出会いはとても普通だった。 幽霊となっている俺は音に誘われるままに、冥界をうろついていた。 妙なくらい、明るい音楽。 音楽を聴いているだけで、気分が高揚するなんて初めてだった。 その音を発している源に向かうと、一人の少女が、手を使わず 音楽を奏でていた。 手を使わず楽器を奏でるなんて、別段この幻想郷においては珍しい事じゃない。 むしろ、まだ可愛いほうだ。 『死に誘う』とか『時を操る』とか『あらゆるものを破壊する』なんて 風の噂で、そんな物騒な能力のことを聞いた。 恐らく、楽器を奏でる少女の能力は、手を使わず音楽を奏でる事なのだろう。 トランペットを手を使わず演奏する光景は端から見れば、不思議な光景だった。 音楽も陽気なノリで、聴いているだけで楽しい気分によって おかしくなりそうだった。 彼女の音楽が終わる。それを見計らって彼女に話し掛ける。 「…いい演奏だった」 「あれ?」 話し掛けてから俺の存在に気付いたようだった。 それだけ熱中していたという事だろう。 「あなたは?」 「俺は…新しく冥界に来た霊だ」 もっとも、自分で死んだことに気付かなかった間抜けではあったけど。 霊になってからこんな演奏が聴けるとは思ってなかった。 「私は、騒霊のメルラン。メルラン=プリズムリバー」 「いつも、ここで演奏をしてるのか?」 「ううん、時々よ。いつもは大体、姉さんと妹と一緒に演奏してるの」 残念だ。いつもここで演奏しているなら、やってる時に聴きに来るのに。 「もし良かったら、今度墓地で演奏するの。良かったら聴きに来ない?」 願ってもないお誘いだった。 こんないい音楽が聴けるなら、俺は喜んでついて行くだろう。 ただし場所が墓地ということがある。 「俺、幽霊の類が苦手なんだよな…」 「あなたが幽霊じゃないの?」 考えてみればそうだった。なら、集まる霊は俺と同じようなものか。 それに成仏以外に、怖いものなんて、もう無い。 翌日、俺は夜中に騒霊ライブという物を見に行った。 音楽知識が無い俺には、はっきり言ってよく分からなかったが、 楽しんだ事は確かだ。 彼女――メルランが陽気な曲を奏でて、(見たことは無いが恐らく)姉が 陰気となる曲を弾き、(多分)妹さんがそれを組み合わせたような不思議な音を 演奏する。 夜中に騒がしくなるのは本当に騒霊の所為なのだろう。と 改めて実感した。 騒霊ライブが終わってから、俺はメルランに会いに行った。 「お疲れさん」 「あー、見に来てくれたんだ」 微妙にふわふわした笑顔で迎えてくれた。 「やっぱ、すごい演奏だったよ。どうしたらあんな綺麗な音が出るのか、さっぱりだ」 思ったとおりの感想を彼女に伝える。 彼女は嬉しそうに目を細める。 「姉さん、それ誰?」 メルランの妹さんが俺に向かって訊ねた。 「あぁ、俺はメルランのファンだ」 これは冗談じゃない。 何曲か聴いている内に、俺はどうやら彼女のファンになったようだ。 「ふーん…ふんふん」 妹さんは俺の方を、品定めをするように見た。 「まぁ、これなら大丈夫かな」 俺の姿を見終わったあとの、その台詞が気になった。 「それじゃ、もし良かったら、また見に来てね」 妹さんは軽くウィンクすると、星空を飛び始めた。 帰る先も冥界という同じ場所なので、俺はメルランと一緒に帰ることにした。 彼女の話す話題は音楽周りと一辺倒だが。 「羨ましいな」 「ん、何が?」 思わず呟いた俺の言葉に気付いたのか、メルランは振り向いた。 「俺にはそんなに夢中になれるものが無いからな」 「好きなことって、無いの?」 そう言われて考えてみる。 生前のことなんて覚えているわけが無いし、死後も何も来たばかりなのだから 自分が好きなことなんて、さっぱりと分からない。 「好きになるのに理由なんて要らないよ。自分が『これが好きだ』って言えれば良いんだから」 「…そっか」 なら、これから探すとしてみよう。 俺の好きになれる事を―― 「昨日、あなたと会った場所でもう一度、演奏しようと思ってるんだけど、来る?」 「あぁ、喜んで行くよ」 「それじゃ、明日の朝、待ってるから」 いつの間にか雲の中を抜けて、冥界の門が見えてきた。 「じゃ、明日な」 「うん」 俺は彼女の背中が見えなくなるまでずっと見ていた。 幽霊となっての生活なんてあまり実感は無かった。 別に眠れないとか食べる必要が無いとかそういう訳でもなく、 腹が減る時は腹が減るし、満腹になったら眠くなる。 人間と変わる事のない生活だった。餓死する事も無さそうだし、 こういうところは気楽にやっていきそうだ。 メルランという、騒霊のおかげで少しは死んでからの目的も見え始めてきた。 『自分の好きなことを探す』という事。 「おはよう」 「あぁ、おはよう」 昨日と同じように俺は至って普通に話し掛けた。 彼女は別段、昨日と比べて変わった様子はないが、どことなく嬉しそうな顔で 俺を出迎えた。 「それじゃ、はじめましょーう!」 様々な管楽器が動き始める。 普通の人間なら恐怖する光景も、俺は幽霊となったことで特に恐怖は感じなくなっていた。 陽気で、奇妙で、不思議と心踊る音楽が流れ始める。 管楽器だけでこれだけの演奏が出来るのも驚きだが、これだけの楽器を操る メルランも意外にすごい騒霊なのかもしれない。 目を閉じて、しばらくの間、陽気な音楽の海に入り浸っていた。 彼女の音楽は言うなれば、ビックリ箱のようだった。 驚きと、明るい奇妙さと、何が起きるか分からないという、悪戯をする子供のような 気分が、その音楽の中にはあった。 音楽だけでなく、メルランが心からその演奏を楽しんでいるという事も伝わってきた。 陽気な演奏が、やがて止まった。 「はい、お終い」 にこりと、笑うその演奏者に対して、俺は惜しみない拍手を送った。 「すごい演奏だった。出来ればずっと聴きたいくらいだ」 「楽しい気分にはなれた?」 「え?」 言われてみれば、彼女の音を聞いている間、ずっと俺は他の考え事なんて忘れていた。 あの演奏を聞いていて、不思議と心が高鳴るのが分かる。 音楽だけじゃなくて、恐らくそれは、演奏中の彼女に対して見惚れていたというのも あるのだろうけど。 「ほら、初めて会ったときは結構仏頂面だったじゃない。 だから笑った方がいいんじゃないかと思って」 「そんなに仏頂面だったか、俺?」 俺の問いに彼女は頷いた。 頬に手をやってみると、今は大分解れている。 「ほら、笑えばあなたもハッピー」 彼女の白い指が伸びてきて、俺の頬を軽く引っ張り、『笑い』の形を作った。 そして、彼女の顔が思いのほか近くにあり、無いはずの心臓が高鳴った。 「それじゃ、またね」 あの後も、結局音楽に全てを費やして、彼女は別れを告げた。 その次の日から、俺は騒霊ライブを見に行くようになった。 もちろん、目的はメルランだ。 演奏している間も、ずっと、彼女の胸の高鳴る音楽と、彼女の方を見る。 そんなある日の事だ。俺はいつも通りに騒霊ライブを見に来ていた。 前に開かれた時は、道に迷って辿り着く事が出来なかったので 今度は少し楽しみに来ていた。 「ちょっといい?」 メルランの妹さん――リリカが俺に話し掛けてきた。 どことなく怒っているような、雰囲気を醸し出しており、今にも怒りそうな雰囲気だった。 「何で前のライブに来なかったの?」 真っ直ぐに俺の方を向いてその目で俺を射抜く。 事情は後にメルランに説明したはずだ。 『迷って辿り着けなかった』と。 「姉さんが待ってたの。あなたが来るまでね」 「なっ、メルランが?」 「ライブを始めてからも、ずっとあなたを探していたの。 …無理に音階を上げて テンションを上げようとしていたけどね」 「…すまない」 「まぁ、別にそれはよくって、こっちが本題」 「本題?」 「姉さんは、普段のように音楽を奏でることが出来なかった。どうしてだと思う?」 そんな事をいきなり言われても、分かるわけがない。 普段、俺が見ている音楽が、そこになかったという事も知らなかった。 「姉さんの音楽は、幸福の音楽。自分が幸福じゃないのに、奏でられるわけがないの」 「…メルランに何かあったっていうのか?」 俺の言葉にリリカは呆れ気味に溜め息をつく。 そして、彼女は人を小馬鹿にしたような態度で見ていた。 「鈍いわねー。姉さんはあなたを待っていて、あなたが来なかった時に そうなったのよ?ホントに分からないの?」 ……。 本当は俺は気付いていたのかもしれない。 ただ、認めてしまうのが恐かっただけだ。 彼女が俺を好きだって事は…ないと思っていた。 これは、俺の片想いだとばかり思っていたんだ。 「あと五分位、もうすぐライブが始まるよ」 「…ありがとう」 俺はリリカに礼をいうと、ライブの会場まで走り出した。 今回の会場は向日葵畑だった。 何でも、向日葵畑の主に許可を貰って、ここで騒霊ライブを行う事を決定したらしい。 時間は昼間、妖怪はあまり動く事がない時間帯だ。 しかし、昼も夜も幽霊にはあまり関係のない話だ。 俺は即興で作られた控え室に辿り着いた。 「あら…?」 扉を開くと今度は姉の方に出会った。 普段なら、俺を見て見ぬ振りや、話し掛けることすらなかった彼女は 俺を見るなり、真剣な声で 「…メルランを、お願い」 そう言って、そのままふらふらと、どこかへ歩き出していった。 おそらく、最後の準備か何かだろう。 姉の方が言った台詞。 「…分かっている」 俺は呼吸を整えると、彼女が居るであろう控え室に入った。 彼女はボーっとしたまま、上を向いていた。 俺の存在には気付いていない。 その様子に見とれたのは言うまでもないが、俺は気取られないように ゆっくりと背後に回った。 息をいっぱいに吸い込んで 「わっ!」 「っ!?」 思いっきり驚かせた。 思惑通り、相手も驚いてくれたようで何よりだ。 「あ、あー!」 「よ、随分と暗いな。今日は」 「うーん、でももう大丈夫だからー」 「…俺が来たから、か?」 はっきりと言った言葉、それに対してのメルランのリアクションは 身体を一瞬、驚かせるという割と分かりやすい行動だった。 「…絶好のライブ日和だな」 「うん。そうねえ」 気を取り直して、別の話題を振った。 彼女は相変わらず、上の空といった感じだったが。 「俺、今日はお前に言わないとならない事があるんだ」 「え、なーに?」 「…俺は、お前が好きだ」 言った。 言ってやった。 俺の語彙の少なさに呆れるだろうけど、こういうしかなかった。 他の言葉なんて考えられなかった。 ただ一言、それだけを言いたかった。 彼女はふわふわとした笑顔を見せて笑い、こう言った。 「返事はライブの後でね」 一瞬で、彼女の唇が俺に触れた。