少女密室 The day after〜あの日から〜 最近イライラが収まらない。 原因はあいつ。 非常識なあいつ。 また来た。 なんど追い払っても来る。何度も痛い目にあわせているのに懲りずに来る。 私は静かに読書がしたいだけ。してるだけ。それにもかかわらず、ここでは有るまじき騒音を響き渡せ あまつさえ私の愛読書を無理やり持っていく。その行為、傍若無人で自己中心的なその行為。 あの日からだ。 紅い霧を出し外部と接触してしまったあの日。 あれがなければ私はここまで悩まされる事はなかっただろう。 だが決してお嬢様に反感の意を持っているわけではない。 理由は知っている。吸血鬼だからだ。だから怒りを覚える必要は無いし、そんな事で怒る私でもない。 白黒だ。 また来た。 私は怒っている。 私は奥歯を噛み締める。 米神に筋が浮いてようが関係ない。 本を見る目的を遮ってまで、眼で彼女を睨む。 私は彼女に好意なんて一度も持った事はない。当然だ。貴重な趣味の時間をことごとく潰していく上に ちっとも反省していないあの態度。虫唾が走るわ。話しかけないで馴れ馴れしい。読書をするのに相手が必要? 必要なわけ無いわ。なぜこの部屋が密室かわかる?彼女にはわからないでしょうね。 図書館のマナーだけでなく、相手と友好関係を保つためのマナーを微塵にも持っちゃいない。 私がもっとも嫌いとするタイプ、それがあの魔理沙という魔女よ!! 「おっす、パチュリー、また本を盗みにきたぜ」 (盗みに?堂々と言うものなの?それは。 羞恥心というものがないの?) 「む、なんだ?挨拶ぐらいしてくれたっていいだろ?」 (挨拶?あなたのそれが挨拶とでも言うの?) 「それでな、今日はチルノが蛙に── (また外の話?興味が無い。五月蝿い。五月蝿い。毎回毎回五月蝿い) 「あとな、アリスが服をだな、前後逆に── (五月蝿い五月蝿い今本を読んでいるでしょう図書館では私語は厳禁でしょう五月蝿い五月蝿い) 「ん?パチュリー?聞いてないのか?おーい」 (五月蝿い!!!!名前を気安く呼ぶな!!!本を読んでいるでしょう?わかるでしょう?) 「むぅ、まさに本の虫…か、じゃ遠慮せず持っていくぜ」 (ありえないありえないありえない非常識よありえないありえない) 「お、この本いいな、これ借りるぜ」 (っ──わ た し が い ま よ ん で た 本 で しょ う !!!) 「死んだら返すぜ、じゃぁな」 (くっっっうううううううう!!!!ぁあああああもおおおおおおおおおおお) 「待ちなさい!!!貴女にはマナーというものが無いの?いつもいつもいつも!!!他人に迷惑かけてると思わないの? 私の邪魔をしないで!!私のものを持っていかないで!!!私の時間を壊さないでよっ!!!!!」 ついに切れてしまった。私自身喘息に遮られずここまで言葉を並べられるとは思ってなかった。 私が彼女に浴びせる始めての怒声。私のこんな小さな体躯のどこから出るのだろうかと言う叫び 白黒魔女はうろたえる。私の本気の怒り。それを始めて目撃したのだから。 「う……あ……悪かった………謝るぜ……すまない」 様子から見て心から反省しているようだ。だがそれだけで私の怒りが収まるとでも? 「悪いと思っているのに何故するの?貴女は馬鹿かしら?言われなきゃ気付けないの? 謝るんだったら初めからしないでよ!!人間というのは本当に愚劣な生き物ね!!!畜生以下の生き物よ」 「な、なんだよ、そこまで言う必要ないだろ?」 「そこまで言われるほどの行為を貴女がしているという事に気付かないの?貴女は本当に馬鹿なのね!! やっぱり人間はただの餌になるのが一番いいのよ、いえ餌の価値ほどもないわ。とにかく目障りよ!!!!」 「あーわかったよ、帰るぜ、フン!」 「明日奪ったもの全て持ってきなさい!!それとも死んだら返すって事は貴女を殺せばいいのかしら?」 「はぁ…………明日また来るぜ」 そういうと開けた大穴から魔理沙は空に掻き消えていく。 あいつの最後のため息。あれが特に癪に障った。怒りをぶちまけたい。 だけどここでぶちまけては愛読書が全て灰だ。 抑えるしかない。落ち着くしかない。しばらく本も読めそうに無いこの心身状態をどう落ち着かせろと…… 「あ、あの、パチュリー様、さっきのは言いすぎじゃないのかと……」 小悪魔だ。無利益なはずなのに必死に私の為に働いてくれる優秀な司書だ。私は彼女が嫌いではない。 だがタイミングが悪かった。 「五月蝿いわね!!あなたも私の読書の時間を邪魔するというの?」 本以外に怒りをぶつけてしまいたい。その時に現れてしまったのだから。 「あ、いえ、そういうわけでは……」 気迫に押され尻すぼみになる語尾 「じゃぁどういうわけなの?あなたが時間を取り戻してくれるとでも言うの?出来ないなら邪魔なだけよ!!」 止まらない。言葉の濁流が小悪魔を飲み込む。全てをぶつけてしまう。 「い…、う…ちが……」 小悪魔は軽く痙攣し、言葉にすらならない。それでも彼女は私の言葉を受け止める。 「違う?なら貴女は仕事だけ黙ってやっていればいいの!!私の事を心配する必要なんて無いわ!邪魔よ!!」 ──…しまった。私の事をいつも心配してくれる唯一の友に… 「う、あ……失礼しました…」 小悪魔は一礼した後私に背中を向けると、本棚の奥のほうに全く音を立てず飛んでいった 振り向き様に一瞬涙目になるのも見てしまった。 イライラする。腹が煮えくり返る。虫唾が走る。白黒魔女にも。小悪魔に非難を浴びせた私自身にも。 今日は何もする気にならない。なったとしても集中できない。何も手につかない。 あぁもう! 何も考えたくない。考えるたびに、白黒とさっきの私が脳裏に蘇る。 怒りはどうすれば?消極的に解決するとしたら、寝る。ただそれだけ。時間により薄めてもらうしかない。 私はベッドに潜り込む。私の体躯には大きすぎるベッドに。その中心に蹲る。シーツを握り締め、歯を立てて。 喘息は起きない。こんなにも心臓が喚いているというのに。喘息で余計に怒りを蓄積させる事はなかったが、 その怒り自体既に溢れそうだ。限界だ。何かにぶつけるしかない。 私はシーツを引き裂き、噛み千切り、怒りを少しでも減らそうとシーツがシーツで無くなるまで繰り返す。 口の中に鉄の味が広がる。シーツであったものに紅い染みが広がる。 歯軋りによるものか、今の行為によるものか、歯茎から血が滲み布切れを汚していく。 ああああああああああああああああああああああああああああああああああ ああああああ……………………………………………………………………… …………………………………………ハァ…ハァ…ハァ……ハァ……ハァ………ハァ…………ハァ……… 少しは怒りが収まった。脳が冷えていく感じがわかる。肩で呼吸を整えながらいつもの冷静さを取り戻してく。 視界に映る、シーツではないもの。所々が赤々と血が滲んでいる布切れ。 「ちょっとメイド!シーツが汚れたわ、取り替えて頂戴!!」 今日の私はよく叫ぶ。それでいて喘息がこないのが不思議なくらいだ。 「は、只今」 私の声が室内に響き渡り終えると同時に彼女は瀟洒に現れる。 「お待たせいたしました」 彼女が現れたことを脳が認識し終わらないうちに既にシーツは取り替えられていた。 「失礼いたします」 千切れた布切れや血痕を全く残さず、それを私が確認し終わる前に彼女は既にその場からいない。 十六夜咲夜。彼女はメイドの中でも突飛して優秀だ。能力故か、性格故か、両方が相俟って どこにも無駄が無いメイド。今の私の気分にはピッタリだ。 少しずつ鼓動が遅くなっていく。落ち着いていく。この程度なら寝る事ぐらいは可能だろう。 口の中に鉄の味がする、まずはうがいをしてから── 視界の隅にうがい用の水が入った容器等一式が眼に映る。さっきまでは無かったのに……─あぁ、彼女ね。 確かに血に汚れたシーツを何も思わず取り替えるはずもない。無言の配慮。無音の配慮。 …………ふぅ。 私はため息を一つ。それで殆どの怒りが消えたように感じる。さっきまでの怒りは何だったのか、それを思わせる ぐらい私の周囲に纏う空気は冷えており、落ち着きを取り戻していた。 私はうがいを済ますとベットに潜る。相変わらずこのベットは大きい。……まぁ寝るとしますか 私は読書をする。いつもの日常だ。昨日暴れたせいなのか、落ち着いて読書が出来る。 いつもと変わらないペース。同じリズムでページを捲る音。日常だ。 日常のはずだった。 コンコン。と大きな扉──図書館の入り口をノックする音がまたも静寂を破る。 「パチュリー様、お客様をお連れいたしました」 客?……あぁ、あいつか 「入りなさい」 「失礼します」 大きな扉が開かれる。2つに割れていく扉から二つの影が現れる。 普通のメイドと白黒魔女だ。白黒の帽子は脱いで片手に抱えており、 反対の手には大きく膨らんだ風呂敷が。多分あの中は本だろう。私の。 白黒は入り口で一礼をし、私の元に歩いてくる。音をなるべく出さないように慎重に。 私と机を挟んで反対側に立つと白黒は口を開く 「パチュリー、昨日は本当にすまなかった。この通りだ。許してくれ」 ………フン 深々と頭を下げた白黒に対し、そう一言だけ返す。 頭を上げた白黒は手荷物を持ち上げ 「これが今まで借りた全ての本だ。ちゃんと全てある。汚してもいないし大切に扱ってきた」 「あ、お預かりいたします」 小悪魔が横から近寄り、風呂敷を丁寧に受け取るとまた本棚の影に隠れてしまった。 私は白黒を細い眼で睨みつける 「だから何?当然でしょう?借りたものを返すなんて。偉そうに。そもそも貸し出したりなんかしてないんだけど」 気迫に押されてか白黒の眼が私の視線から一度逃れる。が、すぐに私の眼を見つめなおし 「だから…今までの事は本当にすまないと思ってる」 「あっそう。じゃもう二度と来ないで頂戴。目障りなの。邪魔。失せなさい。もう二度と近寄らないで」 こいつの顔は頭にくる。顔を見ただけで虫唾が走る。 「そうか……わかった。帰るぜ………」 一礼し、私に背中を向け歩き出す白黒。音もなく、魔理沙であるべきの荒っぽさはどこにもない。 しかし丁度そこから扉までの中間辺りで白黒は足を止め背中を向けたまま何かを呟く 「私は……私の中のパチュリーはもっと別の人だと思ってた」 当然この無音の密室では口からの呟きも鼓膜に届く。 呟きか?独り言か?………違う。その台詞は私に対してだ。密室の中で声をだすなら届く相手は決まっている。 っ───最後の最後まで!!!!!! 私は今まで読んでいた本、手に持ったままだった愛読書、それをその憎き背中に向かって思いっきり投げつけた。 厚い本の角が白黒の背中に当たり、地面に乾いた音と共に埃を舞わせ落下した。 「さっさと帰って!!!!!!!消えて!!!!!!二度とその気持ち悪い顔見せないで!!!!」 私の怒声が図書館内に響き渡る。メイドはすくんで身体を強張らせている。対する白黒は……… 私と眼を合わせずに落ち着いた様子でその本を拾い上げ、簡単に埃を払うとメイドに渡し 「少しページが折れてしまったみたいだ。すまない」 とメイドに声をかけ、また歩き出す。 口の中が鉄の味だ。喘息ではない。 白黒は大きな扉をくぐると同時にもう一度足を止め、図書館側に向きを変える 一礼するとまた廊下の方に振り向き動きを止めると、背を向けたまま 「じゃあな…………、さようなら、パチュリー」 と残し、廊下の明るい光に包まれていく白黒。 …ハァ…ハァ…ハァ……ハァ……ハァ………ハァ…………………ハァ… 私はまた肩を震わせ息をしていた。呼吸が落ち着いてくるとまだ立ちすくんだままのメイドを睨みつけ 「何してるの、さっさとその本を渡しなさい!!!」 「ひ、ひあ、はぃ〜〜〜」 私の愛読書である本を半ば投げ出すように机に置くと 「ひ、ひつれいひまひた〜〜〜」 既に言葉ですら無くなっているが、パタパタと小走りで扉の向こうに駆けていき入り口を閉めつつ消えていく。 プチッっと廊下から漏れる光が完全に遮断される。 ……これでいつもの静けさが取り戻せたわけだ。 …ハァ………………ハァ…………………ハァ……… まだ私自身はいつもの調子ではない。 息も荒いし、鼓動も響く。 私は左側にある椅子を数歩歩いて蹴り飛ばす。よく白黒が座ってた椅子だ。 当然蹴った足に野次を飛ばすかのように痛みが走る。それが私の怒りをさらに増長していく。 背もたれの部分を両手で掴み、振り回し、反動をつけて地面に叩きつける。それを幾度と繰り返す 「くそっくそっ、人間の癖に!!!まだ数年しか生きてない人間の癖に!!生意気なのよっ!!!!!!!」 最初のうちは耐えていた椅子も、やがて脚が折れ、座する場所は罅が入り、椅子ではないものに なっていく。近くの本棚にぶつけ、棚から本が雪崩の様に落ちてくる。関係ない 「うあああぁぁぁぁあああああああ」 力いっぱい床に叩きつける。大きな音と共に椅子を持っていた手が軽くなる。 ついに背もたれの部分と座する場が分断され、周囲に木の破片が飛び散った。 ハァ…ハァ……ハァ…………ハァ……………… やっぱり今日も落ち着いて本を読めそうに無い。ならば、寝る。それが一番消極的に解決する方法だ。 壊れた椅子や本は司書に任せればよい。早く……早く日常へ…… 昨日の椅子は片付けられており、別の新しい椅子がその場所に収まっていた。床や本棚についた傷さえも 完全に修復されていた。 私はいつもの席で、昨日とは違う本のページを捲り続ける。静かな図書館。響くのは紙が擦れる音のみ。 静寂な時間。ゆったりと、そして時間という概念すら必要ない空間。密室であることの意義が満たされていく。 今日は何も起こらなければいいのだけれ── コンコン 「パチュリー様、お客様がお見えになりました」 ─やっぱり誰かが邪魔するのね。 客?白黒だったらもう二度と太陽を拝めなくしてやってもいいかもしれない。 「はぁ………いいわ、はいりなさい」 「失礼します」 大きな扉、それでいて無音で開く図書館の入り口。廊下の眩しい光を背後に並ぶ二つの影。 片方は普通のメイド。片方は…… 「失礼します、パチュリー」 入り口で一礼してから入室してくる空色の服。七色人形師アリス・マーガトロイドである。 静かに歩み寄ってきたアリスに対し、眼を細くし睨みつけながら口を開く 「………貴女まで何の用かしら」 私は彼女の事は嫌いではない。礼儀正しい上に、他人への心遣いがとても丁寧なのだ。 偶に手作りのお菓子を持ってきてくれるときもある。彼女の手菓子は美味で幻想郷でも有名だ。 だが、やはり昨日の今日だ。私の機嫌がいいわけない。藪蛇というように当然話題は… 「あの…魔理沙の事なんだけど、パチュリーの機嫌をとても損ねてしまったと聞いたわ。 そのことについて、私からも謝ろうと思って来たの。あの魔理沙の性格を助長させたのは私の責任でもあるし…」 「何を言ってるの、貴女は関係ないでしょう?なぜ謝る必要があるの」 「魔理沙はまだこの世に生を受けてまだ10年ちょっとしか経ってないの。それでいて人間の宿命である寿命の 短さをあの若さで背負っている。常に死は目の前にあるのよ。魔理沙はその短さに焦っていると思うの。 魔導書を盗んでいくのもそのせいね、一々許可を貰っていったらあっという間に寿命が尽きてしまう…… それにたった数十年借りるだけ。妖怪である私達にとってはとても短い時間よ。 魔理沙はああ見えて心配りが出来るほうなのよ。だから心配ないって思って見逃してきたの…… それが貴女の機嫌を損なう原因となってしまったわ。だから私にも責任はあるの。ごめんなさい。」 アリスが心から謝罪をしてくる。アリス自身は何も落ち度は無いはずなのに。 だけど魔理沙の名が出てきたせいで、やはり私の苛立ちは募ったままだった。 「あっそう。何が言いたいの?私達のほうが長く生きてるんだから寛大な心で見逃せと?そういう事? それともこんな事で怒る私の心があの人間よりも狭いとでもいうの?そういうわけなの?」 「違うわ、そうじゃないの。私が言いたいのは── アリスは必死にそれを否定しようとする、が、私の怒りは止まらない。収まらない。募るのみ。 「どう違うというの?貴女が言っているのはそういうことでしょう」 「違うの、聞いて── 私は聞く耳を持たない。持つ必要が無い。アリスの言葉を次々と遮っていく 「人間の寿命が短いのだったら、本を読む必要なんてないじゃないの。どうせすぐ死ぬんだし。 無駄になるだけよ。迷惑がかかるだけ。そういう事だからもう二度とあの白黒をこの館に近づけないで頂戴ね。 それと………──貴女も二度とこないで頂戴」 私は細い眼でアリスに怒りをぶつける。 アリスは蒼い眼で私を睨む。 暫くの沈黙。静寂。無音な図書館に一瞬戻る。 だがすぐにそれはアリスの声によって掻き消される。 「そう、わかったわ。私は貴女の事を尊敬していたのだけど見当違いだったようね。…─じゃぁ失礼するわ」 アリスは一礼すると私に背中を向け、静かに大きな扉へと向かう。 硬直しっぱなしだったメイドもその様子をみてそそくさと図書館と廊下を繋ぐ扉を開ける。 アリスはその境目─入り口の辺りで身体をこちらに向け一礼すると、 「失礼したわ。────さようなら、パチュリー」 と残して廊下の光に消えていった。 メイドも同時に廊下側へ出て行き、静かに扉を閉める。 プチッっと廊下の光を扉が切り離す。 なんなのよ……何故みんなして私の時間を邪魔するの?私は本を読みたいだけなの。 一人にして頂戴よ!!!! 本も満足に読めない時間に襲われ続けた為に中々苛立ちが収まらない。 それでも今日は寝るわけにはいかない。失った時間を取り戻さなくては。 あの日以来、私は必死にページを捲りつづけた。それを邪魔するものも現れなかった。 いつもの図書館。規則的に紙を擦る音だけが図書館に響く。小悪魔も私の見えないところで仕事をしている。 落ち着いて本から知識を吸収することができる。知識、知識、知識。誰にも負けないほどの知識。 人間じゃ一生を捧げても得られないような膨大な知識。私の時間。誰にも侵されてはいけない時間。 私は黙々とページを捲り続けた。 そう、私はこの日常をずっと望んでいた。誰にも邪魔されず、時間にも惑わされないこの日常を。 私は黙々とページを捲り続ける。私は黙々とページを捲り続けた。 私は必死にページを捲りつづけた 私は黙々とページを捲り続けた。私は黙々とページを捲り続ける。 私は黙々とページを捲り続けた。 「小悪魔、紅茶を用意して頂戴」 ふと喉がカラカラになっていることに気付いた。 「わかりました、パチュリー様」 棚の奥から小悪魔が出てきて大きな扉から図書館の外へ。 私は黙々とページを捲り続ける。 紅茶セットを盆の上に乗せた小悪魔が数分もしないうちに戻ってきた。 既に準備は出来ていたのだろうか。紅茶と一緒にクッキーまで用意されていた。 「どうぞ召し上がってください、パチュリー様」 紅茶を注がれ、クッキーが乗ったお皿を静かに机の上に置かれる。 私は紅茶を一口飲み、喉を潤すと皿の上のクッキーに手を伸ばす。 とても綺麗で繊細な形を成しているクッキー。この館にここまで器用な子、いたかしら。 一つ掴み、口元へ手繰り寄せると芳醇な香ばしい香りが鼻を撫でる。 ……香ばしい香り。……香ばしすぎる。 私は小さな口を開いてゆっくりと齧る。 サクッと心地良い音を立てて、口の中に零れていく。 …………美味しい。……………いえ、美味しすぎる。この味は─── 私はクッキーが乗ったお皿を掴むと、思いっ切り投げ飛ばし小悪魔の顔に叩き付けた 「こんな不味い物!!食べられるわけ無いでしょう!!!!貴女は何を考えているの!!!!!」 小悪魔の顔に叩きつけられたクッキーの崩れた破片が飛び散り、落ちた皿が音を立てて割れる。 「余計な事はしなくていい!!!貴女は仕事だけやってればいいのよ!!!!!そうでなければ邪魔なだけ!!!!!!」 クッキーの破片が顔にこびりついた子悪魔の表情は、既に涙目ですらなかった。 「フグッ…………ヒッグ………………うあああああああああああああああん」 目から大量の雫を濁流させ、私に背中を向けると大声で泣き喚きながら大きな扉の外へ逃げていった。 机の上や私の足元に散らばるクッキーの欠片と白い破片。 私が怒ったのは味が不味かったからではない。美味しすぎるあのクッキー。あれは── ─アリスが作ったものだ。 それが癪に障った。外部の物を持ち込んだアリスに。私の事を嘲笑うかのようなこの味に。 「メイド!!さっさとこれを片付けて!!!」 またしても叫ぶ。図書館内には誰もいないが、あのメイドなら聞こえるだろう 「は、畏まりました。直ちに」 彼女が瀟洒に現れると同時に、既に床や机の上は片付いていた。 「お待たせいたしました。パチュリー様」 いつもながら行動が早い。そしていつもなら一礼してから瞬時に立ち去るのだが… 今回だけは中々立ち去らない。私はそれを訝しげに見やると彼女はいつもとは違う台詞を私に投げた。 「パチュリー様、お言葉ですがさっきの行為は── 「っ──五月蝿いわね!!!貴女も仕事だけやっていればいいの!!!!仕事以外では私に関わらないで頂戴!!」 苛立ちを溜め込んでいる私は口答えをする咲夜の言葉を遮って怒声を飛ばす。 メイド長、咲夜の口から出た言葉。仕事とは関係ない言葉。まるで私が悪いかのような口ぶり。 それが余計に怒りに触れた。 「どうしたの!!邪魔よ!!!さっさと仕事に戻りなさい!!!」 怒声を浴びせられた咲夜は表情を微塵にも変えずに 「そうですか………失礼しました。パチュリー様」 と言うと、瞬時に姿を消した。 この部屋にはもう私しかいない。それでも何かを打ち付ける様な音が響く。 この一定の間隔で聞こえる音は……─私の鼓動だ。肩で息をしている私のものだ。 次第に音が小さくなっていく。それにつれて図書館は静寂を取り戻していく。 いつもの図書館に近づいていく。 私は一度だけため息を零し、椅子に座りなおしてから読みかけの本のページを捲っていく いつもの図書館に戻った。 一定の間隔で紙を擦る音しか聞こえない図書館に。 私は黙々とページを捲り続ける。私は黙々とページを捲り続けた。 私は必死にページを捲りつづけた 私は黙々とページを捲り続けた。私は黙々とページを捲り続ける。 私は黙々とページを捲り続けた。 私は黙々とページを捲り続ける。私は黙々とページを捲り続けた。 私は必死にページを捲りつづけた 私は黙々とページを捲り続けた。私は黙々とページを捲り続ける。 私は黙々とページを捲り続けた。 あの日から随分日が経った様な気がする。でも外の世界なんて関係ない。 私は知識を吸収していくだけだから。 私は黙々とページを捲り続ける。私は黙々とページを捲り続けた。 私は必死にページを捲りつづけた 私は黙々とページを捲り続けた。私は黙々とページを捲り続ける。 私は黙々とページを捲り続けた。 あの日から小悪魔の姿が見えない。きっと棚の奥で仕事をしているんだろう。 私は黙々とページを捲り続ける。私は黙々とページを捲り続けた。 私は必死にページを捲りつづけた 私は黙々とページを捲り続けた。私は黙々とページを捲り続ける。 私は黙々とページを捲り続けた。 誰もが持ってないほどの大量の知識。何も知らないものはないと言えるほどの知識。 知識知識知識知識知識。 私は黙々とページを捲り続ける。私は黙々とページを捲り続けた。 私は必死にページを捲りつづけた 私は黙々とページを捲り続けた。私は黙々とページを捲り続ける。 私は黙々とページを捲り続けた。 「小悪魔、紅茶を用意して頂戴」 ふと喉がカラカラになっていることに気付いた。 私の声が図書館に響き渡る。 ……… 出てこない。 「小悪魔、何をしてるの、紅茶よ、紅茶を持ってきなさい!!」 渇きすぎた喉がヒリヒリと痛む。 ……… それでも小悪魔は出てこない。 「役に立たない子ね。いいわ、メイド!メイド!」 ……… 誰も来ない。 あの瀟洒なメイドがこない 仕方ないわね…… 私は廊下と図書館を繋ぐ大きな扉を開けると、丁度目の前の廊下を掃除していた普通のメイドに声をかける 「そこの貴女、貴女でいいわ、紅茶を持ってきて頂戴」 メイドは私の声に気付き、顔を上げて驚いた表情を見せる。 「えっと……パチュリー様…ですか?」 その顔はいつもここを掃除しているメイドではなかった。 このメイドは見たことがない。新米かしら。私の事を知らないみたいだし。 「そうよ、さっさと紅茶を持ってきなさい」 「あ、はい、わかりました」 一礼しメイドはパタパタと背中を向けて掛けて行く 私はその姿を見送ると席に戻り、黙々とページを捲り続ける 私は黙々とページを捲り続ける 私は黙々とページを捲り続けた 私は黙々とページを捲り続ける 数分経ってからメイドが来たようだ 「失礼します……パチュリー様。紅茶をお持ちしました」 「入りなさい」 今回はクッキー等は無く、以前と香りが僅かに荒っぽい紅茶だけだ。 私は机に置かれた紅茶を一口のみ喉を潤すと、退室しようとするメイドに声をかける 「貴女、ここの司書をやってみる気はない?」 「司書……ですか?」 「そうよ、今の司書は役に立たないみたいだから代わりにどうかしら」 「今の…………司書?」 メイドの一つ前の答えと、疑問の口調が違う。 「小悪魔の事よ、最近仕事もしてないみたいだし解雇しようかと思ってるの」 メイドは首を傾ける。 「小悪魔……さん?」 「新人だからまだ知らないのね、ここの司書をやっている子よ」 「いえ…私は結構前から働いておりますけど……  その……パチュリー様はご存じないのですか?」 何を?そもそも貴女は新人じゃないの?なら小悪魔の存在知っててもいい筈── 「小悪魔様は随分前に亡くなられましたよ?」 …………………は? 最近まで働いていた気がするのに…多分。 ……………いつ亡くなったの?知らないわよ………… あの小悪魔が?そこまで寿命は短く無い筈だけど……… 誰かと勘違いしてるのかしら。まぁいいわ、どうせ役立たずだったし。 「そう。そうだったわね。じゃあ貴女がこれから司書を務めなさい」 「あ、はい、それは構いません。では異動の件をフランドール様に申請してきます」 駄目だこのメイド。 「ねぇ…………普通申請するならメイド長の咲夜じゃないの?」 「え?あぁ、パチュリー様はこれもご存じないのでしょうか?咲夜様も随分と前に亡くなられまして、 それ以来、人事の事はメイド長ではなく城主様が仕切るようになりました」 …………咲夜も?確かに人間の寿命じゃいつ死んでもおかしくないけど…… その事も問いただしてみると、吸血鬼となってしばらくは働いていたのだが、時間操作の反動で結局 早死にしてしまったそうだ。人間ではない吸血鬼の身体には拒絶反応が起こり負担が大きすぎたようだ。 ………だけど…やはりこのメイドは駄目だ。別のメイドにしよう。 「貴女、やっぱり司書はいいわ。言っておくけど城主はレミリアよ?フランドールじゃないわ」 「……いえ、今の城主はフランドール様ですけど」 …………あんな性格のフランが城主?冗談でしょ??? 「その……大変申し上げにくいのですが、パチュリー様は何もご存知でないのでしょうか?」 何も知らないのか、そう言われた。知識の宝庫、知識の大図書館と呼ばれる私に対して。 だが確かに知らないものは知らない。ここは素直にメイドに城内の事を問いただしてみることにした。 私が読書をしている間、思っていたよりも随分と時間が過ぎていたらしい 外の世界はめまぐるしく変わっていた。 レミリアは城主を引退し、フランドールに任せることにし、フランドールもレミリアを凌ぐほどの カリスマ性を発揮させたらしく、今や紅魔館だけでなく幻想郷全体も仕切っているそうだ。 …え?幻想郷全体? 「あ、パチュリー様、その事については外をご覧になったほうがよろしいかと思います。」 私は廊下にある見晴らしがいい窓の元に歩み寄ると外を眺める。 本来だったら眩しく私の肌を刺すような日差しが差し込んでくるはずなのだが…… 外の世界は紅色に染められていた。……─そうこれは随分昔にもあった光景。 あの日。私が機嫌を損ねる原因を作った紅い霧だ。 こんな事をしたら真っ先に巫女が飛んでくるのではないかと。以前の歴史の繰り返しとなるではないか。 「いえ、フランドール様はその巫女を吸血鬼に変え配下に加えました。その後、レミリア様は巫女と一緒に その神社に住んでいるそうですよ」 レミリアがしたくても出来なかったことを、フランは容易く遂行させた。簡単だ、宴会で酔った巫女を 襲ったのだから。 レミリアは多少その事に不満を覚えたが、レミリアの為にフランがやったことなのだし、その巫女と 一緒にいられる時間が増えた事が嬉しかったようで結局問い詰めたりはしなかったそうだ。 博麗大結界も有効で、なおかつこの紅い霧も同じような結界の役割を果たしているらしい。 城主になる以前から徐々にカリスマ性を現してきたフランは、部下に的確な指示を飛ばし その発言力たるや城主であったレミリアを凌ぎ、メイド全員にも絶大なる支持を受けいまや城主となったのだ。 城主となり、さらにカリスマ性を発揮させたフランは他所の地にも手を下していき、次々と侵略していったそうだ というと……? 「そうです。今やこの幻想郷は全て紅魔館の敷地であり、フランドール様のものなのです」 全て……? え、じゃぁ…アリスは?どのくらいの時が経っているかわからないが、私が生きているという事は 同じ魔女なのだし寿命的には生きているはずだ。魔理沙は…捨虫で魔女になったのなら生きてると思うのだけれど 「ねぇ、アリスや魔理沙はどうなったのかしら。魔法の森に住んでる魔女の事よ」 「はい、幻想郷史上最幸なカップルだと謳われたあのお二人の事ですね」 は? 「で、どこにいるの?」 「随分前に亡くなりましたよ。………──というか殺しました。私達が」 「本当に幸せそうな家族だったんですけどね、フランドール様がそれはもうあっさりと」 ……… 全て紅魔館の敷地? でも……流石に兎の館や冥界は… 「さっきも言いましたが配下にしたのではなく、全て紅魔館のものなのです、 以前の住人は誰も、どこにも生きてはいませんよ」 「よかったですね、パチュリー様。これでずっと邪魔されずに読書が出来るんですよ。」 「館の者にもパチュリー様の邪魔をしないようにと、フランドール様に頼み込んでおきましたから 安心して読書を続けてください」 「ちなみに私、本が大好きですから司書なら喜んで引き受けますけど、どうですか?」 「前世も本を大量に扱ってまして、慣れてますから」 「あ、もちろんパチュリー様の邪魔はしませんよ」 「信頼ないですか?なら私の前世、教えましょうか?」 「大図書館の司書ですよ」 「それにしてもパチュリー様、そんなに知識を溜め込んで一体何に使うつもりなんですか?」 私は知識の宝庫、動かない大図書館であったはず。誰よりも知識を溜め込んでいたはず。 でも、私は何も知らなかった。私の知識は、無知だった。 あの日から。 密室にしたあの日。 他人を拒絶したあの日。 時間を切り離したあの日。 外界との接触を断ったあの日。 親しい者の存在を殺したあの日。 私が読書以外の全てを拒否したあの日。 あの日から………私は存在を失っていたのね。 メイドからも誰からも見放されたのね。 幻想郷にも見捨てられたのね。 時間にも見捨てられたのね。 知識も全て役に立たない。 私は無知識な少女。 誰の為に私は。 何が故に私は。 読書をしたの。 あの日から。 私は黙々とページを捲り続ける。私は黙々とページを捲り続けた。 私は必死にページを捲りつづけた 私は黙々とページを捲り続けた。私は黙々とページを捲り続ける。 私は黙々とページを捲り続けた。 私は黙々とページを捲り続ける。私は黙々とページを捲り続けた。 私は必死にページを捲りつづけた 私は黙々とページを捲り続けた。私は黙々とページを捲り続ける。 私は黙々とページを捲り続けた。 規則正しく紙を擦る音が図書館内に響き渡る。 書物に目を落とす魔女がいる。 でももう彼女の虚ろな目は 文字を読み取っていない あの日から…… 「パチュリー様、もう誰にも邪魔はさせませんから、いつまでも読書していてくださいね」 私は黙々とページを捲り続けていく 少女密室 The day after〜あの日から〜  終