――三途の川。
いつものように仰向けになっていた死神・小野塚小町は、珍しい音にむくりと起き上がった。
小町がいる場所――此岸は、そも普段、自身の鼻歌くらいしか聞こえない。
つまり、‘音がする‘こと自体、めったにない。
加えて、その音は規則正しく一定の間隔で聞こえてくる。
足音だった。
好奇心に駆られ、小町は首を向ける。
視界に入ったのは、まず、目が覚めるような青い衣装。
そして、上司を連想させるような厳めしい表情と、同じく、特異な被り物。
幾たびか参加した幻想郷での宴会で、小町はその顔を数度見ていた。
「上白沢……慧音」
「久しく、小野塚殿」
呟いた時点ではそれでも信じられないと思っていたが、声は確かに慧音のものだった。
帽子をとり仰々しく頭を下げる慧音に手を振り、小町は自身の知る彼女についてのあれこれを手繰り寄せる。
‘知識と歴史の半獣‘或いは‘歴史喰い‘上白沢慧音。
字名の通り半人半獣、また、人の里で教鞭を振っている。
時折上司が頭を悩ませる不可思議な人間、藤原妹紅の友人。
(んでもって)――小町にとって何よりも重要な情報は、今実際に会話したことにより、知りえた――(暫く、あっちにいく予定はないはずなんだけど……)
一部の例外を除いて、死者は話さない。
(……幽霊だっけか)
例外が多すぎる、と小町は嘆く。
騒霊の三姉妹に白玉楼の主従は言うに及ばない。
ついでに、最近では舟幽霊まで増えたと聞いている。
規格外が多すぎる――再び額に手を当て、小町は嘆いた。
「どうかしましたか」
「いや。あー、なんだ」
「……なにか?」
変わらずそろった足音を立て近づいてくる慧音に、小町は頬を掻く。
「堅苦しいのは苦手でさ。あたいのことは小町でいいよ」
「……わかった。ならば此方も崩させてもらおう」
「流石、理解が早い」
笑いながら頷くと、慧音も目を細め、微笑んだ。
枕代わりに使っている座布団を自身の左側に置き、とりあえず、と小町は座るように促した。
此岸に至るには、中有の道と呼ばれる街道を通らなくてはならない。
それ以前に、天狗や河童が根城にする妖怪の山を抜ける必要もある。
慧音を常人と捉える小町ではなかったが、それでも並大抵の疲労ではないだろうと思ったのだ。
ひざ裏を押さえ座布団に尻を落とす慧音は、予想にたがわず微かに息を荒くしていた。
「ここには」
「ん?」
「歩いて?」
「あぁ」
「そうかい」
二語三語の他愛ない会話。
その間にも、小町は推測を続けていた。
内容は、‘並大抵の疲労‘を惜しまず、慧音が此岸へとやってきた理由。
生者が此岸に来る。
珍しいことではあったが、どこぞの編纂家も記している通り、できなくはない。
酔狂な者が冷やかし目的でやってきて、そも冷やかすものがないとほうぼうの体で帰るのを、小町自身数度見かけたことがある。
だが、傍らの麗人がそんなことをするだろうか――小町は小さく首を振った。
「ここには……」
呟きつつ、小町は右側に転がしていた己が象徴――死神の鎌を握る。
ならばと浮かんだ次の推測が少し厄介なものだったからだ。
‘亡者を連れ帰る‘。
稀に、極稀に、そんな望みを抱いて生者がやってくる。
当たり前の話だが、亡者になった時点で蘇ることは不可能だ。
仮になんらかの方法で肉体を得たとしても、それは既に‘別の何か‘。
姿かたち、言葉遣い、性格――個体を認識する幾つかの要素が変わっていなくても、生前の何がしではありえない。
尤も、全てを踏まえ、それでも望むのが人の性なのかもしれない。
そう言った輩にすることは、一つ。
相当の覚悟できているのだから言っても聞きはしない。
故に、無言で鎌を振い追い返す――それが、小町のできる精一杯の温情だった。
知識人と噂される慧音も、或いは情に迷うことがあるのかもしれない。
万が一にもそうであるならば、と小町は腹を括る。
‘ごっこ‘ではない戦いの覚悟を、固めた。
「……なんのために?」
視線が交錯する。
弾かれたように小町は目を逸らした。
上司の友人のように心を覗ける術は持ち合わせていないだろう、そう思いつつ、直視できない。
慧音の澄んだ瞳に、全てを見透かされているように感じる。
小町の心境を知ってか知らずか、応えは、ひどくゆっくりと発せられた。
「下見、だな」
「シタミ?」
「あぁ」
鸚鵡のように返したのは、聞き逃したからではない。
余りにも意外な解答に、何か別の意図が含まれているかと思ったのだ。
けれど、どうということもなく首を縦に振る慧音から、言葉以外の意味は探れなかった。
「……突拍子もなかったか」
目を瞬かせる小町に、先ほどと同じような口調で、慧音が続ける。
その様は、さも、生徒に解答を与える教師。
次第に、小町の顔には微苦笑が浮かんだ。
なんとなく、普段の上司とのやり取りを思いだしたのだ。
「私は里で教師をしている――と言うのは、知っているようだな。
経緯は省くが、ふとした折、生徒に尋ねられたんだ。
此岸はどんな所なのか、と」
慧音の視線が、一旦はずれた。
「『深い霧に覆われ、昼も夜もない。
ただただ、霧が控えめに輝いている。
苔むした尖形の岩が突き出ていて、異世界を感じさせる光景』」
何処からか引用したのだろう、的確な此岸の表現だ。
視線が戻ってくる。
「阿求が書いていた。
それを読んだから、知識としてはあったんだ。
だけれど、どうも言葉が上滑りするような気がしてな」
一拍、言葉を切る慧音。
「だから、実際に来た、と」
代わりとばかりに、小町は続けた。
「なんともまぁ……」
「ん?」
「生徒馬鹿なこって」
「褒めるな」
「褒めちゃいねぇ」
咄嗟に出てしまった揶揄に、小町は少し慌てた。
しかし、当の慧音は頬を掻き、照れくさそうにしている。
なるほど、と小町は頷いた――(筋金入りの生徒思いなんだね)。
暫しの間、互いに無言になった。
此岸を眺める慧音。
瞳は景色を映し、耳には静寂が届いているはずだ。
先ほどの彼女の言葉通り、‘下見‘を行っているのだろう。
――ちらりと盗み見しつつ、小町はそう思う。
‘下見‘。
言葉に嘘はあるまい。
けれど、全く他意がないと思うのには無理があった。
半人半獣の慧音は、普通の人間よりも多少、長く生きる。
それはつまり、他者よりも多くの死を看取るということだ。
或いは、既に何度もそう言う場面に出くわしているのかもしれない。
例えば、近所の住人。
例えば、寺子屋の生徒。
例えば、――話にも聞かぬ、肉親。
だとすれば、賢人と評される慧音と言えど、死に興味を抱くのは致し方ないことだろう。
故に、現世で最も死に近い此岸へとやってきた。
誰しもがいずれ通る、彼岸への道。
慧音も無論、例外ではない。
彼女は『人』なのだから。
――そこまで考え、小町は低く笑う。
普段ならば一笑に付すその行為。
にも拘らず、小町は畏敬の念を抱いていた。
浮かべられる表情に、纏う雰囲気に、覚えがあったのだ。
慧音の横顔に、小町は、全てを公平に裁き受け入れる、己が上司を重ねていた。
(……なんてね)――もう一度、笑った。
「……ん?」
「いや」
「そうか」
「あぁ」
「そう言えば……」
視線に、小町は笑みを抑え、振り向いた。
「邪魔をしといてなんだが……仕事はいいのか?」
表情まで消える。
「そんな顔をしないでくれ」
「だってぇ」
「だってじゃない。そもそも」
「あー、ちょい待ち」
「……言い分があるようだな。聞こう」
腰に両手をあてる慧音。
思わず小町は微苦笑を浮かべた。
こんなところまで似ている、と。
だけど――小さく呟き、続ける。
「あたいに説教できるのは、四季様だけさ」
「……それもそうだな。出過ぎた真似をしたようだ」
「いやいや。ま、四季様だけで十二分過ぎるって。長いんだ、あのお方」
笑う小町に、慧音も目を細め、頷いた。
それから暫く、小町と慧音の雑談は続いた。
主に話を広げていたのは、小町だった。
元より話好きな性分だが慧音の聞き上手さも加わり、より口が回った。
自身のこと、仕事のこと、上司のこと、里のこと――そして、此岸のこと。
適当に打たれる慧音の相槌に気を良くした小町は、嬉々として、語った。
「――そんで巫女と店主が、と」
「ん?」
「や……結構話しちまったなって」
「内容が?」
「じゃなくて。時間だよ」
小町は苦笑した。
此岸には昼も夜もない。
だから、慧音には時の経過が感じ取りにくいのだろう。
「小一時間ほどかね」
「そんなに経っていたのか」
「あっち……幻想郷は日が暮れる頃さ」
言いつつ、小町は、視線を慧音から中有の道へと移した。
「気がつかなかったかい?」
「あぁ。話が面白かったからな」
「さらっとまぁ……嬉しいことを」
頭を掻く小町。
社交辞令ではないだろう。
事実、慧音は一度として、飽いたような素振りを見せなかった。
「だけど、そろそろ……」
「そうだな。お暇しよう」
地面に手をつき、慧音が立ち上がる。
気を入れ、小町も続いた。
フタリは並び立つ。
「……見送りはいらんぞ?」
「ちょいとね。なぁ、慧音」
別れの前に、小町は一つずつ、聞きたいことと言いたいことがあった。
「‘下見‘は、ちゃんとできたかな?」
「……あぁ。ありがとう」
「そうかい」
頷き、少し言い淀み――続けた。
「次に来るのは、随分と先だろうけどね」
「……どうだろうな」
「あたいの勘はさ、巫女ほどじゃないけど、当たるよ」
「そうか……?」
「勘だけどね。あくまで、勘」
小町のできる、ぎりぎりの発言だった。
首を捻る慧音に、小町は矢継ぎ早に言葉を足す。
「ま、あたいとしては、聞き上手なお前さんに暫く会えないのは、残念っちゃ残念なんだけどね」
「なら、来ればいい。小町の話は童も喜ぶ。歓迎するぞ」
「そう返すか。……あんがと」
小町は再び、頭を掻いた。
「小町」
「……なんだい?」
「何時になるかはわからんが……次も、頼まれてくれるか?」
視線が交錯する。
慧音の瞳は、やはり、澄んでいた。
だから小町も、普段の軽口では返さず、真っ直ぐに返した。
「あぁ。任せな」
目を細める慧音に、小町は笑む。
何時か来るその時が、できる限り遠くなればいい、と思いながら――。
――その時は、意外と早くやってきた。
「やぁ」
かけられる挨拶に身を起こし、振り向いた小町は、絶句する。
慧音が朗らかに手を振っていた。
勿論、生身だ。
「な、な、け、けぇね!?」
「慧音。発音は正しくな」
「うっわ、良い笑顔!」
加えて、その後ろに、なんか一杯いる。
「ここが此岸?」
「じゃあ、あのヒトが死神さんかしら」
「うわぁー、おっきー!」
「ほんとほんと、先生より大きいかも!」
「でも、ここ、なぁんにもないね」
深く考えなくても、寺子屋の童たちであった。
「ははは、ちゃんと栞にもそう書いているだろう?」
「おおお、お前さん、なんばしょっとねぇぇぇぇぇ!?」
「校外学習だが……? だから、‘下見‘に来たんじゃないか」
かくーん、と小町の顎が外れる。
「ほらお前たち、案内してくれる小野塚小町さんに挨拶をしなさい」
がこ、と自分で戻し、小町は叫んだ。
「ちょっと待てぇぇぇ!?」
「先だって了承は得たはずだが……?」
「いや、いやいや、その前に、どうやって此処まで!?」
「最近幻想郷の一員となったムラサ船長に頼んだ」
「仕事してんじゃねぇよ舟幽霊ーっ!」
フラグ回収。
「いえ、仕事をするのは、いいことだと思いますよ」
「時と場合による! どうせこの後、白玉楼にも行くとか抜かすんだろう!?」
「もう行った。次は、天界だ」
「素敵な笑顔でサムズアップしてるんじゃないよ!?」
「ところで、貴女は仕事をしないんですか」
それどころじゃない! ――振り返り、小町は叫ぼうとした。
『振り返る』。
慧音の声に、ではない。
応えようとした声は、向こう側から聞こえてきた。
向こうとはつまり、彼岸。
「しき……さま……?」
「はい。四季映姫・ヤマザナドゥです」
にっごり。
「誰かさんが仕事をしていない気がして、様子を見に来ました」
「し、四季様! 笑顔が怖い! もうほんとに怖い!?」
「四季殿、小町は、私たちを案内するという仕事が」
「うっわ慧音せんせー、お願いだから空気読んで!?」
「……先ほど、そのようなことを言っていましたね。どうなんです、小町?」
浄瑠璃の鏡が向けられた。
(終わったー!)
慧音の頼みに頷いたのは、まぎれもない事実だ。
最早何をかせんと、ただ手を組む小町。
そんな彼女の耳にまた幾つかの声が届く。
高く幼いその響きは、慧音の教え子たちのものだった。
「あの方が閻魔様かしら?」
「せんせーよりちっちゃいね」
「うん。小町さんよりもちっちゃい」
身長のことである。
「小町……」
が。
悔悟の棒が取り出される。
目の前で、数度、振られた。
腰の入った映姫のスイングに、小町は、思う。
(死んだーっ!)
心の内でそう叫びつつも逃げ出さないのは、小町なりの忠誠心だ。
その意気やよし、と、映姫が並ぶ。
腰が捻られる――直前。
「とっても素敵な方なんだって」
「お仕事をしてる時、すっごく格好いいんだよ」
「でも、時々は休まないと、肩が岩みたいになっちゃう」
「ほぐしてあげたいけど、恐れ多くてできないよ」
「だから、なんて、仕事をしない言い訳だねぇ」
童たちが口々に言う。
「――って、小町が言っていた」
そして、慧音が〆た。
「あぁ、それと、小町に説教できるのは四季殿だけらしい」
「がふぅっ、や、やめ、やめてぇぇぇぇぇ!?」
「上司を敬う。素晴らしいことじゃないか」
小一時間ほど話していた雑談の粗方である。フラグ回収。
血の塊を吐き出すように小町は叫ぶ。
しかし、不可思議そうに首を捻るだけの慧音。
澄んだ瞳には他意を読み取れず、それ故、性質が悪かった。
とても悪かった。
軽口の一つも返したいと思うが、結局言葉が浮かばず、小町はただ口をパクパクと開く。
と。
袖が引かれる。
控えめに、けれど、力強く。
振り向く小町の視界に映ったのは、座布団にちょこんと正坐する映姫の後ろ姿だった。
肌が露わになっている。
「四季様……?」
「してください……小町」
「なんですかその妙な艶は!?」
露わになっているのは肩だけなので、色々と誤解なきよう。
「と言うかですね、ほら、あたい、慧音たちの案内をしないといけませんし!」
「ですが、もう帰られるようですよ」
「……は?」
再度、視線を戻す。
何時の間にか慧音と童たちは離れていた。
映姫の言葉通り、帰路についているのだろう。
「なんだお前たち、もういいのか? 小町も漸くその気になってくれたようなんだが……」
「はい、先生。ちゃんと観察できましたし、次に行きませう」
「そうかそうか、学べたか。ならば良し」
年少の童に両手を引かれ、年長の童に背を押される慧音。
呆然とした小町の視線に気づき、手を上げる。
相好を崩しながら、言った。
「小町、世話になった。それじゃあ、次もまた、頼むな」
晴れ晴れとした表情の慧音に、悪意の欠片は一つたりと見当たらない。
故に、
慧音と童が見えなくなってから、
深い霧が覆う空に、あらん限りの声量で、小町は叫んだ。
――暫く来んなぁぁぁぁぁっ!!
その遠吠えは、静かな此岸に空しく響き渡ったそうな――。
<了>
いつものように仰向けになっていた死神・小野塚小町は、珍しい音にむくりと起き上がった。
小町がいる場所――此岸は、そも普段、自身の鼻歌くらいしか聞こえない。
つまり、‘音がする‘こと自体、めったにない。
加えて、その音は規則正しく一定の間隔で聞こえてくる。
足音だった。
好奇心に駆られ、小町は首を向ける。
視界に入ったのは、まず、目が覚めるような青い衣装。
そして、上司を連想させるような厳めしい表情と、同じく、特異な被り物。
幾たびか参加した幻想郷での宴会で、小町はその顔を数度見ていた。
「上白沢……慧音」
「久しく、小野塚殿」
呟いた時点ではそれでも信じられないと思っていたが、声は確かに慧音のものだった。
帽子をとり仰々しく頭を下げる慧音に手を振り、小町は自身の知る彼女についてのあれこれを手繰り寄せる。
‘知識と歴史の半獣‘或いは‘歴史喰い‘上白沢慧音。
字名の通り半人半獣、また、人の里で教鞭を振っている。
時折上司が頭を悩ませる不可思議な人間、藤原妹紅の友人。
(んでもって)――小町にとって何よりも重要な情報は、今実際に会話したことにより、知りえた――(暫く、あっちにいく予定はないはずなんだけど……)
一部の例外を除いて、死者は話さない。
(……幽霊だっけか)
例外が多すぎる、と小町は嘆く。
騒霊の三姉妹に白玉楼の主従は言うに及ばない。
ついでに、最近では舟幽霊まで増えたと聞いている。
規格外が多すぎる――再び額に手を当て、小町は嘆いた。
「どうかしましたか」
「いや。あー、なんだ」
「……なにか?」
変わらずそろった足音を立て近づいてくる慧音に、小町は頬を掻く。
「堅苦しいのは苦手でさ。あたいのことは小町でいいよ」
「……わかった。ならば此方も崩させてもらおう」
「流石、理解が早い」
笑いながら頷くと、慧音も目を細め、微笑んだ。
枕代わりに使っている座布団を自身の左側に置き、とりあえず、と小町は座るように促した。
此岸に至るには、中有の道と呼ばれる街道を通らなくてはならない。
それ以前に、天狗や河童が根城にする妖怪の山を抜ける必要もある。
慧音を常人と捉える小町ではなかったが、それでも並大抵の疲労ではないだろうと思ったのだ。
ひざ裏を押さえ座布団に尻を落とす慧音は、予想にたがわず微かに息を荒くしていた。
「ここには」
「ん?」
「歩いて?」
「あぁ」
「そうかい」
二語三語の他愛ない会話。
その間にも、小町は推測を続けていた。
内容は、‘並大抵の疲労‘を惜しまず、慧音が此岸へとやってきた理由。
生者が此岸に来る。
珍しいことではあったが、どこぞの編纂家も記している通り、できなくはない。
酔狂な者が冷やかし目的でやってきて、そも冷やかすものがないとほうぼうの体で帰るのを、小町自身数度見かけたことがある。
だが、傍らの麗人がそんなことをするだろうか――小町は小さく首を振った。
「ここには……」
呟きつつ、小町は右側に転がしていた己が象徴――死神の鎌を握る。
ならばと浮かんだ次の推測が少し厄介なものだったからだ。
‘亡者を連れ帰る‘。
稀に、極稀に、そんな望みを抱いて生者がやってくる。
当たり前の話だが、亡者になった時点で蘇ることは不可能だ。
仮になんらかの方法で肉体を得たとしても、それは既に‘別の何か‘。
姿かたち、言葉遣い、性格――個体を認識する幾つかの要素が変わっていなくても、生前の何がしではありえない。
尤も、全てを踏まえ、それでも望むのが人の性なのかもしれない。
そう言った輩にすることは、一つ。
相当の覚悟できているのだから言っても聞きはしない。
故に、無言で鎌を振い追い返す――それが、小町のできる精一杯の温情だった。
知識人と噂される慧音も、或いは情に迷うことがあるのかもしれない。
万が一にもそうであるならば、と小町は腹を括る。
‘ごっこ‘ではない戦いの覚悟を、固めた。
「……なんのために?」
視線が交錯する。
弾かれたように小町は目を逸らした。
上司の友人のように心を覗ける術は持ち合わせていないだろう、そう思いつつ、直視できない。
慧音の澄んだ瞳に、全てを見透かされているように感じる。
小町の心境を知ってか知らずか、応えは、ひどくゆっくりと発せられた。
「下見、だな」
「シタミ?」
「あぁ」
鸚鵡のように返したのは、聞き逃したからではない。
余りにも意外な解答に、何か別の意図が含まれているかと思ったのだ。
けれど、どうということもなく首を縦に振る慧音から、言葉以外の意味は探れなかった。
「……突拍子もなかったか」
目を瞬かせる小町に、先ほどと同じような口調で、慧音が続ける。
その様は、さも、生徒に解答を与える教師。
次第に、小町の顔には微苦笑が浮かんだ。
なんとなく、普段の上司とのやり取りを思いだしたのだ。
「私は里で教師をしている――と言うのは、知っているようだな。
経緯は省くが、ふとした折、生徒に尋ねられたんだ。
此岸はどんな所なのか、と」
慧音の視線が、一旦はずれた。
「『深い霧に覆われ、昼も夜もない。
ただただ、霧が控えめに輝いている。
苔むした尖形の岩が突き出ていて、異世界を感じさせる光景』」
何処からか引用したのだろう、的確な此岸の表現だ。
視線が戻ってくる。
「阿求が書いていた。
それを読んだから、知識としてはあったんだ。
だけれど、どうも言葉が上滑りするような気がしてな」
一拍、言葉を切る慧音。
「だから、実際に来た、と」
代わりとばかりに、小町は続けた。
「なんともまぁ……」
「ん?」
「生徒馬鹿なこって」
「褒めるな」
「褒めちゃいねぇ」
咄嗟に出てしまった揶揄に、小町は少し慌てた。
しかし、当の慧音は頬を掻き、照れくさそうにしている。
なるほど、と小町は頷いた――(筋金入りの生徒思いなんだね)。
暫しの間、互いに無言になった。
此岸を眺める慧音。
瞳は景色を映し、耳には静寂が届いているはずだ。
先ほどの彼女の言葉通り、‘下見‘を行っているのだろう。
――ちらりと盗み見しつつ、小町はそう思う。
‘下見‘。
言葉に嘘はあるまい。
けれど、全く他意がないと思うのには無理があった。
半人半獣の慧音は、普通の人間よりも多少、長く生きる。
それはつまり、他者よりも多くの死を看取るということだ。
或いは、既に何度もそう言う場面に出くわしているのかもしれない。
例えば、近所の住人。
例えば、寺子屋の生徒。
例えば、――話にも聞かぬ、肉親。
だとすれば、賢人と評される慧音と言えど、死に興味を抱くのは致し方ないことだろう。
故に、現世で最も死に近い此岸へとやってきた。
誰しもがいずれ通る、彼岸への道。
慧音も無論、例外ではない。
彼女は『人』なのだから。
――そこまで考え、小町は低く笑う。
普段ならば一笑に付すその行為。
にも拘らず、小町は畏敬の念を抱いていた。
浮かべられる表情に、纏う雰囲気に、覚えがあったのだ。
慧音の横顔に、小町は、全てを公平に裁き受け入れる、己が上司を重ねていた。
(……なんてね)――もう一度、笑った。
「……ん?」
「いや」
「そうか」
「あぁ」
「そう言えば……」
視線に、小町は笑みを抑え、振り向いた。
「邪魔をしといてなんだが……仕事はいいのか?」
表情まで消える。
「そんな顔をしないでくれ」
「だってぇ」
「だってじゃない。そもそも」
「あー、ちょい待ち」
「……言い分があるようだな。聞こう」
腰に両手をあてる慧音。
思わず小町は微苦笑を浮かべた。
こんなところまで似ている、と。
だけど――小さく呟き、続ける。
「あたいに説教できるのは、四季様だけさ」
「……それもそうだな。出過ぎた真似をしたようだ」
「いやいや。ま、四季様だけで十二分過ぎるって。長いんだ、あのお方」
笑う小町に、慧音も目を細め、頷いた。
それから暫く、小町と慧音の雑談は続いた。
主に話を広げていたのは、小町だった。
元より話好きな性分だが慧音の聞き上手さも加わり、より口が回った。
自身のこと、仕事のこと、上司のこと、里のこと――そして、此岸のこと。
適当に打たれる慧音の相槌に気を良くした小町は、嬉々として、語った。
「――そんで巫女と店主が、と」
「ん?」
「や……結構話しちまったなって」
「内容が?」
「じゃなくて。時間だよ」
小町は苦笑した。
此岸には昼も夜もない。
だから、慧音には時の経過が感じ取りにくいのだろう。
「小一時間ほどかね」
「そんなに経っていたのか」
「あっち……幻想郷は日が暮れる頃さ」
言いつつ、小町は、視線を慧音から中有の道へと移した。
「気がつかなかったかい?」
「あぁ。話が面白かったからな」
「さらっとまぁ……嬉しいことを」
頭を掻く小町。
社交辞令ではないだろう。
事実、慧音は一度として、飽いたような素振りを見せなかった。
「だけど、そろそろ……」
「そうだな。お暇しよう」
地面に手をつき、慧音が立ち上がる。
気を入れ、小町も続いた。
フタリは並び立つ。
「……見送りはいらんぞ?」
「ちょいとね。なぁ、慧音」
別れの前に、小町は一つずつ、聞きたいことと言いたいことがあった。
「‘下見‘は、ちゃんとできたかな?」
「……あぁ。ありがとう」
「そうかい」
頷き、少し言い淀み――続けた。
「次に来るのは、随分と先だろうけどね」
「……どうだろうな」
「あたいの勘はさ、巫女ほどじゃないけど、当たるよ」
「そうか……?」
「勘だけどね。あくまで、勘」
小町のできる、ぎりぎりの発言だった。
首を捻る慧音に、小町は矢継ぎ早に言葉を足す。
「ま、あたいとしては、聞き上手なお前さんに暫く会えないのは、残念っちゃ残念なんだけどね」
「なら、来ればいい。小町の話は童も喜ぶ。歓迎するぞ」
「そう返すか。……あんがと」
小町は再び、頭を掻いた。
「小町」
「……なんだい?」
「何時になるかはわからんが……次も、頼まれてくれるか?」
視線が交錯する。
慧音の瞳は、やはり、澄んでいた。
だから小町も、普段の軽口では返さず、真っ直ぐに返した。
「あぁ。任せな」
目を細める慧音に、小町は笑む。
何時か来るその時が、できる限り遠くなればいい、と思いながら――。
――その時は、意外と早くやってきた。
「やぁ」
かけられる挨拶に身を起こし、振り向いた小町は、絶句する。
慧音が朗らかに手を振っていた。
勿論、生身だ。
「な、な、け、けぇね!?」
「慧音。発音は正しくな」
「うっわ、良い笑顔!」
加えて、その後ろに、なんか一杯いる。
「ここが此岸?」
「じゃあ、あのヒトが死神さんかしら」
「うわぁー、おっきー!」
「ほんとほんと、先生より大きいかも!」
「でも、ここ、なぁんにもないね」
深く考えなくても、寺子屋の童たちであった。
「ははは、ちゃんと栞にもそう書いているだろう?」
「おおお、お前さん、なんばしょっとねぇぇぇぇぇ!?」
「校外学習だが……? だから、‘下見‘に来たんじゃないか」
かくーん、と小町の顎が外れる。
「ほらお前たち、案内してくれる小野塚小町さんに挨拶をしなさい」
がこ、と自分で戻し、小町は叫んだ。
「ちょっと待てぇぇぇ!?」
「先だって了承は得たはずだが……?」
「いや、いやいや、その前に、どうやって此処まで!?」
「最近幻想郷の一員となったムラサ船長に頼んだ」
「仕事してんじゃねぇよ舟幽霊ーっ!」
フラグ回収。
「いえ、仕事をするのは、いいことだと思いますよ」
「時と場合による! どうせこの後、白玉楼にも行くとか抜かすんだろう!?」
「もう行った。次は、天界だ」
「素敵な笑顔でサムズアップしてるんじゃないよ!?」
「ところで、貴女は仕事をしないんですか」
それどころじゃない! ――振り返り、小町は叫ぼうとした。
『振り返る』。
慧音の声に、ではない。
応えようとした声は、向こう側から聞こえてきた。
向こうとはつまり、彼岸。
「しき……さま……?」
「はい。四季映姫・ヤマザナドゥです」
にっごり。
「誰かさんが仕事をしていない気がして、様子を見に来ました」
「し、四季様! 笑顔が怖い! もうほんとに怖い!?」
「四季殿、小町は、私たちを案内するという仕事が」
「うっわ慧音せんせー、お願いだから空気読んで!?」
「……先ほど、そのようなことを言っていましたね。どうなんです、小町?」
浄瑠璃の鏡が向けられた。
(終わったー!)
慧音の頼みに頷いたのは、まぎれもない事実だ。
最早何をかせんと、ただ手を組む小町。
そんな彼女の耳にまた幾つかの声が届く。
高く幼いその響きは、慧音の教え子たちのものだった。
「あの方が閻魔様かしら?」
「せんせーよりちっちゃいね」
「うん。小町さんよりもちっちゃい」
身長のことである。
「小町……」
が。
悔悟の棒が取り出される。
目の前で、数度、振られた。
腰の入った映姫のスイングに、小町は、思う。
(死んだーっ!)
心の内でそう叫びつつも逃げ出さないのは、小町なりの忠誠心だ。
その意気やよし、と、映姫が並ぶ。
腰が捻られる――直前。
「とっても素敵な方なんだって」
「お仕事をしてる時、すっごく格好いいんだよ」
「でも、時々は休まないと、肩が岩みたいになっちゃう」
「ほぐしてあげたいけど、恐れ多くてできないよ」
「だから、なんて、仕事をしない言い訳だねぇ」
童たちが口々に言う。
「――って、小町が言っていた」
そして、慧音が〆た。
「あぁ、それと、小町に説教できるのは四季殿だけらしい」
「がふぅっ、や、やめ、やめてぇぇぇぇぇ!?」
「上司を敬う。素晴らしいことじゃないか」
小一時間ほど話していた雑談の粗方である。フラグ回収。
血の塊を吐き出すように小町は叫ぶ。
しかし、不可思議そうに首を捻るだけの慧音。
澄んだ瞳には他意を読み取れず、それ故、性質が悪かった。
とても悪かった。
軽口の一つも返したいと思うが、結局言葉が浮かばず、小町はただ口をパクパクと開く。
と。
袖が引かれる。
控えめに、けれど、力強く。
振り向く小町の視界に映ったのは、座布団にちょこんと正坐する映姫の後ろ姿だった。
肌が露わになっている。
「四季様……?」
「してください……小町」
「なんですかその妙な艶は!?」
露わになっているのは肩だけなので、色々と誤解なきよう。
「と言うかですね、ほら、あたい、慧音たちの案内をしないといけませんし!」
「ですが、もう帰られるようですよ」
「……は?」
再度、視線を戻す。
何時の間にか慧音と童たちは離れていた。
映姫の言葉通り、帰路についているのだろう。
「なんだお前たち、もういいのか? 小町も漸くその気になってくれたようなんだが……」
「はい、先生。ちゃんと観察できましたし、次に行きませう」
「そうかそうか、学べたか。ならば良し」
年少の童に両手を引かれ、年長の童に背を押される慧音。
呆然とした小町の視線に気づき、手を上げる。
相好を崩しながら、言った。
「小町、世話になった。それじゃあ、次もまた、頼むな」
晴れ晴れとした表情の慧音に、悪意の欠片は一つたりと見当たらない。
故に、
慧音と童が見えなくなってから、
深い霧が覆う空に、あらん限りの声量で、小町は叫んだ。
――暫く来んなぁぁぁぁぁっ!!
その遠吠えは、静かな此岸に空しく響き渡ったそうな――。
<了>
>「ほんとほんと、先生より大きいかも!」
…身長の事ですよね、ええ分かってますとも。
もうこんな時期なんだぁと感慨に更けました。
「にっごり。」ってどんな素敵な笑顔なのか想像すらできねぇ。怖ぇ。
「――って、小町が言っていた」まさかけーね先生の口からこの言葉を聞けるとは思わなかったwww
えーき様の肩だけでももう十分……いや、何でもないです。
閻魔様と死神を手玉にとれるのは貴女くらいですよ!
生徒想いの慧音先生と男前な小町が良い味出してますね。
この二人のカップリングな話とかあったら読んでみたくなりました。
そして生徒たちのが先生より空気読んでる気がするww
よろしくお願いします。
いやぁ、でも誰も不幸になってない彼岸の話ってのは良いもんです