Coolier - 新生・東方創想話

NEW 空に二つ目の太陽 (5/6)

2012/07/16 19:04:27
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紫と神奈子は聖輦船からかなり地上へ向かった辺りで止まった。
「ここまで来ればもう大丈夫かしら。」
紫が頭上を見上げる、視界に映るのは星といつもよりほんのりと明るい夜空、聖輦船はすでに視界に映らないほど離れてしまったようだ。
「まずはお礼を言っておかないとね、貴方達が今日まであれを食い止めてくれたお陰で作戦はうまくいきそうよ。」
「それには及ばないわ、それよりこちらこそ早苗を支えてくれた礼を言わせて欲しい。」
「彼女いい巫女ね、あんな状況でもずっと貴方達を信じていたわよ。」
「ふふ、なにせ早苗は私の自慢の巫女だからな。」
神奈子は自分が誉められたように嬉しそうな笑顔を見せた。
「それでこれからどうするのだ?私も手伝いに行きたいところだが今は皆の敵だからな。」
「それには及ばないわ、後は船に残っている人達がなんとかするでしょう。だから私は私の役目を果たさないと。」
神奈子は紫の体から強烈な妖気が吹き出すのを察知し、何か恐ろしいものを感じて身構える。
初めは気のせいかと思った神奈子だが紫から明らかな害意を感じるに至り口を開いた。
「どういうつもりかしら?」
普段はざっくばらんな神奈子も真剣になるとある種恐ろしげな雰囲気を纏うようになる。
これが軍神として多くの信仰を受ける神奈子の威厳というものなのだろうか。
「幻想郷の管理者として、この世界に害を成す悪神を封神させてもらうわ。」
博麗神社の巫女や色々な妖怪にこのすきま妖怪は胡散臭く絶対に信用してはいけないと聞いてはいた、しかしそれにしても紫の真意がまったく読めずにいる神奈子。
「巫山戯ないで欲しいわね。」
「巫山戯てないわよ。」
二人はお互いに相手の出方を伺うようにじっと顔を見合わせる。
「さっきも言ったけど、怨霊玉はもうあっちでなんとかしてくれるわよ、だから私はその次を考える。貴方達の力がどれほどの物か?まだ私にも計りきれていないから。」
「私達は次の驚異になると考えているのかしら?確かにまだまだ新参ではあるけどね。私達なりにこの世界について考えているつもりよ。」
「驚異とは限らないわね、今回のように力を合わせることもあるだろうし、でもね・・・」
紫の両手から針のような弾幕が大量に発射される。
発射された針は一度紫の周囲に集まったかと思うと一斉に神奈子を串刺しにしようと襲い掛かる。
紫の放った針が神奈子に突き刺さる寸前、神奈子の全身から青白い神気が吹き上がり神奈子の姿を消してしまった。
追うべき対象を見失った針はしばらく神奈子のいた周囲を彷徨っていたがやがて夜闇に溶け込むように消えてしまう。
「やっぱり強いわね、久しぶりに本気の出せる相手みたいで楽しいわ。」
顔だけ上に向けて誰もいない空間に話しかける紫、姿は見えないが紫には神奈子がどこに隠れているかわかっているようであった。
「あははははは!なるほど動機は個人的な興味か。ならば最初からそう言えばよかったではないか?」
紫の頭上に姿を現した神奈子、その顔からは先ほどまでの不信感はまったく消え、いっそこの状況を楽しんでいるようにも見える。
「私も妖怪最強と言われている貴方の力には正直言うと興味はある、そういう事であれば手合わせ願おうか。」
「決まりね、物分りのいい神様で嬉しいわ。」
「ルールは?スペルカードでいいのか?」
「そんな無粋な物、必要ないわよ。どちらかが動かなくなるまで、でいいでしょう。」
「ふふっ、後で神相手にスペルカードルールじゃなきゃ勝てるわけ無いなんて言い出さないで欲しいものだな。」


紫と神奈子はお互いに距離を取り、再び相手の出方を伺うようにゆっくりと相手の周りを周回するように飛ぶ。
先に仕掛けたのは神奈子だった。
紫の周囲を取り囲むように刀状の弾幕をばら撒く。
間隔は非常に狭いが避け切れないほどの間隔ではない、紫は瞬時にそう判断し逆に自分から弾幕の向こうにいる神奈子に突っ込んでいく。
「へぇ、これくらいでは退かないのだな。でもそれでは隙だらけだ!」
神奈子が紫に向けて右手を振りかざす。
何もない空間から突如現れたオンバシラは神奈子自身の放った弾幕を蹴散らしながら一直線に紫を狙う。
オンバシラはまったく避けようともしない紫の腹部にめり込んだ。
勢いで数メートル後ろへ弾き飛ばされた紫だがまるで効いていないようでケロっとしている。
「(まったく効いてない?それに何かおかしい・・・)」
神奈子は攻めの手を休めない。
即座に距離を詰めて紫に近寄ると今度はオンバシラを横薙ぎに振る。
やはり紫は避けようとせずにオンバシラは紫の上腕にめり込み細い体を弾き飛ばす。
「(効かないのか?それにやはり感触もおかしかった、ゴム?いや、どちらかと言うと蒟蒻?本当に得体の知れない相手ね。)」
この得体の知れない相手に勝つにはとにかく攻め続けるしかないと考えた神奈子。
紫の周囲に浮かび上がる三十六本のオンバシラ、それらが呼吸を合わせたように一斉に紫を押し潰そうと発射された。
ここで紫がようやく変わった動きを見せる。
「残念ながら貴方のターンはもう終わりよ。」
そう言うと紫は自身の周囲を取り囲むようにすきまを張り巡らせた。
神奈子が放った三十六本のオンバシラを残らず飲み込んだすきまは最後に自身を飲み込むように消えた。
静寂が辺りを支配する。
紫の姿は消えてしまったがじきに現れるはず、その事について焦りはないが神奈子は紫が現れた後にもさらに攻め込めばいいものか考えあぐねていた。
攻めなければ勝てないのは解りきっている、しかしやはり相手の正体も能力も解らない現状では少し様子を見るべきなのか。
神奈子の正面、目と鼻の先に紫の操るすきまが現れたがそんな神奈子の思考を遮った。
「これは・・・?!」
神奈子が頭で考えるより先に危険を察知した体がすきまの視線から逃れるように真横に飛び退いた。
すきまから射出されたオンバシラは回避した神奈子の注連縄を軽く掠めて彼方へ飛んでいった。
危うかったが初撃を回避した神奈子は周囲を警戒する。
今度は左右から挟み込むようにすきまが現れた。
神奈子は高度を上げて左右からの攻撃をかわす。
足元で一対のオンバシラが正面からぶつかり合い轟音を轟かせつつバラバラに粉砕される。
すきまは尚も神奈子を追い立てる、完全に防戦一方になってしまった神奈子。
「(とにかく今は避けるしかない、そのうちにチャンスはあるはず。)」
神奈子は必死で逃げているが、紫のすきまから放たれるオンバシラの数はすべて把握していた。
「(あと五本、避けきればチャンスはくるか・・・)」
神奈子の後方、扇状にすきまが五つ現れ、オンバシラが放たれた。
すんでの所で宙返りしてそれをかわし、紫の姿を探すが見つからない。
上空に浮かぶ怨霊玉本体の光で周辺は薄日が差したようになっている、闇に隠れられるとは思えないからまだすきまの中に隠れているのだろう。
周辺を警戒する神奈子。
神奈子が後方に目をやろうとした刹那、目の前ですきま浮かび上がり開いた口から電柱を発射した。
回避は間に合わない、咄嗟の判断で腕を前に出して急所を守る。
勢い良く着弾した電柱に神奈子の体は弾き飛ばされた。
推進力を起こして急ブレーキを掛けるが間に合わず神奈子は背中から何かにぶつかってしまう 。
「ふふふ、捕まえたわよ。」
すきまからコウモリのように逆さに半身だけ乗り出した紫が神奈子の体を受け止めていた。
紫は片手で何かの印を結ぶと再びすきまの中に戻ってしまった。


必死の防戦が効いてきたのか、聖輦船に向かってくる敵の数は明らかに減少しつつあった。
状況は楽観するほどではないにしろいい方向へ向かっていると思われる。
しかし白蓮はそんな中で二つの違和感を抱いていた。
船室から甲板に上がったすぐの所で白蓮と村紗が敵と戦っている。
「やはり妙ですね。村紗は気付きませんか?」
「あのおかしな敵ですか?」
村紗が指差したのは先ほどから怪しい動きをしている怨霊玉である。
ほとんどの怨霊玉は船か近くの者に貼り付いて自爆を狙ってくるがそんなそぶりはなく他の個体が一切使わない弾幕を使って攻撃する、またそのせいか同士討ちが多い。
すぐ近くで月の兎が戦っているからその影響かとも考えたがそうでもないようだ。
「ご住職、どうかされましたか?」
動きの止まっている白蓮が気になって幽々子がやってきた。
「実は二つほど、気になる事がありまして。」
白蓮は先ほどから気になっていた怨霊玉の事を話した。
幽々子は白蓮の言う妙な怨霊玉を見て何か考えているようだ。
「あれは死者ではなさそうね、生命力を感じるから妖怪か何かが化けてるのよ、何の為にそんな事をしているのかはわからないけど。」
「妖怪が化けている・・・?」
心当たりはある、そういえば最近命蓮寺でも彼女の姿を見かけないしそれは十分考えられる事だ。
「じゃああれはきっとぬ・・・」
「じゃああれは黒幕に関係あるかもしれませんね!」
元気のいい村紗の声が白蓮の言葉を遮った。
「え?!村紗待ちなさいあれは多分・・・」
白蓮が止めるより早く村紗は背中に背負っている錨型の武器を空へ向けて投げつけていた。
村紗の投げた錨は鮮やかなほど一直線に怪しい敵を捉え甲板に叩き落とした。
「いったいなもう!」
「聖!大変です、怨霊がしゃべりました!」
撃墜した敵の元へ走った村紗が血相を変えて慌てている。
それに比べて白蓮はやれやれといった呆れ顔をしている、完全にこの怪しい敵の正体を確信したようだ。
「そんな紛らわしい姿でいるからそうなるんです、自業自得というものですよ。」
怪しい敵の姿が陽炎のように揺らぎ、本来の姿に戻った。
「あれ?ぬえ?」
村紗は目の前で起こったことが信じられないのかキョトンとしている。
「あんな姿でコソコソしていなくても、初めから手を貸してくれたらよかったのに。」
ぬえは甲板にへたりこんで赤く腫れた太股をさすっている。
「だって・・・恥ずかしいじゃん・・・」
それだけ言ってぬえはさっさと飛び去ってしまった。
「村紗、後でぬえにちゃんと謝っておきなさいね。」
「はい・・・」
「面白いお仲間ね。」
二人のすぐ後ろで幽々子がクスクスとわらっている。
「大変なへそ曲がりです、本当は素直でいい子だと思うのですけど。」
「それはそうともう一つ、気になることがあるって言ってたわよね?」
「ああ、そうです。どうもいくらかの怨霊が聖輦船を無視して地上の方へ向かってるようなので、地上に影響が無ければよいのですが。」
確かに、そう言っているそばから幽々子の目の前を怨霊が通り抜けて行った。
「怨霊は生者を妬んでその命を奪おうとするから、聖輦船を通りすぎるって事はもっと魅力的な餌が近くにあるんじゃないかしら。地上までは行っていないと思うけど。」
「ひょっとして紫さんと山の神様でしょうか?」
「うーん・・・確かに神力も妖力も大元は生命力だから怨霊を引き寄せることはあるかも、でもあの二人は味方・・・あ!」
突然幽々子が大きな声を出したので白蓮と村紗は驚いて飛び上がりそうになる。
「あの二人がどうかしたのですか?」
「あ、いえ何でもないわ。それよりほら敵が来てるわよ。」
幽々子が指差した先ではぬえが二十体ほどの怨霊玉に囲まれながら戦っていた。
「村紗、ぬえを助けに行きますよ。」
「はい。」
二人はすぐにぬえの元に飛んでいった。
「(危なかったわ、うっかり口を滑らすところだったけど。でもあの二人何かあったのかしら、気になるわね。)」


神奈子が目の前の半透明な壁を蹴破ろうと思い切り足蹴にする。
硬くはない、しかし分厚いゴムのような感触で簡単には破れそうにない。
半透明と言っても視界はほとんど普通と変わらない透明度だが、淡く白い光を放ち神奈子の身長の倍ほどある直径の球体、神奈子はその球体に囚われていた。
「それは生者と死者を隔てる境界、通り抜けるには死体になるしか無いわよ。」
紫は球体の中の神奈子を狙って弾幕を放った。
しかし神奈子は狭い球体の中で器用に弾幕をかわす。
「(生命の境界?この妖怪はそんな不条理な力を使えるというのか・・・)」
続けざまに紫が放つ弾幕を避けつつ状況を打開する為に思考を巡らせる神奈子。
「(すきま妖怪の位置が変わった?前よりも少しこっちに近い、何故?遠くから安全に狙い撃ちできる状況なのに?)」
目の前に紫の弾幕が迫る。
その弾幕を回避しようとした時、境界が先程よりも狭くなっている事に気付いた。
「(この境界が本当は何なのかわからないが、仕方ない。)」
「この私をこんな粗末な檻に閉じ込めたのは流石だが、だからと言って仕留めるには至らないようだな。何百万年とこのままで兵糧攻めにでもするつもりか?」
「あら、まだそんな軽口が言えるのね。」
「これだけの広さがあればあの程度の弾幕を避けるくらいわけない事だな。
「そう、だったらこれではどうかしら?」
神奈子を捕らえている結界がさらに狭くなった。
「(やはりそういう事か、もう少しだな。)」
最初とくらべてかなり狭くなった結界の中で紫の弾幕をかわすのは簡単な事ではない。
しかし神奈子は敢えて余裕そうな態度を崩さない。
「これで終わり?こんな仰々しい仕掛けを使ってこの程度か、所詮妖怪は妖怪、最強と言ってもたいした事はないな。」
「その余裕、いつまでもつかしら?」
結界がさらに狭くなり、もうほとんど身をかわす事ができない程になっていた。
「(やっぱり、結界を狭くする度に近付いてきている。まだ少し遠いけど仕掛けるしかない・・・!)」
ほとんど動けなくなった神奈子に最後の弾幕を放とうと腕を振り上げた紫だったが、凍り付いたようにその動きが止まった。
「うかつに動かないほうがいい、貴方も私と同じに狭い世界に閉じ込められたのよ。」
紫は神奈子の言葉を確認する為に慎重に周囲を見渡す。
それは一瞬のうちに現れて紫を完全に包囲していた。
神奈子の操る色とりどりの神符が空中で静止して紫を狙っている。
「どうする?このまま結界を解かなければ良くて相討ちだが。」
この結界をなんとかしなければ不利な状況には変わりがない、だからこそ神奈子は強気に振る舞う。
「そうかしら?私はまだ自由に動けるのだからまったく有利だと思ってるけど?」
紫はそう言うが実際今はどちらが有利とも言えない状況だ。
神奈子の神符はまさに結界のように上下左右前後すべてに張り巡らされている。
これらが一斉に動き出したら果たして紫にも全て避けきれるだろうか。
ともすれば互いに詰み、二人は相手の出方を窺うしかなかった。
二人の上空からいくつかの怨霊玉が降りてきて神奈子の神符に触れて勝手に分解されている。
一体やそこらではどうという事は無いが、何体もの怨霊玉が一斉に降った場所は少しづつ神符が消滅していた。
「このまま睨み合っていればいつか私の勝ちのようね。」
「ならばそうなる前にその胡散臭い体に私の神徳を刻み込むまで!」
神奈子の神符がゆっくりと動きだした。
紫を狙うもの、紫の周囲を回り退路を塞ごうとするもの、どこに向かっているのかよくわからないもの、様々な色や動きの神符が徐々に速度を速めながら紫の包囲を狭めていく。
「さすがにこれは簡単には避けきれないかしらね。」
紫は手元に開いたすきまから奇妙な形状の日傘を取り出して神符を防ごうと考えた。
「させるか!」
気合い十分な神奈子がオンバシラを放ち、紫の日傘を弾き飛ばした。
「え?!」
それに気をとられた紫は目の前に迫った神符を避けることが出来なかった。
一枚はそれほどのダメージがあるわけではない、しかし一枚を避け損なうとリズムが狂ってしまいどんどん被弾が増えてしまうものだ。
紫が被弾するたびに神奈子を閉じ込めていた結界に揺らぎが生じる。
神奈子はその揺らぎに合わせて結界を思いきり足蹴にした。
蒟蒻のような奇妙な感触の結界に神奈子の右足が突き刺さり、穴が開いた。
小さな穴ではあるが穴が開いた境界は風船が割れるように小さく破裂してすべて消滅してしまった。
間髪入れず攻め込む神奈子。
神符の密度はもうかなり薄くなっているがこのチャンスを逃すわけにはいかない。
未だ神符に手を焼いている紫の周囲を取り囲むように十二本のオンバシラが現れた。
現れたオンバシラは神奈子の合図で一斉に紫を圧し潰しにかかる。
しかし紫はギリギリのところですきまに逃げ込み目標を失ったオンバシラは互いに衝突し轟音と共に砕け散った。
「また逃げられたか、これは思った以上に手強い相手ね。」


聖輦船に迫る敵は着実に数を減らしたがまだあちこちで戦闘は続いている。
そんな中で幽々子はある妖怪を探していた。
「うーん、あの尻尾はかなり目立つはずなのにいざ探すとなかなか見つからないものねー。」
ふわふわと聖輦船の周囲を飛び回っている幽々子、まだ探す相手は見つからないようだがそちらに気をとられすぎたようだ。
ゆっくりと背後に忍び寄っている敵に気付かない幽々子。
「幽々子様!後ろです!」
声に反応して幽々子が暢気に後ろを振り向くと何か大きな丸いものが飛んできてレギオンを粉砕した。
「あらー、こんな所にいたのね藍。」
飛んできたのは八雲藍、八雲紫の式神だった。
「どうしたのです?私に御用ですか?」
藍はボールのように丸めていた体を伸ばしていつものように背筋を伸ばす。
藍の動きに伴ってトレードマークの柔らかそうな尻尾が美しい花のように開いた。
「藍は紫と一緒じゃなかったのね。」
「はい、今回は一緒にいなくてもよいと言われましたので。」
「それはおかしいわよ、それに見たところ貴方封印解いてるでしょ。」
「今回出発前に解いて頂きました。」
「やっぱり・・・そういう事なのね・・・」
幽々子は芝居がかった大げさな溜め息をついた。
「どういう事ですか?」
「紫はあの山の神様に勝てないと思ったのね、危険だから貴方にはついてくるなって言ったのよ。」
「そんな!紫様が負けるはずないじゃないですか!」
「負けはしないかもしれないけどよくて相討ち、でしょうね。ううん紫は最初からそのつもりなのよ。」
「いくら幽々子様でもそんな巫山戯た事を言うのは許しません!」
「でもそういう貴方も本当は心配なんじゃないの?」
怒りでツンツンに立っていた藍の尻尾がうな垂れる、本当は藍も紫の事が気になっているようだ。
「紫の所に行ってあげなさい、何か言われたら私から紫に言ってあげるから。」
「ありがとうございます、では私はちょっと紫様の所へ行ってきます。」
藍はいそいそと紫と神奈子が消えて行った方へ飛んでいった。
「これでよし、どうせ紫の企んでる事はなんとなく想像つくけど、あの子がいれば無茶もしないでしょ。」


神奈子が背負っている四本のオンバシラから放たれた四本の光が弧を描きながら紫に向かって走る。
神奈子は光の導線をなぞるように自らも紫に向かって突進した。
右手には銅剣が握られている。
銅剣といっても神力の込められたものである、並みの刀よりも遥かに強力な殺傷力があるだろう。
光線を難なくかわした紫に神奈子が斬りつける。
紫は少しだけ後ろへ下がって最小限の動きで斬撃をかわす。
対して神奈子はさらに前に出て返す刀で斬り上げる。
今度は一回転しつつ横にかわす紫。
難なくかわす紫に苛立った神奈子は紫の喉元を狙って剣を突き出す。
紫はすぐ隣に開いたすきまに手を突っ込むと中から進入禁止の道路標識を取り出して神奈子の突きを払った。
体勢を崩した神奈子に今度は紫が標識で殴りかかる。
神奈子が不自然な体勢のままながら銅剣で紫の標識を払うと剣を受けた標識の柱部分は野菜か何かのように簡単に両断されてしまった。
紫は真っ二つになってしまった標識をすぐに投げ捨て再びすきまに手を突っ込むと今度は何か巨大な棒状の物を取り出した。
紫の身長の倍はありそうなそれ、幅広なデザインの所謂西洋剣だった。
「あなたの自慢の銅剣でこれは斬れるかしら?」
紫が巨大な剣を軽々と持ち神奈子に振り降ろす。
受け止めるのは無理だと判断した神奈子は紫の剣をかわし距離を取ろうと離れる。
かなり余裕をもってかわしたはずだが風圧で神奈子の服が揺れる。
「さすがに無理ね、だが私の武器もこれだけではない。」
神奈子が紫に向かって手をかざすと袖口から細い蔓のような物が伸びて紫の持つ剣に巻き付いた。
「こんなもので止められると思っているのかしら?」
紫はかまわずに神奈子目がけて蔓が巻き付いたままの剣を振り降ろした。
今度は神奈子は避けようとはせずに銅剣で紫の剣を受けにいく。
激しい金属音、紫の想像に反して破壊されたのは紫が持っている剣の方だった。
完全に錆びて風化してしまった使い物にならないそれを投げ捨てた紫、今度は両手をすきまに差し入れると二丁のライフルのような物を取り出した。
それを見て咄嗟に距離を離す神奈子、二つの銃口を神奈子に向けて神奈子を追う紫。
「あんな物まで持ち出すとはどこまで非常識な奴・・・!」
紫が放った光線を紙一重でかわした神奈子が振り向き様に応射する。
神奈子が背負っているオンバシラから放たれた四本の光は二本づつに別れて紫を追う。
最初の二本を普通にかわした紫はすきまに入って次の二本をかわす。
「いちいち小賢しいわね!」
神奈子は周辺の気配に神経を集中する。
「(上か、しかし余りにも殺気が出すぎているからこれは罠だろうな。)」
神奈子は気付かないフリをし、紫の出方を窺う。
先ほどまでと比べたら余りにも判りやすい気配をだしているが、攻めてくる様子は無いようだ。
「(何を企んでいるかわからないが、このままでは埒が明かないな、引っ掛かってやろうではないか。)」
神奈子は気配のする方へ向き直りながら神気を練り攻撃の準備を入る。
しかしそこで見たのは信じられない光景だった。
「貴方は・・・確か八雲紫の式神?」
攻撃する寸前でそこにいるのが紫ではないと気付いた。
「これはいったいどういう事だ?」
「まったく、こっちが聞きたいわよ藍、こんな所まで何しに来たのよ。」
呆れたような顔をして紫が藍の背後から現れた。
「紫様、私も一緒に戦わせてください。そして二人で屋敷に帰りましょう。」
「いやいやいや、あんたは何をそんな深刻になってるのよ?」
話が噛み合うはずもない、藍はここで本当に命のやりとりを伴うような戦いが行われていると思い込んでいるのだから。
「(やれやれ、あの式は私たちがつるんでいた事は知らないようだ、だとするとやっかいな事になりそうだな。)」
「あのね、藍。とりあえずは大丈夫だから、貴方は船に戻りなさい。」
「そうはいきません、私は紫様の式としてこの身に代えても紫様をお守りする義務があります。」
「うん、気持ちは嬉しいんだけどね、今は困るのよ。(生真面目な藍にバレたら何言われるかわからないし・・・困ったわね。)」
紫は助けを求めるような目で眼下にいる神奈子の顔を見る。
「そう・・・もう戦いは終わったから、貴方は船に戻った方がいい。(そんな目で私を見るな、自分の式神でしょうが!)」
神奈子は歯切れ悪くそう言って目を逸らした。


なんとも言い難い気の抜けたような雰囲気が場を支配する。
しかしそのせいで三人ともまったく気付くことができなかった。
藍を追ってきたのか、頭上から小型ながら恐ろしい速度で降下してくる怨霊玉がいたのだ。
初めに気付いたのは下から頭上にいる紫と藍のいる位置を見上げていた神奈子だった。
「二人とも、危ない!」
神奈子の声に二人も敵の存在に気付いたようだ。
神奈子は迎撃の為に背中のオンバシラから光を放ち、紫はすきまを開いて藍の着ている法衣を掴み問答無用ですきまに引きずり込もうとする。
紫が開いたすきまのすぐ脇で、その怨霊玉は自爆した、神奈子の迎撃は間一髪のところで間に合わなかったのだ。
眩しい閃光が収まると、何もない空間に口を閉じたすきまだけが浮かんでいる。
「なんとか、間に合ったようね。」
神奈子の口から安堵の溜め息が漏れる。
口を閉じていたすきまが開き、中から藍の体を抱えた紫が出てきた。
神奈子は慌てて紫の側に寄る。
いつも綺麗に手入れされている藍の法衣は所々に赤い血が滲んで汚れてしまっていた。
特に背中がひどく爆発の衝撃のせいか、大きく破れた法衣の隙間からのぞく白い肌にも赤いものが見える。
「大丈夫なのか?!」
神奈子が思わず大声をあげる
「こう見えてこの子だって大妖怪だから、あの程度で死にはしないわ。でも少し休ませないと・・・こちらから仕掛けた勝負、申し訳ないけどここまでで預からせて貰うわよ。」
「構わないわ、この後に及んでまだ続けると言うなら今度は本気で貴方に神罰を与えないといけなくなる。」
「そこまで空気が読めない妖怪じゃないつもりよ。」
紫はそう言い残すと大事そうに藍の体を抱いたまま、すきまの中に消えていった。
ぽつんと一人残された神奈子、そこに先ほどまでの激戦の緊張感はもうない。
ふとさっきチラリと見た早苗の姿を思い出した。
「そう言えば、早苗も怪我してるみたいだった。こんな事してる場合じゃなかったわね。」
神奈子は早苗のいる聖輦船に戻ることにした。
敵役を引き受けている自分が受け入れられるかはわからないが、とにかく今幻想郷の為にできることをしようと思った。


聖輦船は着々と怨霊玉本体に近付いている。
本体に近づくにつれ抵抗が激しくなる、全員がそう思っていたが実際には逆であった。
本体はすでに目視できるほどの位置に近付いているが今はほとんど敵の抵抗が見られない。
「力を溜めているのか、それとも何か理由があるのかしら。」
永琳は理由を考えているようだがわかるはずもなかった。
そもそも意思のような物が存在するかも疑わしい相手なのだから。
疲労と緊張から皆が皆、微動だにせずに上を見つめている。
船首付近にいるさとりとこいしはずっと神経を絡めたままでそこに立っていた。
怨霊が放つ恐ろしい怨念は未ださとりの心を蝕もうとしている。
だがもうさとりが動じることはなかった。
単純にこいしの無意識の力が姉の心を守っているように見えるが実際にはそうではない。
こいしは自分のサードアイと姉のサードアイをリンクさせる事で姉が持つ想起の力を借りる事ができた。
それと同じで一時的に取り戻した読心の力で姉が受ける怨念の半分以上を肩代わりし、無意識でそれを受け流していたのだ。
まさに覚であるさとりと覚をやめたこいしだからこそ為せた技である。
そのこいしはまだ空を模した姿を保ったままでいた。
もうすぐ本体と最後の戦闘が始まる。
そうなったらこいしも空や姉と共に本体の攻撃に加わるつもりだった。
里の子供との約束を果たす為にも絶対に負けるわけにはいかない、無意識がこいしにそう告げる。
小さなこいしには身に余る巨大なプレッシャーを受けている、こいし自身にも理由ははっきりわかっていないが空の制御棒を模した右手は小刻みに震えていた。
こいしのそんな状態を知ってか知らずか、フランがふらふらとこいしの側に飛んできた。
「あれ?こいしちゃんその格好、どうしたの?」
すぐいつものこいしと違う事に気付いたフランが訪ねる。
「お姉ちゃんの力を借りたんだよ。かっこいいでしょ?」
「えー、すごいすごい。ちょっと見せてよ。」
フランは特にこいしの右手が気になるようだ。
自慢げに制御棒のような右手をフランに見せつけるこいし。
そんなこいしもフランの背中がいつもと違うことに気付いたようだ。
フランもまた、こいしと同じように姉の力を借りていたのだ。
「フランちゃんのその羽、どうしたの?」
フランはこいしの問いにニターッと笑った。
「お姉様にもらったのよ、かっこいいでしょ?」
フランはこいしの目の前でくるりと一回転して黒い羽を自慢気に見せつける。
「うん、フランちゃんのお姉ちゃんみたいだね。」
こいしの言葉に照れ笑いを浮かべるフラン。
「ねえこいしちゃん、今日誘ってくれてありがと。」
「え、何?」
「今日ここに来たお陰で私、お姉様の事が大好きになったよ。」
「えー?じゃあ今までは嫌いだったの?」
「ううん、前から好きだったよ。でももっと大好きになった。」
「だよねー、私も・・・」
こいしは急に口をつぐんで隣にいるさとりの顔をちらりと見た。
「えへへ、なんでもない。」


聖輦船は予め打ち合わせた通り怨霊玉本体の真下を目指して進んでいた。
「この辺りでいいわ、止めて。」
永琳の指示で村紗が船を止めた。
誰が呼んだわけでもないが、その場にいる全員が船首に集まり一様に上を見上げる。
欠片との戦いの中ではじっくりと見るような余裕は無かった。
しかし今、改めて見た敵の姿は恐ろしさよりも何かな哀しさのような感情を感じる。
「こいつら、元は外の世界の戦争か何かの犠牲になった可哀想な連中なんだよな。」
魔理沙の言葉にすぐ答えるものはいなかったが、思っている事は概ね同じである。
「そうね、でも同情する必要は無いわ。いえ同情するからこそここで破壊してしまわなければいけないの。彼らは本来彼岸にいなければならない存在、ここにいる事自体が陸に揚げられた魚のようなもの。不条理に寿命を終わらせられて完全に死ぬ事もできずに彼ら自身も苦しんでいるのよ。」
皆の戸惑いを察知したような幽々子の言葉が迷い始めた全員の心を鼓舞する。
「終わらせましょう。」
短くも重みのある永琳の一言、破壊メンバーは打ち合わせた通りの配置につき、他のメンバーは万が一の反撃に備えて彼女らを守るように周囲を取り囲む。
「紫戻ってこないわね、大丈夫かしら。」
ずっと気になっていたが胸にしまっていた事、不意に霊夢がそれを吐き出した。
幽々子のように紫と神奈子の繋がりを知っているのでなければ気になるのは当然だろう。
「あいつがそんな簡単にやられるわけないだろ、今は目の前の敵に集中しようぜ。」
魔理沙の言うことは何の根拠もない単なる気休めだが今はそう考えるほかは無い。
「それではいきますよ、皆さん。風神、天狗颪!」
聖輦船の右側に陣取った文が天へ向かって風を起こす。
「さあ、早苗さんもお願いします。」
反対側にいる早苗が文の呼び掛けで幣を構える。
「早苗、大丈夫なの?」
隣にいる諏訪子が心配そうに早苗の顔を覗き込む。
「はい、もう大丈夫です。お二人ばかりに辛い役目はさせられませんから。」
早苗の言葉に諏訪子がハッと目を見開いた。
「早苗・・・私と神奈子のしてること、気付いてたの?」
「確信したのは諏訪子様がこちらに来た時です、あまりに無理がある理由だと思ったので。」
「いや、あれは私が考えたわけじゃないし。」
ばつの悪そうな諏訪子。
「私、一度お二人の所へ行きましたよね・・・実は逃げてきたんです。」
「逃げたってどゆこと?」
「霊夢さんにも疑われてどうしたらいいかわからなくなって、お二人が何をしようとしているか、その時はわからなかったけどお二人の所にいけば私も仲間に入れて貰えると思ったんです。」
「早苗・・・ 」
「でもあれに捕まって追い返されてその一瞬、神奈子様のお顔が見えたんです。初めて見るお顔でした。気のせいでなければ私を自分に仕える巫女でなく並び立つ現人神として見てくれていたような、私にはそう見えたんです。」
「(確かに神奈子は何度も言ってたね、早苗にも現人神として役割を果たしてもらうって・・・)」
「だから私は必ず、神奈子様の御期待に応えて見せます、奇跡!八坂の神風!」
早苗も文と同じように天へ向かう風を起こした、その風は天狗のそれを軽く凌駕するほどの力強い流れを巻き起こす。
「妙な感じですね、私のも早苗さんのも、風の流れが不自然な気がします。なんと言いましょうか、先端が変に渦を巻くと言いましょうか・・・」
「ここは天界よりも上の世界だから気圧や空気が地上と違う。多少の違和感はあるかも。兎に角急ぎましょう、あれが反撃してくる前に。」
すでに精神集中を始めているパチュリーの声で、他のメンバーもスペルの体制に入る。
「お姉ちゃん、もう一回お姉ちゃんの力を貸して。」
こいしが右腕を上空へ向ける。
「こいしに任せるわ、私の力はすべて貴方に預けます。」
さとりのサードアイがほんのりと発光したのに合わせるようにこいしのサードアイも同様に光を放ち始める。
同時に空の制御棒を模したこいしの右腕が更に太く長く姿を変えた。
「(こいしの力は私よりずっと強い、そのせいでこいしは私よりずっと辛い思いをしたのね・・・でもこれからは私がこいしの心を守るから、絶対に。その為にまずこの異変を終わらせないと!)」
空もこいしと合わせるように制御棒を構える。
「一度はこの手で焼き尽くそうとした世界、これを救う事が私の贖罪になるのならばこの身が燃え尽きても構わない、美しい地上は無くさせない・・・!」
お燐は空の言葉に少し寂しそうな表情を浮かべた。
「(あたいは・・・おくうやさとり様のいない世界なんていらないよ・・・そんな世界なら・・・いっそ無くなっちゃったって・・・)」
「妹紅、この私がわざわざここまで出向いてあんたの事を守ってあげたんだからしっかりやりなさいよ。」
声を掛けられた妹紅がその声の主に拳を向ける。
「当たり前だ、全てが滅びて私とお前だけの地上なぞまっぴらだからな。」
「あら奇遇、私もそう思ってたところなの。だからまぁ応援くらいはしてあげてもいいわね。」
輝夜が少しだけ頬を緩め、見つめあっていた妹紅もニッと笑い改めて上空を睨み構え直すと両拳が炎に包まれた。
急遽こいしを加えた五人が準備を終えたのを確認して永琳が最後の指示を出す。
「ではカウントを始めます。なるべく全員が同時になるよう零に合わせてください。」
その場にいる全員が息を飲む。
「五・・・四・・・三・・・二・・・一・・・」
永遠に続くかと思えるほどに長い五秒間、この瞬間の為にこの場にいる者達は互いに協力しあいここまでやって来たのだ。
人間はもとより人間よりずっと享楽的な妖怪や鬼がひとつの目的に向けて協力しあうなど普通に考えたらありえない話だ。
かつて月に攻め込んだ妖怪達はただ一緒にそこにいるというだけで協力するそぶりすら無かった、故に月人が強かったとはいえ誰も予想だにしないほど簡単に敗退する憂き目にあった。
しかし今回は違う、今この聖輦船に集まっているメンバーであればどんな非常識で不可能な事でも実現させられる、そんな予感さえしていた。
そしてそんないけいけな空気が慎重さを失わせ、本来なら気にするべき違和感を押し流してしまったのも事実だった。
「・・・零!」
「火符、アグニシャイン。」
物静かな詠唱から放たれた紅蓮の炎が文と早苗の風に挟まれて渦をまく。
「蓬莱凱風快晴!フジヤマヴォルケイノ!」
妹紅が両腕を天に向かって伸ばすと掌に宿っていた炎が放たれる。
放出された炎は爆発力を孕んだまま渦巻く炎と混ざって一体になった。
「さとり様こいし様、準備はよろしいですか?」
赤熱した制御棒を頭上の敵に向けた空。
「いつでもいけるよ。」
空の真似をして右腕を頭上へ向けるこいし。
こいしの想起に神経を集中しているさとりも黙って頷く。
「爆符!想起!ペタフレア」
ほぼ同時に放たれた超高熱の塊が二つ、パチュリーと妹紅の放った炎を飲み込みながらゆっくりと上昇していく。
熱の塊が怨霊玉本体に触れると同時に辺り一帯には苦しげな咆吼が響き渡った。
風を起こしていた文と早苗、この非常識な超高熱を産み出した五人、その他の者達も含めた全員が頭上を注視している。
視線の先は蒸気なのか何かが焼ける煙なのかわからないが視界を妨げる物が湧き出してくる。
しかしその煙越しにも一つに融合した超高熱が怨霊玉本体に食い込んでいくのがはっきりと見えた。
煙はますます濃くなりほぼ完全に視界を遮るまでになってくる。
炎の猛る音も怨霊玉の発した咆吼も徐々に収まり、やがて静寂が訪れる頃には煙も薄くなり始める。
「なんとか・・・なったようですね。」
永琳が安堵のため息を漏らすがそこに歓喜の声は上がらない。
全員がすでに精も魂も使い果たし、ただ静かに黙ってやり遂げた達成感を噛み締めていた。


違和感はあった、文が感じていた風の異常もそう、諏訪子は過去の経験からまだ勝利を確信できずにいた。
元々今回の異変にいち早く気付いたのは諏訪子だった。
彼女と共に外の世界からやってきて、今では幻想郷の至るところに隠れ住んでいる祟り神ミシャグジ。
彼らと感覚を共有する事で普通なら気付く事のできない遥か上空に起こっている異変を察知する事ができたのだ。
だがそれもすべて過去に外の世界で同じような物を見た経験があったからである。
今でこそ自由に神社の外に出歩く諏訪子だが外の世界ではほとんど神社から出て姿を晒すことはなかった、それが神奈子と和解する条件だった。
しかし記録には残っていないが神奈子の要請で人目を忍んで外に出た事が何度かあったのだ。
大きな災害や戦の度に地上の人間が知らぬ所で今回のような事があり、神奈子はその制圧にあたり諏訪子にも協力を頼んでいた。
だから神奈子も諏訪子も今回の異変の事はこの場にいる誰よりもわかっている、その諏訪子の勘ははっきりとまだ異変が終わっていない事を告げていた。
視界を塞ぐ煙が薄くなってくる。
「まだ終わっていないわよ、全員気を抜かないで!」
下の方から聞こえてきた何者かの声で霧が晴れると同時に緩み始めた場の空気が一瞬で引き締まった。
煙が晴れ視界が回復する、そこには禍々しく巨大な球体がほぼ完全な姿で残っていた。
球体は先ほどよりも赤い光を増し表面が強く波打っているようにも見える。
下からやってきた声の主は八坂神奈子だった。
「何を言ってるの?!誰のお陰でこんな事になったと思ってるのよ?!」
紫が戻らずに神奈子だけが戻ってくる、その意味するところを瞬時に考えた霊夢が神奈子に噛み付いた。
「今は私の事よりも目の前のあれを何とかする事を考えなさい!」
「く・・・!」
「そうよ、少し落ち着きなさい。」
霊夢の背後から聞こえた声はその八雲紫のものだった。
驚いた霊夢が振り向くとすきまから抜け出してくる紫とぶつかりそうになる。
「ちょっと!いきなり出てこないでよもう!」
「ふふ、ごめんなさいね。」
「彼女は大丈夫なのか?」
完全に姿を現した紫に神奈子が尋ねる。
「当然よ、あの子は私の自慢の式なんだから。それより貴方にはいい方策があるかしら、どうも作戦は失敗したみたいだけど。」
紫は事の顛末を見ていなかったがこの場の空気を見れば何が起こったかはなんとなく想像できる。
「そもそも計算では充分な熱量を確保できていたはず、なぜ失敗したのかしら。」
「怨霊玉は強い怨念と超高熱を出しているから周辺の位相に歪みが生じる。だから外部から攻撃してもかなりのエネルギーが拡散してロスされてしまう。それで最終的な熱量が足りなくなったのだ。」
「風がおかしな吹き方をしていたのはそのせいだったのですね、気付いてはいたのに・・・!」
いつも飄々としている文が珍しく悔しさを顕にする。
「さっきのようなやり方ではダメだ、炎を束ねるのではなく集まった皆の力を束ねるのでなければ。」
「確かに私たちもそれは最初に考えました。」
永琳は口許に手を当てて何か考えているようだ。
「力を集めて注入するのは萃香さんの力を借りればできるはず、しかしそれに耐えられる者が果たしているかどうか。」
「大丈夫よ、私の八咫烏なら。」
皆が一様に空に注目する。
「私に出来ますか・・・?」
「確かにおくうなら集めた力を熱に変換することは出来るでしょう、しかしその力に耐えられるかどうかは・・・」
さとりの声を遮ってレミリアが大声を上げた。
「ちょっと、まずいわよ。あいつ降りてきてるわ!」
巨大な球体はゆっくりとだが少しづつ降下を開始していた。
いや、今はゆっくりだが徐々に加速しているようにも見える。
「諏訪子!」
「わかってるよ!」
神奈子の叫びに応えるより早く諏訪子はミシャグジを呼び出していた。
呼び出された五匹のミジャグジが球体に貼り付くが落下は止まらない。
「ダメだよこいつ、昨日までなら私のミシャグジでなんとか止めていられたけどかなり力が強くなってきてる!」
ほとんどの者は今の諏訪子の言葉で二柱が何をしていたのかなんとなく理解する。
もう神奈子の言葉を疑うものはいなかった。
「時間が無いわ!もうやるしかない!」
そう言っている間にも球体は効果を続けている。
「まずは降下を止めないと、何か方法は・・・」
「全員船から離れて下さい!」


村紗の絶叫にも似た叫びを聞いて全員が船から離れる。
それを確認した村紗は聖輦船を球体に向けて進ませた。
バリバリと木の折れる音、さながら竜巻が森を襲ったかのような凄まじい轟音が辺りにが響く。
聖輦船は降下する球体の下敷きとなっていた。
船倉は文字通り木っ端微塵に砕けて無数の破片が周囲に漂っている。
球体の降下は止まっているがすでに聖輦船の竜骨はありえない角度に曲がりミシミシと悲鳴を上げている、誰の目にも完全に破壊されるのは時間の問題に見えた。
それを見た白蓮が巻物を広げる。
簡略化された短い読経で発動したのは彼女の得意とする魔法、人体強化である。
「勇儀さん!後ろをお願いします!」
白蓮は折れ曲がりつつある竜骨の先端を掴んで支える。
見た目にはいつもと変わらないが今の白蓮は力だけなら鬼にも匹敵するほどに強化されていた。
「わかった!こっちは任せな!」
それを見た勇儀は反対の端に向かう。
二人の力で竜骨の悲鳴は少し収まったように思えるがとても安心できる状況ではない。
「時間が無いわ、全員八咫烏の側に集まって!」
船を支えている二人、他一人を除いて全員が空の側に集まった。
「お燐!早くこっちに!」
下を向いたまま皆から離れているお燐なさとりが叫ぶ。
「あたいは嫌だよ!おくうがいなくなるなんて!」
「まだそうと決まったわけじゃない!早くこっちへ!」
神奈子のヒステリックな叫び声にもお燐は動かない、それどころか空から離れていってしまった。
「お燐が言う通り私はここで死ぬかもしれない、でも住職は言ってたんだ。今のこの体がなくなっても贖罪が終われば新しく生まれ変われるって、何千年何万年かかるかわからないけど必ずいつか地底に帰るから私に力を貸して欲しい。」
空の言葉も今のお燐には届いていないようだった。
チラチラと空のほうを見てはいるがやはりこちらへ来る様子はない。
「待っていても仕方ない、彼女には可哀想だが・・・」
「大丈夫です、早くやってください。」
神奈子の言葉を空が遮ったのはこれ以上神奈子ばかりに汚れ役を引き受けさせるわけにいかないと気を使ったのだろうか。
「じゃあ、皆の力を貰うよ。」
有相無相あらゆる物を萃める事ができる萃香の能力、もちろん妖力だろうと霊力だろうと神力だろうと萃める事ができるし実際に行った事もある。
が、これだけの大妖怪や大神の力を一度に萃めるなどと云う事は初めての経験だった。
「ちょっと、ヤバいんじゃないのこれ・・・!」
萃めた力が余りにも大きすぎる、妖怪より肉体的にも精神的にも遥かに強靭な鬼ですら持て余すほどの力。
神奈子はできると言い切ったが力が強いとはいえ一妖怪に過ぎない空がこの力に耐えられるとは思えなかった。
妖怪は精神的なダメージに比べれば物理的なダメージには強い、確かにそうではある。
だがそれはあくまで常識的なレベルでの話、今萃香が萃めた力は幻想郷の常識すら軽く凌駕するほどの強さだった。
萃香は膨れ上がった力ではち切れそうな掌を空の胸、八咫烏の目に近付けると半ば厄介な物を押し付けるように溜まった力を流し込んだ。
空の体が危ないのは重々わかっているが一秒でも早く手放さなければ自身が正気を保てなくなる危険を感じていた。
そんな萃香の予想に反して空は声を上げる事ものたうち回る事も無かった。
しかし実際にはそんな余裕すら無いのだと云う事が空の苦しげな表情から見て取れる。
「体を楽にして、貴方ならその力扱えるはずよ。」
そう言う神奈子にも実際にははっきりとした確信は無かった。
もちろん自分の“作品”に対して自信はある、しかし萃香が萃めた力はこの作戦を提案した神奈子の予想以上だった。
とはいえ控えめにしようなどとは言えない、諏訪子と共に数々の怨霊玉を処理した神奈子でもこれほどの大きさは見たことが無い、だから当然どれくらいの力で破壊できるか想像もつかないのだ。
計算上での話で論じる余裕などすでに残されていない、二度目に失敗してまた徒(いたずら)に刺激する結果になればもう後が無い、ならば可能な限りの力を萃めてぶつけるしか方法は残っていない。
「(おくうがあんなに苦しそうで頑張ってるのにあたいは・・・?)」
自分が我侭を言っている事は痛いほどわかっている、自分がおくうの立場でも同じ事をするかもしれない。
でもやはり一番の親友を失うかもしれない行為に手を貸す事ができないでいるお燐。
そんなお燐の葛藤を読み取ったさとりがお燐の側へやってきた。
「お燐、迷っているのね。」
「さとり様、あたいどうすればいいかわからないです。おくうの手伝いもしたいけどおくうとお別れするのも嫌・・・」
「わかるわよ、私も数少ない友達を亡くすのは嫌だから。」
「(えっ?数少ない友達っておくうやあたいの事?)」
「でも私は貴方達の親でもあるから、おくうがああしたいって言うならやりたいようにさせてあげる、でも貴方は違うから。」
「貴方はどっちの道を選んでも後で後悔する事になると思う、だから私からこうしろとは言えないわ。貴方自身で決めなさい。」
「あたいはおくうもさとり様もこいし様も一緒に地底に帰りたい。でも・・・」
お燐の視線の先には注入された力をなんとか制御しようと顔を歪める空がいた。
「(せっかくもらった力・・・最後のチャンス、無駄にはできないけど・・・)」


空は全身を襲う激痛に耐えるのが精一杯で指一本も満足には動かせない、視界は揺らぎ頭痛がひどく意識も朦朧としてくる、なんとか制御棒を怨霊玉のいる上空に向けようとするが、もうどちらが天か地なのかもはっきりわからなくなってきていた。
「ダメ・・・このままでは・・・え?」
その時、何者かが空の制御棒を掴んだ。
すぐに大火傷するほどではないにしろかなりの高熱なはずだ、誰なのか気になるがもう空にはそれが誰なのかもわからない。
「おくう大丈夫?」
「お燐?!」
声の主はお燐だった。
空の制御棒を抱えているのもお燐なのだろうか。
親友の存在を間近に感じた空は少しだけ楽になった気がした。
「お燐、熱くないの?」
「熱いけどあたいは大丈夫よ。あたいが狙ってあげるから任せて。」
「お燐、ごめん。私やっぱり一緒に帰れないと思う。これが私の運命だったんだ。」
「うん、でもいつか帰ってくるんでしょ?」
「帰るよ、生まれ変わったら絶対地底に帰る。」
「約束だよ?」
「約束する、私は鳥頭だからお燐やさとり様に教えてもらった事もすぐ忘れちゃうけど、お燐との約束は絶対忘れないから。」
「でもおくうだったら帰り道も忘れちゃいそうだよね。」
溢れ出る涙でくしゃくしゃなお燐の顔に笑みが浮かんだ。
「そうだね、そうなったらどうしようか。」
「もし本当に迷子になったらあたいが迎えに行くよ。」
「わかった、待ってる。」
これでお燐と話すのも最後かもしれないが空は自然と口数が少なくなる。
あまりお燐と話していると決意が揺らいでしまう事が自分でもわかっていた。
「(これでいいのか?ここで死ぬのは本当に私が望んでいることか・・・?でもやらなければ私どころか皆の運命がここで終わってしまう、でも・・・)」
色々な事を考えるうち、ずっと気丈に振る舞っていた空の目からも涙が溢れてくる。
「お燐、やっぱり私も死にたくない、お燐やさとり様と地底でまた暮らしたいよ・・・」
「おくう・・・」
「地上がこんなに綺麗な所だなんて知らなくて、まだまだ行きたい所もたくさんある、さとり様やこいし様とも地上で遊びたい、まだこんな所で死にたくないよ!」
「(本当にこのまま燃え尽きてしまうんじゃないかと心配してたけど、やっと素直になったみたいね。)」
お燐とは違う、もっとずっと幼いが威厳を感じる声が空の耳に聞こえた気がした。
しかし近くにはお燐の気配しか感じられない、声の主は何者なのだろうと記憶を手繰る。
つい最近聞いた声だと思うのだが誰だったかはやはり思い出せなかった。
「このままいけば貴方の運命は予定通りここで終わりよ、でもそれを受け入れたくないのなら精一杯抗いなさい。」
「私は・・・また地底に帰れる?」
「それは私の口からは言えないわ、私にもわからないもの。でも貴方が心の底からまだ生きたい、運命を変えたいと願うなら私がその為の力を貸すことはできる。どう?賭けてみる?」
「もちろんです、私に力を貸してください。」
相手が誰かはわからない、わからないが空にはこの話に乗る他に選択肢は無いと思えた。
「お燐、悪いけどさっきの約束は無しだ。」
「えっ?」
驚いて空の顔を見たお燐はさらに驚いた。
先ほどまでの苦痛や不安に支配されていた時とはまるで違う、地底で異変を起こした時のような自身に満ち溢れたおくうに戻っていたのだ。
「私はこんな所では終わらない、お燐、さとり様、こいし様と地底に帰るよ、絶対に!」
「おくう?!」
「お燐ありがとう、もう大丈夫だから下がってて。」
体の痛みは収まるどころかいや増す一方だが今の空にしてみれば些細な事だ。
頭は自分でも驚くほどすっきりと清々しさすら感じる。
今なら自分が打ち砕くべき敵の姿がはっきりと見える、空は目標へ向けてまっすぐに制御棒を構えた。
「勇儀様、白蓮さんありがとうございます、後は私に任せて下がってください。」
「あぁ、後は任せたよ!」
「後はお願いします。あの黒猫の子以外にも今ここにいるのは皆仲間です、貴方が無事に役目を終えるのを祈っていますからね。」
すでに原形を留めていない聖輦船を支えていた二人が退き聖輦船も下がっていった。
支えを失った怨霊玉は降下を再開する。
精神を集中する空、空に力を与えた他の者達は離れた場所で注目している。
思いは全員同じ、すべて解決してこれ以上一人も欠けることなく地上へ戻る事。
降下する怨霊玉が空の目と鼻の先に到達する。
「大丈夫だ、萃香様が萃めてくださったこの力とフュージョンした今の私に壊せない物など存在しない!」
「おくーう!」
お燐の叫び声がトリガーになったように空の制御棒から膨大な熱量を含んだ球体が発射された。
天の月にも匹敵するほど巨大な怨霊玉、その怨霊玉を飲み込むほど更に巨大な熱量の塊は空の手で作り出された太陽そのものと言っても過言ではない代物だ。
そして、役目を終えて意識を失った空の体は地上へ向けて落下していった。


その奇妙な天体ショーは地上にいる妖怪や人間、妖精にも肉眼ではっきりと観察する事ができた。
薄明るい不気味な太陽のすぐ側に別の明るい太陽が生まれて暗い太陽を飲み込んだかと思うと明るい太陽はそのまままっすぐ天に向かって昇っていき、やがて完全に姿が見えなくなった。
つい先程まで熱狂の坩堝と化していた地上のライブ会場も今は静かに全員がこの天体ショーに見入っていた。
観客達が空の異変に気付いたのはちょうど響子のソロ曲【真夏のGONGYO】が始まった頃、不気味な薄暗い太陽の登場にざらついた不安感を掻き立てられ、激しいヘドバンでそれを振り払おうとしていた。
その後、明るい太陽が現れたのはミスティアのソロ曲【CAGE BREAK SINGER】の前奏が始まった時、バックで演奏していた騒霊が一番早く異変に気付いて演奏が止まり、その後は全員空を見上げていた。
まだほとんどの者は太陽が消えた空をじっと見上げて口々に幻想郷の危機だの危機は去っただのと話していた。
同じように空を見上げていたミスティアは自分でも何故だか理由はわからないが涙が溢れて止まらなかった。
あの空で今何か恐ろしい事が起こり、自分はそれに対してやらなければいけない事がある。
もちろん誰かに言われたわけではない、しかし彼女はなんとなくそれを感じ取り、手が自然とサングラスに伸びてそれを外しスカートのポケットに仕舞った。
今から歌うのは鳥獣伎楽のボーカルMystiaとしてでなく、歌に力を込める妖怪ミスティア・ローレライとして歌うのだと云う事の表れなのか。

深き夜闇で 道に迷う 魂

悲しみ 苦しみ 心に抱き旅する貴方を

私の歌で 導けるのならば

輝く未来へ さあ誘いましょう

たとえ行く手が 煉獄の闇だとて

私を信じて 貴方の罪も受け止めてあげる

そしていつしか 貴方の手を取って

懐かしい彼の地へ 戻れる日を待つの


どんなに辛く切なく苦しい旅でも

私は貴方の隣にいます

だから恐れず前に進んで

貴方を愛する人の処へ

いつか戻れるその日を信じていて


ミスティアが歌いだすとざわついていた会場は一瞬で静まりかえった。
観客もステージにいる響子と騒霊もじっと彼女の歌に耳を傾ける。
いつも歌で誰かを惑わし混沌を振り撒いている彼女が一度だけ鎮魂歌を歌い幻想郷をさ迷う霊を彼岸へ導いた事があった。
彼女自身自分にそんな力があることを知らなかったし、その時にも意識して歌った訳ではない。
意識せずとも歌が口をついて出てくるのだ。
それは歌を自らの力として行使する彼女の魂に刻まれている素質なのかもしれない。


「おくう!」
力無く落下する空の制御棒をなんとか掴んで落下を止めたお燐。
辺り一帯バラバラになった怨霊で埋め尽くされており、それらは本来向かうべきだった場所、彼岸へ向けて一斉に動き出していた。
「気を抜かないで!巻き込まれたら魂を引き抜かれて一緒に彼岸まで連れていかれるわよ!」
神奈子の声も大量の怨霊が発する呻き声に掻き消されてしまう。
物質的な実体を持たない怨霊に質量の概念は存在しない、当然怨霊の流れに人間や妖怪が飲まれ流されてしまうこともない。
しかしここにいると自分の魂を吸着されて怨霊と共に運ばれてしまうようなそんな恐ろしい感覚があった。
『生にしがみつく』そんな表現が一番しっくり来るかもしれない、その場にいる者達は濁流のような怨霊の流れに逆らい必死でもがいていた。
そんな中でただ一人、幽々子だけが普段と変わらぬ様子で悠々と濁流の中を泳いでいる、その幽々子は怨霊の流れに乗ってい何処かへ飛んでいってしまった。
何人かそれに気付いた者もいるが自分の魂をこの場に繋ぎ止めるだけで精一杯である、とても他の者にかまっている余裕などない。
紫が聖輦船に施していた温度の境界はすでに失われていたが、怨霊が塊ではなくなった事により相乗効果が無くなったようで致命的な高温になる事は無かった。
しかしそれでも数が多いので一帯はサウナのような状態になる。
お燐は汗が滲む手の平に全神経を集中させて空の制御棒を掴み、辛うじて空を捕まえていた。
凄まじい速さで流れる怨霊に抗いながら空を捕まえておくのは並な事ではない。
なんとかおくうの体を抱え上げたいところだが少しでもバランスを崩せば空と自分の魂が怨霊に浚われてしまうように思う。
手のひらに伝わる制御棒から急速に熱気が失われていくのを感じてお燐の気持ちばかりを焦らせる。
「おくう、早く起きて。起きないと連れていかれちゃうよ!」
返事は無い。
早くおくうの無事を確認したい、制御棒は冷えても身体はまだ温かいはずだしおくう顔を見ればちゃんと呼吸もしているはずだ。
なぜならおくうは言っていた、自分とさとり様とこいし様と4人で地底に帰ると、その約束をおくうが破るはずはない。
「お燐!大丈夫?!」
上の方から声が聞こえた、さとりの声だった。
お燐が上を見るとさとりとこいしが互いに肩を抱き合って濁流に耐えている。
サードアイはまだ接続したままだ、今切ればこいしはともかくさとりは一瞬で精神ごと魂を押し流されてしまうだろう。
「あたいは大丈夫です、でもおくうが・・・」
「おくうはきっと大丈夫よ、だから絶対に手を離さないでね。」
さとりがそう言うのであればきっと大丈夫に違いない、お燐は制御棒を握る手に力を込めた。
「おくう、もう少し頑張って。これが収まったらさとり様とこいし様と一緒に地底に帰るよ。」


船倉は完全に失われ甲板もぼろぼろで足の踏み場もない、そんな状態ではあるが辛うじて残ったスペースに皆が集まってくる。
今度こそ間違いなく危機は去った、しかし皆とても勝利の余韻に浸れるような状況ではなかった。
心配そうに見守る人の輪の真ん中で寝かされている空。
「おねえさん!おくうは助かるよね?!」
寝かされている空の側に座って彼女の状態を診ていた永琳はお燐の問いに何も答えられなかった。
声には出さずとも彼女の言いたいことは皆わかってる。
お燐も本当はわかっている、わかっているがそれを受け入れる事などできるはずがない。
空の右腕にあった制御棒は消え、元の空の腕に戻っていた。
お燐はずっとその手を握っている。
生気の感じられないまるで無機物のような感触が認めたくない事実をお燐に容赦無く突きつけてくる。
煌々と赤い光を放っているはずの八咫烏の目が今は完全に光を失っていた。
萃香の集めた力に耐えきれず絶命したか、意識を失っていた為にその魂を怨霊に道連れにされたかはわからない。
しかし空の魂はすでにここにはいない、それだけは明らかに否定しようの無い事実だった。
人目も憚らず咽び泣くお燐に誰一人掛ける言葉を持っていない。
およそ勝利には似つかわしくない気まずい沈黙、その沈黙を破ったのは神奈子だった。
「こうなったのは私のせいだ。謝って済む様な事ではないが本当に申し訳ない。」
「おねえさんおくうは大丈夫だって言ったのに!おくうを返してよ!」
「お燐!やめなさい!」
今にも神奈子に食ってかかりそうなお燐をさとりが窘める。
「許してくれとは言わない、しかしあの時はこの方法しかなかったのだ。」
あの時は自信たっぷりに大丈夫だと言い放った神奈子も実際には良くて五分五分の賭けだと考えていた。
しかし神奈子の言う通りこれしか方法は無く、またそうしなければ今頃この幻想郷に済む全ての命ある者の危機だったかもしれないのだ。誰が神奈子を責める事ができようか。
「さぁ、もうすぐ夜が明けるわ。地上へ帰りましょう。船を地上へ向けてください。」
永琳の指示で聖輦船はゆっくりと地上へ向かって降下を始めた。
その永琳の声にもまったく勝者らしい陽気さは感じられない。当然だろう、戦いには勝ったがその代償は余りに大きくとても喜べるような勝利ではないのだから。
まだ涙が止まらないお燐は空の体を自分の猫車に乗せるため抱きかかえようとする。
先ほどは必死だった為か腕一本で支えていた空の体がどうにも持ち上がらない。
「おくうさっきは軽かったのに・・・死ぬとみんなこうなのかな・・・」
「お燐、私も手伝うよ。」
姉と繋がっていたサードアイを解いたこいしがお燐と一緒になって空の体を持ち上げる。
こいしだけはいつもと変わらぬ表情だった、こいしは心を閉ざし感情を欠落させてしまったのだから当然と言えば当然だろう。
そんなこいしの様子を見ていたさとりはハッとした。
友を失った悲しみ、やり場の無い怒り、仲間を犠牲にする事でしか異変を解決できなかった無力な己に対する絶望、その場にいる者達のそんな様々な心が綯い交ぜになって流れ込んでくる中にほんの一瞬だがこいしの抱いている悲しみを見た気がしたのだ。
「(今、一瞬だけどこいしの心が読めた・・・?おくうのおかげよね、ありがとう、ごめんなさい・・・)」
二人がかりでやっと猫車に乗せた空の頭をお燐が撫でる。
「おくう、こんなになっちゃったけど四人で地底に帰るよ、約束したもんね。あたいがちゃんと地底まで連れて帰ってあげるからね。」
それから地上へ到着するまで誰一人声を上げるものはいなかった。
ただ啜り泣きと気まずい沈黙に包まれて聖輦船はついに地上、この戦いの出発点である紅魔館の中庭へ帰ってきた。
お燐はまだ嗚咽が止まらないがなんとか猫車を押して慎重に船を降りる。
「なんとか夜明け前に戻ってこれたわね、みんな本当にありがとう。」
神奈子が深々と頭を下げる。
「あの・・・おねえさん、さっき、ごめんなさい。」
ばつの悪そうなお燐。
「いや、私は貴方に未来永劫恨まれても仕方無い事をしたのだ、貴方は何も悪くない。」
お燐には顔を伏せた神奈子の目にも光る物が見えた気がした。
「もうわかってると思うけど、私と幽々子、それに守矢の二柱はこの場の皆の力を結集させるために色々と貴方達を騙したわ、それについて弁解はしない。すべて責任は私が負うから幽々子と二柱の事は許してあげて。」
紫も珍しく真面目な態度を見せる。
もちろんその場にいる者は紫も含めた四人を責める気など毛頭無かった。
「確かに、こうでもしないといつも通り一人で飛び出してたわね、私や魔理沙なんか特に。早苗もごめんなさい。」
「やめて下さいよ霊夢さん、あの状況では疑われても仕方無いです。」
「嫉妬が人を狂わせて正常な判断を鈍らせる・・・」
思わず頭に浮かんだ事を口に出してしまい慌てる霊夢。
しかし霊夢の呟きは誰の耳にも届かなかったようだ。
「そういえば幽々子と藍はどうしたの?」
今の呟きを無かったことにしようと霊夢はとりあえず思ったことを口に出した。
「藍はちょっと負傷したから館に戻って休ませてるわ、幽々子は・・・そういえばどこに行ったのかしら、妖夢は知らない?」


「へゃ?!」
突然水を向けられた妖夢は驚いて妙な声を上げた。
見ると目蓋が真っ赤に腫れている、恐らくここへ戻ってくるまでずっと貰い泣きしていたのだろう。
「さぁ、怨霊玉を破壊するまでは一緒だったのですが、でも大丈夫でしょう。幽々子様なら仮に彼岸まで連れて行かれても自分で帰って来られるでしょうし。」
「んもう、確かにそうだけど私は貴方の主人なんだからもうちょっと心配して欲しいわよね。」
「あれ?いらしたのですか幽々子様。」
幽々子は妖夢のすぐ後ろにいた。
「んーん、ちょっと野暮用でね。今来た所よ。」
幽々子はいつもかぶっているトレードマークの帽子を外して大事そうに胸に抱いている。
「皆お待ちかね最後の一人が帰ってきたわよ。さあ、貴方の居るべき場所に帰りなさい。お友達が待ってるわ。」
幽々子は帽子の中に一匹の蝶を入れていた。
真っ黒く、それでいて淡い光を抱いているような不思議な色の蝶だった。
「え?!幽々子それってひょっとして・・・?!」
驚く紫に薄く笑い返す幽々子。
「さすがにあの数の魂の中から子鴉ちゃんを探すのは大変だったわ、こうして見つけられたのは奇跡ね。いえ、私以外にも誰かが子鴉ちゃんの運命を変えさせる為に頑張ってくれた人がいるんじゃないかしら。奇跡ではなくその子の起こした必然かもね。」
幽々子は真っ直ぐにレミリアの方を見ていた、幽々子にはその誰かの正体はわかっているのだろう。
幽々子の帽子から現れた蝶はふらふらと幽々子の回りを飛んでいたがやがて空の胸にある八咫烏の目に止まった、そして一際大きな光を放つと融け混むように八咫烏の目に吸い込まれる。
さとりが思わず猫車に駆け寄る。
光が失われ曇っていた八咫烏の目に光が戻った。
奇跡など特に珍しくもない幻想郷であるが、今まさに皆が待ち望んでいた奇跡が起こったのだ。
「おくう!おくう!」
お燐が大声で呼び掛ける。
「うにゅ?」
お燐の呼び掛けで目を覚ました空は状況がまったくわかっていないようだった。
「おくう、お帰りなさい。」
さとりが伸ばした手に捕まって猫車から降りる空。
「え、私お燐の猫車に?やっぱり一度死んだのですか・・・?」
「おくうお帰り!」
空に抱きつくお燐、空はまだ足元がおぼつかないようでフラフラとしている。
「おくう、何か覚えてる?」
さとりに聞かれて記憶の糸を辿る空。
「怨霊玉を壊して、その後すごく景色の綺麗な所へ行って、その後はよく覚えてないです。」
「覚えてなくてもいいじゃない、おくうが帰ってきたらあたいはそれで充分よ。」
「あ、でも小さな女の子に会ったのは覚えています、貴方はまだここに来るべきてはないから帰りなさいって言われました。」
「小さな女の子ってあの御方でしょ?貴方そんな所まで追いかけて行ったの?」
紫が幽々子に耳打ちする。
「そうよ、今回の功績で特例として戻して貰えたわ。あっちも一気にたくさんの死者が向かったから少しでも減らしたいのかもだけれど。」
「それにしてもあんなところにまで行ってるとはね。」
「あの子鴉ちゃんや若い子達が頑張ってるんだからそれくらいしてあげないと、貴方は遊んでたみたいだけどねー。」
「貴方本当に何でも知ってるわね、恐ろしくなってくるわ。」
「遊ぶのもいいけど今回くらいは藍にちゃんと謝りなさいね、本気で貴方の事を心配していたんだから。」
幽々子は少しだけ真面目な顔になって言った。
「そうね、さすがに私も少しは反省してるわ。あの子には本当に悪い事しちゃったし。」
「さあ、本当にそろそろ夜明けだからこれで解散しましょう。これで心おきなく勝利の美酒にありつけるからゆっくり休んでね。」
永琳の解散宣言を受け、皆それぞれの日常へ戻っていった。
五話目になります。
本筋のとしてはこれで終わり、次はちょっと短めなエピローグ的なお話になります。
みすちーは個人的に好きなキャラなので強引に出番を作りに行った感アリアリ。
ぷっち
https://twitter.com/maripuchichi
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コメント



0.130簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
何故5話目だけNEWなんでしょうか?
3.100名前が無い程度の能力削除
レミリアが能力を使っただと!
4.50名前が無い程度の能力削除
(iPhone匿名評価)