目を瞑り、大きく息を吸って吐く。  音のない空間に、私の息の音だけが響く。  私は魔力を使う際、こうして深呼吸をして精神を落ち着かせる。  それは単なるおまじないのようなものだけど、こうすることでずっと気が落ち着くのだ。  ゆっくりと目を開ける。  目を瞑っていたときと大差ない明るさ。  ここは、紅魔館の大図書館。窓もなく一切の光もささない宵闇の場。  本の山に囲まれたちょっと広めの閲覧所、普段はパチュリー様が本を読んでいる場所に、私は一人で立っていた。  パチュリー様は本を探しに行かれたのか、ここにはいない。  私はゆっくりと、自分の右手に持つそれを掲げる。  見た目にはどこにでもありそうな小さなカード。しかしこの中には誰もが考えられないような大きな力が眠っている。  この幻想郷で力の強さを象徴する、スペルカードと呼ばれるもの。  私は、手に持つスペルカードに自分の魔力を集めていく。  スペルカードの使用に複雑な術式や妙な媒体はいらない。  スペルカードに眠る力を自らの力で開放し、そして自分のものにすればいいとパチュリー様がおっしゃっていた気がする。  私の魔力で、スペルカードの力を目覚めさせる。  どれだけの魔力を注げばいいのかもわからない、暗中模索なものだけれど。  すうっと、カードが私の魔力を吸い込んでいくような感覚がした。  徐々にではあるが、私の力がカードに満ちていく。  まだかな?  もうちょっとかな?  魔力と共に意識までも刈り取られないように、精神を集中させる。  暖房はないはずなのに、私の頬を汗が伝って落ちていく。   まだかな?  あと少しかな?  ふっと、カードの中に流れていく魔力が止まった。  まるで、双方の釣り合いが取れて、カードの力と私の魔力が一体化したかのような・・・。  まだかな?  うん、もういいよね。  それを合図に、カードに集中させていた魔力を外へと向ける。  私と魔力とカードの力をまとめて外へ放つ。  スペルカードは、今ここに発動する! 「火符『アグニシャイン』!!」  ・・・  ・・・・・・  ・・・・・・・・・  あ、あれ?  周りに何の変化もないことをおかしく思う。  あたりは先ほどとまったく変わらない、暗くて静かな場。  私の手にあるスペルカードも変化を見せず、沈黙している。  おかしいなぁ。  確かに今ならいけそうな感じだったのに。 「えいっ! えいっ! アグニシャイン! アグニシャイン!」 「・・・何をしているのかしら?」 「はうわぁっ!!」  声に驚いてあわてて振り返ると、手に持つランタンの明かりの中でパチュリー様のジト目が光っていた。 「パ、パチュリー様! べ、別に私は何もしてないですよ!?」 「そう? なら、その後ろ手に隠してるものを見せてくれもいいわよね?」 「うぅ・・・」  思わず隠してしまった私の手にはパチュリー様のスペルカード。  こんなとき、メイド長の咲夜さんなら時を止めてカードを隠して、何事もなかったように瀟洒に振舞って見せるのだろう けれど、あいにく私にはそんな力も余裕もない。 「べ、別にたいしたものでは・・・」 「そう。あなたにとって、私のスペルカードはたいしたものではないのね」 「そ、そんなことないです! パチュリー様の力は最高で・・・あぅ」  そして、誘導尋問を切り抜けるだけの知恵もなかった。 「ふぅ・・・、出しなさい」 「・・・はぁい」  私は、しぶしぶとそのスペルカードをパチュリー様に渡した。 「カードが足りなくて、どこに置いたかと探していたのだけれど、あなたが持っていたのね」 「はい・・・、テーブルの下に落ちているのを見つけまして」 「で、誰もいない今のうちに使ってみようかと思ったわけね」 「・・・・・・」  私は何も言わずにうつむくことで答えを返した。  パチュリー様はそんな私を置き去りにするように閲覧所のテーブルに腰掛け、持っていた本を開いた。 「好奇心旺盛なのはいいことだけれど、不可能と可能を見極められないのは愚者の極みよ。あなたには私のスペルカードは  使いこなせないわ」 「やはり、私の魔力では弱いからでしょうか?」 「そんなのは二の次よ。たとえ、あなたの魔力が私以上のものだったとしても、あなたは私のスペルカードは使いこなせない」 「・・・そうなんですか?」  私の問い返しに、パチュリー様は本に目を向けたまま答える。 「だって、私とあなたの魔力は質が違うもの。スペルカードは個人のもつ力をカードという媒体に封じ込めたもの。  つまり、スペルカードは能力の具現。だから私の魔力の質を持つカードを、違う質の魔力を持つあなたが使えるわけがない。  力が合わさったところで、それは互いに打ち消されて終わるだけ。これ、前にあなたに言わなかったかしら?」 「・・・」  それは、覚えている。  前にパチュリー様に尋ねたとき、こんな感じで本に目を向けながら、めんどくさそうに話してくださった。  ・・・でも。 「あなたも生きていれば、そのうちスペルカードを持つことになるかもしれないわ。あなたの魔力と同じ質を持つカードをね。  そうしたら、いくらでも好きに使いなさい。そのほうが・・・」 「それじゃだめなんです・・・」  それでも・・・。 「私は、ただスペルカードが使いたかったわけじゃないんです。パチュリー様のスペルカードが使いたかったんです」  いつからだろう? こんな風に私が思うようになったのは・・・。  もうすでに何十年とパチュリー様の遣い魔をやらせてもらっているけれど、私の心が変わったのはつい最近のことだった。  いつもは暗くて静かな図書館が、最近ではよくにぎやかになる。  パチュリー様への来客。  いつでも紅くて白い、素敵な楽園の巫女。  いつでも黒くてうるさい、普通の魔法使い。  最近では他にもたくさんのお客様がパチュリー様を訪れる。  本が目当ての方も、パチュリー様が目当ての方もいる。  暗い図書館に人が増え、明るくなる。  私はそのたびに、お茶を用意しお菓子を用意し、来客たちをもてなす。  当然、私は図書館の仕事もしなければいけないので、その場にいられるのはごく限られた時間だ。  でも、私は。  そのときにパチュリー様が見せる微妙な変化。  それは、いつも彼女を見ている私にしかわからないかもしれない、小さな変化。  にぎやかな面々に囲まれてパチュリー様が見せる、ほんの少しの楽しげな顔。  それは、遣い魔の私には決して向けられない顔だ。  それを見ているうちに、私は思ってしまう。  パチュリー様と私の間に薄いガラスの膜が張られているかのような錯覚。  それは決して壊すこともできず、決して私はその先に進むことはできない。  パチュリー様は他の方々とともに、その先へと行ってしまう。  私一人を残して・・・。 「・・・」  気がつくと、パチュリー様が本から目を離し、私の顔を見ていた。 「いきなり変なことを言い出したかと思ったら、いきなり泣き出すなんて。あなた、本当に変ね」  初めて気がついた。私の目じりから頬を伝って落ちる涙に。 「ご、ごめんなさい! 私ったら・・・」  慌てて涙を拭う。  パチュリー様はそんな私も見て、ふぅとひとつため息をついた。 「あなたって、思っていた以上にわがままなのね。それもレミィとはまた違ったタイプのわがまま」  そして、いまだにパチュリー様の手にあったパチュリー様のスペルカードを・・・。 「言っておくけれど、いつかは使いこなせるなんて思わないことね」  そっと、私に差し出した。 「あ・・・」 「・・・」 「い、いいんですか・・・?」 「駄目なら差し出したりしないわ」  震える手でそのスペルカードを確かに受け取る。  ランタンの小さな光の中で照らされるカード。  視界がにじんで、ぽたりぽたりとカードに水滴が落ちる。  そのカードは、つまりは絆なのだ。  別に私はカードが使いたかったわけではない。  パチュリー様と私の絆がほしかった。  私が見失いかけていたものを、パチュリー様からいただきたかったのだ。 「カードって、作るのが結構面倒なのよね。だから、なくしたりしたらただじゃおかないから」 「・・・」 「・・・礼儀がなってないわよ、あなた。人から物を貰ったら、なんて言うのかしら?」 「あ・・・」  その言葉に、私は再び涙を拭う。  一回ぬぐってもまだ涙が残っている気がして、何度も拭う。  私の顔は、拭いすぎてきっと真っ赤になっているかもしれない。  でも、そんなことは気にせず、私は、深々と頭を下げた。 「ありがとうございます! ずっと、大切にします!」  再び顔を上げたときにはもう、パチュリー様は本に目を落としていた。 「・・・少しおしゃべりが過ぎてのどが渇いたわ。あなた、紅茶を持ってきて頂戴」 「はい! ただいまっ!」  私はくるりと身を翻し、パチュリー様の紅茶を入れるために飛び立った。  手の中のスペルカードの存在が、暗い図書館の中でひときわ明るく暖かく感じられた。