草木起きだす朝早く、紅魔館の門前に、体操から一日が始まる少女在り。  紅魔館にその人在りと知られる私、紅美鈴である。  武術に精通し、万人を退けるその手腕は、正に門番の鏡なのではないだろうか。  その実績はメイド長も高く評価してくれており、 「美鈴、朝食の時間よ」  と、このように、わざわざ門まで呼びにきて下さるほどなのである。  さぁ、私の今日が始まる。  グッと伸ばした両手を下ろして、笑顔で咲夜さんにご挨拶をしよう。  そう思って振り返った私の前に居たのは、私だった。  朝の紅魔館食堂は、いつもパートの妖精達でごった返す。  悪魔の棲家なれど料理のレパートリーは豊富で、何を食べるか迷うものも少なくない。  ラインが一つしかないのも問題だ。回転効率が悪い事この上ない。  今日も多分に漏れず、トレーを持ったメイドがずらりと並んでいた。  ……何かおかしい。  本来ならば、様々な妖精の色とりどりの頭髪が、紅い室内に鮮やかに映える。  だが今日の食堂は、紅い部屋に紅い髪。紅一色だった。頭髪の規制でもできたのだろうか。  疑念は絶えぬが、まずは朝食を取らねばならない。そろそろ勤務時間だ。  トレーを持って最後尾に着いた私の鼻先を、前に並ぶ妖精の長い髪が風に踊って、くすぐった。 「ふぁ……クシュンッ!」  思わず出てしまったくしゃみに、並んでいた妖精たちが一斉に振り向いた。   ……全部、私だった。衣服こそメイド服姿なれど、顔は私である。  言ってみれば、百一匹紅美鈴大行進。一体何が起きているのだろうか。  当人からしてみれば、軽くホラーである。 「お嬢様、朝食はいかがなさいますか」  咲夜さんの声が、階上から聞こえてきた。  今朝は珍しくお嬢様が起きてらっしゃるようだ。  夜型の生活を送っているお嬢様は、普段は夕方か、早くても昼過ぎまでお休みになられている。  朝から起きているという事は、神社にでも出かけられるのだろうか。 「折角起きたんだし、貰おうかしら。キンキンに冷えたのでよろしく」 「かしこまりました」  大きな欠伸を片手で覆いながら、お嬢様は咲夜さんを脇に控えて降りて来られた。  ……あぁ、ある程度覚悟はしていたけど、やっぱり顔は私なんだなぁ。  周りのメイドバージョン私が、一斉に立ち上がってお嬢様バージョン私に挨拶をしている。  気は進まないけど、私もやらないといけないのだろう。――何で自分に挨拶しないといけないのだろうか。訳が分からない。世の中は不条理に満ちている。  朝食後、やはり神社にお出かけになられるお嬢様と、お付の咲夜さんをお見送りして、私はそのまま門の警護の任に就く。  今日の天候は曇り。お嬢様にとっては大変過ごしやすい日だ。  そして、そんな日を狙ってやって来る者もいるのである。  黒い魔女帽子に黒い衣服を纏い、今まさに愛用の箒で頭上を通り過ぎようとしている彼女、霧雨魔理沙こそがその筆頭だ。と言うか、唯一だろう。 「こらーッ、入るなーッ」 「なんだよ、どうせレミリアは居ないんだろ? 多少サボってもバレやしないって」  大人しく降りてきてはくれたが、案の定、私の顔をした彼女は堂々と言い切った。盗人猛々しいとは彼女の為にある言葉ではなかろうか。  しかし、何と言われようと通す訳にはいかない。  私は門であり、門とは内と外を分ける物だ。分別の出来る子なのである。  勤務時間中は、私は紅美鈴ではなく、門美鈴であるとすら言い切れるかもしれない。 「引かぬとあらば、実力行使だ!」 「端っからそのつもりだぜ!」  言うが早いか、魔理沙は高速でショットを放ってきた。  しかし私とて、幾度となく対峙してきた経験がある。  そこらの妖精ならいざ知らず、武術を極めしこの紅美鈴、何度も同じ手は食うものか。  彼女のショットは高速だが、直線でしか撃てない仕様。軸を外せば当たらないし、変則的な動きにも対処し切れない。  大地をしっかりと踏みしめ、反復横跳びのジグザグ走法で彼女に肉薄する。  射撃戦なら劣れども、肉弾戦ならば負ける気は毛頭ない。  彼女は私の予想外の動きに慌てて撃つ方向を変えてきたが、到底間に合うべくもない。  二足、一足、あと半歩――!  手が届こうかというその刹那、咄嗟にバックステップ、続く後転で間合いを取る。……思わず舌打ちが漏れる。  左手からレーザーを放つその影で、魔理沙は懐からそれを抜き出していた。  八角柱の魔力炉、魔理沙の切り札。そう、ミニ八卦炉である。  アレこそが彼女に侵入を容易たらしめている原因だ。  一撃で相手を戦闘不能に追い込む、正に必殺、正に切り札。  ……しかし、逆に言えば、アレをこそ封じられたなら、必ずや勝機はあるはず!  右足を高く上げ、目の前の地面を叩きつけるように踏み込む。  接地、直ぐに両手で膝を打ち、気を流し込む。  ボッ、と大きな砂煙が上がった。これで少しは目くらましになるだろう。  同時に私も彼女の動作が見えなくなるが、メリットの方が大きい。  すぐ左に、レーザーが走った。私の姿が見えるはずがない。無闇に放ったのか、それとも――。  本能的に左前方に駆け出す。五割の賭けだが、思った通り、左側はレーザーが雨あられと打ち込まれていた。  かつてないほどの弾幕量。だからこそ、余計に自分を信じられる。  ――こっちは、ダミーだ――。  頬を、肩を、腿を、レーザーが掠めていく。  直撃したらたまったものではないが、それでも私は間一髪で避けながら進む。  舐めないで頂きたい。格闘戦において、重要なのは動体視力。  数多の防衛で研鑽を積んできた私は、動体視力にこそ秀でていると言えよう。ならばこの程度、凌いでみせる――!  弾幕は尚一層激しさを増し、撃ち納めとばかりに降り注ぐ。  足は構わない。左手も構わない。多少の被弾は、むしろ致命傷を防ぐ。  この右手のみ、狙い澄ましたカウンターさえ入れられれば、後は野となろうが山となろうが構わない。  その私の決意を試すかのように、星型弾が左手に直撃する。痺れて力が入らない。  ……上等。そのお陰で、二歩は進めた。魔理沙まで、もう後十歩もないだろう。  そろそろだ。これだけ撃てば、体力的に彼女にも後はあるまい。そろそろ決めてくるはず。  ――瞬間、大気が震えた。  魔砲と異名を取る魔力の渦が、砂塵を吹き飛ばしながら耳元を閃いていった。耳の奥が唸り、脳が焼けそうになる。  当たらずともこの熱量、この威力。背筋が震える。その震えは恐れか、武者震いか。  だが、そんな事に感ける余裕はない。視界は晴れ、目前には未だ魔力を放出し続ける標的の姿。  やはり、弾幕は切り札への誘導か――!  足の裏に力を込め、地を、気を蹴る。十歩? とんでもない。この程度の距離、一足で届く。  身を低く、足を折り畳んで彼女の懐に入る。  魔理沙は目を大きく見開いて私を見下ろしていた。気付くのが遅い。これで、チェックメイトだ――。 「華符『破山砲』!」  放つ右手は高らかに、そして力強く。  魔理沙は仰け反りながら、放物線を描いてゆっくりと飛んで行く。まるで、スローモーションだった。  その手からは、依然として星やレーザーが放出されており、彼女の軌道に従って縦横に走っていた。  ――そして、最後の一筋がその手から放たれ――あぁ、彼女のスペルが、終わる。私は遂に、彼女の魔砲を打ち破ったのだ。  彼女を破った私に、周囲に飛散する弾幕が、その姿をアイテムに変えて降り注ぐ。まるで、勝利を祝う花吹雪のように。  その幾百、幾千の花吹雪も、よく見るとやっぱり私だった。 「うおおおぉぉぉっ!? アイテムまで私かあああぁぁぁっ!」  なんか全方位から肘とか頭とかが当たって、大変痛い。  流石は私、武術の達人。肉弾戦ならお手の物だ。  しかし、体当たりを食らった後に吸収してしまう辺り、やはりアイテムなんだなぁなんて、顔を青痣だらけにしながら思ってしまう。  アイテムだから集まってくるのは仕方ないよね、うん。でも涙が出ちゃう。だって、女の子なんだもの。  みつを  そして、最後の一人に跳び膝蹴りを食らわされてから吸収した後、点数が規定に達したのだろう。エクステンドした。  つまり、また私が一人増えたのだ。そしてその残機の私さえも、勢いよくダッシュしながら肘鉄を食らわせてきた。このアンディ紅美鈴め。 「いてて……いいパンチだったぜ……って、何でお前がボコボコになってるんだ?」 「女の子なんだもの」 「意味が分からんぜ」 「それは私のセリフだ!」  夕食後、咲夜さんの部屋を訪ねて聞いてみる事にした。  何故誰もこんな大異変を前にして、何も言わないのだろうかと。 「言われてみれば……みんな美鈴の顔をしているわね。あぁ、確か巫女も美鈴の顔をしていたような気がするわ」 「その時点で気付きましょうよ……」  がっくりと肩を落としながら、ついでに少し呆れながら愚痴る。  と言うか、これはその程度の、取るに足らない事なのだろうか。聞いた感じでは、巫女も動き出す様子はないようだ。 「もしかしたら、これはユビキタス社会という物かもしれないわね」 「指……何です、それ?」 「ユビキタスは、偏在するという意味よ。つまり、どこにでも存在するって意味」  腕組みをしたまま、咲夜さんは大真面目に続けた。  内容から察するに、どう考えてもダメな方向にしか転びそうにない話だった。 「例え話をするとね、朝起きて窓を開けると朝日から美鈴が降り注ぎ、顔を洗おうと蛇口を捻ると美鈴が溢れ出し、菜園の野菜に水をやると美鈴が咲くのよ」 「うわぁ……」  まごう事なきダメな話だった。  朝日から降り注ぐ私は、爽やかに一日の始まりを告げるのだろうか。  蛇口から溢れ出す私は、冷たくて確りと目を覚まさせるのだろうか。  朝一で収穫された私は、新鮮で歯応えもシャキシャキなのだろうか。 「でも私としては、お嬢様も欲しいところね。 窓を開けると朝日から美鈴とお嬢様が降り注ぎ、蛇口を捻ると美鈴とお嬢様が溢れ出し、野菜に水をやると美鈴とお嬢様が咲くや」  えらい事になってきた。もうめちゃくちゃだ。いや、もうくちゃくちゃだ。  しかし、咲夜さんは割りとノリノリだ。メイドと言えばロック、ロックと言えばノリノリ。だからこれは、必然なのかもしれない。 「ところがどっこい、それだけじゃ男女不平等だと騒ぐ人もいるかもしれない。 だから、朝日からは美鈴とお嬢様と香霖堂店主が爽やかに微笑みながら降り注ぎ、蛇口を捻ると美鈴とお嬢様と香霖堂店主が身を捩りながら溢れ出し、野菜に水をやると美鈴とお嬢様と香霖堂店主が世を謳歌しながら咲くのよ」 「幸せって何だろう」  私が何か悪い事をしたのだろうか。いや、していないはずだ。  私は毎日真面目に、いやまぁ時々息抜きをしたりしてるけど、まぁ概ね真面目に働いているだけなのだ。何故こんな仕打ちを受けねばならないのだろう。  恨むべくは神か仏か。取りあえず、神社の巫女を恨んでおくとしよう。 「と言うか咲夜さん、途中から他に色々混ざってるじゃないですか。今起きている問題は、私が氾濫してる事なんですよ」 「そうね……じゃあ野生の妖怪をボールで拿捕していくゲームで考えてみましょうか」  ポン、と手を合わせ、あたかも名案を思いついたかのように話すメイド長。  あぁ、どうしてこの家の人はこうなんだろう。もう少し私の話を聞いてくれてもいいのに。  ……まぁ、その、キラキラと輝いている瞳は、純真無垢で可愛いのかもしれない。 「トレーナーの美鈴が美鈴を投げて、その中から美鈴が出てくるって訳ね。あなた、マトリョーシカなの?」 「ちゃうわ!」  純真無垢って、結構怖い。思った事をそのまま言っちゃうから。  そして、ツッコミ体質って、かなり怖い。相手が誰だろうと、思わずツッコミを入れちゃうから。  右手で咲夜さんの後頭部をスパカーンとかましてしまったまま、血の気が引いた顔で私は固まっていた。  へるぷ。ぷりーずへるぷみー。地球育ちのサイヤ人でも素手でモビルスーツを壊すお爺ちゃんでも媚びたり引いたり省みたりしない人でも、とにかく誰でもいいからへるぷ。 「……美鈴……覚悟は、いいわね?」 「いや、その、ま、待って下さい! これには訳があるんですよ!」 「ふぅん? 言い訳くらいは聞いてあげるわ」 「実はですね」 「極刑」 「聞いてー! 訳を聞いてー!」  正に問答無用と言わんばかりに、咲夜さんはいつものように懐からナイフを出して投擲しようとして――投げてきたのは、やっぱり私だった。  どこに入っていたのか分からないが、私が十重二十重に投げられている。と言うか、面前に迫ってきている。  しかし私とて、幾度となく対峙してきた経験がある。  そこらの妖精ならいざ知らず、武術を極めしこの紅美鈴、何度も同じ手は食うものか。 「甘いッ!」  華麗にブロッキング……したはずなのだが、私と私がごっつんこ。見事に頭部に命中していた。  思えば、何度も食らっているのはナイフで、私が飛んできたのなんて初めてだ。そりゃあ無理ですよね。そして金輪際起こってほしくはない。  しかし妙な感覚がする。倒れている位置が、先ほどと少し違っているのだ。  先ほどまで私が居た位置には、やはり私の姿。これは、まさか。 「お、お互いに頭をぶつけたから、意識がすり替わってしまった!?」 「な――ッ! わ、私が居る!?」  倒れていた私も驚愕している。間違いない。  これは『お前が俺で、俺がお前で』という嬉し恥ずかしイベント……ッ!  これから私は、紅美鈴として生きていかなければならないのだ。あぁ、どうしよう。 「あなた達、入れ替わっても同じじゃない」  冷たい声が、場の熱を急速に冷ます。  咲夜さんが目を細めて、さも馬鹿にした様子でこちらを見ていた。  言っている事は正論なのだが、どうもこう、盛り上がっている所に水を差されるのは好ましくない。なので。 「言ってはいけない事をアッサリと! 空気読め!」 「そうだそうだ! 空気読め!」  詰まるところ、我々の選択は労働者連合のストライキである。  湧き上がる現場の生の声に、労働監督はと言うと。 「ターゲットロック、排除開始」  再び両手に私を構えて、殺人マシーンと化していました。  さすが殺人鬼。毒を以って毒を制すってヤツですね!  しかし、その選択は早計であると言わざるを得まい。  私に私をぶつけたら、意識が入れ替わるのは歴史が証明済み。  つまり、現場の声が四人に増えるのみである。  それだけではない。人手が増えた事で、役割分担が可能になるのだ。  二人は抗議を、残る二人は壁や天井に刺さったままの私を救助に向う。  投げられて、壁から引っこ抜かれて、果敢にもメイド長に立ち向かうその様は、正に愛のうたであった。 「それ行けやれ行け紅美鈴! 狙うは紅魔、スカーレット! 今こそ二束三文下っ端妖怪の数の力を思い知らせる時よ!」  ナイフのない咲夜さんなんて怖くも何ともない。数人がかりで手足を押さえつけ、衣服を剥ぎ、チャイナ服を着せてみろ。新たな紅美鈴の誕生だ。  我々はまた新たな同士を迎えたのだ。  さぁ、主の部屋はすぐそこだ。ヤツはどうしている? 部屋の隅でガタガタ震えているのか? 今となっては惨めなカリスマを胸に、威風堂々と待ち受けているのか?  問題ない。そんな事は些事、どちらにせよ五分もすれば結果は同じだ。  どうせヤツも顔は私と同じ。大人しく数に溺れるがいい――! 「なんて夢を見ちゃいまして」  埃の多い部屋で、美鈴が背中を向けた図書館の主に事の顛末を伝えたところだった。  夜も更けた図書館内では、小悪魔がその長く紅い髪を揺らしながら、本の整理に追われている。  美鈴がパチュリーと話しているのは珍しい事ではない。  夜更けとあっては、咲夜はレミリアに付きっ切りになるし、フランドールはいつもの如く幽閉されている。  美鈴が休憩時間に話すとなると、パチュリーか小悪魔か、どちらにせよ図書館に来る事になる。自然とパチュリーと話す機会が多くなるのは、道理だった。  そのパチュリーは背中しか見えないが、オレンジ色の電球のせいか、普段は淡い彼女の紫色の髪すらも紅く見えた。 「ふぅん……それは、何? 下克上かストライキの申請かしら?」 「いえいえ、まさか。現状に特に不満はありませんし、それにあれは私が氾濫してたからですよ。一人ではお嬢様はおろか、咲夜さんだってどうこう出来ません」  もちろん謙遜ではなく、本心である。いくら美鈴が接近戦に優れているとは言え、身体能力を始め、差がありすぎる。  それに、特殊な能力がある訳でもない美鈴にとっては、今の仕事は天職とすら言えるだろう。  そういう意味においても、彼女は紅魔の家には感謝していた。  不意に、鐘の音がなった。時計の針は十二で重なっている。夜勤に戻らないとならない時間であった。 「それではパチュリー様、私は仕事がありますのでそろそろ……」 「…………かしら?」 「え? 何ですか?」  自身の発した言葉と重なったのか、美鈴はパチュリーの発した言葉が聞き取れなかった。  喘息持ちの彼女が、普段あまり言葉を発しないという側面もあったかもしれない。  パチュリーは、少し顔を横に動かした。声が、通りやすくなるように。  それでも、その顔は美鈴からは見えない。   「夕食は、何を食べたのかしら?」  「えぇと、確かお肉を塩コショウで炒めたものでした」  「……そう、肉、ね」  パチュリーの肩が僅かに上下する。彼女は、笑ったようだった。  何が可笑しいのか分からずに、美鈴は首を傾げつつも、退室の挨拶だけを残して立ち去った。  本の整理が終わったのか、小悪魔が紅茶を入れて持ってきた。  血のように赤いその液体に、尚紅いパチュリーの髪が映り込む。 「さて、彼女が食べたのは、何の肉なのかしらね……?」  紅茶に映る、美鈴の顔をしたパチュリーは、口元を歪めて一人笑うのであった。