第一章 月を目指す少女達 「レミィもまた無理難題を押しつけたわね」  図書館の主パチュリー・ノーレッジは、月へ向かおうとする紅魔館の門番の話を聞いて呆れたようにそうつぶやいた。 「月に行け!って言われても、どうしたらいいかまったくわからないですよ。前にお嬢様が月に行ったときは、ロケットに乗っていったんでしたっけ?」  今図書館の中央の机にいるのは三人の少女だ。この図書館の主であるパチュリーと、先程から騒ぎ立てている門番と、どういう風の吹き回しかわからないが、朝からずっと本を読んでいる森の人形遣いである。 「ええ。でも、前にも言ったはずよ。あのロケットが月に行けたのは、あくまで博麗の巫女の力があったからこそ。貴方では無理よ。それにおそらく、霊夢はもう月には行かないわ。説得するって言うなら止めはしないけれど……」 「無理ね。霊夢も魔理沙も、そもそも月の話自体をしたがらないし……。命が惜しかったらやめておいた方がいいわね」  横から口を挟む人形遣い。その言葉に門番はさらに困惑するばかりである。 「まずそれ以前に、どんな機嫌だろうと霊夢さんの説得なんて私には無理ですよ。だからパチュリー様かアリスさんに頼もうかと思ってたのに」 「無理なものは無理よ。第一、なんで貴方がそんなに月に行きたがってるの?」 「だから、お嬢様の命令なんですって。月で黒い板を探してこいって。だいたい、その黒い板ってなんなんですか?」  その言葉にパチュリーは小さく苦笑する。 「……ああ、モノリスの事ね。レミィったら、あの時の話を本気にしたのね。それとも、単なる口実かしら……」 「「モノリス?」」  聞き慣れぬ単語に門番と人形遣いが声を揃える。 「どこか遠い星の知的生命体、まあ簡単にいえば宇宙人がもたらしたといわれる、黒い石板の事よ。地球や月、それに他の宇宙の色々なところにも埋まってると聞くわ。彼らは、このモノリスによって人類を猿から進化させた。そして、その後進化を遂げた人類の状況を彼らに伝えるのもまた、モノリスであると言われているわ」  当事者でありながらわかったようなわからないような表情の門番。むしろ、その話題に食い付いたのは人形遣いの方だった。 「……不愉快な話ね。私達はその宇宙人とやらによって作られ、監視され、全ては彼らの手の平の上って事?」 「さあ?人類はまだモノリスを見つけていないから、今の段階では何とも言えないわね。全ては、想像でしかない……」  パチュリーはそんな人形遣いの様子に一つ溜息をついてみせる。 「でも確かに、そんな話を聞いたらお嬢様が黙っていなさそうですね」 「ええ、しかもこの話をしたのが月から帰った後だったから、もう大変だったわ。絶対に許さないとか宇宙人を黙らせてやるとか……」 「でも、なんでまだ見つかってもいないモノリスの情報があるのよ?」  門番よりも人形遣いの方がすっかり話題に夢中である。この手の話は、やはり知的な種族である魔法使いの方が興味を引かれやすいのだろうか。 「そう書かれていた本が存在したからよ。予言書とまでは行かなくともね」  パチュリーとの意思疎通によって、司書である小悪魔が幾冊かの本を運んでくる。どれもこれも、宇宙を題材にした小説のようである。 「そしてそれによって、人々はモノリスの存在をどこかで信じるようになった。月が遠くて近い存在になってしまった現在では、なおさらそういう物が求められたのね。月は、昔から神秘の場所として考えられていたわ。その神秘が現実によってかき消されたとき、人は別の空想を探すようになる。無知ゆえの神秘は消えたとしても、現実としてはまだ月を支配できていないから。月を何も知らない人々には月の神秘が、月に何もないことを知る人々には月を通して宇宙の神秘が見えることになる。それはつまり、霊夢達が見てきた月が、全てではないということ……」 「……まるで卵と鶏みたいな話ね」 「それで、月にそのモノリスとやらはあるんですかねえ?」 「それを探してくるのがあなたの仕事でしょう?」  そう言われると門番としては溜息をつくしかない。そのためにはまず、月に行かなければならないのだ。  その溜息によって丁度話が一区切りついたところで、メイド長がポットとティーカップを持って入ってきた。 「パチュリー様、お客様です」  見ると、一歩後の図書館の入り口に、人里の寺子屋教師が立っている。おそらく、メイド長のいう客とは彼女だろう。一礼して、彼女も図書室へと入ってくる。 「では、ごゆっくりどうぞ」  教師が入ったことを確認すると、メイド長は人数分の紅茶を注ぎ、ティーセット一式を置いて瀟洒に図書館を去っていく。 「あら、珍しいお客ね。なんの用件かしら」 「ここの図書館はそこそこ利用させてもらっているんだがな……。まあそれはいい、実は、貴女に相談があってだな」  そう言うと、教師は手提げの袋から小さな箱を取り出す。箱の中にあったのは、白とも黒ともつかない小さな石。だがそれを見て、パチュリーの目の色が変わる。 「……月の石ね。こんなもの、どこで手に入れたの?」 「そうか、やはり間違いないみたいだな。これは森の入り口の古道具屋にもらったんだ。それで、この石については私としても処遇に困ってね。せっかくの好意を無駄にするわけにもいかないし、どうにか使い道がないかと考えていたんだが……」  困惑の表情を浮かべる教師。パチュリーは苦笑いを作るだけだ 「月の石の使い方なんてないわね。確かに、まったく力がないというわけではないのだけど、月の代役にするには小さすぎるし、そうでなければただの石ころと変わらない。しいていうなら、月への羅針盤代わりにするくらいしか……!」  言葉が途切れる。ふと何かを思い、パチュリーは門番の顔を見た。 「貴方、月へ行きたいんだったわね」 「え、ええそうですが。行きたいというか、行かざるを得ないというか……」 「慧音さん、だったっけ?この石を私に譲って頂けないかしら?代金ならこの門番がいくらでも出すわ」 「えええ、私がですか!?」 「貴方は黙っていなさい。これは貴方のためなんだから。どうですか?使い道がなくて困っているならぜひ……」  パチュリーの言葉に、教師は困惑するばかりである。 「ありがたい申し出だが、さっきも言ったように、これは好意で頂いた物だからね。差し上げるわけにはいかないんだ。まあ、少しは力があるというのなら、そのうち何かしら使い道が出てくるかもしれない。貴女がたは、一体この石で何をするつもりだったんだ?」 「さっき言った通りよ。月に行く為の羅針盤代わりにするの」 「月へ……、行く?」  その言葉に、教師は思わず言葉を無くした。だが破天荒な考えというわけでもない、現に紅魔館の面々と博麗神社の巫女達は、以前に月へ行ったという話もあるのだ。 「そう、もう一度月へ行くのよ。今度はレミィ達ではなく、この門番がだけどね」  そう紹介されてコクコクと頷く門番。その様子に、教師は少し思案する。 「……ふむ、そのためにこの石を羅針盤として使いたいと言うことか。さすがに譲ることは出来ないが、貸すくらいならかまわないぞ。ただ、一つだけ条件がある」 「「条件?」」  パチュリーと門番が声を揃えた。人形遣いは我関せずといった風に、横目でその様子を眺めている。  そして教師の口から出て来た提案は、あまりにも意外な物だった。 「ああ。その月旅行、私も同行させてもらってもいいかな?」 「ええ!?慧音さんも月に行くっていうんですか!」 「……驚いたわ。貴方の方からそう提案されるとは思ってもいなかった」  門番はもちろん、図書館の主も驚きを隠せない。言葉には出さないが、人形遣いも驚きの表情である。 「……月という場所には、昔から興味はあった。ワーハクタクとして生きていくことになったときからずっと。前回の月への侵略の時も、一緒に月へと連れて行ってもらおうかと思ったくらいにね。もっとも、侵略などという物騒な事に付き合う気はさらさら無かったが……」  教師は自らの胸の内をゆっくりと語る。 「あら、今回も物騒といえば物騒な事になるわ。月にある物を勝手に持ってくることになるのだから、いうならば強奪ね」 「なに、あの吸血鬼の館主は行かないのだろう?話し合いで解決すれば、それは強奪とはいわないさ」 「話し合いねえ……」 「あ、私も出来れば平穏無事に事を済ませたいです」  すっかり毒気を抜かれている門番。その様子に、パチュリーは少しばかり頭を抱える。 「……まあ、それは実際に月に行く人間に任せるわ。話し合いが通じる相手ならいいけど……」 「事を構えることになったらなったで仕方ないさ。ただ、お前達の館主やどこかの巫女や魔法使いと一緒では、挨拶代わりに弾幕勝負になったりするからね。話し合いの余地もない」  呆れたように教師が言い、隣で無関係の人形遣いももっともだと言わんがばかりに小さく頷いている。 「なるほどね。ただの平和主義者で終わるつもりはないと」 「それで済むのなら理想の世界なのだが、そうではないということは歴史を紐解けばいくらでも前例が見つかるからな。覚悟がなければ何も出来ないものだ……」  歴史を司る彼女の能力ゆえの重い言葉と決意。パチュリーはその態度に、自分がこの教師の人間分析を少々見誤っていた事を悟る。 「で、ちょっといいかしら?それであなたたちは、一体どうやって月へ行くつもりなの?」  そこで話に割り込んできたのは、ずっと聴き手に回っていた人形遣いだった。 「霊夢もダメ、当然紫もダメ、魔理沙もダメだろうしそもそも話にもならない。月に行こうにも動力が全くないじゃない。何か打つ手はあるの?」 「その点については、思い当たる節が無いわけではないわ」  意外なまでに自信に満ちたその言葉に、一同の注目がパチュリーへと集まる。 「幻想の月へは幻想のロケットで飛んでいった。ならば空想科学の月に行くのには、空想科学のロケットを用いるのがもっともベストね……」 「空想科学?」 「科学的根拠を元に膨らませた空想の事。空に浮かぶ月にも同じように人が住んでいるかもしれないというのが幻想ならば、地球から遠く離れた月という星に、どこかに存在する可能性のある宇宙人がかつて訪れていたかもしれないというのが、空想科学よ」 「何が違うかわかりませんよー」  頭がパンクしそうになっている門番に対し、黙ったまま考え込むように話を聞いていた人形遣いが口を開く。 「……未知への畏怖と、膨張しすぎた知識ということかしら?」 「まあ、そんなところね。何も知らなければ、人は無から何かを生み出す。雨も夜も太陽も月も、何者かによってもたらされたものと信じて、その根源を作り出す。そのもたらさせし者こそが、神であり、妖怪というわけね。けれど、知識が揃っていれば、それらは存在を忘れられ、人はそこから道の向こうに見える可能性を紡ぎ出す。雨も夜も太陽も月も、その起源を科学によって証明してしまおうとする。仮説を計算式によって積み重ね続けてね。神の存在を証明できない世界では、神の換わりに永遠の進化を続ける科学がそこに居座っているのよ……」 「科学ねぇ……、それであの河童を泳がせていたって訳ね」 「!?」  人形遣いの言葉を聞いて、パチュリーは飛び上がりそうな勢いで顔を上げ、辺りを見回す。 「え、あれ?あなたもしかして、河童に気が付いていなかったの?朝からずっとそこら辺で本を漁っているんだけど……」  人形遣いが奥の本棚付近に目を向ける。その視線の先には誰もいない。が、よく見れば不自然に積まれた本の山があり、その付近に、気の動きが滞留している場所があることに気付く。 「あちゃー、バレちったか……」  視線が自分に集まったのを感じて、観念したかのように河童が姿を現した。 「……いつからいたのよ」 「えーと、今朝、その人形遣いが入ってきたのに紛れて」  頭をかきながら河童が人形遣いを見た。一方で人形遣いは、気にした風もなく相変わらずのすまし顔である。 「アリス、貴方は気が付いていたの?」 「気が付いていたけど、別に害も無さそうだったし放っておいたわ。気配的にはバレバレだったしね」  ことさら特別なことでもないように、人形遣いはそう言って紅茶をすする。 「迂闊だったわ……。ここに来るコソ泥は大抵正面から堂々と来て本を持っていくから、そちら方面の防衛のシステムばかり構築していたのよ……。まさかこんなにコソ泥らしいコソ泥が現れるなんて……」 「いやいや、私はコソ泥じゃないってば。ちょっと気になる本があるかどうか探していただけだって」  弁明する河童。だが図書館の主はおさまらない。 「でも、なぜわざわざ姿を隠す必要があったのかしら」 「それはほら、アレだよ。せっかくの潜入作業なんだから、光学迷彩を試そうかなと思ってね。効果は上々ってところかねぇ」 「私は気付いていたけどね」 「あ、私も気が付いていました。明らかに気の流れがおかしかったですし」  人形遣いと門番に立て続けにそう言われて、がっくりと肩を落とす河童と図書館の主。 「まあそれはいいとして、河童の科学を持ってすれば、月へ行く事が出来るのか?」  話を軌道に戻そうとする教師。このあたりの仕切り振りは手慣れた物である。 「そうよ、そんな光学迷彩に気が付いたかどうかなんてどうでもいいわ。どうなの?月に行けるの?」  場の空気を誤魔化すかのように問い詰めるパチュリー。すると河童は、意味ありげに小さく笑みを浮かべる。 「へへへへ、まったく奇遇としか言えないねぇ。実は今、その研究をしている真っ最中だったんだよ。ほら、地底でちょうどいいエネルギー源も手に入ったしね」  河童が手元に持っていた本は、そのままずはり『核ロケットの飛ばし方』という、身も蓋もないタイトルであった。もちろんそこから連想されるのはただ一つだ。 「巫女と魔法使いと吸血鬼とそのメイドに月に行かれたのに、河童が地面を這いずり回ってちゃ科学者の名倒れだよ。だから、私ら河童の技術で、本当の月へ行こうっていうのさ」 「河童の技術ねぇ……、どこまでアテになるのかしら」  人形遣いが皮肉げにぼやく。 「とはいえ、霊夢が月に行く気がない以上、今一番月に近いのは間違いなく彼女たちよ。美鈴、貴方も乗せてもらえるように頼みなさい」 「ハイ、それはもう!にとりさん、でしたっけ?月に行くなら、ぜひ、私も連れて行って欲しいんですが」 「便乗する形になって申し訳ないが、その際は私もお願いしたい」  頼み込む門番と教師。そこに、もう一つの声が響いた。 「その話、ぜひとも私も乗せてもらいたいもんだね!」  そう言って図書館入り口に現れたのは、一本角の勇ましい、地下の鬼であった。 「ひゅい!?どうして地下の鬼が……」 「私も月に興味があってね。色々調べるなら図書館がいいって萃香に聞いたんで来てみたら、丁度よくその話をしてるじゃないか。こいつは僥倖ってことで、そこに乗っかろうって思ったのさ」  カラカラと笑う鬼。河童は心底困り顔といった表情である。 「ええ、まあ、月には行く予定で話は進んでますが、その、まあ、色々とですねぇ」 「乗せてくれるよな?」 「まあ、そう言われると断る理由もありませんが、あんまり無茶はしないでくださいよ」  ノーと言えないのが河童の悲しい性である。 「でもまたなんで地下の鬼が月に行こうなんて考えたのかしら?」  素朴な疑問を口にしたのは人形遣いだ。そしてそれは、その場にいる鬼以外の全員の疑問でもあった。 「……単なる暇つぶしさ。退屈極まったところに、丁度よくそういう話を聞いたんでね」  どこか澱んだ印象の言葉。そこに容赦なく人形遣いがさらに質問を重ねる。 「鬼にしては珍しいほど歯切れが悪いわね。何か裏でもあるのかしら?」 「いや、裏なんて無いよ。隠し事は嫌いだ。……ただ、自分自身でもただ単純に月に行きたいってだけじゃないのはわかってるんだが、それが何なのかがまとめられない」  その答に満足したのか、人形遣いはそれ以上は何も尋ねなかった。 「でも、鬼の方にも一緒に行ってもらえるとなると心強いですね」 「荒事になると困るけれどね。まあ、私もあくまで便乗するだけの客だ。決定には従うよ」  積極的賛成の門番と消極的同意の教師。いずれにせよ、これで地底の鬼のロケット搭乗も可決された。 「まあ、よろしく頼むよ」 「ふむ、これで五人揃った訳ね……」  パチュリーがそうつぶやく。だがそれに異を唱える物が一人。 「ちょっと待ってよ。私は月に行くなんて一言も言ってないわよ」  人形遣いである。 「あら、てっきり貴方が一番月に行きたいと思っていたわ」 「……どうしてそうなるのよ」  人形遣いの否定。確かに彼女は、ここまで月に行くとは一言も言ってはいない。 「霊夢や魔理沙から聞いたわ。貴方が妙に月を見ていることがあるって。それに、今日の読んでいる本も、大半がその手の関係の本じゃない。今、誰よりも月に興味があるのは、貴方じゃないのかしら?」 「……目聡いわね。河童には気が付かなくても、私の本には目が付くって事?」 「個人の本の借りる傾向は知っておいて損はないから。それに、これ見よがしに隣で読まれては、誰だって気が付くわよ。あなたの方にこそ、光学迷彩が必要だったみたいね」  そこまで言われては、さすがに人形遣いもぐうの音も出ない。 「じゃあ、アリスさんも行きましょうよ。月へ!」  脳天気に門番がそう言って人形遣いを誘う。 「ロケットは、まあ五人くらいならなんとかなるよ」 「確かに、このメンバーだけでは魔法使いが足りないと言うこともあるし、来てもらえるなら心強いな」 「行くなら行こうや。旅は道連れとも言うしな」  各々が各々の言葉で人形遣いの背中を押す。  それでもなお、人形遣いは吹っ切れず迷っているみたいだった。 「……もう少し、考えさせて」  そう言ったものの、人形遣い自身、何を迷っているのかがわからなかった。  あれほど月に憧れていて、いま、目の前にチャンスが転がり込んできているではないか。  何を迷う必要があるのだ。  ただ一歩踏み出せばいい。  紅魔館の門番は、にこやかにはにかんでいる。  寺子屋の教師は、優しく微笑んでいる。  河童の技術者は、楽しそうに笑顔を浮かべている。  地下の鬼は、豪快に笑っている。 「考えるまでもないと思うんだけど?」  そして図書館の主が、少し嫌味っぽく嗤って見せた。 「それもそうね。あなたの手の内って感じがするのは少し嫌だけど」  そして人形遣いも笑った。  こうして、河童のロケットによる月探索部隊の五人が結成されたのである。