「あなたは、何を望んでいるの?」 今はもう消えかけてしまっている彼女が、そう問いかける。 もう、向こう側が透けて見えるくらいだ。 それは、彼女が存在できる季節――冬が過ぎ去ろうとしている証拠であった。 ある秋の日。 目が覚めるとそこは自分がいた世界とは明らかに異なる世界だった。 幻想郷、と後に知り合った緑髪の妖精は言っていた。 ここは、外界から隔離した世界であり、戻るのは困難であること。 戻る方法は、博霊の巫女に頼むくらいであること。 色々なことをその妖精に教えてもらった。 教えてもらった情報を元に神社を訪ねてみた。 そこの巫女に訳を話すと、色々と都合が悪いため、元の世界に戻れるのは春以降だと言われてしまった。 そんなことから、俺の幻想郷での生活が始まったのだった。 初めのうちは外界との差もあり、やはり一日一日を過ごすのが精一杯であった。 しかし、色々な人たちと触れあい、二月経つ頃には何不自由ない暮らしが出来るようになっていた。 そんな、幻想郷の生活にも慣れてきていた冬のある日、俺は彼女に出会った。 その日、俺はいつものように森で食料を調達して帰る途中であった。 しかし、その日に限って何故か道に迷ってしまった。 「まいったな…こんなことになると思ってなかったから灯りも何も持ってないぞ?」 そして、あても無く彷徨ううちに、俺は山に出てきてしまった。 幸いなことに、少し歩くと手ごろな洞穴が見つかった。 「今日はもう日も暮れるし、ここで一晩明かすか…」 凍えぬように寝支度をし、俺は眠りに就いた。 明くる日。 俺は誰かの気配で目を覚ました。 「あら、生きていたのね」 目を開けると、そこには俺の見知らぬ少女が立っていた。 「ところであなた、良く大丈夫だったわね。このあたりは妖怪が多い地域だというのに」 紫色の髪、青色の服、不思議な形の白い帽子。そしてそれと同じように白い肌。端整な顔立ち。 一瞬、見惚れてしまった。 「あら、私の顔に何かついているかしら?」 そうして首をかしげる少女の姿は、とても愛らしく思えた。 しかし、今はそれより大切なことがある。 「ちょっと、いいかな?」 「何かしら?」 俺はその少女に、道に迷ったこと、どこをどう行けばいいかわからないことなどを簡潔に伝えた。 「…ということなんだけど、道わからないかな?」 聞くと、彼女は指をある方角に向けてこう言った。 「この方角に真っ直ぐ行けば湖畔にぶつかるわ。そこから先は大丈夫でしょう?」 詳しく聞いてみると、ここはあの妖精(と、おバカな氷精)が住む湖から少し奥にある山であるということがわかった。 「ありがとう。それじゃあ、俺はこれで」 「ええ、気をつけて」 そして少し歩いたところで、ふと気づいて振り返った。 「…? どうしたのかしら?」 「そういえば、君の名前を聞いていなかったな。俺は○○。君はなんて言うんだ?」 「私の名前はレティ。レティ・ホワイトロックよ」 「そうか、レティ、本当にありがとう。それじゃ」 そうして俺は無事に湖畔にたどり着いた。 ―――これが、俺と彼女との出会いだった。 それから暫くしたある日。 妖精に聞いてみたところ、レティは冬の妖怪であるとのことだった。 思い起こしてみれば、確かに人間とも妖精とも違う雰囲気があったように思える。 そしてその後、氷精をからかって帰る途中。 湖畔に佇む、見覚えのある後姿が目に入った。 「よう、レティ。先日はどうも助かったよ」 「あら、何時ぞやの人間。…○○だったかしら?」 一応名前も覚えていてくれたようだ。 「覚えていてくれたのか。嬉しいな」 「それはまあ、あんなとこで生きている人間を見るなんてそうそうないからね」 …さり気無く怖いことを言われた気がする。 もしかして、俺は相当危ない橋を渡っていたのだろうか。 「と、ところで、レティはあの時なんであそこにいたんだ?」 俺がそう聞くと、レティは決まってるじゃない、と言う顔をしてこう言った。 「それはもちろん、あそこが私の住処だからよ」 「そ、そーなのかー…」 そこまでは気が回らなかった。 まさかあんな洞穴に住んでいるだなんて。 「それはまた、勝手に使っちゃって悪いことしたなあ」 「いいのよ、別に。大して使ってないし。あの時も気まぐれで戻ってみただけだしね」 その後、俺はレティと他愛も無い話をして別れた。 別れ際に、いつもはどこにいるのかを聞いてみると、 「大体ここにいるわ。若しくは洞穴」 との返答が返ってきた。 それからというもの、俺は毎日のようにレティと話をした。 外界のこと、神社の巫女のこと、魔砲使いのこと、氷精のこと…。 いろいろな話をした。 彼女といると、時の経つのを忘れてしまうほどだった。 あの時はしみじみと見る余裕もあまりなかったが、今こうしてみるとやはり彼女は可愛かった。 いつしか俺は、レティに友達以上の感情を寄せていた。 それからまた暫くしたある日のこと。 冬の終わりを感じさせるような、少し暖かい風を感じながら、俺はいつもの如く湖畔でレティと話していた。 話がみょんなことから春の妖精の話になると、彼女は複雑な表情をした。 「レティ? どうしたんだ、さっきから浮かない顔して」 「いや…ね。春になると、私はまた消えなきゃならないから…」 そうだった。 以前妖精から聞いていた通り、レティは冬の妖怪だ。 それはつまり、春になると存在は出来なくなるというわけで… 「風ももう暖かくなってきているし…もうそろそろリリーが来る頃かしらね」 それはこのひと時が終わりを告げることを意味する。 そして、すっかり忘れかけていたが、春になれば俺は外界に帰らねばならないかもしれない。 …つまりは、レティともう会えなくなる、ということだ。 そのことを自覚した瞬間、俺は心に大きな穴が開く感じがした。 その夜。 俺は悩んでいた。 レティにこの思いを伝えるべきか否か、外界に帰るべきか否か、を。 悩みに悩みぬいた結果、決断は明日レティに会ってからにしようということにした。 その日、レティは湖畔に現れなかった。 次の日も、その次の日も現れなかった。 もう、消えてしまったのではないか、という考えが頭をよぎった。 半ば諦めかけ、家に帰ろうとした時、ふと彼女の言葉を思い出した。 「『若しくは洞穴』…か。行ってみるか!」 急ぎあの洞穴にやってくると、果たして彼女はそこにいた。 「…レティ」 俺が呼びかけると、彼女はこちらを振り返って少し驚いた表情をした。 「○○…どうして?」 「どうして、って言われてもな…気になったから来たんだ」 「…そう」 俺が近づこうとすると、彼女は俺を手で制した。 「あなたは、何を望んでいるの?」 今はもう消えかけてしまっている彼女が、そう問いかける。 「あの時からあなたはいつも私と一緒にいた」 もう、向こう側が透けて見えるくらいだ。 「あなたは、私に何を望んでいるの?」 それは彼女に残された時間が少なくなっていることを意味する。 もう、悩んでいる暇は――ない。 「レティ、一回しか言わないからよく聞いてくれ」 一つ深呼吸をする。 そして、一息に言い切った。 「俺は初めて会ったあの時からレティ、君のことが――好きだ」 レティが息を呑んだのがわかった。 暫くの沈黙の後、レティが口を開いた。 「私は…私は、あなたといると楽しい」 「それは、俺も一緒だ」 「でも…私は冬にしか存在できない、だから…」 「関係ないさ」 レティの言葉を遮るようにして俺は言った。 俯いていたレティが顔を上げる。 「たとえ、レティとは冬の短い間しかいられないとしても…俺はそれでも幸せだ」 「…いいの?」 「ああ」 「他の季節はあなたを悲しませてしまうけれども」 「永遠に冬が来ないわけじゃないんだ、待ち遠しくて悲しむ暇も無いさ」 「私は妖怪、あなたは人間」 「何を今更、種族なんて関係ないだろう?」 「…本当に、いいの?」 「レティじゃないとダメなんだ」 「…嬉しい」 そう言って、レティは俺の胸に飛び込んできた。 初めて抱きしめた彼女は、冷たくて、そして――温かかった。 「今年の冬は、長かったわ…」 俺は何も言わず、レティを強く抱きしめる。 「あの紅白や、白黒、おかしなメイドに初めて会ったときなんかよりもずっと、ずっと…」 彼女のぬくもりを逃がさないよう。 「また、来年会えるわよね?」 「もちろん」 最後に微笑むと、レティは光とともに消えた。 「春ですよーっ!」 窓の外からリリーの春を伝える元気な声が聞こえる。 レティが消えて程なくして、春が訪れた。 俺は巫女のところへ行き、ここに留まることを告げた。 巫女は呆れたような顔をして、 「ま、せいぜい妖怪に喰われないように注意しなさい」 なんてことを言ってきた。 妖怪に喰われる、か…。 そう考えると、俺は既に妖怪に喰われてしまっているのだろう。 レティに、俺の心を。 桜が散り、新緑の若葉が生い茂り、紅葉し、やがて枯れ落ち、冬が来る。 俺が幻想郷に来てから、もう1年以上が経った。 今日のこの寒さならば、きっと雪も降るだろう。 雪が降れば、きっと彼女も帰ってくるだろう。 冷たくて温かい、誰よりも愛しい彼女が。 「ただいま、○○」