地面から感じる硬い石の感触は、冷えた朝の空気と相まって、心地よい緊張感をもたらした。  眼の前には、簡素な石造りの墓。  隣には、私より少し背の小さい、厳かさをたたえた少女。  威厳を感じるのは、冠をかぶっているからではないと感じる。   「今日は、あなたに話があります」  手に持つ卒塔婆を軽く振り上げ、少女――映姫様はおっしゃった。 「はい」  前から、今日のことについては聞かされていたのだ。  周知のはずのことを改めて言い直すのは、白黒をはっきりさせる映姫様らしい行為ではないだろうか。  映姫様は、卒塔婆を自身の軽く胸に当てる。 「幻想郷に多く現れた魂も、ようやく数が落ち着いてきました。 この機会に、小町に付いて死神の何たるかを学びなさい」 「はい」  小町とは、風の噂に聞いた、幻想郷担当の死神のことか。  仕事の態度としてはちゃらんぽらん、だとか? 「……曲がりなりにもあなたの先輩です。 学ぶことは山より多く海より深く、三途の川より長いでしょう」  映姫様は、ため息でもつきたそうな顔をしていた。  私の不信が、表情に出ていたらしい。  映姫様がそうおっしゃるのなら、私が疑問を挟む余地はない。  申し訳なく思う。  ふと視線を墓に戻す最中、遠くからこちらに飛ぶ姿を認めた。  この時間、このような場所に飛んでくる者があるとすれば、それは。 「見ましたね。彼女が、先程言ったあなたの先輩、小野塚小町です」  やはり。  刀身がくねった大鎌を危なげなく保ち、涼しげな顔でやってくる。  その堂に入った様からは、悪評などそのまま風に流れて行きそうだった。 *  映姫様はお互いを紹介した。  私に関する説明を受けるやいなや、小町先輩いわく。 「あんたがあたいに? 四季様、いいんですか?」 「貴女を見込んでのことです。構いません」 「今日の分の仕事は――」 「後進を育てるのも死神の務め。多少の遅延は認めましょう」  小町先輩は多少考え込むと、答えた。 「わかりました。お引き受けします。  あたいが一切を任されるということで?」 「はい」  何かの間違いではないのか。  ちゃらんぽらん、サボり癖などとは縁遠いではないか。 *  四季様と別れ、三途の川に着いた。  私は、飛ぶことに関しては問題ない。  だが三途の川で魂を渡すとなると、絶対的に経験数がない。  というよりも、無い。  舟に乗ったことはあるが、漕いだことはない。 「じゃあ、軽く実演してみるから。緊張せずに見ててね」  小町先輩が舟の端に立つ。  鎌の柄を軽く沈めると、すい、と舟も動いた。  柄を引き上げる――これも、傍目にはとても軽く見える――  沈める。舟が動く。引き上げて沈める。動く。  綺麗だ。  視認するには目をこらさないといけないくらいの距離になって、ようやく、自分が小町先輩とその動作に見とれていることに気付いた。  観察できていたのかと言われれば、まず、できてないとしか言えない。  申し訳ない。  先輩が戻ってくる。 「どう? って言われても何ともいえないか。 それじゃあ、実際にやってみよう」  驚く暇も与えず、先輩は私を舟に乗せた。  大鎌を縁に置く先輩。軽く胸の前で構える仕草。  やれということですか。 「……」  ろくに観察できなかった先輩の仕草を真似る。  柄を水中に沈めて……  川に落ちる音は他人事のように聞こえた。  力みすぎたんだろうか。舟に這い上がって、再び構える。  小町先輩は優しい表情だ。  今度は、力を少し弱めてみる。  鎌は虚空を掻き、タテに一回転。  それを慌てて掴もうとして、川に落ちた。  ぼちゃん、と同時に、くすり、という声が聞こえた。  小町先輩は優しい表情だ。  申し訳ない。  うまく進めたかと思うと、力のかかり具合が変なのか、体勢がおかしくなる。  それを危うく立て直して、またこぎ始める。  ペースやテンポというものはありゃしなかった。    ぼちゃん。くすり。 *   「休憩を入れよう」 「……はい」  小町先輩の提案に、私はろくに反応できなかった。  無言で返さなかっただけ、ましな方かもというくらいで。    河原で火を焚く。  先輩は空を眺めている。  不意に、懐をまさぐり始めた。  何だろう。何かを渡される。  饅頭だった。 「食べなよ。腹が減ってはなんとやらでしょう?」 「はい。いただきます」  まさか、いつもこういったものを用意してるんだろうか。  聞いても詮無いことなので、聞かなかった。 「申し訳ありません。小町先輩には、お手数おかけします」  頭を下げた。  先輩の視線が、うつむいていてもわかる。  何を言われても仕方ないという感覚を覚える。  先輩の気配が動く。  顔を上げると、舟を手足のように動かす姿があった。 「あたいも、何度も落ちたしねえ」 「そうなんですか?」 「それこそ、今のあんたとは比較にならないよ?」  あ、と声を上げる。  あの小町先輩が、背中から落ちる――  しばらく水面に浮かんでいた先輩は、こちらを見て軽く笑った。   「ほらね?」 *  休憩を挟んでから、また舟を漕ぎはじめる。  一向に成長の兆しが見えないというのに、晴れやかな気持ちだった。  数刻して、今日の分の仕事をするからという小町先輩を見送った。