食物である。  ルーミアは暗闇の中でゆっくりと肉を噛んでいた。  ちゅぐり、と血や体液が音を鳴らす。食む。少し肉付のよい腹だ。 「……おいしくない」  人間の、死体だ。自ら殺したわけではなく、他の妖怪が殺したものを食している。  夜に歩いている人間は食べてもいい。一つ目の約束。  できるならば、人間も、なにも自分の手では殺さないで欲しい。二つ目の約束。  一つ目は巫女が、二つ目は自分の恋人が。人肉を食す妖怪にはとても辛い約束だが、それを守っていた。今も、守っている。 「おいしくない」  何度もそう呟いた。見られたくないから、一人で出歩き、一人で食し、一人で帰り、二人で眠る。震えながら。  肉なんか、食べたくない。そう思う。野菜だけで、なんてことも言わない。なにも食べないで済むならばそれが良かったのに、と。  強がってはいるが、優しすぎたのだろう。妖怪らしく振る舞うには、心が幼過ぎて、老い過ぎていたのだろう。 「おいしくない。おいしくないよ」  噛み千切る。骨に歯が当たった。気にせずに歯を進める。顎に力が入り、少しだけ歯茎が痛んだ。 「ん、ぐむ。ガリッ……ズッ、ぐちゅ……」  食事は続く。  ルーミアは気付かない。  霖之助が近くから見ていることに。  せめて、その死体の魂と魄が、良き輪廻を迎えれます様に。  悲劇でなければ喜劇でもない。日常は続いていく。  本題にはあまり関係がないのだが。 「あーあ」  顔を赤らめながら、写命丸文は言葉を漏らした。  夜雀の居酒屋で、燗を一本空け、自棄になった様に漬物を口に放り込んだ。 「ねえ、ミスチー」 「はいはい。なんですかお客さん」 「だから文でいいですってー。……やっぱり、仕方がないんですよね」  食べたり、食べられるのは。  そう続ける。目が赤いのは、酔いの為だけではないだろう。少なくとも、天狗は燗の一本でここまで酔いは回らない。 「……この鰻だって食べられる為には生きてないよ?食べるのはこっちが生きる為」  そう言いながら、ミスティア・ローレライは商品の筈の八つ目鰻に口を付けた。 「ん、おいし」 「なんで、私よりも若い貴方の方が、そんな考え方が出来るのやら……」 「いや、文だってしてるでしょ。そうじゃなかったら、鳥を殺されて食べられて、仕方がないかも知れないなんて言わないし」 「でも、嫌なもんは嫌なんですよ。やっぱり」  空っぽの燗を掲げて、空想の一滴を喉へと落とす。 「私だって嫌だってそりゃあ。でも、私たちが出来るのは言うだけ。何かかんか食べてる時点で、同じなんだから」 「だから、そんな割り切り方は出来ませんよ」 「なら何するのさ。私はこうやって鰻を焼いて、焼鳥を出さない。出来ることならいろいろあるんじゃないの?」  受け売りだけど。  ミスティアはそう言葉を繋げて、燗をそのまま呷る。もはや、屋台の店主とは思えない行動だ。 「やれることなんてありませんよ。鳥肉以外を料理してくださいと新聞に書いても、面白がって消費量が跳ね上がるだけです」 「なら、他の消費量上げればいいじゃん。旬の食べ物とおいしい料理の仕方があれば私がやるから」 「料理の仕方ですか。ところで」 「なんだいお客さん」 「だから、いやもういいです。この人どうするんですか?」  文が隣りの席を指差す。  稗田阿求。肉体的にはまだまだ幼い少女は、顔を赤らめ突っ伏していた。 「いや、店締めたら一緒に帰るけど」 「あややや。仲のよろしいことで」 「だから帰って、早く。調子悪いのに一緒にいるって聞かなかったんだから」 「あと一杯、いや一本でいいですから!」  ミスティアは、まだ空いていない燗を文の口に押し付ける。 「飲みながら帰れ」  文は後に語る。あれは何時ものミスチーではなかったと。  仕事よりも恋愛を優先するか、恋愛よりも仕事を優先するか、それは人それぞれであるが、ミスティアは仕事よりも恋愛を優先する質の様だ。  これも日常の一部だ。悩むのが一人か、二人か、独りか、共にかの違いはあれど。  本題を話すのもそうだ。本題のみを話すか、幾つかの事柄から理解を助けるか。つまりこれも本題ではないのだが。 「メリー」 「なに?」 「いやさ」  ジンギスカンを囲む。窓は匂いが籠るからだろう、開けっ放しになっている。 「私たちは、本当に生きてるのかなぁって」 「いや、生きてるけど」  羊の肉をゆっくりと噛み締める。半額四百二十三円消費税込み。合成物だ。 「生物は生物を取り込んで、命を繋げてる」 「……そうね」 「これは、合成物。あれも合成物」  言いながら玉葱を口に放り込む。シャキリと音がした。 「形だけそっくりでも、生きてるのか生きてないのかわからないのを取り込んで、生きてるって言うのが」  おいしいからいいけど。 「……蓮子は生きてるし動いてる。私も生きてるし動いてる。それでいいじゃな い」 「そうだね。ああ、お酒が美味しい」 「ねぇ、蓮子」 「なぁに?」  赤らんだ顔で返答する。マエリベリーは、それを見て笑う。 「飲み過ぎ」 「いいじゃない少しぐらい」 「飲み過ぎなのに少しってのは、頭痛が痛いみたいにおかしいと思うけど」 「飲み過ぎだからおかしい」 「なら飲むのやめなさい」  羊肉と玉葱が互いの小皿へと移る。メリーは肉を一口分だけ口にいれ、数度噛み、とても不味そうに飲み込む。 「私たちは、きっと想いを食べてるのよ」 「思いね」  意味が分からないと頭を降る蓮子。酔いが余計に回ったのか、うぐぁと唸る。 「作った人の心とか、そういうのを……食グッ……カハッ、フグッ…………ふぅ……。食べてると思えば」  言葉の途中で、くいっと缶のカクテルを喉へと流し込んだ。桃のヘソ。気管に入ったのか、咳き込んでいる。 「そんなありえないぐらい咳き込んだあとに、真面目な顔で言い直されても」 「いいじゃない。で、私の愛情たっぷりのジンギスカンはどうかしら」 「メリーの場合は愛情より友情な気がするんだけど」 「友愛の愛よ。そりゃあ彼氏でもいたらその人に食べさせてるしね」 「させてるしね、のしねが死ねと言ってるように聞こえるのは私だけ?」 「それだったら、させてるし、死ねって言うわよ」  笑いながら話す。彼女たちにとってはこれは冗談の様なものなのだろう。 「まあ、ありがとう、メリー」 「どういたしまして」  笑いながら、言葉を交わす。綺麗な、友情である。  互いの箸が、羊肉、最後の一枚を取り合いしていなければ。 「……寄越しなさい、メリー」 「嫌よ。蓮子こそ離しなさいよ」 「メリーは自分のお肉を食べればいいじゃないの。メリーなんだから」 「いやそれは意味がわからないから」  まだ夜は明けない。  この奪い合いは、肉が床へと誘われるまで、 「あ」 「え?ってあぁ!」  いや、今終わった様である。羊肉が床に落ちた。 「……まあ、仕方がないわね」 「そうね」  にこりと笑みを交わし、拳を振りかぶり、互いの頬を殴り、両者ノックアウト。  御粗末。  ……ああ、本題のことを忘れてた。    おいしくご飯を食べられますか? ―――――――― 食物と生行動の中間 ◆ilkT4kpmRM