【4】  敢えて日の射し込まぬ、薄暗い図書館の中を一人の影が行く。 いつもの時間。いつもの路。 我が主の書斎へ向かういつもと同じ風景を、普段変わらぬ姿で小悪魔は、その耳と背に付いた翼をピンと立てて進んでいた。 左手には分厚い書物を。 右手には三つ指で支えられたトレーの上に置かれたティーカップが、仄甘い湯気を立てて彼女の鼻孔を擽る。  いつもならその香りにだらしなく緩む表情だけが、いつもと違っていた。 瞳には妖怪特有の夜目の性では無い、ひらりと強い眼光が閃いており。それを包む瞼は細く尖り、その遠く先にある書斎の扉を力強く見すえていた。 「……大丈夫。うん……きっと大丈夫。言える、絶対に」  先ほどからもう何度も繰り返した独り言を、小悪魔は再び繰り返した。 それがまるで自らを奮い立たせる、魔法の呪文であるように。  そんな一抹の勇気を与えてくれた、湖畔に住む彼女の、小さな大親友。 己の想いを持ってして、小悪魔にその想いを伝える勇気をくれた、その彼女。 彼女の気持ちに、今は応えられない事を申し訳なく思いながら、しかし小悪魔はそんな彼女の気持ちを”無駄”にしない為に、今日その勇気を振り絞って行動に示す事にした。 あの人に。恐れ多くも仕える主へ抱いてしまった、原始的で禁忌な心の高波を伝える事を……。 「……大丈夫。私は……絶対大丈夫」 ダイジョウブ。 それは決して己の想いが必ず報われる事に対する『保証』の意味ではない。 何があっても、どんな事になろうとも、自分はそれを受け入れられる。そう言う『確信』の意を込めた呪文だ。 「だって。その為の勇気を、大ちゃんは私にくれたもの……」 決して自分の気持ちは報われない。 そう確信して、己の気持ちを伝えた大妖精の心中はいかほどの物だったのだろう。 それでも親友の小悪魔を思って、これからの二人の関係を思い描いて。 大妖精は小悪魔の背中を押し、自分の想いに決着を付けた。 「私だって……」  そう。小悪魔だってそうだ。  このままいつ終わるとも知れない感情の無間地獄で擦りきれるよりは。 「決着を……。あの人と、彼女の為にも」  全てに決着が付いた後……二人の事を心から祝福出来るように。 「自分から進んで、決着を……」  今日伝えるべき言葉は、なんども頭の中でシュミレートした。  なるべく自然に、さりげなく切り出せるように。考え考え考え、考え抜き選び出した仕草、言葉、表情、感情。  全ての準備は……万全だ。 「だから……ダイジョウブ……」  そして小悪魔は既に眼前に迫っていた扉を、本を抱えた左手の甲でノックした。 『入りなさい……」  内側から小さく気怠い了承が返ってくる。 「し、失礼します」  本を腋に抱えたまま、器用にノブを回し小悪魔は主の書斎に踏み行った。  その主……パチュリーはいつも通り安楽椅子に深く腰掛けた体勢のまま、本を読んでいた。 「パチュリー様、紅茶の方お持ちしました。それと……頼まれて探していた本が見つかりましたので、それもお持ちしました」 「ありがとう……。二つともそこに置いておいて良いわ。また何ああったら呼ぶから、それまでは下がっていて」  パチュリーは小悪魔の方に視線も向けずにそれだけを言う。 「……はい」  小悪魔は紅茶をパチュリーの手前に、そして本を、机の上に積み上げられたその一番上に重ねると、そのまま後ろへと歩き主との距離を取った。  さきほどちらりと見えたパチュリーが読んでいた本は、星座を使った占術を扱った物であった。 そして先ほど小悪魔が探してきた本もまた、星やその光を源とした魔法を扱った本である。  それらを好んで扱う人物を、小悪魔は知っている。そして自分の主が最近それらに興味を示し熱心に研究する様になったのも、その人物の影響だと言う事も。 「……」  きゅんと……胸の奥が締め付けられるような息苦しさを覚えた。  視線を床に落とし、拳と奥歯を強く絞め、そのやるせなさを必死に抑える。 (大丈夫、こんな事くらいじゃ。もう……十分覚悟の上だったじゃない) 「ずっとそこに立っているけど、何か用でもあるの?」  はっとなり小悪魔はパチュリーの方を見る。 「ぇ、あ…あの………」  そこには自分の炒れた紅茶で唇を潤す主の、鋭い視線があった。 「……ぅ……ぁ」  パチュリーの掛けた眼鏡が、灯ったランプを照り返しキラリと光を帯びる。  その光に射抜かれたかのように、小悪魔は萎縮し、開いた唇はへんな呻きを洩らすだけで言葉を紡いではくれなかった。  頭の中が急激に、朦朧としてくる。 ここに来るまでに散々考え抜いた完璧な告白は、あっと言う間に幾後年の果てへと飛び去ってしまった。 −−どくん、どくん。  混乱した思考の中、重く打つ自分の心音だけがやたら脳を撃つ。 「言いたい事があるなら言いなさい」  そしてパチュリーの言葉は、どこか冷たい響きを持って小悪魔に届いた。  自分の主は誰であろうと、読書の時間を邪魔されるのを嫌う。 『まだ用があるのか?』それ以上でも以下でもない、パチュリーの問いかけ。 それを誰よりも分かっている筈なのに、それが小悪魔にはまるで制限時間ぎりぎりの時限爆弾を渡され、猶予全てを奪われたかのように感じた。 『私と彼女の時間を邪魔しないで。ここから直ぐに去りなさいっ』  パチュリーの言葉は、小悪魔にはまるでそう言っているかのように思えるのだ。 (大ちゃん。私に……この小さな、ひ弱い悪魔に……一片の勇気を頂戴っ!!)  そして小悪魔は、拳と瞳に力を込めぎゅっと閉じ言った。 「……私…パチュリー様の事が…好きですっ!」  張り叫んだ刹那。空気が弾け飛んだ気がした。  今まで小悪魔とパチュリーの間にわだかまっていた、硬く尖った緊張感。小悪魔から飛び出した勇気の一片は、確かにその緊張感を切り裂いてパチュリーの心の奥底へと届いた様であった。 「……」 「……」  パチュリーは表情を変えることなく、小悪魔の不安そうな表情を見つめ続けている。  どう思われたのだろうか。突然、主へ不相応な告白をした自分の事を。  呆れ? 憂い? 憤り? 安堵? それとも……それとも?  パチュリーのあまりのいつも通りさに、小悪魔はまさか自分の想いが冗談半分で、勝手に片づけられてしまったのでは無いか。  そんな不安感が、胸の奥がじくじくと痛みを訴えてくる。  だがこの時、小悪魔は気が付いていない。 パチュリーが全く以ていつも通りで無い事を。 いつも通りの彼女なら、今見ているのは自分の顔ではなく、本のままであったと言う事を。 「…ぁ、あの…」  沈黙に耐えきれず、先に言葉を発したのは小悪魔だった。  またそれが切っ掛けだったろうか。  不意にパチュリーは下唇を浅く噛み、掛けた眼鏡を外し机の上へと置いた。  まるでこれから見つめる者に対し、ガラスレンズ一枚すら邪魔だとでも言わんかのように。 「小悪魔」 「っは、はい」  パチュリーの瞳の中に、強ばった自分の顔が二つ映り込んでいる。    告白する事に勇気を振り絞り、その後の事態へまで考えて無かった為、無防備に晒された顔が。   あまりに純粋で、素直で。目の前の事に一生懸命なあまり、恋愛に対するしたたかさすら持てない悪魔。  百年以上生きた魔女が己の使い魔として来たのは、そんな人間よりも人間くさい小悪魔だったのだ。 (遅い……遅いのよ、貴女は。もし貴女が私に伝えたのが、一年前だったら。いいえ魔理沙に出会う……ほんの一秒前だったら。わたし……は) 「全く……貴女は真っ直ぐすぎるわ。悪魔のくせに」 「……え、あ……の?」  吐息混じりに呟いたパチュリーの深慮は、もちろん小悪魔に汲み取れる筈もない。 「私が…誰が好きか知ってて言ってるの…?」  パチュリーのそれは、どちらかというと諭すと言うより試すような口調だった。  自分の返答を訊かせる傍ら、まるで小悪魔自身に、己の気持ちを再確認させるような。  辛い、しかしとても優しい問いかけだった。  それで小悪魔は識った。悟ったと言っても良い。  自分の想いは……まだ間に合うかもしれない、と言う事を。  自分の恋は、叶うかも知れない……と言う事を。 「は、はぃ…魔理沙、さん……ですよね…」 「……」 「で、でも! それでも私はっ…」  小悪魔の紡ぐ言葉は、そこでパチュリーの指に顎を下から抑えられ止められた。 (言わなくても……分かってるわよ)  言葉にすればパチュリーはそう言っただろうか? 「フフ…貴女も悪魔の端くれなら、私を魅せてみなさい」  パチュリーはゆっくりと余裕の笑みで首を横へ振ると、その後振り向き様に送った流し目に、一つの言葉を乗せた。 「え?……ぁ…はいっ!」  挑発的というより、むしろ挑戦的なパチュリーの微笑みに、小悪魔は途端瞳を輝かせ、大きく一度だけ頷いたのだった。  −そうよ、もう一度見せて。  −−今一度だけ……貴女の真っ直ぐな想いで、私を魅せて頂戴。  −−−そして人との禁断の恋に魅せられてしまった私を、もう一度貴女の隣へとつれ戻して見(魅)せなさいな。  −−−−わたしの かわいい こあくま?                                                            〜Fin 【EX】  「あのパチュリー様?」  「なあに、小悪魔」  「今度、是非図書館に招きたいお客様がいるんですけど、構いませんか?」  「……………一体誰よ?」  「私に、勇気をくれた……一番のご友人なんですけど…」  「……」  「あの……パチュリー様?」  「……ええ大歓迎よ。私も……その人にお礼を言わなくちゃいけないしね」  「え?」  「何でもないわ、ふふっ」 【あとがき?】  という訳で、またまた(勝手に)やらせて頂きましたっ!(爆)  このSSはクーリエの絵版でEKIさんが描かれていた、パチュこぁ(+大妖精)の恋愛物語りを、SSにしたものです。 前回同様、素晴らしいお話しを描いてくれたEKIさんにはこの場を借りて大感謝を。 最後の方パチュリーの心理描写の方、かな〜り自己解釈してしまってすいません。 そんなんじゃねぇよって思われたなら、即刻削除しますので、その旨はお伝え下さいまし。 (前回、連絡をとか言って連絡先を書いてなくって申し訳ありません) それでは。 無駄に書き殴った人:れふぃ軍曹 mail to [ reffi_vr@hotmail.co.jp ]