秘封倶楽部に入ったのに、特にたいした理由はない。  たまたま学食で二人と相席になり、聞こえてきた面白そうな話に首を突っ込んだのが始まりだ。  そのときは確か、町外れの廃屋に行ってみたんだっけか。  やたら古めかしい洋館で、外国人風の子(メリーだっけか)が言うには『ここに境界が見えた』とか……  結局、一晩中うろついてみたものの収穫はゼロ。たいした事のない初サークル活動だった。 * * * *  ある夜。俺はメリーと一緒だった。場所はよく分からない古寺。  メリー曰く『ここには間違いなく境界があるの』だそうだが……霊感なんぞ一欠も無い俺にはよく分からないや。 「はぁ……今日はやけに冷えるわね」 「まぁ、秋だからなぁ。冷え込むこともあるだろーし」 「うう、寒いわー……」 「……そんなに寒いなら厚着してくればいいでしょが」  ちなみにいつも一緒の腐れ縁、宇佐見蓮子は本日はお休み。  あの元気だけが取り得の活発娘がどうしたことか、風邪を引いて寝込んでしまったのだ。無論指差して笑っておいたのは言うまでもない。  『いーくー……』とどこぞのゾンビのごとく地べたを這いずっていたので、数発ほど腕にしっぺを叩き込み撃沈。  かくして蓮子をベッドに封印することには成功した。成功したんだけど……  肝心の今日のサークル活動どうするのか? ってのが問題になった。  まぁ蓮子も心配だし、中止にしようかと提案したところ、メリーはあっさりと言った。 「あら、境界は待ってくれないわよ? さっさと行きましょ」  ……ずいぶんと思い切りのいい事で。ついでに友達想いでもあるな。  かくして俺とメリーは二人だけで、夜の古寺へと旅立ったという訳である。  ちなみに明日提出の課題があったりしたのだが、軽くブッチした事をここに記しておく。  ……講師、流石にゴメン。 「はーっ……ごしごし……」  手をすり合わせながら息を吐き、冷えた手を温めているメリー。  その視線はここへ来たときから、寺の隅の一点を見据え動かすことはない。  なんでも、そこが境界の弱くなっているところだとか。……俺には桜の枯れ木が立ってるだけにしか見えないんだけどな。  メリーはどうも寒がりなのか、カタカタと震えているようにも見える。  …………それでも視線を外さないあたり、流石というか馬鹿というか…… 「……仕方ないか」 「え?」  不思議な声をあげるメリーを尻目に、俺はコートを脱ぐ。  そして、ばさりと座っていたメリーに掛けてやった。 「わ……わ?」 「見てて寒そうだからな。着とけ」 「……そう? 暖かくて嬉しいけど……いいのかしら?」 「いいんだよ。まだそこそこ暖かいし。寒いの慣れてるし」 「……ふふ。じゃ、お言葉に甘えて借りるわね」  メリーはどこか嬉しそうにコートを撫ぜて、そう答えた。  寒さで少し白くなった顔に浮かぶ、綺麗な笑顔。  それを見るのが照れくさかったので、俺はメリーから視線をそらした。 * * * *  腕時計を見る。ここに来てからもう三時間は経った。  ……特別なことは、何も起こっていない。  メリーは相変わらず、桜の枯れ木を見つめ続けていた。  どこかこの場所ではない、どこにも存在しない場所を見ているかのような眼。  その眼は、どこまでもどこまでもひたむきで、まっすぐで。 「……何が見えてるんだ?」 「え?」  つい、そんなことを聞いてしまった。  緊張を切ってしまったかな。ちょっと反省しなければ。 「境界っていっても、別に線だけって訳じゃないんだろ?」 「あ。あー……そうね。そういう風に見えるときもあるんだけど……」  うーん、と指を口元に当てながら考え込むメリー。  ……中々に可愛いな。どこぞのお嬢様を髣髴とさせるぜ。 「今はね、桜が見えてるわ」 「……桜? 枯れ木じゃなくってか?」 「ええ。満開の桜。雪のように花びらが待っていて……とても綺麗だわ」  メリーと同じように、境界のある場所を見る。  ……けれど、どう見てもカラカラに枯れた桜の木しか俺には見えない。  桜の花も、舞い散る花びらもそこには存在していない。  少なくとも……俺には分からない。  メリーには見えるものが、俺には……見えていない。  メリーには見えていて、俺には見えないナニカ。  それが二人の間に存在している、絶対に超えられない線のように思えた。 「……見えない?」 「…………ああ」  苦々しい気持ちで、答えた。  メリーはきっと軽い気持ちで問うたのだろう。  けれど、俺にはそれが……拒絶の言葉のように思えてしまって。  ……気づかれないように小さく、肩を落とした。 「そっか……残念」 「あー……まぁ、俺は結局なんも力ないですからね」  努めて軽い口調で答えた。  それが、今の俺の精一杯だった。 「見たいのよ」  いきなり、メリーはそう言った。今までのような、呟きとも囁きともとれる声とは違う。  どこか願うような、想いを込めた……力強い言葉。 「メリー……?」 「見たいの。舞い散る桜吹雪を。息を呑むほどに美しい桜の木を」 「…………けど」  それはもう、メリーの眼には見えてるじゃないか。  ……そう、言おうとした。言うつもりだった。  けれど。 「貴方と一緒に……見たいの」  その言葉に。  俺は全ての言葉を失った。    同じものを見たい。  それは……俺の願いとまったく同じなのだから。  メリーはゆっくりと俺の方を向いた。ほんの少し青みがかった瞳が、今俺を見つめている。  その瞳の奥底には……堪えきれないほどの感情が渦巻いているのは容易に見て取れた。 「初めてよ。こんな風に……見えているものを共有したいって思ったのは」 「………………」 「貴方と同じ物を見たい。同じ物を見てほしい。……傍に、いてほしい」  ゆっくりと、メリーの顔が近づいてくる。  彼女が何をしようとしているのか、分からないほど俺は馬鹿じゃない。  動けない。彼女の言葉に、俺は縛られてしまっている。 「……無理な願いなのかしら。こんなに願っているのに」  ほんの少し、触れる唇。 「こんなに……貴方が好きなのに」 「……御免なさい。無理難題だったわね」  再び離れる距離。メリーはまた、桜の枯れ木の方を向いてしまった。 「………………」  俺は、何かを勘違いしていたんじゃないのだろうか。    俺は見えないと思って、彼女と隔たりがあったと思っていたように。  彼女もまた、見えてしまうということで俺と隔たりがあるように思っていた。  俺だけじゃない。  彼女も……その隔たりを埋めたかったんだ。  隔たりは、どうすれば埋まる?  俺には特別な力は無い。同じ物が見れるとは……到底思えない。  けど。  今たった一つ、俺に……俺だけに出来ることは、ある。 「……メリー」 「ん?」  そっと、こちらを向くメリー。  その瞬間。 「んっ……」 「!!」  今度は俺から、メリーの唇に触れた。  軽く触れるだけではない……想いを伝えるための口付け。  驚いていたメリーも、俺の気持ちをわかってくれたのか……瞳を閉じる。    その瞳から、ぽろりと。  一筋の淡い輝きが零れ落ち……  俺の手の甲に。  ポツリと落ちた。 ザァッ…………  微かに甘い香りのする、暖かい風が吹いた。  そして。  俺の目の前を。  ひとひらの桜の花びらが、流れていった。  見えるか、見えないか。分かるか、分からないか。  そんなの関係ない。些細なことだ。  大事なのは。  その隔たりを超えようとする強い想い。    それさえあれば。  どんな物だって見ることが出来る筈だ。  君と一緒に。 *************************************** メリーって聞くとクリスマスが脳内に浮かびます。 ……どーせ一人だってのに。 最後に桜の花びらが見えたのは。 まぁ……ゆかりんの仕業ってことにしておいてくださいな。