ざぁっと、一際大きな風が吹いた。足首を隠す程に伸びたよもぎ草と、育ちきったふきのとうがさわさわと揺れる。  帽子を押さえる。目の前では、メリーの金髪が風に流れて光っていた。  こんな光景は珍しい。いや、人工物として生まれた、これとそっくりの自然ならば所かしこにある。珍しいのは、これが天然物の自然ということだ。 「気持ちいい風ね。まだ春になったばかりなのに、もう夏のにおいもする」 「でも、まだまだ熱くはならない、はず、うん、たぶん」 「曖昧ね」  それはそうだ。私では、明日の気温はわからない。教科書に書かれたことと、今まで得た知識合わせて、推測することならば出来るのだろうけど。 「最近は、冬でも他の季節を隠せなくなったけど、それでも季節は回りますっ、と」  小麦色に変わり枯れ果てた、それでも健気に立つ草花。土に返る前の木葉も赤かったり茶色かったり。  そんなものを見ると、本当に、季節の差がわかりにくくなったと思う。 「隠せてるわよ。本で見た、一回も雪が降らない冬は今ではないし、春もしっかり涼しくて暖かい。夏はかき氷がおいしくて、秋は食べ過ぎ危険です」 「夏と秋ちょっと待て。芸術の秋、芸術の!」 「焼芋の秋、栗ご飯の秋、柿の秋、小さい秋に大きい秋」  どれも間違えてないけど、間違えていた方がよかったと思う私こそが間違いなんだろうか。 「秋といえば、ほら。冬に置き去りにされたのか、秋だと勘違いしたのか、とんぼが一匹」 「……いや早過ぎるでしょ、とんぼは流石に」  メリーが指差す方向を見ると、たしかにとんぼが飛んでいた。漢字としては翔ぶが正しいのかもしれないが。  夕暮れの赤の中に翔ぶとんぼは、同じように赤く、淋しそうだった。 「あかとんぼ」 「いいえ、ただのとんぼ」  ただのとんぼなんてものがいるのかは知らないけどね。そう、くすりと笑みを零しながらメリーは言葉を続ける。私は聞くだけ。なんだか、少し淋しいような、感じがした。 「夕暮れ時の教室は、夕焼けの陽が入って、だいだいに染まる。その橙色が、ガラスに反射して、まるで自分から輝いてるように見える。それと同じであのとんぼも夕陽に染まっているだけ」  彼女の髪の毛も、同じように、赤とも橙ともつかない色を纏って、光る。 「でも、夕陽の色ではあるけど、蓮子の言ったあかとんぼってのも間違いじゃないかも。ほら、輝くって意味の漢字で、かくって……赤がふたつ並んで赫ね。あかとも読むらしいけど。まあ、あのとんぼなら、夕陽で赤いし赫とんぼと言ってもいいかも」 「……いや、それは無理矢理過ぎ」 「日本語なんてそんなものだって習ったけど。二十日って言葉なんて、かは日にちの日だけど、はつなんてないし」  まあ、たしかに。当て字も多いし、日本語はあやふやにも思える。 「蓮子は蓮子、私は私。これが蓮子が蓮根で私がマリーベルとかなら別人でしょ?」 「なんで私だけ食べ物なのかをまず聞きたい」 「宇佐耳蓮根」 「ウガァ!それは言うなぁ!」  何もなかった。ちょっと拳で友情やらを深め合っただけ。 「とんぼ、いなくなったわね」 「そりゃあ、あれだけ暴れたし」 「もう暗いわね」 「とっくに暗い……それでも、まだ七時十八分」  空を眺めながら話す。 「ねえ、蓮子」 「なに、メリー」 「たった一週間なのに、こうやって一緒にいるのが、すごい懐かしく感じるわね」 「……そう、ね」  ぴりりとした、、胸の痛みを感じた。本当は胃なんだろうけど。人生と私には胃薬が必要だ。 「もう、私はどこにも行かないから」 「……気にしないでいいって。メリーは、夢の中では不安定なんだから」  そう、気にしていない。気にしていないということにしたいと気にしているけど。  なにも思ってないと、思ってるけど。思い込もうとしてるけど。 「ひとりでいなくなってごめんなさい。ひとりにしてごめんなさい。たったの一週間。それが、うん。私は淋しくて、今が本当にうれしかった」 「メリー、私は、気にしてないから」 「いつもごめんなさい。ありがとう。ねえ蓮子、もういなくならな」 「だからっ!」  叫ぶ。気にしてないと繰り返す為じゃなく、そんな言葉を聞かないために。 「気にしてないから……ね?」  頭が回らなくて、結局気にしてないと繰り返してしまうのだけど。 「うん。ありがとう、れん」 「ありがとうもなし。いつも通り。あとは一回紅茶を奢る」 「……それは気にしてるって言うはず」  いいじゃないの、それぐらい。 「……帰ろっか」 「そうね」 「ほら、手」 「はいはい、エスコートをお願いします、王子様」  ちょっと傷付いた。王子様って言葉に。 「私、女の子だけど」 「なら、私が王子様?」 「よし、二人ともお姫様で」 「まあ、じゃあそれで」  手を繋いで、歩く。さて、帰り道はどちらだったか。  強く強く結んだ手を揺らして、一歩一歩足を踏み締めて、十歩目で顔から伸び過ぎたよもぎの海に顔からダイブした。我ながら思う。このタイミングで転ぶなと。 「痛い、わね」 「頭からだもん」  土がついた顔で見つめ合う。その顔があまりにも馬鹿みたいで笑ってしまった。 「ねえ」 「んー?」 「今日のご飯はなににしようかしら」 「……カレーかな。醤油もソースもマヨネーズもかかってないや。ただ、隠し味ならあり」  立ち上がる。服を叩いて土を落とした。 「今度こそ、帰ろ」 「そうね」 「じゃあお姫様、お手をどうぞ」 「ありがとうお姫様」  私たちは、ちょっとそんな悪ふざけをして、よくわからない道を進んでいった。  今考えると、あのあかとんぼは不思議でも何でもないのかもしれない。  メリーの一週間もかけた失踪事件は、結界を越えた結果で、あのとんぼを見たのも結界を越えた先で。  ……そういえば、私はどうやって結界を越えたのか。見ることも、聞くことも出来ない、そんなものを。  まあ、どうでもいい。今は。  今は、メリーと食べるカレーの味だけを気にかけよう。 ―――――――― あかとんぼ ◆ilkT4kpmRM