【1】 −−それに気付いたのは何時だったのだろう。 あの人の事を、とても遠くに感じる様になったのは。 事の切っ掛けはあまりにも唐突すぎて、明確で有るはずなのに、 いざ記憶を辿ってみると、私が”そうで在った”切っ掛けは無数に弾けた泡礫の様におぼろ気だった。 それほどまでに彼女があの人に近く、触れあっていく日々はゆったりとした物だった。 −−それは何時からだったろう。 二つ目のティーカップに注ぐ紅茶の手が、不自然に強ばっている事に気付いたのは。 お嬢様の為で無く。 自分の為でも無い。 あの日、正式なお客様と成った彼女の為。 そう。 私とあの人の距離が遠くなった訳じゃない。 お嬢様よりも、私よりも、 彼女とあの人の距離が近くなっていただけ。 私の距離は変わっていない。 当然だ、私があの人との距離を変えようとしなかったから。 私は今の距離で、とても満足しているから。 ほ ん と う に ? 今まで…… それでも自分が一番近くに居た事に、安心していたんじゃないの? ずっと側に居られる環境に、慢心していたんじゃないの? あの人だってずっと自分だけを見てくれてるって、盲心していたんじゃないの? だから…… たかが人間風情が、自分とあの人の間に入り込めるはずはないって……タカを括っていたんじゃないの? ううんっ 違う違う。 あの人との距離は、私が望んだ事。 あの人の幸せを、一番に考えられる距離。 一歩引いた……心の距離。 だから私は、あの人が幸せなら。 うそつき。 そう私は小悪魔。嘘を付いて人を困らせる、悪戯好きのただの小悪魔。 だからそんな私が自身にさえ、嘘を付き続けるなんてきっと簡単な事。 そう……とても簡単な……事なんだから。 分かってる……私は、ただの… 【2】    「そっか、なるほどね。……それで、こぁちゃんはどうしたいのかな?」 「……う…ん」  大妖精の優し気な問いかけに、小悪魔は覗き込まれた大妖精から視線を逸らし、湖に映った自分の表情を見つめた。  ここは紅魔館を取り囲む湖の畔。奥の森へと続く入り口だった。 今日も魔理沙はパチュリーに合う為、図書館を訪れていた。 そこで小悪魔は、楽しげに会話を弾ませる二人の事を見、そして痛みを訴える自分の心に耐えきれず……。  パチュリー達には紅茶を出した後、切れている魔法薬の買い出しに言ってくるなどと”嘘”を付いて図書館を飛び出した。  行く当てなんか無い。しかし今更戻っても訝しげに思われる。 仕方なく湖畔で一人、湖を眺めている所を大妖精に出会ったのである。  この二人が会ったのは別に始めてではない。 以前、小悪魔が本当に買い出しに行く際、大妖精がタチの悪い妖怪に負われているのを、小悪魔が助けた事がある。  その妖怪は決して強い力を持った物ではなかったが、たかが小悪魔が相手にするには荷の重い相手だった。  だがしかしまず不意を付けた事と、そして何より大妖精との間で無言の連携が成立し事が、最終的な勝利の決め手となった。  そしてそれ以来、二人は急速に仲良くなり。小悪魔が用事で図書館を出る時などに会い、話しなどをするように成ったのである。 「ねぇ……こぁちゃん?」  俯いたまま何も発しない小悪魔に、大妖精はさらに下から覗き込むように視線を合わせて来た。  水面に変わって小悪魔の顔を映す彼女の翡翠色の両目は、くりっとしていて子供のように淀みない。  一点の迷いも曇りも無いその瞳に、小悪魔は彼女が本当に自分を案じてくれているのだという真摯さを見せられた。  そして……。 やってきた時も変わらぬその瞳に、小悪魔は全てを話す事にしたのだった。 自分の主である”あの人”の事。魔理沙の事。その間に在る自分の事。 三人の距離の事。 今の自分がそれを望みながらも、しかし心の奥底では完全には割りきれていない、そこに生まれる葛藤。 悪魔とて持ち得ない筈のない、純粋な乙女心を……。  そうして話すだけで心は軽くなった。 『ごめんね大ちゃん。こんな事大ちゃんには何の関係もないのに』  小悪魔が呟くと、大妖精ははにかんだ笑顔で首を横に振った。 『そんなそんな事無いよ。こぁちゃんに悩みがあって、それをうち明けてくれた事は素直に嬉しいし。それに私がもし力に成れるんだったらもっと嬉しいよ。だって…」 「ん?」 「私達……親友でしょう?」  大妖精の言葉に、小悪魔は純粋に胸が熱くなった。 だが。小悪魔はこの時、自分の心の整理で頭が手一杯で、大妖精がその言葉に込めた裏の意味を汲み取ってやれなかった。 「で……どうするのこぁちゃん、このまま諦めちゃうの?」 「……うん、そうね。やっぱりそれが」 「だってまだ分からないんでしょう。その人と人間が、互いに好き合ってるとしても、それがこぁちゃんと同じ特別な好きかっていうのが?」 「で、でも」 「こぁちゃんはそれで良いの? 私なら…」  大妖精は強い光を宿した瞳で言葉を切り、また同じ葛藤の迷宮に入り込もうとする小悪魔の口を塞いだ。 「んんっ!」  己の唇でそこを塞ぐという、実力行使な方法で。 −−私なら…好きって気持ちを伝えるよ。こんな風に…。 【3】    二人がキスを交わしていたのは、ほんの短い間。時間にすれば瞬きが二、三回できるかどうかの、舌も唾液も交えない軽いキス。 でもそれだけの行為で、二人の頬は真っ赤に染まっていた。  特に小悪魔にとっては、今まで生きてきた中で、これよりも唐突で濃厚なキスを受けた事など何度も有るはずなのに。  同じように頬を染めた二人であったが、その表情は対照的であった。 驚き、目を丸くして口を開いたまま、大妖精を凝視する小悪魔と。 瞳と唇と硬く閉じ、胸の前で小さな握り拳を作り俯く大妖精。 「だ、大……ちゃん」  小悪魔が掠れた声で呼びかけ、開いた大妖精の瞳に見たのは、どこら既視感をも覚える悲痛な意志だった。 「ご、ごめんなさいこぁちゃん。やっぱりいけなかったこんな事。  こぁちゃんが真剣に悩んでるのに、それを聴いた私がこんな……こんな、その悩みにつけ込むような事しちゃって」 「え?」 「ごめん。ホントにゴメンナサイ。さっきあんな事言っておいて、親友失格だね」 「大……ちゃん」  違う彼女は悪くない。 彼女はただ自分に勇気の出し方を教えてくれただけだ。  相手への思いやりを逃げ道にして、自分の気持ちを押し殺していた自分の気持ちの解放策を教えてくれた。  一歩踏み出せる勇気。それが例え相手に自分がどう思われていても、真摯に自分の気持ちを伝えられる方法だ。  例えどんな結末を迎えようと、決して後悔しない。そんな勇気を振り絞る方法を大妖精は教えてくれた。  小悪魔は小動物の様に縮こまる大妖精の身体をそっと抱き寄せた。 「こ、こぁ……ちゃん!?」 「大ちゃん……ありがとう」  小悪魔は己の羽根で大妖精を包み込むように抱き込むと、胸に埋めた彼女の頭を優しく撫でてあげた。  そして……。 「ごめんね。今はまだこれしか言えないけど……。でも……でも……」  そう整理を付けよう、あの人への気持ちに。あの人と自分の距離に。  そう全ては、まずそれからだ。 ☆あとがき★ ええとまずはごめんなさいです。 絵版の3306、3369、3459に影響されて書いちゃいました。 素敵な漫画を描かれたEKIさんにはこの場で謝辞を。 なんか勝手にこんな物を書いてしまってすいません。(まずければ即刻削除します) そして素敵なストーリーをありがとうございました。 でも「絵」を文章化するのって、楽しい反面難しいですね。 元をぶち壊すような物に成ってなければ良いのですが……。 それでは……。 勢い任せで書いた人:れふぃ軍曹