「……ほへ?」 「おはよう。目が覚めたみたいね」 「…おはよおございまふ」 「おーっす。ん、起きたのか? それじゃあ行くか」 「今起きたばかりだし準備もまだ。魔理沙も来たばかりなんだからお茶でも飲んで一息つきなさい」 「珍しいな、霊夢が自分から寛いでいけなんて」 「そういうこともあるし、第一寛げなんて言ってない」 「あ、あの……」 「ああ、顔洗ってきちゃって。準備もあるからてきぱきね」 「はい?」 「おお、言い忘れてた。おはよう、リリー」 真夏の夜の百合 -Impossible Party-  白い少女、リリーホワイトは音も立てず湯飲みを下ろした。 「暑い……」 「熱かった? ちゃんと冷まして飲みなさいよ」 「いえ、そうではなくて」  眼前の紅白の少女と黒白の少女、云わずと知れた霊夢と魔理沙は先程からあーだこーだと話し合いを続けていた。  反応があるので、一応リリーのことも忘れていないようである。  話していることは全て聞こえているが、何のことなのかは全く分からない。  しかしそんなことは瑣末であった。  本来彼女は春先に目覚める存在。だが感じる季節は明らかに春ではなく、それより何より…… 「暑い」  小さな声で、しかし先程よりもはっきりそう口にした。 「だから熱いならちゃんと冷ましなさい…って、ああ、そういうこと」 「そりゃあその格好じゃ暑いだろうな」  リリーの服装はほぼいつも通り。帽子とケープを脱いでいるとはいえ、長袖ロングスカート、そして生地も厚手だ。  全て白で統一されてはいるが、暑いはずである。 「あの、私が起きたということは春が来たんでしょうか?」 「何を言ってるんだ? 今は夏。それも真夏の盛りだぜ」 「なつ……?」 「そう、夏。春の次には夏が来る。普通だぜ」 「ねえ魔理沙、とりあえずは服でいいんじゃない? このままじゃ辛そうだし」 「そうだな。よし、リリー」 「なんですか?」 「脱げ」 「……は?」 「脱げ。さあ脱げ。やれ脱げ。スパッと脱げ。それとも剥かれるのがお望みか? お望みとあらバッ! ……霊夢、痛い」 「脅してるんじゃないの。リリー、その格好じゃ暑いでしょ? 服貸してあげるから着替えなさい」  答える間もなく連れて行かれた部屋には、床一面に布が広げられていた。実際は布ではなく浴衣なのだが、リリーが知っているはずがない。 「どれが似合うかと思って悩んでたんだけど、どれがいい?」 「え、これ服なんですか?」 「知らないのも無理ないか。浴衣って言ってね、民族衣装みたいなものよ。サイズはフリーみたいなものだからどれでも着れると思うけど」 「それじゃあ……えーっと……」  濃い青。薄い青。黄色。赤。桃色。白。  様々な色があり、さらに多種多様の模様がある。  いつもと同じ色、白地に百合をあしらった物もあったが、ふと目に留まったものはそれではなかった。 「ところで魔理沙さんどこにいったんですか?」 「やることがあってね。先に行ってもらったわ。で、決まった?」 「あ、はい。これがいいです」 「じゃあこっち来て。着方分からないでしょ。着せてあげるわ」 「お待たせ」 「別に待ってないぜ。あれ、リリーどこだ? 一緒じゃないのか?」 「何言ってるの。ここにいるじゃない」 「へ? じゃあこの子が?」 「あ…はい。リリーホワイトです」  薄山吹に縦に数本入っただけのシンプルなデザイン。  前の持ち主の趣味か霊夢の仕業か、袖にリリーの服と同じような赤い模様が入っている。  そして全体に気にならない程度に桜の花のような柄があしらってある。 「へぇ、良く似合ってるじゃないか。その頭も霊夢が?」 「ありがとうございます。はい、霊夢さんがやってくれました」 「そのままでもよかったんだけど首が暑そうだったから。リリーの髪綺麗だから手を加えるの怖かったんだけどね。上手くいってよかったわ」  浴衣に身を包み、髪をリボンでまとめたその姿は、いつもの格好からは想像できなかった。  おそらく彼女をよく知る者が見ても、一瞬見違えることだろう。  それほど良く似合っていた。   「……さて、そろそろ準備も整ったし、行くか」 「そうね、行きましょう」 「はい、行ってらっしゃい」  沈黙。しばし蛙の合唱だけが響く。 「なあ霊夢、説明したか?」 「……すっかり忘れてたわ。ねえリリー、今日はあなたが主役なの。あなたのために行われるわけじゃないけど、あなたがいないと意味がないの。わかる?」 「はぁ…よくわかりませんがわかりました」  真剣な目、真剣な口調。どうやら大切なことがあるらしい。  わからないと言える雰囲気ではなかった。 「よし。それじゃあ行きましょう」 「日も暮れるし、いい頃合だな」 「あの、結局何処へ行くんですか?」  その問いに霊夢と魔理沙は顔を見合わせ、まるで悪戯が成功したような、楽しいことが待ち構えているような笑みを浮かべる。 「何処へって」 「それは勿論」  夕日の中二人の声が重なる。 「「夏祭り!」」 「夏祭り……」 「そう、夏祭り。今日は人間の里のお祭りなのよ」 「……ってなんですか?」  考えてみれば当然である。リリーは春を告げるために目覚め、伝え終わったら眠る存在。  もしかしたら祭り自体知らないのかもしれない。 「祭りって言うのは、えーっと……魔理沙お願い」 「私かよ! う〜ん、どう説明したらいいかな。まあとにかく楽しいものだ。行けばわかる」 「そうね。それに夏だけのものだから、せっかくこんな時期に起きたんだから体験しない手はないでしょ?」 「そういうものですか」 「そういうもの。そんなこと言ってる間に着いたぜ」  既に日は沈み、辺りは闇に包まれている。  月と星が仄かに照らす闇の中、そこは目映いほどの光と溢れんばかりの活気が漲っていた。  多くの出店が並び、人々が動き、集まり、騒がしくも楽しげな喧騒に包まれた空間。  当然リリーにはただ人間が大勢集まっているようにしか見えないが、その心は既に躍り始めていた。 「どうだ。わかっただろ?」 「あ…はい。でも私が来てもいいんでしょうか? 私は人間じゃないのに」 「ここのお祭りは特別でね。この日だけは人間も妖精も、妖怪だって一緒に楽しむんだ」 「もし何かあったときのためにって私や魔理沙が呼ばれてるんだけどね。今まで何か起こったことはないわ」 「さあ、見回りついでに案内だ! 今日は一晩中引きずりまわすから覚悟しておけ」 「はい! お手柔らかにお願いします」 「あ、魔理沙さん魔理沙さん。あの赤いのなんですか?」 「いきなりハイレベルなのに目をつけたな」 「金魚すくいって言ってね。あの赤いのを、おじさん一つ! …これで掬うの」 「ずいぶん薄いんですね。これで掬えるんですか?」 「お譲ちゃん見ない顔だね。どうだい、サービスしとくけどやってみるかい?」 「はい!」 「あんなの無理ですよぉ……」 「金魚すくいはコツ掴まないと難しいからね。あ、これはどうかしら」 「これは?」 「ヨーヨー釣りか。これならできるかもな。こいつでこのわっかを引っ掛けて、と。こんな感じだ」 「霊夢ちゃんの友達かい? どうだい、安くしておくよ」 「あの……」 「遠慮しないの。ほら」 「♪〜」 「嬉しそうね」 「はいっ! ちゃんと取れたし、遊んでも楽しいし!」 「浮かれすぎて弾幕はやめてくれよ〜」 「そ、そんなことしませんよぅ。あれ? あんな所に毛玉さん」 「え、毛玉? ……ああ、わた飴のこと」 「毛玉さんじゃないんですか?」 「違うよ。おっちゃん、3つくれ」 「あいよ! ほい、こっちの子は可愛いからおまけだ!」 「ちょっと、私たちは可愛くないっていうの?」 「霊夢たちにはいつもサービスしてるだろ。今日はこの子優先だよ」 「ふわふわで甘くて美味しいです〜」 「……ま、いっか」 「うう、顔がべとべとします」 「ちょっと休みましょうか。手拭絞ってくるわ。魔理沙ちょっとよろしくね」 「任せとけ。ゆっくりでいいぞ」 「……ええ」 「あ、レティさん」 「あらリリー。こんな所、こんな季節に会うなんて珍しいわね」 「ああー! なんであんたがいるのよ! 凍符」 「ちょっと待てチルノ。問題起こしたらどうなるか、わかってるよな?」 「う……」 「チルノ、リリーは何もしてないでしょ?」 「うう……」 「チルノちゃん。今日はいい子にしてるって約束したのに」 「う〜〜〜。き、今日はみんなの顔にめんじて見逃しておいてあげるわ! レティ行こ!」 「先に行っててくれる? ちょっとリリーと二人で話したいの」 「私と、ですか?」 「了解。ほら、チルノ、大妖精、行くぞ」 「そろそろ終わったか〜っと、邪魔しちゃったかな?」 「いいえ、雑談してただけよ。それじゃあチルノ、行きましょうか。ありがとうリリー、お話できて嬉しかったわ」 「あ、いえ、私のほうこそ。それじゃあまた今度」 「ええ、それじゃあね。また」 「……霊夢さんどうしたんですか?」 「ここにいるわよ」 「知り合いに捕まってたみたいでな。そこで拾った」 「人を物みたいに言わない。さて、場所移りましょうか」 「ここじゃ駄目なのか?」 「いい場所があるのよ」 「何がなんだか全くわからないんですが」 「祭りの醍醐味さ」  星空に一際明るい星が弾け、消える。  一瞬遅れて音。体の芯まで震わせるような、大きくて、暖かい音。 「どうだリリー。これが夏祭りの醍醐味っと、リリー?」 「……」  そしてまた閃光。夜空に花が開く。  ひとつ、ふたつ。無数の花が咲き乱れた空。それはさながら…… 「リリー? どうかした?」 「は……る……。空に、春の野原が……」 「野原、か。これは花火って言ってな、燃える球を弾けさせて花みたいに見せてるものなんだ」 「花…火?」 「もしかしたら、夏になっても、いつになっても春の光景を見たい人が考えたのかもしれないわね」  3人の体を光が照らす。  赤、緑、黄。様々な光が入り乱れ、幻想郷に於いて尚、幻想を感じさせる。 「ありがとう……ございます」  呟く。  それは、大地を震わせる音の中で、たしかに2人の耳に届いた。  答えるは無言。しかしそれで満足したかのように、まだ足りないかのように再び口にする。 「ありがとうございます」  自分でもよくわからない。  夏に目覚めたことになのか、祭りというものを体験したことになのか、春を垣間見たことになのか……  その心中は感謝の気持ちで満たされていた。  一時の静寂。  目映い光。大輪の花が開き、天地が震える。  花が散り、その余韻も消えたとき、そこに春の妖精の姿はなく、リボンと浴衣、草履、そしてヨーヨーだけが残されていた。   「ふう……」 「霊夢っ!」  崩れ落ちる体。  慌てて支えようとするが届かない。  しかし倒れることはなく、その体はすでに受け止められていた。 「霊夢。無理しすぎよ」 「ゆ…かり?」 「全く、あれだけの結界を張った状態で動き回るなんて。咲夜」 「はい。ほら霊夢、これ飲みなさい」 「レミリア、咲夜。助かったぜ」 「私も首謀者の一人ですから。こっちの首尾は?」 「上々、って言えるかな。感謝されちゃったよ」  全てはこの少女たちの企み。  春を取り戻すときに出会った春の妖精と冬の妖怪。  彼女らにその季節以外のことを教えたかった。 「お嬢様、紫様。この度は私たちの我儘にご協力いただき、感謝の言葉もございません」  そのために時間を操り、 「私は構わないわよ。そもそもあなた達がこんなことを言いだしたことが予想外だったけど」  境界を操り、 「他でもない霊夢と咲夜の頼みだもの。断るわけにはいくまい」  運命すら操り、春と冬を夏に顕した。  それでも尚、世界の修正は及ぶ。  そのために行ったこと。 「でも私が魔力提供してたとはいえ、世界から隔絶するほどの結界を維持した上で動き回るなんて自殺行為もいいとこだ」  結界による世界からの隔絶。それを霊夢は一手に引き受けていた。 「だって…どんな顔するか直接見たいじゃない…」 「霊夢、魔理沙!」 「チルノ? どうした」 「えと…その…、あ、ありがとう。ち、違うんだからね! レティがそう言ってたんだからね! じゃあね!」  沈黙。  自然のざわめきだけが流れる。 「…ぷっ」 「くっ、はははははは!」  誰からともなく笑いが漏れ、広がる。  気付けば花火の煙で霞んでいた空はすっかり晴れていた。 『また、今度』  何者かが呟いたその言葉は、皆の心に深く響いた。