※注意 この作品は、東方創想話作品集45にあります「少女の現 前編 後編」を読んで下さっていることが前提 となっています。キャラクター(アリス、魔理沙、霊夢)への偏執的な愛が篭っております。苦手な方はどうぞ回避し てください。  果して自分は、博麗霊夢の言う通り魔性に魅入られているのであろうか。だとするならば、何時魔術を行使されたの か。魔理沙は記憶にない。日を追って辿ろうとも、そのような形跡は見当たらないし、自分も魔法使いの端くれである。 他人の魔術とは異物。殊魔術を為す者が、それに気が付かぬ筈もない。  博麗霊夢は、自分に何をしろと言った?  そう、日記を見ろと、そう告げた。  『――そうやって騙されているが良いわ。自分が魔女の術中にはまっている事に気が付かず、ボロボロになるまでア リスと一緒に居れば良い』  ――考えると頭痛がする。きっと魔術の所為ではない。自我を守る為の、防衛反応だ。自分と云う人間はアリスの自 由を奪った。さすれば己もまた自由をかなぐり捨ててそれに尽くさねばならない。この新しい関係の中に己の誇りを見 出さなければ、生きて行けないと考えるが故――それを否定する事は、完全なまでに己を死に追い込む結果になり兼ね ない。自由を捨て死せる身であろうとも、心はまだ生きているのだ。  故に、故に故に故に故に。  博麗霊夢の言葉を、真に受ける訳にはいかない。一時でも其方に傾き、アリスを疑うような真似をすれば、取り返し がつかなくなってしまう。それに、アリスの腕を奪い、更には疑うなど――尋常の人間がするべき考えではない。自分 を取り巻く環境に対して、懐疑心など抱いてはならない。疑うまでもなく事実は明白で、自分はアリスを”破壊”し、 その代償として己を”殺し”たのである。  「……私、は」  疑ってはならない。これこそが正解なのだから。これこそが――正しい道なのだから。  「私は……」  本当に? 自分は本心から、アリスに償わなければいけないと感じているのだろうか。正しき道を歩む事こそ、自由 を奪った者に出来る最後の善行なのだろうか。自分は、本心を疑ってはいないか? 自分は、博麗霊夢に言われた日記 を、気にしてはいないだろうか? 懐疑心を抱くな、などと己を説得しなければ感情の整理も出来ないような小娘が、 その正しい”らしき”道を、進んで行けると言うのか?  自己を本来の死に導く可能性がある道を選んで、その真偽を確かめる事は罪だろうか。アリスの現状こそが形として 残る正論なのかどうか、それを確かめてからでも、遅くはないのではないか。  疑う罪など、自己に秘めておけば誰も咎めなどしない。魔術ではないにしろ、アリスの何かしらの計であって、その 毒に中てられたまま、アリスと過ごしていける筈はないのだ。  「……」  ――手に握られたのは、一つの小瓶。パチュリーが置いて行った、マジックアイテム。まずは本心を確かめてから……。 魔理沙は、その小瓶の蓋を捻り、テーブルへと置く。  「そう、だよな」  湧出したエーテルが形どったものは――魔理沙の、嘆き悲しむ顔であった。  ・  ・  ・  ・  ・  行動は夜に起した。買い物から雑用まで、基本的に外へ出るのは自分一人である。それ故アリスが家を空ける事がな いのだ。日記を盗み読むとするならば、アリスが寝静まった夜しかない。腕を失い体力の消耗が激しいのか、夜はぐっ すりと眠って起きない事は既に承知している。  しかし、用心深いアリスだ。人形の一体や二体、監視に当てているかもしれない。魔理沙は隣で寝息を立てるアリス を起さぬようゆっくりとベッドを抜け出す。蝋燭の明かりすら無い場所だ、月明かりだけが頼りである。自分の立てる 足音にビクつきながら、慎重にアリスの机へと近づく。  ……案の定、蓬莱人形が日記の傍に置いてある。上海は現在修復中。霊夢の一撃を食らったのであるから、しばらく は再起不能だろう。蓬莱……アリスが良く扱う人形の一。腕がない事、体力、魔力の低下の所為もあって、アリスは現 在複数の人形を扱う事は出来ない。その使役数減少をカバーする上でも、扱いやすい人形をメインとしているのだろう。  昨日から殆ど、蓬莱以外の人形を動かした姿を見ていない。だとするならば、この日記の傍にある蓬莱は間違いなく、 監視役。今も魔理沙を見ているのかもしれない。  ――いや、それはどうか。  どうあろうと、自立人形を完成させていないアリスは、自分の意図とは別に動ける人形は所有していないはずである。 主人が眠っている、という事は神経系接続が絶たれている可能性がある。前もって”監視”の式を組み込んでいたとし ても、主人の意識が無い場合は……怪しい。  ひょっとしたら、限定的な命令を与えているのではないだろうか。例えば、魔理沙が日記に触れようとした途端、魔 力によるスイッチが入り、主人へと伝達。主人覚醒と共に神経系接続が為された蓬莱人形が稼動し、後は式通りに動く。  魔理沙は人形師ではない。故に全ては憶測であるが、物理的な糸によって人形を扱っている事はカモフラージュであ る、という所までは見抜いていた。糸は糸でも魔力の糸。人間の目では不可視のマジックライン。  ――、一端静止して、呼吸を練る。深く空気を吸い込み、腹に貯め、ゆっくり吐く。それを数度繰り返してから、魔 理沙は右手を掲げ、蓬莱人形へと向けた。魔理沙とアリスは、専門の違いさえあれど同じ魔法使い。種族は違えど魔道 を嗜む者である。この世界に漂う目に見えぬ力を扱いこなす故に”魔女”なのだ。  基本的な法則は何も変わりはしない。魔道とは学問。法則を逸脱するような魔術は、ありえてはいけない。  なれば感じ取れる筈だ。魔力の流れ。この部屋に漂う、アリスへと至る魔力の糸が。  「……魔理沙?」  「あ、ああ。起しちまったのか。ごめん」  「どうしたの?」  「ほら、魔法が撃てなくなっただろ。夜なら集中出来るかと思ったんだけど」  「……そっか。でも、また明日にしない? 魔力行使の流れがあると、私に伝わってくるのよ」  「そりゃ当然だな。お前の家なんだから」  「うん。魔理沙、ほら、寝ましょ?」  「――ああ」  力の流れを辿ろうなどと考えるべきではなかった。そう。ここは魔女の館である。とはいえ、流石の魔理沙も、家中 の人形に糸が張り巡らされているとは、思わなかった。動かす分の魔力を全て監視にあてている。魔力の流れを読もう とした魔理沙に、全人形の視線が集まったときは、心臓が止まるかと……脅えた。  人形の視線、一つ一つが、尋常ではない気がしてならない。魔の力とはおぞましくもあるものなのだが、術者の感情 によって、それは更に増幅する事がある。想念の上乗せ。気力といえば聞こえは良いが、結局は妄執である。  今の状態では、とてもではないが、日記に触れられはしない。全てを投げうる覚悟があれば、別であるが。  「魔理沙」  再びベッドへ潜り込んだ所に、アリスの声がかかる。  「信じてるから」  ――その声質は冬の井戸水のように、冷たい。ドキリとする。全て見透かされているのではないか。そう思わせるよ うな発言。……益々、魔理沙の中で不信感が募り出す。やはり何かある。アリスマーガトロイドという子は、こんな陰 湿な行ないをする子であっただろうか、そういった疑問と矛盾が魔理沙の中で渦巻いて行く。  「お休み、アリス」  「お休み、魔理沙」  しかし、今はどうしようもない。疑えど疑えど、真実は遠ざけられている気がしてならない。霊夢の言う通り、あの 場で日記を読むべきであったと後悔する。一度疑いはじめたらもう歯止めなど利くはずもなかった。アリスマーガトロ イドは、何かを隠している。自分は、霧雨魔理沙は、彼女の、手中に居る。  「……」  布団の中で――そっと手を握られる。その手は妙に熱く、また汗ばんでいた。握り返して良い物かと数秒悩み、結局 返してしまった。精神的にも物理的にも手中にいる。そう、強く感じさせられる。抗うべきだとは解っているものの、 実際拒めるだけの勇気がない。強気の霧雨魔理沙は、アリスの腕を吹き飛ばした時点で消え失せてしまっているのだ。  今の魔理沙は、得意の弾幕とて撃つ事もままならない。優曇華の時も、霊夢の時も。腕を吹き飛ばすビジョンが重な ってしまい、思うようにいかないのだ。勿論解っている。その二人とて、容易に倒せる相手ではない。まして霊夢など、 本気で殺しに掛かっても、勝機は薄いのだ。それでも、撃てない。  「魔理沙……魔理沙……」  耳元で、アリスの呼ぶ声が聞こえる。……その声はか弱く、切なそうで……とてもではないが、無碍に扱えるほど、 強くはない。こんなもの、益々もって攻勢になど出れない。反発出来ない。  「魔理沙……不安で眠れないわ」  「……何が、不安なんだ?」  「寝て起きたら、次の日には魔理沙が居なくなっていて、一人ぼっちになってしまうんじゃないかと思うと、胸が苦 しくて仕方が無いの。束縛しているようで、悪いとは思うのよ。でも、今居なくなられたらと思うと……」  手を握る力が強くなる。意識しているのかしていないのか解りかねるが、どちらにせよ離したくない、と云う明示的 な行動であるには違いが無い。  この少女が、恐ろしい。まるで底なし沼からズルズルと足を引っ張る正体不明の「何か」であるような、見えぬ恐怖 がある。  「どうしたら、いい」  「キス……して……」  ……引きずり込まれる。引きずり込まれて行く。このまま堕落の園まで辿り付くは容易だ。きっとソコの底には、怪 しげで滑稽で、狂気満ち溢れる腐れた幸せがあるに違いないだろう。それを愛と判断したのなら、きっと苦も無くこの アリスマーガトロイドとの新しい生活が見出されるのだろう。  ――だが、魔理沙は、魔理沙は己が本心を知っている。このまま受け入れたのなら、魔理沙は本心を否定する羽目に なってしまう。アリスは嫌いではない。親友だとも思っている。しかし、アリスが何かを隠している限りは、霧雨魔理 沙の本心が頷かない。この状況を容認しないのだ。  否定すべきは本心ではない。否定すべきは――。  「ごめん。アリス。私は、出来ない」  「――そう、よね」  アリスである。アリスマーガトロイドこそ、今は否定しなければいけない。  「ごめんなさい、私ったら」  「い、いや。お前がその、そういう趣味なの、なんとなくは、知ってたから」  「魔理沙は、違うものね」  「そもそも……男女同士の交際だって、私はないし……それに、私達は、親友だろ? だったら、こういうのは違う と思うんだ」  「じゃあせめて、手は握っていてくれるかしら……ごめんね、気持ち悪い女で」  「か、構わないけど――」  身動きを封じられた。今日はもう駄目だとして、魔理沙は目を瞑る。  ……。  落ち着かない。汗ばんだアリスの指が魔理沙を離すまいと絡みつき、まるで手から意思が伝わってくるかのようで、 とても寝付けない。一刻も早く日記を確認しなければならないが、これではどうしようもない。  寝付けないのならばと、頭を働かせてみる。策。策はないか。アリスの監視の目が無い時間は無いのか。アリス自身 に感づかれず、人形の監視も掻い潜れる策は。  (気配があるからこそ、気が付かれる……)  つまり、見えなければいいのだ。気配を消せればいい。とはいえ、自分の専門魔法は攻撃に特化している。隠れたり 逃げたりするような魔法は習得していないし、知識もない。では外の助けを借りたならばどうか……とは思うが、生憎 一番の親友は仲たがいしている。パチュリーは信用出来なくもないが、森からでは紅魔館は遠すぎる。おつかい程度の 時間で赴ける場所……となると、香霖堂くらいであるが、霖之助では頼りなさ過ぎる。それに、アレが姿を消せる魔法 具を持っていたとしても、何に使うのか、などと聞いてくるだろう。余計な心配はかけたくない。  (早速手詰まりか……)  逆に、アリスを家から引き剥がす方法は、ない訳ではないが、そうなると協力者が必要となってくる。強行して日記 を見るとすると……それが自分にとって何の問題もない物だったとしたならば、本当に単なる裏切り者になってしまう。 それでは困るのだ。  「……まり……さ……」  「え、あ、なんだ?」  ……寝言、らしい。アリスは息苦しそうに胸を上下させ、顔を歪めている。……なんとなく、申し訳ない気持ちで一 杯になる。もしこの疑念が本当に単なる妄想だったとしたなら、これほど愚かな事もそうそうない。アリスには自分が 必要……なのかもしれないと、思ってしまう。  駄目だ駄目だと頭を抱える。今は、今は疑わなければいけない。だが。  「アリス」  ただ、この罪悪感を拭う為に、額にキスするぐらいは、許されるだろう。勿論偽善である。己が矛盾する本心と理性 の狭間を塗り固めて、少しでも自分の負担を軽くしようとする、偽善である。  ・  ・  ・  ・  ・  目を醒ました頃には、もう昼も近い頃合であった。フリルのついたカーテンの隙間から漏れる光は外が晴れである事 を教えてくれる。隣にアリスの姿はない。どこへ行ったのかと思い部屋を見回すと、キッチンから何かしら作業をして いる気配が窺えた。身の回りの事をすると言いつつ、アリスにさせるのは申し訳ない。一応はその理性に従うべく、魔 理沙もベッドを抜け出す。  普段は肌着とドロワーズのままうろつくのだが、昨日の今日である。いざとなった時外に出れない、ではお話になら ないので、魔理沙は面倒に思いつつも鏡台の前に腰掛ける。三面鏡の中に映った自分の姿は、大分疲れたようにもみえ る。霊夢の言った通りだなと納得しながら、アリスの櫛を借りて長い髪を梳かして行く。  ここ最近、アリスの髪は梳かしても自分の髪は梳かしていなかった。女の子として有るまじきだが、どうもそういっ た女々しい所作が苦手な魔理沙にとって、そう珍しい事でもない。  「あら、言ってくれれば梳かしたのに。長いから大変でしょう」  アリスの声がかかる。鏡に映るアリスの手には、朝食と昼食の間らしき食事が乗せられていた。  「んー。面倒だろう。自分でやるぜ」  「そう?」  アリスは明るい声色でそう答えると、皿をテーブルに乗せてまたキッチンへと消えていった。恐らく、であるが。も しアリスが両の腕健全なれば、自ら進んで魔理沙の髪を梳かしに来ただろう。意識させない為か、気遣ってか。真相は 知れないが、それに近しいものがあるのだろうと魔理沙は考え、溜息を吐く。  ……着替えてから梳かせばよかった。そう思い出したのは、アリスが食卓に全て料理を並べた後だった。  「今日は着替えたのね。最近下着のまま家の中を歩き回っていたのに」  「少し散歩に出ようかなと思って。魔法が撃てない魔女は魔法使いじゃないし、練習も兼ねて」  「……そうよね。私に付ききりだったもの。気分転換もいるわよね」  「あ、う、うん」  「ありがとう。感謝しているの」  「いいんだ。感謝されるような立場じゃないんだぜ」  出された食事を平らげて、魔理沙は席を立つ。キッチンで自分の使った食器を洗い終えてから、身支度を整えて外へ と出た。大分陽射しもあり、幻想郷は春麗と称して差し支えのない陽気ではあるものの、魔理沙の気はまるでそれと正 反対である。アリス邸を離れ、森の奥へと進んでみようとも考えたが、やめた。魔法を使えなくなった分魔力の扱いも 鈍っている。食人植物になど襲われたら撃退出来る自信がない。  致し方なく、空を飛ぶ。箒に跨って悠然と空を飛ぶ事は、スピード狂にも似た感性を持つ魔理沙にとって気晴らしに なるからだ。  「……はぁ」  一気に森を抜け、人里方面にまで顔を出してみる。見下ろした先には人がおり、昼間らしく賑わっている。一抹の疎 外感を感じはするが、今に始まった事でもない。方向を切り返してまた他方へと箒を進める。  「はぁ……」  二度目の溜息。基本的に、この行動にあまり意味はないのだ。策を練っても出てこない煮えきった頭を冷やして、別 の策が出てくればいいな、程度の気分転換である。そうそう簡単に出てくるのであれば、魔理沙は悩まずに済むのであ るが――。  「あら?」  物事の起点とは、意外な場所である場合がある。解決策とは、思いも寄らぬ方向から表れる可能性がある。  「えい、りん?」  魔法の森上空を抜け、竹林へと向かおうとした空中にて、見覚えのある人物に遭遇する。竹林の薬師、八意永琳だ。 奇抜な服装で大きな鞄を抱えるその姿を見間違える筈もない。  「見ていると、こっちが憂鬱になりそうな顔してるわね」  「悪かったな。それで、薬売りは今日から永琳本人が始めるのか?」  「何、霊夢から訊いていないの? 腕が治ったから往診しにきたのよ」  「腕が、治ったって? アリスの腕が?」  ……思い返せば心当たりがあった。昨夜は霊夢への怒りとアリスへの疑いで頭が一杯だったが、霊夢は去り際にそん な事を言っていた。  「霊夢に感謝なさいよ。あの子のお陰でもあるのだから。それで、これからアリスの家に行くのだけれど」  「え、あ、ああ。私も戻るから……」  そう、と素っ気無く答える永琳を従えて、魔理沙は魔法の森へと箒を進める。腕が治った。その事実が魔理沙の思考 を余計な方向へと混乱させる。治ったのは良い。治ったならそれで良いのだが、しかし。アリスが素直にそれを受け入 れるかは、解らない。不安要素通りの筋書きで自分がアリスに陥れられているとしたら、まだ腕など……取り戻したく はないのではないだろうか。アリスが何処まで先を読んでいたかはしれなかったが、もしかするとこれは予想外の出来 事なのかもしれない。  しかし、しかしだ。それとは別に、これはチャンスでもある。協力者が増えたのだ。これを逃す手はない。  「なぁ永琳。一つ、頼みごとがあるんだけど」  「――何かしら」  アリス邸から多少離れた位置に着陸してから、魔理沙は永琳を正面に捉えて口を開く。  「アリスを、家から連れ出して欲しい。名目はカウンセリングでも何でも良い。魔力行使を止めさせて、リラックス して欲しいとか、そんな理由で良いから……」  「……治療外の事ねぇ」  「頼む! ただタダじゃ駄目ってんなら、何か見繕って……」  「――そうね、私も阿呆だったから」  「は、はぁ?」  「こっちの話よ。そちらで解決するっていうなら私に出来る事は、貴女が言う事を素直に受け入れる事ぐらいだわ」  「つまり、良いってことか?」  「えぇ。ただアリスは用心深いだろうから、長い時間は無理ね」  「……恩にきる!!」  突破口が見えた。完全に閉じられていると思っていた部屋に、人一人分通り抜けられるだけの、穴があいたのだ。こ れで確認が出来る。確証が持てる。愚か者は自分なのか、それともアリスなのか。  「家を出て暫くしたらあの子の魔力行使を絶つわ。性格を見るに几帳面だから、十分程度が関の山でしょうけれど。 その間は貴女がしたいようになさいな」  「わかった」  ……永琳は、そのポーカーフェイスを多少崩し、複雑な表情を見せるが、首を振って改めなおすと、魔理沙に背を向 けてアリス邸へと向かう。魔理沙はその仕草をどう理解したものかと、多少気になりはしたが、今はそれどころではな い。確かに、永琳の言う通りアリスは几帳面で用心深い。しかも、今はそれが一層際立っている節がある。部屋中に張 り巡らされた魔法の糸を見れば一目瞭然だろう。  そんな状態を打開出来るのだ。他に考えるべき事などない。永琳がアリスを連れ出し、魔力の流れを完全に絶ってし まえば、アリス邸の中身は本と人形があるだけの空家に他ならない。魔力の流れを切るという事は、普段から付けてい る警報機の電源を落とす、という事だ。こんな機会、そうそうこない。二度目があったとしても、アリスは疑うに違い ないのだ。  森の茂みに隠れ、玄関を窺い見る。まだ診療の最中なのだろうか、動きはない。  (……上手くいけばいいんだけど……きたっ)  永琳が、アリスを連れ立って家を出る。永琳は何かしらアリスに講釈を垂れると、御丁寧に空を飛んで遠くへと連れ て行った。魔理沙は二人が視界から消えるのを見計らい、そっと家に近づく。  (もう少し、もう少し……)  まだ、アリスの魔力の残り香がある。人形の目があるかも解らないので、勝手口に近い木陰に隠れ、息を整えて平静 を保とうとする。つい先ほどまで自分が住んでいた家ではあるが、意識してみると、どうしても後ろめたい気持ちが強 くなってしまう。故にコソ泥の真似事などしてしまうのかもしれない。  ……。  永琳がアリスを連れ出して、およそ五分。とうとう、アリスの魔力らしきものは薄れた。念の為に意識を集中させて、 アリス邸の中にどの程度魔力の糸が張られているかと確認してみたが、気配はない。ヨシ、と意気込み、魔理沙は勝手 口から”侵入”した。  薄暗い室内は、まるで湖底のように静かで動きがない。人形達は皆部屋の中央を見据えるように設置されているが、 そこからおぞましい気配は感じ取れなかった。これならばいける。  「……チッ」  アリスの机の上。アリスの日記帳。ここまでは上手くいったが、如何せん、日記には鍵が掛かっている。普段から強 盗に入るにせよ、正面から堂々と侵入するスタイルであった為に、あまり開錠の魔法は得意ではない。しかし不得手だ と嘆いている時間もないので、すぐさま取り掛かる。  アリスが連れ出されて七分。引き止めているのは十分が限界だ、といっていたように、恐らく大した誤差はないと思 われる。延長は無いと考えるのが妥当だ。永琳から解放された後すぐさま魔法の糸を復帰させられる筈はないので、戻 ってくる時間も含めれば、十三分といったところだろう。  「家は魔法で鍵するくせに……これは南京錠かよ」  真鍮製の冷たい錠を握り締め、数度呼吸を整える。破壊するのは簡単だが、魔法も使えない上に、もし本当にアリス が白だった場合、弁解の余地がなくなってしまうので、攻撃的な真似は避ける。幸い、南京錠は鍵を開けても閉じる時 に鍵は必要ない。現状復帰が簡単なのだ。  九分が経過する。そろそろ焦りが出てきた。額に浮かぶ汗を手で拭い、もう一度力を込めて開錠のスペルを紡ぐ。力 が伝わっている手ごたえはあるのだが、今ひとつ足りない。玄関をチラチラと窺いながらという、集中出来ない状況が 魔力の篭りを弱めていると気がつき、頭を三度振って、鍵だけを意識する。  「……くっ」  十二分。外で物音が聞こえる。ドアを開けば、そこには日記帳を弄る自分の姿があるだろう。だが、なかなかドアは 開かれない。  『アリス。魔理沙はどうしたのかしら』  『気分転換っていって、外へ出ているわ』  『そう。この前見かけた時は、大分やつれているように見えたから』  『……良い子なの。とっても。私、罪悪感で一杯だわ』  『――ねぇアリス。一ついいかしら』  『何?』  『貴女の、腕の事よ。修復が完了したわ』  『――そ、そう……』  『あら、あまり嬉しそうじゃないわね。こっちは寝ずに頑張ったのに』  『う、嬉しいわよ。で、でも。くっ付くのかしら。ほら、私の腕のあった場所、もうこんなに塞がっていて』  『私って誰かしら。天才八意永琳よ。腕どころか体が半分でもくっつけてみせるわ……それにね』  『何よ』  『――爆発してぶっ飛んだ割に、切り口が綺麗だったのよ。まるで刃物か、鋭く切れる糸で切ったように。だからね、 貴女が思っている以上に、つなぎ目無く綺麗に、くっつけられるわ』  永琳がどのような意図をもってして、そのような言葉を吐いたのかなど、魔理沙は知る余地などない。それに。  もう、そんなことは、魔理沙も承知している。  湧きあがる感情はどうしようもない嫌悪と怒り。そして、哀れに思う心であった。魔法など最初からない。すべては、 アリスマーガトロイドの、執念と云う縛りでしかなかった。  少女の現 EXTRA  アリスマーガトロイドにとって本当に大切なモノは何だったかなど、今はまるで思い出せない。好きだ好きだと思い ながら、その気持ちは果して、誰の為のものだったのか。勿論、愛や恋が一方通行である事など弁えてはいたが、過剰 な想いは歓迎などされず、ましてその過剰な想いは限りなくエゴイズムの塊である。  自分が寂しいから。自分が好きだから。相手に対して、束縛を強いる。  本当は何が大切だったか。それを思い返すのは、まず行動するよりも先である必要があった。  誰も、人を愛してはいけない、人に恋してはいけない、人を束縛してはいけない、などとは言わない。恋愛とは例え 同性間の感情であっても、基本的に一方通行である。それを受け入れて貰えるからこそ、相手を愛する権利を得れる。 その手順を省く事は、暴力に他ならない。つまりアリスは、勝手に実らない恋と決め付け、手順を省いたのだ。  無理だとわかっている、でも欲しいの、では、世の中成り立ちなどしないのだ。それは外であろうと、幻想郷であろ うと、人の心持つヒトカタの生き物が、ヒトカタの者へと恋する限りは、絶対的に不変の法則である。  『――貴女は、本当にそれで良いのかしら』  良くない。だが、引き返せない。バレたのだから。自分が、相手を強制的に縛るような真似を、非道なやり方で実行 した事がバレたのだ。大変な犠牲を払った。上手く行ったと思った。しかし、甘かった。  不安要素は各地にあって、一つでもそこを突かれれば瓦解するほどに弱い作戦である事は、実行した本人が一番理解 している。例えば自分の腕を切り落とし損じるとか。魔理沙にその時点で見捨てられるとか。永琳に即座に指摘される とか。霊夢に日記を見せる際、魔理沙も一緒に見てしまうとか。兎に角、沢山あった。  ……上手く乗り切ったと己を過信したが故のミス。一つ綻びを作ってしまったのなら、別にその時点で全て解けてし まう訳ではない。時間が経つにつれて、その綻びが崩壊の切欠にもなりうる。フォローしきれなかった。綻びを見つけ られる前に、魔理沙を心酔させるべきだった。  失敗したのだ。そして、引き返せないのだ。  「……魔理沙……魔理沙……」  魔理沙を模った人形を抱きしめて、アリスは床に泣き崩れた。こんなに愛しているのに。こんなに好いているのに。 貴女は自分のものにはならない。貴女無しでは生きていけないのに。今までの生活が、どれだけ夢のようであった事か。 これだけの幸せ、今後訪れるとは到底思えない。ずっとずっと、朝から晩まで魔理沙が居て、気遣ってくれる。そんな 幸せの絶頂から叩き落されたこの苦痛、筆舌に難い。  「魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙……う、あ、うあぁ……」  悔しい。憎らしい。こんなにも、こんなにも愛しているのに。何故応えてくれないのか。これだけの犠牲を払ったの に、例えそれが自分の策であったとしても、その想いの一片とて伝わらなかったのか? 腕一本失おうが、貴女さえい てくれれば自分は幸せ。こんなにもこんなにも強く尊い気持ちを、魔理沙は理解してくれないのか?  「……ちゃんと、ちゃんと言葉にしなきゃ、駄目なのかしら……」  ……もしかしたら、自分の気持ちが伝わり難かったのかもしれない。自分がさり気無くアピールしても、気がつく振 り一つ見せなかった魔理沙だ。ちゃんと言葉にしなければいけないのかもしれないと、そう考える。キスを断られたの だって、きっと自分の気持ちを、そして魔理沙自信が自分の気持ちを把握しきれていなかったからこそ。だとしたのな らば、ちゃんと言葉にしなくてはイケナイ。言葉にして、自分がどれだけ魔理沙を愛しているか、伝えてあげねば、進 展なぞないのかもしれない。  「きっとそうよ、違いないわ」  涙を拭い、笑みを浮かべて立ち上がる。状況を理解した者がこの光景を目撃したのならば、滑稽としか言い様の無い 様であったに違いないが……アリスは、本気である。魔理沙を心酔せしめようなどと云う策を自ら考案し実行した本人 こそが、一番心酔しているのだ。アリスは……気がつけない。振り返って、何が正しいか、何が大切だったかなど、意 識出来ない。頭脳明晰故、万全であると過信するが、そんなものは砂上の楼閣以下に脆く儚い。きっと、蜃気楼の方が まだ現実味があるに、違いなかった。  何の為に永琳が進言したのか。もはやそれこそも、アリスの中では問題になっていない。普段通りなら、きっと己を 戒めようとも思っただろう。冷静に状況を把握しようと落ち着き払ったのだろう。だが、失ったものが大きすぎる。  腕を賭したと云うのに、目的が達成出来なかった。それは命を賭けて失敗したに等しい。そんな体たらく、プライド が許さない。霊夢との関係をぶち壊し、今までの生活を捨て、魔理沙だけを見たと云うのに。人生を投げたのに、手に 入らないなど、許せるはずがない。許してはならない。このままでは、何もかも、終わる。  「魔理沙……今行くわ……ちゃんと、ちゃんと私の気持ち、伝えるから……」  アリスは、意を決して外へと出る。もう夕暮れだった。あまり時間の感覚がないのは、それだけ必死であったという 事の現れなのだろう。  魔理沙が自分を見た時の顔が思い出される。憎しみとも、哀れみとも取れない、どうしようもない気持ちをそのまま 表し、傍若無人を気取り、無神経を装い続けてきた魔理沙を象徴し集約したような、そんな顔。誰もが思っている以上 に、霧雨魔理沙は脆かった。そして、誰もが想像している以上に……アリスマーガトロイドは、道を踏み外していた。  アリスは”はやる気持ち”を抑えて空に舞い上がり、魔理沙の家へと方向を定める。全てがバレて直ぐ魔理沙はアリ ス邸を飛び出して行った。普通なら居場所など見当も付かないが、魔理沙の場合、行く場所が決まっている。しかも、 そうとう傷心しているに違いなかった。霖之助に迷惑を掛けるとも思えず、ライバルの霊夢に無き縋る可能性もあまり 考えられない。ともすれば、自宅で引きこもっていると考えるのが妥当である。  ……案の定、魔法の森の一角から、ランプの明かりが漏れていた。アリスはほっ胸を撫で下ろして、魔理沙の家の前 に降り立つ。話を聞いてもらわなければいけない。自分が、どれだけ魔理沙を思っているのか。  「……魔理沙、アリス……だけれど」  コンコンと、ドアをノックする。反応はない。  「アリス、だけれど」  コンコンと、ドアをノックする。反応はない。  「魔理沙」  コンコンと、ドアをノックする。反応はない。ただ、ランプが消えた。  「魔理沙、聞いて。お話があるの」  コンコンと、ドアをノックする。反応はない。  「魔理沙、魔理沙」  ……何度も何度も繰り返す。アリスは止める気配がない。魔理沙の名前を呼びながら、何度でも繰り返す。  「……魔理沙、弁解はしないわ。でも聞いてほしいの。魔理沙、愛してるわ」  ――幾百度繰り返したか。それ以降、アリスのノックする音も、声も消えた。  突如訪れた沈黙に、魔理沙は逆に恐怖を覚える。居なくなった振りをしているのではないか。とんでもない暴挙に出 るのではないか。もしかしたら、逆恨みで殺されるのではないか。そうなると、魔法を撃てない魔理沙は抵抗のしよう がない。無防備も甚だしい。そう考えると、魔法の森にいる事すら危険ではないのだろうか。ではだったら、どこかに 拠り所があるか、というと、少ない。霖之助に迷惑は掛けたくはないし、霊夢は仲たがいしたままである。自分の居場 所は現在……自宅しかない。逃げようにも、逃げられない。紅魔館へ行ってパチュリーに匿って貰えないかとも考える が……普段の行いが悪すぎる。魔法も使えないのに、門番もメイドも突破は出来ない。客として迎え入れて貰えるほど、 レミリアとは仲良くはないのだ。  暗闇の中、ベッドにもぐりこんで、震えるだけ。壁の隅っこに身を寄せて、正面を見張り、侵入者はいないかと目を ギョロギョロと動かす。勿論、そこに誰もいる筈はないのだが、家具の物鳴りすら、気がかりで恐怖だった。今日は退 散してくれただろうか。しかし、アリスが今日一日だけで諦めるとも思えない。ずっと引きこもるにしても限界がある。 暫くアリスの家に身を寄せていた為、保存してある食料もない。そもそも、家は怖い。だが、他にいくあてがない。  どうするどうすると考え、悩み、ぐるぐると回る思考に翻弄されながら朝を待つ。  「……こんなの、持つ訳がない……どうすりゃいい……何処に行けば……」  今更、小さなプライドを保ち続ける意味はないのではないか。そんなものはさっさと飲み込んで、霊夢に謝罪してみ ては良いのではないだろうか。意地突き通せぬ魔女は失格としか言いようが無いが、これとて命あってこそである。ア リスがどう考えているかも知れぬ魔理沙にとって、今迫り来る恐怖は死せる恐怖にも酷似している。魔法が使えたのな ら、ここまで脅える事だってなかった。霊夢と一緒に大きな事件にも立ち向かったのだ。妖怪にすら一目置かれる人間 として有名な自分は……現在、単なる人である。庇護を求め神社に赴いても……罰は当たらないのではないか。  「日が、出ている間に……」  そこまで考えると、魔理沙は鞄にありったけの物を詰めて準備を始める。一刻も早く、落ち着かない昼、眠れない夜 を抜け出したい。外を見れば、もう大分日が出ている。あれから十時間近く一人蹲っていたと考えると……やはり事態 は尋常ではない。自分で現状把握出来ない状況とは須らく、好転はしないのだ。打開しなくてはならない。  「よし、よし、出来た……」  ――箒を引っつかみ、今まさに外へのドアを開こうとした瞬間……また、ノック音が家に響き渡る。  「ひっ……」  乾いた板の音が、魔理沙の耳朶を伝って肝を冷やす。喉がなり、完全に硬直してしまう。あんな日記を読んだ後であ る。アリスが、明らかに妄執に囚われている事など、誰でも解った。そんなアリスを……真っ当に受け入れられる筈な ど、何処にも無い。もしかしたら逆上しているのではないか。ずっとそれに悩んでいたのだ。とても、真正面から話あ えるなどとは、思えないし、御免被る。自分の腕を切り落としてまで、魔理沙を手に入れようとしたその強い執念は… …愛など通り越している。異常であって、正常に掠りもしない。  『おはよう、魔理沙。よく、眠れたかしら』  酷く優しい声が、ドア越しに聞こえる。まるで母が子に語りかけるような、慈愛に満ちた声色は……魔理沙にとって 天使の皮を被った悪魔としか受け取れない。  『魔理沙、開けて。聞いてもらいたい事があるの……それに、ちょっと疲れてしまったわ』  ……それは、どういう意味か。  『昨日からまっているの。地面に腰掛けると、冷たくっていけないわ』  血の気が引く。自分がもう去ったと思いながら夜に脅えている間も……居たというのか。もしかしたら、外へ出る準 備をしていた所も、覗かれていたかもしれない。自分が脅え苦しむ姿も、観ていたかも知れない。それは……物言わぬ 恐怖だ。  『……魔理沙、いるでしょう? お話……しましょう?』  「い、いやだ……」  『魔理沙……悲しい事を言わないで。私の言葉が足りなくて、脅えているのよね? だから、聞いて、ね? 私は貴 女に危害を加えるつもりなんてないの。愛している貴女に、傷なんてつけたりしないわ。そう、魔理沙。私は貴女を愛 しているの。私が……その、無理矢理貴女を引きとめようとした事、これは、謝るわ。貴女の罪悪感に漬け込んで貴女 を取り込もうとした事実は消せない。これは私も否定しない。でも、でも解って欲しいの。私は誰よりも、貴女を想っ て生きて来たわ。霊夢は薄情、霖之助さんは頼りない、パチュリーなんて論外。私はね、貴女を幸せにしてあげられる と思うの。無理矢理引きとめたのは、その過程でしかないわ。貴女の本当の幸せを願うからこそなの。魔理沙、ねぇ、 魔理沙。愛しているわ。だから、だから、ずっと、ずっと、私と、居てほしい……』  饒舌な喋りは後になるにつれて搾り出すような声になり、とうとう消え失せた。思いの丈と、自己肯定をひっくるめ た、醜悪な告白。エゴも極まったような自己弁護。余計なお世話とお節介に自分の理論を足して割ったような、愚かし く、同意など出来るはずも無いような、論理。他人を扱き下ろし自分を持ち上げるなど、失礼甚だしい。霧雨魔理沙も 当然、こんな話に耳など傾けられない。しかし、この怨念の如き想いを否定出来る力を、魔理沙は有していない。  戦えないのならば、逃げるほかないのだ。  「そうかい。そうかいそうかい。私の自由を奪おうとした奴らしい言葉だ。今開けるから、ちょっと待ってな」  『……まりさぁ』  その声だけで、アリスの顔が綻んだ事がわかる。きっと、今開けるから、の部分しか聞いていないのだろう。自分が 否定されるなど、夢にも思っていないのだから。  魔理沙は鞄を背負い込むと、ドアに背を向け、物音を立てないよう慎重に勝手口から外に出る。向かう場所は決まっ ていた。  「……許してくれると、いいんだが」  博麗神社。結局、自分を一番心配してくれた友人の家。そして、その行為を踏みにじられてしまった友人の家である。 情けなさも極まっている。愚かさなど幻想郷一であろう。だが今は、それすらも許容出来るほどに、魔理沙は追い詰っ ていた。  ・  ・  ・  ・  ・  「――どの面下げて来たの」  博麗霊夢の第一声は、非常にキツイものだった。物事を公平に見ると言っても、流石に限度はある。自分の忠告を無 視して深みに嵌った人間を、公平になど見てやれないし、霊夢とて人間であるからして、愚かな元友人を贔屓目で見た としても、今回の問題は霊夢が許容してやれる範囲を逸脱している。  悪いのはアリスだろう。だが、人の話を聞かず盲目とアリスについていった事は、魔理沙の判断である。  「暴言についても、謝る。すまん。だから、その……」  「匿って欲しいって? 都合が良いわね。第一、それは私のどこにメリットが及ぶのかしら」  「……」  実際その通りなので、言葉も無い。魔理沙は縁側に腰掛けて茶を啜る霊夢を正面にしたまま、何も言えずに帽子で顔 を隠す。実に恥かしい行為である事に違いないのだ。一番近くに居た友人を蔑ろにしたのである。霊夢もまた、それが 一番許せない要因であった。なんだかんだとグダグダやりながら、隣に居たのは自分であるというのに、魔理沙はその 言葉を信じようとはしなかった。アリスの策があったにせよ、常識的な判断が出来る余地は残されていた筈である。  ……とはいえ。だ。  「……本当に反省しているのかしら」  「してる。ごめん、霊夢」  長年一緒にいた、数少ない人間の友人の一人。霊夢とて、易々と失いたくなどはない。その本人が反省して、頭を下 げると言うのならば、例え許容出来る範囲を越えていたとしても、その自覚をもってして許してやるくらいの度量は、 みせてやらねばいけない。  「手土産は?」  「ごめん。急いで、たから……」  「ま、いいわよ。その内返して貰うから。兎も角、ほとぼりが冷めるまではおいてあげる。アリスも、今はちょっと おかしくなってるだけよ。時間を置けば冷静にもなるわ。頭の良い子だもの」  「霊夢……お前は……」  「あの子が私に殺意を抱いていたとしても、攻撃さえしてこないのなら別にどうって事もないわ。それに、人恋しい と、可笑しな事しちゃうもんよ。だから、様子見てあげましょう」  あの日記帳に書かれていた事を鵜呑みにするならば、霊夢はアリスをもっと恨んでも良い筈だが……霊夢は、そんな 素振りを見せない。勿論、霊夢に思う所がない訳ではない。しかし、今魔理沙の前でそんな顔は出せないという、意地 なのだろう。そんな彼女を見る魔理沙の目は……半分涙ぐんでいた。  自分がどれほど愚かで、アリスがどれほど愚かなのか、思い知らされるような顔であったから。  「れいむ……ぐずっ……」  「ま、魔理沙……泣かないでよ、もう。ほら、よしよし」  無き縋る魔理沙の頭を撫でて、なんとも気まずいとも思う。けれども、危うく人生を魔女に全て捧げてしまう一歩手 前であったのだ。死地からの生還と言うなれば、これも受け入れてやらねばなるまい。それに、少しだけ嬉しいのだ。 こんなグダグダで弱弱しい魔理沙など、霊夢は知らない。少なからず自分にも母性があったか、などと考えると恥かし いが、こんな魔理沙もたまには良い。それに、対等な敵といえば自分くらいしか知らなかったであろう魔理沙も勉強に なったに違いが無い。  「世の中、弾幕だけが敵じゃないって事ね。事情は些か特殊だけれど」  「ごめん、れいむ……ごめん……」  魔理沙の問題は……とりあえずは、これで良い。しかし、一番の問題がある。  アリスマーガトロイド。愛に餓えた獣だ。ここまでなってしまった理由は、霊夢も何となく、予想がつく。長年の積 み重ねなのだろう。魔女とて一人は矢張り寂しく、まして彼女はまだ若い。そして何より、気になる子が毎日のように 出入りして、その度に思わせぶりな態度を見せられれば、多少歪も出るだろう。  ……日記を思い出すに、これを爆発させる起因となった部分は、間違いなく胡蝶夢丸。自制心の強さで二年は持ちこ たえたらしいが……魔理沙が訪れる事には変わりなかったのである。愛して貰いたい、と日々悶々とする気持ちは鬱積 し続けたのだろう。永琳にもその内謝罪させねばなるまい、と思う。  だがそれも後の話。まず現在を見据えねばならない。  「魔理沙。貴女、魔法は?」  「撃てないから、こうしてる」  「そうね」  アリスが逆上する可能性。今までは魔理沙一人を見ていればよかったが、霊夢の所へ逃げ込んできたとなれば話は別。 アリスは、霊夢に只ならぬ敵愾心を抱いている。自分から魔理沙を奪うもの、と仮想敵にしているのだろう。そして、 それは奇しくも現実となったのだ。霊夢はそんな気など一つもないが、アリスにはある。アリスにとっては、それこそ が現実なのだ。どんな弁解をしても聞きはしないだろうし、霊夢は弁解するつもりなど毛頭無い。自分は悪くないのだ から。  十中八九、攻めて来る。実力の差を見せ付けて追い返すのは簡単なのだが……それこそ逆恨みされかねない。だが、 他に選択肢が無いのもまた事実。素直に魔理沙を引き渡すなど出来ない。  図式を簡略化するとするならば……一魔女が、人を付け狙っている。そう考えると簡単だ。自分は博麗の巫女である。 魔に人が目の前で襲われそうになっているなら、退治して然るべき。悪い事もしていない妖怪すら強襲する自分である からして、これは実に、他の例とは違って真っ当な権利だ。  「魔理沙は、何の心配もしなくて良いわ。それに貴女、疲れているでしょう。私の布団使って良いから寝なさい」  「……面目ない」  「あとこれ、防音の護符。部屋の柱に貼りなさいね。貴女は、寝てなさい」  「解った、解ったから。私ってそんなに酷い顔してるのか?」  「今にも倒れそうだわ」  魔理沙は少しキツイ物言いを、自分の体調への心配と誤解して受け取り、霊夢に礼を言って母屋の中へと消えてゆく。 時間は午前の十時。魔理沙が現れたのは、その三十分前。アリスが現れてから逃げて来た、という話から、そろそろお 出まししても、悪くない頃合である。魔理沙から聞いた様子からすれば……もしかしたら、まだ家のドアの前でニコニ コしながら、待っているかもしれないが。  ……想像すると、霊夢も心が痛む。あんなに良い子なのにと。友人の一人である事には違いなかった。人形みたいな 容姿が可愛らしいと思ったことは一度や二度ではない。意外と好戦的で、そのくせ大して強くもない所が少し滑稽だっ たけれど、頭の良い子なりに考えてその程度の力であるというのは、実際戦った霊夢が一番知っている。  物事を弁えていて鼻につかず、話しやすい子であった。人形劇だって、嫌いじゃあなかった。そんな友人を失うのは 酷く残念だが――  「霊夢……絶対、絶対許さない……アンタ……また、また魔理沙を誑かして……」  「けたたましいわね。少し黙りなさいよ、変態」  こうなってしまっては、殴ってでも目覚めさせるほか無い。例え修復不可能なほどに、関係が悪化したとしてもだ。 自分は博麗の巫女。なれば幻想郷秩序の為、友人の為、公平に処分してやるのが、妥当である。  戦闘の火蓋は早速切って落とされた。アリスはスペルカード宣言もせずにオルレアン人形を配置、霊夢に飛ぶ暇を与 えさせず、弾幕を張って後退する。十分距離を取ったところで別の人形を鞄から糸で誘導……その手には、刃物が握ら れている。博愛も戦争もあったものではない。アリスは怨嗟を駄々漏れにさせながら、確実に霊夢を殺害しようとして いる。個人レベルでの憎悪だ。  人形で必殺の布陣を敷き、避けて回る霊夢の動きをよく監察する。そうそう簡単に当たってもらえるなど、勿論思っ てはいない。人間としては幻想郷最強。自覚無しに瞬間移動して危機を回避し、超幸運で全てを往なす。膨大な霊力を 用いて放たれる呪は、アリス程度では太刀打ち出来ない。故に、出させる前に殺す。  攻勢に打って出られた場合、敗因はその一点でしかないのだ。攻撃されたら負け。  「チッ……片腕無いのに、よくやるわねっ」  「五月蝿いわよ……五月蝿いわよ!! アンタに何が解るっていうの!! 人形師の命まで賭して魔理沙を愛そうと する私の気持ち、解るはずないわ!!」  「迷惑極まりないのよ、ど変態。最初から素直に魔理沙と付き合ってれば良かったじゃない!!」  「それじゃあ駄目だったからこうしているのよ、この泥棒猫がぁぁぁ!!」  仏蘭西、阿蘭陀、西蔵人形が霊夢を強襲する。数にして九体。明らかにアリスが片腕で操れるキャパシティを越えて いる。短針で仏蘭西二体を叩き落し、護符をばら撒いて逃げるも、取りこぼしの西蔵人形の光弾が迫り来る。丹田に力 を込め、一気に踏ん張って地面を蹴飛ばし転げてかわすが、その先に現れた蓬莱人形に体当たりされ、完全に態勢を崩 してしまう。アリスはここぞとばかりに、各種操る人形の糸を遮断、ボトボトと落ちる人形の向こう側で、アリス本体 が呪文を唱えている。  まずい、そう思った頃には遅い。七色の弾が霊夢の腹を強かに打ちつけた。  「はぁ……はぁ……くっ……なるほど、本気なの、そう……」  「当たり前でしょ……アンタは死ぬんだから……私が殺すんだから……邪魔ばっかりして、魔理沙の気を引いて…… 私が魔理沙を好いている事だって知ってたくせに……くせにっ!!」  子供の我侭か、と突っ込みをいれる気力は、今の被弾で削がれた。こみ上げて来る胃液を地面にはき捨て、執念に燃 えるアリスを見つめる。小さなツッコミなど入れても仕方ない。根本的な部分を除去しなければいけない。  「……魔理沙は確かに馬鹿よ。でもアンタは最上級の馬鹿だわ。相手は人間よ? 貴女が扱う人形のように、上手く は行かないの。アンタ……魔理沙を人形にする気だったの? 自分の思い通りに行かなければ許さないって? それで 良く愛なんて語れるわね。虫唾が走る。魔理沙は自分勝手だから魔理沙なのよ。そんな馬鹿だからこそ、アンタだって 気になったんじゃないの? それを自分で殺して、どうする気? ねぇ、答えなさいよ」  「だっ……だって……魔理沙は……いつも貴女が……だから……わた、私は……」  「アンタは、自分が好きなだけ。保身しているが故に、自分に被害が被らないよう、安全策を取ろうとした。勿論、 それは肉体的じゃなく、精神的にね。全く、魔理沙と似てるって言うのが、ますます頭に来る」  「ち、違うわよ!! もう、言葉なんて要らないわ、死になさいっ!!」  「あっそ、逃げるの。アンタが論理的に物事を考えてないと、よぉく解ったわ。アンタはただただ、自分が可愛いだけ」  目にも止まらぬ速さで飛んでくる人形。これは、防いではならない。霊夢は一歩踏み込み、境界を潜るが如く、アリ スの目の前に現れた。直後背後で爆発が起こり、判断は正しかったとする。近接戦闘に持ち込まれたら、魔法使いは戦 闘など出来ない。人形では遅く、魔法では自分を巻き込む。体術を嗜まぬ故に、近づかれてしまってはお終いだ。  あまりに突然の出来事に呆然としたアリスの左腕を引っつかむと、逆に捻り、脚を引っ掛けて前へと引き倒す。霊夢 はそのままアリスの背中へ馬乗りになって、完全に腕を固めてしまった。  「ぐっ……痛ぅぅ……!!」  「なけなしの左腕、ぶち折ってやろうかしら。両腕の無い人形師はさぞかし哀れでしょうね」  「い、いや……」  「――なら止めなさい。私、そんな真似したくないわ。魔理沙が居たのなら、きっと良いでしょう。でも貴女は一人。 両腕無しに生きるには、厳しすぎる。いい、私は今、貴女を殺すか殺さないかの話をしているの。今の戦闘でも解った けれど、貴女は器用よ。腕が一本あれば、何でも出来る。さっさと馬鹿な考えは止めて、元の関係に戻りましょうよ。 暫く時間を置いて、その後魔理沙と話し合いましょうよ。永琳は腕が治ったと言っているし、時間さえ経てばまた、元 の体にも元の関係に戻れるはずよ。お願い、アリス」  「私は……私は……魔理沙を、幸せにするの……今突き通さなきゃ……何時突き通すのよ……そ、それに、魔理沙は、 私を恨んでなんかいないわよ……アンタが、霊夢が誑かしているの……なんでよ……なんで邪魔するのよ……!!」  「分からず屋? 違うか、変なもんが、取り憑いてるのかしら」  「私は――私は私よ!!」  腕を絡めたまま、考える。このまま放置してもまたいずれ強襲するに違いない。どうしてここまで今の状態を肯定出 来るのか、霊夢には理解不能であった。この妄執を取り払わない限りは、アリスを元に戻す事は出来ない。しかし、そ の度に攻撃されては、此方もたまったものではない。  ならば――憎まれ役を買い続けよう。魔理沙と突き合わせて否定されたならば……アリスは精神から瓦解するほどに ……心の拠り所を、魔理沙への希望に定めている。腕がくっ付こうが、元ほどの力量には戻らない、そう判断するが故 に進む道は決めた方向にしか、向けないのだろうか。しかしそれならば、腕を再生させてからでも遅くは無いだろう。 時間は考えを改めさせる。くっつけて、直して、それからならまた、新しい出発点を見出せるようになるのではなかろ うか。  だったらやるしかない。その道に至るまでの間の恨み、自分が買うほかにない。  なるべくならば……アリスを救いたいのだ。勿論、これをアリスが友人としての情と感じる筈もない。だが、結果と してそこへ向かえば良い。冷静に考える時間さえ、あればよいのだ。  「折るわ。両手無しの生活、精々苦労なさい」  「ぐっ……いあっ……!!!!」  生きている上で、あまり聴きたくはない、生々しい音が響く。アリスの左腕は、あらぬ方向に曲がったまま、力なく 地面へと落ちた。  「痛い……けほっ……ひぐっ……痛い……うっ……」  「帰って頭を冷やしなさい。腕もね。あ、自分じゃあ出来ないか。永遠亭を頼るなりなんなりしなさい」  「魔理沙ぁ……まりさ……助けて……まりさ……うっ……うええぇ……」  言葉は吐かず、霊夢は倒れたまま泣きはらすアリスに背を向ける。非情と言うなれば幾らでも言うと良い。霊夢は、 アリスを思ってこその決断をしたのだ。本人に罵倒されようと、他から苦情がこようと、霊夢は一切否定も肯定もしな い。今霊夢が考えつく、最善の策をとった。それだけである。  少女の現 Phantasm  手段と目的が入れ替わる過程において、必要なのは個人の思想のみである。大体の者はそれを自覚せず実行している 可能性が高く、気が付いた時にはもう遅かった、などと云うのはザラだ。一人のお姫様を助ける為に立ち上がった戦士 が、何時の間にか殺人狂として名を馳せていたり。偉大なる発明を目論む科学者が、手段の過程で生まれた別の発明に よってわき道にそれてしまったり。  数ある手段の中には、個人を惑わす要素、貶める要素が沢山含まれている。それは欲である事が多いが、中にはもっ と手におえない動機も存在する。  恨みであったり、憎しみであったり。目的遂行の前に立ちはだかる障害を倒す手段こそが、目的になってしまった場合。 執念深い者は特に。これが、入れ替わりやすい。そしてその病を患う大概は、頭の良い者である。  己を信じているが故に、道を正しいとして疑わない。  「……」  ――満身創痍の左腕を、わずかに動く指だけで人形を操作し、当木をして包帯を巻く。主人の心情を読み取るようロ ジックを組み込まれた蓬莱人形は、心配そうにアリスの様子を窺っていた。腕は綺麗に折れたらしく、酷くは腫れたが 骨が細かく砕けた節はない。安静にしていれば大丈夫だし、指が動くのなら人形で家事もこなせる。  だが、これでは魔理沙を取り返しにはいけない。正面から霊夢に向かったところで、二の舞いだ。  ……霊夢の言葉は、アリスには届いていない。そして感情のベクトルがずれ始めている事も、最早考えになど含まれ てはいなかった。道踏み外す事容易なれど、正す事難し。今は、この恨みをどう晴らすか、それが問題であった。  目的には通ずる手段なのだろう。だが、その目的そのものが誤っている限りは、手段も誤りである。目を醒ませとの たまう霊夢を如何に殺すか。如何に殺し、魔理沙を”救出”するか。  「魔理沙……まっててね……」  傍らに据えた魔理沙の人形へキスをする。愛しい愛しい想い人。必ず取り戻してみせる。  そして、真正面で――面と向かって愛を語るのだ。  アリスは意気込むと、早速作業に取り掛かる。尋常では倒せない相手を倒す方法。力量が遥か上である博麗霊夢を撃 破せしめる為には、頭を使うほか無い。まして此方はハンディがあり、更にリスクが高すぎる。如何にハンディを乗り 越え、リスクを最小限に止めるか。正直な所、勝算は無きに等しい。  しかし、諦める訳にはいかなかった。今の自分を形成するに至った、最大の要因を奪われたままなど、曲がり間違っ ても許せない。それは右腕を失った現状でも、左腕を折られた現状でもなく、ただただ”魔理沙へ想いが伝わる筈であ ろう今現在”。己が考え抜いた上で出来上がった現時間こそが正しいと思っているが故に、その終着点たる魔理沙を霊 夢に”奪われたまま”にしておく訳にはいかないのだ。  蓬莱に持ってこさせる書物を舌で捲り、口でペンをくわえて文字を走らせる。流石に器用なアリスでもこれは不便で あったが、半日もこなす間に大分なれてしまっていた。これがハングリィ精神なれば賞賛に値するのだが、矢張り憎悪 から来る執念である。  休憩を挟む事無く、まるで命でも削るかのように、食事も忘れて文献を漁り、計算しては破棄、計算しては破棄。何 度も何度も同じ工程を繰り返し、昼も夜も無く机に齧り付く。食事せずとも良い体ではあるが……魔女とて疲れはある。 四日続けた所でとうとう、ガタが来た。  万全の状態ならいざ知らず、右腕は無く左腕は折れ、なけなしの魔力で蓬莱を操っているのであるから、それを支え る精神力に負荷がかかり、気力が枯渇してもおかしくは無い。  「うっ……うぅう……!!」  机に頭を打ち付け、歯を食いしばる。起きろ、目を醒ませ。寝ている場合か。呪詛のように唱えては頭をぶつけ、無 理矢理気力を復活させる。額から滴る血がアリスの白い肌を真っ赤に染め、その痛々しさときたら、他人がみたら仰天 する程なのだが……それでも、アリス本人は意に介さず、作業を続ける。  どうしたらこの明らかに少ない魔力を合理的に使用し、身動きしにくい不自由な体でその作戦を遂行するか。何度頭 を捻っても出てこない。霊夢の基礎的な身体能力や保有霊力を今までの実戦経験とデータを元に割り出し、自分の数値 と照らし合わせ、それを仮想の舞台に当てはめ、数万に及ぶパターンを構築する。  ……それはまるでキングだけで、玉将だけで戦っているようだ。相手は手駒全てを保有している。それほどまでに、 それほどまでに、届かない。博麗霊夢は、明らかに、強すぎる。そして自分は、弱すぎる。  アリスが完全な状態ならば勝率もかなり、いや、必勝の策も編み出せるが、今は無理がありすぎる。  「畜生……畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生ぅぅぅっッッ!!!!!」  諦めてたまるものか。くじけてなるものか。魔理沙が助けを待っているのに、ここで終わってなるものか。怒りのあ まりに振り上げた左腕が机を叩きつける。  「ぐっ……ひぐっ……!!」  自業自得だが……この痛みすら、霊夢の所為である。そうとしか思えないのだ。今自分が苦しんでいる全て、何もか もの責任が霊夢へと転嫁されている。  「あああああああもおおおおおおっっっ!!! なんだっっっっっってのよぉぉぉぉぉぉおッッッ!!!」  奥歯を噛み締め、髪を振り乱し、半狂乱になって椅子を蹴飛ばすと、直ぐ向こうにある棚にぶち当たり、ガラス戸が 砕け散った。散乱する硝子と共に、自分が愛してきた人形達がごろごろと床に落ちる。  「――はぁ……はぁ……はぁ……ごめん、みんな、ごめんね……ごめん……」  硬い椅子を蹴飛ばした所為か、脛にアザを作って足を引き摺るアリスはゆっくりとその人形達に近づいて行く。蝋燭 の光を映しキラキラと怪しく光り散乱する硝子の破片も気にせず、落ちた子供達をかき集めて抱きしめた。  「霊夢……許さないわ……絶対に許さない……必ず……必ず、殺す」  破片が手に、足に刺さる。だが、そんなもの最早痛みの内にも入らない。アリスは、積もり積もった恨みで、何時し か魔理沙以上に、霊夢しか見えなくなっていた。  ――逆恨みによる決意がとうとう、目的を殺害したのである。  まるで世界が反転するような想いであった。魔理沙へ注ぎ込んでいた恋心が転換し変換し感情と云う感情が全て霊夢 へと向かう。憎悪のフィルターを通して生まれ出それは、己の持ちえる恨み辛み妬み嫉み何もかもひっくるめて、殺戮 欲求一極一択一点へと集約した。  「はぁ……はぁ……くっ……ふぅ――はぁ」  「アリスー」  蓬莱人形が、一冊の本を携えてやってくる。アリスの感情と思考を読み取るロジックを組んでいる為、予測行動もす るようになっているが……。それは、アリスが今一番望んでいるものの答え。  「……蓬莱……これは……」  「……」  蓬莱人形は何も口にしない。ただ、アリスが望むであろう物を持って来たまで。それ以上、語る必要も無い。  「はは……ははは、そっか。ははははははははっ!!!」  殺害しなければならない。では、何が必要か。答えは魔力である。ではその答えに至れないのは何故か。魔力が足り ないからである。では、では。では、それを打開する為に必要なモノは?  「グリモワール……」  長年携えていたものだ、愛着もある。しかし、開いて読むのは久しぶりだ。頭では覚えていても、これは開かなけれ ば発動しない魔法が多々記載されている。能力向上の類もまたそれだった。魔道書を媒介にして自然界へ干渉、それを 魔力に転換し、己の力とする。在る意味、無尽蔵だ。勿論、大魔法に近い。魔理沙は自分に秘めるある程度の魔力と道 具に頼って。パチュリーは精霊の様子を窺って。私は、純粋に魔力のみを糧にしている。生きていれば自然と溜まる力 故に、本気を出せば枯渇するし、限度がある。  ――しかし、これさえ用いれば、状況は一変する。  「そう……ははっ!! あはははははははははははははっ!! くくっ、ふふ、あはははッッ!!!」  妄執に彩られた、狂った笑いが魔法の森に響き渡る。薄暗い闇に紛れる小動物は身を隠し、夜雀は何事かと慌てて逃 げだし、蟲の女王は耳を塞いで飛び去って行く。まるで笑い声に魔力でも秘められていたかのように、恐れおののき、 散って行く。  ――もっと、この娘を理解してやれる者が居たのなら。もっと、愛する者が近くに居れたのなら。親しい友人が見捨 てず気にかけてくれていたのなら……歯止めはきいたのかもしれない。だが、全てはもう過去の可能性。そしてその可 能性すらも、過去に己で潰し尽くした。  悲しき魔女は魔道書を手に天を仰ぐ。アリスはもう、止まらないし、止められない。止められないし、止めれない。 何もかも、悉く、須らく、手遅れである。  ・  ・  ・  ・  ・  「あれから一週間か……魔理沙、調子はどう?」  「体は良いけど、もう暫くは、アリスの顔は見たくないぜ」  「そう、ね。でもそろそろ、アリスだって冷静になってる頃よ。両腕無しじゃ……」  「ん? 両腕だぁ?」  「……折ったわ。貴女が逃げ込んできた後直ぐ、あの子が襲撃してきてね。交戦できる状態にあるから悪いのだと思 って、私は左腕を折り曲げた」  「バラすくらいなら、何故黙ってたんだ」  「貴女は突如襲って来るかもわからない、なんて認識を持ったままぐっすり眠れるの?」  「……そ、そうか……。まぁ、あいつも馬鹿じゃない、寧ろ頭は良いから、きっと今頃永遠亭で入院中だろうさ」  「そうだと良いんだけど。あ、魔理沙。アンタ私の芋……」  「霊夢の飯は美味いなぁ」  「はぁ。さっさと和解してもらわないと、家の家計が真っ赤になるわ」  丁度それは夕飯時の事。霊夢が親身に面倒を見たお陰か、アリスの名前を出しただけで脅えていた一週間前と比べれ ば、大分精神的にも落ち着き、魔理沙も心の安寧を取り戻しつつあった。  霊夢にとってこれが最善であると思ったからこその処置。霊夢は何一つ、悪くない。徹頭徹尾抜かりなく、正論を押 し通したつもりである。魔理沙も魔理沙で、この選択が誤りではないと信じて疑わなかった。  ――しかしながら、現実は些か厳しい。理想と正論だけでは、物事うまく回らない。こんな、幸せそうな食事時も、 ある者にとっては、不愉快極まりないものだ。霊夢の正論は……アリスの暴論である。  「――何か来た」  「は?」  「妖怪? いや、何?」  「おい、今一良く解らないぜ」  「魔理沙、茶碗置いて。そっちの行灯と、向こうのランプ、消して。直ぐ」  「あ、ああ……」  普段感じないほどの気。鬼もスキマも吸血鬼も現れる博麗神社だが、そんな化け物でも魔力霊力妖力程度、ちゃんと 包み隠して弁える。これを怠るものは単なる無法者。即座に博麗の巫女による一撃が待っている。結界に囲われ、逃げ 場を無くし、冗談としか言い様の無い弾幕で痛い目にあわされる。  そんなもの遊び以外で、望み勇んで受けに来るものは居ない。一度でも博麗神社の敷居を踏んだ者なら、誰もが自重 するだろう。  だが、この気の持ち主は、そんな物一切構ってなどいない。寧ろ見せびらかすようにしている。  「……魔理沙。私の部屋の押し入れにでも、隠れていて」  「け、けど……これ、なんだ? 魔力だとは思うが……」  「魔法が使えないなら足手まといだから、早く」  「……解った」  魔理沙を隠し、霊夢は薄暗い室内を抜け、縁側へと出る。母屋の周りも同様に暗く、月明かりもさほど届いていない。 視界が悪い。寧ろ、狭まっている。  「ミスティアローレライ……? の割には、禍々しすぎるわ」  目を瞑り、気配だけをさぐる。何も、居ない。  考えられるだけの状況を予測し、霊夢はまず己の周囲に札を撒いて、空中で静止させる。半径三メートルに近づくも のがあるならば、その時点で被弾させられる。目を見開き、慎重に境内へと足を進め、やがて静止した。  拝殿まで辿り付く。正面にして右手が手水屋、左手が社務所。双方距離にして二十メートル前後。先ほどまで感じて いた強い気配は消え去り、闇も引いて行く。黒霧……であった。魔力を可視化した、目くらまし。  これを使う場合、基本的に――逃避――もしくは、罠に嵌める為の策。  「――し、しまっ!!」  気がつくのが遅すぎた。霊夢を中心として描かれる円形。明らかに……怨念篭る魔法陣。どこからともなく響くスペ ルと同時に、魔法陣はぼぅと光を放つ。そしてそれはまるで冥府から引きずり出されたような茨を召喚し、霊夢を完全 に捕らえてしまう。  「……あり、す?」  緩慢な動きで、紫色の気配を帯び、吐き気を催す程の怨嗟を撒き散らした女が一人。彼女は今、奪還者ではなく、復 讐者。進むべき道を間違えに間違え続けた愚者である。  「躊躇う事即ち後の不覚」  静かな言葉と同時に、霊夢の――右腕が吹き飛んだ。本人は何が起こったのか、さっぱり理解出来ない。突如軽くな ってしまった右腕のあった場所を見つめ数秒……漸く思考回路が現実に追いつく。  「ぎっ……!!!!」  声も上がらない。まるで肺を押しつぶされたように呼吸が苦しい。鋭利な刃物で切断されたような肩口から、大分遅 れてから体内の血液を吐き出した。  「なれどこの恨み、晴らすは難し」  次の瞬間には、霊夢の左腕がへしゃげた。アリスより酷く、まるで四方八方から圧力をかけられたように、骨が肉の 内部で砕け散る。想像を絶する痛みと大量の出血が急速に霊夢の意識を奪い去る。  「故に我嬲る事無く、しかし生かさず」  「アッ――ク――……ひっ……!!」  明後日の方向を向いたアリスの左腕が霊夢を指差す。そこから放たれた弾幕は、七色の多様性など全く含まれない、 殺戮だけを内包した赤より紅の紅。躊躇いも後悔も一切無い、絶対必殺の一撃。  「こんばんは霊夢。おやすみ霊夢」  「うっ……そ……」  脳天を貫かれた霊夢が最後に見たものは――                ―――酷く歪みきった笑顔を湛える、瞳に輝きの無い、美しい人形のような女だった。  ・  ・  ・  ・  ・  ……耳を劈くような悲鳴が魔理沙の元に届いた。しかし、動けない。ガチガチと鳴る歯を食いしばって押さえ込み、 押し入れの中で小さくなって、やり過ごそうと努力する。恐怖に彩られる思考の中フラッシュバックするものは、全て アリスと暮らした記憶。そして幾度も、アリスが自ずから右腕を吹き飛ばしたシーンが魔理沙の脳内を強かに打つ。幻 想郷で魔法が使え無い事の恐怖。凡人である恐怖を、魔理沙は自覚させられる。  己は無力。そして、頼るべき相手は――。  「ひっ……あっ……」  近くで物音がするたびに震える。その震えで気がつかれてしまうのではないかと思うと、更に恐ろしい。自制しきれ ない震えが震えを呼び悪循環する。御符を張ったままに何故しなかったのかと己を責める。  何故こんな事になってしまったのか。あの時、自分が逃げなければ良かったのか? いやまさか、全面的に悪いのは、 傍から見ても、アリスである。勿論自分に要因が無かったとは言わない。だが、あんなことを本気で実行して自分を我 が物としようとする思考は、トテモではないが受け入れ難い。  もっと正しい道はなかったのか?  ――ないとはいえない。だが、自分は本心に気がついてしまった時点で、考えが凝り固まってしまっていた。そうな るともう、細部は違えど同じ道しか辿れはしないだろう。  では本心など気がつかねば良かったのか?  そうなると、まんまとアリスの策に嵌る事になる。その中で幸せを見つけられる未来が――あったかもしれない。だ がそれは、偽りである。魔理沙の心とは違う、本当に異なる結末であるように思える。  『まぁーりさぁ。どこぉー?』  アリスは嫌いではなかった。むしろ、好意的にさえ思っていた。だが、重すぎる。こんな愛は、重すぎるのだ。魔理 沙はただ、話友達が欲しかっただけ。適当に付き合える友人が欲しかっただけ。故に嫌われぬよう、適度に馴れ合って アリスに接していたのだが……それは、アリスの心を傷つける結果となっていた。  アリスは、心から、霧雨魔理沙を愛していた。思わせぶりな態度が、気になって仕方が無かった。告白してしまいた いと云う欲求と、叶わぬ夢と思う理性の狭間で鬩ぐ葛藤に打ち震え、想い人のヒトカタに泣き縋る毎日。  『魔理沙……貴女を縛る悪者は……』  重い。重いのだ。どれだけ愛されようとも――通じ合えぬ愛は――  『殺したわ』  妄執である。一方通行の愛は、愛などとは呼ばない。自慰に他ならない。それを押し付けるなど狂人のすることだ。  「あら……?」  「うっ……あっ……ひぃ……」  「まりさぁ〜♪」  そしてそれをもってして、己を突き通そうとする者。本気で妄想を実行する者。狂気に魅入られ、目の前が見えなく なってしまった者。想い故に別な存在と成り果てた者を――――鬼と言う。  「ば、化け物――よ、よるな、よるな、ばけものぉ……!!」  「まり……さ……」  霊夢の配慮は踏みにじられた。友人であると心配する、人間らしい心は、鬼にとってゴミでしかない。まして人の怨 念から生まれ出でたものは”なまなり”。一極的な思考しか出来ぬ故、多様性はない。ただ己が思う欲望の為にのみ存 在し、実現しようとする、生きるエゴ。  「まりさ、私、貴女を愛しているわ。だからこうして、助けに――」  「よ、よるな、抱きつくな……ああ、うあ、ああっ!!」  信じていたものに紡がれる真実の言葉。  突きつけられる現実。叶わぬ理想。及ばぬ思想に至らぬ力。もう何もかも、お終いである。  「そん……な……」  擦り寄るアリス”だったもの”を突き飛ばし、魔理沙はそのまま部屋抜けて駆け出した。何の音もしなくなった、主 を失った部屋に残されたものは、単なる欲望の抜け殻だけ。  「――そん――な――」  助けに来れば、魔理沙は笑顔で迎えてくるものとばかり思っていた。  ――勿論、勘違いである。  霊夢を殺せば、魔理沙は喜んでくれるとばかり思っていた。  ――勿論、妄想である。  自分は、愛されているものだとばかり……思っていた。  ――勿論、希望的観測である。  「そんな――そんな――」  真正面で告白すれば、受け入れられるものだとばかり、思っていた。  ――勿論、叶うはずもない、ありえない、自分に吐いた、嘘である。  全て終わったのだ。  「う――うああああああああああああああああああああああああああ!!!! ああ、あああっ!!! うあぁ、ぁ ぁぁぁァァァァッッッッ!!!! ひ、いいいいっっいやぁぁぁぁぁッッッ!! ありえないありえないありえないあ りえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえなありえないありえないありえない ありえないありえない!! 嘘よウソウソ嘘嘘嘘嘘嘘ッッ!! ない、こんな、こんなはずない!!! ないの、ない、 嘘だって、魔理沙、魔理沙、魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙魔理沙!!! 嘘だって言ってよぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!」  全て終わったのである。  ※※の※ ――  ※※て。  も※こんな※はいら※いわ。  ――、、、、、、、##に※されるのな――しかた、※いもの。  ――※※※※※。  博麗大結界の力が弱まった事を切欠に、急遽博麗神社へと赴いた八雲紫が目にしたものは、久しぶりに見る幻想郷の 惨事であった。境内には巫女が一人。少し離れた先には魔法使いが一人。事切れていた。  何をするでもなく、紅白になってしまった巫女を見つめながら酒を飲む伊吹萃香に声をかけ、事情を聞くが、自分は 全く持って関知していないと言う。そんなものは当然、八雲紫も弁えている。鬼は鬼とて、この鬼はもう違うのである から。人を面白半分では狩らぬし、巫女も魔法使いも殺す理由がない。  ではどの鬼か。  目的の鬼は、縁側に座り、呆然と真っ青な空を見上げていた。その場で即座に脳天をかち割ってやりたかったが、事 情を知らぬままにしておく訳にも行かず、紫は致し方なく、隣に腰掛ける。  声をかけると、しわがれた声で丁寧に挨拶された。これも仕方なく、返す。事情を尋ねたところ、躊躇う事も無く、 包み隠さず、ゆっくりとゆっくりと語り始める。  この世はこんなにも明るかったのかと。自分は一体、何を見て何を思い何を感じて己の中に閉じ篭っていたのかと。 まるで自分が世界の中心にいるような錯覚が自分を支配していたのかもしれないと。  そうねと相槌を打つと、そうよと返って来た。  ――赤黒く腫れた腕を体に擦りながら、空を見上げ、涙を流す。その表情は無感動で、何を考えているか、紫ですら 読み取れはしなかった。  鬼は一頻り泣くと、色のない瞳を紫に向けて問う。  果して、正気と狂気の境界はどこであるのかと。  ――境界を操る魔はその問いの答えに詰る。弄るだけならば簡単なのだ。思ったことを念じ、相手にそれを伝えるだ けなのであるから。しかし、それを理論的に説明して欲しいと言われると、多少困ってしまう。  どうしても、人それぞれ、という答えしか導き出せなくなってしまうからだ。  しかし、ただ一つだけ、解りやすく出してあげられる答えはあった。  少なくとも、友人を私情で殺すような真似は、正気ではないと。  鬼は当然ねと答え、紫は当然よと返した。  では、と。鬼はまた問うのである。  自分が狂ったのは、殺したその時であったか、と。  これに対して紫は即答した。その通りであると。  殺すまでなら、引き返せたのだ。しかし、実行しては、終わりである。当然――それを止める術すらも、既に殺して いたのでは、あるが。ただそれでも、過去を振り返り、何処が間違いであったか反省する事は出来た筈だ。己の愚かさ を知り、考え、悩み、正しい道を選ぶ事も可能だったのだ。  鬼に足らなかったのは過去。日記とは、過去を振り返るためにあるというのに。それすらも、忘れていた。  もう良いかしらと紫が訪ねると――”アリス・マーガトロイド”は、えぇと肯定した。  世の理を無視した境界が彼女を飲み込む。アリスは、大層幸せそうに、その中へと、消えていった。  「……新しい巫女を探さないと」  過去は常に死んで行く。終わったものは取り返しがつかない。挽回するには無理が多すぎる。  紫は境内に戻ると、霊夢と魔理沙の遺体もまた、境界へと取り込んだ。  ――どうしようもない。人間とは、人の心を持った存在とは――常々、どうしようもないのだと、紫は改めて感じさ せられる。  死なぬ自分が出来る事といえば、閻魔が上手に判決を下してくれる事を――祈るのみであった。 end  あとがき  こんにちは、俄雨です。  作品を最後まで読んでくださった方、大変、大変、感謝いたします。  色々と自重しまして、此方にUPさせていただきました。  大変悩みました。他方で上げさせてもらっています作品の方で手一杯になりつつも、此方は絶対完成させなければな らないと考え、思考回路をぐるぐるとめぐらせながら足りない頭を出来る限り使ったのですが、今の私ではこれぐらい が限界なのだと思います。  本当に本当に、読んで下さって有難う御座いました。  ご感想、ご意見、その他はブログにて受け付けております。それではそれでは、失礼おばいたしました。  http://niwakassblog.blog41.fc2.com/