Coolier - 新生・東方創想話

狐独のグルメ 番外編 「地霊殿のビーフカレーオムライス」

2019/03/01 07:18:25
最終更新
サイズ
16.91KB
ページ数
1
閲覧数
3702
評価数
7/23
POINT
1280
Rate
10.88

分類タグ

 


 九尾の妖狐たる私の朝は、いつも早い。
 誰よりも早くベッドを抜け出し、朝食の支度に取りかからねばならないからだ。
 さて、今日は何を作ろうか。主はどれを喜んでくださるだろうか。台所の食材と相談しながら、主たちの顔を思い浮かべ、あれこれと思案するのが、毎朝の日課である。
 主が起きてこられるまでに、大方の支度を済ませ、それから珈琲の支度をする。主は毎朝、お目覚めに一杯の珈琲を所望される。ミルクは適量、砂糖はなし。挽きたての珈琲豆の香りは、主の一日の始まりの合図である。毎日のことであるからこそ、蔑ろにはできない。この屋敷の家事全般を取り仕切る身として、主には爽やかな目覚めを。そして快適な一日を過ごして頂くこと。それこそが私の務めに他ならない。
 ほどなく、朝食の匂いを嗅ぎつけたか、先に猫たちが集まってきた。

「こらこら、お前らのぶんはこっちじゃない」

 足元に集まる猫たちに尻尾を振って追い払い、ひとつ息をついて珈琲を淹れていると、ほどなくいつもの足音が聞こえてきた。主がどうやらお目覚めのようだ。今日も普段通りの時刻。規則正しい生活をされておられることは、ペットとして喜ばしい。

「おはよう、藍」

 食堂に、主が顔を出された。私は微笑み、淹れたばかりの珈琲を主の元へ運ぶ。

「おはようございます――さとり様」

 私の差し出した珈琲の香りに、我が主――古明地さとり様は、満足げに目を細められた。





時間や社会に囚われず、幸福に空腹を満たすとき、つかの間、彼女は自分勝手になり、自由になる。
誰にも邪魔されず、気を遣わずにものを食べるという、孤高の行為。
この行為こそが、人と妖に平等に与えられた、最高の“癒し”と言えるのである。





狐独のグルメ 番外編

「地霊殿のビーフカレーオムライス」






 私、古明地藍は、この旧都の中心部に建つ屋敷、地霊殿で飼われているペットである。
 屋敷の主である古明地さとり様のもと、私はこの屋敷の家事全般を取り仕切る身である。さとり様と、その妹君であるこいし様のみならず、火焔猫や地獄鴉など多数のペットが暮らすこの広い屋敷の家事は、私のような優秀な妖怪でなければ到底切り回せない。

「らーん、おっはよー」

 食卓に朝食を並べていると、突然尻尾に重みがかかった。私に気配すら悟らせず、背後を取れる者はただ一人。妹君のこいし様だ。振り向くと、こいし様は私の九尾の尻尾に気持ちよさそうに顔を埋めておられた。

「こいし様、気配を消して背後を取らないでください」
「えー、ちゃんと声かけたよー」
「やめなさい、こいし。藍の邪魔になっているでしょう」
「やーだー。藍の尻尾モフモフでふかふかなんだもーん。えへへー、きもちいー♪」

 私の尻尾に頬ずりするこいし様に、さとり様が呆れ気味にため息をつかれた。

「こいし。いつまでもそうしていたら、空に貴女のぶんまで食べられてしまうわよ」
「ええー」
「うにゅ? さとり様、呼びましたー?」

 と、そこへ新たな影が現れる。この屋敷のペットである地獄鴉の霊烏路空だ。屋敷の地下にある灼熱地獄跡の管理を任されているこの鴉は、地霊殿のペットの中でも珍しく人型を取れる妖怪で、朝食も私たちと一緒に食卓で食べるのが通例だった。

「あら空、おはよう」
「おはよーございます! ねえ藍、今日の朝ご飯なーに?」
「おはよう、お空。今朝はジャーマンポテトとシーザーサラダにふわふわ卵のスープだ。ご飯とトースト、どっちがいい?」
「ごはん!」
「さとり様はチーズトーストで、こいし様はご飯にふりかけでよろしいですね?」
「藍ー、ゆで卵あるー?」
「そう言うと思って用意してある」
「わーい! たっまごー、たっまごー、うでたまごー♪」

 謎の歌を歌うお空を、「はいはい、座って」と私は席に座らせる。こいし様もいつの間にかさとり様の隣に腰を下ろされていた。相変わらず気配の掴めない御方だ。

「いっただっきまーす」

 居間の方に集合したペットたちのぶんの朝食も用意して、私も食卓につき、皆で朝食を囲む。地霊殿の食卓は、このようにいつも賑やかだ。つまみ食いするこいし様、子供のようなそれを母のような慈愛の笑みで見つめるさとり様。

「今日も藍のご飯は美味しいねー。やっぱり、藍をペットにして良かったね、お姉ちゃん」
「ええ、本当に」
「……恐縮です」

 過分なお褒めの言葉を賜り、私は食卓で恐縮した。
 心優しい主にお仕えできて、私の方こそどれほど感謝してもしきれないというものだ。
 この地霊殿のペットとなれたことは、私にとって最も幸いなことであったと言えよう。



 朝食を済ませると、屋敷の住人はそれぞれの仕事に向かう。小説家であられるさとり様は原稿へ、お空は灼熱地獄跡の管理へ。こいし様はまたふらふらとどこかへ出かけられたようだ。地上にでも出ているのかもしれない。
 朝食の後片付けを済ませ、掃除、洗濯と忙しく働いていると、あっという間にお昼近くになってしまう。昼食は皆それぞれの持ち場で食べる習いなので、私はホットサンドを用意して、それぞれの仕事場を回った。まずは、お空の灼熱地獄跡へ。

「調子はどうだ? お空」
「あ、藍! 今日も核融合は絶好調だよ!」
「それは何よりだ。ほら、お昼を持ってきたぞ」
「わーい! あ、ゆで卵は?」
「ちゃんとある。お空は本当にゆで卵が好きだな」
「うん! さとり様と、こいし様と、藍の尻尾と、ゆで卵が好き!」
「……私は尻尾だけなのか?」
「あ、うそうそ! 藍も大好き! えへへー」

 ぼふっと私の尻尾にダイブして、お空は幸せそうに頬ずりする。そのあどけない顔は、こいし様とまるで変わらない。私が尻尾で首元をくすぐってやると、お空は気持ちよさそうに目を細めた。
 そのまま私の尻尾に半身を預けて、お空は美味しそうにホットサンドを頬張る。お空は特に美味しそうにご飯を食べてくれるので、私も見ていて気分がいい。

「そういえばお空、こいし様を見ていないか?」
「うにゅ? 見てないよ」
「そうか。やっぱり地上かな」
「いーなー。私も久しぶりに地上行きたい」
「今度のお休みにでも、さとり様にお願いしてみるか?」
「ほんと? やった!」
「こらこらお空、こぼしてるこぼしてる」

 お空の口元を拭ってやる。全く、図体だけ大きくて中身は手の掛かる子供なのだ。さとり様とは正反対である。けれど、だからこそ世話の焼きがいがあるとも言えるが。



 灼熱地獄跡を出て、さとり様の執務室に向かう。ノックをすると、「どうぞ」とさとり様の声。扉を開けると、机の前でさとり様が伸びをされているところだった。

「昼食をお持ちしました」
「ありがとう。……先に空のところに寄ってきたようね」
「執筆のお邪魔になってはいけないと思いまして」
「お気遣いありがとう。おかげで今日は筆が進んだわ」
「それは重畳です」

 机の上の原稿用紙を片付け、昼食の皿を置く。と、さとり様は私を見上げられた。

「藍。午後は買い物に行きたいのね?」
「あ、はい。食材の買い出しに」

 私の心を読まれたようだ。主は話が早くて助かる。

「さとり様は、二時から対談のご予定でしたよね?」
「ええ、五時までの予定だから、その間地上で買い物してらっしゃい。迎えは五時半でいいわ」
「はい、ではそうさせていただきます。さとり様、夕飯にご希望はございますか?」
「考えておくわ。それと、ついでにこいしを探して、連れて帰ってきて頂戴」
「かしこまりました」
「こいしを連れてきたら、地上で自分用の油揚げを買ってきていいわよ」
「め、滅相もない」

 地上に出るなら油揚げを買ってこようという考えまで読まれてしまった。恥じ入る私に、さとり様は愉快そうに笑っておられた。



 というわけで、さとり様と共に地霊殿を出る。二時から旧都の料亭で作家の黒谷ヤマメとさとり様の対談が組まれているからだ。純文学寄りの小説を書かれるさとり様と、娯楽小説作家のヤマメとでは話が合わないのではと私としては気がかりだが、ペットが心配することではないのは確かである。

「それでは、私は地上に行って参ります。終了時刻にはお迎えにあがります」
「ええ、いってらっしゃい。――ああ、そうね。今日の夕飯はオムライスがいいわ」
「かしこまりました。対談が成功されることを祈っております」
「私は対談は苦手なのだけれどね」

 そんな会話を交わして会場の料亭にさとり様を送り届け、私は地上へ通じる縦穴へ向かった。途中の橋で、鬼の星熊勇儀と橋姫の水橋パルスィがいちゃついているのを横目に見ながら通り過ぎ、縦穴を抜けて地上へと出る。向かうは人間の里だ。
 普段の買い出しなら旧都の中でも充分なのだが、良い食材を求めようと思うと、やはり人間の里の方が品揃えに一日の長がある。さて、さとり様のご所望はオムライスとのことだ。となればまず新鮮な卵だな。他には何を作ろうか……。私はあれこれ思案しながら買い物に向かう。こいし様の捜索はその後だ。何しろこいし様は私でも容易に気配が掴めないので、見つけてから買い物をしていたら、その間にまたいなくなってしまう。
 そうして里の商店街を歩きながら食材を見繕っていると、八百屋のところで見覚えのある顔と行き会った。「おや」とお互い顔を見合わせ、小さく会釈する。

「地霊殿の狐じゃないさ。買い出しかい?」
「そっちこそ、火車が里で死体漁りか?」
「失敬な。あたいも買い出しだよ。だいたいうちの紫様は死体に興味はないからね」

 火車の八雲燐は、そう言って眉を寄せる。この火車は幻想郷を創った賢者のひとりである八雲紫の手下だ。紫に代わって対外的な交渉などを行うことが多く、年に一度は旧都にも挨拶回りにやってくるので、私とも顔見知りの関係にある。
 とはいえ別に親しいわけではない。挨拶だけして通り過ぎようと思ったが、そうだ、と思い直して足を止めた。

「そうだ、うちのこいし様を見なかったか?」
「無意識のお嬢ちゃんかい? さて、あたいは見てないね」
「じゃあ、面霊気の能楽師の方はどうだ?」
「あのお面娘かい? それなら寺の方で見かけたね」
「そうか、ありがとう」

 やはり命蓮寺か。こいし様は何しろ行動パターンが全く読めない御方だが、それでも比較的よくいる場所というのはある。そのうちのひとつが命蓮寺だ。特にあの寺に出入りしている面霊気とは、いつぞやの宗教戦争騒ぎでいろいろあって友達になったようで、最近は地上ではよく面霊気と一緒にいる。
 というわけで、私はおおよその買い物を済ませて命蓮寺に向かう。参道を掃除していた山彦に用件を伝えると、大声で面霊気を呼び出してくれた。
 ほどなく面霊気が参道に姿を現すと、その隣に我が主の妹君の姿がある。

「こいし様。お迎えに上がりました」
「あ、藍! ちぇー、見つかっちゃった」
「……なんだ、私じゃなくてこいしの迎えか」

 こいし様が口を尖らせ、面霊気が無表情に言う。

「そろそろお帰りになる時間ですよ」
「えー、やだー。もうちょっとこころと遊ぶー」
「うん、私もこいしと遊びたいぞ」
「晩ご飯に間に合わなくなりますよ」
「お寺で食べるからいいもーん。今日は船長のカレーだし」
「おお、カレーの日だな」
「しかしですね、私もさとり様からこいし様を連れて帰るよう仰せつかっておりまして」
「お姉ちゃんは関係ないもん! お姉ちゃんよりこころと遊びたいの」

 こいし様は面霊気にしがみつく。さとり様が聞いたら泣くな、と私は肩を竦めた。

「……でしたら、お友達も一緒に我が家に連れてきていいですから」

 ここは譲歩だ。私の言葉に、こいし様は面霊気と顔を見合わせる。

「だって。こころ、どうする?」
「私はどっちでもいいぞ」
「藍、晩ご飯カレーにしてくれる? お肉たっぷりの」
「……わかりました。ビーフカレーでよろしいですか」
「やった! 船長のカレーお肉ないからそっちにする!」

 こいし様は笑顔で私の尻尾に飛びこんでくる。やれやれ、捕獲完了。しかし、さとり様からオムライスを所望されているのに、こいし様とカレーの約束をしてしまった。はて、どうしたものか。まあ、さとり様に事情を伝えればカレーでまとまるか……。
 となれば、オムライスのつもりで食材を買い出していただけに、カレー用の食材を買い足さなくては。私は時計を見る。五時半にさとり様を迎えに行くには急ぎで買い出しを済ませる必要がある。しかし、こいし様を連れての里での買い物はいささか不安が……。

「……こころ殿、私が買い物をしている間、こいし様がどこかに行かないように見ていてもらえるだろうか?」
「承知した」

 助かった。全く、主姉妹のお世話も楽ではない。



 そんなわけでこいし様と面霊気を連れて追加の買い出しを済ませ、なんとか五時半にさとり様を迎えに行くことができた。さとり様は私がこいし様だけでなく面霊気を連れていることに少し驚かれたが、「たまには賑やかでいいわね」と笑って了承していただけたのは幸いである。

「さとり様、実は……」
「ええ、晩ご飯ならカレーでいいわ。こいしの希望に合わせましょう」

 我が主は話が早くて助かる。しかし、せっかくの新鮮な卵が勿体なくはあるな……。そう考えながら地霊殿に帰宅し、私はさっそく夕飯の支度に取りかかった。
 そうして鍋でぐつぐつとカレーを煮込んでいると、また尻尾にダイブしてくる気配。

「……こいし様、まだですよ。もう少し待っていただけますか」
「えー、おなかすいたよー」
「こらこいし、つまみ食いは駄目だぞ。つまみ食いすると白蓮も怒る」

 と、私の尻尾にしがみついたこいし様を引き剥がそうとしたのか、面霊気が覆い被さる。だが、面霊気はそのまま動かなくなった。

「こころ? どしたの?」
「……もふもふする」
「藍の尻尾気持ちいいよねー。一緒にもふもふしよ」
「おお、これは気持ちいいぞ……もふもふだ……ふかふかだ……」

 そうして尻尾にしがみつくのが二人になった。相変わらず面霊気は無表情なままだが、お面が喜びの表情になっているので喜んでいるのだろう。やれやれ。

「――ん? まてよ」

 私の尻尾に顔を埋める二人を見て、ふと思いつくものがあった。一緒に……そう、一緒にしてしまえばいいのではないか? さとり様とこいし様のリクエストを……。
 そうだ、その手があった。オムライスを普段のケチャップライスではなくバターライスにして、その上にカレーをかける。ビーフカレーオムライス。おお、なかなか良さそうではないか。こいし様だってオムライスは嫌いではないのだから、これならお二人ともに喜んでいただけるのではないか?
 とはいえ単なる思いつきである。バターライスにカレーでは味がくどくなるような気もするし……。よし、食卓に出す前に、試しに作ってみることにしよう。



 ――というわけで。
 私の尻尾をモフるのにも飽きて二人がいなくなり、台所に残った私は、カレーがほぼ完成したあたりで、試しに小ぶりなバターライスのオムライスを作ってみた。うむ、このオムライスは我ながらなかなか良い出来だ。その皿に、カレールーを注いでみる。カレーの海に、黄色いオムライスの島が浮かぶような格好になった。

「どれ……いただきます」

 手を合わせ、スプーンを手に取る。オムライスの島を切り崩し、周囲のカレーの海と馴染ませて、口に運んでみる。

「むぐ、むぐ……おお、これはなかなか、いけるじゃないか」

 バターライスにしたのはやはり正解だった。そもそもカレーと米が合わない道理はないが、ケチャップ味ではなくバターライスにしたことでカレーの風味と喧嘩せず、むしろバターの風味が通常のカレーライスにはない味の奥行きをもたらしている。バターのもたらす脂っこさを、卵がふんわりと包み込むので、思ったより味がくどくならない。おお、これならいくらでも食べられそうだ。

「うん、うん、我ながら上出来じゃないか」

 カレーができたてなぶん、まだコクが足りないのは仕方ないが、この組み合わせの発見はそれを補って余りある。考えてみれば、カレーと卵はどちらも食卓の定番でありながら、普段はあまり積極的に組み合わせようとしないコンビだ。カレーライスに生卵やゆで卵を載せることがある程度ではないだろうか。それが、ご飯をバターライスにするだけで、カレーとご飯の間をこんなに優しく取り持ってくれるとは。
 カレーと卵。すぐ近くにあるようで意外と遠いところにあるこのふたつが、カレーオムライスという形で皿の上で運命的な出会いを果たした瞬間だ。カレーといえば白米という固定観念を覆し、バターライスになることでカレーから遠ざかったはずのご飯をカレーの世界に繋ぎ止める卵。おお、ここにはまるで我が主姉妹と面霊気のようなドラマがある。
 そう、カレーはさとり様、ご飯はこいし様だ。第三の眼を閉ざし、心を閉ざしたことで、白米だったこいし様はバターライスになり、カレーのさとり様から離れてしまった。だが、それを繋ぎ止めたのが卵の面霊気である。面霊気がなくした希望の面がこいし様に注目される喜びを教え、ひいてはそれがさとり様との姉妹仲の修復にも繋がっていった。そう、面霊気という卵がこいし様というバターライスをくるんでオムライスになり、さとり様というカレーと再会を果たしたのだ。おお、まさしく運命の再会。

「むぐ、むぐ……うん、うん、これは美味い」

 ビーフカレーオムライス。オムライスにカレーをかけるという、ただそれだけの発想の中には、ひとつの姉妹の絆のドラマがあった。我が主姉妹の今の幸せな笑顔があるのも、全てはビーフカレーオムライスの導きなのだ。素晴らしい。ビーフカレーオムライスに栄光あれ。

「ふう……ごちそうさまでした」

 空になった皿に思わず手を合わせ、はっと私は我に返る。違う違う、これは試食である。私だけ先に夕飯を食べた気分になってどうするのだ。いかんいかん……。

「あー! 藍がつまみ食いしてる!」

 ――その声に顔を上げる。いつの間にか、私の前にこいし様がいた。

「こ、こいし様!? ち、違います、これは試食です、試食!」
「お姉ちゃんに言いつけちゃおーっと」
「こっ、こいし様、違いますから!」
「おねーちゃーん、藍がねー!」
「あらあら、騒がしいわね。つまみ食いですって?」
「ち、違いますさとり様、誤解です!」
「……そのわりには随分美味しい思いをしたようね?」
「試食です! 試食ですから!」

 幼い主姉妹に睨まれて、私は情けない悲鳴をあげた。



     ◇



「……らん、らーん」

 声。聞き慣れた声がする。主の声。我が主、そう、私の、私……。

「起きなさい、藍」

 頭の耳を引っぱられた。私は飛び起きる。目の前に、呆れ顔の主の顔があった。
 そう――我が主、八雲紫様のお顔が。

「こんな時間までお昼寝とは、いいご身分ね?」
「へ? ――わああっ、申し訳ありません!」

 時計を見ると、とっくに夕飯の支度を始めなければいけない時間だった。立ち上がった拍子に、膝の上から本が落ちる。ああ、そうだ。家事が一段落ついて、安楽椅子で本を読んでいるうちに、つい眠気に誘われて、そのまま眠ってしまっていたのだ。

「何を読んでいたの? ……あら、古明地さとりの本じゃない」

 紫様が落ちた本を拾い上げ、表紙を見やる。先日出たばかりの、古明地さとりの初のエッセイ集だった。短い身辺雑記のようなエッセイが中心だが、サトリ妖怪ならではの視点と地底社会への鋭い洞察もあり、一緒に暮らす妹やペットへの愛情溢れる筆致にも好感を持った。この主に飼われるペットは幸せ者だろう、というような趣旨で書評を書こうかと、読みながら考えていたのだったか……。
 ……何か、夢を見ていたような気がする。はて、しかしどんな夢だったのか。思いだそうとしても記憶は既におぼろで、煙のように掴みどころがない。ただ……。

「すみません、すぐに夕飯の支度をします」
「お願いね。お腹すいたわ」
「はい。ビーフカレーオムライスでよろしいですか?」

 口をついて出た単語に、紫様が不思議そうに目を見開かれた。

「ビーフカレーオムライス? いいけれど、どうしてそのメニューなのかしら?」
「……え? あ、いえ、なぜでしょうか……」

 はて、なぜ私はそんな心当たりのないメニューを口走ったのだろう?
 というか、ビーフカレーオムライスとはなんだ。オムライスにカレーをかけるのか? ふむ、バターライスにすれば意外といけそうだが。試してみるか。

「藍、貴方、夢の中でまでご飯を食べていたのでしょう。幽々子じゃないんだから」

 紫様が楽しげに笑われた。私はなぜか、ひどく紫様に申し訳ないような心もちになって、ただその場で小さく縮こまるしかなかった。
秘封ナイトメアダイアリーの悪夢水曜を見た瞬間からこのネタを書こうと思っていたのですが、ずいぶん遅くなってしまいました。
古明地藍様ネタもっとください。
浅木原忍
[email protected]
http://r-f21.jugem.jp/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.680簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.100サク_ウマ削除
面白い読み解き方だと感じました。興味深かったです。
5.90名前が無い程度の能力削除
NDのコンビは本当に色々と夢想のし甲斐がありますねぇ
夢人格とは言え、どういう経緯でそうなったのやら
それはともかく、今回はあんま孤(狐)独じゃありませんでしたね
夢の中なのである意味では一人芝居(?)だったとも言えるんですが
9.60名前が無い程度の能力削除
本当に浅木原氏の作品なのだろうか。面白かったが、氏の作品はこんなものではなかったはずだが。
10.80ヘンプ削除
純粋に面白かったです。
描写が細かくて好きです。
14.100南条削除
面白かったです
あんまり孤独じゃありませんでしたが藍様的にはよかったのかもしれませんね
19.80名前が無い程度の能力削除
狐独の(孤独の)グルメとは少し向きの違うほんわか感。
でも、最近のテレビシリーズを見ると、むしろこのくらいの柔らかさの方が原作よりなのかもしれません。
相変わらず、ゲーム・漫画と漫画・ドラマが元ネタというのにもかかわらず、文で脳裏に光景がよぎるような表現は凄いと思います。