その青年は、桜の花びらと共に、そこを訪れた。 文明社会に生きる一般的な青年であった彼が迷い込んだ地は冥界、彼の文人の魂が集うと呼ばれる白玉楼である。 もちろん、そこには今ひとつ融通の利かない半人半霊の庭師がいて、動く物全てを飲み下しかねない亡霊の姫が居る。 普通に考えれば、ここは死人の居るところ、そして死人が生まれるところ。 しかし、彼は白玉楼の主たる西行時幽々子たっての願いで、この地に住まうこととなった。 その顛末はこうである。 夕暮れ時、白玉楼の廊下をうろうろと思い悩む一人と一人魂――妖夢。 何をそこまで悩むのか、彼女はふと現れた主人の気配にさえ気づくことなく、ひとりゆらゆらと頭を抱えていた。 「妖夢、夕食が遅れているわよ?」 舞い降りた言葉に妖夢は口から心臓を出しそうな驚き様で振り返り、必死に釈明を行う。 ――曰く、昼頃に外から迷い込んだ人間が、「貴様の包丁は素人同然だ!そのような腕でこれだけの食材を扱うとは料理への冒涜ッ!私に作らせろォッ!!」と妖夢をつまみ出して料理を始めたという。 どうも話によると彼は人の世では料理人であったらしく、その後、地の利があるのか鯉口を切らんばかりの勢いで怒鳴り込もうとした妖夢を「ユルせないっ!断り無く調理場に入ってきたのはユルせないッ!調理場は清潔でなくてはイケないのデスヨッ!」と伊太利阿風の恫喝で閉め出したらしい。 あの剣幕では生死はともかく台所に被害を与えずに排除することは難しい――だからどうしようかと思い悩んでいたというのだ。 幽々子は従者の呻きにふーんとだけ返し、その形の良い鼻で大気を吸い集める。 「――そう、じゃあ楽しみに待っているわ」 彼女はそうとだけ言うと、膳がやってくるであろう居間へと消えていった。 下手なことをすれば取って喰ってしまえばいい、とでも思っているように。 後に残るは途方に暮れる従者のみである。 で、そんなこんなで今日された食膳の評価はと言えば…… 「うーーーーーーまーーーーーーーいーーーーーーーーぞーーーーーーーーーーーーー!!」 まぁ状景としては彼の味皇を思い浮かべていただくと良い。 故に彼は人の身にあって白玉楼の住人となった。 又その時従者は、生きた人間を冥界に住まわせて良いのか、といった疑問は、「半人が居るなら全人が居てもいいじゃない」という何とも大雑把な答えにより無かったことにされた。 「○○、食事はまだかしら?」 ちゃぶ台の前に鎮座した幽々子はやたらそわそわしながら台所に向かってそう言った。 青年――○○と呼ばれる彼が来てからと言う物、彼女は毎食ごとに期待からかちゃぶ台の前に正座してそわそわするようになった。 「後三分ほどでブリ大根が炊き上がります!」 台所からはそんな堅い物言いの、凛々しい返答が帰ってくる。 その言葉にわぁいとばかりに目を輝かせる幽々子を見て頭を抱えるのは傍らの従者。 ――冥界の姫としてこれで良いのか?――でも○○さんのご飯は美味しいし――でもやっぱり人間が居るのは駄目なんじゃ? 要するにどうでもいい悩みであった。 そして、○○の作るご飯はとても美味しかった。 桜吹雪の舞う庭園、○○は一人縁側に座して、ぼんやりと桜を眺めていた。 視界の端では妖夢が庭木の剪定を行いながら二百由旬の距離をかけずり回っている。 妖夢は妖夢で、視界の端にとらえた男の姿を見てまた頭を抱えそうになる。 「就職口がなかったんだよ。食ってけるならいいや」 これは、何故人の住まうべき所に帰らないのかという妖夢の問いへの彼の答えである。 彼女はそんな、桜も女の子も綺麗だしねぇはっはっは、と続けるような彼がどうにも苦手だった。 物には在るべき所があると生真面目に考える妖夢にとってその返答はどうも曖昧すぎたのだ。 「サボりかしら?妖夢」 そして彼女は背後からの主人の声に半身ごと跳ね上がる。 思わず手が止まっていたらしく、妖夢は指摘にしどろもどろになる。 対する幽々子はそんな妖夢の脇を通り抜け、ぼんやりと桜を眺めている○○の手前まで歩いていった。 「―――綺麗だ」 その呟きは、人の世に有り得ぬ桜に対してか、それとも桜吹雪に彩られ、艶然と頬笑む幽々子に対してか――おそらくそのどちらでもあったのだろう。 「あら、ありがとう」 言葉は撫でるように掛けられ、彼は自分の賞賛した美しさが幽々子であるとやっと理性で解し、思わず顔を真っ赤にして慌てて立ち上がる。 「え!?ぁぇ!?うぇ?ゆ、幽々子っ!?え、ちょ…え!?」 慌てる○○は幽々子の両手で緩やかに制され、やっとこさ落ち着きを取り戻す。 調理場での凛々しい彼とはどうも繋がらない、どこか抜けた姿であった。 「ところで○○。少しお腹がすいたのだけれども」 「――解りました。台所にちょっとした菓子があります。食事の時間にはまだ早いので、それで虫を休めてください」 そして、幽々子の口からそんな食べ物の話が出ると、彼は突然人が変わったようにしゃんとして言葉を返した。 料理は彼にとって、妖夢にとっての剣の道のような物なのだろう。 そんな彼の生き様を、幽々子は憎からず思っていた。 幽々子が縁側に座って待つこと数分、○○は台所から何かを取って帰ってくる。 「幽々子様、持って参りました」 見れば彼の手には紙袋が握られている。 「これがあなたの作ったお菓子?」 幽々子は差し出された紙袋を受け取ると、がさりと音をさせて袋の中身を一粒取り出した。 それは血のように紅い、ビー玉ほどの透ける玉。 ――アメ玉…ですか? それはいつの間にか傍らまで来ていた妖夢の言葉。 「は。ここの桜の香りを練り込んだ飴です。これこそ、今の飢えた幽々子様にピッタリの代物にございます」 ○○は澄ました顔でそう告げた。 その言葉が引き金になったのだろうか、幽々子は思わず口元を押さえてくすくすと笑い出す。 対する○○もどうも小さくくっくっと笑っている。 そして、妖夢は何のことか解っていないらしく、ただ半霊を?型に曲げるだけである。 「人が幽霊を養う飴――そうね、ここは冥界だもの」 「ええ。ここが人の世の対ならば、それが何より正しいでしょう」 そうやって二人は笑い会う。 残されるのは要領得ないみょんな従者だけである。 「それにしても幽々子、いい拾い物したわねぇ」 そう言って○○の漬けた古漬けを囓って酒をあおるのは八雲紫。 その横では突き出しの煮物を前にして打ち拉がれる9本の尻尾が転がっている。 今はこの場にいないが、その式の式である黒猫も白玉楼までやって来ている。 今日は食事のお呼ばれ――要するに、やたら料理の上手い新たな従者の自慢である。 「そうね、あれは万人に一人程の才能をちゃんと伸ばした代物だわ」 水を向けられた幽々子は自分の器の最後の煮物を口にすると、柔らかな唇に杯を当てた。 ――本当、人の世ももったいないことをするものね。 幽々子がそう呟いたのと、怒声が響いたのは同時だった。 「猫が調理場に入場するなど禁止禁止禁止ィィィーーーッッ!!調理場は常に清潔であらねばならんのだァァァァァーーーッッ!!!」 次いで聞こえ出す幼い鳴き声、気が付けば傍らで煮物に敗北感を抱いていた式神が消え去っている。 「……幽々子、アレは何かしら」 紫は笑顔も張り付いたままそう訪ねる。 今の彼女を漫画的に描写すれば、頭に巨大な水滴が張り付いていただろう。 「ああ、あれ?料理中台所に入ろうとするといつもああなのよ」 ――私も摘み食いに入ろうとして何度も摘み出されたわ。 またもや、幽々子がそう呟くのと怒声が響くのは同時であった 「貴様ッ!橙になにをするだ「狐も入場禁止だァァァァァーーーーーッッ!!!」 居間には沈黙、台所の方からは圧倒されて謝り倒す狐の声。 「……凄まじいわね」 「ええ。台所でなら霊夢だって敵わないんじゃないかしら?……そろそろ自分の式を引き取りに言ったら?」 幽々子の言葉に紫はそうさせてもらうわと立ち上がる。 縁側に立つ紫は思いっきり耳の寝た式と泣きじゃくる式の式の情けない姿に少し頭を抱えて、○○にやんわりと謝罪の意を述べていた。 「いえ、こちらも少し言い過ぎました。今度からは気を付けてもらえれば結構ですので……」 日本的慣行として頭を下げ返す○○に、二匹の式も頭を押さえられてごめんなさいとお辞儀した。 すると○○は懐から取り出した小さな包みを二匹に渡す。それは件の飴玉であった。 「まぁ、食事までは四半刻かかるから、それでも舐めて落ち着いてくれ」 次いで頭をぽんぽんと撫でられ、式の式は泣いた烏がもう笑うように機嫌を取り戻した。 式の方はというと、撫でられたりお菓子を貰ったりといろいろ自尊心に響く物があったらしくしょぼくれていたが。 そして八雲家一行が居間に返ろうとした時、そこには物欲しそうに○○を見つめる幽々子がいた。 「…? どうかしましたか幽々子様。食事はまだですよ」 「私にも、飴をちょうだいな」 幽々子そう、は桜色の唇を突き出して囁いた。 「…酒に飴は合わんでしょう。何より煮物が「もう全部食べちゃったわ」 ○○は相変わらずの主人に軽くため息をつくと、懐から一粒の飴を取り出して渡そうとする――が、幽々子は受け取らない。 一体なんだ、と○○が思っていると、幽々子は相変わらず死して尚艶やかな唇をこちらに向け、口を開いている。 ――合点がいった。食わせろ、と。観衆の前で。 見やれば八雲家がビミョーなツラで観戦モードに入っていた。 橙などは藍によって口に飴を放り込まれ、何も見ないようにされている。 ――どこまで期待してるんだお前等。 思わず突っ込みたくなる心を堪えて、○○は飴の包みを剥き幽々子の唇に飴玉をあてがった。 はむ   かぷ ――うわ柔らけぇ。つか幽霊なのにあったかいよ!ふにゅふにゅだよもう! 気づいた頃には、飴は摘んだ○○の指ごと幽々子の口の中。 吐息に混じって飴からの桜の香りが緩やかに流れでる。 そしてゆるりと糸を引き、幽々子は指から口を離す。 それはやたらに艶めかしくて――いくら客に怒声を浴びせた仕置きにしてもやりすぎだ!――と○○に思わせるほどであった。 良い物を見せて貰ったと居間に帰っていく紫一行と、その後を追う幽々子。 顔をゆでだこのようにした○○が思わず眉間に皺を寄せていると、幽々子はふいに振り向いて微笑み、唇だけを動かして呟いた。 ○○にはそれが何を言わんとしたかが何となく解った。 ――おいしかったわ。 ○○はいよいよ持って動けなくなり、台所から助手の妖夢の嘆きが聞こえてくるまで放心し続けることとなった。 指の唾液をどうしようか迷ったことは、言うまでもない。 その日の食事も又、素材の命に申し訳が立つ、素晴らしい味であった。 又、みょんな従者は騒ぎの間中、鍋のあく取りに追われていたことを付け加えておく。 それから歳月は容赦なく流れゆく。 厨房に飛び込んできた黒白を相変わらずの怒声で追い払った。 料理の腕に感服した式神とメイド長が料理を習いに来た。 何となくやってきた紅白がメシにつられて半月居着いた。 鬼の宴会の料理に忙殺された。 捕らえられた夜雀を「中華料理は二本足で歩こうが羽が生えていようが食材とするッ!中華に出来て日本料理に出来んハズが無イィィィィィィッッ!!!」と料理した。 桜の季節には幽々子に例の飴をねだられるようになった。 料理の腕は、ますます磨きが掛かっていった。 そうして彼は青年から壮年へ、他の二人を置いていくように年老いる。 ある時、彼は幽々子に何故そこまで料理に血道を上げるのかと問われたことがある。 「生きているってことは、必ず何かを犠牲にしているってことだから」 ――だから俺は、自分の為の犠牲に胸を張れるように、犠牲になった物に恥ずかしくないように、料理をするんだ。 いつもの主従の口調とも料理中の口調とも異なる、とても穏やかな口調で彼はそう答えた。 ――死んでゆくことに恥ずかしくないように―― その言葉に、幽々子は柔らかく微笑みを返すだけだった。 そうして彼は壮年から老年へ、他の二人を置いていくように年老いる。 精妙であった包丁さばきが僅かに狂い始めた。 鯖寿司の小骨を取り損ねた。 味付けが少しずつ、過日の味に劣るようになっていった。 それは経験だけではどうにもならない、生きた肉体の衰え―― ある日、彼はちょっとした用事で白玉楼を訪れていた霊夢にこんな質問をしたことがある。 幽霊に、怨霊になるとはどういう事なのか。 対して彼女はこう返した。 ――そんなもの、相応の未練を残して死ねば誰でもなるわ。後は力があれば良いんだけど、アンタにはないわね。 そしてもう一つ付け加える。 ――でも、よっぽど強い未練がなければ、白玉楼になんてたどり着けないわよ? もうここに来てから幾度の春が巡ったろうか。 彼の両腕は、目は、味覚は既に衰え、彼女たちに食事を作るどころではなくなった。 そして、心もいつしか萎びていた。 彼は悟る。 ――今咲きかけている、明日にもほころびそうな桜が開く所はもう見れないだろう。 伏した床、遠い耳に知己の声が届く。 幽々子と妖夢も彼が長くないことを知っている。 だからこそ、彼女たちはその人生の最後に、彼に、彼の料理に関わった者達を呼び集めたのだろう。 種々雑多な妖怪が彼の最後に別れを言いに来る。 中でも吸血鬼などは――うちのコックになると約束するなら、吸血鬼にしてあげるわよ?――などと囁く。 もちろん、彼がそれに応じるはずがないと知ってのこと。 紅白の巫女やメイド長など、人の身にある彼女らは既に老いて、彼の顔に遠からずの運命を悟り挨拶を交わす。 年老いた黒白の魔法使いが、もう大人になった半人の娘を連れて来た時は、年老いてしまったせいか命の営みに思わず目頭が熱くなった。 そして来客達が全て帰っていき、彼はそう広くない彼の部屋で一人になる。 ふと物音がして、いや、呼びかけられて障子で隔てられた庭の方を見た。 ――――斬ッ!! 刹那、彼の衰えた目に閃光が走り二百由旬の大庭園がありありと姿を現す。 立っていたのは――妖夢。 数十年前、最初に出会った時と変わらぬ姿で抜き放った刃をこちらに向けている。 いや、変わっていないわけではなかった。 彼女の動きはあの時よりもさらに洗練されているし、二百由旬の桜はいまだ顔を覗かせていない。 「○○さん。私はあなたのことを尊敬しています!」 刃を仕舞った妖夢は、精一杯の気持ちを込めてそう叫ぶ。 「ですから!…っ!だからっ!……ぅぐ……んぅぅ……」 そして何事かを続けようとした彼女は、思いあまって目に涙をため、もう何を言おうとしているのか解らなくなっている。 「…駄目じゃないの、妖夢。ちゃんとしなければいけないわ」 天からの声に目を向ければ、春の青い空にたなびくは亡霊の姫。 彼女は、それこそ出会った時と何も変わらず、手に何かを抱えて頬笑んだままこちらを見つめている。 「……でもっ………ゆゆござまぁ!……」 対して妖夢は最早顔面が崩れて鼻を啜り、泣きじゃくる手前だった。 幽々子はそれにふぅと小さくため息をつくと、じゃあいいわ、と言って○○の方に向き直った。 「――庖丁人・○○。今日まで私に仕えた大義、言葉もありません。そこであなたの最後のために一つ趣向を用意しました」 彼女は冥界の姫として凛々しくそう唱えると、手に抱えた何かを捧げて何かを呟く。 ふわり、と柔らかい風が吹いて、二百由旬の桜は瞬く間に満開に化粧を直した。 吹雪く桜の中、幽姫は重さもなく降り立つ。 その様はまさに一枚の絵画にして、あの日の思い出。 ならば、彼はこう呟く。 「―――綺麗だ」 そして、傍らに舞い降りた彼女はこう答える。 「あら、ありがとう」 満開の桜の下、二人の笑い声がかすかに響く。 緩やかに日は落ちて、太陽と共に彼の命も最早終わる。 傍らには幽々子。 数十年――彼女にとってはとても短くて、とても長かった思い出の話。 彼女が握る腕は枯れ木のようで、しかしまだ暖かい。 「――さて、そろそろお開きのようです」 彼はそう言うと幽々子の手を握り返す。 「――そう、今までご苦労様。○○」 幽々子は粛々と、そう答えた。 「――さしあたって幽々子様には一つ申し上げたいことがございます」 かすれた声はそう続け、幽々子はそれに耳を近づけて言葉を聞き逃がさんとする。 「しかし、申し上げません」 そして、老人は小さく、弱々しく笑う。 幽々子も、弱々しく微笑み返した。 「――幽々子様、知っていますか」 夕暮れの部屋。 小さく響くのはそんな言葉。 幽々子が何を、と返すと、○○はそのまま続ける。 「自由な幽霊となるには、強い未練が必要だそうです」 それは、幽々子が知らぬはずもないこと。 彼女は彼の言葉に優しくうなずく。 それを見た○○は穏やかに笑い―――息を引き取った。 春の空、桜吹雪の下、妖夢の泣き声と共に、出席者二人だけの彼の葬儀は行われた。 ――死んでから顔を合わせるなんて、気を悪くするだけだから葬式にはこないでくれ。 それが彼が知己に言った言伝である。 誰はばかることがない故、妖夢は二百由旬に響き渡る泣き声を上げる。 しかし、喪主たる幽々子は終始頬笑んでいた。 やがて、ゆるゆると彼の抜け殻を収めた棺を土に埋めると、二人は墓所に背を向け、二百由旬の桜並木を歩き出した。 ふいに強い風が吹き、二人は桜吹雪に一時目を奪われる。 ひらひらと舞う花びらが飛んだ先には、人影が一つ。 「――○○」 幽々子はぽつりと呟いた先。 そこには、初めてここを訪れた時の姿のまま、○○が立っていた。 いや、それは正確には昔のままではない。 僅かに大地から浮いた、その重さのない質感は、幽霊以外の何者でもない。 「何とか、未練が足りたようですな。幽々子様」 彼はそう言うと桜の中を幽々子目指して足早に進んでいく。 いそいそと、まるで旅行から帰った様に駆け寄る彼の姿に、幽々子は思わず、お帰りなさい、と声を掛けた。 ――ただいま、幽々子様。しかし、せいぜい数日の留守ですよ? 彼がそう返した頃、二人の距離はもう一歩分にまで近づいていた。 幽々子はいつものように微笑みを浮かべたまま、透けた彼に口を開く。 「そう言えば、言い残したことがあったんじゃないかしら?」 そう言われた彼は気恥ずかしげに頭を掻くと、言ってしまえば未練が無くなるのでは?と口の中で呟いた。 すると、満面の笑みの幽々子は言いきる。 「――大丈夫よ。未練が残って成仏できないようにしてあげる」 そこまで言われてはどうにも退けない。 彼は、はぁ、と生返事を返すと、居住まいを正して息を吸い込み、ガチガチに緊張して宣言した。 「―――私は!私は、幽々子様が、大好きだ!!っ…あ、愛している!!!」 さぁ、と桜吹雪が舞う。 桜が晴れた後、幽々子の目にはついぞ見せたことのない涙が浮かんでいた。 ――ありがとう―― 彼女は光る滴を浮かべて、彼にそう返す。 そして返事は、と一歩踏み込んだ○○に、小さく囁いた。 「――ところで○○。少しお腹がすいたのだけれども」 その言葉に、彼は一瞬面食らって一歩引く。 体勢を立て直す頃には、彼は何を言わんとしているかに気づいて、懐から小さな包みを取り出した。 「――解りました。ここにちょっとした菓子があります。食事の時間にはまだ早いので、これで虫を休めてください」 ○○は言うと共に飴玉を剥き、彼女の前に差し出した。 「ええ、頂くわ」 すると幽々子はそうやって差し出された飴玉を自分の手で摘む。 ――え? その行動に何を意味するのか、理解できずに○○が戸惑っていると、幽々子は呆けた彼の口に、その飴玉を放り込んだ。 「これが私の――答え!」 ――瞬間、二人の影は重なった。 白玉楼には、幽霊の夫婦が住んでいるという。 彼らは永遠に、共に生きて――いや、共に死に続けていくのだと。 了 そして、みょんな従者はその傍ら、感動して良いのか赤面して良いのか判別がつかず、オーバーヒートによって倒れていた。 本当に了