気付けば、私の周りは一面のお花畑だった。 また、いつもの夢だろうか? 色とりどりの花が其処ここに咲き乱れている。 まさに百花繚乱。 あまりの美しさに目を奪われる。 だけど、私はすぐに気付いてしまった。 ──この花は今日行ったあの花屋のモノと同じだ! 人間のありとあらゆる感情を秘めた花。 愛情も喜びも楽しみも。 怒りも憎悪も狂気も! それに気付くと、もはや美しいなどとは言っていられない。 駄目だ、気持ち悪い──。 「……あれ?」 何故だろう? なんともない。 花屋で視た時はとても苦しかったのに。 夢の中だからだろうか? 花畑に渦巻く感情を知覚してはいるのに、それらは風のように私の身体をすり抜けていくような感じ。 無感動とでも言うのだろうか? とうとう私はおかしくなってしまったのかもしれない。 そう思うと、とても怖くなった。 「ようこそ! 私の"世界"へ。境を見破りし人間さん」 「!」 その時、突然女の声がした。 私は驚き、声のした方へと振り向く。 声の正体は、花屋で声をかけてきたあの女性だった。 蓮子の話によれば、確かこの人があの店で噂の風見幽香さんらしい。 子供たちに好かれているようで、優しそうな人だった。 でも、なんでこんな所にいるのだろう? 「まさか、外の世界に貴方のような人間がいるとは思いませんでしたわ。  幻想郷の花はお楽しみいただけたかしら」 「幻想郷……?」 この人は何の話をしているんだ? 外の世界?幻想郷? 一体何のことだろう? けれども、この人ならこの気持ち悪い花のことも知っているように思えた。 「あの……、此処の花は一体……」 「貴方はどう思うかしら?」 「え?」 私の質問に対し、幽香さんは逆に質問を返してきた。 私はどう思うか……? 「……花自身が感情を持っているみたいで……ううん、違う。  花にあらゆる感情が宿っている……そう、丁度霊か何かでも憑いているかのように……」 「ご名答。流石、その眼を持っているだけあるわ」 幽香さんはパチパチと拍手を送り、私の考えを肯定した。 ということは、本当に幽霊が花に宿っているのだろうか? そんな馬鹿なことが……。 「この花はね、幻想郷の花なのですよ」 「その幻想郷というのは一体……」 「んー、一種の別世界みたいなものかしら」 「!!」 その言葉に、私は強い衝撃を受けた。 別世界! やはり存在していたのであろうか、そんな非科学的なモノが。 それならば、今までの夢の話も全て説明が付く。 蓮子の言っていたことは正しかったのだ。 夢は現などではなかった。 私は無意識の内に境界を飛び越え、その幻想郷という場所へ行っていたのだろう。 だが、夢は現ではないが、けれど確かに現でもある。 そう、それは別世界での現だ。 つまり、今見ているのも夢ではない。 これは現実──そして、此処が幻想郷なのだ! 「幻想郷の花は人間の霊を宿す。その霊の感情を、貴方は感じ取ったのですよ」 私にとってはもう花のことなどどうでも良かった。 此処が幻想郷だと解ったのなら、問題は目の前で延々と話し続けている幽香さんだ。 彼女は元から此処に居た。 つまり、彼女は幻想郷の住人なのだ。 確実にヒトではない。 ヒトであっても、どこかしら違うはずだ。 「……貴方は」 「ん?」 「貴方は……何者なんですか?」 勇気を振り絞って、聞いてみた。 喉が渇いて仕方ない。 心臓が早鐘を打つかのようにせわしなく鳴っている。 少しの間の沈黙の後、幽香さんは小刻みに震えだした。 「く……くくっ、あはははははははははははははははは!」 「──!?」 「あ〜あ〜、まさか私の正体にまで気付くとはねぇ……本当にカンの良い人間」 瞬間、世界が変質した。 先程までの世界が楽園であるなら、さしずめ今の世界は地獄だろうか。 穏やかであった花もざわついている。 幽香さんから尋常ならざる気配──波動とでも言えば良いのだろうか──が発せられ始めたのだ。 やっぱり、ヒトではないんだ! 私は即座に恐怖で呪縛されてしまった。 「私は風見幽香……本当は幻想郷に棲まう──最強の妖怪よ」 妖怪。 なんて非科学的な言葉だろう。 そんなものは所詮、人間の空想に過ぎぬのではなかったのか。 だが、信じる他ないのだ。 これが夢ではないと証明されてしまった以上──! 「その私が何でそっちの世界で花屋なんかを営んでいるのか……それは別に人間に危害を加えるためではないのよ。  ただの暇潰し……でも」 そこで幽香さんは一旦、言葉を止めると私に歩み寄ってくる。 ゆったりとしているのに、気付けば彼女は私の目の前。 彼女は私の顎に指を添えると、顔を近づけてきた。 私は恐怖のあまり、抵抗できなかった。 凶悪な笑みと、残忍さを湛えた瞳が私を捉える──。 「私の正体を知ってしまった以上、生かして帰すわけにはいかないわ……」 「……っ!!」 彼女は囁くようにそう言った。 言葉も出なかった。 私は完全に凍りついた。 「そう、その表情よ……恐怖、それが貴方の咲かす花の感情になるのかしら?」 「ひっ……!い……、嫌ぁっ!」 本気だ。 彼女は本気だ! 彼女は妖怪なのだ。 人間を喰らう化け物なのだ! 停止していた私の思考は、私に生きるという本能を示した。 私は目の前の化け物を全力で突き飛ばすと、どこまで続いているのかも分からない花畑を半狂乱しながら走った。 逃げないと逃げないと、早く逃げないと! 「人間如きが……逃げる獲物を追うなんて妖怪の最も得意とするところだっての!」 化け物が狂った笑い声を上げながら、迫ってくる! しかも、その声はだんだんと近づいてくるのだ! 私は普段では出せないような限界を超えた速度で走り続けたが、声は遠ざかるどころか、もうすぐ後ろにまで迫ってきている。 ああ、私はここで死んじゃうんだ……。 まだ色々としたかったことあったのにな……ごめん、蓮子。 そう諦めかけたその時、異変が起こった。 すぐ後ろから落雷でもしたかのような爆音が轟いた。 一体何事なのかと振り返ると、丁度化け物が私を捕まえようと手を伸ばした所で世界が途切れている。 そう、丁度地層の不整合みたく世界が見事にずれている。 何だ、これ……。 そこでメリーの意識はブラックアウトした。 「ほう……」 世界の断裂を見つめながら、幽香は呟いた。 その顔にはやはり凶悪な笑みが浮かべられている。 「まさか、あんたたちが出てくるとは思わなかったわ──夢月、幻月」 「久しぶりね、幽香」 幽香の背後に二人の少女が現れた。 夢月と幻月、元夢幻館の主の姉妹である。 「どうして邪魔したの?」 「さあねぇ……私たちが貴方の邪魔をすることなんていつもじゃない?」 「……確かにね」 幽香が夢幻館から二人を追いやり、そこを自分の棲み処にして以来、彼女たちはことあるごとに幽香の夢の中へと侵入し、ちょっかいを出すのだ。 二人のささやかな復讐とも言える。 実は此処は幻想郷などではなく、幽香がメリーに仕向けた夢の世界だった。 故に彼女らにも干渉の余地が与えられたのだ。 「貴方も性質が悪いわね、相変わらず」 「人間なんて恐怖させてナンボよ」 「人間の子供には随分、好かれているようだけどねぇ」 幻月が、悪戯っぽい笑みを浮かべる。 幽香は顔をしかめた。 「知っていたの……?」 「勿論よ。今度、遊びに行ってあげましょうか?」 「来るな」 「ふふっ、それじゃあ私たちはもう帰るわね」 幻月は満足したように笑うと、夢月へと振り返った。 それに夢月は無言で頷く。 彼女が空間を切り裂くかのように、手を振るうとそこにまた別の空間への入り口が現れた。 幽香に夢幻館を奪われた際に、二人の能力を合わせて創り出した彼女たちの世界である。 「今日は早いのね。また一発弾幕っていかないの?」 「ええ、今日は遠慮しておくわ。それに、主を失ったのだからこの世界もすぐに無くなるわよ」 あくまで、この世界はメリーの夢である。 つまり、メリーの意識が無くなった今、この世界は徐々に崩壊していくのだ。 既に花の色が失われつつある。 「それもそうね。じゃあ、次は覚悟してなさいよ」 「貴方がね」 そして、夢幻姉妹は自分たちの世界へと帰っていった。 幽香はしばらく壊れゆく世界を見つめていたが、すぐに姿を消した……。 次の日、幽香はいつも通りに店先で子供たちの相手をしていた。 メリーがどうなったかは彼女の知り得ることではないが、少なくとも、もう幽香にはメリーを殺す気は無かった。 あれだけの恐怖を与えたのだ。 最悪でも、彼女が私がこの世界で生きていく上で障害となることはまずあるまい。 そう幽香は考えていた。 あの時直前で夢幻姉妹に邪魔されてしまったわけだが、むしろ幽香はそれに感謝していた。 今後のメリーの行動に興味があるからだ。 二度と姿を見せないかもしれないが、それならそれで良い。 何にも無くなるよりはマシだろう。 フラワーショップ夢幻館は今日も平和だった。