戦艦ゴーヤ・チャンプルー轟沈せり――。  モリヤースワコリヒット帝国海軍大佐にして重巡ゴ・ルフボール艦長、サナエー・オンバシラコフの元へ悲報が届いたのはほんの数分前の出来事である。  海図を眼下として作戦行動の手順を士官達と確認していたサナエーには、一瞬、その報が何を意味するのか分からなかった。  『ゴーヤ・チャンプルーは浮沈にして不滅、吾等が帝国、その海軍力の象徴である』  サナエーの脳裏に蘇るのは、温かみと威厳を湛えたその表情、そうして28糎砲の如き人柄で知られたチャンプルー艦長カナコー・ヤサカノビッチ提督の言葉である。  帝国の危難に際し義勇奉するは軍人の勤め、そう言って銃後における名誉ある身分の筆頭たる海軍軍人学校長職を辞してまで彼女はこの戦乱渦巻く海へと戻ってきた。      3日前に酒を酌み交わしたばかりであるに――。    サナエーとカナコーの関係はそもそも、サナエーがカナコーの艦にて幕僚を務めていた頃にまで遡る。  中等学校を卒業してのち直ぐ、サナエーは海軍少女軍役令一期生として勅諭をスワコリヒット大帝より拝命した。  当時のサナエーを一言で評するならば、まさに血気盛んの恐いもの知らず、その雌獅子振りを周囲の誰もが承知していた。  それもそのはず、一期生の中でも成績抜群、抜刀剣術の剛勇から砲術理論の緻密に至るまで、いかなる者にも遅れを取らなかったのがサナエーだ。  サナエー自身もそれを誇りとし、誰にも負けぬ、スワコリヒット大帝の御馬前にて決死の命令を賜るその時まで私は不敗であるのだ――そんな、今になって考えれば愚かしいばかりの事を毎日のように考えていた。    そうして、いつしか周囲からも『ブンブンマルの鼻っ柱』などとその精神の傲慢さと狭隘さを指弾されるまでに増長することとなった。  そこにはかつての優等生の面影など微塵もない。昼日中より浴びるように酒を飲んでは、女性下士官に狼藉を行うサナエーの姿がそこにはあった。    そんな彼女を救ったのが後にスワランド大戦にて武名を馳せることとなる、若かりし頃のカナコー提督であった――というのがもっぱらの世評である。  いかにしてカナコーがサナエーを改心させたか。  ひとつ噂が語る分には、カナコーのカゼハフリをサナエーに託したのだ、などと大げさに伝聞するものまである。  帝国におけるカゼハフリの重要性はみなまで言う必要はなかろう。  ともかくもカナコー提督の誠心誠意こそがサナエーの重く閉ざされた心の鉄鎖を開き、その溢れるばかりの才を引き出すこととなったのだ。    ともあれサナエーにとって、カナコーほどに恩人のふたつ名に値する者はいないとも断言できる。  そして、それ故に、決断する。40秒の瞑目、そうして導き出すは唯一の尊き決意。  確かに自身は帝国の艦たるゴ・ルフボールの艦長にして、スワコリヒット大帝の忠実なる軍人。  秘密作戦に従事するこの艦が、幾ら旗艦轟沈の危機とて表立って味方艦隊の助太刀をする訳にはいかぬ。だが。  だがそれ以上に、サナエーはカナコー提督のカゼハフリたる、そんな一個の人間存在でしかない。  「進路をコウマ海へと向けろ」  サナエーの命令に艦橋の隅々に至るまで痛いほど緊張が走る。  「軍規違反でありま……ひいいっ」  サナエーを拘束しようとした副艦長に対し、サナエーは、スラリ、腰に差す鞘から幅広のサーベルを抜き放つと貴奴の首筋へと刃を押し当てた。剛者としても名のあるサナエーである、ヒクリとでも動けば首級さえ落としかねぬ。  「私の命令に逆らう者はひとりも許さぬ。ひとり逆らわばふたりを殺し、ふたり殺した後には皆をこのサーベルの露としよう」  「しかしながら彼の海域は、フランチャンカワイイヨウフフなどという怪異に見初められた魔の領域。   粘度の高いねちょねちょとした海水のワナに嵌り、旗艦ゴーヤを初めとする吾が海軍主力艦隊は既に壊滅状態。   今更に、こんな行動に何の益がありましょうか艦長?」  「黙れ!! 私はカナコー様の永遠の同伴者たるカゼハフリ、この命の続く限りはカナコー様を諦めはせぬ。   ねちょの何が恐ろしいものか、諸君。いざ舵を向けよ――彼のねちょの大海原へ!!」     ――完   ……適当だから怒らないでね。