Coolier - 新生・東方創想話

東方緩饅頭~群馬が幻想入り~

2014/10/28 02:08:17
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 半霊に塩をふりかけていた幽々子様に、峰打ちで折檻をかます。そんな普段と変わらない初夏の昼下がりのはずだった。

「ち、違うのよ、妖夢。この塩は夏だから防腐剤の代わりに……」
「人魂が傷むわけないでしょう。腐っているのはご自身の脳みそです」
「でも、定番でしょ? スイカに塩とか」
「食べる気満々ですね。本心を隠すなら最後まで徹底していただきたい」
「痛っ、痛ぁッ! やめて、お願い、頸動脈を執拗に叩くのはやめてちょうだい!」

 居間でひざまずかされながらも必死に折檻を避けようとする幽々子様。
 自分でも主に手を挙げるのはどうかと思わないでもないが、従者をおやつ代わりに食べようとするのもどうかと思うのだ。我が分身から伝わる妙な感覚に気づいて現場を押さえなかったらと思うと、ゾッとする。
 半霊はこれまでも天ぷらにされかけたり、ソフトクリームよろしくコーンに載せられたりした。半霊以外にも幽々子様の食事に関する粗相は頻発しており、昨夜はお夜食にとこっそり米俵一俵を消費しやがりなさった。私はその度その度、慈愛の精神でもって竹竿や素足といったものを尻や膝裏などに叩き込んできたのであったが、なのに今回の愚行である。

「本当は峰でない方で叩きたいんですけどね」
「折檻の範疇を超えてる?! やめて、死んじゃう! 叩くどころか叩き斬っちゃって、本当に死んじゃうから!」
「亡霊の身で死を恐れる必要などないでしょう」
「その刀、幽霊も斬れるやつじゃない!」
「ん? そういえば今気づきました」
「白々しい! いくらここが白玉楼だからって!」
「いいじゃないですか、どうせ腐った中身です。頭部ごと切除することでリフレッシュできますよ」
「私はアンパンマンじゃないわよぉっ! ちょっ、そんなことを言っている間にも、いつの間にか刃の側がこちらを向いて?! 妖夢は私に消滅してもらいたいのっ?」
「最近疲れ目が酷くて、どちらが刃か峰か判別しかねまして……ええ、まったく、ちょっとした事故が起きても仕方ありませんね」
「白々しい2ndシーズン?!」

 居間の前に広がる庭木は、午後の陽光を浴びて濃い緑を生き生きと見せている。このあつらえたかのようなシチュエーション。絶好の処刑日和と言えよう。

「幽々子様、死ぬにはいい日だと思いませんか?」
「よ、妖夢、あなたが何を言っているかわからないわっ」

 幽々子様の瞳の中には、楼観剣の刃と我が眼光、それら鋭い輝きが映っていた。我ながら殺す気満々だなと思った。
 土壇場の幽々子様は青ざめた顔であたふたと慌てふためいてらっしゃったが、やがて意を決した様子で顔を横に向けた。
 死の覚悟を決めたのか?と思いきや、指で耳を折り畳む。

「む?」
「ギョ、ギョウザ!」

 身体表現によって為された一個の小籠包。目にした途端に頬が緩むのを感じる。殺意が大きく削がれる。
 だが、その手は昨夜も使われたもの。同じ技が二度通用するなど甘い考えだ。ヒクつく口の端を抑え、刀を振りかぶる。
 しかし、さすがは幻想郷の実力者の一・亡霊の姫君といったところだろうか、こちらの予想だにしなかったことをやってのけた。
 幽々子様の耳を押さえていた手は頬に移り、親指と人差し指で頬肉を丸く象ったのだ。そして、一言。

「……タコヤキ!」
  
 まさかの二連撃。これには私の鋼の精神も脆く崩れ去った。

「くっ、くく、卑怯ですよ、幽々子様、ぷぅ、ぷはははははっ!」
「ほら、妖夢、タコヤキよ! できたて! ギョウザももう一個!」
「おっおやめください、あはははははっ! はっはははは!」

 耳と頬でギョウザとタコヤキが交互に生成と消滅を繰り返す。その目くるめく輪廻転生劇に私の腹筋は小躍りし続けた。
 そのようにして我が主が笑いのセンスを爆発させ、私が抱腹絶倒を享受しているところへ、第三者の声が掛けられる。

「……何をやってるのよ」

 空間にスキマが開いて、呆れた顔の上半身が現れていた。幽々子様のご友人、八雲紫様だ。
 幽々子様はパッと安心した表情になり、顔から手を離す。

「紫、いいところに!」
「お取り込み中のようだけど大丈夫かしら? 何かの儀式の最中なら少し待つけど」
「いいのよ、いいの。ほら、妖夢、お茶を用意して」
「か、かしこまりっ、ました、ぷっくく、」

 私はなおも込み上げる笑いを抑え、震える四肢を何とか動かして居間から身体を退出させていく。
 遠ざかる中にも、お二人の会話が聞こえた。

「さっきの何? 異文化なスキンシップ?」
「違うの、紫。あれが首切り役人に対する免罪符になるのよ」
「あれって、『あれ』? 駆け出しのパントマイマーもやらないようなあの芸が? タコヤキって」
「だってあの子、笑いの沸点がすっごく低いんだもん。むしろアメリカンジョークとか理解できないと思うわ。だから、ことあるごとに披露して誤魔化してるの」
「突発的にやれるネタだから緊急の事態に対応させやすくもあるのね」
「ただ、何度も何度も持ちネタみたく連発してると、その都度、私の精神とかプライドとかがゴリゴリ削られていくのよ……」
「そりゃギョウザにタコヤキじゃあ……。というか、いい加減従者に殺されそうなおイタはやめなさいよ、幽々子」

 会話の意味するところはよくわからなかった。
 幻想郷の重鎮たちのお考えは深遠であり、一介の庭師に理解できるはずもない。
 お盆にお茶を載せて居間に戻ってきてみると、幽々子様と紫様は座卓を前に正座で向かい合っていた。どちらも真剣な表情。
 失礼します、とお茶をお出ししても、お二人は返答すらされなかった。話し合っている案件が余程のものであることが察せられる。近くに座り、耳を傾けた。

「そりゃあ他ならぬ紫の頼みですもの、快く聞いてはあげたいけれど、私にも譲れないところはあるわ」
「私も幽々子の言うことなら大抵のことは受け入れるけど、可能と不可能の境界はそうそういじれることではないの」

 普段は仲睦まじく接する間柄が、今は双方の視線から火花さえ散りそうな様相を呈している。一体何事だろうか。

「八俵。そのお願いならこれ以上はまからないわ」
「ボリ過ぎよ。三俵が限度ね。幽々子はうちの食卓からお茶碗を取り除きたいの?」

 どうやら報酬の交渉だったらしい。無駄な緊張感を醸し出していたようだ。
 その後、「ご飯がないならパンを食べればいいじゃない」「幽々子こそフライパンでも食べてたら?」「調理器具をかじると妖夢が怖いのよ」などのやり取りを経て、報酬は五俵半で決着した。
 幻想郷の重鎮たちが米俵であそこまで白熱できるのだと私は初めて知った。なお、米一俵で主に殺意を抱いた過去は棚に上げておく。
 それにしても……紫様が幽々子様に依頼したらしい「お願い」とはどのようなものなのかが気になってしまう。まさか宴会場の提供などといったもので五俵半はないだろう。
 私のその疑問は、幽々子様の次の言葉で早々に明らかになった。

「じゃあ、見返りも定まったところで、聞かせてくれるかしら。何が幻想郷にやってきて異変を引き起こすの?」

 息を呑んだ。
 なんと持ち掛けられたのは異変の解決だったのだ。
 経験がないわけではない。かつて私は幽々子様と「偽りの月」異変の解決に動いたことがある。あれも紫様の依頼だった。相当の実力者が巻き起こしただけあって相当に骨が折れたし、ゆえにこそ異変の名が冠せられた一件であったが、多くの力が結集したこともあり無事に終息した。
 それでも同位の脅威が襲来するとは驚きである。異変ほどの大事件は滅多に起こるものでは……ああ、まあ、思い返すに自分たちも「終わらない冬」を起こしたし、他にも様々それなりの頻度で起こっているけれど……「幻想郷にやってくる」との言葉から察するに、神仏をも含む実力者たちに並ぶ存在が外界から訪れるということになる。これについてはそうあることではないだろう。
 ん? そういえば、守矢神社の例もあったか。実はよくあることなのかもしれない。

「やってくるのが『何』か、ね……」

 紫様は口ごもるというほどではないにせよ、言葉が喉奥につかえているご様子だ。お茶を一口すすって、口を湿した。そして、言う。

「──群馬よ」

 グンマ。その響きに底冷えするものを感じた。「魔が群れる」と書いて「群魔」か。その名の通り、禍々しい冒涜的な何かの集合体なのだろう。

「聞いたことがあるわ」

 幽々子様が口元に手を当てている。

「確か、秋頃になると脂がのって美味しいのよね」
「サンマよ、それ」

 あら残念、と幽々子様はジュルルとよだれをすすった。口元の手は記憶の反芻の仕草じゃなかったらしい。本当に食べ物のことしかないな、この方は。
 紫様は小さくため息をつく。

「知らなくても無理はないわ。全国の都道府県で知名度・ブランド力、共に最下位だもの」
「トドーフケン? そのうちの一つですか」
「ええ、『群れる馬』と書いて『群馬』。とある辺境の地名よ。上州や上毛とも呼ばれているわ」

 「群馬」が正しい表記か。「群魔」よりは牧歌的な印象になった。そして群馬とは地名のことらしい。想像するに、そこの住民は幼少の頃から乗馬を嗜みつつ馬刺しを主食とする遊牧民的蛮族なのだろう。
 しかし、別の疑問が出てくる。
 群馬は辺境……つまりは最果ての土地とのことだが、土地そのものが幻想郷にやってくるというのが理解を超えるのだ。天界のように宙にぷかぷか浮いているのか、群馬とやらは?
 私の疑問を察したのか、紫様が言う。

「そうよね、『群馬が来る』って言われてもどんな形で来るのか理解が難しいわよね。前例のないことだもの、私もどう言っていいものか迷うわ」
「言いづらそうにしていたのはそこだったのですね」
「あ、でもでも紫、八百万の神様たちの中には土地そのものの神様っていたでしょう」
「幽々子は古事記の記述を言っているのね。確かに、たとえばイザナギとイザナミが産んだ子供たちは淡路島を始めとして、他にも……」

 言葉を途切れさせて、紫様は首を振った。

「やめときましょ、話がズレちゃうから。そういう形態で入ってくるならまだ良かったのだけどね、今回は違うの」
「え? では、やはり大地ごと……」
「それも違うの。適切な言い方かわからないけど、やって来るのは『群馬の概念』よ」
「概念?」
「群馬の風土・文化・歴史・名産品などの諸々がまとめて『存在』となってるの。これが本当に厄介。ただの物品と違って意志があるから襲撃の可能性が出てくるし、人の形を取る神や妖怪とも違うからコミュニケーションも難しいし」
「『意志のある無形のもの』というと『呪い』や『思念』に近しい存在なのでしょうか」

 私の見解に、他にどうとも言えないわね、と紫様は答えた。肯定と受け取れなくもないが、困ったような笑顔からストライクゾーンから外れた見解だったとわかる。大暴投になってないというだけだ。
 対象は未だにとらえどころがないまま……。深刻な空気が漂おうというその時、幽々子様が紫様の袖を引いた。

「ねえねえ、名産品っていうと、群馬の美味しいものとかあるの?」

 緩んだ顔に期待の瞳を輝かせている。異変の対策など一切眼中にない。先ほどの大暴投を具現化する能力が私にあったら、間違いなく顔面に故意の死球としてぶち当ててただろう。
 なのに、紫様はこの場をわきまえない態度に対して、

「もう、幽々子ったらしょうがないわねえ」

などとスキマに手を入れて期待に添える品を出そうとしている。
 まるでのび太に秘密道具を出さんとするドラえもんだ。何だかんだで幽々子様に甘い御人なのである。個人的には、脳天渦巻き幽霊が調子にお乗りあそばすので、甘やかしは控えていただきたいのだが。
 一方で、群馬の物産が如何様なものか気になっている自分もいる。
 以前、紫様に食べさせていただいた羽生蛇村とかいう地の名産品「はにゅうめん」は酷かった。醤油ラーメンにイチゴジャムを山盛りにした一品で、その晩は赤黒い激流に呑み込まれる悪夢に悩まされた。
 まさか群馬といえど、あそこまでのメシマズな食文化を醸成しはしないと信じたいが……

「わあ! それがそうなの?」
「ええ、群馬中部は伊勢崎の名物、『伊勢崎もんじゃ』よ」

 黒い鉄板風の大皿が座卓に置かれた。皿には既にジュージューと熱い音を立てている生地があった。
 鼻腔をくすぐるのはえも言われぬ香り──これを良い匂いと言い切れたら良かったのだが、奇妙なそれという意味が多分に含まれている。
 いささか嫌な予感がしたので、聞く。

「もんじゃ焼……ですよね、これ。具材が群馬の特産品なんですか?」
「あ、全然無いわよ」
「え?」
「イチゴシロップとカレー粉が入ってるの」
「はにゅうめんをさらに上回って?!」

 どうしたらそんな食べ合わせを発案・実行できる? しかも故郷の名まで冠して。そこまで異次元か、群馬!

「カオスに過ぎます! もんじゃとイチゴシロップとカレーを混ぜるって、下町の小僧とメルヘン少女とインド人をバトルロワイヤルさせるようなもんですよ!」 
「ええ、B級グルメグランプリに参加すらしない一品よ」
「なんでそんなもの出すんですか!」
「地元でも評価が分かれて、口にしたこともない人のが多いわ」
「だから何でそんなもの出すんですか! 食べられるわけ、」
「美味しいわ、これ、すっごく美味しい!」
「…………」

 幽々子様は大変満足しておられた。空の皿を片手に嬉しさの声を上げている。
 って空の皿? 食べるの早すぎだろう。もんじゃ焼って素早く食ったり食えたりするものだったか?

「気に入ってもらってよかったわ。まあ、幽々子だったら、食べろって言われたら机でも飛行機でも潜水艦でも食べると信じてたけど」
「うふふ、任せてよ」

 ドンと自らの胸を叩く幽々子様だが、暗に馬鹿にされてませんか、それ。

「もっと食べたいわ、群馬の食べ物! ねえ、お願い、紫!」
「ふふっ、じゃあ『焼きまんじゅう』なんてどうかしら。群馬のソウルフードよ」
「焼いたお饅頭ですか?」

 時間が経って硬くなった温泉饅頭を火にあぶって食することは経験があった。香ばしさが付加されて乙な味わいだったと記憶している。

「うーん、きっと想像しているのとは違うものよ。中身のない素饅頭に、甘味噌ダレをつけて焼いたものなの。四つのそれが一つの串に刺さっているわ」
「ああ、それは普通に美味しそうですね」

 みたらしの串団子を想起する。人里に行ったとき、茶屋で二人の少女が並び座ってそれを食べていたのを見かけた。あのような軽食の形で焼きまんじゅうは群馬にて親しまれているのだろう。
 紫様が宙に指先で線を引くと、すぅっとスキマが開き、ゴトリと尺皿──直径約30㎝の丸皿が座卓に置かれた。
 これほど大きい皿、となると焼きまんじゅうも串団子よりは大きいのか。それとも大食いの幽々子様のことを考えて数多く載せられるのだろうか。そんなことを思っていると、同じようなスキマが次々開いた。

「えっ」

 ゴト、ゴト、ゴトゴトゴトッ。
 尺皿が合わせて十枚ほど横一列に並べられた。
 何ですかこれ、と言う前に、全ての皿を打ち鳴らして「それ」は落ちてきた。

「  」

 意識の空白が絶句を生んだ。
 「それ」は軽食というにはあまりにも大きすぎた。大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。それはまさに塊だった。
 5、60センチもの白く丸い座布団に茶色の粘液がべったりとついている。それで一つ……ようやく一つだ。なんと、「それ」は同じものが四つ、連結しているのだった。3メートルはあろうかという串に貫かれて。
 先の紫様の説明に合致した特徴を持っているにも関わらず、「それ」が焼きまんじゅうであることを理解するのに時間を要した。
 このようなものを群馬の女子たちは軽々掲げて食うのか。茶屋に居並び、嬉々として食らいつくのか。私の楼観剣の二倍をさらに上回る長さ。恐るべき怪力に身震いする。まるで鬼の一族だ。

「伊勢崎で行われる上州焼き饅祭で焼きあがったものをいただいてきたの」

 また伊勢崎か! 奇怪な食物に、跋扈する鬼女──イセサキとは「異世界のその先」の略称なのではないかと疑いたくなる。

「わぁ、これは食い出がありそうね! いただきまぁす!」

 私の混乱とは対照的に、幽々子様はマイペースを崩さず、焼きまんじゅうを箸でちぎって口に入れ始める。さすがにマンガ肉のように両端を持ってかぶりつくことはしなかったか。
 私は一見しただけでお腹いっぱいだ。紫様も手を付けるような様子はない。幽々子様お一人でこの量を食べるとなると、伊勢崎もんじゃとは違って時間が掛かるだろう。無論、食い切れない心配は一切していない。
 それにしても、食べ物だけでこの衝撃だ。

「群馬の地はどのような環境なのだろう……」
「そうね、一言で言うなら、」

 私のつぶやきに、紫様が顔をこちらに向けてお答えくださる。

「およそ常人の住むところではないわね」
「やはり」

 予想していたことだが、確信して頷く。
 紫様のお言葉は信頼するに足るものだ。幻想郷へ外からやってくると事前にわかっているものに対しては、できうる限りの調査をし、理解を深めるという姿勢でいらっしゃるからだ。
 以前に「自動車」という乗り物──何とかセブンという固有名があるらしい──が幻想郷にやってくるときも、「ハイオクをリッター2で燃やしてオニギリ回転でターボする」といったようなことを詳しく説明していただいた。よくわからなかったが。
 その後、その乗り物を快く出迎えた紫様は、さっそく乗り込むと妖怪の山へと爆走、「峠を攻める」などして大いに顰蹙を買ったらしい。どのような行為だったのだろうか。
『あはは、頭文字がDの人に怒られちゃったわ』
『……大天狗様のことですか?』
 悪びれずに言う紫様に毒気を抜かれ、あの時は結局聞きそびれてしまった。
 まあ、それはともかく、群馬である。
 
「お聞かせ願えますか」
「そうね、何から話したらいいかしら……世紀末を扱ったSFとか知ってる?」
「SF?」
「破滅的な未来を描いた物語と言えばわかるかしら」
「そう言っていただければ、ある程度想像は」
「その中には『酸の海』を扱ったものがあるわ。生き物が棲めず、物を溶かす海ね。……あら、何でそんな話をするのかって顔してるわよ」

 実際その通りの顔をしていたのだろう、私は。
 だが、そう言われることで察しがついてしまった。ゴクリと生唾を飲み込む。

「まさか、」
「ええ、そのまさかよ。虚構じゃなく現実にあるのよ、群馬に。世界一酸性度の高い湖『湯釜』、そしてその近くを流れる『吾妻川』がそう」
「地底の旧地獄などの話ではないですよね」
「紛れもなく群馬の話よ。ナイル川や黄河といった川は人を育み文明を作り出したけれど、群馬の川は破滅を導くの」
「恐ろしい……」
「地面から噴き出す毒ガス・硫化水素をたっぷり含んだ川水は、強酸の流れとなり、魚も何も生息させず、鉄やコンクリートなどの建材も溶かしてしまう。そこで一日50トン以上の石灰で中和して、どうにか生活できるようにしてるの」
「キロにして日に50000……!」
「一年でざっと2万トンね」
「そこまでしないと生きるのに適さない地獄なのですね、群馬という極地は」

 なるほど、これでは少女も怪力にならざるをえまい。生命をふるいにかける日々の末、天然の生物兵器を創出する地が群馬なのだ。

「聞いて良かったです。敵として相対するのであれば、相当の難敵となるでしょう。そこからだけでも必要な覚悟がわかりました」
「まだまだ他にも、暴風・雷撃・灼熱といろいろあるわ。いずれはご対面、百聞は一見に如かずとなるけど、事前に知っておけることは知っておいた方がいいものね。とは言っても、群馬がどう出てくるか……敵として来るかは不透明なんだけど」
「これまでのお話から、懸念を抱くに十分といった印象を持ちましたが」
「納得ずくで幻想郷にやってくるなら問題はないのよ、納得ずくならね。でも……」
「群馬はそうではない── 意にそぐわない形で来ると?」
「可能性としては濃厚ね。いくら異質の存在とはいえ、日の本の国の一部であるという自負があれば、幻想郷に入ることを望むはずがない。知名度最下位、つまりは忘れられてここに来るなど、屈辱と感じて不思議ない」
「ならば、恨みや敵意にまみれることも想定されて当然、ですか」
「そういうこと」

 おっしゃることは筋が通っている。しかし、どこか引っ掛かるところもないわけではない。それが何かもわからないのは、まったく自らの不明のいたすところだが。
 そこにふっと別の疑問も降りてくる。

「そういえば、この群馬襲来の一件、霊夢さんはご存じなんでしょうか」
「えっ」
「霊夢さんです。異変に絡むのならばどうしてこの場にいないのか、ちょっと気になったもので」

 これまでの異変の全ては、霊夢さんが解決に関わっている。
 「偽りの月」の件でも、私たちは霊夢さんと共闘したのだ。紫様が異変の相談を持ちかけるのは何を置いても霊夢さんのところへだし、共闘の打ち合わせを白玉楼で行ったときも紫様の横には霊夢さんがいた。
 いや、正確には「霊夢さんの横に紫様がいた」か。
 紫様は霊夢さんを溺愛しており、事あるごとにちょっかいをかける。時と場所を問わないスキンシップを図る。霊夢さんの冷淡さも何のその、積極的にまとわりつく紫様なのだった。
 そういうこともあり、ここに霊夢さんがいないことについて今更ながらに違和感を覚えたのである。
 とはいえ、

(まあ、霊夢さんのことだ、「昼寝で忙しいから」といった怠惰な理由だろう)

などと、自分で言っておいた直後に推測してしまうほどに、他愛ない質問だった。そのはずだった。
 だが、どうしたことか、紫様は顕著に態度を豹変させたのだ。

「えっ、あっ、ええと、そのね、あははははは」

 何一つ意味のある言葉を発してない。両手が頬に、後頭部に、宙にと縦横無尽に動き回る。これ以上はないという挙動不審だ。

「あの、紫様?」
「あ、霊夢ね、霊夢、うん」
「何かあったのですか?」
「……ごめんなさい」

 なぜ謝るのか。なぜ未だに理由が話されないのか。私の頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいたに違いない。
 紫様は顔を伏せ、しばし口をモゴモゴさせていた後、ようやく言った。語勢の落ちた声だった。

「今、見せるわ。霊夢の、なれの果てを……」
「はい?」

 力なく指で線を引く紫様。スキマが開き、そこからドタッと何かが畳に落ちてきた。
 生首だった。

「なっ」

 冥界という場所柄、人頭というだけで私は驚きはしない。だが、見知った特徴がそれにはあったのだ。つややかな黒髪、筒状にまとめられたもみあげ、後頭部の大きな赤いリボン──霊夢さんのものだった。
 かなり下膨れてはいたが、それは霊夢さんの生首だったのだ。

(こ、殺されて……? 誰に? どうしてっ?)

 混乱する思考に追い打ちをかけるように、生首はにこやかに私を見上げる。信じられないことだが、生気にあふれていた。

「ゆっくりしていってね!」
「?!」

 呼びかけられた。幼児とも腹話術ともつかない声で。
 わけがわからない。ここは私の自宅だというのに、なぜ相手側からくつろぐことを勧められているのだ。いや、本題はそこではない。

「ど、どうなってるんですか、何ですか、これっ?!」
「お饅頭妖怪『ゆっくり』よ……」
「ゆっくり?! あの、さっぱり何が何だかっ? 聞いたことがない妖怪だし、そもそも何で霊夢さんが妖怪化するんですか!」
「空腹をこじらせて……食べ物を求めるあまり、自らの身体を食べ物にしちゃったのよ」
「えええっっ」

 無茶苦茶な理屈だ。──が、考えられないこともなかった。
 餓死者がヒダル神などの妖怪になることは有名だし、食べ物の妖怪ならば熟柿が変化したタンタンコロリンなどが存在する。それらを合わせると紫様の言も通る、か?
 年中空っぽの賽銭箱を覗き込み、お腹を鳴らしていた霊夢さんが、饅頭の妖怪に変貌してしまう……やはり突飛もなく感じるのだけど、しかしながら何より眼前の事実「お饅頭型の霊夢さん」が存在する以上、一概に否定できないのだった。

「ゆっくりしていってね!」

 ゆっくりの霊夢さんはもう一度さっきの台詞を言った。一点の曇りもない瞳に、無邪気な笑顔。こちらの懊悩もどこ吹く風だ。
 紫様が言う。

「ゆっくりは自分にも他人にも『ゆっくりすること』を求める妖怪よ。だからゆっくりと呼ばれているの」
「普段は掃除以外、お茶を飲んでいるか、寝ているか、賽銭箱を眺めているか、そのどちらかしかしてない霊夢さんですから、そうなるのはある意味自然なのかもしれませんけど、」

 天真爛漫な丸顔と改めて向かい合う。

「やるときはやるクールな一面もあったのが、もはや欠片も感じられませんね」
「私が、いけないの」

 がっくりとうなだれる紫様。

「私が霊夢の腹ペコを放置していたばっかりに……ううっ」
「放置? そういえば、今回は差し入れはなされなかったんですか?」

 白玉楼へも幽々子様に多種多様な名物・珍味を持ってくる紫様だ。博麗神社においては言うまでもない。姿を変貌させてしまうほど、巫女の腹を空にするなど考えにくいのだ。
 私の問いに対し、紫様は両手で顔を覆い、嘆く。

「だって、だって、霊夢ったら食べ物持ってっても当たり前みたいな顔するようになったんだもの。だから、少しはありがたみをわからせて、あわよくば恩を売って私に依存させて……」

 えー……。

「やっぱり、ダイコンを丸かじりし出した時点でどうにかすべきだったわ。なのに、私は霊夢の食事が雑草から木の皮に移行したのもシメシメとほくそ笑んでいたの、よよよ」

 よよよ、じゃないだろう。
 関係各所から「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ」と言われかねない。
 紫様、やっぱり何だかんだで幽々子様のご友人なだけあるな。
 可哀想なのは霊夢さんだ。屈折した愛情の犠牲となり、下膨れた饅頭と化すとは…………おや?
 ゆっくりの霊夢さんがいない。さっきまでそこの畳にいたのに。

「うわああああああ!」

 どことなく間の抜けた叫び声が上がる。そちらを見て仰天した。
 何と霊夢さんがリボンを箸でつままれ、その下には幽々子様が大口開けて待ち構えているではないか。

「へえ、この子のもち肌、本当にお饅頭のようね。匂いからすると中身はこし餡? 焼きまんじゅうとどっちが美味しいかしら」
「ゆっくりした結果がこれだよ!」

 絶体絶命の状況にも関わらず、霊夢さんの口調はのん気、口元には笑み。悲壮感皆無に見えて、だが、目の端に涙が浮かんでいるのを私は認めた。
 刹那、腰が浮き、右膝が立てられる。気合い一閃、

「破ぁ!!」

 居合の運足で間合いを詰め、腰だめの手刀を繰り出す。瞬間的な一連の動作により、すんでのところで捕食されそうな霊夢さんを脇に抱えた。
 刀で箸を斬る、何なら手首ごと、とも思ったのだが、それでは霊夢さんが口中に落ちてそのまま胃袋に流れ込む可能性があった。幽々子様に対する心配はもちろんしていない。

「妖夢、いつの間にそんなラグビー選手のようなボール奪取術を……」

 何やらおっしゃっているが、知ったことか。私はもちもちした感触の霊夢さんを畳に置くと、刀の柄に手を掛ける。

「またしても食欲に負け、非道な行いをなさろうとしましたね」
「ひぃっ」

 幽々子様はほとばしる殺気に脅える。半霊に引き続き、本日二度目──再犯の罪は重く、斬首の危機がより間近にあることを感じ取っているのだろう。死神が仲良さげに隣に座り、肩を組んでいるのが幻視できた。

「幽々子……私の霊夢を食べようとするなんて、いくらあなたでも許さないわよ」

 紫様もいつになくご立腹でいらっしゃる。怒りのこもった唇からつぶやきを漏らす。

「霊夢を食べるのは私の役割よ、性的な意味で」

 今のは聞かなかったことにしよう。
 そうして当の被害者である、ゆっくりの霊夢さん。こちらは両頬を膨らませてぷんぷん・ぷりぷりといった様子を見せている。何だか可愛らしい。癒される。
 いや、ともかく、この場にいる全員が幽々子様に対する敵意を帯びていた。
 四面楚歌のこの状況において、幽々子様の命は薄氷に立っている。首筋に刀の軌道を感じ、色白の顔をさらに白くさせている。残された手段は一つしかなかった。

「ちなみに、ギョウザとタコヤキはもうお腹いっぱいですからね」
「……!?」

 幽々子様の上げかけられた手が止まる。私の一言は、唯一の逃げ道すらふさいだのだ。

「覚悟はよろしいですね」
「まままま待って、妖夢」
「将棋と同じで待ったは無しです、幽々子様」

 いよいよ年貢の納め時ということだ。
 今まで年貢米を納められる大名のごとく米を胃袋に収めてきたのだから、因果応報、ふさわしい報いではなかろうか。

「生まれ変わったらゆっくりにでもなってください。そうすれば少なくとも首を斬られることはないでしょう、始めから生首なのだし。加えて、お腹がすいたらご自身を召し上がることもできます」

 既に処刑後の話をしている自分であったが、進退窮まったと思われた幽々子様には、実は残された道が一つだけあったのだ。
 幽々子様は冷や汗まみれになって言い放つ。

「梅干しっ!」

 頬を膨らませて顎を指差す。皺のある大粒の梅干しが創出されていた。

「ふっ、ぐ」

 噴き出すの堪える。ここに来て新ネタとは、陰ながらの研鑽、恐れ入る。
 だが、もはや落とし前をつけてもらわねばならぬ段階。ここで我が居合の一閃を止めるわけには……
 と、私と幽々子様の間に入ってくる者がいた。

「霊夢さん?」
「ゆっ」

 ぽむっ、と飛び跳ねて正面にやってくると、こちらを向いた。

「梅干しっ」

 大きく頬を膨らませ、上向きになって顎を強調する。
 なんと、霊夢さんは幽々子様と共演を果たしたのだ。幽々子様も頬を膨らませたまま目を丸くしている。
 予想外のダブル梅干しに、私の腹部が揺らぎかける──「揺ぐ」瀬戸際で留まっている。そう、まだ限界値を超えてはいなかった。だが、霊夢さんはさらに追い打ちを掛けてきた。
 私の半霊に飛び乗ると、得意満面でこう宣言したのだ。

「鏡もちっ!」

 私の鋼の精神は脆くも崩れ去った。反射的に手は柄と鞘から離れ、口に、腹にとあてがわれる。

「ぷはっ、ははははっ、あははははははははっ!」

 畳の上で転がるように爆笑してしまう。半霊と自らを平たい球状のおもちに見立てるとは! 即興でありながら洗練された一芸に、殺気などは雲散霧消してしまった。

「霊夢ったら……幽々子をかばって……?」

 紫様からも剣呑さは落ちてしまっている。被害者のはずの霊夢さんが、身を呈して幽々子様を守るという状況には、無理もない。

「ゆっくりしていってね!」

 見上げて呼びかける霊夢さんに、幽々子様は言葉を探していた。捕食しようとした相手が自分の命を救った。どう受け止め、どう返していいのか困惑しているのだ。 
 やがて箸を取ると、巨大焼きまんじゅうの端をむしり、霊夢さんに差し出した。

「……食べる?」

 霊夢さんは「ゆ!」と目を輝かせると、はむっと口に入れた。むーしゃむーしゃと味わって、美味しかったのだろう、声を上げる。

「メシウマ状態!」

 そして、さらなる焼きまんじゅうをねだって、開けた口を揺らした。
 幽々子様は焼きまんじゅうをむしって、差し出す。
 信じがたい光景だ。あの幽々子様がご自身の食べていたものを他者に与えているのである。食欲のためなら従者でさえも胃袋に収めんとするあの幽々子様が。

「私のために『梅干し』だなんて精神を削る行為をしてくれたのね。その上、『鏡もち』……あんなプライドをかなぐり捨てた……」

 語尾は消えていたが、唇の動きから判別できた。あ・り・が・と・う……だ。
 感動が私の胸にあった。
 我が主は、食欲より優先すべきものを霊夢さんから学んだのだ。
 敬意である。
 従者の殺意から守ってくれた恩人に対する感謝は──生きとし生けるものに対する敬意につながる。生き物を無闇に口に入れてはいけないとようやく学んだのだ。
 「美味しい?」と聞かれて、霊夢さんは「ヘブン状態!」と答えた。

「幽々子ずるいー、私も霊夢に餌付けしたいわぁ」

 新たな箸を取り出しながらの紫様の台詞だが、よくわかる。
 霊夢さんはハムハムと幸せそうな咀嚼を見せている。その笑顔に奉仕する喜びを幽々子様は存分に享受してるのだろう。
 饅頭妖怪が焼きまんじゅうを食べるのは共食いなのでは、という疑念もないわけではないが、笑いの落ち着いてきた自分にもやってみたい気が湧いてきている。
 だが、先ほど生じてつかめなかった「引っ掛かること」が、ここに来て輪郭を明らかにしたのだ。残念ながら、私にとっての優先事項はこちらだ。
 霊夢さんに近づこうとしている紫様を止め、尋ねる。

「あの、群馬のことで少々疑問が」
「え?」
「これまで見聞きしただけでも、群馬は特異な存在だとわかります」
「ええ、幼子だったらトラウマになりかねないほどのね」
「それだけ印象深い。しかるに、どうして知名度が底の底なのでしょうか」

 紫様は頷いた。

「強烈な個性と影の薄さが矛盾しているというのね」

 そう、そこが引っ掛かっていたところだ。
 仮にモヒカン頭のナマハゲがビキニ姿でサンバを踊ったとして、目の当たりにした者はそれを忘れられるだろうか。いくら記憶を消したいと願っても不可能だろう。群馬についても同様のはずなのだ。
 紫様はスキマの中に箸をしまいながら、答える。

「それについては良い例があるわ。群馬発祥の野菜でね、国分ニンジンというのだけど」
「その地特産の野菜……京野菜みたいなものですか」
「もっと限定されてるわ。群馬県群馬郡群馬町というグンマ・オブ・グンマの野菜よ。さらにその中の国府地域という聖域で栽培されてるの」
「ゆえに国分ニンジン、と」

 そのような群馬のニンジンというとどうも想像がつかない。もしやカレー色とイチゴシロップ色がまだら模様になってたりなど?

「どんなものか見てもらった方が早いわね。両手を出してもらえるかしら」
「あ、はい」

 言われるままに両の手の平をそろえて出した。普段八百屋で買うようなものを受け取るつもりでいた。
 が、紫様は微笑むと、私の手を取り、肩幅ほどに離した。きょとんとした私の顔をそのままに、「出すわよ」と紫様。
 スキマから落ちてきたものが私の手に納まる。
 赤い杖──ではなかった。それこそが件のニンジンだったのだ。

「細長っっ?!」

 何のヒネリもない言葉の通りだ。
 そのニンジンの直径は3センチ前後、長さは1メートル弱あった。
 細く、長い。それ以外に形容のしようがない。

「とっても特徴的でしょ」
「は、はい、異論を挟む余地はありません」
「買い物袋に入れたら、ネギ以上にはみ出るに違いないわね」
「何という出る杭」

 暗に大勢から叩かれたであろうと考えての台詞だった。このようなものが一般の家庭で消費されるはずもない。3メートルの焼きまんじゅうを喰らう群馬ならではの緑黄色野菜だと思っていた。
 しかし、紫様は言うのである。

「出る杭、というのは違うわね。かつては全国のニンジンの8割が、この国分ニンジンだったこともあるのよ」
「えっ」

8割? 五本に四本はそうだったというのか。

「本当に、ですか?」
「不思議ないわ。味が良くて、香りも高い。煮崩れしにくいという特性もあるのよ。日本料理に向いているわね」

 そうか、ただの長いニンジンならいざ知らず、プラスの特性があるなら、購入者は忌避するどころかこぞって手に取るだろう。市場を席巻したというのも頷ける。

「あらぁ、素敵なもの持ってるじゃない」

 幽々子様が横から身を乗り出して、油揚げを奪うトンビの如く、私の手から国分ニンジンをさらっていってしまった。
 そのままカリッと根元から噛りつく。ワイルド、だろう、か?

「ん~、おいしぃー。瑞々しいのに濃い味ねぇ~」
「幽々子ったら、もう。いくら棒みたいだからって、丸ごと野菜スティックにする?」
「だって、何も付けなくても美味しいんだもの。……あら」
 
 目線を下に移すと、ゆっくりの霊夢さんが幽々子様に身を擦り寄せていた。

「あなたも食べたいのね?」
「ゆっくり食べさせていってね!」

 そのおねだりに、幽々子様は霊夢さんを座卓へと持ちあげて置き、ニンジンを口の前に出した。おちょぼ口でニンジンに食いつく霊夢さん。
 ほのぼのとした食事風景だ。私たちはしばしそれを見守る。カリポリカリという音と霊夢さんの笑顔に、気持ちが安らいでいくのを感じた──のだが、まだ話が途中だったことを思い出す。

「え、と、紫様、先ほどの国分ニンジンの件ですが」
「ん? ああ、そうね。個性がありながら忘れられる──このニンジンがそうなのよ」
「えっ、しかし先ほど……」
「ほとんどの人に食べられてたというのは昔の話。今現在は国分ニンジンの名前すら知らないのが普通ね」

 そんなことがありえるのだろうか。誰もが食べていたものが市場から姿を消し、名称さえ埋もれてしまうなどとは。

「なぜです? もっと美味しいニンジンが現れたからですか?」
「いいえ、冷蔵庫が普及したからよ」
「れいぞうこ、冷蔵庫──内部に冷気を作る箱ですね」

 守矢神社や香霖堂などで見たことがある。あの箱が、外の世界では一般家庭で使われているのか。冬場に食物が傷みにくくなるのを通年行えるのは、それなりに役立ちそうな機能ではある。

「しかし、それと国分ニンジンはどういう関係が? ああ、いえ、そうか、」

 自分で言って、気づく。

「冷蔵庫に入らないのですね」
「そう、ご明察」

 箱の大きさを考えると、普通のニンジンなら何本でも入るだろうが、国分ニンジンでは無理だ。長すぎる。

「冷蔵庫を大きくするより、ニンジンを短くする方をみんな選んだのよ。国分ニンジンを手に取らなくなった」
「そして、名前までも……」
「どんなに良いものでもね、人の都合に合わなければ、思い出されもしない過去になるの」

 悲しい響きの言葉だ。
 しかし、八百万の神でさえ幻想郷に入ってくる。つまりは忘却に追いやられる。野菜の一品種ならばなおさらなのだろう。そして、

「群馬もまた、そうであると?」

 紫様は小さく目を伏せる。悼む者の目だ。

「時代に、人々の欲求に、適わなくなった。どんなものでもその可能性を持っているのよ。かつては2週間で鎌倉幕府を滅亡させた猛将や戦後において4人もの総理大臣を輩出した地も、今や少子高齢化全国一位の南牧村と二位の上野村を有する限界集落の様相を呈している」

 優秀な人材はいたのだ。しかし、もう人自体が激減しているのか。

「群馬で一番人口密度の高いのは大泉町という所なんだけど、そこは外国人の人口比率も約15%で全国一なの。7人に1人が外国人。そのほとんどがブラジル人だから、南米の文化が流入してにぎやかになってるわ」
「しかし、もともとの群馬の文化は薄れてしまっている」
「ええ、置き換わるの」

 新たな帽子を被るためには元の帽子を脱がなければならないし、ザンギリ頭になるためにはチョンマゲ頭を止めねばならない。そういう道理だ。
 隅に置かれ埃を被った帽子には、幻想郷への入口が開く。幻想入りに誘われる。

「回りくどかったけど、あなたの質問への答えになってたかしら。個性の強烈さは印象深さと結びつくとは限らないの。誰しも、自分の生活に無関係なら、無関心になっていくものよ」
「納得できました」

 今までの存在が薄れ、変化し、認識されなくなる。幻想郷にあるものの多くはそういうものだ。
 その中には印象深いものもあったが、あくまで私にとってであって、外の世界では違うのだろう。
 ことのついでに、もう一つ気になったことを聞いてみる。

「しかし、今さらながらの言葉ですが、群馬が幻想郷に来たからといって異変になるとは限らないのでは?」
「それだけの力はあるわよ」
「そこはわかります。ただ、平穏無事にこちら側に納まるということはないのでしょうか」
「無為に騒ぎを起こすなどありうるのか、というのね。ええ、可能性としては十分と私は思っているわ。だからこそ事前にあなたたちと打ち合わせにきたの」
「まさか群馬は、そこにいるだけで毒ガスを噴き、強酸の流れを生じさせて世界を侵食する災厄的存在とか?」
「確かに潜在能力は八大地獄の一つになれるほどよ。でも、自身の性質・能力を内側に止め、制御する力を有してもいる。第一、他方に向けて滅多やたらと被害をもたらすなら、外の世界じゃ忘れられる前に大敵として駆逐の刃を向けられるでしょ。となると、群馬は滅亡するか、帝国の首都になってるわ。幻想入りするはずもない」

 そういうことか。筋は通っている。考えてみれば、紫様は当初から群馬が意志を持って襲撃する可能性を述べていた。
 それにしても仮定の話とはいえ……

「群馬が首都とはゾッとしないですね」
「同意するわ。そんなことになったら、自らを国土の中心と言い張る、群馬県は渋川市の奇祭『ヘソ祭り』が国の式典となり、国民がこぞっておヘソ丸出しで乱舞することになるでしょうね」

 自分の貧相な、そして幽々子様のたるんだだらしない腹部が衆目にさらされるのを想像する。嫌すぎる。

「あるいは式典になるのは、燃えるワラ束を長縄にくくりつけてグルグル回す、南牧村の儀式『火とぼし』かもしれないし、群馬北部でやっている、200人の女性に4メートル超の天狗面を担がせる、すこぶる卑猥な香りの『沼田まつり』かもしれないわね。そんなのが全国一斉に、」
「これ以上は、ご勘弁を」

 おぞけを振り切るように話を戻す。

「すると、群馬が幻想郷で牙を剥くかもしれないとおっしゃるのですか。その確かな意志によって」
「初めにも言ったと思うけど、推測に変更はないわ」

 確かにおっしゃっていた──やって来るのは意志を有した『群馬の概念』であり、その意志が敵意であるかもしれないと。
 しかし、改めて説明を受けても飲み込みにくい。動機と対象は結びつくのか?
 私の心を読んだように、紫様が述べる。

「ずっとその場所で歴史を紡いできたところが忘れられる。とても辛いことでしょうし、恨みにも思っても当然なのじゃないかしら」
「先にもそうおっしゃってましたが、しかし、悠久の時の中では仕方のないことですし、幻想郷に敵意を向けるというのは逆恨みでは」
「何しろ相手は『概念』なのよ。意志があるにしても、それが論理的思考力を持っているかはわからない。外の世界で固定されていた場所から乖離したとき、解き放たれた恨みの念が対象を問わず発せられることも、十分考えられるの」

 幻想郷に結界を張り、星の数ほどの存在を受け入れてきた紫様だ。同様のケースは既に多く経験なさっているのだろう。説得力があった。
 そして、心身が引き締まるのを感じた。 

「未知の存在を相手にどこまでやれるか、この不肖未熟の身……ですが、事においては全力を尽くします」
「一人でやろうと思っちゃ嫌よ? 私と幽々子が一緒。群馬に対する情報だってまだまだアドバイスできるわ」

 心強い。油断とは別の意味で、どのような難敵も撃破できそうな気になってくる。幻想郷の平和を守る一助となれることを誇らしくも思えた。

「って、ああーッ?!」
「みょん?!」

 紫様の素っ頓狂な叫びに飛び上がってしまう。
 紫様の顔は真っ青だ。その震える指先が指し示す方をみると、霊夢さんがニンジンを食べ続ける反対側の端を幽々子様もカリポリなさっていた。

「そっそんな、国分ニンジンでポッキーゲームだなんて! 霊夢が! 私の霊夢がっ」

 そこまで泡を食うような出来事だろうか。幽々子様も「え?」といったご様子である。霊夢さんに至っては、まるで意に介さずニンジンを食べ続けていた。
 紫様は指先をブンブン振って抗議する。

「何考えてるの、幽々子! 『ゆかれいむ』や『ゆゆみょん』ならいいけど、幽々子×霊夢だと『幽霊』になっちゃうじゃないっ!」

 正直、意味不明だ。
 何だろう、さっきまで心強かったのに、にわかに不安になってきた。
 きょとんとした幽々子様の顔が傾げられる。ただし、ニンジンはくわえられたままだ。

「うぇうぇと、まずふぃことふぃたかふぃら?」

 何て? 『不味いことしたかしら』? 口に物が入ったまましゃべらないでほしい。

「これ、一緒にニンヂンを味ふぁえる妙案だと思ったンだけど」
「いいから早くやめて!」
「ん、わふぁったわ」

 了承すると、幽々子様はニンジンから口を離す、と思いきや、カリポリカリカリカリカリと高速で食べ始めた。そっちの意味で終わらせにいったか。
 ニンジンは急速に短くなり、双方の唇は急接近した。

「いっ、いやぁあああああああああああ!!」

 両頬を押さえ、卒倒寸前の叫びを上げる紫様。
 亡霊姫とお饅頭の熱い口づけが交わされんとしたその時、

「ふぁっ?!」
「ゆぅ?!」

 二人の距離が一気に引き離された。紫様の願いが天に届いたのか、猛烈な突風が庭から室内へ吹き込んできたのだ。霊夢さんは手毬のように部屋の端まで転がっていく。
 いや、天が行うにしてはあまりにも暴力的な風だ。
 耳に広がる大音響は、大気の激流が家屋を揺るがし木々を乱舞させるもの。すがめた目に映るは、木から引きちぎられた葉や枝が、乱射された弾丸のごとく宙を乱れ飛んでいく光景。暴風が止む様子は微塵もない。

「何? 何なの?」

 戸惑いながらも、幽々子様は国分ニンジンを口にくわえたまま──10センチほど残ったニンジンをうどんのようにズルリと一気にすする。どんな技法ですか、それ。

「……め…く……うした……」

 紫様が荒れ狂う状況に身を浸し、真剣な目で何事かをつぶやいている。周囲一帯の騒乱に鼓膜がとらえきれない。口元に接するようにして、聞く。

「いかがしました」
「冷たく、乾燥した暴風──これは、からっ風!」
「知っているんですか、紫様」
「群馬の解説なら任せて。幻想郷一よ」
「めっさ限定されてますね。それはともかく、群馬? この風は群馬のものだというのですか」
「ええ、上州名物。冬場に必ず群馬で吹き荒れる暴風よ。これのせいで、自転車は進まず、電車は止まる。時間通りに学校や会社に行けなくなるの」
「風が吹いたら遅刻者だらけ……」

 カメハメハ大王が治めているのか、群馬は?

「何てこと……早すぎるわ」

 紫様のこの言葉に、何が、と問うのは愚問だろう。幻想郷に群馬の風を吹かす者など、群馬以外にありえない。
 今、この場に、群馬が襲来したのだ。
 空を見上げる。風が唸りを上げ、木の葉や小石が吹き飛んでいるのと対照的に、遥か上空は恐ろしいほど真っ青だ。
 そこに、いた。
 姿は見えないが、明らかな気配が感じられた。いや、「気配」を「感じる」などとは適切な表現でないだろう。その確固たる存在感は私の前半身を隈なく刺激していた。
 ──あれが群馬か。
 なるほど、紫様が概念とおっしゃっていた意味がわかった。不可視だが知覚できる。そして、強大な相手だという事実も、「一見に如かず」で、より実感できた。

「他に被害が及ばないように、対処しやすいようにって、白玉楼上空に結界とスキマを調整させてもらったんだけど、こんなことになるなんて思わなかったわ。ごめんなさい」
「いえ、むしろ好都合です、紫様。幻想郷の重鎮がお二人もそろっているこの場に現れては、どのような大敵も飛んで火にいる夏の虫。私としても、依頼を受けたときから既に覚悟は決まっています。剣士は日常が臨戦態勢ですから」

 そう言って、腰の刀に手をやり、カチリと鯉口を切って見せる。 
 あくまで心構えを示すだけのつもりで為した動作だった。だが、それをした瞬間、風が止まった。

「なッ」

 視線を庭へと走らせる。高空にあった巨大な存在感が、紙に筆を引くようにスッとそこへ落ちて、凝縮していた。落下音も空気を切り裂く音もなかった。
 群馬の概念は色と形を持ちつつあった。紫色のもやが、人型になる。袴を履いた道着姿。背丈は成人男性ほど。手には白く光る長い棒状のものを……
 私は一歩前に出て、白楼剣を抜いた。

「紫様、お下がりください。どうやら相手は剣士としての勝負を私に挑むようです」
「群馬──やはり恨みをもって牙を剥くの? 私たちに争う気はないのに」

 悲愴を帯びた紫様の声は、嘆くだけでなく、目の前の群馬に投げかけもしたものだ。
 だが、群馬は紫色の腕をこちらに伸ばし、手にした白い切っ先を下ろす様子は一切ない。
 そう、群馬が手にしているのは武器。淡い白光は、柄の長い打刀の形を取っているのだった。
 私が鯉口を切って即このような態勢となる──群馬は明らかに私と刀を合わせる意志でいるのだ。
 望むところだ。剣士として背を向けるわけにはいくまい。
 私は庭へ降り立つ。
 群馬を前に、刀を正眼に構えて、名乗った。

「白玉楼剣術指南役兼庭師・魂魄妖夢!」

 返答は、ない。返答する術を持たないのかもしれない。
 代わりに群馬は奇妙な構えを取った。足を大きく開き、柄を腹の辺りに付ける。切っ先をこちらに向けた脇構え、とでも表現しようか。この形は、

「妖夢、馬庭念流よ。群馬の剣の一流派。防御主体だけど、隙を見せたら一気に飛び込んでくるわ」

 脇からの紫様の言葉を聞くまでもなく、馬庭念流の名とその特徴については知っていた。だが、群馬の剣術だったとは初耳だ。そして、実際に目にするのも初めてだ。
 なるほど、急所を隠し、後ろ足に体重を掛けている。攻めにくさを感じさせる構えだ。無論、逃げ腰などとは対極に位置する。
 威嚇しつつ機をつかめば喉に食らいついてくる蛇のごとくだ。受けの体勢の相手から、強者特有の圧力を帯びた剣気が吹きつけてくる。全身の産毛が逆立ち、チリチリとあぶられた。

「他に群馬発祥の流派で有名なものに新陰流があるわ。そちらに切り替えてくるかもしれない。気をつけてね」

 口中の唾を飲み込む。
 剣聖・上泉伊勢守信綱は群馬出身だったか! 剣の道に生きる者なら誰もが知っている雲上の御仁だ。一城の主であった地位を捨てて剣一筋に生きることを決意し、研鑽の末に新陰流を創始したと伝えられているが、その人格・信念は群馬という過酷な環境で磨き上げられたものだとは……むべなるかな、だ。
 しかし、新陰流とはどうにも厄介である。千変万化する相手の動きに応じる「転(まろばし)」の極意は、究極のカウンター技だ。馬庭念流と併せて考えると、後の先には卓越したものがあるだろう。うかつには打ち込めない。

(どう攻めるか。……む?)

 群馬の側に動きがあった。後ろに二歩下がって距離を取る。特異なのは、通常の剣術では右足を前にしたままスリ足で移動するのを、単なる歩行のごとく右足、左足と交差させ移動しているところだ。これも馬庭念流の特徴である。
 相手は間合いを切った形になるが、私は踏み込めなかった。群馬に隙が生じなかったのもあるが、気圧される自分がいるのも否めない。
 細く、長く、息を吐く。

(──身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ)

 心に唱えて覚悟を決めた。
 相手がこちらの攻撃を待ち構えていたとしても、飛び込んで斬りかかる気持ちを萎えさせては、戦う前から敗北していることになる。
 投げやりにならず、身を賭して。つまりは、普段通りの自分を心掛ける。
 力を出し切れずに負けたのならば後悔してもしきれないが、全力を尽くして負けるのならばそれはそれで仕方ないだろう。それに、私が負けても異変解決に憂いは残らない。後ろには幽々子様たちが控えているのだから。

「はい、あーん」
「ゆわーん」

 横目で見た先では、霊夢さんが大口を開けて、幽々子様のお箸から焼きまんじゅうを待ち受けていた。
 私の視線に気づいたのか、両者は笑顔をこちらに向ける。

「あぁ妖夢、頑張ってねぇー、応援してるわぁ~」
「ゆっくり健闘していってね!」

 ………………この勝負、負けるわけにはいかない!

「気を逸らさないで! 予断は禁物よ、相手は群馬そのものだということを常に念頭に!」

 紫様の声が飛ぶ。こちらは頼もしい。弁当食いながら芝居見物やってる亡霊及び饅頭とは雲泥の差だ。
 群馬に目を戻して、ふと思う。気持ちが切り換えられたからか、あることが見えてきた。疑念だ。
 群馬はなぜ二歩の距離を取ったのだろう。間合いを切る意味はあったのか。攻撃を誘うため? あるいは、地面の具合を確認するため?

(いや、実はそれこそが適切な間合いだったとしたら)

 気づいたときには、群馬の右手が懐に差し込まれていた。
 
「ッッ!!」

 目元へかざした白楼剣に金属音が弾ける。高速で投げつけられたのは、太釘のような棒手裏剣。

(このための間合いか!)

 群馬が一気に距離を詰めてくるのを感じ、剣を正眼に戻して迎撃の姿勢を取る、が、眼前にその姿はなかった。

「上よ!」

 紫様の声に失いかけた冷静さが戻り、跳躍した相手が頭上から背後へ移る気配をつかむ。
 振り向きざまに一撃を加えんとして、脳裏に走るは群馬の手にした剣の形状。目の端に納刀された鞘。
 地を蹴り、脱する。寸前までいた空間が切断された。衣服をかすめる一閃に肝が冷える。不用意な攻撃など繰り出していたら、最速のカウンターが勝負を決めていたところだった。
 追撃は為されない。わずかに弾む息を整え、改めて群馬という強敵を見つめる。
 恐ろしい相手だ。単に力押ししてくるだけでも相当だろうに、一連の攻撃は計算され尽くしたものだった。
 また、技の引き出しについても高級桐ダンスほどに豊富だ。

「妖夢、さっきのは根岸流手裏剣術、走り高跳び並のジャンプは法神流の天狗飛びよ。それから居合は、」
「田宮流居合、ですね」
「よく知ってたわね。群馬発祥の居合流派には、無楽流や夢想流もあるのに」
「たまたまです」

 そう、本当にたまたま知識の一つになっていたのだ。居合を師匠から学んだ際に聞かされ、印象に残っていた。
 田宮流──洗練された形から「美の田宮」と称賛された田宮重正は、長柄の刀に有利性を見出し、用いたという。相手の刀は柄が長めだ。そこから紙一重で危機を察せられたのだ。
 群馬は刀を下段と脇構えの中間の位置で構えた。やや変則的。
 
「あれは浅山一伝流……いえ、天真一刀流? 神道一心流の線も……」

 紫様が推測の言葉を述べているが、はっきりしているのは群馬の地が武術王国と呼んで差し支えないということだ。もしくは修羅の国としてもいい。
 心中には感嘆と畏怖。その一方で憐憫もあった。
 これほどの卓越した技が、重火器の飛び交う戦地においては役に立たず、剣道などの競技の中ではルールに適合しない。伝統芸能として骨董品扱いされる無念はいかほどだろう。
 幻想郷でしか真価を発揮できず、ゆえに幻想入りする。怒りと悲しみにまみれて当然だ。

(せめて、自分は、)

 真正面からお相手しよう。
 馬庭念流の構えと違い、現在の群馬のそれは打ち込みやすい。明らかにこちらの攻撃を誘っている。だが、躊躇はしない。肚(はら)に力を入れ、

「えぃアッ!」

 今度こそ思い切り踏み込んで、打った。
 コゥ!
 刀の胴、シノギ同士が当たる。受け止められもせず、弾かれもせず、撫でさすられ、まとわりつかれるような手応え。グリッとうねり──巻き上げを狙って──ではないようだ。
 刀を飛ばされないよう備えていたが、そうはならずに刀は接された状態を保つ。振り払おうとするが、できない。攻撃に転じられない。押すも引くもどうあっても、相手の刀は粘るように付いて離れないのだ。二振りの刀が一つになった錯覚すらする。
 馬庭念流の技法「米糊付(そくいづけ)」か。構えもいつの間にか馬庭念流独特のものに変わっている。丹田から生えたような刀は、大樹と根を張った下半身と一体化し、まるで揺らぎそうもない。
 こちらが焦れて隙を生じたところに不可避の一撃を叩き込むというのが馬庭念流の定石と聞く。ならば平静を貫き、逆に相手の隙をうかがおう。持久戦だ。

(と、私が考えていると、群馬は考えているだろう)

 あいにくと過小評価はしていない。目の前にいる存在を素晴らしい使い手と私は見ている。開始時からあれほどの展開をしておいて、それ以後に単純な根比べを仕掛けようはずがないのだ。
 しばし後、群馬の力が緩む。

──そう、このように頃合いを計りわざと隙を作る。

 当然のように私は攻撃に移る。小手を狙って打ち込んだ。だが、打てたのは相手の刀の柄。刀は勢いのまま地面に叩きつけられる。
 
──刀を手放したか。想定の範囲内だ。

 素手の群馬は私の懐に入り込み、こちらの柄をつかんでいる。刹那、天地が逆転したかのように、私の身体は投げられていた。新陰流極意・無刀取り。

──ここ!

 自分に何も想定が為されてなければ、刀を奪われる鮮やかな投げに「負け」の二文字が脳内を支配したことだろう。だが、必ずや意識の間隙を突いてくるとしていた自分には「得たり」の文字が生じている。
 逆さまのまま空中で停止。楼観剣を抜く。群馬には攻撃・防御、いずれの動きも見えない。飛行能力のある剣士など外の世界では遭遇しえないだろう。今度はこちらが意識の間隙を導かせてもらった。
 この至近距離、腹部への長刀の一閃は確実に決まる。相手の状態では防ぐことも適うまい。一瞬、迷いを断つ白楼剣ではなく、霊体をも消滅させる楼観剣で斬ることに身が縛られる。本当に良いのか、と。
 だが、そんな枷は即座に消える。驕りでしかない。手心の余地など、群馬の強さを前にしては皆無だ。
 敬意をもって渾身の力で振り切った。
 
「勝っ……?!」

 会心の表情が惑乱で歪む。
 妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなどあんまり無い。事あるごとに述べてきたその言葉に嘘偽りはなく、例外を除いてだいたい斬れる。
 伝わってきた手応えは「例外」のものだった。それでいて馴染みのある感触。これは……

「コンニャクっっ?」

 防具のように群馬の胴を覆った、光沢を帯びるプルプルの物質。煮物などで用いられるコンニャクに相違なかった。
 これは斬れない。高層建築物の屋上で剣を振り、階下を輪切りにする我が名刀と技術でも、この柔軟性と弾力性を併せ持った対象には傷一つ付けられない。
 紫様が驚愕の声を上げる。

「全国のコンニャク、その9割は群馬産! ここで出してくるなんて!」

 まさしく、まさしく驚きだ。対処法もタイミングも神懸かっている。
 こちらの弱点を見極めたことは間違いなく、そして、もしや自分が誘いに乗った振りをしたことすら群馬の手の上のことだったというのか。
 血の気の引く頭の中で、現状をつかむ。攻撃直後の体勢は大きく隙を見せている。悪寒で痺れた背筋をねじ戻し、致命的な一撃だけは避けようとした。
 だが、群馬はさらに予想を超える。
 襲い来たのは剣ではなかった。ひゅるる、と白い帯のようなものが伸び、両脚を絡めたのだ。

「くっ!」

 引き剥がそうとするその手までも、白の拘束に巻き込まれていく。それにしても何だ──この布地でもない、透けるようなモチモチの……
 ハッと目の前の群馬に気づく。人型がぼやけ、紫色は透明になりつつあった。剣士としての姿を捨てて。宙に浮かび、青空へと向かっていく。
 私との勝負は既についたと見なした? 奪われた白楼剣も地面に置かれている。

「まだだッ!」

 足と片手は不自由でも、利き手に剣は握られている。飛行し、上空の群馬へ斬りかかった。
 不可視の、しかし、確かに「ある」と認識できる「群馬の概念」。そのコンニャクで覆われない箇所に楼観剣を振る!……ことはできなかった。
 唐突に射出された赤の球体が、私の頬にめり込んでいたのだ。

「へぶぅ?!」

 それがダルマだと認識できたときには、追撃が腹に入っていた。

「もげぷ?!」

 小ぶりの釜に見える物体だった。ダルマと同じく重量感があり、強烈な衝撃を二つも受けた私は、あえなく吹き飛ばされ、屋内にまで転がっていった。座蒲団が木の葉のように飛ぶ。

「だ、大丈夫、妖夢っ? 絹みたいな食べ物に縛られてるわよ」
「食べ物? あっ、本当! よく気づいたわね、幽々子。これは群馬の麺類『ひもかわうどん』よ!」

 うどん? 群馬では、幅10センチの湯葉のごときものを麺の範疇に入れるというのか。ブレのない異常さだ。
 しかし、そんなことよりも、今の自分の心中を占めているのは耐えがたい情けなさだった。
 先陣を切っておいて、このような醜態をさらすとは。無様に地を這い、畳の匂いを鼻腔にやって、目に涙が浮かんでくる。

「よーむ、よーむ」

 耳に入ってきたのは、霊夢さんの呼びかけ。
 そちらを向くと、霊夢さんは自らをフスマに挟ませていた。両頬がつぶれて中央に寄っている。そして、一言。

「あっちょんぶりけ」

 ブフォっ、と噴き出してしまった。この場にふさわしくないながら、いや、だからこそか、身体を張った一芸は的確に笑いのツボを突いた。

「あはははははっ! あはははははははっ!」
「妖夢ったら、相変わらず笑いの沸点が低いわねぇ。ちょっと待っててね、うどんだったらすぐ取り除けるから」

 私の横に座った幽々子様は、拘束された部分に顔を近づけた。
 私の笑いは未だに腹筋を小躍りさせていたが、それでも目の前で起きた出来事に幾分冷まされる。
 あっという間に、ひもかわうどんとやらは消えていたのだ。

「ん~、絶品ね。次は付け汁と一緒にすすりたいわ」

 もぐもぐと口を動かしている。信じがたいことだが、目にも留まらぬ速さで召し上がった、のか。
 紫様が上空の群馬を見上げている。同じ方向を見て目を見張った。赤と茶の物体が無数に現れている。私を襲った攻撃があんなにも。

「あれは、全国シェア8割の高崎ダルマ? そして、群馬の伝説・分福茶釜?」
「あら、紫、そうじゃないわよ」

 紫様の隣へと歩みながら、幽々子様は両手にそれぞれ持ったダルマと小釜を見せる。ダルマは縦にパカッと割れ、小釜は蓋が取れた。
 どれも中身が詰まっていた。色とりどりの具材が食欲をそそる。

「ほらね? 匂いからしてお弁当ってわかったもの」
「食べ物限定なら警察犬並ね! 私としたことが盛大な勘違いをしていたわ。群馬の駅弁の双璧を為す『だるま弁当』と『峠の釜めし』を失念してたなんて。──んっ!」

 紫様が小さく声を上げたのは、星の数ほどの弁当が撃ち出され、流星群となって向かってきたからだ。しかも、新たな弁当が次々と創出されるのも見てとれた。
 手を上げる紫様。スキマか弾幕を展開するおつもりなのだ。だが、その手をそっと押さえる者がいた。幽々子様だった。

「ここは私の出番でしょう?」

 自信に満ちた顔で前に出て、降り注がんとする弁当の大群に対峙する。厳かに両手を合わせた。

「いただきます」

 ダルマと小釜が幽々子様に直撃、の手前で弾かれる。空気の障壁に遮られているかのようだ。どれもこれも真っ二つになって、いや、蓋と分離されて、散り散りに飛んでいく。それらもお二方に一切触れることはない。

(……?!)

 ギョッとした。飛んでいくものが弁当の容器だというのは先ほど知ったが、全て中が空になっているのである。始めのものだけ中身が入っているということはないだろう。
 すなわち、幽々子様は弾幕たる無数の弁当を、瞬時に残らず平らげたということなのだ。信じられない。神速の居合を連続で放つに匹敵する。
 と、私の横を霊夢さんがポインポイン跳ねていく。通り過ぎる際に台詞。

「ゆっくり異変を解決するよ!」

 えっ、ちょっ、待っ……と伸ばした手は届かない。腹部に受けたダメージを笑うことでさらに悪化させた、その痛みが妨げたのだ。
 今の霊夢さんに何ができるというのだろうか。異変解決に向かうということは、あの難敵に相対するということ。飛んで火に入る夏の蒸し饅頭だ。みすみす危険な目に遭わせたくはない。

「あっ、霊夢!」

 紫様も目を丸くしている。私と同じように止める素振りを見せるが、幽々子様の腕だか舌だか未知の能力だかが無数の弁当を摂食する結界を張っている以上、阻まれてしまう。
 そんな私たちの情を、霊夢さんは意に介することなく、群馬へ向かってふよふよと宙に浮いた。って、飛べたのか?
 とはいえ、飛べたところでゆっくりのゆっくりな動作では、弁当弾幕の餌食になるだけだ。どうにかしなければと顔をしかめる間にも、高速で飛来するダルマの一つが霊夢さんの眼前に来る。
 当たった! と思ったとき、ダルマが霊夢さんをすり抜ける。

「?!」

 いや、それは霊夢さんではなかった。残像だった。ここで霊夢さんは予測だにしないスピードアップを見せたのだ。

「嘘っ? ゆっくりにあるまじき動き?!」

 紫様の驚きの声。当然だ。私は声すら出ない。
 空気を切り裂くという表現がふさわしいほどの速度。さらに自在の方向転換を加え、残像をあちこちに生みだす。どれがダルマか霊夢さんか見間違うこともしばしばだ。その動きは、速さで名高い鴉天狗さえ凌駕していた。
 霊夢さんは納得のドヤ顔で言った。

「とらんざむ!」

 言葉の意味はわからないが、とにかくすごい自信だ。
 ただ、群馬に近づけば近づくほど弾幕の密度は増す。かわしきれるのか心配だ。注意か応援の声を掛けようとした矢先、

「きゃあ!」

 紫様が甲高く叫ぶ。ついに霊夢さんに小釜が直撃したのだ。真正面からズムリと質量が埋まるのが目に映った。いかにも饅頭らしく、やわこく内部深くへ食い込んでいた。

「あ、ああ……」

 絶望の声を漏らしたのは紫様だったか、私だったか。
 幻視したのは、力を失い落下する霊夢さん。そうして妖怪・釣瓶落としのように地にドタッと落ちて、戦場の生首のごとく野ざらしにされる。そんな無残な姿だ。
 が、実際は違った。
 動きを止めてはいたものの、霊夢さんは宙に浮かんだまま。あの天真爛漫な笑みも不変で。そして、高らかに宣言する。

「はい、顔面セーフ!」

 ──無敵ということか?!

 たとえ顔だけ妖怪と化しても、性格も性質も変化してしまっても、幻想郷において「全ての存在の上空を飛ぶ程度の能力」を持つ霊夢さんは健在だったのだ。
 確信する。強い。
 弁当の弾幕が止んでいた。圧倒された群馬が敗北を認めたのだろうか。その可能性は高いと思えない……群馬の力を直接感じた身としては。
 私の推測を裏付けるように、霊夢さんの正面へ白い光が棒状に具現化していた。あの柄の長い刀のものだ。
 向けられる白い切っ先にも臆することなく、霊夢さんは徐々に徐々にと群馬へ近づいている。大丈夫なのだろうか。また超スピードか「顔面セーフ」で対応するというのか。高まる鼓動の中、見守る。

 ブ ス リ 。

 霊夢さんは底部から脳天にかけて貫かれた。

「……え、ええー?!」

 あっさりと、あまりにもあっさりと串刺しになったことに愕然とする。
 しかも、それで終わりではなかった。ふと、暗くなったかと思うと、霊夢さんの周囲が輝き始める。日光がそこへ集中しているのだ。
 空気の揺らぎから強く熱されているのがわかる。頭髪からチリチリと音が聞こえてきそうなほどだ。

「全国最高気温に群馬の観測地点名が上がるのは毎年のこと……その能力を……れ、霊夢っ」

 紫様は顔面蒼白で茫然としており、私こそが助けに行かなければならない。全速力で落ちた剣を拾い、霊夢さんのもとへ飛び立とうとしたとき──晴天にも関わらず、世界を白光が満たし、轟音が耳をつんざく。

「群馬名物・夏の雷?!」

 落雷は霊夢さんを襲い、私は物理と精神の衝撃で飛行の機会をくじかれた。

「戦闘機『雷電』の設計者は群馬出身の堀越二郎──雷神の脅威を身をもって知っていたからこその命名──」

 今や霊夢さんは焦げ茶色の惨憺たる有様になっていた。火あぶりの刑に処せられるより酷い。そこまでの仕打ちをされる何かを霊夢さんがしたというのか。いや、そんなはずはない。ならば、群馬の恨みの強さを表しているのだろうか。……なぜだか、それも違う気がした。
 いずれにせよ、これほど執拗にとどめを刺す必要はないのだ。私の心中にたぎる熱いものは、やはり怒りだったのだろう。今度こそ私は地を蹴って飛行する。しようとする。

「ゆっ」

 だが、聞き覚えのある声に止められる。霊夢さんの声だった。そして、笑顔もそこにあった。
 なんと霊夢さんは串刺しになり、太陽光と稲妻に焦がされながらも、相も変わらず生き生きとしていたのだ。霊夢さんの無敵さは神に選ばれし聖人の域にさえ達していた。すさまじいにもほどがある。
 串刺しの丸焦げ状態まま、霊夢さんは笑顔をこちらに向けて、言った。

「焼きまんじゅう!」

 不意打ちのギャグ。さらに群馬の能力によるものか、太陽光が霊夢さん演じる焼きまんじゅうにキラキラと散らされ、その演出は高質の一芸を究極へと昇華させる。

「ゆっくり食べていってね!」
「あははははははははははははははははははははははははっ!!」

 当然、私は腹を抱え、地面を転げ回って大爆笑していた。異変という状況下、ふさわしい行動でないとは認識していても耐えられるわけがない。

「もしかして、始めからそれをやるつもりだったの?」

 紫様のつぶやきに、抱腹絶倒の中でも私の思考は巡る。結果、解答は「然り」だった。紫様の推測は当たっているはずだ。 
 私の楼観剣の特性を看破していた群馬である。霊夢さんの無敵っぷりも見極めていただろう。「剣を貫通させ、こんがり焼きあげても、ダメージにはならない」と知った上での行動だった。
 群馬と霊夢さんは協力して、群馬の名物を表現したのだ。言葉を交わさず、ただわずかに目と目を交わしただけの打ち合わせによって。

「ゆっくりしていってね!」

 貫く剣が霧散し、自由になった霊夢さんは、群馬に顔を向けてそう述べた。
 敵対する存在に何を呑気な、とはもはや思わない。両者は和やかに向かい合っていると言い切れる。
 剣客同士は戦いの中で互いの力量だけでなく、感情や人格、これまでの半生さえも理解することがある。今、落ち着いたところで振り返ってみれば、群馬の剣に矜持や敬意こそあれ、怨恨や憤怒といった負の感情は感じられなかったのだ。

(ただ、敢えて言えば、喪失感に近い何かが……)

 ふと、風が頬を撫でた。優しい風だ。涼やかで草の香りを含んでいる。
 ようやく笑いも治まってきた私は、目尻から涙を拭い、息を整えて立ち上がった。今日一日だけで一生分笑った気がする。
 この風は群馬が吹かせているのだろうか。白玉楼に流れるものとは趣を異にしているし、どこからともなく響く風切り音が奇妙だ、と思ったとき、

「ゆっくりしていってね!」
『──ハァケールワ』

 再度霊夢さんが台詞を述べたのに対し、風切り音が音声を為したのだ。
 単体で聞いていれば不可思議な呪文のようにとらえただろうが、状況からして群馬が返答したのではないかと察せられた。
 紫様がポンと手を叩いて、何やら合点のいった様子を見せると、大きく息を吸い込んで、大声を群馬に向かって張り上げた。威勢のいい、野太く作った声だった。

「結界コスン、ヨイジャーネーヨッ?」

 ややの間を置いて、風切り音が音声を為す。

『ワキャーネーサ』

 やはり会話が成り立っていた。意味するところはさっぱり理解できなかったが。

「あ……」

 何かしらの話がついたのだろうか、群馬の概念が青空に薄れていく。徐々に知覚できなくなっていくのだ。幻想郷から外の世界へと戻っていくのだろう。
 消えゆく群馬を、霊夢さんはつぶらな瞳で見つめている。心なしか名残惜しそうに見えた。

「こんなに自分をウッカリさんだと思ったことはないわね。群馬相手に標準語でしゃべっちゃうなんて。独特の言語表現でないと通じるはずがなかったわ」

 自らを小突きながら舌を出す紫様。噂に聞く「テヘペロ」とかいうジェスチャーか。そこはかとなく腹立たしさを覚える仕草だと認識したが、ともかく、初回の群馬への呼びかけに返答がなかった理由が判明したわけだ。

「ちゃんと意志の疎通ができていたら、ねぇ」
「和やかにやり取りして、事は済んでいた。そういうことでしょうか」
「妖夢もそう思う?」
「はい」
「そうよね。終始争う意志なんか持ってなかったのよ、群馬は。私たちが空回っていただけ。今になって言えることだけどね」
「群馬の剣に敵意・殺意はこもってませんでした」
「一角の剣客を前にして、己が武技を振るってみたくなったんじゃないかしら。群馬のそれを披露したかったと」
「…………」

 言葉に詰まったのは群馬に対してどうこう思ったからではない。ヒトカドノケンカクなどと面映ゆいことを言われたからだ。耳は赤くなっているだろう。
 誤魔化すように言葉を紡ぐ。

「私が敵としての対応をしてしまったから、ダルマなどを投げられたのでしょうね」
「あら、まだそんなこと言ってるの? 『どこにも敵対の気持ちはない』イコール『報復も威嚇もない』でしょ。あと、ダルマじゃなくて、『だるま弁当』よ」
「え……と?」
「お口とお腹に目がけて放られたんだから、ね?」
「! そうか」

 自身の頭の鈍さには恥じ入るばかりだ。

「攻撃ではなく、食べてもらいたかったんですね!」
「ええ、ひもかわうどんについても同様。あなたが逆さまで動いたりしてたから、足の方に行っちゃったけど」

 コンニャクを出した時点で、武技の披露は終わっていたのだ。そこから先は群馬の食物を賞味する時間になっていた。そして、焼きまんじゅうの芸を〆として、群馬の襲来、いや、来訪は終わった──。

「自分を知ってほしかっただけなのよねえ。それが適って、満足して帰っていった」

 剣から伝わる空洞の感情はそれだったのか。そして、満たされた。
 単に暴れて帰ったという一方的なものではあるまい。独りよがりではどれほど時間を掛けようとも真の満足は得られない。
 こちらの気持ちが群馬に伝わったのだと思う。剣を交えたのはわずかであったが、その奥深さには十分感じ入った。もちろん剣以外についても。それが伝わった。

「済んでみれば異変でも何でもなかったけど……でも、みんながいなければいろいろこじれて本当に異変になってたかもしれない。ありがとうね、あなたたちに頼んで本当に良かった」
「そんな、自分などは…………あっ」
「? ……あっ」

 私の向いた方に顔をやって、紫様は幽々子様を目にする。我が主は満面の笑みだった。それもそのはず、座卓の上にも載りきらない量の食物に囲まれて、それらを次々と頬張っていたのだ。

「もう、何をなさってるんですか。先ほどから黙っていると思ったら」
「もぐもぐもぐ」
「無理にしゃべらないでください」

 ちょっと理不尽な物言いだったか?と自分でも思ったが、幽々子様は文句も言わず、もぐもぐ、ごくん、とやってから改めてしゃべった。  

「だって美味しいんだもーん」
「だもーん、って」
「紫がやってるみたいに急に現れたのよねぇ。お土産ってことでいいんでしょ?」
「刺身こんにゃく、おっきりこみ、水沢うどん、キャベツ、桑茶とずらっと群馬のものが敷き詰められてるわね。疑いようもなく群馬の置き土産よ。あら、群馬のお米『ゴロピカリ』もあるわ」

 すごいネーミングセンスだ。ゆえにこそ、群馬独自のものだと確信させるが。
 幽々子様は再び各種特産品を口に運び始めた。

「うん、もぐもぐ、お弁当もほっぺた落ちそうだったけど、もぐもぐ、これもいけるわ。こんなに美味しい思いができるんだったら、もぐもぐ、また来てほしいわね。今度は招待する形で来てもらったら?」

 私と紫様は顔を見合わせて、苦笑した。まったく幽々子様ときたら。

(底抜けにあつかましい。それに、)

 それに、群馬はもう来ない。来るとしても遥かずっと先の話だ。こちらから呼ぶなんて真似もできるはずがない。
 得るものを得て、帰っていったのだから。
 そして、その満足を与えた大きな要因の一つに、当の幽々子様がいるのだ。

(なのに、御本人はまるでわかってらっしゃらないとは)

 苦笑いも出るというものだろう。
 紫様は幽々子様の言葉には答えずに、別の話題を振った。

「さっきからずいぶんと食べ過ぎじゃない? そんなにお腹に詰め込んでると、群馬の中枢・前橋市のゆるキャラ『ころとん』みたくなっちゃうわよ」
「ゆるキャラ?」
「地元をPRするマスコットのこと。で、『ころとん』は胴周り5メートル超の球形のブタさん。大き過ぎてイベント会場の入り口につっかえるほどよ」
「PRに支障があるデザインねぇ。存在意義とかどうなの?」
「幽々子も同じになっちゃうって言ってるの」
「大丈夫よぉ、あとちょっと食べたら腹八分目で止めとくもの」

 どんだけだ。
 まあ、もし幽々子様が球形のゆるキャラになったら、出入り口の狭い部屋に押し込めておこう。出歩くことで白玉楼のネガティブキャンペーンをやられても困る。
 呆れているところに、やわこい感触が頭上に載った。

「ゆっくりただいま!」
「霊夢さん」

 両手で持ち直して正対する。えも言われぬ笑顔は常のままで、今回一番の功労者だというのに、少しの驕りも見えなかった。
 いや、何一つ作為のない行動だったからこそ、全てが最良の方向に働き、大団円へと繋がったのだ。
 霊夢さんに意図があるとすれば、たった一つしかない。「みんなで仲良くゆっくりしてほしい」だ。
 だから落ち込みそうになった私を笑わせてくれたし、険悪な雰囲気を緩和させてもくれた。最後には群馬と一緒に「ゆっくり」した。
 もし、霊夢さんがいなかったら……
 私は立ち直れず、幽々子様は活躍できず、群馬は長く野放図に力を披露し続けたろう。最悪の展開もありえたのだ。
 霊夢さんがこのような姿になってしまって、お札もスペルも使えないようでは、手勢の内には入れられないと考えていた。まったくの思い違いだった。霊夢さんは「ゆっくり」であるからこそ、最大の功労者たりえたのだ。
 そして、幽々子様にも同じことが言える。

「見て見て、紫、このお豆腐、緑色で変な形してるわよぉ」
「ああ、それは『ザクとうふ』ね。本社が前橋市のとこが作ってるの。……何か妙な食べ合わせしてるけど、下に敷いてる真っ赤なモジャモジャは一体?」
「焼きそばよ。とっても美味しいから十人前を一遍に食べてるの」
「それ、ペヤングの『激辛やきそば』よ! 本社が伊勢崎市の! ただの一口で辛さが全身に伝わるって注意が公式に発信された代物! そんなに食べたら、お手洗いでお尻が浅間山か草津白根山になっちゃうわよ!」
「活火山ってこと? でも、さっき素のままで十人前平らげちゃったし」
「どうなってるの、あなたの身体?!」

 このように胃袋が四次元に通じているのではないかという大食らいのスキルは、幻想郷随一の無駄であり、我が家の家計にとっては最悪の害悪という認識でしかなかった。
 今は違う。
 幽々子様は群馬の提供する膨大な食物を、余すところなく味わいなさった。群馬にとって、気持ちのいい食いっぷりだったろう。帰還に至る満足の獲得に、幽々子様の寄与は大きい。
 つまりは、そうだ。
 そういうことなのだ。
 霊夢さんも、幽々子様も、そして群馬も。

(──この結論は、群馬も持ちえているだろうか。私のこの気持ちは、群馬に伝わっているだろうか)

 そうあってほしい。
 いや、そうであるからこそ、群馬は早くに外の世界へ戻ったのだと思いたい。
 役に立たないと目されたものであっても、場を得れば、真価を発揮するのだ。能力を活かせるのだ。
 それは、時代にそぐわないと捨てられたものについても、存在すら知られてないものについても、同じことが言える。
 己を活かせる道は、群馬にもある。きっとあるのだ。
 霊夢さんのほころんだ饅頭顔は、希望の未来を確約するかのように明るかった。

「よーむ? ゆっくりしていってね!」

 見つめる私に、手の中から呼びかける霊夢さん。私は思わず、ぎゅむっと抱きしめていた。愛おしさと願いを込めて。

「ああっ、ずるいわよ! 私だって霊夢を抱きしめたいわ!」

 見とがめた紫様も抱きついてきた。霊夢さんが私と紫様の胸の間に挟まれる形となる。

「あれ? これは私も抱きつく流れ?」

 なぜか幽々子様も食事を中断して抱きついてくる。霊夢さんは三者の中央で囲まれることとなった。
 もっちりとした圧力は胸板に心地よさを感じさせてくれるが、霊夢さんは潰れて苦しくないのか少し心配になる。
 霊夢さんは、ゆゆゆっ、と小さくうなった後、一転朗らかに言った。

「おしくらまんじゅう!」

 もちろん私は青空いっぱいに笑い声を広げていた。
【後日談】

 家事も一段落ついたので、縁側に座り、お茶を飲ませていた。
 「飲んでいた」としないのは、霊夢さんを膝に載せて飲ませているからである。

「ゆーん、すごくゆっくりしてるよー」

 麗らかな午後の日差しを浴びて、霊夢さんはご満悦である。
 ゆっくりの霊夢さんをゆっくりさせることで、私もゆっくりする。素晴らしき一石二鳥だ
 そして、私の横で霊夢さんを撫でている紫様も、大変幸せそうだ。

「ふふ、もう可愛いんだから……」

 霊夢さんがゆっくりになる前は、半径5メートル以内に入るだけでウザがられていたので、こうして直接触れ合えるようになったのは、紫様にとって喜ばしいことであるに違いない。
 霊夢さんは白玉楼がお気に入りの場所になったようで、博麗神社には帰らず、ここで寝泊まりしている。紫様としては、是非とも自分の所へお持ち帰りしたかったようだが、結局は霊夢さんの意志に折れて、こうして足繁く通うこととなった。
 霊夢さんが居候となったことで特に負担になるようなことはない。食費は幽々子様に比べれば雀の涙ほどだし、むしろ拙いながらも家事を手伝ってくれるので助かるくらいだ。
 敢えて言うなら、就寝時、なぜか積極的に枕になろうとしてくるのが困りものだろうか。もふンと頭を載せると、柔らかく温かく包み込まれるような感触。あまりに寝心地がいいので、寝坊してしまうのだ。
 強めの朝日に『わぁ! もうこんな時間!』と叫ぶと、『ゆっくりした結果がこれだよ!』と合いの手が入る。そんな毎朝だ。目下対策を検討中である。

「紫~、今日のこれも美味しいわぁ」

 霊夢さんを撫でている紫様に声が掛けられる。居間で早めのおやつを食べている幽々子様だ。

「気に入ってくれて良かったわ。群馬県南牧村の特産品よ」

 幽々子様はあの件以来、群馬の食べ物を大変お気に召してしまい、紫様にねだっているのだった。
 本日、スキマより取り出されたものは、ラーメンにお饅頭にコンニャク。当然そこらにあるようなものではなく、全てが黒い。オール・ブラック、真っ黒クロスケなのである。特に黒い麺というのはいかにも面妖だった。麺だけに。
 何でも細かく砕いた炭が混ぜ込んであるらしいが、燃料までも食用と為すとはさすがは群馬と言わざるをえない。

「お饅頭は『森林のお炭つきまんじゅう』、コンニャクは『腹黒代官』という名前ね」

 ネーミングセンスも相変わらずだ。なお、群馬の麦には「ツルピカリ」という名の品種もあるそうだ。不毛の地に掛けた命名なのだろうか。
 特産品を取り寄せる紫様に群馬の動向を聞けば、まったく落ち着いた様子とのことで何よりである。ただ、群馬と意思の疎通を図ってみると、驚きの意向が伝えられたそうだ。なんと今度は私たちの方から群馬へ観光に来てもらいたいとか……いや、気持ちは嬉しいが、スペルカードは何枚ほど必要だろう?

「ゆぅ? ──ゆっくりしていってね!」
 
 そこへ、霊夢さんが庭先の誰かに対して声を掛けた。全員の目がそちらへ向く。

「えっ」
「え?」
「えええっ!?」

 みんな一様に目を見開いた。
 そこに立っていたのは、大きく腋の開いた巫女服を着ている、赤いリボンを付けた少女……
 彼女は聞き覚えのある声で言う。

「何してんの? というか、それ、何?」

 私の目は、膝上のお饅頭と正面の巫女とを往復する。口に紡がれるは困惑の言葉。

「霊夢さんが……二人?」
「はっ倒すわよ」

 下膨れたダルマと私に共通点ないでしょ、と言い終わるか終わらないうちに、紫様が飛び出していた。

「れっ、霊夢ぅー! 無事だったのねぇー!!」

 感極まる声。嬉し涙までが見て取れた。
 だが、抱きつく対象の相手は、袖を闘牛士よろしくヒラリと振って、紫様をすげなくいなす。
 幻想郷の重鎮は突進した勢いのままズザザーッと地面を擦って、茂みに身体をめり込ませていった。その後の凄まじい音から察するに、幹にしたたか頭を打ち付けたのだろう。そのまま起きあがってこない。

「いつ会ってもウザさの品質は保証書付きね、紫は」

 追い打ちの台詞に、幽々子様が頷く。

「あの冷淡さ。ツンデレ・クーデレのデレ抜き。間違いなく博麗の巫女だわ」

 同感だ。
 やや痩せ細ってはいるが間違いなく博麗の巫女な霊夢さんは言った。

「ご飯たかりにあっちこっち回って、今日は白玉楼に来てみたら、ずいぶんと変なことになってたみたいね」

 同感だ。
 しかし、幻想郷の平和を守る者が物乞いというのも、負けず劣らず変なことだと思うのだが。

「『突撃!隣の晩ごはん』をやってたのねぇ。私もやってみようかしら」
「おやめください」

 幽々子様がそんなことをなさって、いいことなど一つもない。白玉楼の沽券に関わるし、人様の台所を枯渇させる。

「で、改めて聞くけど……それ、何?」

 巫女に指さされたお饅頭妖怪は、「ゆ?」と首、というか身体全体を傾げる。

「えーと……」
「さあ、ねえ」

 答えるなんて誰も出せるはずがない。
 霊夢さん、いや、この霊夢さんにそっくりなゆっくりは何故に出現したのだろう。ここに来て大いなる謎が立ち上がってきてしまった。
 私たちの困惑をよそに、元気な声が上げられるのだった。

「ゆっくりしていってね!」
らいじう
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コメント



0.270簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
おなかすいた!
群馬行きたくなった!
3.100名前が無い程度の能力削除
群馬ってすげーわ。
4.50名前が無い程度の能力削除
どう評価すればいいものか
「群馬」を詰めに詰めた濃厚な内容なのは評価できる。だが中身がカオスすぎる。ギャグにしてもカオスすぎる。ヤマも落ちも意味不明、展開も滅茶苦茶、面白いのか面白くないのかさっぱりわからん
というわけで真ん中50点


ゆっくりをここで出すのは如何なものか。変な客を呼び込まないために使わないほうがいいと思う
6.100名前が無い程度の能力削除
群馬恐ろしい!
7.3019削除
以前の作品と比べて、話のまとまりが中途半端。
例えば妖夢が群馬について勘違いしたり、変な想像する所は散々群馬を茶化しているくせに、群馬の概念との戦いでは変にキレイにまとめていて、読んでるこちらは消化不良。
 そうでなくても物語の進展がダラダラ気味で、もう少し文章を添削していけば物語の場面展開などキレの良いものになって物語の内容が伝わり易く、印象に残り易かった気がします。あと、ゆっくりはその正体をちゃんと物語で設明出来るようにしてから登場させて欲しかったです。これでは霊夢ゆっくり化のまま終わった方が良かったです。
 今までの貴方ならこんな粗の目立ったまま投稿する事は無かったので、「どうしちゃったの?」という思いです。ただの一読者としては上から目線な感想なのは認めます。
8.60奇声を発する程度の能力削除
うーむ…?
10.100名前が無い程度の能力削除
グンマー!!
11.60絶望を司る程度の能力削除
ペヤングは……マズイ。
13.90名前が無い程度の能力削除
切り口によってギャグにも郷土愛にもなるのは、群馬がまだまだ幻想入りするには早い生きた概念だからなんですね

群馬×ゆっくりは正体不明の愛すべき存在としてお似合いのカップリングだと思いました(グルグル目)

16.100名前が無い程度の能力削除
最高!
自分の中じゃこれこそ東方二次創作って感じで大好きです
これこそそそわって感じだと思います
いい感じにカオスっていていい感じに薀蓄があっていい感じに細かいバトル写実があって最高ですね

しかしゴロピカリとはまた凄い名前だ
本当に凄い名前だ…ゴロピカリって…