第三話 月に行くモノ 「……で、なんで貴方たちはここに居座っているのかしら」  図書館の主の苦言ももっともである。  紅魔館の図書館の一角は、今や河童の月旅行計画のメンバーによって占拠されていた。  小型のロケットの模型やいくつかの人形、さらには地下の銘柄の酒瓶など、いつの間にか各人の私物まで持ち込まれつつある。 「まあまあ、固いことは言いっこなしって事で。ここは色々と資料も多いし、居心地がいいんだよねー」  呑気な河童の言葉。 「それに、私達がいればもうあの白黒の泥棒鼠も寄ってこないわよ、きっと」  他人事のように人形遣いもそう言うが、パチュリーはただただ呆れるばかりである。 「しかし、あの魔理沙がそんな風に私達を止めようとしていたとは……。アリスも良い友人を持ったな」  いきさつを聞いた慧音が感心したように言うが、アリスは小さな溜息をつくばかりである。 「あいつが勝手に言ってるだけよ。……それより、私達を止めようとするのは、まだ本命が二つほど残っているわ。どこかのブン屋が大っぴらにしたせいで、もう幻想郷中の奴らが私達のことを知ってるからね。邪魔が入るとしたら、これからが本番よ……」  人形遣いの懸念に、慧音やパチュリーも心当たりがあった。  月に行くと聞いて、間違いなく一番初めに反応する者達がいるのだ。むしろ、ある意味で当事者といってもいい。 「そんな邪魔者なんてバーンと私がぶっ潰してやるよ。で、誰だい、その邪魔な連中ってのは」 「……月よ」  勇儀の言葉に、アリスはただ一言そう答える。 「月?月って、今から私らが向かうところだろう?あいつら、着く前から邪魔をしてくるのか」  不思議がる勇儀だが、他の面々はその一言で意味するところを把握している。 「あー、確かにうるさそうだね」 「なるほど……、たしかにあいつらはこの騒動にいい顔はしないだろうな」 「前回の時も色々動いてたみたいですしね」  勇儀以外は皆その仮想障害を思い浮かべ、おのおのの感想を述べていく。そんな中一人取り残される格好となった勇儀は、思わず横のにとりに耳打ちした。 (おい、にとり、一体どういう事なんだ?) (へえ、実は迷いの竹林に、月人とおぼしき連中が住んでるんですよ。まあ月に戻る気はないみたいですから、正確には元月人というべきかもしれませんが。で、そいつらが月の犯罪者かなにかで、幻想郷が月と関わり合いを持つのを嫌がってるらしいんですわ。あと、それにほら、幻想郷は前にも月と戦争やらかしてるじゃないですか、スキマ妖怪が。アレもあって、月と幻想郷ってのはなにかとピリピリしてるってわけで……) (ふむ、なるほどね。月ってのも厄介なものなんだな)  河童の答えを聞いて、勇儀はわかったかわからないか判別のつかないような表情で頷き、その考えをまとめていく。  そして、あらためて自分の結論を口にした。 「でもまあ、その月の奴らが殴り込んできたら返り討ちにすればいいわけだろ。簡単な話じゃないか」 「あなたねえ、もう少し穏便に解決しようって考えはないのかしら?」  アリスの溜息。  勇儀は頭を掻いているだけで、まったく反省の色はない。 「うーん、まあ一回やり合えばわかりあえると思うんだがなぁ……」 「まったく、幻想郷にはそんな発想の奴が多すぎるわ……」  さらにもう一つ大きな溜息をつくアリス。彼女の脳裏には幾人もの問題児達の顔が浮かんでいるに違いない。 「いずれにしても、貴方たちは月の連中にどうやって話をつけるつもりかしら?とりあえずやろうとしていることは略奪みたいなものなんだし」  パチュリーの言葉に頭を抱える各人。 「どうにか、穏便に済ませたいんですがねえ……」 「前回の巫女の件もあるし、なかなか難しいか」 「じゃあやっぱり一戦やるしかないな!」 「それは避けたいんだけれども……、前回の時はどうだったのよ?」  アリスが尋ねると、前回も重要な役割を果たした図書館の主は、淡々と状況を説明をはじめた。 「どうもこうもないわ。あいつらはいつもどおりのあいつらの調子よ。邪魔しようとしたり色々と工作したり脅したりすかしたり……、ま、月人の考えることはわからないってところね」  思い当たる節が色々あるらしく、各人少しばかり考えを巡らせる。  だが相変わらず、一人はそんな考えとはまったく無縁である。 「じゃあ、こっちから仕掛けよう。どうせ変なことをしてくるなら、先に叩いちゃうんだよ。そいつらの本拠地に殴り込んでさ」  月の者を知らぬ勇儀の、恐れも何も知らない言葉。  もっとも彼女の場合、全ての状況を知っていても同じことを言ったかもしれないのであるが。  さすがに皆、そろそろ勇儀のその手の発言をスルーをしようとしていたのだが、意外な人物が意外な反応を示した。 「それもありかもしれないわね……」  そう言ったのはアリスだ。  発言を拾われた勇儀も含め、図書館の少女達が、一斉にその人形遣いに視線を集める。 「ちょ、ちょっと、アリスさん?」  中でも特に反応が大きかったのは美鈴である。  彼女は楽観的に、アリスに戦いを回避する方法を一任していた節があったのだ。  実際先程まで、彼女の考えはそちらの方向で一貫していたはずだ。  そんなアリスが、突如の勇儀の好戦的な意見に賛同したのである。これではもう歯止めが利かないではないか。 「どうしたアリス。酔っぱらいへの対応が面倒になったからといって、ヤケを起こしてはいけないぞ」 「あー、ほら、魔理沙の悪影響が顔を出しちゃったんじゃないの?なんだかんだでよくつるんでるし……」 「……ありえるわね。そもそも、あんな薄暗い森に住んでるから、性格が捻くれていくのも当然だわ」 「いやはや、アリスに賛同してもらえるとは、意外だが心強いな。じゃあ善は急げだ。早速カチコミに行こう!」  各人の好き勝手な分析と言葉に対して、アリスの顔が見る見る不機嫌になっていく。 「……まったく、あんたたち、話は最後まで聞きなさいよ。だいたい、いきなり喧嘩をしに行こうってわけじゃないわよ……」  何度目かわからない大きな溜息。  そして、今度はゆっくりと、アリスは彼女自身の意見を語り出した。 「……あの竹林の連中が先に仕掛けてくる前に、こちらから話をしに行こうって事よ。どうせ放っておいても勝手にちょっかい出して来るでしょうからね。それなら、面倒なことは先に済ませておいた方が楽じゃない。上手く行けば、逆に月の情報なんかも聞けるかもしれないしね」  呆れたようにアリスはそう語る。 「だが、話をするといっても一体何をだ?」 「それは、この河童が語る事よ。とにかく、侵略目的じゃないって事をまずは伝えないとね」 「おーい、そこを人任せかよ。……まあいいけどさあ。でも、アリスも考えてよ……」  今度はにとりが呆れ返るが、アリスは平然としたまま話を続けていく。 「そりゃ考える手助けはするけれど、私個人はこの旅行の客人にしか過ぎないわ。説得力を持たせるには、やっぱり当事者が考えないといけないんじゃないかしら」 「ムムム……」  そう言われてますます困惑するにとり。彼女に助け船を出したのは、地下の鬼だった。 「なあ、ほら、にとり。私とお前で地下のカラスを説得に行っただろ。あの時みたいに話せばいいんじゃないか?」  だがいざそう言われて、河童は少し照れた苦笑いを浮かべる。 「いやー、アレはちょっと語りすぎましたよ。ぶっちゃけ今思えば、カラスもネコも引いてたじゃないですか。というか、勇儀様も理解できないって……」 「まあ私は頭があんまり良くないからさ……。それに、ネコやカラスに頭を使うことを要求するのが間違いってもんだ。でもその、竹林の奴らなら、お前の言いたいこともわかるんじゃないか?何を考えているか分からないとはいえ、頭はよさそうじゃないか、話を聞く限り。それと……」  そこまでは歯切れよかった勇儀だが、次の一言は、とても彼女のものとは思えぬいじらしさで付け足された。 「それと、様はやめてくれ、様は……。今は鬼と河童じゃなくて、共に月に向かう仲間なんだからさ……」  それを聞いたにとりはどうしていいかわからずきょとんとしていたが、他の面々は意味深な笑みを浮かべたままそのやり取りを眺めている。 「……まあ、勇儀様がそう言うなら……、でも、後から癇癪とかは無しですよ」 「そこは鬼の約束だ。だから、今後もよろしく頼む、にとり」  勇儀が大きく頭を下げて、にとりはますます混乱するばかりである。 「はいはい、仲良しはそこまでにして、とりあえず、竹林に行ってみましょう?道なら大体私が知ってるし、ま、最悪の時はその辺の兎を捕まえればいいわ」  仕切るアリス。  にとりと勇儀は色々と言いたいことがありそうだったが、アリスは完全無視を決め込んでさらに言葉を続ける。 「一応は話し合いの予定だけど、話というか、言葉の通じない連中だからねぇ。まあ、少しは戦闘の覚悟はして置いた方がいいわ。そう言えばパチュリー、あなたはどうするのかしら?来る?」 「……どうして私が行く必要があるのよ。あなたたちが勝手に月に行くんだから、あなたたちが勝手に話し合ってくればいいわ。私はただ、レミィの道楽に付き合わされるそこの門番の手伝いをするだけよ」  特に笑いも嘆きもせずに淡々と語る図書館の主に、アリスは溜息をつき、美鈴はバツが悪そうに頭を掻くばかりだった。 「驚いたわ。まさかあなたたちの方からやってくるとはね」  竹林の薬剤師は、言葉の通り心底驚いた様子でそう言った。後ろでは、助手の兎が訝しげな目でその来訪者達を見ている。 「まあ、月に行くならあなたに先に挨拶でもしておこうと思ってね。変に情報もないままいがみ合っても、お互い馬鹿馬鹿しいだけでしょう?」  アリスが言うと月人も黙って頷く。  空気は重いが、今すぐ爆発しそうな緊張感というわけでもない。  まさに、腹の探り合いである。 「それで、あなたたちはなんで月に行こうと考えたのかしら?あの巫女達から何かいいことでも聞いたの?」 「逆よ、逆。霊夢も魔理沙もなにも語らないわ。まあ、だからこそ月に行こうと思ったりしたわけだけど……」  言ってアリスは小さく溜息をついてみせる。それは、この化かし合いの中で見せたアリスの本音でもあった。 「ふぅん……、に、しても、月に行きたいというのはこの五人?悪いけど、まったく関連性が見えないわね」  その言葉と共に月人は目の前の月旅行のメンバー達を一瞥する。  門番、人形遣い、寺子屋教師、河童、地下の鬼。  確かに彼女の言うように、なんの共通項も見えないメンバーではある。 「実際、関連はほとんど無いわね。目的のために集まったというよりは、目的が一致したという方が正しいかも」 「で、その目的は?」 「その辺はまあ、この河童が語ってくれるわ。今回の旅行の責任者みたいなもんだし……」  その言葉を待っていたと言わんがばかりに、アリスはにとりを前面に押し出す。  無責任なアリスの言葉と、苦笑いを浮かべる河童。 「えへへへへ、まあ、なんと言いますか、ロケットを飛ばしたくてですねぇ」  照れているのか卑屈なのかわからない口調でにとりは語り、それを月人達は呆れたように聞いている。 「ロケット飛ばしたいだけなら、他の場所にしなさいよ。どうして月なのよ」  そう口出ししたのは、薬剤師ではなく助手の兎だ。彼女もまた月の出身である。 「そりゃもちろん他の場所も視野に入ってるよ。でもねー、やっぱり火星とかはまだまだ遠いんだよねー。外の世界でもまだ足を踏み入れてないらしいし。いきなりそんな宇宙大冒険に挑戦するよりは、まずは近場で肩慣らし、みたいな?」  相変わらず河童は微妙な笑顔を作っているが、兎は当然納得がいくはずがない。赤い瞳が、河童に刺さるような視線を向ける。 「みたいなって……、河童は大人しく水の中を泳いでいればいいじゃない。それを宇宙を泳いで、あまつさえ月を目指そうなんて……」  そこに割って入ったのは月人の薬剤師だった。 「まあまあ、愚かな争いはまだ止めましょう。ウドンゲも黙って聞いていなさい。で、河童さん、あなたとしては、月に行くことすら目的ではないわけね」  再び会話の水を向けられ、怯んでいた河童に再び活力が戻る。 「……そうだね、まあそういう言い方も出来るかな。月はあくまで通過点。私個人としては、世界の果てまで飛んでいくようなロケットに挑戦したいからね。今回、その栄光の第一歩が月ってだけさ」  語っている内ににとりの中でなにかが膨らんでいき、どんどんと得意げになっていく。ノリノリで、身振り手振りもヤケに大げさだ。  一方その影に隠れるようにして、美鈴がアリスに質問をする。 (あー、私の目的って、言って大丈夫ですかね?) (ああ、そういえばあなたは月に行くことそのものが目的じゃないんだったわね) 「確かに、幻想郷に科学は不要かもしれないさ。でも、それでも河童は科学に生きると決めたからね!第一、挑戦をやめて足を止めたら、河童になにが残るって言うんだい?」  スイッチが入り、すっかり独演会モードになっているにとり。椅子に片足を乗せ、拳を握って力強く訴え続けてる。  さすがにこれには薬剤師もその助手も唖然とするばかりである。  もっとも、河童の旅の同胞である慧音や勇儀も呆れ返っているようであるが。  そんなをにとりワンマンショーを尻目に、さらにアリスと美鈴の話は続く。 (黙ってるのもなにか不味い気もするんですが、下手なことを言ってあの人達を怒らせても嫌だし……、どうすればいいんですかね) (まあ、その辺は適当に誤魔化しなさい) 「だからこそ、幻想郷の新たなる第一歩を踏み出し、さらなる進化と科学の勝利のために……」 「はいはい、だいたいわかったからもうそろそろ黙りなさいね」  それだけ言って、薬剤師は目の笑っていない笑顔で河童にスプレーを吹き付ける。  効果は抜群で、そのまま意識を失って崩れ落ちるにとり。 「おい、お前にとりに何をした!」  その突然の出来事に、勇儀は飛び掛かからんがばかりに月人を睨み付けるが、当の薬剤師は涼しい顔のままで平然と説明を続けている。 「特製のクロロホルムで寝てるだけよ。妖怪にも利くようなタイプを作るのは苦労したわ。それで、河童の演説はともかく、あなたたちが月に行く目的はさっぱりわからないんだけど。ねえ、そこの門番さん」 「え!えっと、な、なんでしょうか……」  突然の名指しで飛び上がるように驚く美鈴。  完全に動揺しきっているのが誰の目にも明らかであり、誤魔化そうと横で平静を装ったアリスも、小さく溜息をつくしかできなかった。 「あなたの『言って大丈夫かどうかわからない目的』とやらを教えて貰えないかしら?あなたは、いったい何の目的で月に行くの?」  ジロリ、と月人の目が美鈴を射抜く。 「あははは、聞こえてましたか……」  垂れる冷や汗と漏れる溜息。  それらを苦笑いで誤魔化して、美鈴は開き直って全てを明かす。 「……実はですね、私の主人から、月のどこかにあるという黒い板を探してこいって命令を受けまして……、『ものりす』だかなんだかいうらしいんですが。永琳さんは、その板についてなにかご存知ないですか?」 「黒い板?……さあ、聞いたこともないわね。少なくとも、私が月にいたときにはそんな話は耳にしたこともないわ」  一瞬考えたものの、ほぼ悩むことなく即答である。隠し事の気配すらない。  あっさりと否定されてしまい、美鈴もすっかり困り果てるばかりである。  そもそも、あるかどうかもわからない物を探しに行くのが今回の任務なのだから、否定的情報はそれだけで彼女の目の前を暗くするのだ。 「で、その正体不明の板を探すのに、あなたたちも協力するって事なのかしら?」  落ち込む門番を無視して薬師が他の面々にそう尋ねるが、各人一様に首を横に振った。 「別に……、私は単に月に行くことが目的よ。まあ、向こうですることがなければ、探し物くらいなら手伝ってあげてもいいけど……」 「私も、月に行くことそのものが目的だな。ワーハクタクとして、一度月の地をこの足で踏んでみたいと思ってね……」 「私にはそんなに大層な用事はないよ。いい暇つぶしになりそうだから、単に河童を手伝ってやろうってだけさ」  三人はそれぞれで理由を語ってみせたが、それこそ、美鈴や眠り呆けるにとりと比べても取るに足らないような理由としか思えなかった。 「ハァ……、まあ、あなたたちが月を観光地かなにかと勘違いしていることはわかったわ……。まったく、月まで行って自分探しでもするつもりなのかしら……」  大きな溜息と共に、薬剤師は呆れて肩を落とす。 「まあいいじゃない。侵略する意志もないって事よ。実際、月になにかを求めてるのも美鈴だけだしね」  アリスの気楽な言葉。その美鈴は、後ろで謙遜のような照れ笑いを浮かべている。  頭を抱えていた薬剤師だが、さらに言葉を続け、一つの小さくも根本を揺るがす質問をする。 「でも、河童のロケットで本当に月までたどり着けるのかしら?本人が寝てるからこそ聞くんだけど、その辺はどう考えているの?」  そんな薬剤師の言葉にもまったく反応せず、にとりはすっかり寝息を立てて眠っている。  クロロホルムで眠らされたにしても熟睡しすぎである。 「まあ、確かにそこは不安ではあるけれど……」  アリスは言葉を濁すが、そこを押し切ったのは勇儀だった。 「それでも、にとりを信じるしかないだろう?どうせ私らにはこいつのロケットしか月に行く手段はないんだ。それならば、私らが信じてやるしかないじゃないか」  その、眠るにとりを軽々と抱きかかえて、勇儀は力強くそう言い切った。 「うむ、たまには勇儀もいいことを言うのだな。確かに、私達に出来ることは信じることだけだ。あとはまあ、月の石のご加護を祈るくらいか……」 「……月の石、ですって!?」 「ああ……、ほら、これだ」  月人の思いがけない反応に、慧音は懐からその小さく歪な石を取り出し、差し出してみせる。  月人はそれを手に取ると、まるで宝石の鑑定でもするかのようにくまなく観察し、改めて驚きの声を上げた。 「……驚いた。まさか、幻想郷で表の月の石を見られるなんて思わなかったわ……。こんな物、いったいどこで手に入れたの?」  その言葉、その態度に偽りはないだろう。月人の彼女にとっても、月の石とはかくも珍しい物らしい。 「森の入り口の古道具屋だよ。なんでも、外の世界から流れてきた物らしい……」  慧音が事情を説明すると、月の薬剤師は、まだ石を見たまま唸るように考え込み、そして、ゆっくりと、一つの意外な事を口にした。 「……あなたたち、月に行くならついでに私の頼みも聞いてもらえないかしら?」 「「「「頼み!?」」」」  四人が口を揃えてそう言った。それほどに、考えられないような言葉だったのだ。 「そうよ。あなたたちが月に行くのなら、せっかくだから私も一つ頼み事をしようと思ってね」 「あら、あなたは私達が月に行くのに反対じゃないの?」  皮肉半分、驚き半分でアリスが尋ねるが、月の薬剤師は軽く右手を振ってそれを否定する。 「まあ、諸手を挙げて賛成とは言い難いけど、あなたたちみたいなお気楽すぎる連中なら別に害はないと思うわ。自制の利きそうなのも多いしね。……それに、あなたたちが行く月が、私の知っている月であるとは限らない。だからこそ、頼み事が出来ると判断したのよ」  意味深な言葉。  各人首を捻るが、ただ一人、アリスだけがなにかを理解し、思考を回転させ、ある一つの答えを導き出した。 「……月の石の羅針盤が導く月ね」 「ご名答」  アリスの回答にマルを与える出題者。 「その、表の月の石には、表の世界の人間では気が付かないような、もの凄い力が秘められているわ。それこそ、幻想郷さえも飛び越えてしまうような、ね。しかも媒介に河童の科学ロケットを使うとなると、完全に条件が揃う事になる。幻想の月ではなく、空想科学の月へと飛ぶ可能性はかなり高いと考えていいわ」  月の頭脳の導き出した答えを理解するには、それ相応の前提知識が必要である。  魔法使いであるアリスはともかく、その他の面々は、薬剤師の弟子の兎も含めて話から完全に取り残されている。 「それであなたは、その空想科学の月で私達になにをしてきて欲しいわけ?」 「まあ簡単な事よ。この旗を、向こうのどこにでもいいから立ててきてもらいたいの」  言って不敵な笑みが月人の顔に浮かび、彼女はどこからともなく一枚の旗を取り出した。  鮮やかな赤と白の縞模様の一角に、青地にいくつもの白い星の描かれた、外の世界の国の旗。 「アメリカ国旗ね。……私が知っているのより、星の数が多いみたいだけど……」 「まあ、その辺は誤差の範囲よ。それで、その旗を向こうの月に刺してきてもらいたいってわけ。……幻想の月に、太陽神は相応しくないと思わない?」  太陽神の名を冠した、忘却の彼方へと消えようとしている外の世界の月計画。  その忘却に便乗して外の月そのものを歪めてしまい、彼女達のいた月を守ろうというのがこの旗の目的だろう。 「難しい話はよくわからんが、月ってのは実はいくつもあって、お前らのいた月を守るために、その旗を目印にして私らの行く月に厄介者を追い払おうって事か?」  さすがに置いてきぼりに退屈したのか、勇儀が首を捻りながら無理矢理に話に入ってこようとする。 「まあ、大体そんなところね。月は一つしかなくても、その表面はいくつもあるという方が正しいかしら?」  そう言われてますます勇儀は首を捻るが、月人はまったく気にした風もない。  一方でアリスもまた、さして色々なことを気にしていない様子である。 「……まあ、月の事情なんて私達には関係ないし、旗くらいならかまわないわ。でも、本当に空想科学の月にいけるかどうかの保証は出来ないけど」 「まあ、あなたたちなら大丈夫よ。旅の無事を祈ってるわ。……私の月にたどり着いてしまわないことも含めて、ね」  旗を渡し、月人が意味深に笑う。 「そこはもっと保証出来ないわね」  その国旗を受け取ると、アリスは不敵も笑顔を作ってそう言った。 「いいんですか師匠、あいつらをそのまま月に行かせちゃって」  月への旅行者達が去ったあと、弟子の兎は敬愛する師にそう尋ねた。 「あら、心配要らないわよウドンゲ。さっきも言っていたように、あの娘達は私達の月にはたどり着けないわ。彼女達が飛ぶのは空想科学の月よ」  相変わらずわかるようなわからないようなことを言う月人。 「月の石と私達の月は相成れない物。だからこそ、あの石がある限り、彼女達は絶対に私達の月にはたどり着けない。まだ普通の表の月にたどり着く可能性の方が高いわ」  余裕の口ぶりに、弟子の兎はますます混乱する。 「そもそも、空想科学の月って一体何なんですか?」  まずはそこがわからないのだ。 「概念の問題ね。神や妖怪が人の心から生まれることがあるように、新たなる世界もまた、人の心が作り出すの。……人間は自分達では何も知らないくせに、月のことを知りすぎてしまったわ。だから、あんな歪な月が生まれることになるのよ」  全てを悟りきったかのような言葉だが、それゆえに説明不足は否めなず、兎はただただ頭の中がかき回されるばかりである。 「はあ……、よく分かりませんが、あいつらはそっちの月に行くって事ですか?」 「そういうことね。もちろん、万が一のことも考えて手も打ってあるわよ。私がただ頼み事をすると思って?」 「……あの旗に、何か秘密でもあるんですか?」  あの話の中でなにかを仕組んだとしたら、思い当たる節はそれしかない。 「別に秘密と言うほどのものではないけどね。単にあの旗自体、空想科学的概念の象徴のような物ってだけよ。万が一月の石がなくても、河童のロケットならあの旗が空想科学の月へと導くわ。まあ、アレを刺してきてもらうことで、月の都を守る効果があるのも嘘ではないけど。……意外と素直に話をしてたのよ、今回は」  ふふふとイタズラっぽく笑う薬師。一方で兎は言葉もなく呆れるばかりである。 「……あいつらには、妙に肩入れするんですね」 「彼女達のささやかな冒険心は、見ていてなかなか微笑ましかったからね。まあ、せいぜい月旅行を楽しんできてもらいましょう」  そんな師の態度に、兎はただ溜息をつくのだった。  帰り道。 「しかし、これで後戻り出来なくなったわね……」  畳まれた国旗を手にアリスが呟く。ここまでされてはもう月に行くしかないのだ。  月に行きたいと思った彼女であったが、不安もまた、日に日に増大していっているのだ。 「まあ、最初からなるようにしかならないと思ってたけどな」  眠ったままのにとりを背負い、勇儀が気楽に言う。この退屈を持て余した鬼にとっては、過程も含めて全てが退屈しのぎであり、貴重な時間である。  月に行けるかどうかすら、本当は関係ないのであろう。 「そもそも、私なんて選択権すらないですし」  逆にどうしょうもないのが美鈴である。とはいえ、言葉の中身は重いが、態度は一周して逆に開き直ったかのように明るい。 「まあ、信じるだけだとは言ったが、ロケットはどこまで出来てるのかな」  慧音が少し不安げに漏らす。  彼女にとっても、月への旅は不安ばかりが先行するのだろう。 「材料なんかはこあちゃんに頼んで紅魔館で手配してもらっているみたいだし、結構進んでるんじゃないですかね」  さらりと美鈴が言ったが、他の三人は驚きを隠せない。 「へえ、この河童も色々抜け目ないわね。ただ騒がしいだけと思ったら」  アリスは言って眠るにとりの頬をつつくが、まったく起きる気配はない。 「だから言ったろ?こいつを信じるだけだって」  まるで自分のことのように得意げな勇儀。確かに、信じろと言ったのは彼女ではあるが。 「……にとりは本気なのだな」  慧音がそっとつぶやく。アリス以上に、彼女はまだ覚悟が決まっていないところがあったのだ。 「こいつはいつだって本気だよ。だからさ、私らもこいつの本気を信じてやるしかないだろう?」  その言葉に、誰もなにも言えなくなった。  皆、なにも言わずただ空を見上げる。  見ると、夜のとばりが降りた漆黒の中に、煌々と三日月が輝いている。 「……あそこに行くんだな」 「ええ」 「行くしかないでしょう」 「行けるさ、私らなら!」 「絶対月に行くぞ……ムニャムニャ」 「夢の中でも月のことを考えてるのか。にとりらしいな」  そして四人は思わず笑う。  もう、月に行くしかない。