「ぶえーっくしょいっ!!」 森の小道に、思わず放ったクシャミが豪快にこだました。泡を食った鳥たちが慌てて飛び立つ音がバサバサと続く。 「……もう、手で押さえるくらいの事はしなさいよね」 「いや、悪い。いきなりだったもんで」 隣を歩く金髪の少女が、鼻を啜る俺に呆れて、苦笑いを浮かべる。 彼女はこの魔法の森に住む魔法使い、アリス・マーガトロイド。 俺がこの幻想郷に来てから初めて出逢った人物で、恩人でもある。 右も左も分からないまま、とりあえず森の外れに打ち捨てられた廃屋に居を構えた俺に、 アリスは、この森の地理や周辺の里への道程、あとは幻想郷での生活における心構えなどを教えてくれた。 最初に出逢ったのが彼女でなければ、今頃俺は、永遠亭で素敵な薬の実験台にされたり、 紅魔の湖の氷精に、ストローで尻から空気を吹き込まれたりしていた事だろう。ありがとう神様。 で、さすがに恩の受けっ放しというのはみっともないので、鉱石の採掘や家の周辺の掃除など、 女の子には少々重荷であろう肉体労働などを積極的に手伝う事にした。 半年ほどそんな生活をしていく内に、アリスは、幻想郷で俺の最も親しい友人になっていた。 ちなみに今は、彼女の家の周りの落ち葉掃除を手伝った後、手頃な所まで送ってもらっている道中だ。 「それにしても、随分と冷えるようになってきたな」 「もう秋も終わりだしね。あと一月もしたら雪も降り出すかもね」 「ふむ」 この深い木々に彩られた魔法の森に、真っ白な雪がしんしんと散る風景を、思い描いてみる。 「そっか……きっと綺麗なんだろうな」 「ふふ、まあ、あんまり長く積もったりしない内は、それなりに綺麗でありがたいものなんだけどね」 アリスの顔に苦笑いが浮かぶ。まあ、雪にまつわる難ってのは、外の世界でもよくある話だ。 「それはそうと、貴方、あのあばら家で冬は大丈夫なの?」 「ん?……あー……どうなんだろうなあ」 現在の愛しの我が家は、廃屋になっていたのが不思議なくらいにしっかりとした造りをしてはいるが、 思い返すと、窓の立て付けがぐらついていたり、防寒性という点について考えると、かなり不安になる。 「それに貴方、確かあまり衣服を持ってなかったわよね?そんな薄着しか無いんじゃ、冬は越せないわよ」 「お前は俺のお母さんか……」 色々と世話を焼いてくれるのは本当にありがたいのだが、時々度が過ぎる気がする。 他の子と話しているところを見ていると、そんな風には見えず、むしろドライな印象を受けたものだが。 「それくらい貴方が危なっかしいの。風邪引いた、なんて馬鹿やって、これ以上手をかけないでよね。  大体貴方はいつも……」 これはいかん、このままスーパー説教タイムに突入しそうな流れだ。 まったく、こんな可愛いらしい小娘にガキんちょ扱いされるとは。少しゾクゾクしたのは内緒だ。 それにしても、そんなに俺は生活能力が欠如しているように見えるのか……? 少し悲しくなったが、確かに言われたとおり、被服類の備えに不安があるのも事実だ。 今まで散々面倒を見てくれた人の言葉だし、しっかりと肝に命じておこう。 今度、里に出た時に見繕っておいた方がいいか。お金に関しては、今までアリスに分けてもらった鉱石で十分賄えるだろう。 ……などと、来たる冬に皮算用を立てながら歩いているのが、話を右から左へ流しているように見えたらしく、 アリスは俺の服の裾を引っ張って、不機嫌そうに頬を膨らませた。 「もう、ちゃんと聞いてる?」 「ん? ああ、ちゃんと聞いてるよ。心配して言ってくれてるんだから、無下になんてできないよ」 「う……ち、違うわよ……野垂れ死にでもされたら、後味が悪いってだけで、そんな、心配なんて……」 俺の珍しく真面目な返答に不意を打たれたらしく、アリスがもごもごと声を詰まらせる。少し頬が赤くなっていた。 「あーもう、可愛いなあアリスは!!」 「な……」 しまった!! 思わず声に出してしまったではないか。 アリスの顔がみるみるトマトのごとく真っ赤に染まり、か細い肩がブルブル震えている。 「なななな何言ってるのよっ!!!」 どがんっっっ! 思いっ切り尻を蹴り上げられた。稲妻のような衝撃が、尻から背骨を伝って脳天を抜けた。 「痛てええっっ!!! もっと!……じゃなかった、何しやがる!!」 「あ、貴方が変な事言うからじゃないの、このド級馬鹿っ!!」 ど、ド級馬鹿だと? …………返す言葉も無かった。 「……う、うぅぅ……生まれてごめんなさい……」 「いや、その、泣くほど謝られても困るのだけど……ほ、ほら、これ」 男泣き(偽)にむせぶ俺に、アリスが慌ててハンカチを差し出してくれる。 「……ああ、ありがとう」 複雑で凝ったフリルが目を引く、彼女らしく可愛らしいハンカチを、ありがたく受け取った。 そして大きく息を吸って、腹に力を込めて…… ちー―――――ん!! 「鼻をかむな馬鹿ぁっ!! ああっ、私のお気に入り……」 「ん、ありがとう。洗って返すよ」 「当たり前よ!」 そんなアホなやり取りを交わしつつ、帰りの家路をのろのろと進む。 季節の移ろい以外に、目立った変わり映えの無い景色。 大きな刺激も無いけど、気を病むような事も無い、温くのどかな生活。 それは、幻想郷に来る以前に、俺が求めて止まなかったものだった。 今、確かに俺は幸せなのだろう。 そんならしくない感傷に浸りつつ、アリスのありがたいお小言を聞きながら、 「ん、ここまででいいや。ありがとう」 「そう? それじゃ、風邪ひかないようにね。今日はどうもありがとう」 その日の別れを済ませた。 ――――次の日、アリスは、日頃自分には縁の無い人里を訪れていた。 二、三件めぼしい店を回ると、寄り道も無く里を後にし、家路を急ぐ。 買い物の成果と、色づいた期待に、思わず口元が綻ぶ。いいきっかけだ、と思った。 さて、少し気の長い作業になる。早く戻ろう。 抱えた紙袋の中で、十を超える毛糸の玉が、ころころと転がっていた。 ――――はてさて、それから二週間―――― 「ふいーっ、買った買った」 麗しの我が家に帰るなり、息をついて買ってきた荷物をドサッ、と床に落とす。 この二週間で、厚手の衣服や毛布、カーテン等をしっかりと揃えた。まあ凍死しない程度の量は揃っただろう。 それにしても、少し急ぎ足で準備してよかった。 冬の入り口でこんなに寒いのだから、あと一月もすれば、相当厳しい気候になるのだろう。 今度、できる範囲で家の立て付けも直しておこう。 一息ついて、買って来た服を整理しようと広げていると、入り口から上品なノックの音が聞こえた。 「はーい、はいはい」 まあ、出るまでも無く、来客の想像はつくのだけど。 ちなみに、ウチへの来客の割合は、アリス8、その他2、といった割合だ。 一度、魔理沙に無理矢理連れ出されてキノコ狩りを手伝った事があったが、 あの時、毒見として食わされたキノコの味と、その日のそれ以降の自分の行動が、どうやっても思い出せない。 二度と行くもんか畜生! キノコ怖い。 さて、今はそんなカビ臭く暗い過去よりお客さんだ。 急いでドアを開くと、思ったとおりの顔がそこにあった。 「こんにちは。お久しぶり」 「ああ、アリス。いらっしゃい、入るだろ?」 ドアを大きく引いて、アリスを通すスペースを作った。 「う、うん……」 おずおずとアリスが入り口をくぐってくる。 見ると、いつものグリモワールと別に、何やら結構な大きさの紙袋を大事そうに抱えていた。 ……おかしい。今日の彼女からは、何故か地に足がついていない感じを受ける。 「……どうした? トイレならあっちだぞ」 「違うわよっ!!」 ばがんっっっ! 思いっ切りグリモワの角で殴られた。ブレイジングスターもかくや、という程の星々が、目の前をキラキラと煌めく。 「ぐっ、ぐぉおおおぉぉぉ……!」 「はぁ……まったく、緊張して来たのが馬鹿みたい」 転がり回って悶絶する俺を見下ろしながら、よく分からないため息を吐いて、アリスは一人ですたすたと俺の部屋に入ってしまった。 「な、何なんだよ、一体……」 痛む頭をさすりながら、後を追って部屋のドアをくぐった。 「お邪魔します、と」 「ああ、適当に空いてる所に座ってくれ」 「うん。それにしても、また随分と買い込んだものねえ」 部屋の中央のスペースに腰を落として、周りの状態を見るなり、アリスが呆れた声を上げた。 「ああ、この前言われたとおり、冬の準備がまるで出来てなかったからさ。あれからあちこち回って、色々と揃えたんだ」 さあ俺を称えろ、と言わんばかりにふんぞり返るが、何故かアリスは浮かない顔をしていた。 「ん、どうした? そこに飾ってある、1500年前のバイキング衣装(ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/north-s/viking6.JPG)が欲しいのか?」 香霖堂で見つけた逸品だ。 自分で買っておいて何だが、何故あの時の俺は、こんな物を欲しがったのだろうか…… 「死んでもいらないわよ! お願いだから、それを着た状態で私の前に現れないでちょうだいね」 つれない台詞ではあるが、ここで話をこねくり回して「じゃあ今着て」なんて言われても、それはそれで困るので黙っておく事にする。 「そうじゃなくて、その……その、ね」 何だか歯切れが悪い。言いにくい事なのだろうか。 「マフラーは……もう用意しちゃった?」 「はい? いや、まだだけど」 かさばる物から先に揃えていこうと考えていたので、マフラーや手袋などの小物はまだ何も手をつけていない。 それを聞いたアリスの顔が、ほっとしたように綻ぶ。よく分からん。何なんだ一体? 「よかった……あ、あのね、これ…………」 恥じらうように顔を伏せて、持っていた紙袋を俺の胸板に押し付けてくる。 くしゃっ、と潰れる紙袋ごしに伝わる、このしっとり柔らかな感触は、まさか…… 「えっと……開けるよ?」 一言断りを入れて、紙袋の口を開いて中を覗くと…… 「おお、マフラー! おお、マフラー! おお、マフラー!」 いかん、喜びのあまり、三回も言ってしまった。しかも、だ。これは、多分、 「うん……私が、編んだの」 「っ…………」 踊り出したいくらいの喜びを、必死に抑えた。女の子から手作りのプレゼントだなんて、生まれて初めての経験だ。 「……ありがとう、嬉しいよ」 ぎゅっと袋を抱いて、胸に湧く限りの感謝を込めて、礼を言った。 「ええ、どういたしまして。……ねえ、今着けてみてくれる?」 アリスが、照れくさそうな笑顔を浮かべて、催促してくる。 「ああ」 心躍らせながら、いつかの雑談で覚えてくれていたのであろう、俺好みの深い灰色のマフラーを袋から取り出してみて……あれれ? 「なあ、アリス」 「何?」 「長すぎやしないか?これ」 両手で広げてみても、遥かにだぶついている。 「いいのよ、それで。とりあえず、着けてみて」 ううむ、これが幻想郷の標準的なファッションなのだろうか。 ひとまず疑問をさて置いて、たっぷりと首周りを二周させてみる。 ……うん、あったかい。 編み手がしっかり手を尽くしてくれたのがわかる、優しく沁みる暖かさだった。 ……いや、ね、それはありがたいんだけどさ。 「やっぱり、長すぎる……」 かなり緩めに巻いてみたつもりだったが、それでも俺の身の丈以上の長さが余っていた。 「だから、それでいいのよ。……これはね、こうやって使うの」 そう言うとアリスは、だぶついた方を手に取り、自分の首元に巻…… おいおい、ちょっと待った。 「アリス」 俺の声に、アリスの動きが止まる。 「何?」 「あのさ、自分が何しようとしてるか、分かってる?」 アリスは一瞬視線を下に落としたが、すぐに顔を上げ、頬に赤みの差した真剣そのものの表情で、こう言った。 「うん、分かってる。……全部、分かってる。  だから…………嫌なら、言って」 「えっ」 アリスの言葉の意味を理解した瞬間、脳を走る甘い痺れとともに、頭の中ですべての歯車が噛み合った。 ――初めて会って以来、過剰とも言えるくらい世話を焼いてくれたのも。 ――他の子たちと接する時と、俺と接する時で、様子がまるで違っていたのも。 あぁ、そういう事だったのか…… 「……ははっ……」 自分の鈍さに、思わず苦笑が漏れた。 半年も顔を合わせていながら、アリスの気持ちにも、自分の気持ちにも、まるで気がついていなかった。 「馬鹿だな、アリスは……嫌なわけ、無いだろ」 できるだけ優しく言葉を紡いで、アリスの小さな頭をそっと撫でてやる。 「あ……」 彼女は呆けた様子で、俺の顔と、頭を撫でる手に交互に視線を動かした。 「教えて欲しいな。このマフラー、どうやって使うのか」 「…………うん…………これはね……」 頬を熱く染め、蕩けたような表情で、アリスは俺がしたのと同じように、マフラーを自分の首に二回巻いた。 アリスが紡いだ毛糸の架け橋が、二人の体を暖かく繋ぎ合わせる。 何とも言いがたい、不思議なぬくもりが体からあふれてきた。 「こうやって使うの」 まなじりに涙を浮かべて、幸せそうに笑いながら、アリスが俺の胸元に飛び込んできた。 「おっと」 大切な人の体をしっかり受け止め、両手を回して少しきついくらいに抱きしめた。 体から頭のてっぺんまで、マフラーよりも確かで強いぬくもりで満たされる。 ……絶対に、放すもんか。 たった今自覚したばかりの自分の中の熱さを、思いの限り両腕にこめた。 外の世界にいた頃、街中で今の俺たちと同じようなマフラーをしているカップルを見て、ドン引きした事があった。 叶う事なら、今すぐ彼らの所に赴いて、土下座してでも謝りたい。 だって、今、俺は…………こんなにも幸せだ。 どれくらいの間、そうして抱き合っていただろうか。 アリスが、俺の胸元から顔を上げて、呟いた。 「あのね、私、初めて会ったあの日から……ずっと貴方が好きだった。  一度も会った事の無い……それも人間相手にそんな風になるなんて、自分でも信じられなかったんだけど」 「そうだったのか……俺は、どうだろう……さっき、気づいた」 「何それ。ひどい話ね」 別に機嫌を損ねるでもなく、アリスがくすりと笑った。 釣られて俺の顔からも笑みがこぼれる。 もう、冬の心配なんて、必要なかった。 春の陽だまりのようなあたたかな幸せが、すぐ傍にあるのだから……