―壱― 空に輝く星を、手にしたいと願った者は一体どれだけいたのだろうか? 俺も幼心に、夜空に手を伸ばした事はなんどもあった。 その度に届かなくて、背伸びをしたらころっと転んで… そして少し大きくなって、こう思うようになった。 ―星は掴めない。そして…掴めないから、あんなにまで美しい。 …と。 その時から、考えを変えたつもりはない。それが真実だと思っている。 けれど。 それでも掴みとりたいと願う星が見つかってしまったら… 俺は、どうすればいいんだろう? ―弐― 「ふぁー…お早う」 「お早う御座います。っていっても、もう夜中ですけどね」  かちゃかちゃと食卓の用意をしながら、居間へ入ってきた紫さんを出迎える。  これが、マヨヒガに流れ着いた俺の最近の仕事だ。  特にこれという事もなく生きてきた俺が、何故こんなところに居るのか。  バイトの友人に連れられて、どこぞの山中で迷子になったのがそもそもの原因だった。  さんざっぱら歩き回った挙句、何の因果かここマヨヒガにたどり着いてしまった。  発見された当初は飛んで火にいる油揚げ状態だったのだが、俺には見に染み付いた調理技能があったおかげで命拾いした。  技能的には高いものではないのだが、ともかく作れる範囲が多岐に渡ったのが幸いした。  基本的に藍さんが作るのは和食と若干の洋食だ。大して俺は和洋中華、ドイツにタンザニアにインドごちゃ混ぜ何でも来いである。  かくして家長?である紫さんになんとか認められ、紫さん直属の飯炊きになることで食材行きは免れたのである。  …とはいっても、朝昼問わず起きてなきゃいけないのはなかなかに厳しいけれど。 「今日は何をお作りすればいいでしょーか?」 「そうねぇ…するっと食べられる麺類がいいわ」 「了解しましたっと…」  言いながらエプロンを身につけ、三角巾を被り料理を始める。今日はベトナムのフォーを作ることにした。  紫さんは手持ち無沙汰なのか、ぼんやりと卓袱台に肘を突いて、コッチを見ている。 「…紫さん、緊張してしまうんで出来たら見ないで欲しいんですけど」 「あらあら。それは失礼しました…」  ちっとも失礼していない声で笑う。その妖しくも美しい笑顔に、またも俺の心は悲鳴を上げる。 ―そんな顔を、見せないで下さい。 「急かさなくてもすぐ出来ますから」 「別に急かしてなんかいないわ」  軽く会話をキャッチボールしながらも、手元はせわしなく動く。鶏肉を煮て、野菜を切って麺を茹でて…  程なくしてフォーは完成した。あつあつのまま、紫さんの前に置く。 「はい、どうぞ」 「いただきます」  きちんと手を合わせてから箸を取り、食べ始める。  普段の寝てばかりの姿からだと少し想像しづらいが…紫さんは凄く行儀正しくご飯を食べる。  箸の使い方から器の持ち方、食べる時の姿勢までもが完璧で、その姿は正しく貴族の令嬢もかくやといった感じだ。 ―そんなに美しいから、また見つめてしまう。 「あら?私の顔に、何かついてるかしら?」  横顔を見ていた俺に、紫さんが問いかける。 「いえ、味の方はどうかなと思いまして。作ったものの感想は気になりますよ」  さらっと嘘をつく。これも自分に染み付いた技能だった。正直なところ、いい気分ではないけれど…  俺の言葉に、紫さんはひっそりと笑いながら答えてくれた。 「聞くまでもないことよ?美味しいわ。いつも通りに…ね」 「そうですか…よかった」  少しだけ高鳴る胸の動機を押さえながら、俺は笑顔を作った。  …多分、上手く笑えていると思う。 「ご馳走様でした」  手を合わせて深々と頭を下げる紫さん。本当に、普段の態度からは信じられない動作である。 「はい、お粗末さまでした」  食べ終わった器を洗い場へ持って行き、水を張った桶にするんと滑り込ませる。  水道があればごしゃごしゃと洗っておきたかったけれど、それもないから洗い物は明日まとめてやる事にしよう。 「あー、暖まったわねぇ。美味しかったし」  食後の冷たいお茶を飲みながら、紫さんが嬉しそうに言う。  その言葉だけで、ものすごく喜んでしまう自分がなんだかバカっぽく思えた。 「さて、あなたはこれからどうするのかしら?」 「そうですね…もし他にご用事がなければ、一眠りしようかと思っていました」  紫さんは起きる時間が不特定だ。ならば、可能な限り取れるときに睡眠はとっておかなければならない。  事実、最近は真昼だろうと明け方だろうと眠れてしまうのだ。俺も紫さんっぽくなったのかもしれないなぁ… 「そう…少し腹ごなしに歩くから、付き合いなさいな」 「…はい、分かりました。けれど、外は生憎と雨なので、傘を用意します。少し待っててください」  そういって、自室に転がってるであろう蝙蝠傘を取りに、席を立った。 * * * 「…まぁ、雨の中を歩くの一興…かしらね」 ―参―  さくさくと、砂を踏みしめ歩く足音が二つ。雨音に包まれている。  咲いている花は、ピンク色の傘と真っ黒な傘だけだった。 「いいお湿りねぇ…恵みの雨、といった所かしら?」  傘から手を伸ばして、空から零れてくる雫を受け止める紫さん。 「そうかもしれませんが…あの紅い吸血鬼さまには、憂鬱な対象かと」 「あらあら、貴方も随分と言うものね?」 「そうですね…まあ、この場には二人だけ。聞き流して頂ければ嬉しいですよ」 「それもそうね。流石に疲れるのは嫌だから、特別に聞き流してあげるわ」  くすくすと、笑う紫さん。俺も釣られて、少し笑う。 「そう、その笑いよ」  突然変わる声音。まるで一瞬で存在までが変わったかのようだった。 「…紫さん?」 「それが貴方の本当の笑い。時折浮かべるモノではない、本物の笑顔」  紫さんの表情は、真剣そのものであった。一切口の挟めない、研ぎ澄まされた刃のようだ。 「紫さん…何を」 「貴方の笑顔が本物でないのは…私のせいかしら?」 「…!!!」  その言葉に、顔が歪むのを抑えることが出来なかった。 ―ああ、その通りなんです。  確かに、俺がこんなに苦しいのも、悲しいのも、全ては貴女が… 「好きだから、かしら?」 「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」  …今度こそ、心臓が止まった。そう感じるほどの、衝撃だった。  心を読んだのか。そう思ったが、頭を振る。  紫さんの能力に読心能力はないはずだ、だったら… 「…なん、で?」 「私は境界を操る妖怪。ならば…境界が見えて当然よ」  境界。何かと何かのハザマを意味するもの。  言われてようやく気がついた。そうか、心を読んだのではなく… 「あなたの境界をすべて見たのよ。心の境界、意識の境界…想いの、境界もね」 「…そう、ですか……」 ―ならば。この胸の想いはとっくの昔に知られていたのか。 「あ、はは…ははははは…」  自分がどれだけ滑稽な演技をしていたか、思い出すと笑いが零れた。  傘が手から滑り落ちた。体が雨に打たれるが、それがどうしたというのか。  途方もない無力感に襲われていた。立ち続ける気力も失せて、地面にへたり込む。 「…一つ、貴方に確かめておきたい事があるのだけれど」 「……………なんでしょうか?」  虚ろな声で、答えた。力のない…まるで今の俺の心のままの声で。 「どうして貴方は…その想いを否定しようとするの?」  本当に、心から疑問に思っている声で、問いかけられた。 ―そんなの、わかりきっていることなのに。  俺は顔を上げ、雨の振りくる空に手を伸ばした。 「いくら…」 「…?」 「いくら手を伸ばしたとしても、人間の手では…空の星を掴む事なんて、出来ないんです」  空は雲に覆われて、その上に輝く星は見えなかったけれど。  俺は確かに、そらに輝く星へむかって手を伸ばしていた。  そして知っていた。この手が、決して星を掴む事などないと。 「俺にとって…貴女は、遠すぎるんです…空の星と、比べられないほどに」  そう。彼女は永い時を存在し、あらゆる妖怪が怖れる力を持つ。幻想郷のジョーカー。絶対的存在。  対する俺は、どこにでもいる普通の人間。妖怪に食べられる程度の、ただそれだけの存在。 「俺にとっては、貴女を想うだけでも過ぎた事だったんです…!」  それだけいうのが、精一杯だった。伸ばした手は空しく地面に落ちる。  もう、顔を上げることも出来なかった。  静かに、雨は降り続いている― ―四― 「………どうして」  二人の間に満ちた静寂を破ったのは、紫さんの言葉だった。 「…ゆかり、さん?」  きっと、こちらをみつめ…いや、睨みつける紫さん。  その顔に浮かぶのは、俺でも見たことがない…本当に怒った表情だった。 「どうして、そんなに簡単に諦めるの!?そんな簡単に諦められる程度にしか、私は価値がないの!?」 「そんな…ことはっ…!!」 「だったら!!だったらもっと素直になりなさい!思いも伝えずに、諦めるんじゃないッ!!」  感情のままに、言葉を叩きつける紫さん。その瞳には、輝く何かが浮かんでいる。 「紫さん…泣いて…」 「泣いてないっ!!私は…私は怒ってるのよ!!貴方のその諦めのよさにっ!!!!!!」  急に大声を出したためか、紫さんはぜいぜいと息を切らす。  …その言葉の全てが、俺の胸をえぐった。 ―そうだ。最初から無理だ、無駄だと決め付けていなかったか?  本当に何一つ言う事もなく…終わるつもりだったのか? 「…それと」  切れた息が整ったのか、穏やかな声で紫さんが呟く。  ぱたんと、傘を閉じる音がした。…傘の閉じる、音?  気になって顔を上げて…心底吃驚した。  空の雨雲が、綺麗さっぱりと消えてしまっていた。  先ほどまで降っていた雨が、まるで嘘のようだった。  夜空には、俺が言っていた…決して掴めない星がいくつも輝いている。 「貴方はさっき言ったわね。私は星のように遠くて、とても掴めないと」 「………はい。確かに…言いました」 「そう、それなら…見せてあげるわ」  そういって、紫さんは大きく両手を広げた。まるで、空を抱きしめようとするかのように。 「貴方が遠いというのなら、私が貴方の元へ行ってあげる」  ぎしりと、空間が軋んだ。ずしりと、重圧が増えていく。  だが、俺はそんなものは気にならなかった。気になっているのは、ただ一つ。  夜空の星が増えていっているのだ。さらに、一つ一つの星たちの輝きが、どんどんと強くなっているのが分かる。  …俺は唐突に、理性ではなく直感で何が起こっているのかを、理解した ―夜が、降りてきている。 「さあ、あと少しで星にも手が届くようになるわ」  一欠けらの冗談も含まない、完全に本気の声。  …それが、彼女の強い思いを表していた。 「わかりました!わかりましたから、もういいですから!!」  だが、流石にとめなければならなかった。星が落ちてきたら、マヨヒガが消し飛んでしまう。 「何故とめるの?念願の星を掴む事が出来るのに」 「分かったからです…俺がどれだけバカだったのかを」  答える俺の声も、少しずつ力が戻っていくのが分かった。  紫さんもようやく納得してくれたのか、広げていた両手を戻す。  空の星達も、全てもとの通りに戻っていった。 「そう…わかればいいのよ」 「わかったついでに…一つ、貴女に伝えたい事があるんです」 「…何かしら?」  ほんの少しだけ、顔を染めながら…それでも笑顔で、俺を見つめる紫さん。 ―そうだ。彼女はここまでの心を見せてくれた。  ならば…今度は俺の番だ。 「紫さん…貴女を愛しています。どうか…俺と共に、いて下さい」  …紫さんは、静かにスカートの端を持って、まるで令嬢のように頭を下げた。 「八雲紫。貴方のそのお言葉、謹んでお受けしますわ」  とてとてと、俺の元へ歩み寄り…俺の腰に手を回し、ぎゅっと抱きついてくる紫さん。  …本来ならば、俺が抱きしめるべきなんだろうなと、何となく思った。  けど、今の俺はこれがきっと一番らしいんだろうな… 「…紫」  けれど、せめてコレ位はイニシアチブを取ろう。 「はい…なにかしら?」 「眼を閉じて欲しい」 「…こう?」  言われたとおりに瞳を閉じる紫。…既に何をしようとしているのか、分かっているんだろう。  それでも、言うとおりにしてくれる彼女を、本当に愛しいと思った。  だから、その愛しいひとと、そっと唇を合わせた。  これからずっと、貴女を愛し続けるという、誓いをこめて。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 規制って何時とかれるのかなぁ…(トオイメ) 親切な方、出来たらプロポーズスレに報告していただけると嬉しいかと…そこまではいいカ。 とりあえず今回は難産だけど書いてて楽しかった。 無茶苦茶ゆかりん、大好きです。