子供は素直である。嘘を嘘と見抜くことが出来ない。 そしてそれは時に、真実よりも残酷である。 「ままー」 子兎が一人、ぽふっと私の胸に飛び込んでくる。 この子は私が担当として育てている子なのだが、どうにも他の子兎よりも甘えん坊で、 しかも人を疑うということを知らないから困る。 こちらとしては冗談半分、嘘を嘘と見抜けない以下略な社会勉強半分で 「私は貴方より偉いの。自分よりえらい女の人はママと呼ぶのよ」とか言ってみたら本当に信じきってしまったからさらに困る。 その他も嘘に嘘を重ねてしまった結果、もはや師匠やれーせん様に会わせることすら出来なくなってしまっていた。 このときばかりは自分の嘘つき兎の二つ名を呪ったものだ。 そして、運命の日がやってきてしまった。 「てゐ〜、うどんげ何処に言ったか知らないかしら?」 師匠が私の部屋にはいってきた。両手にはやたらと露出が高そうな衣装を腐るほど持っている。 まだ懲りないのかこの人はと思いつつ、とりあえずしらばっくれようとしようとしたところそれは起きた。 「まままま、あのね、そのおようふくどうするの?」 「まままま?」 「ままは、わたしよりえらいからままなの。ままままは、ままよりえらいから、ままままなの」 元気よく答えるその子を尻目に、師匠の首がギギギギギギと傾いた。 私はこの時、師匠の鼻から多量の鮮血がほどばしっていたのを確かに見た。 このままでは命に関わる。私の直感が告げていたが、逃げ出すことも出来ずじっとしているしかなかった。 もし「正しい日本語」が知らされてしまったら、私は今日にでも白玉楼で鍋の具材にされてしまうだろう。 動けない。声も出ない。そんな状態。しかも、状況はさらに悪化していった。 「このお洋服は、うどんげに着せようと思ってるのよ。あなた、うどんげのこと見なかった?」 最悪の展開がいとも簡単に見え、何とか止めようとしたものの前述の通り声も出ない。 そして、その子は満面の笑みをたたえて師匠に答えたのだ。 「れーせんぱぱはみてないの。」 「……ぱぱ?」 「ままが、ままの好きな人は、ぱぱだって教えてくれたの」 ああ、今日は人生……じゃなくて兎生最悪の日だ。 師匠がこっちを見てる。明らかに怒っている。鼻血も増えてる。 そして…… 「え……てゐ?」 何でこんなときに限って出てきやがりますかれーせん様は。 ああ、なんてことだ。よりにもよってこの嘘まで、しかも一番知られたくない人に 知られてしまっただなんて。 「……も〜、てゐったら、子供にまで嘘教えたらダメじゃないの……あ、あれ、てゐ?」 私は逃げていた。脱兎とはまさにこのことだろう。 命が惜しかったからじゃない。嘘を嘘と言われただけなのに、ただそれが悲しかった。 このままそこにいたら、泣き出してしまいそうだったから。 結局私はそのまま自室に篭り、頭から布団を被っていた。 私は一体何をしてるんだろう。全ては自分の嘘が原因。自業自得。後悔先に立たず。 分かってはいる。過去、鮫に食い殺されかけた時から理解はしていた。 それ以来、致命的な嘘だけは控えていたはずだった。 「まま。」 あれから数千年。まさか精神的なダメージを自分が食らうことになろうとは… 「まま。」 うるさい。 「まま。」 嘘をついた私が悪いのは分かってる。それでもどうしても八つ当たりしたくなる。 「ねえ、まま。」 「うるさい!!」 とうとう耐えかね、声を荒げて顔を上げると、そこにいたのはあの子じゃなくてれーせん様だった。 「……やっと答えてくれた」 意味が分からない。とんがり帽子被った妖精が大根を持って駆け抜けていくのが見えた。 何故あの子じゃなくて、れーせん様が?と目をぱちくりさせてると、 れーせん様は困ったような、それでいて嬉しいような、そんな複雑で、そして優しい表情で話してきた。 「あの子ったらね、泣きながら怒るのよ。『ままは嘘なんかついてない』って。 自分に本当のままがいないことはわかってた。本当のままがいる子が最初は羨ましかった。 でも、『まま』って呼ばせてくれることが嬉しかった。甘えさせてくれることが嬉しかった。 叱ってくれることが嬉しかった。自分にとっててゐままは、本当のままだったって。そう怒られちゃった」 あ、やばい。目頭が熱くなってきた。ここで泣いたら負けかな、と思っている(AA略)。 ところがれーせん様はさらに容赦なく追い討ちをかけてきた。 「あとね、てゐままがれーせんぱぱのことを好きなのも嘘じゃない。 ほかのままがぱぱのことを好きなのと同じぐらい大好きだって」 涙じゃなくて火が出た。それこそ秘密にしておきたかったこと。嘘のままにしておきたかったこと。 ……嘘と言われたくなかったこと。 そんな連続攻撃を受けて、泣きたいやら恥ずかしいやら情けないやらで わけのわからない状態になってる私に、いよいよれーせん様はトドメを刺してきた。 「ねえ、結婚しようか?」 もうサッパリ妖精だとかドサクサ妖精だとかフンドシ!!だとかヒッポロ系ニャポーンさ!だとか、 それどころではなくなっていた。 混乱、ここに極まる。言いたくても言えなかった事、言ったらおかしい事、 それでも言いたかった事が、よりにもよって相手の口から出てきているのだ。 「え…でも…あ、あれ?」 「あんな可愛い娘がいるのに、認知しないわけにもいかないでしょう?それとも、てゐは私のこと嫌い?」 そんなわけない。そんなことありえない。慌てて首を大きく横に振る。ここで気付いた。 あれ?これってもしかしなくても…… 「もちろん、私もてゐのこと、大好きよ」 今度こそ涙腺が決壊した。 こんなことはらしくないとは理解しているが、それでも我慢が出来なかった。 れーせん様に抱きつき、思いっきり泣いた。 何度繰り返したかわからないぐらい、「好き、大好き」と言いながら。 「え、えと、鈴仙・優曇華院・イナバ」 「はい」 「あなたはこの女性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も、 愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか?」 「誓います」 「因幡・てゐ」 「は、はい!」 「あなたはこの女性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も、 愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか?」 「ち、ち、誓います!!」 深夜の、とても小さな結婚式。来賓者のいない結婚式ごっこ。 いるのはれーせん様と私と、神父役のケンちゃんだけ。 指輪もないし、ドレスも師匠が以前ドッキリで用意した時のもの。 それでも充分だった。いや、それすら必要なかった。 私はれーせん様が好きで、れーせん様も私を好きでいてくれる。 それだけで充分だった。 「それでは誓いの口付けを」 とうとうこの時が来た。これが終われば私はれーせん様の…… 「?、なあに?」 「ほんとうに、いいんですか?」 「ええ、勿論。ただし、姫様や師匠の前では秘密よ?あくまでもいつもどおりに。ね?」 「はい…」 「それじゃ、目を閉じて…」 「あ、師匠、おはようございます」 「……おはよう」 朝、『娘』をつれて歩いていたところに師匠と出くわす。 視線が冷たく、痛い。「ぱぱ」に関しては既にいつもの嘘ということになっているが、 「まままま」に関して明らかに根に持っている。もちろん対処に抜かりは無い。 「ほら、師匠に御挨拶なさい」 「はい!おはようございます!えーりんおねえさん!!」 「…………」 やっば、下向いちゃった。逆効果だったかなぁ…… 「……ふふ…ぅふふふふうふ……」 と思っていると、変な含み笑いをしながら師匠が顔を上げた。 なんかもうニヨニヨと蕩けきっていて、おまけに鼻血で服まで真っ赤だった。 「ん。元気があってよろしい」と娘の頭を撫でると、鼻血を撒き散らしながら スキップして廊下を去っていった。とりあえずは成功したようだ。 内緒ではあるが名実ともに娘になってしまった以上、嘘ばかりを吹き込むわけにもいかない。 姫のことは「姫様」と呼ばせ、れーせん様は「れーせんお姉ちゃん」と呼ばせることにする。 師匠に関しては「えーりん様」も考えてはいたが、 とりあえず喜んでいるようなのでこのままでいいだろう。 れーせん様に関しては日中、永遠亭ではこれまで通り。 適当にからかって、適当に小言を言われ、適当に仕事をする。 もちろん一度外に出たり、夜二人きりになれば、遠慮なく甘えているし、 れーせん様もそれを受け入れてくれる。 ……某パパラッチがいる以上油断はならないが。 数千年の間、他人に嘘と幸せを振りまいて生きてきた。 どうして自分だけがその能力を受けることが出来ないのかと嘆いたこともあった。 今ではそんなことが嘘のように幸せを感じている。 この幸せが、少しでも長く続きますように。 数分後、廊下で失血死している師匠が発見された。 数日後、師匠を「お姉ちゃん」、もしくは「お姉さん」と呼ぶようにせよ という辞令が全因幡に対して出された。 早まった。