第二章 月への準備 「号外!ごうがーい!!」  けたたましい声を上げながら、鴉天狗がいつものように新聞をばらまいている。  滅多に読まれることのないこの文々。新聞だが、この日の一面には、さすがに呑気な幻想郷の面々にも度肝を抜かれたに違いない。 『河童の大宣言!もう一度月へ行く!同行者には森の人形遣い、町の寺子屋教師、地下の鬼ら』  この大見出しに、河童が鼻高々にインタビューを受けている写真である。  月と言えば、まことしやかに囁かれるのは、麓の神社の巫女と紅魔館の主、あとおまけの普通の魔法使いが殴り込んで返り討ちにあったという噂である。  誰も語らないが故に真相は定かではないが、誰も語らないが為にどんな解釈も出来るというのが現状だ。  ものの見事なまでに敗北し、巫女が月で晒し者にされておめおめ帰ってきたという噂もあれば、裏をかいて勝利し、月の秘宝を持ち帰ってきたという話も聞く。  いずれにしても、何もわからないままだ。  だからこそ、幻想郷の耳聡い面々は月の話題に興味津々なのである。  もっとも、その筆頭のはずの隙間妖怪は、巫女の月行きに一枚噛んでいるという噂もあってか、その話題には興味がないようだったが。  いずれにせよそんな中で出て来たのが、この河童の話なのだ。  河童はその一面のインタビューでこう言っている。 『いやいや、私は何も、月に攻め入ろうって訳じゃないんだよ。そう、単なる好奇心から、月に行きたいと思っているのさ。技術者として生まれたからには、やっぱりロケットはロマンだからね。空を越え、星を越え、宇宙を越えてどこまでも飛んでいく。でもまあ私にとっては、月さえも通過点にしか過ぎないんだけどね。他の人が行ったことある場所じゃ、面白くないでしょ?あくまでとりあえずの現時点の目標ってだけかな、月は。ま、今回の月旅行は、言うなら技術テストだぁね』  なんと自信に満ちた言葉だろうか。  もっとも、このインタビューも天狗が行い、編集も天狗の手によるものであろうから、どこまでが真実かはわからないが。  まあ何にしても、河童が月を目指す。それは事実のようである。 「で、なんで貴方の名前がないのかしら?」  その新聞を見た紅魔館の主が起こした最初の行動は、特命を与えた門番を呼び出すことだった。 「えーと、何でなんでしょうか……?その面々を見る限り、私もいるはずなんですが……」  河童、人形遣い、寺子屋教師、鬼。  まさに先日図書館で月に行くことになったメンバーそのものである。 「お嬢様、もしかしたらこの『ら』が彼女なのではないかと……」  メイド長の指摘。なるほど、よく見れば鬼の後に『ら』と書いてある。 「あら、本当ね。よく読めば本文の一番後ろの同行者紹介に貴方の名前もあるわ」 「ひ、ひどい、五人なのに一人だけ『ら』扱いとか……」  扱いの悪さに思わずうなだれる門番。  主とメイド長も苦笑いするばかりである。 「まあ、ちゃんと貴方も行くっていうのならいいわ。……あの天狗は今度〆ておかないと」  一瞬主の顔が凶悪な笑みに変わる。が、すぐにいつもの余裕の表情に戻り、さらに質問を続けていく。 「ところで、このメンバーは一体どういう集まり?なんでこの面子になったのかしら?」 「まあ、色々ありますが、多分偶然というのが一番妥当かと」  実際美鈴自身、なぜこの面々が集まったのか理解出来ていない。あの時、月に行きたいと思い、図書館に集まっていたというだけだ。  ただ、皆月に行きたいという意志を持っているのは確実である。 「そもそも、河童以外、何で月に行きたいのかわからない連中ね。百歩譲ってワーハクタクである寺子屋教師は理解できるとしても、人形遣いと鬼は何を考えているのかしら」 「好奇心、ではないでしょうか」  紅茶を淹れながら、メイド長が最もらしいことを言う。 「好奇心ねえ……、そんな感情だけで動くようなタマとは思えないけれど」  紅茶にひとくち口をつけ、吸血鬼はただぼんやりとそうつぶやく。 「まあ確かに、アリスさんにしても勇儀さんにしても、色々と思うところはあるみたいですからね。でも、それもそのうちわかるんじゃないでしょうか」 「……貴方は気楽ね。もし何か企んでいたら、痛い目にあうのは貴方かもしれないのに」  溜息混じりの、呆れたようなメイド長の言葉にも、門番は脳天気とさえ思える笑顔で応えるばかりである。 「その時はその時ですよ。今から心配しても何も始まりませんからね。今は月に行くことを考えるだけです」 「それはかまわないけれど、あいつらに『成果』を盗られないように注意するのよ。特に人形遣いは裏で何を考えているのかわかりゃしない。またあの白黒と組んで、ごっそり持ち逃げされるかもしれないわよ」  思いの外真剣に、紅魔館の主はそう注意を促したが、あくまで門番は気楽な表情である。 「さすがに今回はそれはないと思いますけどね。魔理沙さんも霊夢さんも、もう月と関わること自体消極的っぽいですし。何かあるとしても、アリスさんの単独だと思いますよ」  とはいえ、彼女は彼女なりに色々と考えているのだろう。全くの無警戒ではない事がその言葉の端に窺えた。 「いずれにせよ、私としては目的である黒い板さえちゃんと持ってくればそれでいいわ。せいぜい、彼女たちと仲良くして利用してやる事ね」  それだけ言って、紅魔館の主は笑っていた。 「やあ、本当に月に行くということになるとは思わなかったよ」  古道具屋の店主の言葉に、寺子屋の教師は少々返答に困っていた。 「一応は、そういうことになっているが、本当に行けるかどうかはわからないところだな……」 「まあ、月はいまだ外の世界でも支配を為し得ていない場所だ。旅に危険はつきものというわけか」  訳知り顔で店主は言ったが、彼女の心にあったのはそんな不安だけではなかった。  勢いで月に行くと言ったものの、一晩考えてみて、果たしてそれでいいのだろうかという感情が強くなってきたのである。  寺子屋のこともあるし、他にも色々と思うところはある。前回の巫女達の状況から考えても、おそらくは一ヶ月以上不在をすることになるのだ。果たしてそれらを放ってまで、自分の我が儘を押し通していいものだろうか。 「そういえば、彼女は何か言っていたかい?ほら、竹林の道案内をしている……」  彼女の心を見越してか、店主は彼女が最も気にかけているその少女の話題を口にした。 「いや、妹紅には、まだ会っていないんだ」  彼女の一番懸念しているのは、藤原妹紅の存在だった。  もちろん、彼女とて永く生きてきたのだ、今更一ヶ月自分がいないところで、別に何も問題は起こらないだろう。  ただ、行き先が月というのが慧音の心に不安の影を落としている。  必要以上に彼女を刺激してしまわないだろうか。  月人である永遠亭の姫との諍いがエスカレートするかもしれない。  月から帰ってきたら取り返しの付かないことになっているというのは、万が一にも避けたい事態だった。 (しかし、この考え方は少々過保護がすぎるかもしれないな。彼女の世話をしているのつもりが、いつの間にか私が彼女に依存するようになっているのかもしれない……)  それならば直接彼女に会って確かめればいいのだが、無意識のうちにそれを避けしまっている。  そもそもこの時間だって、自宅に妹紅が訪れてくることの多い時間だ。ましてや今朝の新聞を見たなら、なおさら来る可能性は高いだろう。  そんな時間を選んでこの古道具屋に来ている時点で、彼女の心に何かしら迷いがあるのは明白である。  店主が何か言おうとした、その時だった。 「店主!慧音はいるか!?」  乱暴に店の扉が開かれ、一人の少女が駆け込んでくる。噂をすれば何とやら、藤原妹紅その人だ。 「妹紅、どうしてここに?」 「どうもこうも、慧音、月に行くっていうのは本当なのか?」  その手には、今朝の文々。新聞が握られている。 「君も新聞を見たクチかい?あの天狗の記者も、ここまで注目されるとさぞ浮かれているだろうな」  そんな店主の言葉も完全に耳に入らず、新たな来客は寺子屋の教師を問い詰める。 「……ええ、ひと月ほど留守にするつもりです」 「そうじゃなくて、何で月なんかに行くのかってことだ」  その質問に、ワーハクタクの女性は静かに小さく首を振り、ゆっくりと口を開いた。 「……私が、ワーハクタクだからです。私は、月に縛られる人生を余儀なくされている。だからこそ、一度、あの月の地を踏みたい。私にもたらされたこの能力の源をこの目で、この足で確かめたいのです」  それが全てだった。それこそが、月の石を手にしてからの、彼女自身の誤魔化しきれない欲求なのである。  もはや彼女を止める術など無い。妹紅はすぐにそれを悟った。 「わかったよ。止めようと思ったが、無理みたいだな……」 「……心配をかけることになります」  申し訳なさそうな慧音に、声をかけたのは店主の方だった。 「ああ、そうだ、前に言っていた月の石の代金は、月の話でいいよ。魔理沙も霊夢も、全然話してくれないからね」  唐突な店主の言葉だったが、慧音はその裏にあった心情を察した。  必ず帰ってこれるという安心を妹紅に与えるということと、必ず帰ってこいという慧音への後押し。  こうして自分を慕ってくれる人達がいる限り、月では死ねない。  慧音は、あらためてそう決意した。 「それで、あの核カラスの力を借りようって訳か」 「へえ、やっぱり推進力には爆発ってのが昔からのセオリーなんで」  博麗神社に向かう勇儀とにとり。  最近そこに居着いている地下のカラスが目的である。 「お、勇儀と河童じゃん。珍しい取り合わせだねぇ」  境内で昼間から酒を飲んでいた萃香が声をかけてくる。 「おお、萃香。相変わらず酔ってるな。巫女はどうした?」 「霊夢ならいないよ。何か話があるとか言って朝から妖怪の山へ行ったきりさ。天狗の新聞持って慌てて出ていったからねぇ」 「「妖怪の山?」」  その言葉に顔を見合わせて首を傾げる河童と鬼。 「何か臭うな、河童」 「あの巫女、もしかしたら私らの邪魔をしようとしてるんじゃないですかね。アリスもそれっぽいこと言ってましたし」  ヒソヒソと推測を述べる二人。 「で、あんたらはなにをしようとしてるのさ?」  訝しむ酔いどれの鬼。誤魔化すようにただ笑う河童と地底の鬼。 「あ、いや、地底のカラスがいるだろ、最近この神社に。あいつに用があるんだよ」 「ああ、あのカラスなら今日は縁側で猫と一緒にひなたぼっこしてるはずだよ。でもまた、なんでカラスなんかに?」  萃香はいまいち要領を得ていないようで、質問を繰り返してばかりである。業を煮やしてきた勇儀が、逆に萃香に尋ねた。 「いや、何って、お前、もしかして私らが月に行くことを知らないのか?」 「え、月?月だって?あの空に浮かぶ月かい!?」  腰を抜かしそうになるほど驚く萃香。案の定、彼女は何も知らなかったのだ。 「今朝の新聞も見てないのか?デカデカとこの河童の写真が載ってたぞ」 「新聞は朝霊夢が持っていったきりだからなぁ……、でもまた、なんで月なんかに」 「河童が行くって言うから、せっかくなんでね。地上も地下も暇じゃないか。退屈しのぎに丁度いいかと思ってね」  勇儀の言葉に、萃香は疑惑の目を向ける。 「ホントにそれだけかい?私にはそうは思えないけどなぁ」 「……他に何があるって言うんだよ」  勇儀が言うと、萃香はチラリと河童を見てそのあと訳知り顔な笑みを勇儀に向けた。 「あーやだやだ、鬼のくせに歯切れが悪いね。もう少し素直になったらどうだい」  萃香は意地悪く笑い、勇儀はただそれを不満げに見ている。 「ま、勇儀自身も自覚してない感じかい。それならそれでいいや。地下の動物たちなら裏にいるからさっさと用件を済ませてくるといいよ」  それだけ最後に言って、酔いどれの鬼は再び酒をあおって離れていく。 「まったく、相変わらずまどろっこしい奴だね」  勇儀はその背中を見て、大きく溜息をついた。 「もうお話は済みましたかね」  遠巻きに二人の会話を見ていた河童が、話し終わったのを見てようやく寄ってくる。 「なんだい遠慮なんかして。そんなに気を使うなって」 「いやいや、鬼の会話に口なんか挟めませんって。それよりも、サクッとカラスを説得しちゃいましょう」  二人がそうこうしていると、気配を察してか地下のネコとカラスが様子を見に表にやってきた。 「おや鬼と河童のお姉さん方。こんな辺鄙な神社になんの用だい?」 「なんかさっきからカラスカラス言ってたけど、私になにか用なの?」  陽気に笑う黒猫と、呑気に笑うカラス。地下の地霊殿のペットコンビである。 「いやー、この河童がお前さんの力を借りたいんだってさ。なっ?」  思いっきり背中を叩かれ、河童は思わず飛び上がる。が、それでスイッチが入ったのか、いきなり河童の語りが始まった。 「そうそう、その膨大にして強力な核エネルギーを、ぜひとも幻想郷の科学の発展、未知への挑戦の為に貸して貰いたいわけだよ。どうかね?君も幻想郷の歴史に栄光の名を残してみたいとは思わないかい?」  すっかりにとりはノリノリであるが、カラスは首を傾げるばかりである。 「何が言いたいかよくわからないんだけど、要するにどういう事?」 「おくうの力を悪用しようとしてるのかな?」  話し合うペットたち。だがそれを気にした様子もなく、河童の演説はさらに続く。 「人類が月へと挑戦したように、我々妖怪も常に挑戦を続けないとダメなんだよ。確かに、月はあの紅魔館の面々によって到達されたし、月人達だって行き来できるみたいだ。だからこそ、我々の挑戦の第一歩を試すに相応しい場所だと思わないかい?まあ、あくまで月は通過点ということさね。目標はあくまで宇宙の果て。そのためにもエネルギーが必要なんだよ。これも科学の勝利のためと思って、ね!」  だが河童が大演説をぶつたびに、ネコとカラスはあからさまに訝しんでいく。 「だから、もっとわかりやすく言ってってば」 「なんだかわからないけど、河童のお姉さんがおくうの力を悪用しようとしているのはわかったよ。挑戦とか勝利とか、難しいことで煙に巻いて力を貸せとか言う奴は、大抵ロクなことを考えていないからね」  ジリジリとした敵意がにとりに向けられる。  だが、そこに立ちはだかったのは、他ならぬ勇儀だった。 「おっと、これ以上盟友に意見があるなら、まずは私が聞くとしようか。そのかわり、こっちも容赦無しでいくが、覚悟はいいかい」  ポキポキと指を鳴らす。すでに、恐ろしい闘気が鬼の身体から滲み出ている。 「お燐、どうする。地底の鬼とやり合っちゃう?」 「さすがにそれは考えるねえ……。どうなってもただじゃ済まないだろうし、さとり様に後から何を言われるか……」  躊躇するペットたち。一方のにとりも、不穏な空気にすっかり勇儀の後ろに隠れている。 「どうした、話し合う気になったんじゃないのか?」  肩をグルグル回し、準備万端といった風情で一人やる気満々の勇儀。さすがにそこまでの態度を見せられると、ペットたちも黙って引き下がるしかなかった。 「やめ、やめ。さすがに鬼のお姉さんと本気でやり合おうなんて思わないよ」 「うにゅ、それで、河童は私に何をさせたいのさ。それをもっとわかりやすく言ってよ」 「うむ、にとり、もう少しわかりやすい説明を頼む。正直言って、私もお前が何をしたいのかよくわからないんだ」  一同の視線が再び河童に集中する。 「だから、宇宙への挑戦が我々に大いなる栄光を……」 「いやそれはもういいから、一体、何をするのにそんなにエネルギーが必要なのかをだな……」  さすがに鬼に言われては、河童もそれ以上演説を続けることは出来なかった。 「簡単に言うと、ロケットが飛ばしたいってことさ。月まで届くような、すごいロケットをね」 「「ロケット?」」  ペット二人が声を揃えた。最近地下から出て来て、紅魔館の月侵略騒動も知らない彼女たちにとっては、ロケットというもの自体がいまいちよくわかっていないのだ。 「それで、そのロケットの原動力におくうの力を使いたいって訳か」 「つまり、ドカーンと爆発させて吹き飛ばしたいってこと?」 「うん、大体合ってる」  もの凄く大ざっぱではあるが、にとりはカラスの言葉を肯定した。 「まず、宇宙へと脱出するための一段目のロケットにはもの凄い推進力がいるんだけど、幻想郷で最強のパワーといったら核しかないね。魔理沙の八卦炉でもいいんだけど、アレはちょっと借りられそうにないし……。それに核の方がやっぱり爆発力としては上だ。やっぱり核は最強だね」  最強という言葉に胸を張るおくう。一方で心配そうなのはお燐の方だ。 「でも、さとり様に許可を取らなくて大丈夫かな」 「ああ、その点なら心配いらないよ。さとりの奴はもうこのことを知ったみたいだからな」  自分のいきさつを振り返り、勇儀が言った。そもそも彼女がここにいること自体、あの心を読む地霊殿の主のせいと言ってもいい。 「うん、一回相談に行ったからね。その時は話だけして帰ってきたけど。まあこれで、一番の問題だったロケットの一段目が見つかったわけだ。待ってろよ宇宙!私ももうすぐそっちに行くからな!」  そして、河童は一人天を指差して高々に叫んでいた。 「へへへ、随分と大見得を切ったねぇ」  その後の河童の説明が理解できずに離れてきた勇儀の横に、萃香が楽しげに笑って近付いてきた。 「……月には行きたいからな、私も」  憮然とした表情で勇儀は答える。 「『これ以上盟友に意見があるなら、まずは私が聞くとしようか。』だって。まったく、素直なんだかそうじゃないんだかわからないね」 「何が言いたいんだ、ハッキリ言えよ、気持ち悪い」  相変わらずつかみ所のない萃香の言葉。勇儀が苛立っているのもお構いなしである。 「ハッキリしないのは勇儀の方じゃないのかい。そもそも、なんで月に行くんだい?」 「そりゃあれだ……、ほら、丁度いい暇つぶしだからさ」 「暇つぶしねぇ。まあ、本人がそういうならそういうことにしておこうかね」  意味深に萃香は笑うが、勇儀はまったく腑に落ちない。  そうこうしているうちに、河童も交渉を終えて戻ってくる。 「さっきはありがとうございました。まさか鬼にあそこまで庇って貰えるとは思いませんでしたよ」  ぺこぺこと頭を下げる河童。それがむずがゆくて、勇儀はそっぽを向いて黙り、誤魔化すように頭を掻いている。 「河童よ、これからもこいつと仲良くしてやってくれよ」  何も言わない地下の鬼を無視して、地上の鬼の方が河童にそう笑いかけた。当然のように飛び上がるほど河童は驚く。 「ひゅい、も、もちろんですよ。こちらこそ、これからもぜひとも仲良くしてもらいたいものです」  震え上がる河童を尻目に、萃香はさらにニヤニヤと勇儀を見ている。 「……まあ、あれだ、そんなにビビらないでくれよ。私達はほら、月に行く仲間じゃないか」  あまりの河童の狼狽ぶりに、勇儀はただそう言うしかなかった。 「仲間。良い言葉だねぇ、勇儀。まあそんなわけだから、これからも勇儀をよろしく頼むよ。じゃあ、他の面々とも仲良くな」  言いたいことを全部言ったのか、地上の鬼は背中を向けて神社の方へと戻っていく。  残される河童と地下の鬼。 「と、とりあえず図書館に戻りますか……」 「そ、そうだな……」  ぎこちない間合いのまま、二人は月計画の拠点となっている紅魔館の図書館へと戻っていった。 「よう、おまえら、本気で月に行くつもりなのか?」  一方その頃、紅魔館の図書館には白黒の騒音が訪れていた。だが今日の彼女は、どこか様子がおかしい。 「……なんのことかしら?」  素知らぬ顔で対応する人形遣い。それを図書館の主は、何も言わずに黙って見ているだけである。 「これだよこれ、あの鴉天狗の新聞。一面にデカデカとお前のことも載ってるぜ」  白黒の魔法使いが取り出したのは、今朝配達された文々。新聞だ。  確かにそこには、河童の月旅行のことが挙げられていた。 「……天狗の新聞の信憑性なんてどの程度かしら」 「さあな、だからこうして直接確かめに来たんじゃないか。そしたら、案の定ときた」  魔法使いは彼女らしい陽気な言葉を口にするが、その顔は笑っていない。彼女の表情の裏にある何かを、人形遣いはなんとなく察していた。 「ふーん、それで、真実だったらどうするの?」  魔法使いはそう言われて言葉に詰まり、小さく頭を掻いて間を誤魔化している。 「それはアレだ、月のことについて、もう少し話し合う必要があるんじゃないかと」 「話し合う?」  明らかに必要な言葉が足りない、その場の繋ぎでしかない言葉。人形遣いはそれに対し、たった一言を返すだけである。 「月って場所についてだよ。なんであんな所に行こうなんて考えたんだか。特にアリス、お前がこう言うのに乗り気になるなんて、どんな心境の変化だ」  白黒の魔法使いの言葉は、彼女に似合わず真剣なものであったが、だからこそ、月を目指す人形遣いはその言葉に反発した。 「実際に行ったあなたに言われたくはない言葉ね」 「実際に行ったから言える言葉だってあるぜ。そもそも、お前らはなんで月なんかに行くんだ?」 「あなたは何で月に行ったのかしら?」 「勝手に付いていっただけね。大した理由がこの白黒にあるわけないじゃない」  魔法使いより先に、図書館の主がそう答える。一方でその魔法使いは、返答に窮してただ黙っているばかりである。  あまりにらしくないその様子に、人形遣いは大きく溜息をつき、先の質問にあらためて答えていく。 「……まあいいわ。私が月に行く理由?好奇心よ。少なくとも、私が月に向かうのはね。他の人たちには、自分で聞いてみたらどうかしら?」  とは言っても、各人別の用件でここにはいない。  地下のカラスを説得しに行った鬼と河童はまだ戻らないし、門番は館の主に呼び出されたまま、教師も買い出しと準備に行くと言って出ていったきりだ。 「……月は、そんなにいいものじゃないぞ」  白黒の歯に物が挟まったような物言いに、人形遣いはもう一度、大きな大きな溜息をついてみせた。 「それを決めるのは私達よ。それに、新聞にも書いてあったでしょう?私達はあんたらみたいに侵略戦争をしに行くわけじゃないって。ちょっとした観光みたいなものよ。……ま、心配なのが一人いるけど」 「誰が心配だって?」  そこに、鬼と河童が帰ってきた。二人はその白黒の魔法使いの話しぶりを脇で聞いていたらしく、いかにも不機嫌な雰囲気である。 「あら、戻ってきたの?それで、どうだったのよ、首尾は」 「まあ、大体大丈夫だよ。で、なんでこの白黒は私らの月旅行に文句をつけてるんだ?」 「魔理沙らしくないね。いいじゃん、私たちが何をやってもさ。あ、もしかして、混ぜてもらいたいのかい?」  二人も、その、らしくない魔法使いの様子を怪しんでいるようだ。  六つの瞳が、魔法使いに対して疑惑の視線を向ける。  何も言えなくなる魔法使い。  そこにとどめを刺したのは、一人視線を向けていなかった図書館の魔女だった。 「……あなたの負けね。月に行くなと言いたいなら。ハッキリと言えばいいのに」 「あー、もういいよ、勝手にしろ。私は止めたからな。行って後悔するのはお前達だぜ」  それだけ言って、白黒の魔法使いは踵を返して去っていく。 「まったく、なんなんだか……」  人形遣いは終始呆れていたが、河童はむしろ逆に笑っている。 「まあ、それだけ月って場所は衝撃的なんだろうね。どんな所なのか、今からワクワクしてきたよ」  そんな河童の脳天気さに、他の面々はそれはそれで不安にもなるのだった。