Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

私は穢されてしまった! (中編)

2010/01/06 22:01:54
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 被疑者"綿月 依姫"は私的理由により拘束中の地上人を不注意から見失い、都内への逃奔を許した。逃亡した地上人"博麗 霊夢"は大妖怪"八雲 紫"の企てた第二次月面侵略計画の一端を担った重罪人であり、非常に野蛮で凶暴。なお逃亡者を拘束していた被疑者は大罪人"八意 永琳"と師弟関係にあった綿月家当主の一人であり、本件とは別に都に対する謀反の嫌疑がかけられている……
 問われる罪状としてはこんなところか。予測のつく判決としては、間違いなく有罪。少なくとも四桁に及ぶ禁錮刑に相当するだろう。
 自分が失脚すれば対策室は喜んで月の使者の大幅な再編成に取り掛かる筈だ。平和主義の姉にそれを防ぐ気概はあるまい。陰で綿月の私兵と暗喩されている兵隊兎たちはきっと路頭に迷う事になる。地上の監視を怠ってしまえば、今度こそ月は妖怪の侵攻を防げない。中央の石頭どもは賢者を隣に仕えさせておきながら何も学んでいないのだ!
 胃が音を立てずに軋むのは、何も全力疾走した代償というわけではあるまい。年々人口の増える"兎の巣"の整備はいまだ滞っていて、ひとたび路地の奥へ踏み入れば依姫といえど道に迷いかねなかった。ただしどの建物も屋根が低く、頭上の星さえ見ておけば大体の現在位置は把握できる。
 だが、あの少女はそうはいかない筈だ。見知らぬ土地を考えなしに徘徊する筈はないと、もと来た道を引き返しながら追跡していたが。空飛ぶ巫女は町中に入るや否やあっさり姿を眩ませてしまった。やむなく牛車から降りて、住民に見つからぬよう―――またあらぬ噂を広められかねない―――路地裏を経由して巫女を探し回ったが……今のところはこのざまである。
 脇腹を押さえながら、なかば途方に暮れながら日陰を歩いていた。やかましく賑わう玉兎らの声が、気の滅入りを更に深みへと沈めていく。泥沼から泡のように湧き出るのは、よからぬ想像ばかりだった。
 問題なのは……あの少女が身に宿す穢れが都内に伝染してしまった場合だ。地上人は再び地上に落とされて終わる。しかし穢れを持ち込んだ間接的原因と判断されれば、依姫の判決は無期禁錮ですら済まなくなる。彼女自身の穢れが問われる事となるのだ。肌のシミ(失礼な)から服についた桃の果汁(姉であるまいし)まで徹底的に検査された挙句、結果はカルテの改竄次第でどうにでもなる。
 政界の裏工作を担当する"超規執行部"の存在が都市伝説であるとしても、穢れが規定値を越えれば誰であれ例外なく月を追放されるのは確かだった。歴史の教科書にも載っている蓬莱山の姫を知らない者はいない。
 自分もあんな風にピース写真と共に悠久の年表に名前を刻まれるのだろうか。月の使者リーダー"綿月 依姫"、穢れのため地上に追放される……

(冗談じゃない。私は穢されてなんてない!)

 今も巫女の袖が握られた拳をきつく締めつける。骨身を伝わる痛痒に弱気を叱咤されて、依姫は歩調をやや早めた。
 援軍の要請はやぶさかではない。が、対地上用の戦闘兎たちを都内に出動させれば"飼育係"―――玉兎居住区の治安維持組織―――が黙っていないうえ、玉兎の月の使者への心象はそれこそ地に落ちる。姉には……頼るわけにはいかない。
 頭に思い浮かんだのが、海を眺める姉の横顔だったから。頼るわけにはいかなかった。牛車の中で地上人に話そうとしてしまった事を、ここまで引き摺らないでも良さそうなものだが。
 考えてみれば、御者にも捜索を手伝わせればいい。月の守護者を辞職して綿月家の専属運転手になった月人で、優男だがなかなか頭が回る。町外れに待機させてある牛車の元まで戻って、一度対策を立て直すのも手といえば手だ。あの巫女の思惑は知れないが、テンパり黒白女(玉兎がそう呼んでいた)やジャリパイア(テンパり黒白女がそう呼んでいた)に比べればまだいくらか常識を期待できる。
 案外、高貴な都心より玉兎の町の雰囲気の方が地上人の性に合うのかも知れない。それならそれで、自分が仕事明けによく寄る酒場を紹介してやってもいい。ただ、ああみえて所詮は子供だ。興味本位で飛び出したあげく道端で泣いている可能性もある。私が探してやらなければ。
 惰性を使命感に置き換えてやれば、自然と意気も高まってきた。表通りから差し込む日向を手近に見つけて、廃材置き場を飛び越える。
 通行人が少ない事を確認して、依姫はようやく路地裏から脱出した。が、すぐにはたと立ち止まる。月の使者の本部を兼ねる綿月家の屋敷からやや離れたその商店街は先刻、依姫たちを乗せた牛車が通過した場所だった。どうやら星を読み違えてしまったらしい。
 うんざりと額に手を当てて、郊外に向かうべく振り返る。一歩踏み出した瞬間、真正面から降りかかった衝撃がすぐさま依姫を後ずさらせた。
 植木の類にぶつかったわけではない―――流石に往来でそこまで間抜けはしない。対向者には悪い事をした。以前、月の民の膝上に茶を零した玉兎が討首に処されたとの噂が流れた事がある。勿論そんなわけはないのだが、要するに彼らの抱く畏怖はそれほどのものなのだ。快く許して、先を急ごう。ただし、自分の方が勢い良く歩き出しておいて弾き飛ばされた旨については決して他言しないようきつく言い聞かせてから。
 顔を上げるまでにそんな雑念を抱く余裕をかましていた事に関しては、確かに自分はどうしようもなく間抜けだった。

「大丈夫かい、お嬢さん……おや?」

 壮年の男は襟を正す仕草を止めると、依姫を顔を見て訝しげに目を細めた。玉兎ではない……が、そうとわかったのは彼の頭頂部に耳が生えていなかったからというだけでもない。口元にたくわえた芝居の小道具のような髭は、その男の最大にして唯一の特徴として記憶に残っている。面識はほぼ皆無であるものの、名前なら幾度も拝見していた。ただ、都庁指定の正装を着こなすその月人を見た途端に連想したのは本名でなく、陰で囁かれている(そして当然本人も耳に入れているであろう)渾名の方だった。
 どうにか言葉を繕おうと頭を急回転させるうちに、後ろに控えていた護衛を手で制しながら、火鼠(違う!)の方から話を振ってくる。

「奇遇だな。いや、私にとってね。私を覚えているかな?」
「……はい。失礼しました、××様」

 完全に後手に回りながらも、依姫はなんとか記憶を絞り出す。名前を呼ばれて、月都庁監査委官××(表記不可能)は満足げに口の端を綻ばせた。おそらく彼は、数千年前だったか依姫たち姉妹が師に連れられて赴いた式典で挨拶した時の事を言っているのだろう。実のところ当時の事などほとんど覚えておらず、この奸物の経歴を調べていて偶然思い出したのに過ぎなかったが。その絶妙な舌の回り具合は未だ衰えていないらしい事だけは痛いほどに知れた。

「はは、構わないさ。賢者殿の後ろにすっぽり隠れていたあの依姫君―――覚えているよ―――がこんなに大きくなるとはね。姉上はご息災かい?」

「はい。まぁ、おかげさまで」

「それはよかった。実のところを言うとね、ちょうど使者の本殿に向かおうとしていたんだよ。アポ無しなのは勘弁して貰いたい、つい先ほど本件を片付けてきたところでね。玉兎管理局が放置している以上、我々がいちいち睨みを利かせに足を運ばなければ飼育係の連中は増長する一方だ。聞いたよ、正門に生卵をぶつけられたという通報を黙殺されたそうじゃないか」
「いえ、あれは……」

 休暇中に本殿の厨房を無断使用しに来た部下の仕業であり、交番に引き渡したら突き返された。馬鹿正直に告白してこの男に泣き所を晒すのは致命的でしかない。依姫が言葉を濁した事に一瞬眉をひそめるも、××は口上を優先して止めなかった。

「そのくせ兎の苦情ばかり真に受けるから今度は彼らをつけ上がらせる始末だ。そもそも今日来たのだって、過去四件の盗難被害についてなぜ機動隊の出動要請を承認したのか管理局に問いつめたのがきっかけだった。巨大皮剥ぎワニ―――サメだったか?―――の存在を奴らが信じていたと思うかい?活動費をねだるにしたって浅ましいにもほどがある。連中の頭にいつか耳が生えると思うのは私だけであるまいさ」

「そうですね」

 歩道の真っ直中で一方的にまくしたてられて、愛想良く笑い、あまつさえ相槌さえ返してみせたのは、ひとえに忍耐と場慣れだった。姉ならこのあたりで容赦なく欠伸をかます。
 今更ながら、この辺りの人通りの少なさに納得がいった。商店(甘味処のようだ)の軒先で月人の高官同士が話している光景は、兎からすれば、店の従業員を討首にする相談をしているように見えないだろうか。依姫は剥がれかけた微笑を張り直した。そのせいで監査官の話をわずかに聞きそびれる。

「正直に言えば、君にとって足枷でしかないと思うね、私は」
「……え、えぇ。はい」

 考えなしに返事してしまったのは迂闊だった。監査官がふと言葉に詰まる。話を聞き流されていた事を悟ったか、あるいは予期せぬ同意を得られたか。どうやら後者だったらしい……再び口を開くと、彼の声色の調子が若干上がっていた。

「私でよければ相談に乗りたいところだが、使者は私の管轄外でね。あんな都の端の見張り台では苦労も絶えないだろう。綿月家にかけられた嫌疑については当然知っているよ。これは監査官としてではないが……君たちの冤罪を法院に証言してもいい」

 声を潜め、大仰に口に手を当ててさえみせた××は、照明でも当ててやれば確かに役者映えしそうではあった。ただ、かつて壇上に立った彼が三枚目の小悪党ではなく反賢者派の構成員として熱弁を振るっていた事なら、依姫も覚えている。
 用件をおよそ把握したうえで、あえて頷きも、首を横に振りもしなかったが。監査官は深追いすることなく饒舌で沈黙を埋めた。数千年分だかの話が積もり積もっているのだろう。
 これ以上は時間を無駄にしたくない……もうだいぶ手遅れとはいえ。藁にも縋る思いで、依姫は監査官の後ろで待機している警護役をちらりと見やる。出来れば同じ苦渋を味わっている事に期待したのだが、サングラスに遮られてその表情は窺い知れなかった。
 その代わり。
 警護役の更に背後で、甘味処の入り口から霊夢が出てくる瞬間を目撃した。
 額に絆創膏を貼り、衣装の袖の片方が欠けた不格好は見失った時と変わっていない。ただ、口の端にこびりついた餡が見窄らしさに拍車をかけている。路地を探し歩いて見つけられなかったわけだが、店内で飲食している可能性というのは盲点だった……金銭の類など与えていないのだから。稀にみる至福に満ちた笑顔は、無表情な警護役と並べてみると何とも滑稽だったものの。
 笑えない。むしろ、石膏のように塗り固めた微笑が音を立てて剥がれ落ちるのを聞いた。
 彼にまでその音が届いた筈はあるまいが。依姫の異変に気づいた監査官が怪訝に口をつぐむ。ちょうどその間に割って入るように、依姫に気づいた霊夢が大きく手を振って存在をアピールしてきた。まだ微妙に頬を膨らませたまま、

「やっと見つけた。ったく、どこいってたのよ」
「あ、あ……」

 あなたがそれを言う?喉が麻痺して震わせられない代わり、少女の声に振り返ったのは××とそのお供だった。兎の巣に目を光らせていた彼が、昨日まで依姫に率いられ町中で舞踊を披露していた少女を知らないわけはない。穢れた地上人を目の当たりにした監査官がまず取った行動は、狼狽えながら依姫の隣にまで退く事だった。それでも彼女より後ろに下がる事は沽券に関わるのだろう、指先で髭を撫でて平静を装いつつ、こちらへ視線と共に訴えてくる。

「き、君は兎は柵の中に入れても地上人は放し飼いにするのかね?」
「……首輪が外れただけですわ」

 手にした巫女の袖を見せながら、依姫はうんざりと呻く。妥当な言い訳を嘯くだけの気力は最早なかった。この男と巫女を鉢合わせさせるのだけは何としても避けたかったのだが……観念のしどきだ。下手な騒ぎを起こすより前に彼女を発見できただけ、せめてもの幸運と思うほかない。
 と。依姫と並ぶ男をようやく気に留めたのか、放し飼いにされた地上人はおざなりに彼を指差して顔をしかめた。

「誰、そのおっさん?月って兎のほかに鼠もいるわけ」
「……なんだと?」

 政界の怨恨を一手に買っているこの男が、たかが地上の子供から受けた悪罵を本気にはするまいが。ついと顎を上げると、監査官は威圧の眼差しを霊夢へ突き立てた。ただし事前に、傍に控える部下への目配せも抜かりなく。

「穢らわしい。俗客がこうも品に乏しいとは思わなんだな」
「あん?」

 挑発を聞き咎めて、霊夢は臆することなく監査官を睨み返す。
 最悪の事態があっさり更新されてしまった。存外に大人げない××への苛立ちをよそに、依姫は慌てて霊夢に向かって声を荒げた。

「ちょっと、あなた少し落ち着きなさ―――」
「うっさいな。保護者ぶんないでよ」

 視線すら返さずに依姫の制止を一蹴すると、監査官と向き合ったまま巫女はある方の袖を腕まくりしてみせた。不適にほくそ笑んで、

「何さそのだっさい付け髭。ちょっと触らせなさいよ、本物だったら承知しないから」
「……ふん。構っていられるか」

 難癖なのか何なのか意味不明に喚きながら近寄ってくる少女に対して、監査官は聞こえよがしに呟いて(依姫より)半歩下がった。出来た隙間に割って入るように、警護役が霊夢の前に立ち塞がる。
 ふと、遠巻きに依姫らを盗み見るだけだった通行人たちが、徐々に人だかりを作り始めていることに気付いた。昨日までに住民のほとんどが霊夢の姿を目にしていた筈で、また何かしらのパフォーマンスと勘違いしているのかも知れない。収拾つけようのなさに依姫が戸惑っているうちに、両者の取っ組み合いが始まった。

「誰よあんた?何すんのよどきなさいよ、ってか離れなさいよ。言っとくけど私、空腹ん時よりお腹一杯な時の方が凄いんだからね!聞いてんの、あ、ちょ、なぁぁぁ」

 腰溜めにがっぷりと抱き阻まれて、巫女が歩道の彼方へと押しのけられていく。大して派手な喧嘩でもないのに、玉兎からは歓声が上がった。調子づいた彼らを諫められる自信は依姫にはない。隣では、巡回中に騒ぎを聞きつけたらしい飼育係に監査官が何やら言い含めていた。曰く、あの地上人は君らの管轄でないから、兎どもまで乱闘を起こさないようにだけ注意しておけ。それと機動隊の出動は不可だ。
 走り去る月人には目をくれず、監査官は再び騒動の大元を眺めやった。部下の手際の悪さを短く罵ってから、今度はその渋面をこちらへと向ける。相手の心労を流石におもんぱかり、依姫は甘んじて彼が口を開くのを待った。

「君が師の志を継ぎたい気持ちは分かるがね」

 一拍、小さなため息を挟む。冗談としては酷だと思ったのだろう、しかし告げた。

「あまり奇妙なペットばかり飼っていると、君にまで匂いが伝染りかねんよ?」

 言葉が一刺しの針となって心臓にくい込む。
 怒りだと思っていた。待ちかまえていた侮辱に対して沸くものは。が、一抹の理性に水を差された。
 その場に縫い留められたまま、依姫は××を見返す。彼の厳めしい表情の片鱗に滲んでいたのは、同情だった。彼女が穢れに染まりつつあると嫌味を謳い、そのうえで哀れんでいる。それを察してまで反発しようというなら、私は本当の愚者に成り下がってしまう!
 依姫は絶句し、監査官もまたそれ以上何も言ってはこない。しかし沈黙はすぐさま、鈍い打撃音とどよめきとに破られた。不穏な空気を感知し、二人は揃って振り返る―――どこへ?決まっている。
 歩道に寄り集まっていた群衆が、やや中心から遠ざかっていた。彼らを押さえつけていた飼育係までが揃って呆然と見つめているのは。ひび割れたサングラスを掛けたまま路上に昏倒する警護役と、どこから取り出したのか大幣(何故か血がこびりついている)を掲げて仁王立ちする巫女だった。ひん曲がったリボンや土埃にまみれた衣装が戦闘の苛烈さを物語っている。彼女はまっすぐにこちらを…厳密には依姫の隣の男を睨んでいた。忌々しげに呟く。

「髭ぇぇぇ……」
「馬鹿な!?」

 悲鳴を上げ、ついでに口元を押さえながら××は少女の周囲に視線をさまよわせた。が、地上人を捕まえようなどという勇敢な輩が玉兎の中にいる筈もない。同様に、飼育係も動こうとはしなかった……彼が口出ししたのだから、あの巫女に関わるなと。
 警護役……というより最早ただの気絶した女子を跨いで越えると、霊夢は再びこちらへと近付いてきた。その瞳の奥にたぎるものが、つい先ほど自分が抱く事の出来なかった感情だと悟って。咄嗟に依姫は、監査官を庇うように少女の前へと立ちはだかった。この期に及んで体面を気にしているのか、後方から当惑した声が聞こえてくる。

「依姫くん?何を……」
「お逃げください××様。あの者は穢れを撒く術を持っています―――霊夢、落ち着きなさいと言っています!」

 口早に囁いたあと、ついで目の前の少女へと叫声を浴びせる。舌打ちして、霊夢は不承不承立ち止まった。ただし気を静めた様子など微塵にもなく、依姫に負けじと声を張り上げてくる。

「保護者ぶるなとも言った。それと袖返せ。あとどいて」
「彼は都の役人です。無礼を働けばどうなるかわからないの?」
「無礼はどっちだ。穢らわしいだの何だのって、女の子に向かって言うようなことじゃないでしょ普通!?」

 上擦った怒号と共に、手にした大幣で天を衝く。途端、巫女の身体が宙へと浮かび上がった。
 空飛ぶ地上人を間近で目撃した玉兎の群れは波打つように騒ぎたち、なかには無意味に泣き叫ぶ者もいた。背後からまで騒がれないで済んだのはありがたかったが、監査官が息を呑む気配は伝わってくる。この男の事だから吊り糸でも探そうとしたかも知れない。何にせよ、彼が避難してくれなければ依姫もまたこの場から動けなかった。
 八方から注がれる奇異の眼差しなどまるで意に介さず、霊夢はただ一点だけを見捉えている。青い惑星を後光のように背景に纏った少女の姿は、それこそ幼い悪神のようではあった。妄想を振り払って依姫は叫ぶ。

「降りなさい!あなた、何がしたいの?」
「レミリアが悔しがるさまを見るのも悪くないっていうのよ」

 誰だって?依姫が言葉に詰まるうちに、霊夢が懐から取り出したものがあった。掌に収まるほどの小さな札の束。背筋に走る怖気から嫌なほど察しがつく……この町中で"あれ"をやるつもりか?答えは巫女の表情が物語っていた。

「私の物とは言わない。こんな町、月ごとかち割ってやる!」

 高らかな宣言とともに、札が一斉にばら撒かれる。巫女の狂言にどよめきつつ、群衆はしばらく飛来する物体を凝視していたが。次第に近づいてくる無数の札が距離感とは関係なく人間大にまで巨大化し、それらが路面を裂いて足元に突き刺さるまでには、まさしくなんとかの如き俊敏さで行動を開始していた。
 右から左へ、あるいは逆方向に悲鳴を響かせながら散り散りに逃走する玉兎らをよそに、依姫はやや身を屈めてそこに留まる。霊夢の態度の豹変ぶりがあまりに不可解だったせいもあったが。飛び交う弾幕―――と言っていいのか?―――の軌跡に彼女へのそれと同じものを感じて、視野へと意識を集中させる。
 空中の巫女から繰り出された正方形の薄盤は、着弾する直前に地面から逸れて、動くものを追尾しているようだった。建物や並木の側面を抉りながらも、近くに標的がいれば盤面を翻してそちらに向かっていく。そのせいで弾幕は無数に湧きはしないが減る事もなく、まるで町中を覆い尽くすかのように目まぐるしい。おまけに緩急も自在なようで、地を駆ける兎たち以上の卓越した動きで彼らを阿鼻叫喚に陥れていた。
 が、誰も被弾していない。倒れている者もいなければ、血飛沫さえ飛んでこない。数を減らす事なく延々と逃げ惑う玉兎たちを、依姫は呆然と見送る。
そのために、正面から迫る弾幕への反応がわずかに遅れた。かわせない事もなかったが、刹那。

「―――危ない!」

 声に伴って背後から押し倒されて、依姫の後ろ髪を薄盤が掠める。慌てて起き上がり、目を見開いた。

「××様!? お逃げくださいと言いましたのに……」
「悪いがね、聞けんよ……子供を置いてなど」

 かろうじてそう呻くと、××は路上に踞ってしまった。弾幕で傷を負った様子ではない。どうやら依姫を庇って伏せた際にどこかしら打ちつけたらしい。彼の態勢に惨めを覚えたわけではないものの、こめかみに指を当てて依姫は捨鉢に叫んだ。

「非戦闘員に何が出来ますか!」

 空を振り仰ぐ。今の薄盤の挙動で確信を持つ事が出来た。超然と真昼の星海に漂いながら、霊夢の視線は相変わらず依姫たちを把捉して離れない。笑っていた。彼女はこの弾幕をコントロール出来る。
 何が知的で美しい決闘だ……胸中で吐き捨てる。愚痴のほかにも、色々なものを。腰脇を押さえて起き上がらない監査官、疲弊し錯乱しながらも足を止めない玉兎たち。彼らを視界の隅に追いやって、依姫は空中の少女と向かい合うように直立した。
 脳裏に焼きついて離れない光景もまたあった。部下たちの馬鹿面はいつだってこれ以上ないほど洗練されているし、姉はふやふやしてぽけぽけしてついでにやっぱりいつも笑っている。熱い水滴に穿たれて洗い流されてしまうような、根の浅い未練でないとはわかっているけれど。もういい。

(返せというなら返してやる。私の弾幕を魅せてやる……)

依姫はありったけ胸を張るとともに、頭上へ大きく腕を掲げた。

「"袖もぎ様"よ!」

 招喚に応えて、差し出した供物がほのかに戦慄く。まるで生命が宿ったかのようにその震えは次第に増して、強く掴んでおかなければ取り零しかねないほどにまで暴れ始めた。
 周囲の乱痴気騒ぎはいまだ冷めやらず、呼び出す相手の気概によっては憤慨しただろうが。更に踏み込んで願い、唱える。

「音を超え光を超えて、落とし主の元へと還りなさい!」

 依姫が拳をほどくや否や、掌中にあった筈の感触が掻き消えた。遅れて目で追えばその先には霊夢がいる。おそらく彼女からはよりはっきり見えたに違いない。大気摩擦も皆無なら質量も布切れそのままでしかない"それ"が高速で迫り来るのを、巫女は両腕を身体の前で交差し身を縮こませて回避に徹したようだった。
 が、追尾性なら相手の弾幕に劣らない。巫女の袖の片割れは軌道をひん曲げて持ち主に追い縋り、その前腕に直撃する。それだけでは、彼女を撃墜せしめる威力に至らなかっただろうが。
 弾幕にはじかれた片腕の拳が、額の絆創膏を殴打して。再び鮮血を撒き散らしながら霊夢は、今度は更衣室の天井よりは高い位置―――地上から月面へと落ちていった。それを見届けてから、依姫もようやく腕を下ろす。
 射手に倣うかのように、商店街の一角にせめぎあっていた薄盤の大群は唐突に失速し、もとの小さな紙片に戻っていった。凄惨な破壊跡に紙吹雪のように巫女の札が降りしきるなか、危機を脱した玉兎らはみな気力も絶え絶えに立ち尽くすなり座り込むなりしている。ようやく復活した監査官は、結局召集されたらしい機動隊員たちにこれは何の催しなのかと尋ねられていたが。
 誰もが見ていた。地上人のくだらない遊びに付き合って競り勝ち、まんざらでもない面持ちを湛える自分を。彼らの疲れ果てた眼差しと、どよめき巫女を仰いでいた時のそれとの差異は、果たして依姫には判断つかなかった。

<つづく>
中編=読み飛ばしていい話。前後編を書いていたはずなのに不思議!
それといまさら断っておきますが、"依×霊"の"×"はカップリングではなくヴァーサスです。ヴァーサス

~ ジャンピング土下座のお知らせ ~
上記のやつですが、イチャイチャ話をほのめかしといておっさんとか出しちゃったから冗談で言っただけです。紛らわしくてすみません
大丈夫。イチャイチャする。抱かれる
転寝
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
バトルとは意外な……でも面白いぜ。

>ピース写真
さすが輝夜だ、追放されてもなんともないぜ。
2.名前が無い程度の能力削除
依霊はヴァーサスですか…最終的には河原で殴り合って笑い合うのですね、わかります。
3.名前が無い程度の能力削除
霊夢の暴れっぷりはすさまじいなあ。
後編が楽しみです。
4.名前が無い程度の能力削除
後編で戦うんですよね?
今回の霊夢が起こした騒動がバトルじゃないですよね?
これだと戦いにすらなってませんし。
5.名前が無い程度の能力削除
驚かせないでくれ作者さんwww
後編期待してますぜ!!
6.名前が無い程度の能力削除
>それといまさら断って~
で心臓が止まりかけたがちゃんとイチャイチャするようで一安心