って、早苗は霊夢の後ろに回って背中をさすった。



「……あ、あぁ、ごめん。ちょっと最近涙脆くて」

 肩で涙を拭うと、霊夢は照れた笑顔で早苗に言う。

「そうですか?」
「まぁ、そうね。寂しくなったらまた来ればいいよ。あんたは、私たちの友人でもあるんだからね」
「……ぐすんっ」
「あ、あーっ!?」

 その言葉に霊夢の止まりかけていた涙は再び浮かび、それに早苗が酷く慌てる。
 いつもとは違った賑やかさに、神奈子と諏訪子はけらけらと笑った。
 霊夢だけが……嬉しいような悔しいような、曖昧な気持ちで目を擦っていた。


















 翌日、霊夢の姿は同様に守矢神社にあった。

(結局……うどん食べただけだった……)

 縁側に腰掛け、昨日の反省をする。

(美味しかった……)

 あんまり反省していなかった。

「あら、なによあんた。また来たわけ?」

 神奈子に見つかって、そう声を掛けられる。
 霊夢は一度だけ彼女の顔を見ると、興味なさそうに視線を外の境内へと移した。

「昨日の今日でかなり怪しいわね。なにか企んでるんでしょ?」
「脈絡ないこと言わないでよ」
「早苗のパンツでも盗んで、日銭を得ようとか」
「思ってないわよっ!!」
「あ、そ。じゃあどうしてよ?」
「……別に、来ていいって言ったじゃない」
「えーっ!? あんな社交辞令を本気にしたの!? やっだー、霊夢ってば天然ねぇっ!」

 面白い面白い──と笑う神奈子に、陰鬱な表情で霊夢が振り向く。

「……泣くわよ?」
「う、嘘に決まってるじゃないの」

 昨日から、妙に殊勝な態度の霊夢にどことなくやり辛さを覚える神奈子だったが、それでも〝歳取ればこんなもんか〟と特に疑問は抱かなかった。
 しばらく霊夢の背後に突っ立っていた神奈子だったが、何気なしに霊夢の隣へと腰掛ける。

「ねぇ、あれってなにやってんの?」
「ん?」

 霊夢が指差す境内の一角。そこには早苗と、早苗と同様に巫女服姿の少女達がなにやらやっていた。

「人間の子供がこんなとこまで……珍しいわよね?」
「ふむ。それじゃあお前さんは人間じゃなかったのか。道理で……ってああ、もう子供じゃないわね」
「話の腰を折らないでよ。割と真剣に訊いてるんだから」
「まぁ、それなら答えるけども。あれは……そうねぇ、跡継ぎを育ててるようなものね」
「跡継ぎ?」

 神奈子の顔を見れば、それが嘘でないことはすぐに分かる。

「私もね、そんなことする暇があったら、早く男捕まえて子供を作れと口を酸っぱくしてるんだけど。本人はああやって、自分の後継者を育てることばっかりに精を出しちゃってさ、困ってんのよねぇ。自分の子供に継がせればいいのに」
「ふーん……」

 御幣を振ったり、なにやら復唱させたりしている。思いのほか一生懸命やっているようだった。

「ところでさ、霊夢。あんたはいい男いないの? この場合の〝イイヒト〟とは男と書いてヒトと読む」
「なによ、唐突に」
「あーっ、その顔はいるのねっ! ちょっと早苗にもコツを教えてやってよ」
「……残念だけどいないわよ。縁がなくてね」
「ほんとにー?」
「嘘言ってどうすんの」
「ほんとのほんとー?」
「…………」

 随分とお茶目な神様である。

「そう、いないの。でもさ、その歳でいないってのは大変ね」
「なんでよ?」
「だって、食いぶちを自分で稼がなくちゃいけないじゃない」
「そんなこと別に珍しくないでしょ。里に行けば畑を耕す年頃の女性なんて大勢いるわ」

 自分の年代を年頃と言える辺り、大したもんだと神奈子は口を尖らせる。

「でもさ、一人じゃ満たし難い三大欲求のアレがあるだろう?」
「や、やらしいこと言わないでよっ」

 からかってすっきりしたのか、尖らせた口を元に戻す。

「霊夢も顔はまぁまぁいいんだから、不細工な男の一人くらい捕まえられるでしょうに」

 随分な言われようだが、霊夢は鼻で笑う気にはなれなかった。

「その不細工な男一人捕まえられないのは御宅のお姫様と一緒じゃないの。言われる筋合いは無いわね」
「はぁ? 早苗に寄ってくる悪い虫は一匹残らず──プチッ! だから問題ないわ。……と、まぁ、早苗のことは置いておいて、それじぁああんたはどうやってご飯食べてるわけ? うちは多少なりとも信仰してくれる方々がいるからあれだけど」
「ど、どうって……御賽銭とか……」
「それだけじゃ全然でしょ。聞くところによればあんた、妖怪退治なんて全然請け負わなくなったそうじゃない」



「…………」



 霊夢の顔色が変わる。それは……あまり触れられたくない話題の表れだった。
 神奈子は早苗のほうを見ていて、霊夢のその挙動には気付いていない。……いや、もしかしたら、気付いていないフリをしているのかもしれないが。

「本当に……御賽銭だけよ。嘘じゃない」

 歯を食いしばるような思いで、事実を口にする。
 以前までは確かに御賽銭の量は微々たるモノだった。だが最近は比べ物にならないほど増えている。贅沢ができるほどではないが、一日の食には困らない程度の金銭は得られていた。

「そりゃあの妖怪、不気味だもんねぇ」


 あぁ……やっぱり……。


 全てを見透かされていると、霊夢は痛感した。
 神奈子の言う通り、御賽銭が増えたのはあの妖怪が現れてからだ。ここからはよく見える。ちょうどその妖怪達が食事のために人里に集まりだしていた。
 女子供は家に篭り、それらを背負って男が地を蹴る。絶望的な犠牲が出るわけではない。運が悪くとも、数人の死者で済むだろう。
 それだけで済む理由を今は省くが、例え僅か数人の犠牲であっても、その犠牲者の親族友人から見たら絶対的な一人であったに違いない。そして今日は無事だったとしても、同じような危険はいつまでも続く。



 なればもう……神にもすがりたくなるだろう……。



 この敏感な時期に、誰が好き好んで"妖怪"の山に入るのか。それなら向けられる歩は博麗神社だけだった。
 霊夢にも自責の念はあった。巫女である自分がそうした妖怪を野放しにしている罪。突き詰めれば……今まで死んでいった者達は自分が殺したのではないのか……。
 そんなことを知ってか知らずか、毎朝、毎夕、毎夜……老若男女問わず、博麗神社には訪問者が訪れた。
 そして大切な誰かを想っては銭が投げられた。ひたすらに身を案じる言葉が紡がれる。霊夢はそれを毎日聞きながら……その投げられた銭で米を買い……空腹を満たしてきた。あの妖怪が血を浴びるほど、賽銭の量は増えていく。自分が野放しにしている妖怪が里を襲うことで、霊夢の生活は成り立っていたのだ。
 だからこの数年、食事が美味しく感じたことはなかった。だから昨日は思わず涙が零れた。本当に美味しくて……胃だけではなく心まで満たされた。
 
「な、なによ……私を責めてるの? さっ、早苗だって、あいつらを放置してるじゃ──」
「あんた……っ!」

 ハッ──として口を噤んだときにはもう遅かった。
 神奈子が立ち上がる。そして霊夢の襟首を掴んだ。

「自分の見識で反論するならまだしもっ……! 他者の名前を出して自分を正当化しようとするなんて……霊夢、ちょっと見ない間に随分と落ちぶれたものねっ……!!」
「……っ」

「な、なにやってるんですかっ!?」

 怒鳴り声を聞いた早苗が駆けて来る。

「なにをしようとしてるかは知らないし、言いたくないっていうなら追求しない。けどね、もし早苗を泣かしたり、早苗を貶めるようなことをしたらタダじゃ済まさないからね」

 どんっと霊夢の胸を押してつけ放し、そのままどかどかと歩いて行ってしまう。
 早苗が近寄ってきて、尻餅をついた霊夢に手を差し出した。

「だ、大丈夫ですか? なにがあったんです?」
「…………」

 その手を掴まず、自分で立ち上がる。
 言葉は出てこなかった。出るかと思った涙も同時に出てこない。
 ただその代わりに、胸の中で一言だけ呟いた。



 ごめん……失敗したかも……。



 正論を突かれ、その責任を友達に擦り付けるなんて言い返しようがなく最低だ。差し出された手を……握れるはずもなかった。
 もう一度……ここに来ることができるかすらも危うい。一度降りてしまったら、次に登る勇気が自分にはあるだろうか。
 早苗の心配そうな顔が目に飛び込んでくる。
 たった今……自分の罪を擦り付けてしまったというのに。知らずにだろうが、向けられたその表情が耐えられなかった。
 霊夢は静かに踵を返し、早苗の引き止める声を背中に受けながら……一人、山を下って行った。




















 案の定、霊夢は神社から出れずにいた。

「……なんで、こうなのかな…………」

 自分が嫌になると吐き捨てて、霊夢は一層深く膝を抱え込む。
 その姿は言葉を待っているようにも見えた。優しい言葉の一つでも……それは決して贅沢ではないが、甘えた考え方だった。

「…………」

 当然、紫は姿を現すことなく、ただただ一人で向き合わせられる。
 このままあの生活に戻ってもいいのか。何年も待ってせっかく生まれたきかっけを、こんなふうに他愛も無い躓きで、簡単に手放してしまっていいのか。しがみ付いてでもと意気込んでいたのは虚勢だったのか。
 いろんな言葉が湧いては消えて、それに伴い時間が過ぎていく。
 そして日が暮れ始めた黄昏時、境内に入ってくる人影が目に付いた。

「泣いてるの?」
「……夕日が目に沁みたって言ったら、信じてくれる?」

 その小さな影は諏訪子だった。
 彼女は霊夢を見つけるなり、縁側からすたすたすたと中に上がりこんで、その横にちょこんと座る。

「神奈子に苛められたんだって?」
「……苛められたというより、叱られた気分だわ」
「あぁ~あいつってば偉そうだもんね」
「…………」
「…………」

 霊夢の調子が思いのほか暗くて、諏訪子は柄にもなく気遣いの言葉を探すのだが……すぐにどうでもよくなった。

「まぁ、聞き及んだ範囲じゃ霊夢が悪いもん。仕方ないんじゃない?」
「分かってるわよ」
「それで、実のところなにか企んでたんでしょ? なにをしようしてたの?」
「…………」

 企てているのは事実だったが、二度訪れただけでそう問われるほど……自分と彼女達が縁遠くなってしまっていたことを、霊夢は思い出させられた。
 そして今向けられた問いに対して、どう答えるべきか考える。

(……ここが、正念場かもしれない)

 分岐点だとも思った。
 幸運にも、こうして俯いてる自分に誰かが寄って来てくれた。なればその手を、遠慮がなくも取るべきではないのか。今の自分には……そうした図太さも必要だと思った。

「……じ、実はね」
「うん」

 事実を少しだけ曲げて、けれど大きな嘘にはならないようにして諏訪子に語る。

「さ、早苗が最近……悩んでいるように見えて……」
「えっ?」

 残念だが、霊夢の目にはそう映っていない。しかし、なにもこれは非難されるような嘘ではないと思う。もし今言ったことが的外れならそれに越したことはないし、その通りなら、自分が力になると明言しておくのは事態を少しだけ進展させるだろう。
 諏訪子は驚いたように目を丸くして、次の言葉を待っていた。

「だからね、なにか助けになれないかなって」
「……そう」

 その言葉に偽りはなかった。
 近くで接してみればよく分かる。早苗はとんでもなくお人好しで、誰にも好かれる天性の気質を持っている。幼い頃にはいまいち分からなかったことだが、歳を重ねてから、一層人に優しくできる素晴らしい人柄だと霊夢は思った。
 神奈子ではないが、所帯を持てていないのが不思議に思える。容姿だって悪くなし、あんな気配りができる娘はそうそういないだろう。結婚すれば良き妻となり、子供に恵まれれば良き母となることは疑いようもない。
 そんな友人が悩んでいるとするなら、助けてあげたいと思うのは本心からだった。

「あんた達、疎遠になっちゃってたと思ってたんだけど、ちゃんと通じてたんだね」
「…………」

 真実なら……その言葉には頬が緩んだだろう。しかし今は……少しだけ胸が痛んだ。

「確かにね、早苗はちょっといろいろ抱え込んでるよ。あんな性格だしさ。背負わなくてもいい事ばかりを背負ってさ」
「…………そうなの」
「今はまだ大丈夫そうだけど、そのうち押し潰されそうになってひぃひぃ言うかもしれない。……いや、もしかしたら、聞こえないくらいの小さな悲鳴で、今も泣いてるかもしれない。
 でもそれはさ、悪いことじゃないんだよ。早苗の良い部分でもあると思うんだ。もちろん、ちょっと行き過ぎてるなぁと思うときもあるけど、早苗が好かれる部分でもあるからさ。あんまり強くは言えないんだよね」

 夕日に伸びる影は……霊夢よりずっと短いというのに。この少女が思うところはなんと深いことか。
 霊夢は少しだけ、勇気を出して口を開いた。

「も、もし、あんたがいいって言うなら……手伝わせてくれない……?」
「なにを?」
「早苗が悩んでるんでしょ? それで、あんたもどうにかしたいって思ってるんでしょ? だったら一緒に……」
「図々しくも助けてあげようって?」
「あっ……」

 嫌な切り返し。だがそれを嫌だと思うということは、それだけの理由があるということで……。

「図々しいくらいじゃないと人は救えないと思うよ。救う、なんてちょっと大袈裟かもしれないけど、そういうことでしょ? 
 嫌われるくらいの覚悟がなきゃ、とてもじゃないけど厳しいよ。これから踏んでいくのは、人の心の一番柔らかい部分だからね。それくらいの覚悟がなくちゃ、途中で腰が引けて膝が折れるって」
「覚悟……」
「嫌われたくないっていうならそれに相応しい付き合い方があるよね。でも、それじゃあ嫌なんでしょ? 自分がどう思われるかじゃなくて、相手がどう思えるか。そういう思いやりを抱けるような関係を、霊夢は望んでるんでしょ?」
「…………そうね。その通りだわ。嫌われるのは確かに嫌だけど、でも、もっと仲良くなれば、もっと美味しい料理をご馳走してくれるに違いないものね」

 そう言って、諏訪子に笑ってみせる。

「少し、安心したよ。ここまで訪ねてきて、本当に"へたれいむ”だった日にはどうしようかと思ってたから」
「本当は落ち込んでたのよ。……でもまぁ、もう少し頑張ってみますか」

 ここまで他人のために頑張るなんて、利己主義を紐解いて言えば本当に馬鹿馬鹿しい。
 だがしかし、一人で闇雲に生きていた以前よりも、確かに感じる充足感があった。
 もう少し頑張ってみよう──そう思えたのは、ほんの少しだけ……その餌に釣られたからでもあったりする。




















 次の日、霊夢は諏訪子と共に人里にいた。

「お、やっこさん、動き出したよ」
「…………」

 そう言って追いかける背中は早苗のものだ。
 二人は木陰に隠れて、先を行く早苗の後を何故か追っていた。

「ねぇ、こんなことして意味あんの?」
「あるある、大有りだよ」
「どんなよ……?」
「あ、ほらっ、行くよっ!」
「…………」

 後に諏訪子に改めて訊いたのだが、あれだけ大層なことを言っておきながら、分かっているのは何か悩んでいるだろうということだけだった。その内容については知らないと無い胸を張り、なれば探ろうということで今に至る。
 霊夢は溜め息をつきながら、とてとてと走る目の前の同伴者に続いて早苗の後を追う。

「うーん……いまいち面白くないね……」
「期待してるものが違くない?」
「あーっ!?」
「え、えっ? なにか分かったの!?」
「ほらっ、ほらっ!」

 諏訪子の指す指の先を目で辿ると、早苗が同い歳くらいの男性となにやら話しこんでいた。

「あれは早苗に色目を使っているという噂の男(壱)だよっ!」
「………………ふーん」
「あんな男ダメだよ。なにより髪の毛が汚い。せっかく綺麗な髪質の女の子に育ったんだから。あんなのの配偶者になったら残念な髪質の子供しか生まれてこないよ」
「相手に聞かせたら相当落ち込むわね」

 ぺこりと会釈をして、早苗はその男から去って行く。

「ほらっ!! 予想通り愛想尽かしたわ。髪の毛洗って出直して来いなんて言われてるんだよ、アレは」
「髪質は洗ってもどうにかならないでしょうに。というか、あんたも結構神奈子と同じような調子なのね」
「でも油断はできないよ。まだ第弐、第参の噂の男が……」
「……はぁ」

 疲れから溜め息が重くなる。
 それでも途中で投げ出すわけにはいかず、その後も諏訪子に付いて、早苗の後を追い掛け回した。

「あぁっ!? あれは今実力ナンバーワンと言われている噂の男(拾参)……っ!!」
「どれだけいるのよっ!!」

 霊夢が諏訪子の頭を小突くと、諏訪子は至って真剣な面持ちで霊夢を見た。

「早苗はモテるのよ。もう、引っ張りだこなんだから。まぁ、全盛期の私ほどではないけど」
「なんでそこでちょっと自分を自慢するのよ」
「まったく霊夢は……自分が男日照りだからって八つ当たりは──痛たたたたっ! あっ、ご、ごめんって!」

 諏訪子の両耳を引っ張りながら、霊夢は早苗を目で追っていた。
 自分と違って交友関係が広い。人望が厚いようで、男女構わず声を掛けられている。それに対して律儀に耳を傾け、笑顔で言葉を返す早苗はやはり人に好かれる性質なのだろうと霊夢は思った。

「ほら諏訪子、後を追いかけるんでしょ? 早くしないと見失っちゃ──」



 ──うおぉぉぉぉぉーーーーっ!!



 そのとき、昼の喧騒とは色の違う叫び声がその場に咲いた。次に悲鳴。
 何事かと霊夢と諏訪子はすぐに視線を彷徨わせる。
 すると、早苗の目の前に初老の男が尋常ならざる眼つきで佇んでいた。手には刃物が握られている。鼻息は荒く、取り乱したような様子が危機感を煽った。

「霊夢──っ!」
「え、あ、うんっ」

 駆けた諏訪子にハッとした。それまで呆気に取られていた自分に舌打ちをしながら、霊夢も同様に早苗へと駆け寄る。

「あ、貴方は……どうなさったんですか?」

 尾行を気付かれる恐れから距離はかなり取っていた。それでも声だけは聞こえる。しかし、早苗とその男を中心にして、周りの人間達が輪を広げるように後ずさっていく。昼時ということも相まってその人混みの壁は想像以上に厚い。そのせいで押し戻されるようにして満足に前へ進めない。

(飛んだほうが……?)

 いや──とかぶりを振る。飛んで降りるまでの時間を考えればこのまま走るのと大して変わらないし、こんな密着した体勢で飛ぼうと思っても逆に危ない。

「か、仇だ……っ!」

 男の怨嗟の言葉が耳を衝く。いよいよ危ないと直感が働く。早苗が普通の人間にやられるなんてことは考えづらいが、相手が普通の人間だからこそ、変な気の回し方をしてしまうのではないかという恐れがあった。
 聞こえる声の鮮明さからしてあと少しの距離のはず。
 そんな中、血の流れる光景に心を病ませている里の人間達は、ついに目の前で起ころうとしているその惨劇に背中を向けて、我先にと駆け出した。

(……くっ) 

 一人の男の肩が霊夢の顔を強く打つ。
 鈍い痛みと、苛立ちをすぐに振り払い、よろけた身体を持ち直して再び駆け出す。
 諏訪子の姿はもう見当たらない。先に駆け出した彼女の事だ。きっと間に合ってくれるとは思う。そう信じたとき……その希望を砕くようにして声は後ろから飛んできた。

「霊夢……っ」
「なっ……」

 振り返らず、前を向いたまま驚愕の短い息が零れる。
 何故……諏訪子の声が後ろから……。霊夢は、心が冷や汗を掻くのを実感した。
 このとき、諏訪子はいち早く駆け出してはいたが、その体躯の小ささから向かってくる人間の身体に弾かれてしまっていた。殺された勢いは取り戻せず、あとは揉まれるようにして僅かな前進しかできずにいたのだ。

「な、なにか悩み事があるなら聴きますよ……?」

(阿呆……!!)

 そんなふうに、目の前で殺気立ってる相手にまで優しくすることがあるか。

「ふうぅ……っ!」

 じりじりと距離を詰める男に対して、まるで信頼を得ようとするように早苗は動かずにいた。
 霊夢の危惧が本物になる。
 このままではまずい。その状況を掴めないまでも、刻々と深刻化するその雰囲気は周りの空気で感じ取れる。 
 そのとき、目の前の人垣が一瞬なくなったのを霊夢は見逃さなかった。
 見通しの良くなった視界の先では、男の間合いに早苗が入ろうとしている。
 霊夢は全霊の力を足に込め、地を蹴り、半ば飛ぶようにしてそこへと向かう。
 
「死ねぇえ……っ!!」

 しかし、大きく振りかぶられた男の腕は……霊夢の目にゆっくりと映った。
 


 どう考えても間に合わない……。



 血の気が引いていく。頭の中が白で染まる。
 なんで誰も助けに入らないのか。誰か一人くらい、女を守ろうっていう男はいないのか。
 停滞する時間の中で、霊夢が抱いたその想いは……自身の言葉によって打ち砕かれた。


 誰のせいで……里の者達が血を恐れるのか……。


 言葉が出ない。自身の言葉に反論すらできない。
 家族を……血の繋がりを持つ者を守るときでさえ、足がすくんで動けないというのに。いかに好かれていようと、誰が他人である女のために身を投げ打つのか。
 考えてみれば当然のことだった。そんな卑屈な思考だったが、そのおかげで霊夢は足を止めることなくいられた。

(私が行くしか……っ!)

 振り下ろされる刃物。無傷で助けることは無理でも、その命だけは絶対に拾わなくてはいけない。なれば止まることは許されなかった。
 他人の助けを夢想して歩を止めるなど愚の骨頂。早苗が急所を庇うことを信じて、流れる血を最小限に食い止めることだけを考える。


 ──助けになれないかなって。


 記憶に新しい自分の言葉。
 悩みを解決するだとか、そんな複雑なこと以前に、目の前の彼女を庇うなんて簡単なことが……今、できずにいる。

「……っ」

 早苗が息を呑むのが分かった。
 幸い、両手は顔を庇うようにして前に組まれた。これならば下ろされる刃物を防いで、最悪の結末は避けられるだろう。

(はぁっ!?)

 しかし、男の挙動が僅かに変わる。
 そのまま勢いよく振り下ろされるかと思った腕が、途中で後ろへと引かれたのだ。それは突き刺す動きの……前挙動。

「早苗えぇっ!!」

 叫ぶ。だが早苗は今になって恐怖を堪えられなくなったのか、目を瞑ってしまっている。早苗とて女性だ。いや、女性男性問わず、目の前で刃物が振りかぶられたら直視できる者は少ないだろう。
 目一杯後ろへと引かれた男の腕は、早苗の腹部を抉るべく突き出された。
 弾幕を放つには二人の距離が近すぎる。それでも……あんなモノで身体を刺されるよりかはマシだとすぐに判断した。手を開き、不思議な灯りがそこに宿る。それを二人に向けた刹那、目の前を逃げ惑う人間が横切った。

(……っ!?)

 すぐに手を仕舞う。だが同時に宿っていた灯りも消えてしまった。
 もう時間は無い。男が挙動を変えた僅かな隙は、既に使い尽くしてしまった。
 霊夢が手を伸ばす。どう見てもまだ届かない。だがそれは、助けたいと思うあまりに伸びた……本能的な動き。



 その手の先で……朱が舞った──。



 鮮血が舞う。網膜に焼きつくような毒々しい赤色。
 それを見て、霊夢は膝をつきそうになった。
 しかし次の瞬間、それを堪えて力強く疾駆する。

「ぐっ、はっ……!?」

 短い悲鳴が零れた。その悲鳴は……男と早苗の間に割って入った、別の男の口から漏れた。

「あれは……身体の丈夫さに定評のある噂の男(伍)!!」

 背後から押し迫っていた諏訪子がそう叫んだ。

(上出来だわ。噂の男(伍)……!!)

 庇うように割って入った男は自身の両手を前で重ねるようにし、そこを初老の男の刃物が貫いている。そしてそのまま掴んで放さない。

「くっそっ……!」
「うぐぁああ…………っ!!」

 力任せに刃物を動かされ、男は激痛に鳴いた。

「それっ! 放して!!」

 駆けつけた霊夢がそう言い放つと、両手を血で汚した男は歯を食いしばって掴んでいた刃物からそれを抜き去った。
 
「……っ!?」

 勢いを殺しきれず、後ろによろけた初老の男が二人から離れる。
 それを見届けてから、霊夢は渾身の蹴りを男の顔に打ち込んだ。

「かっ……!?」

 男は吹っ飛び、鼻を押さえる。
 だが、蹴られた拍子に自分の手から刃物がなくなっていることに気付くと、男は不恰好なまま逃げ出した。





「早苗ぇっ!!」

 諏訪子が早苗に抱きつく。それでようやく安心したのか、強く瞑られていた目を開いて、安堵の声を漏らした。

「だ、だめかと思いました……。え、えへへ」


 そして、何故か……笑ってみせる。


 それに違和感を覚えたのは霊夢だけだった。諏訪子は身を包む脱力感に支配されているようだった。
 怖かったはずだ。恐ろしかったはずだ。訪れるかもしれない痛みを、死を、身を震わせて慄いていたはずだ。
 にもかかわらず笑ってみせる。まるで……周りを不安にさせないように。それは優しさからかもしれないが……どこか人として、間違っているような気がした。

「はぁ、はぁ……くっ」

 誰かが呼んだであろう里医者が、身を呈して庇った男の両手を治療していた。
 男は涙を流している。尾を引く恐怖と、絶え間ない痛みと、沁みこんで来る安堵感。恐らくはその辺りから涙が来ているのだろう。情けなくも表情は歪み、とても見れたものではない。
 だが、誰が彼を笑えるだろうか。早苗が好きだったからとか、そういう特別な引き金だったかもしれない。それでも迫り来る脅威に身を曝せる勇気は、決して嘲られるものではない。その勇気は、とても気高いものだ。
 しかし、その気高さを持ってしても、彼は顔をぐしゃぐしゃにして、心底自分の生を感謝した。そしてそれが、人としての正しい在り方ではないのか。

「噂の男(伍)、あんたよくやったよっ。見直したよっ……」
「え、えっ? なんですか……?」

 聞き慣れない呼ばれ方に疑問符を浮かべる男の肩を、諏訪子は嬉しそうに叩いていた。二人とも涙交じりで、鼻をぐすんぐすん言わせていた。
 早苗はそれを見て……笑っていた……。涙はもうなかった。まるで、無理して枯らしたような気さえする。
 
 今日……やっと、早苗の問題点が見えた気がした。
 
 早苗の笑顔と、霊夢の無表情さだけが……その場に酷く場違いだった。


















「ぬわぁああああにぃいいいいっ!?」

 守矢神社に品の薄い叫び声がこだました。

「か、神奈子様……あの娘達が気味悪がってますので、あまり大きな声は……」
「だって、だってさ……うちの可愛い早苗が暴漢に犯さ「襲われただけですっ!」

 神奈子を小突くと、早苗はぷいっと顔を背けて自分を待つ教え子達の元へと行ってしまった。
 隣で霊夢が呆れる息をつくと、神奈子は蛇の如し睨みを向ける。

「なんであんたがついてながら、そんな危ない目に遭うのよ」
「し、仕方ないじゃない……結構離れてたんだから」
「それがまずおかしいってのよっ! どうして早苗の揺れるお尻を前に我慢ができるのか……」
「私は変態かっ!!」
「だって同性愛者でしょ?」
「なんでよっ!?」

 くわっ!──と強く否定する。

「男に興味が無いと聞くんだけど」
「だからね、縁が無いだけであって……そりゃ私だって、いい男がいればごにょごにょ……」
「この場合の〝イイヒト〟とは、女と書いてヒトと読む」
「男よっ!! もう、あんたといると疲れるわ……」

 出されたお茶を啜り、長い長い息を吐く。
 あんな揉め事があった二人だが、顔を突き合わせてみればいつも通りだった。

「お二人とも、なにやってるんですか」

 戻ってきた早苗が声を掛ける。

「ん、もういいの?」
「ええ、午前中に色々やりましたから。そんな一日中気を張ってやっても仕方ないですし」
「そお。それじゃ行きますか」

「早苗っ!!」

「うわっ!? もうっ、びっくりするじゃないですか」

 急に飛びついてきた神奈子を少しだけ嗜めて、どうしたんですか? と早苗が優しく問いかける。

「もし、次、暴漢に襲われそうになったそのときは……霊夢の貞操を捧げてお前だけでも逃げるのよ? いいわね?」
「なんであんたは、そっちにばっか話を持っていきたがるのよ……」
「もうっ、あんまりくだらないことばかり言うようでしたら、神奈子様でも私怒りますよ?」
「くっ……霊夢あんた、よくも早苗を懐柔したわね……っ」
「日頃の態度の差としかいいようがないわ」

 そんなやり取りをして、霊夢と早苗は山を下りた。





「物騒な世の中だな」

 この集会の番長こと、魔理沙が腕を組みながらそう言った。

「まだ捕まってないんですって? それは貴方、本当に気をつけないとダメよ?」
「分かってますよー。それに、いざというときは霊夢さんが守ってくれますからね!」

 ひしっ!──と、隣から伸びてきた手に手を握られる。
 頼られるのは悪い気がしないのだが、血を流して守った男がいる以上、その台詞はその男に向けてあげるべきではないのかと霊夢は複雑な心境になる。

「……あれっ、おかしいな。お前達二人の後ろに百合の花が……」
「それくらい友情が絵になるって意味よね。そうよね。ありがとう」

 わざとらしく目を擦る真似をしながら魔理沙が言うと、霊夢は早口にしてそう答えた。
 あらぬ誤解を前に手を振り払おうと思う霊夢だが、いかんせん邪気ない彼女のやることゆえ、どうにも一方的な態度が取りづらい。
 それでもしばらくすると早苗のほうから手を引いて、別の話題を切り出していた。

「はぁ……」

 最近やたらとつく機会が増えた溜め息。それを今日も今日とて深くつき、三人の会話をぼーっと聞いていた。
 手元の洒落たカップを指でなぞり、口元まで運んで小さく喉を鳴らす。カッコつけて砂糖とミルクを抜いたその珈琲は、緑茶とは違った苦さで口の端が歪んだ。

「──そんなときも霊夢さんが守ってくれますよっ!」
「えっ?」

 ひしっ!──と、再び掴まれる霊夢の手。

「……あれっ……二人の後ろに百合のお花畑が……」
「なにを隠そう私の先祖は百合の花なの。きっと今夜は百鬼夜行ね!」

 ばしっ!──と、今度は自ら掴まれた手を振り払う。

「百鬼夜行って……やっぱり、霊夢の先祖は妖怪だったのね……」

 確信犯である咲夜の煽りを無視し、その日の集会は終了した。





「じゃあな、早苗。本当に夜道なんかは気をつけるんだぞ?」
「そうよ? 貴方少し間が抜けているんだから、しっかりしなくちゃ」
「はいっ」
(いや……そこは怒るところでしょ……)

 心配してくれることが嬉しいのか、早苗は終始笑顔だった。

「それじゃ早苗、戻りましょうか」
「そうですね」
「……えっ、なに貴方達、一緒に帰るの?」
「そうですよー? だってこの後も霊夢さんはうちに来ますし」
「……えっ? この後"も"……?」

 なんで歳をとってもこんなノリで会話ができるのか……霊夢は頭を抱える。

「咲夜さん、これはいよいよ抜き差しならない関係になりつつあると見ますが……」
「そうですわね、魔理沙さん。それでもお友達ですもの。祝福してあげなくてはいけません」
「そうだな。へへっ、お前達の後ろに百合の大乱舞が見えるやっ」

 演技がかった調子で魔理沙が言う。
 ……思えば、早苗のことが解決したのなら、次はこのどっちかと接点を深めていく必要があるのだ。そう思うと霊夢は頭が痛くなってくる。だから──三回目のその言葉は無視を決め込み、そそくさとその場から退場した。





 二人足並み揃えて、妖怪の山へと向かっていく。
 以前よりもその足が軽いのは、きっと気のせいではない。

「霊夢さん、あのときは本当にありがとうございました」

 唐突に、そうお礼を言われた。

「えっ?」
「霊夢さんが来てくれなかったら……私も、庇ってくれたあの人も、きっともっと酷い目にあってたと思います。だから、ありがとうって言いました」
「そ、そお」

 照れ臭くて……気の利いた言葉が見つからない。だから霊夢は、少し突拍子もない言葉を選んでしまった。

「早苗あんた、女の子が好きなんてことないわよね?」
「えっ、どちらかと言えば好きですけど」
「そりゃそうよねぇ。…………え、本当に?」
「……? え、あっ、ああ、女性が好きだという意味ではなくてですねっ! 子供をいただけるなら、女の子がいいかなぁって。それだけですよっ」
「分かってて言いました」

 ふん、と鼻を鳴らすと、早苗は恥ずかしそうに抗議する。

「もうっ、なんでそんなことを訊くんですか?」
「うん、ちょっとね」

 すれ違う人々の中で、たまに早苗を見つけては心配そうな声を掛けてくる。今日は風が少し強くて、人通りはいつもほどでもないのに早苗の名前は幾度と呼ばれた。
 少なからず、あの事件は里の中で波紋を広げているらしい。


 ──か、仇だ……っ!


 叫んだ男の声色は、怒気のほかに……悲しみを孕んでいた。
 だからか分からないが、霊夢の耳にその言葉がべったりと残っている。きっと、なにか理由があって刃物を握ったのだろう。ただ狂っただけの男の声ではない気がした。

「霊夢さん、申し訳ありませんが、こちらから帰りませんか?」
「……いいけど」

 分かれ道に差し掛かり、いつもとは違う道順で帰ろうと早苗が提案する。それを霊夢は承諾した。
 そしてしばらく歩いたところで、早苗が口を開く。

「どうしてあの人は……私を庇ってくれたのでしょうか……」
「早苗が好きだったからじゃないの?」

 単刀直入に、思ったことを口にする。

「そうでしょうか」
「それじゃあ違うかも」
「もうっ、真面目に聞いてるんですよ?」
「……ごめん」

 適当に返しているわけではなく、自分がなにか言うよりも、早苗自身に語らせたほうがいいと霊夢は思った。

「あんなふうに血を流して……痛かったはずです。ずっと目を瞑ってましたけど、声を聞いただけで痛そうでした」
「そりゃ痛いでしょうね」
「庇ってもらってすごく助かりましたけど……そんなことをしてもらっちゃ、すごく恐縮します」

 早苗は困ったように、小さく笑う。

「さっきの道をそのまま行くと、あの人の家があるんですよ。有名な陶芸家さんに住み込みで弟子入りしてるそうで、陶芸が大好きだと言っていました。貧乏でも、才能でご飯が食べたいっていつも言ってて」
「…………」
「でも、両手を怪我してしまいました。大好きな陶芸も当分できません。自分の才能を磨く大切な時間を、私が奪ってしまったんです。……私のせいなんです」

 優しい言葉を掛けるのは簡単だ。厳しい言葉を掛けるのも、痛む心を少し我慢すれば無理ではない。でもそうじゃなくて、今は真摯さを求められている気がした。

「一度だけお礼を言いに行ったきり、会う勇気が持てずにいます。そんな私を……誰かが好きになるなんてことがあるんでしょうか?」

 そうか……と、理解する。
 早苗は自分に自信が持てずにいるのだ。
 それで、嫌われるのが怖くて、周りに優しくしている……しかし、しかしだ、そう言葉にしてみると、どこかしっくりこなかった。

「……分かんないわよ」
「そうですか……」

 本当に分からなかった。でも、黙っているよりは誠実だと思い、そう答える。

「分からないけどさ、好きとか嫌いとかは発作みたいなものだと思う。なにがああだから好きだとか、あれがそうじゃないから嫌いとか、まぁ……多少はあると思うけどさ、根本的には違うと思うのよね。
 どんなに気に食わない奴だって、好きになっちゃうときは好きになっちゃうし。どんなに平等に接しなければいけない立場の人でも、本能的にあんまり好きになれない人がいると思う。それをさ、自分がああだからとか勝手に思い悩んで、自分をごちゃごちゃ変えてたりしたら、それは違うと思うのよね」

 まるで詩人ね──そうおちょくる紫の声が聞こえた気がした。

「だからさ、早苗も変なふうに考えなくていいと思うよ。今のままで十分だと思う。十分だってことは、ああやって庇いたくなる人も出てくるわけで、それは早苗の魅力に参った向こうが悪いんだからさ。気兼ねすることなく、堂々としてればいいのよ。よく分かんないけど、男ってのはああいう生き物なんじゃないの?」
「……ふっ、霊夢さんに言われても、全然説得力無いですよ」

 そう言って、覇気なくだが笑ってくれた。
 だから柄にもないことを言って良かったと、霊夢は思う。



 そのとき──不自然な茂みの音がした。



「……っ」

 目が合ったその男は……早苗を襲ったあの男だった。
 こちらが気付いたことを察知すると、その男は背中を向けて駆け出した。

「あいつ……っ」
「れ、霊夢さん!?」

 弦を引いた弓矢のように、霊夢は弾かれる勢いでその背中を追いかけていた。

「くっそ……っ」

 男が吐き捨てる。手には何も握られておらず、腰周りにもなにもない。つまり、丸腰だ。武器がないのなら弾幕を使うこともないだろう。霊夢はそれを見越して思いっきり地面を蹴った。

「待ちなさいよっ!!」
「っ……!?」

 襟首に手が届くか否かの刹那に、男は辛うじて身をよじりそれを躱す。

「……ちっ」

 舌打ちをして、今度こそ確実に仕留めるべく間合いを測る。
 幸い、霊夢よりも歳を食っているだろう男の脚力は徐々に落ちてきた。先程よりも距離が縮まる。それを見計らい、もう一度地面を思いっきり蹴った。

「あっ!?」

 しかしそれは宙を切る。
 男は曲がり角を曲がり、なおも逃走を続けていた。
 飛べば早いし、弾幕を使えば確実だ。だが息の乱れるこの感覚が、あのときと被る。自分ではなく、別の男が血を流してしまったあの昼時。忘れかけていた悔しい思いが込み上げてくる。
 そう、これは雪辱戦だった。意味を成さない、彼女一人の小さな戦い。

「はっ……!」

 呼吸を整えることなく疾駆する。
 男の背中が近づいては、曲がり角へと消えていく。恐らくは体力の限界を感じ、霊夢を撒こうとしていることは明白だった。
 角を折れては角に折れる。幾度と重ねるその右左折に、霊夢の姿は完全に男の視界から消えていた。

「ぜぇぜぇ……たっく、なんて女だ……」

 息をついたのも束の間、駆けて来る音が男の耳を衝いた。

「……くっそぉっ!!」

 酸素を求めて暴れだした肺に鞭を打ち、男は再び走り出す。
 
「くっ、はぁ、み、見つけた……っ」

 息も絶え絶えに、霊夢は男の背中を見つけると口元を吊り上げた。
 ここまで追って来れたのは天性の直感のおかげもあったが、なによりも風が強いことが幸いした。男が駆けた後に舞う砂埃が僅かながらの指針となったのである。

「はぁ……はぁ……っ!」

 しかし霊夢ももう若くない。同年代に引けは取らずとも、三十代の身体にこの労働は少々酷だった。限界が近いのは男だけではない。

(なんとか……)

 策を練る。しかし酸欠の頭ではそうそう浮かぶわけもない。
 そのとき、長い一本道に差し掛かった。そして風は追い風……霊夢はあと五、六歩と男に迫ったところで声を掛ける。

「ちょっと見てっ!!」
「……くっ!?」

 男が苦い顔で振り向く。
 それを見計らってから勢いよく────霊夢は地面を蹴り上げた。

「うぁっ……!?」

 巻き上げられた砂埃が凄まじい追い風に乗って、男の目に飛び込み視力を潰す。

「がっ……くそがっ!!」

 それでも走り去ろうとした男は足をもつれさせ、盛大に砂埃を舞わせて頭から転んだ。
 霊夢が地を蹴り、飛躍する。そしてそのまま重力を武器に、男の背中を踵が穿つ。

「かっはっ……!?」

 それで本当に、男は静かになった。





 早苗は追って来なかった。恐らくは先に帰ったのだろう。
 霊夢は倒れた男を道の端に寄せ、上半身だけを起こさせて話をしていた。腰辺りを強打したため、痛みで満足には動けそうもない。

「なんであんた、早苗を襲ったのよ?」
「…………」

 守られる沈黙。しかししばらくすると、男は予想外なことを言い出した。

「お、お前……どこかで見たことあると思ったら、博麗の……」
「……そうだけど」

 頷くと、男は怒気を露わにした。

「ならばお前も奴と同類だっ! 同罪だっ!! 恥を知ることもない小娘がっ……!!」

 その異様な剣幕に、霊夢は後ずさる。
 ただ怒り狂うだけならばそんなことはない。霊夢とて、数多の妖怪を相手にしてきたのだ。人間の怒声如きに怯むはずがない。
 しかし、男は涙を流していた。怒りに顔を歪めながらも、目には涙を溜めていたのだ。

「な、なによ……どういうことよ。言ってくれなくちゃ分からないわ」
「くっ、そ……」

 男は涙を腕で拭うと、少しだけ落ち着きを取り戻したように語り始める。

「今の若い連中は知らないし、お爺お婆は何も言わない。けどな、俺らくらいの世代の奴は知ってるし、でもって俺は無視できねぇんだよ……」
「だからなにが──」
「お前らが英雄だったことをだ……っ!!」
「なっ……」

 英雄──聞き慣れないその単語にも、霊夢はこの男が何を言いたいのかすぐに察した。

「あんたらは……いや、あんたらに限らずだ」

 男の唇が震えていた。それが怒りからか、悲しみからかは分からない。

「昔のお前達は、よく妖怪を退治してくれていた。異変だって我先にと解決していた。ずっと昔だが覚えてる」

 男の言う昔とは……あの頃のことだ。
 ただ楽しく、光り輝いていた……遥か遠くの望郷の対象。

「俺はお前らよりも歳食ってるし、そのとき既に妻子がいた。そして空を飛んでいくお前達を見上げながらに、いつも思っていた。あいつらがいれば大丈夫だ。あいつらが老いても、その子供達が幻想郷を支えていくだろうって」

 そして唐突に、男は震えながらに呟く。

「…………妻を、息子を……してくれ……」 

 細々とした声。切れ切れの言葉に、しかし、霊夢には聞き返すだけの勇気がなかった。
 しばらく男は俯いて泣いた。ただただ、込み上げてきたものを外へと追い出すだけの作業的な涙。やがて男は顔を上げ、噛み付くような声で叫ぶ。

「なんなんだよお前らっ……!! 助けられるだけの力持ってるくせにっ! なんでなんもしてくれねぇんだよっ!! お前らに良心があんならなぁっ、絶対後悔すんぞっ!? この先延々と、背負いきれないほどの十字架ができんだぞっ!? 分かってんのかよっ!?」
「……っ」

 打ちのめされる思いだった。
 霊夢はひたすらに歯を食いしばって、目を強く瞑って、耐えるように握った拳を振るわせた。
 周りには人が集まり始めていた。それを男が睨みつけて散会させる。

「分かってんだよ……筋違いだってこともな……。お前らにだって自由はあるだろうし、この前みたいに刃物振るうなんて馬鹿だよ。だけどさっ、分かっててもどうにもなんねぇんだっ!! なんか恨んでねぇと耐えらんねぇんだよっ! 苦しんだっ!!」

 訴えかける言葉に心が揺れる。
 しかし、この男がしたあの蛮行は許されるものではない。
 それでも……霊夢は精神の不自由さを知っていた。ままならぬもどかしさを知っていた。だからこの男には罪はあっても……罰は、多くは与えられぬべきだと思った。

 霊夢はその場から逃げるように去る。途中、里医者にその男のいる場所だけを伝えて。


















 翌日、守矢神社を訪れた矢先、霊夢は早苗を問い詰めていた。

「ねぇ、早苗。なんであんたは、あいつらを放ってるの?」
「え……?」

 霊夢自身も、あれらを放置している罪人だ。それを承知で尋ねたのはあの男の影響もあったが、なによりも大きかったのは早苗の人柄と、今の現状が噛み合っていないような気がしたからだった。
 ずっと疑問に思っていた。冷たい言い方だが、魔理沙や咲夜はどこか分かる。魔理沙は好奇心によって動き、咲夜は命令によって動く。しかし誰よりも他を重んじる早苗は、あれらの存在を許していることをどう説明するのか。

「あいつらっていうのは……あの妖怪のことですよね……?」

 霊夢は頷く。

「…………」

 言葉を発せずに、ただ俯いた。
 髪の毛が柳のように垂れて、表情は窺い知れない。だが、なにか葛藤しているように思えた。幅の狭い肩をなおすくめて。華奢な身体を少し揺らして。
 そして上げられた顔は、酷く困惑に満ちていた。

「……すみません」
「…………」

 話したくないと……瞳が物語っていた……。





 縁側に腰掛ける霊夢の隣に、暇そうにして神奈子も腰を下ろした。

「早苗に恋慕の言葉でも伝えてたの?」

 どうやら、さきほどのやり取りを見ていたらしい。

「フラれたけどね」
「そう」

 冗談混じりに言ってやれば、さぞ喜んで舌を踊らせると思った霊夢だったが、意に反して神奈子の口は重かった。
 だから霊夢も口を一にして、ぼーっと早苗の巫女教室を眺めている。そこから視線が外れたのは、神奈子が口を開いたからだった。

「あんたさぁ、少しだけ……前の調子に戻ってきたわね」
「……うん?」
「最近暗かったけどさ、昔の頃みたいな覇気が戻ってきた。憎たらしさが戻ってきたって言ってんの」

 それを聞いて、言われてみれば……と、霊夢は動きのない頷きをする。
 少し前までの息苦しさはなく、身体的な疲れはあるものの気が滅入ったりすることは少なくなった。
 思えば、神奈子と諏訪子も人ならざる存在で、特別親しかったわけではないものの距離を置いていたはずだ。それをなんの躊躇いもなく接していられたのは……少なからず、早苗が側にいるという安心感が強かっただろう。それに加え、二人の気さくな性格も後押ししたに違いない。

 早苗の悩みもあと一歩というところまで来た気がする。

 全体像は依然として掴めないものの、その方向性は少し見えつつあった。
 あとは確定的な何かを得られれば……あるいは……。




















 夕暮れに、霊夢は自身の神社で一つの名詞に喉を震わせた。
 すると、目の前の空間に亀裂が走り、そこからドレスを揺らして紫が現れる。

「お呼びになりまして? 私のお姫様」
「うわ……」

 顔をしかめてやると、紫は愉快そうに口元を緩めた。

「あと少しだと思うのよ」

 遠回りせず、霊夢はそう告げる。
 それだけで察した紫は、緩めた口元を少しだけ引き締めた。

「……そう」
「でもさ、もしどんなことで悩んでるのか分かっても、なにをしたらいいか分からないのよね」
「それを訊くために呼んだの?」

 語勢こそ柔らかなものだったが、その言葉には鋭利なものを感じた。

「霊夢、これは大切なことだからよく聞いてね」
「う、うん」

 前置きをしてから、紫は底を覗かせない瞳で霊夢を射る。その温度を感じさせない視線に、この寒空の風と相まってか身が固くなる。それでも霊夢は殊勝な態度で、彼女の言葉を待った。

「貴方は……私の出した宿題をしているのじゃないでしょう?」
「え?」
「友人が悩んでいるならどうにかしたいと思って、頑張っているんじゃないの? それとも、私がしろって言ったからやむなくってことなの?」
「そうじゃないけど……」

 早苗が悩んでいるなら助けてあげたいと思う。でも、紫がやれと言ったからというのも動機に含まれているわけで……。

「大丈夫よ。貴方は優しい子だもの」

 脈絡無く、紫はそっと微笑む。
 なんの答えにもなっていないその言葉。しかしそれは麻酔のように、霊夢の意識にもやをかけた。
 そのくすぐったさに可笑しいほど安心する。その安心するという事実にもまた、くすぐったくなる。子供じゃあるまいし、歳を三十以上も重ねたというのに……笑顔を向けられて、優しいと言われて、年甲斐も無く嬉しくなってしまった。

「正しい道を踏むかは分からないけど……きっと、悪い道は踏まないわ。彼女を知って、貴方がしてあげたいと思うことをしなさい。考えることは大切だけれど、それで自分に背を向けるような選択はいけません。人を思いやるのは頭ではなく、心であるべきです」

 霊夢は、紫の言葉を否定も肯定もできない。判断できるだけの経験を積んでいないのだ。
 だが霊夢の耳には正論に響いた。紫は正しいことを説いてる気がする。だから力なく霊夢は頷くと、紫は静かに姿を消した。
 西日に頬を染めて、一人縁側に佇む。暖色の光りとは裏腹に吹く風は冷たく、思考の停滞が進む中、自分のすべきこと……したいことを考えた。

 兎にも角にも、もっと彼女を知る必要がある……。

 そこに行き着くも、どうすればいいか分からない。神奈子も諏訪子も、早苗を案じるあまりに踏み込めずにいる。
 他に彼女を知る者はいないだろうか。親しくなくとも、風評が聞こえるような立ち位置の……。

「…………」

 思い当たった人物は……霊夢の面持ちに影を投げ込んだ。
 しかし、ふるふると頭を振る。

 
 ──覚悟がなきゃ。


 同時に、諏訪子の言葉が脳裏で回る。
 きっかけは人の言葉からだったが、それでも友人の力になると決めたのではないか。力になりたいと願ったのではなかったか。ならば足踏みではなく、求められるのは前進を促す一歩のはずだ。
 目を瞑り、霊夢は自分に対してそう問いかけると……目先の小さな決意をした。















 




 川の近くの小さな洞穴──。
 そこでなにやら手を動かす影があった。その影に、同じくらいの影が近づいてきて耳打ちをする。耳打ちをされた影はその内容の真偽を強く問うように、駆け寄ってきた影を問いただした。
 しばらくして、叩いても埃が出ないことが分かるとその影は重い腰を上げた。やってきた影が先導する形で、二つの影が川の下流へと歩いてく。
 そして、その影が歩くのをやめたのと、連れられてきた影が目を丸くしたのは同時だった。耳打ちされた内容が事実だったからである。

「まさか本当に……本人だとは思わなかった」
「ひ、久しぶり」

 驚きに染まるにとりに対し、霊夢はぎこちなくもそう応えた。





「それじゃ、数年ぶりに訪ねてきた理由を聞こうかな」
「あっ、え、えぇっと……」

 二人は川の近くの大きな岩に腰を下ろして、久方ぶりの言葉のやり取りをしていた。
 他の姿はなく、川の音と、時たま揺れる枯れ木の乾いた音だけ。

「というか、霊夢ってば随分老けたね」
「あんたらが変わらな過ぎなのよ」

 くりくりとした以前と変わらぬ可愛らしい瞳。しかし、そこに映る自分はあの頃とは大きく変わった有様で……。
 それは霊夢が何度も抱いた悲壮感。髪は乾き、膝は重く、心は虚弱。それに比べて、にとりは今ここに写したかのようにあの頃のままだった。

「そりゃ妖怪だもん。人間みたいに駆け足では生きてないよ。……それで、どうしたの? 長いこと音沙汰無しだったのに」
「実は、早苗のことを聞きたいんだけど……」
「ん、上の神社の巫女様がどうしたって?」
「なにか……そう、この数年で、なにか変わったことなかった? 同じ山に住んでるんだから聞こえてくることもあるでしょ?」
「…………」

 何故かくしゃりと顔を歪めて、少しだけ……落胆するような色を伴ってこう言う。

「そういうことはさ……私じゃなくて、天狗様に聞きなよ」

 針で刺されたような、小さく鋭い痛みに霊夢は目尻を歪めた。

「私に会いにきたんじゃなくて、会いづらいあの人の代わりってことだったかぁ」
「そっ、そんなんじゃ……」
「いいって、別に。そんなんで傷つくほど幼くないよ」

 その言葉に甘えることなく、霊夢は自分を恥じる。何故ならば、その言葉は事実とは別のモノだと思ったからだ。
 記憶にあるにとりというのは……子供っぽくて、そして、そこはかとなく純粋だった。だから作った顔なんてできなくて、さっきの顔はきっと本物だった。
 そんな彼女に強がりを言わせてしまった自分が嫌になる。霊夢は下唇を噛んだ。

「それより、会いたくないならすぐに山を下りたほうがいいよ。もうすぐ巡回の時間だから」
「…………」


 ──辛いのは戦っているから。


 霊夢の脳裏でその言葉が反復する。
 自分は今……苦しくない。こうして、早く下りたほうがいいだなんて気遣われて、辛いことなんてない。


 だからきっと……今私は戦ってない……。


 霊夢はもう一度強く、下唇を噛んだ。
 いつもそうだった。楽なほう、嫌じゃないほうばかりに逃げて、その終着点があの灰色な日々だったはず。このままではまた逆戻りだ。
 それが嫌なら戦え──と、霊夢は自身を奮い立たせる。

「天狗なら……なにか知ってるかもしれないのね?」
「そりゃ毎日うろつい……ごほん、巡回してるからね。酸も甘いも知ってると思うよ。噛み分けてるかは知らないけど」
「じゃあしばらくここで待つわ。いいでしょ?」
「……本当に? たぶんあの人がくるよ?」

 お互いの共通の知り合いである天狗。その風貌を思い浮かべて、霊夢の胸に苦みが広がった。
 口達者な彼女のことだから……きっと、容赦ない言葉をぶつけられるだろう。それを思うと踏みとどまりたくなるが、霊夢は自身を追いつめるように……力強く、頷いた。





 再会は早かった。
 
「姉貴ぃっ! 射命丸の姉貴、待ってくださいよっ!」

 若い男の声が、吹きすさぶ風に乗って聞こえてきた。それに続いて羽音と、少しだけ……聞き覚えのある声。

「そんなちんたら飛んでちゃ、とびっきりのゴシップなんて書けないわよっ!」

 変わらず腰を下ろしたままの二人の頭上に、二つの影が躍り出た。
 一つは若い男の天狗。そしてもう一つは……霊夢とにとりがよく見知った顔の女天狗──文だった。
 飛んできた勢いに比例して強い風が吹く。枯れ木に残っていた僅かばかりの葉が申し訳ない程度に舞い、文の髪がふわりと柔らかく拡がった。
 咲夜同様伸ばしているのか、あの頃と比べるとほんの少しだけ長くなった髪。それだけで随分と印象が違う。以前の短く整えられた髪型は中性的な顔の造りも相まってボーイッシュな印象を与えたが、肩で大きな溜まりを作る今の髪型はそれとは逆で、ものすごく女性らしさを強調していた。
 黙っていれば育ちの良いお嬢様にだって見えるだろう。日頃の素行ばかりに目が行きがちだったが、顔立ちは綺麗に整ったものだ。そしてその顔が──霊夢を視界に捉えた瞬間不快の焔を灯す。

「……姉貴?」
「先に行ってていいわ」

 釈然としない面持ちながらも、文の平素ならぬ声音に背中を押されて、若い天狗は飛び去った。

「誰かと思えば、霊夢さんじゃないですか」

 文は二人の側に降り立つと、腕を組みながらにそう言う。

「神社はもっと上ですよ? 道にでも迷われましたか?」
「にとりに会いに来てたのよ」
「……へぇ、にとりさんにねぇ」
「それと……文、あんたにも」
「私に?」

 霊夢に向けられた視線は……酷く醒めたものだった。

「何の用があって訪ねたのか知りませんが、いいでしょう。どうぞ、本題を切り出してください」

 霊夢は痛感させられる。澪の如くお互いの間にある溝が、未だに埋められていないことを。
 まだ、感情的な言葉をぶつけられたほうが幾分もよかった。そんな霊夢の内心を知っているかのように、文が選んで向けるのは丁寧な言葉。早苗のそれとはわけが違う。本当の自分を奥に追いやってから紡がれる……隠匿の呪文。

「聞きたいことがあるの。答えてくれる?」
「…………。……なるほどねぇ、それがお望みとあらばお答えしましょう」


 いつか彼女とも……昔のように付き合える日が来るのだろうか……。


 霊夢が浮かべたその理想郷は、とても楽しそうで、小さな幸せに溢れていた。
 いつか彼女とも仲直りをしたい──そう思いはするものの、今は思うことだけに留めておく。
 ごめんなさい──心の中だけで謝罪をし、霊夢は彼女とは別の名前に唇を震わせた。

「早苗のことで、知ってることを教えて」
「……彼女のなにが知りたいんです?」
「聞いていて愉快じゃないこと」
「酷く不明確で、抽象的な注文ですね」
「それじゃあ……早苗が悩んでいそうなこと、それを知ってたら……」
「…………」

 視線は斜め上に、口からは唸るような声を漏らして、考える素振り。それに数秒を費やした後、文は霊夢の目を見据えて口を開く。

「……悩んでいるかは知りませんが、彼女と、その元に集まる里の女の方々との間に、亀裂があるようです」
「亀裂……?」
「お互いの主張が噛み合わない、ということですよ。早苗さんはあの性格ですから、不誠実なんてことはないでしょう。しかし、そこにやってくる彼女たちもまた、同様に真剣です。事情が事情ですからね」
「……事情って?」

 霊夢はその意味深な物言いに引っかかり、首を傾げた。

「……まさか、知らなかったんですか。……では、お教えしましょう。これは、貴方は知っていなければならないことですから」

 濁す言葉の先に、霊夢は嫌な予感しか抱けない。それでも耳を塞がず、言葉を待った。

「守矢神社に集まる彼女達の多くは、孤児なんですよ。あの下賎な妖怪に親族を喰わ……失礼、言葉を選ぶべきでしたね。殺されたり、命までとはいかなくても、肢体を持っていかれたり。
 愛する者の痛みに嘆き、悲しみに暮れ、しかし激情に流されることなく、絶対の意志で決起したのが彼女達なんです。いつ現れ、いつ消えるか分からない守ってくれる背中を待つよりも、自分がその背中になろう──小さくも強い意志で、人里でも巫女として幅広く知られていた早苗さんに教えを請うたのです。
 やがてそれに感化されたように、一人、また一人と、上の鳥居を潜る女性が後に続きました。それで今に至ります」

 突きつけられた言葉は……思ったとおり、苦々しく耳に響いた。

「高みにある志はそれが高ければ高いほどに、お互いを理解し難いものです。ある程度のすれ違いは仕方がないと言えば仕方がありません。だから、それを彼女が気に病んでいるかどうかは、貴方の知る彼女と照らし合わせて答えを出してください」

 それを最後の言葉に、全て話し終わったという面持ちで霊夢を見た。
 霊夢は力無く垂れている手の位置の服を、ぎゅっと握っている。
 今更ながらに気付いたことがあった。こうやって、周囲の人物と接すればするほどに、自分の罪を気付かされる。見たくないものを見ていない自分に対し、周りの視線はそれをずっと見続けていた。だから自分が如何に目を背けていたか、嫌というほど思い知らされる。

「な、なんで早苗は、自分であいつらを退治しないの? 普通の人間に教えられることなんて限られてるし……なにより、そっちのほうが確実じゃない?」
「……霊夢さん」

 今度こそ、その目には敵意が篭っていた。

「なっ、なによ?」
「霊夢さん、私は貴方が嫌いです」

 瞬間、暴風の如く凄まじい風が目を突き、瞑った目を開けた時には文の姿はもうなかった。

「…………。……それじゃあ、私ももう失礼するよ」

 終始黙っていたにとりも、そう別れの挨拶を残して踵を返す。
 その場にはついに、霊夢だけが残された。

(……私は…………)

 枯葉の擦れる音が、胸に湧く切なさを強く煽っていた。




















「まずはこれを──」
「もういい加減にしてください……っ!!」

 夕暮れ時の境内。
 早苗の教えを黙って聞いていた一人の少女が声を荒げた。

「わ、私は、私たちはっ、親の仇をとりたいんですっ! こんな礼儀作法を教わりに来ているんじゃありません!!」

 賛同するように、別の少女がその少女に寄り添う。そして最後には、全員が彼女の言葉を支持していた。

「同意見です。こうしている間にも、流れる血はあります。どうか、知識ではなく、力をご教授ください」
「私からもお願いしますっ。早く……早くっ、弟たちを安心させてやりたいんですっ。ですから……」
「こんなことを頼れるのは早苗様だけなんだよっ!」

 口々に溢れる不満と欲求。しかし、早苗は頑なに首を横に振る。

「駄目です。今教えていることも、大切なことです」

 
 ──ダンッ!


 返答は何かを叩きつける音だった。
 見れば、一人の少女が早苗の用意した資料を地面に捨てて、睨んでいた。

「……どうやら、仰ぐ師を間違えたらしい」

 それだけ言うと、脱衣所へ向かっていく。貸し与えている巫女服から着替えるためだろう。他の少女もその背中に続き、しばらくすると踵を鳴らして人里へと帰っていった。
 残ったのはその少女が捨てた資料と、早苗だけ。
 早苗はその資料を拾う。一冊の本にまとめられた、彼女手作りの資料。ページを捲れば、目に入ってくるのは言葉遣いなどの礼儀作法だけ。これはそういう本だった。

(やっぱり……私のやり方じゃ今の子には……)

 俯くその顔に悲しみを宿して、暮れ行く日に影を伸ばす。
 もっと正しいやり方が……接し方があるのではないかと、不安になってはかぶりを振る。指導者たる自分が揺れてはならないと、心から不安を追い出す。それでもやっぱり……気を抜けば、不安は遠慮なく入り込んできた。
 そのとき、じりっ──という砂利を踏む音がした。振り返れば、そこに霊夢の姿があった。

「……見てたんですか?」
「……ううん、今来たところよ」

 別にその言葉を疑る必要も無い。
 早苗は霊夢に背を向けた。しかしすぐに呼び止められて、振り向く。

「この前ははぐらかされたけど、今日は教えて」

 見つめた霊夢の目は……昨日とは少し違った。早苗はそれに気づき、身を強ばらせる。

「……あの妖怪のことですか……? それならあまり口にしたくない話題なんですが……」
「なんでよ?」
「それは……」


「なに躊躇ってんのよ」


 母屋のほうで声をあげたのは神奈子だった。

「ちょ、ちょっと、そっとしとく約束じゃ……」

 二人に近づく彼女を、傍らの諏訪子が引き留めるように腕を引く。しかしそれを振り切って、相対する早苗と霊夢の元へ足先を向ける。
 いつになく目が鋭い。霊夢同様、なにかを決心したような面持ち。

「本人が聞きたいって言ってるんだから、言ってやればいいのよ」
「神奈子様、余計なことは……」
「あんたが言わないんだったら、代わりに私が言うよ」
「やっ、やめてください……!」

 その制止の言葉が聞こえないかのように……神奈子は表情を微動だにせず、口を開いた。

「早苗は……最初、すぐにでも退治しようとしたさ」
「神奈子様……っ! 本当に怒──」
「黙れ。今、喋ってるでしょ?」

 鋭利な言葉と共に睨まれると、早苗は萎縮して俯いてしまう。

「どれだけ微弱な妖怪でも、あれほどの数は見過ごせない。早苗はそう言って、一度は玄関を出たわ。でもその背中が見えなくなる前に、すぐ戻ってきた。それで、なんて言ったと思う?」
「…………」

 霊夢は分かるわけがないと目で唱えるが、神奈子の威圧するような雰囲気が削がれることはなかった。

「これほどの事態なら、霊夢さんが腰を上げるかもしれない」
「……っ」

 早苗の台詞そのままだろう言葉を聞いて、霊夢は狼狽える。そしてその小さな仕草を見逃さず、無様と捉える神奈子の瞳。
 しかし、霊夢の中ではある程度その形を想像できてはいた。文が見せた自分への嫌悪感──それを考慮すれば、自分が関わっているのではないかという予想はつく。狼狽えたのは……その朧気な形が確かなモノになって、分かってはいても動揺してしまうほどに強烈な台詞だったから。

「妖怪退治もせず、狭く浅い関係の中で殻に閉じこもってしまった友人が、これをきっかけに変わるかもしれないなんて思ったらしい。
 その殻は自分から出なければ意味がない。無理に引きずり出しても、余計に固執を強くするだけ。だから早苗は、あんたの正義感に訴えるつもりで──」
「やめてください」

 言葉を遮ったのは早苗だった。少し落ち着いたのか、声の震えは見られない。目には宿るものがあった。それはもしかしたら……長年抱え続けた何かを……露呈する覚悟の表れだったのかもしれない。
 そして苦々しい表情で口を開く。それはまるで、罪を告白する罪人のようでもあった。

「確かに、霊夢さんが昔のような調子に戻ってくれたら嬉しいと思いました。そして、霊夢さんならきっと、すぐに駆けつけてくれるとも思いました」

 耳が熱くなる。
 言葉なんて所詮、音に過ぎない。ではなぜ、その音を奏でるために彼女はあんな辛そうな顔をするのだろうか……。それはきっと、言葉が人の一部だからだ。その中で痛みに敏感な部分は必ずある。触れられたくない、隠しておきたい部分が絶対に。それを自分から切り離して、他人に伝えているのだ。痛みを伴わないわけがなかった。
 だからきっと耳が熱くなる。言葉は人の一部……つまり、血が通っている。それを切ったとあれば血も滲むだろう。熱高き血に濡れた言葉を受けとめて……耳は熱くなる。

「でもそれは私の勝手な希望です。そんな身勝手に抱いた理想の下で、あれらを野放しにしていたんです。到底、正当化できることじゃありません」
「霊夢、なんか言い返したいことはないの?」
「やめなって」

 挑発するような神奈子と霊夢の間に諏訪子が入り、二人を引き離して衝突を防ぐ。
 そんな神奈子の態度に乗せられたわけではなかったが、霊夢は眉を寄せて言葉を返した。

「でも、今なおも放置し続けている理由ではないわ」
「霊夢……っ」

 怒りを超えた色に、神奈子の表情が染まる。それはきっと……落胆に近い感情だった。

「確かにっ! そんな理由であいつらを見逃して、でもって誰かを死なせたなんて馬鹿だよっ! 早苗だけが悪くないなんて言わない。けどさっ!」 
「やめてください……っ! 霊夢さんの言うとおりです。だからそれが……私の最も大きな罪なんです」

 気が付けば……早苗の声は再び震えていた。

「ご存知か分かりませんが、あの娘たちの多くは親を亡くしています。それもあの妖怪のせいでです」

 境内に伸びる四つの影。
 その中の一つ……早苗の影だけが、小さく揺れていた。あとの三つはその告白を前に、縫い付けられたように止まっている。

「あの娘たちがやって来て、最初に尋ねられたことがありました」

 彼女の……嘆きにも似た響きの告白が続く。



「早苗様はあの妖怪を退治できないんですか? と……」



 震える声に、嗚咽が混じり始めた。

「私は……わ、私はっ、頷けませんでした……っ」

 赤い夕日の中に浮かび上がる彼女の風貌。その早苗の頬を……銀色の雫がゆっくりと這っていた。

「怖かったんですっ……責められるのが……。本当なら、退治どころか一掃だってやってみせます。でも彼女たちの泣き腫らした赤い目で見つめられると……もう、駄目でしたっ……!
 ごめんねって、なにに謝っているのか分からないくらい悪いことをしているのにっ……そう言ってしまったんです……っ!」


 ──野放しにしてしまったこと。

 ──嘘を吐いてしまったたこと。

 ──今、何もせずにいること。


 理想の下であれらの妖怪を野放しにし、それを退治できぬと嘘を塗り、その抱いた理想が砕かれた今も……嘘がばれるのを恐れて何もせずにいる自分。
 本当なら間違いに気付いて、すぐにでも早苗は退治に向かっただろう。しかし、犠牲者が……自分の罪の具現化とも呼べる存在が、目の前にやって来てしまった。
 それと向き合う強さを……早苗は持ち合わせていなかった。だから目を逸らして、自分を守るために嘘を吐いてしまった。その嘘と罪悪感とのせめぎ合いの中で、早苗は何年も暮らしてきたのだ。

「私がもっと強かったら……きっと、彼女たちの目を見て、正しい場所に向けて、ごめんねって言えたと思います。でも……それができなかった」

 神奈子も諏訪子も、何も言えずに見守るだけだった。恐らく、早苗の口からそんな話を聞いたのは初めてだったのだろう。彼女がここまで強く感情を露わにすることは今までなかったに違いない。どう言葉を掛けたらいいか、分からずにいるのだ。

「自分に芯が、信じるべき中身が無いから……綺麗なモノや、正しいモノしか信じられないんです。〝優しさ〟だったりとか……〝正義感〟だったりとか……。それが不必要なモノだとは思いません。けれど、時には厳しく接したり、時には何かに反することだって、できなくてはいけないのに……」

 霊夢はやっと理解する。
 早苗は自分が信じられないんじゃない。信じる何かさえも、見失っていたのだと。
 だから刃物を向けられても優しく微笑みかけるし、不甲斐ない友人のせいだというのに罪の意識に駆られる。
 しかし、自分を不甲斐ないと自嘲するのは今ではない。それを分かっているから、霊夢はずっと早苗の目だけを見て、言葉だけを聞いていた。

「さっきだって、あの娘たちに呆れられてしまいました。見限られてしまったんです」

 掛け替えのない大切な友人が……いや、親友が、肩を震わせている。今すぐにでも駆け寄って、励ましてあげたい。背中をさすって、柄にも無い優しい言葉を掛けてあげたい。
 霊夢はそう思えど、黙して動かなかった。

「礼儀というのは人との繋がりを作る上でとても大切です。巫女……と謳ったところで、彼女たちが急に強くなるなんてことはないんです。だからまず、彼女たちには多くの味方を作って欲しかった。戦う上でも、生きていく上でも、いつだって側に立ってくれるような……」

 それはきっと、おこがましくも彼女の罪滅ぼしだったのかもしれない。本当に申し訳ないと思っているならば、すぐにでも飛んで行き、あの妖怪達を殲滅すればいいのだ。
 しかし……それができない。向けられるかもしれないあの娘達の憎悪を、酷く恐れた彼女にはそれができなかった。
 だが同時に、彼女の正義感がそれを許さなかった。ずっと苛み続けた。弱い自分を、ずっと責め続けた。そしてそこから解放されたくて……少しでも楽になりたくて……何かできないかと探した結果が、あの娘たちの申し出を受け入れることだったのだ。
 だから懸命に、自分が正しいと思うことを説き続けた。傷で膿んでしまった彼女達の心に、届いて欲しいと切に願った。
 それは屈折しているかもしれないし、見たままの偽善かもしれない。だがそれを自覚して苦しんでいる彼女を、一体誰が責められるだろうか。
 
 霊夢は語られる彼女の言葉を聞きながら、こう思う。
 こんな苦しい思いをさせてまで聞き出した彼女の心の棘を、自分は取り除くことができるのかと。
 それでも語る決意をしたに違いない早苗のそれを、霊夢は穢すことができなくて、抱きしめてあげたい衝動を奥歯をきつく噛み合せることで抑えていた。

「でも……駄目でした。こんな私を慕うなんてこと有り得なかったんです。彼女たちも……彼だって……。やっぱり、分かるんですね。私が……中身の無い、空っぽな──」



「ふざけるなっ……!!」



 それ以上は言わせなかった。

「あ……」

 早苗の口から声が漏れる。
 駆け寄った霊夢に抱きしめられて、小さな声が、そっと漏れる。

「優しいことの何がいけないのよっ! 正義感に厚いなんて素敵じゃないっ!!」

 ここに来たとき、霊夢は決めていた。
 まだ早苗の悩みは分からないし、自分は罪を背負っている身だ。けれど──


 ──この大切な……人生で二度とは得がたいだろうほどのお人好しな親友だけは、救ってあげようと。


 自分はどうでも良かった。犯した罪を否定し、綺麗な身でいるつもりなど、文に叱咤された時に既に捨ててきた。
 泥で汚れた両手を、幾ら綺麗に払い落とそうとしても泥を伸ばすだけだ。しかし、時間を置いて乾いた後に触れれば、それは綺麗に剥がれ落ちるだろう。
 そんな日を迎えるまでは罪人であり、そんな日を待ち続けなければいけない罰を……霊夢は受け入れてここに立っていた。

「あんた、厳しく接せられないって言ってたけど、ちゃんとあの娘たちのことを考えて厳しく在れたじゃないっ! 瞳を見て、自分が正しいと思うことを言えてたじゃないっ! 一度はその瞳に負けて、嘘を吐いてしまったかもしれないけど、でもさっきはちゃんと言えたでしょ? 求められるものを与えるだけじゃなくて、ちゃんと自分の信じるものを伝えようとしてたじゃない」

 背中に回した腕に、力を込める。
 それに伴って、早苗の口から喘ぎにも似た短い息が漏れた。その響きが安堵に聞こえたことを、霊夢は震える足の支えにして言葉を続ける。

「早苗は空っぽなんかじゃないよ。優しくて、お人好しなのが早苗なの」



 ──その優しさはどこか、人として間違っている気がする。



 そんな言葉を抱いたときがあった。
 しかし霊夢はそれを思い出して、一度強く頭を振る。
 そうではなかった。間違ってなどいなかった。あれは本当の彼女だった。きっと自分に無いモノを見せられて、どこか不気味に思う気持ちがあったのかもしれない。

「そ、そんなことないです……。霊夢さん、私はそんなんじゃないんです。空っぽだから……生きていく上で都合のいい、それらで埋めてるだけなんです。拒絶されるのが怖いから優しくするんです。仲間はずれが嫌だから正義感を持つんです」


 たぶん、早苗の言っていることは概ね正しい。核心も突いている。

 
 嫌われたくないから、誰にでも優しく。
 孤立は嫌だから、支持多い正義感を。

 
 世渡りという意味で、それらは珍しいものではない。それが彼女の処世術ならば、それまでの話。
 しかし霊夢は──違うよ、と柔らかく首を振った。

「人間ってば、そんな器用じゃないわ。そりゃ、たまには優しくしてあげようなんて思うこともあるけど、ずっとそんなふうにいたら疲れるもの。根拠は今の私」

 そう言うと、早苗は目を丸くした。

「だから早苗の……その誰にでも振りまける優しさや正義感は……きっと、神様から頂いた天性のものよ。卑屈になるどころか、誇っていいものなんだから。だからさ、自分は誰にも好かれないなんて、悲しいこと言わないでよ」
「……そうでしょうか?」

 改めて、早苗は変なところで頑固だなぁ──と霊夢は思った。

「本当に、私は人に好かれるような魅力があるんでしょうか……?」
「…………」

 霊夢は少しだけ、抱き合しめながら早苗と交わらせていた視線を茜色の空に逃がす。
 そして、覚悟を決めたような面持ちで、もう一度早苗を見た。

「……まだ、あんたに言葉にして伝えていないことがあったわ」
「……?」

 疑問符を浮かべる早苗を置き去りに、霊夢は続けた。

「早苗が一番最初だから、感謝しなさいよね」
「……???」

 霊夢の頬が赤いのは……きっと、西日のせいだけじゃなかった。何故なら、夕日は既に沈みかけていたからである。

「私はあんた達が……あっ、いや、早苗が……その……す、好きだから。大切な友達だって、思ってるから……だから、あんまり自分を悪く言わないで、欲しい……」
「…………」

 同席する集会の仲間の中で、最初に早苗を選んだのは何故だったか。
 それはきっと、物腰の柔らかい早苗なら自分に辛く当たらないだろう……そんな下心があったのかもしれない。咲夜や魔理沙なら、悩みを聞き出す最中に辛い衝突があったに違いない。
 長く心を閉じていた霊夢にとって、それはあまりにも酷だったと思う。だから早苗を選んで正解だった。そしてそう思う反面、純粋に彼女を想う気持ちではなく、そういった部分で選んでしまったという自責の念もあった。
 だから本来、言うつもりも無かった自分の本心を、身勝手にも謝罪の意味も込めて……彼女には一番最初に伝えようと霊夢は思ったのだ。

「…………」
「な、なによっ!? 私にここまで言わせて、まだ信じられないの!?」

 赤裸々な告白を終えて、うんともすんとも言わない早苗に焦った霊夢がせっかくの良い雰囲気を台無しにする。台無し……とは言うものの、そう感じているのは霊夢だけで、実際には額縁に入れて飾れるだけの趣はまだ残っていた。

「そうだよ、早苗」

 神奈子が聞き慣れない優しげな声音で、早苗に語りかける。

「お前は優しい子だ。私も、ずっと言いたかったことがあるんだ」

 そして一歩、早苗の前に歩み出て、こう続けた。

「早苗は私達のために信仰を集めてくれる。それは嬉しいし、感謝だってする。でもあんまり……自分を殺さないでおくれ」
「そうだよ。早苗はなんだってしていいんだ。恋をしてもいいし、もう、親になってもいい頃だね。そんな大切で輝かしい時間を、今まで私たちのために使ってくれてありがとう」

 神奈子に続き、諏訪子も泣きそうな顔でそう言った。

「これからも信仰は集めてもらうけど、それは片手間でいいよ。早苗の人生だもん。今までが十分過ぎるくらいだった。頑張らないで、時には泣いたっていいよ。泣き顔を見られるのが恥ずかしいなら、私の胸に顔を埋めて泣けばいい。泣き声を聞かれるのが恥ずかしいなら、私も一緒に泣いてあげるから」
「諏訪子の言うとおり。つまり、何が言いたいかというと……昔っからお前はお人好しだったってこと! 空っぽなんてとんでもない。そうじゃないことは私たちが保証するよ」

 霊夢は苦笑いを浮かべる。
 なんてことない、この二人も不器用だったのだ。だけどそれは、優しさが空回りしてしまってそう見えるだけ。なんて優しさに満ちた家族だろう……霊夢は今度こそ、掛け値なしに羨ましくなってしまう。

「……ありがとう、ございます」

 そう言って震える早苗の肩は……きっと寒さからではない。だが日は暮れて、冬の空風はとても冷たい。

「さぁ、もう夕飯時だ。お腹が減ったし、何より寒い。中に入ろう。今回は特別に霊夢の同席も許す!」
「それはそれは……恐れ多いわ」

 霊夢は早苗の背中を押して、家に入ろうと歩を促す。
 しかし、俯いたままの彼女の顔には、まだ不安が居座っているような気がした。きっと、心のどこかで、霊夢達の言葉が自分を励まそうとして出ただけの、この場限りの言葉ではないのかと疑ってしまっているのだ。
 それは違うと思いつつも、どうしても拭いきれない一粒の不安。それを放っておけば、やがては根を張り、芽を出し、花を咲かせては実を付けるだろう。そしてその実はより大きな不安へと育つ、種を残していく。
 どれだけ霊夢達が自分を想ってくれているかは理解できた。優しさが身に沁みた。けれど、同様の優しさを持ち合わせる早苗には、時として、誰かを想うあまりに形だけの言葉を向けてしまうことがあるのを知っている。だからまだ、不安を完全には追い出せずにいたのだ。



 ──そんなとき、足音が聞こえた。



 バタバタと駆けて来る足音。
 それにまず振り返ったのは早苗だった。次に霊夢。先を歩いていた神奈子と諏訪子も、後ろの二人が止まった気配を感じて振り返る。
 息を切らして、暮れ行く日を背に受けて、一人の少女が早苗の前にやって来た。

「…………」

 早苗が息を呑むのを霊夢は隣で感じ取る。
 そして目の前の少女は、息が整うなり、深く頭を下げて謝罪した。

「早苗様……申し訳ありませんでしたっ」

 恭しいその態度に、けれど早苗は喜怒哀楽を見せず、ただ黙ってその少女の言葉に耳を傾けた。

「わ、私は何も知りません。早苗様はそんな私に手を差し伸べて、色々なことを教えてくれました。でもそれが今、私にとってどんな利益をもたらすか……恥ずかしくも理解に至りません。しかしこの山を下る途中で一つだけ、理解しているものを見つけました」
「……なんでしょうか?」
「早苗様は私たちの味方だっていうことです」

 気が付けば、神奈子と諏訪子の姿は無かった。きっと自分達がいては、この少女が話しづらいと思ったのだろう。それに倣って霊夢も踵を返そうとすると、服の袖を早苗に掴まれていることに気が付いた。

 ──里で嫌なことがあれば、早苗様は親身になって相談に乗ってくれました。
 ──歳の近い男にいじめられれば、早苗様は私の前に立って守ってくれました。
 ──お金に困っていれば、返すのはいつだっていいと笑って、そっと渡してくれました。
 ──風邪を引けば、仕事で不在の母に代わって早苗様が看病してくれました。
 ──陰で泣いている私を見つければ、優しく頭を撫でて慰めてくれました。
 ──夜道が怖いと駄々をこねる私の手を、強く握って一緒に山を下りてくれました。
 ──素直になれない私を抱きしめて、ずっと味方だと言ってくれました。

 聞いていれば分かる。早苗がどれだけこの少女を……いや、この少女に限らず、訪れる少女達全員を思いやっていたのかを。
 そして、この少女がどれだけ素直でないかも、初対面の霊夢とはいえこれほどの思い出を語られたのなら察するのに容易かった。

「早苗様は私たちを理解しようと歩み寄ってくれたのに、私が……私たちが復讐なんてものに急かされて、跳ね除けてしまいました。でも思い出しました。取り返しが付かなくなる前に、思い出せて良かったです」

 屈託なく笑う少女は、この場で謝れたことに安堵感を覚えているようだった。

「早苗様はずっとずっと、私たちの味方だって思い出したんです。だから、早苗様が懸命に教えてくれることはとても大切なこと。私たちは信じなければいけなかったんです。まず、信頼関係を築かなければ……ならなかったんですよね?」

 早苗は頷くでもなく、だが決して目を逸らすことなく、少女が話し終えるのを待っていた。

「だから……もし、よろしければ……これからもここに来て、色々なことを教えてくれませんか?」

 そう言いに戻ってきたのはたった一人。つい先程、ここを出て行った少女の数はもっと多い。けれど──





 ──早苗はこの瞬間、間違いなく救われた。





(ちゃんと……早苗を理解してる奴がいたじゃない。ちゃんと伝わってたのよ。あんたの気持ち)

 そう言ってやれたら良かったのだが、そんな無粋を霊夢は犯さない。
 何故なら、今目の前の少女の問いに対し、早苗は答えていないからだ。
 隣の早苗を見る。その顔は……先程のモノとは見違えるほどに晴れ晴れとしていた。


 ……あぁ、これならもう大丈夫。


 霊夢はそう思った。
 そして、そう思った矢先に、早苗が崩れ落ちるようにしゃがんで泣き出した。

「霊夢さんと神奈子様に励ましてもらってっ……それで彼女にこんな言葉を言ってもらってっ……盆と正月がいっぺんに来たみたいです……っ」
「それは違うでしょ……」

 咲夜いわく、少し間が抜けている早苗のその言葉に霊夢は苦笑を零す。
 何故泣いてしまうのかが分からず、目の前の少女があたふたする。
 そしてしばらくすれば、神奈子と諏訪子が夕飯の時間だと呼びに来て、その日は少女も交えた五人で騒がしく食卓を共にした。
 

 もうすぐ春だなぁ──呟いた言葉は、長くなってきた日の暮れに向けた言葉だったのか。


 でもきっと、早苗の春はこれから来るのだろう。そしてそれは、早苗一人で迎えるのではない。
 詩人霊夢はこう言った。

 そう、早苗の優しさは……春みたいな優しさだ。

 神奈子が噴出して霊夢を茶化し、諏訪子がそれを押さえるフリをして一緒に茶化す。
 たまたま同席した少女も、霊夢のそれを堪えるようにくすくすと笑った。
 早苗ももちろん笑っていた。それは憑き物が落ちたように晴れ晴れと。悩みの影は窺えない。

(みんなが言ってくれた。そうだと言ってくれた。だからきっと、これが私でいいのかもしれない)

 そう思うと、早苗はいつもより笑うのが気持ち良く思えたのだった。





























































「ほら、こっちです」

 早苗は男の手を引いて、自分の母屋の玄関の前に立たせる。

「これ持ってください。あぁ、髪の毛ボサボサじゃないですか。いくら忙しいからって、最低限の身嗜みはしてくださよ」
「ご、ごめん……」

 そう言って男は早苗から丸い包みを受け取った。その丁寧な包装は、手土産としてよく見慣れたものだ。しかし、男はこれを見るのは今日が初めてで、一体なんなのかと鼻を近づけてクンクン鳴らす。すると、何か甘い匂いがした。

「もうっ、そんな変なことしないでください」

 男の髪を手櫛で梳いていた早苗が、その品の無い仕草に目くじらを立てる。
 気の弱い男は繰言のように──ごめん、とだけ言うと、それを脇に抱えた。

「あぁーっ! そんなふうに持たないで! 中身はメロンなんですから!!」
「あ、それだよ。この甘い匂いは」

 ははは──なんてヘラヘラ笑う男に、少しだけ語尾を強めて早苗は言う。

「ふざけてるんですか?」
「ご、ごめんって……」

 謝ってから、男はメロンだという丸い包みを両手で大切そうに持ち直した。
 普段はおっとりしている早苗だが、相方が自分以上に間が抜けているとなると、存外しっかりとした立ち振る舞いを見せていた。

「本当にもう、今日くらいはしっかりしてくださいよね。今日頑張ったらしばらくは腑抜けでいいですから」
「いや、僕は結構気を張ってるほうだよ。この間もね、隣の杉ちゃんが──」
「はいはい。その話は今度聞きますから、はいっ! 顔を引き締めて!!」

 ぱちん──と、軽く男の両頬を掌で叩く。すると、少しだけ男の顔付きが鋭くなった気がした。

「そうそう。そうしてればそこそこ男前なんですから」
「え、えぇ、本当に? ははっ、いや、早苗ちゃんにそう言われると照れ──」

 パチンッ──と、今度は比較的強めに男の両頬を叩く。緩んでいた表情がくしゃりと歪む。

「い、痛いよ……」
「じゃあちゃんとやってください。一世一代の正念場なんですよ? 分かってますか?」
「う、うん。分かったよ。ごめんね」

 一言謝罪をしてから、男は少し顔を引き締める。
 そして扉に手を掛けて、中に踏み込んだ。

「お、おおおお、お前かあああぁぁぁぁっ!!」
「ひぃっ!?」

 神奈子の憤怒の形相に男が後ずさる。

「早苗はっ! 早苗はやらないからなっ!! こう見えても早苗は男に興味が無──痛っ!?」

 早苗が神奈子の頭を叩いていた。

「いやいや、恋は人を成長させると言うけれど、まさか早苗に反抗期が残っていたなんて……。面倒が掛からない子だとは思っていたけど

……」

 諏訪子が演技がかった調子でそう嘆く。

「さ、早苗ぇ……お前はこの男に騙されてるんだよ……」
「なにを言ってるんですか、なにを。ほら、お土産にこんな立派なメロンを買ってきてくれましたよ? 気が利く人でしょ?」
「えっ、僕は買ってな──痛っ!?」

 今度は男が叩かれて、痛いじゃないか……と弱々しく抗議する。

「蚊が留まってたんです」
「え、こんな冬時分に蚊が……? それはきっと異変だよ」
「早苗えぇっ! こんな阿呆な男のどこがいいのさっ!!」
「もうっ、神奈子様うるさいですよっ!」

 そう言って早苗は男の腕を取り、自分の腕と絡める。手を見れば……そこには痛々しい傷跡があった。

「うん?」

 男が、どうしたの?──と目を向けてくる。だがそれを無視して神奈子に言った。

「私はこの人がいいんです。この人もちゃんと、私を理解してくれてます。だから私は……この人の隣がいいんです」

 そう言って、早苗は男の唇に自分の唇を押し当てる。
 驚きは早苗を除いた三人に全て等しかった。
 そしてすぐに早苗は離れると、恥ずかしそうに頬を染めながらも、力強く神奈子を見た。

「これでもう、他の人のお嫁にいけなくなってしまいました」
「こ、こんなことになるなら、やっぱり杉ちゃんの言うとおりもっと念入りに歯を磨いてくればよかった……。な、納豆臭くなかった?」
「うちの早苗の唇になに臭いもんを押し付けてくれてんのよおおおぉぉっ!?」
「ひぃっ!?」

 掴みかかる神奈子から逃れるように、男はどたどたと境内を逃げ回る。
 それを見て、早苗と諏訪子は呆れるように小さく笑った。



(もう、大丈夫。信じていけるよ。信じて、人に優しくできるよ)



 早苗が胸中で呟くのは……誰に宛てた言葉なのか。それは恐らく、自分に対してであり、自分の隙間を埋めてくれた友人に対するものだった。

(不安になったときは、隣の彼が思い出させてくれる。彼は私を解ってくれてるから、私が忘れてもきっと思い出させてくれる。神奈子様も諏訪子様もいるから、もう不安がることはなにも無いよ。だから次は──)

 空を仰いだ。
 綺麗な空だった。
 美しく、どこまでも遠くでいて、ずっと身近。
 きっと今見ているこの空は、あの頃と同じ空に違いない。
 あの人の目にも……こんなふうに映っているだろうか──早苗が思い浮かべたのは、先程の言葉を宛てたのと同じ相手。

(……大丈夫だよね)

 それは放任ではなく、信頼。
 自分を信じてくれた彼女を、今度は自分が信じようと思っただけのこと。
 そういえば……昔、信じて裏切られた記憶がある。
 正直に言えば哀しかった。颯爽と現れてくれる彼女の姿を瞼の裏に浮かべては、時間が過ぎていくことの痛みを感じた。
 でももう、それは昔の話。人の目は一方しか向けない。過去を向いて、未来へは歩けないのだ。
 ならそれはもう、今は捨て置こう。それで自分が彼女を信じない理由はなくなるから──早苗は心の整理を付けて、もう一度空を仰ぐ。

「早く……隣に来てくださいね」

 呟いて、早苗は隣で息を切らす男とは反対側を向いた。
 そこはきっと、夫となる者とは別に生涯を共にするだろう……今は不在の、親友の居場所だった。
















──End The Story? No, Continues......!!
実は前作を投稿したとき、既にこれは書き終えていました。
本当なら、これの次に当たるお話を書き終えてから投稿しようと思ったのですが、前作のあれだけの文で放置するのも嫌だったんで、投稿することにします。

さて、どうでしたでしょうか?
もしかしたら、クドイと感じられた方もいるんじゃないでしょうか?
オリキャラに関しても、どこまでの扱いをしていいのか難しいですね。
とりあえずタグは入れてませんが……。
そんな感じで長々とした中身でしたが、本タイトル中はこんな調子で書いていくつもりでいます。

最後に、お気に召した方も、そうでない方も、次の同名タイトルにてお会いできることを楽しみにしております。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
松木
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コメント



0.890簡易評価
15.90コチドリ削除
作者様が紡ぎ出した幻想郷とその住人達。
正直すっげぇ違和感だし、これから先もそれは拭い切れないと思う。
でも作中のキャラ達と、勝手な想像ながら貴方が抱いている誠実な想いを前にすれば、
俺の東方世界に対するちっぽけな先入観など何程のものでもない。

しょぼく霊夢が必死にあげようとしている復活の狼煙。その姿は無様だけど、だからこそ目が離せない。
彼女を含めた四人のアラサー女達の心意気、僭越ながらしかと見届けさせてもらうぜ。
17.90名前が無い程度の能力削除
うーん、生々しい…けど、それが自分は好きですね。
少しずつ昔の雰囲気が戻ってきた霊夢が次に向かうのは…咲夜さんかしら。

また人妖が集って大騒ぎが普通になるような博麗神社にはなるのかな…
18.無評価名前が無い程度の能力削除
オリキャラタグがほしかった。