Coolier - 新生・東方創想話

11's Tails -縛-

2010/08/05 22:47:05
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「どうだい、中々爽快なものだろう?」

 人が空を初めて飛んだ瞬間、どう思うか。
 あまりに違う世界の風景に感動するか、それともちっぽけな自分と眼下に広がる圧倒的な世界に器の小ささを覚えるか。
 そんな心を打つ感情の他に、確実に芽生えるものもある。
 例えば、そう。

「こ、殺される……藍殿に殺される……」

 あ、この高さから落ちたら確実に死ぬな、という本能が察する恐怖もその一つ。
 離れていく地面を見ているだけでその実感は大きくなり、抑えようもない感情へと飛躍。そもそも自分で飛べない生き物が、飛べるという認識のない生き物が、人が点のようになる高さまで昇らされたとき冷静に対処できるかといえば。
 
「はっ、そうかっ! 我があまりに才能溢れる二尾であることから、紫殿を奪われると思った藍殿は……事故に見せかけて殺害を決意したわけか……」
「こらこら、物騒なことを言わない。抱えて飛んであげているだけだろう? それと二尾があまり変な夢を見過ぎないように」

 こうなるわけである。
 混乱するか、恐怖で泣き叫ぶか、高揚状態に陥るか。どうやらこの長い白髪の狐の妖獣は混乱と恐怖が同時に発生しているようだ。

「で、では……あれかっ! わ、我のかわゆさを妬んだ藍殿が、その魅力で紫殿を奪われると危険を感じ、体に様々な快楽を刻んだ挙句、奴隷に売り払おうと……」
「お前の普段の思考は一体どうなっているんだ……」

 自分より一回り妖獣のお腹あたりを抱きしめ、ぶら下げるように飛んでいた藍は、その小生意気な乗客の後頭部を顎で小突く。
 最近この幻想郷の結界に引きこまれた妖怪であるため、空を飛ぶというこの世界の常識がない。そのため仕方なく藍が運んであげているのだが、どうやらその高さが苦手なようで。すごくうるさい。うるさい上に尻尾があるせいで持ちにくい。
 なので、

「降ろせ! もう、嫌じゃ、空はもうたくさんじゃ!」
「こら、暴れるな」

 混乱したこの妖獣、楠乃葉がじたばたと手足を動かし抵抗するのだから。
 するりっと。

「あ……」
「おや……?」
 
 体温が触れ合い汗ばんだせいか、組んでいた藍の手が滑り、薄水色の和装に身を包んだ小さな妖獣は、重力に引かれるまま自由落下を始めたのだった。
 
 


<11’s Tails  -縛->




「さて、忙しいところ失礼するよ」

 妖怪たちが住まう寺、命蓮寺。
 人里の手伝いをよくしてくれるということで信仰も段々と集まり始めた新勢力の敷地内に、藍は躊躇うことなく着地し少し離れた位置で庭をうろうろしていた妖怪に声をかける。
 庭の中で直角に折れた二本の棒を持ち、同じようなところをぐるぐる回りながら探索範囲を狭めていく。そんな作業に没頭していた鼠の妖怪は、少し送れて顔を上げ、十歩ほど遠くに着地した藍に会釈だけで挨拶を返した。

「すまない、少し今取り込んでいてね。多分このあたりに……」

 探索範囲の中にある膝の高さ程度の草が生えた場所。ちょっとした茂みへとナズーリンが足を踏み入れた直後、棒が大きく左右に開いた。ダウジングでいう当たりの合図である。ダウジングロッドが開いた草むらへ小さな背丈を潜り込ませ、躊躇うことなく地面に膝をつく。
 客人にお尻を向けるなど普通なら失礼な態度ではあるのだが、おそらく彼女の中の優先順位は見慣れない客人よりも、今探している何かなのだろう。
 そうやってしばらく藍が待っていると、四つん這いになりながら尻尾を忙しそうに振っていたナズーリンの動きがピタリと止まり。
 ゆっくりと草むらから後退し、立ち上がる。
 その手の中にはダウジングロッドと一緒に、色鮮やかな花の刺繍があしらわれた小物入れが握られていた。

「いやぁ、お待たせして申し訳ない。朝からご主人が『財布を落とした』と、うるさくてね」
「それは大変だったね、問題については解決したのかな?」
「ああ、戦利品はこのとおりさ。少々こちらがみすぼらしくなったけれど、仕方ない。ご主人の頼みだからね」

 頭の上に乗っていた千切れた葉っぱをロッドで器用に払いのけ、膝をついたせいで汚れたスカートを小さな手で叩く。手に叩かれる度にフワフワと揺れる布地の下、スカートの一部に穴があいているデザインのせいで、健康的な足が大胆なくらい見えてしまっていた。

「あまりじろじろ見ると有料になるよ」
「ご心配なく、そこまで趣味が良いわけではないのでね」
「それは助かるよ、有名になると人間の雄たちが用もないのにやって来て大変なんだ」

 主に聖が目当てだけどね、と。愛想笑いを浮かべながら、尻尾に下げた手篭の中へと財布を押し込んだ。籠の中にいた部下に持っていてと命令を下しつつ。

「それで要件はどちらに通せば良いんだい? 毘沙門天様の方か、それとも聖の方かな? 毘沙門天様の場合は代理で私のご主人が受けることになるけど」
「いえいえ、私が求めるのは毘沙門天様の一番弟子。賢者であるあなたに頼みごとがあってね、願いを聞き入れていただきたい」

 いつも胸の前で合わせている袖で隠れた両手。それを頭の上に持ち上げて一礼する。藍の肩あたりの高さしかないナズーリンの頭よりも低く、ほとんど直角に近い角度まで腰を曲げる。幻想郷の管理を司る最八雲家の従者に最敬礼され、両の手の平を向けて左右に振った。
 謙遜するという意味も含まれているが、それよりも藍の行動に驚いたという部分が大きかった。

「頭を上げてくれないか、そんな態度を取られては息苦しくて困る。探し物に関する頼みごとなら、話を聞いてみるから」
「そうか、では改めて」

 今度は手を胸の前に置いて、軽く会釈だけをして言葉を続ける。どうせいつもの用件だろうと、ナズーリンがたかを括っていると。

「数日間だけ探し物をしないで欲しい、そう依頼することは可能かな?」

 藍の口から出た言葉に、彼女の片眉が跳ねた。
 能力を使って探し物をして欲しいというのならいつものこと。しかしそれを止めてなんて依頼は初耳どころか、ナズーリンの役割を否定するものに他ならない。わずかに刺々しくなった空気を察したのか、藍は穏やかな表情で目元を緩める。

「そちらの役割を否定しているわけではないんだ、すべての探し物をやめて欲しいわけでもない。そちらの主人はよく物を無くすそうだから、制限をつけると生活に支障を生じてしまう。だからそちらは寺の外からの依頼を拒否して欲しいんだ。特に妖怪の山の誰かが関係する探し物は特にね」
「しかし、私が行動をするのはすべてご主人の命によるものなんだが?」
「それでは先にそちらの主人にも話を通させていただこうか。それから改めて申し入れさせてもらうよ、紫様からの書状も預かっているし」
「ほほう、ずいぶんと手際が良いことだね。でもちょうどさっき先客が入って、話を聞いているところなんだよ。しかもその話の内容は探し物に関する依頼らしいから」

 ナズーリンの言うとおり、確かに庭から見える部屋の一箇所から何やら高い声が聞こえてくる。その声からして、話がまとまりつつあることが推測できるが。
 藍は不機嫌そうに耳を立てた。
 
「では、ここで待たせてもらってもいいかい?」
「それは構わないが、別な客室でも準備しようか?」
「いや、ここがいい」
「……ふむ、変わり者だね、君は」

 肩を竦めて手の平を上に向け、首を左右に振る。
 一連の動作の締めにため息を被せて、ナズーリンはくすり、と微笑んだ。

「そうだ、変わり者といえば少々気になる者がいるんだがね」
「おや? また妙な客人でも?」
「ああ、多分それに分類されると思うんだが……」

 広々とした命蓮寺の庭の中。
 ナズーリンがおもむろにロッドで指し示した場所。綺麗に掃除され、玉砂利が敷き詰められた部分に、明らかな違和感が一つ。灰色の地面に淡い水色の和服を着た何かが這いつくばっていた。全身をプルプルと小刻みに揺らして額すら地面へと密着させる。

「青空なんて嫌いじゃぁ……、飛ぶなんてもう真っ平じゃぁ……、我は地に足をつけて生きていくのじゃぁ……」

 見慣れない異物が一匹。
 何か訴えながら地面にしがみ付き続けている。
 腰から伸びた白い二本の尾すら地面に接触させ、今にも泣きそうな、震えた声音を発する迷惑な生物。そのすぐ側では竹箒を持った一輪が立ち尽くしており、困った様子で雲山と顔を見合わせていた。

「あれは、そちらの所有物だろう? 庭掃除をしようとしている一輪が困惑していてね、何とかして欲しいんだけど」
「気に入ったのなら譲り渡すよ? 最近幻想郷にやってきた妖怪なんだが、空も飛べない、妖力も並以下、家事もろくにできない怠け者でね。是非とも持っていってもらいたいくらいだ」
「こらこら、同じ妖狐に分類されるのに、あまり悪口を言うものではない。私と同志たちのように仲良くしないと」
「いいや、あれは別物だ。せっかく空を飛ぶ訓練をしてやったというのに、怖がって暴れてばかりで努力をしようとしない。それに一回転落の恐怖を味わっただけでああなるとは、同じ妖狐として恥ずかしいよ」

 落下中に生死の境を垣間見たのなら、ああなって当然では?
 ナズーリンは本音を心の中で隠し、そうだね、と無難に頷く。
 すると、口を開くごとに険悪な空気を生み出していた藍に、わずかながらほっとする笑みが漏れた。共感できる仲間がいた。そこからくる安心から来る笑みだった。
 
「まったく、紫様も何を思ってアレの住まいを許すのか、理解に苦しむよ」
「主人の無理難題を解決するのが私たち、違うかな?」
「ふふ、違いない。とにかく今はそちらの主人が空くのを待つとしようか」

 一輪が竹箒の反対側でがくがくと震える楠乃葉の頭を突付くのを見つめ、ため息をついてから藍は客間の方へと視線を移し。
 鋭く瞳を尖らせた。




 ◇ ◇ ◇




 時は少し遡り――

 藍が命蓮寺に到着するよりもわずかに早く、ある妖怪が訪れていた。

「あなたがこちらを訪れるなんて珍しい、用件は探し物についてでしたか?」

 ナズーリンから簡単な説明を受けていた寅丸星は、客間に通してお茶を振舞いつつ緩やかな口調で依頼内容を尋ねた。机も何も挟まず正座して、お互いが向き合うという古風な出迎え方で。何故机を置かないのかというと、相手の表情や仕草がよく観察でき、相手の心境を親身に受け取ることができる、と。聖が教えたから。
 
「…………」
「ははは、硬くならなくても大丈夫ですよ、いくら私が寅の妖怪であったとしても取って食べようとは思いません」

 しかし、一対一で障害物もなく向き合うということは、どうしても最初の一言が出しにくいもの。それを知っている星は、なんとか客人の唇をほぐそうと、優しい声音を向け続けた。すると、それが功を奏したのか、客人は手を畳の上、膝の前に置き、静かに一礼してからおずおずと語り始める。特徴的な角張った赤い帽子を被った、黒い羽をたたんだ少女が。

「……お願いです、私の、私の大切な仲間を……探してください」

 涙を堪えた瞳でまっすぐ星の瞳を見つめ、声を絞り出す。活発そうな彼女本来の魅力が消え失せた、疲れ切った顔。崩れきった表情で必死に星に訴える。

「方々手を尽くして探しました、知り合いにも声をかけ、八雲様のご助力も願い。それでも、見つからないのです。もう、私には『正義』の使者である毘沙門天様に頼るしか……」
「……顔を上げなさい、迷いし者よ。一先ずそのときの状況を私に教えてはくれませんか。正義の名の下で正しき道を指し示すお手伝いをさせていただきたいので」
「ああ、なんと慈悲深いお言葉……」

 命蓮寺ではこういった依頼が珍しくない。
 星の能力である宝が集まる能力と、ナズーリンの物を探す能力。それを頼って人々が訪れ、空き巣に入られて大切な家宝を奪われた、親の形見を無くしてしまったから探して欲しい等という依頼が集まる。しかしその依頼の中には他人の物を奪ったり、自らのために珍しい道具を集めたり、己が欲望のために力を悪用しようとする者もいる。
 しかし星は、これまでの経験から判断する。この者は信頼していい人種であると、信用に値する人物だと。

「さあ、あなたのお話を聞かせてください」

 そう判断した根拠はいくつかあるが、彼女のくすんだ顔色と、目の下に薄らと残る隈。そしてところどころ汚れ、傷ついた服。その汚れた外見が必死に仲間を探したという動かざる証拠。
 それでも疲れきった表情の中に、強い意志が伺える瞳を持つ。
 それ以上の証拠などあるはずがない。

「わ、わかりました。しかしこれからお話するのは、ホラ吹きと思われても仕方ない、突拍子もないものばかり。そのせいでどこにも相手にされなくて……」
「ご心配なさらず、私はあなたのことを信じます。ですから、安心して、ゆっくりと」
「は、はい! そ、それでは、どうかお聞きください、あの悪夢のような日のことを……」

 そう促され、妖怪の女性は身振り手振りを交えて語り始める。
 まず、簡単な自己紹介から始まった話は、いきなり十日以上前の妖怪の山が舞台となる。

「いつもと変わらない、よく晴れた日でした。哨戒天狗たちの報告も『異常なし』ばかりで、平凡すぎる一日と言ってよかったはずなんです、いきなり、あんな化け物が現れなければ……」
「化け物、ですか?」
「はい、黒い汚泥の塊に無数の手が生えたような、見るも恐ろしい化け物でした。私たちは山を守るために応戦し、なんとかそれを排除することに成功しました。しかしその騒ぎの中で一人の勇敢な白狼天狗が犠牲になってしまったのです」
「そんな、なんてこと……」
「正義のために命を掛け、刀が折れても、盾が砕けても……あの子は仲間を一人でも救うために自らの体で化け物の攻撃を受け……ついに地面に膝をついてしまい」
「正義のために……命を……」
「ついには……ついには化け物に飲み込まれてしまって……それでも山を守るためには救出より撃退が優先されて……彼女ごと……化け物を……」

 感極まったのか、女性はそこで一旦言葉を切り、嗚咽を繰り返す。救えたかもしれないのに、みすみす犠牲にした。その後悔で心を痛めているのかもしれない。
 
「それは、辛かったでしょう」
「はい……」

 星にはその気持ちがよくわかる。まるでこの女性を通して過去の自分を眺めていると錯覚するほど、苦しいくらいに理解できる。白蓮を救えなかったことが頭を過ぎって、心がどうしても重くなる。それでも星は彼女の話を、依頼内容を最後まで聞く義務がある。正義の、毘沙門天の代理として。

「結果化け物は大天狗様たちが率いる本隊により殲滅したわけですが……その際、彼女の姿がどこにもなく……わかっては、いるんです。おそらくは化け物に吸収されたか、退治した際の爆発に巻き込まれているか。それで原型をとどめていないことくらい、頭ではわかっているんですが、どうしても納得できなくて……ですから、どうか……」
「頭を上げてください。あなたがそう思いたいのなら、最後まで信じてあげてください。そうでなければ何も始まらないでしょう?」
「そう、ですね! 正しいと思うことを信じて進むその高い志こそ、正義なのですから! 私は毘沙門天様を信じます」
「そうです! 正義なのです!」
「正義なんですね!」
「正義ですとも!」
「星さん!」
「文さん!」

 お互いの気持ちを高めあい、名を呼び合いながら立ち上がると、力強く腕をぶつけ合う。何の言葉も二人の間には必要ない。星は、みすぼらしい姿となった文を気にすることなくぎゅっと抱きしめた。ここにひとつの友情が生まれた、熱い心情を確認した二人は身を離し頷き合う。

「それでは、ナズーリンにあなたの手伝いをするよう申し付けましょう」
「あ、すみません、もし失礼でなければ私から直接話を通してもよろしいでしょうか? 確か庭で探し物をしていた方ですよね?」
「そうですね、急ぎでしたらそちらの方が。では、共に参りましょうか」
「はい、是非!」

 星に連れられるまま、二人は客間を出て玄関を目指す。晴れ渡る空は、願いが通じた文の心情を映しているようだった。
 心なしか、廊下を歩く足取りも軽い。
 
「こう言ってしまうのは悪いことかもしれませんが、初めからこちらの方にお伺いすればよかったかもしれませんね」
「八雲の家系があまり協力的ではなかったからかな?」
「そうですね、気難しい方ですから。融通が利かないといいますか、あや?」

 星の声音が変わったことに不信を抱いた文が、前を行く背中を見つめていると。文と同じく頭に疑問符を浮かべる星が振り返った。
 そう、振り返ったのだ。

「え、えっとぉぉ……」

 それだけではない。後ろを向いた星の瞳は、文を見てはいなかった。明らかに文の後ろの何もないはずの空間を見据えていて。

「や、八雲の方も何かお考えがあるのでしょう。そうそう悪く言ってはいけません」

 声を詰まらせながら、フォローする。
 これが何を意味するかを文が理解した直後。頭の上にとん、と、誰かの手が乗せられた。

「やあ、文、さっきぶり。こんなところで何をしているのかな? 紫様の指示はどうなったのかな? ん?」
「……あややや、ぐ、偶然ですねぇ、本日はお日柄もよく」

 待ち伏せされていたと気づいたときにはもう遅い。背中から聞こえたのは間違いなく藍の声だ。その声の威圧感に振り返ることもできず、頭に乗せられた手も払いのけられない。
 文ができたことは、できるだけ愛想よく答えることだけ。しかし口元が引き攣っており発音がぶれてしまう。しかし、声がどうであろうが誤魔化しが通用するかどうかすら怪しい相手だ。

「本当に偶然だね。部屋の中の声でまさかとは思ったんだが……これは困った。紫様の命を受けた後、てっきり妖怪の山で天魔殿のお伺いを立てているものとばかり思っていたから。そうか、天狗たちは私たちにそのような誠意の見せ方をするわけか。ちょっとあちらで詳しい話を聞かせてもらおうかな?」
「あ、あの、せめて靴は履かせていただけないかなと……ほら、私正面玄関から入りまして♪」
「大丈夫だよ、すぐ、終わるからね♪」
「あはは、あはははははははっ……」

 入ってきた方とはまるっきり反対側。廊下から無理やり下ろされた文は庭の隅へと引き摺られていく。わずかな抵抗として文の踵が庭土の上に二本の線を残していくが、状況を掴めない星はそれを見送るしかできない。悲しい目をして助けを求める文に対し自分が何をするべきか、その判断すらつかず、おろおろと両手を空中でパタパタ振るばかり。
 
「ほら、落し物」

 そんな星に助け舟を出したのは、さきほどまで藍と一緒にいたナズーリン。星が朝無くした財布を手元に放り投げて、庭から廊下で立ち続ける主の顔を見上げた。

「漏れていた声から察すると話は纏まったようだけど、どうやら裏があるようだね。あの一見静かそうな九尾が血相を変えて天狗を捕まえるくらいの胡散臭さが」
「そう、なのでしょうか?」

 財布のお礼として会釈を返し、まだ納得がいかない顔でナズーリンを見下ろす。
『騙されたかもしれない、でも……』
 瞳は自信無さげに揺れつつも、同時に強い意志を感じさせた。
 裏があるけれど、悪意があるとは思えない。そう訴えているようだった。

「さあどうかな? 私は情報整理は得意だが、感情論は苦手でね」

相手の感情を敏感に感じ取るよう聖や毘沙門天に教育された星が、素直に騙されるのも納得できない。多少嘘が混ざっていても、星が何かを感じているのならナズーリンができるのはただ一つ。

「下手の考え休むに似たりだ。とりあえず私は信じる。ご主人の判断どおりに動いて見せるさ」

 主を信頼し、待つのみ。
 片目を閉じてとんとんっとダウジングロッドを肩で弾ませた。おどけるナズーリンの姿に気持ちを軽くしたのか、彼女本来の柔和な笑みを浮かべた星が静かに頷く。高くなり始めた日差しを受けるその姿は、温かみを感じさせながらもどこか凛々しい。ナズーリンが一瞬目を奪われてしまうほど、美しくて。

「……あの、すいません。これ、持ってきたんですが。星さん、対処をお願いできませんか? 聖様にもただいま来客がありまして」
 
 雲山に首根っこを捕まれ、運ばれて来たチンチクリンな妖狐に目を威嚇する姿を見て。星とのあまりの格差に噴出してしまう。

「ふぅぅぅぅぅ……きしゃぁぁぁっ!」

 それでも捕まれている方は必死に、威嚇の声を上げ続けていた。
 



 ◇ ◇ ◇




「にゃはぁぁあぁぁぁぁ…………」

 だらしなく、とろけた顔を陽光の下に晒し、縁側でゆらゆらと足を振る狐の少女。その手には大事そうに湯飲みが握られていた。中には高級な代物ではなく一般的な茶葉で作られたお茶があるだけ。何の変哲もない、安っぽい香りしかしないはずの湯飲みに何度も顔を近づけ、その度に天国へと昇りそうな顔する。
 反抗的な態度を見せていたと思えないほどの豹変ぶりで、耳なんてもうピンと立っていた名残すらない。無防備に背中を晒す妖怪の姿を客間から眺める四つの影のうち、大きな尾を持つ個体が深いため息を吐き、落胆する仕草にいち早く反応した小さい影が口を開いた。

「さっきまで、威嚇していたというのに、あれが君の系統とはね」
「同族とは思わないでくれと言っただろう。あんなだらしないヤツのどこが私に似ているというのか」
「とても似ていると思うよ?」
「そちらの目は節穴か? あのぐうたらとこの九尾の私のどこに共通点が?」

 同じく、湯飲みを持つ狐の女性は不機嫌さを隠そうともしない。しかも珍しく帽子を外し、天井を突かんばかりに耳を真上に伸ばしている。体面に座るナズーリンに対し自分の怒り指数を表現するためだろうか。
 しかしさすが命蓮寺の知将と名高い小さな賢者は、自らの主人の横で臆することなくある箇所を見つめ。

「しっぽと耳の形がそっくりだ」
「……む」

 二人の妖狐を順に指差し、平然と言い切る。
 いくら否定しても覆せない明確な証拠を示しつつ。

「あはは、私は違うと思いますよ。やっぱり藍さんはご立派ですからね、八雲家の家事を全て担い、あまつさえ結界管理の職務すら」
「お世辞を言っても、何も得はしないよ? 文」
「い、嫌ですねぇ、本心ですってば。感心してますよ、ええ、ホントに」

 機嫌を少しでも元に戻したいのか、藍の横で正座させられている文は孤軍奮闘して褒め称え続ける。それでも一向に藍の表情は緩まることがなく、不機嫌さを増すだけ。下手なことを言うとまた、一対一の説教が始まりかねない。
 
「落ち着いてください、藍さん。そちらの言い分はわかりましたから。犬走椛さんという白狼天狗がもし死亡していたり深い傷を負っていた場合、天狗社会による暴動が起こりかねない。故に、天狗の長である天魔から十分な回答がない限り、ナズーリンの力は使わせないで欲しい。これで構いませんね」
「ああ、間違いない」
「そして、もしこの件について命蓮寺側が妖怪の山についた場合は、実力で止める。その手段が藍さんだと」
「そこまで理解してくれているなら下手な脅しをせずに済む。助かるよ」

 星にとって、続けた言葉は当てずっぽう。八雲紫という妖怪は式をいくつも所有しており、簡単な伝言ならその式や隙間を活用して行えば十分。だが、何故九尾である藍がわざわざ正面からやってきたかと考察した結果、忌むべき結論に至ってしまった。それを確かめた結果、動揺すら見せずに頷いた。そのあまりに堂々とした姿は、毘沙門天に仕える星すら背筋に寒いものを感じるほど。

「こほん、……それでは、次に、文さんの意見をまとめましょう」
「うっ……」
「藍さんの話ですと、あくまでも妖怪の山で消息を絶っただけで特異な妖怪が外界から現れた、などという痕跡はない。とのことでしたね。それに相違は?」
「ありません……」
「そうですか、では、正しいのは犬走椛と呼ばれる天狗が行方不明になったことだけ。それ以外は依頼を通すための口実、そのみすぼらしい姿も、私を騙すための偽り」

 星は、ただ淡々と事実を整理し、怒ることもなく文を見据える。その横では、当然と言わんばかりの藍が腕を組み、星の言葉に相槌を打っていた。
 
「以上を踏まえて結論を出させていただきますが、私の決定は命蓮寺の総意と受け取って頂いて構いません。両者の言い分に配慮して、責任を持って実行することを誓います」

 姿勢を正し、まったく違う立場の二人へと告げる。しかし、ナズーリンでも星がどう判断するかは目に見えていた。
 八雲家の言い分を全面的に受け入れるに違いない、と。
 嘘を吐き、正義を騙り、無理矢理仕事を引き受けさせようとした文。
 幻想郷のために、主のために、憎まれ役に徹する藍。
 比べる必要など、あるはずがない。

「ナズーリン、命じます」
「ああ、なんだいご主人」

 数日か、数週間か。事態が収束するまで探し物をするな。そう言われることを見越して、ナズーリンは自らのダウジングロッドを背中の方へと押しやり、声の続きを待つ。
 対面の藍は、まだ機嫌の傾いた表情ではあったが、どこか自信に満ちた顔で確信し。その横の文は暗い表情で目蓋を伏せ、俯くだけ。両名とも結論がどう出るかなど、わかりきっていた。

「白狼天狗の捜索、その助力をお願いします」

 空気が、しんっと静まりかえる。
 時間が止まったかと錯覚するほど、星を除く全員が固まった。視線を一点に集中したまま、誰も動気を見せぬまま、星の目蓋が二度閉じた頃。
 最初に動いたのはナズーリンだった。
 もう用はないと想っていた彼女の武器であり相棒であるダウジングロッドを握りしめ、畳の上を滑る。目標位置は、星の前。藍と星を遮る位置を取った。

「なんのつもりかな?」

 突如、膨大な妖力と同時に威圧的な空気を纏い始めた九尾に対し警告する。ダウジングロッドを正面でクロスし、肌を刺す気配の前に立ちはだかった。

「……いや、まだ動くつもりはないよ。まだ、ね。そちらの主人はあなたに助力をするようには告げた。しかしその詳細を聞かされていない以上、こちらは行動を起こせない」

 そういうことだ。
 詳細を知るまでは、動くつもりはないと。
 つまり、もしその内容が気に入らないものであれば、行動を起こす。そう藍は明示している。九尾の力と、命令どおりに行動している間使用できる紫の能力の上乗せ。それを披露しても良いと、発言しているのだ。

「そうですね、では詳細を。私も、そちらの文さんに騙された部分もありますので全面的に協力はできない。あなたにお願いしたいのは、手がかりとなる一つ。その犬走椛という天狗の持ち物がどの辺りにあるかを探すというものです」
「……大まかな位置、ということか?」
「ええ、そのとおり。妖怪の山の中、紅魔館付近、その程度の情報しか与える必要はないでしょう。これならばどうです? 八雲の方々もこのような面倒な事件が長時間続くことは本意ではないのでしょうし、時間が経過すればお互い妥協も難しくなるでしょう」
「ふむ、それで? 万が一、天狗が行動を起こした際は?」
「命蓮寺は、天狗と徹底抗戦することをお約束します。自分の種族の命が奪われたからと言ってその他多くの命を奪おうとするなど、聖も許すはずがない。もちろん、私たちが仕える毘沙門天様も」

 毘沙門天様が後に来るなんて、実に星らしい。ナズーリンは満足そうに笑って、再度自らのロッドを構え直す。もし、藍がここで首を縦に振らなければ、実力行使に移らなければならない。例えぶつかり合った結果がわかりきっていても。
 ただ、そのロッドが藍に対して振り下ろされることはなかった。

「いいだろう、その約束事を厳守するというならこの場は引くとするよ」

 張り詰めていた空気が緩み、息苦しさが消える。それと同時に安堵のため息が重なった。文は瞳に意思の力を取り戻し、顔を上げてナズーリンを見つめ。

「ただし、捜索には私も立ち合う。それと今日一日、私が満足するまで文と行動を共にさせて貰う。それが条件だ」
「え゛?」

 笑顔を凍りつかせたまま。
 あからさまに嫌そうな声を上げた。

「文が不正をしないか見守る必要もあるし、天魔殿からの書状の件もあるからね。そうなると一緒に行動した方がいいと思うが?」
「え、あの、しかし、藍さんのお手を煩わせるのも悪いかなと思いまして、ええ」

 部屋の中の空気が大きく打ち震えてしまうほど、一気に力を解放する。立ち上る力の流れが容易に目視できた。

「ふふふ、大丈夫だよ、それくらい。まさかとは思うが、私と行動するのが嫌だと? この前は私に対し密着取材を行ったというのに?」

 そんな圧倒的な威圧感で追い込まれた哀れな鴉に残された道は、ただ一つ。

「……よろしく、お願いします」

 泣く泣く条件を飲むことだけだった。
 
 


 ◇ ◇ ◇

 

 
(やはり、紫様の底は知れないな)

 人里の大通り。人々が行き交う道の両側では、客を求める威勢のいい叫び声が響き渡るが、周囲の喧騒など藍の耳には届かない。いつものように胸の前で手を組み、平然と人波を避けて歩いているものの、思考はまったく別のところにあった

(本来の目的は、別にあったとは……)

 思考を繰り返しながら、藍は自らの内を探る。
 力に満ち溢れた、充実したその体。しかしそれに満足するよりもまず、自分自身の思慮のなさと、主の深さが実感として溢れた。この内面で力が活発に動いている状況こそ、その証明に他ならない。
『命令どおりに活動しなければ、束縛を受ける』
 契約に縛られた藍にとって、それはどう足掻いても砕くことのできない鎖。

「あの、藍さん?」

 さきほど命蓮寺の場面で相手側の要求に賛同したときも、文と共に行動すると宣言したときも、力を押さえつける圧迫感はなかった。それが意味するものが何か。

「藍さぁん?」

 拘束する力が働かないということは、すべて紫にとって予測の範囲内であることを示す。藍の手綱を握る彼女の望みどおりの行動だったから何もおきない。主の意に添うようにあの場で精一杯の駆け引きをしたつもりなのに、結局は手の平の上で踊らされていただけ。
 ナズーリンの行動を制するのが真の目的ではなく、有事があった際に中立行動を取り兼ねない命蓮寺を仲間に引き込むことこそ、紫が藍に求めた事象――

「藍さんってば!」
「ふむ、もう少し静かにしてくれないか。少々整理したいことがあるんだ」
「奇遇ですね、私も少々片付けたい案件があるんですが?」
「ん、天魔殿の書状のことかい?」
「いえ、あの、これを」

 藍より少し前を歩いていた文は、立ち止まって半身を向けた。道の中央で歩みを止めたおかげで迷惑そうに人間たちが睨んでくるが、文にとってそれは些細な問題ではない。今、彼女にとって一番解決しなければならない問題は……

「さっきから抱きついて離れないんですが……」

 そこには、青っぽい和装をした白い毛の二尾。着物に似た衣服に身を包んだ楠乃葉が、文の腰から左足に掛けてしがみついていた。見た目が小さいため子供が抱きついているようにしか見えず、親を持つ者はほほえましい光景かもしれない。しかし抱きつかれた方としては、尻尾まで巻きつけて来るので実に暑苦しいことだろう。
 
「文が空を飛んで移動するのが悪い」
「ええ? 藍さんが楠乃葉さんを連れて先に行けと言ったんでしょう?」
「歩いて移動する選択もあったわけだが」
「普通飛ぶでしょう、妖怪なら」
「まあ、普通ならね」

 飛ぶという単語を聞いて、余計に強くしがみついてきた見た目だけ少女を見下ろし。文はやっと、それに気づいた。

「……まさか、楠乃葉さん、飛べないとか?」
「しかも飛行することに恐怖心が芽生えたらしくてね」
「あややや、なんと情けない」
「本当に、なんでこんなやつが……」
「誰のせいだと思っておるのじゃ! 藍殿のせいではないか! 落としては拾い上げ、落としては拾い上げ、我は遊具か! 何度死を感じたと思うておる!」
「15回、私は教育熱心でね。無理やりのほうが体が覚えることもある」
「走馬灯を二桁も強制的に見せられた身にもなれ、この阿呆!」

 それを知らない文は、命蓮寺からナズーリンを連れ出す際、楠乃葉を脇に抱えたためそのままがっしりと抱きつかれたわけである。絶対に離れないよう、腰や足に絡みつく形で。
 
「では、そろそろ離れるべきでは? このままだと私、また飛ぶかもしれませんし」
「腰が抜けて立てぬから抱きついておるのじゃ!」
「……実に情けない凄み方ですね。なら仕方ない、このまま手掛かりを探させていただきましょうか。いえ、もちろん天魔様の書状は出来次第お持ちしますから、そう焦らずにお願いしますね♪」

 藍の視線から逃げ、顔を再び元に戻すと、足に楠乃葉がくっついた状態で難なく前へ。妖怪の中でも身体能力が高い方に分類される天狗にとって、一人や二人妖怪がくっついたところで歩行に問題はない。外見を気にしなければ、であるが。
 足にひっついた邪魔者が人波に当たらないようにひょこひょこと。左足だけを引き擦る奇妙な歩き方になってしまうのも玉に傷。

「優先順位はそちらが上か、構わないんだがね。今日は『人里に犬走椛の手掛かりがある』とわかっただけで良しとするべきではないかな? ナズーリンのダウジングのおかげで範囲は限定されたといえ、二人で先走ったところで好転はしないと思うが」
「いえいえ、広大な人里でそんな馬鹿なことはしませんよ。少しでも怪しいと思う部分にチェックを入れるためにこう足を運んでいるわけでして」

 命蓮寺でのやり取りの後、ナズーリンの能力を頼りに直接椛を探そうとした。星の命令とは最初は犬走椛本人を目標にしてダウジングを実行して貰おうとしたのだが、藍を含む三人を棒が指し示し、接近した瞬間に大きく開く。
 当たりの反応がまったく関係ない三人から発生したのである。
 助力を願う立場の文であっても、この反応には苦笑いを零すしかできず。正確さを疑わざるをえなかった。それでもナズーリンは慌てず騒がず、冷静にロッドを見つめ。『やはり』とつぶやいた。

「生き物を探すのは正直苦手なんだよ、その対象が身につけている道具なら自信をもてるんだがね」

 曰く、生き物は常に生気を発していて、それが時間帯や日によって変化するためダウジングで誤差が出やすいらしい。その大き過ぎる誤差によって、同じ天狗である文に反応するのではないか、との見解だ。
 仕方なく文は、『椛の正装』の位置をダウジングしてもらい。
 その結果、一つは妖怪の山。もう一つが、天狗があまり滞在しないはずの人里だった。それ以上は最初の条件通り教えて貰うことはできなかったが、何もない状況よりは大分前進したのは確かだ。

「天狗の服装をしているなら、少々取材をすればすぐに見つかるはず。それなのに、初手の調査ではまるで手がかりが掴めなかった。となれば、椛は訳合って耳と尻尾を隠し、変装して活動しているか。まあ、もう一つは考えたくないことなのですがね……」

 人間に捕らわれ、人目につかない場所に監禁されているか。
 それとも、すでに事切れているか。
 どちらにしろ、該当すれば無事でいる可能性は極めて低いと言って良いだろう。

「天魔の書状に誠意が込められていれば、こちらからもあの探し屋に好意を持って接することが出来たんだ。自業自得だよ」
「あやややや、だから痛いところを突かないでくださいよ」
「と、おどけて見せながら、しっかりと目は周囲に向けられているようだね」
「……はあ、やっぱり藍さんと一緒だとやりにくいことこの上ありませんな。取材する側ならとても楽なのですが」

 活気溢れる露店の群れ。日差しが高くなった昼の掻き入れ時期の人里は特にたった一人を捜すのには向いていない。挙動不審と思えるくらい文の瞳は素早く動くが、その瞳は異変など感知せず、平凡な生活空間だけを映し出す。さらには文や藍を足早に追い抜いていく人間たちが、どんどん視界に加わってくるせいで。天狗の鋭い感覚でも追い切れない数になってしまい……
 はぁ、と文が諦めのため息を吐いたときに。

「のぅ、このあたりに妙に旨い料理屋でもあるのか?」

 足にしがみついているの楠乃葉が、声を上げた。左手を離して道の先を指差しつつ。

「我らが先に進むにつれ、一方向へ進む人間がやけに増えるのじゃが……」
「おや、そういえば、あちらは……」

 文がおもむろに顔を上げ、藍は瞳を細める。
 確か、この先は何もないはず。3件ほどの先までは露店が続いているものの、それ以降は特に目新しいものはない。昼食にしても早すぎる時間であるし、一貫していない服装からしても特定の業種とは思えない。
 ならば、いったいどういうことか。

「藍さん」
「ああ、わかっているよ」

 楠乃葉にしがみつかれている文に代わり、藍はその場で飛び上がると近場の屋根に乗って人々が進む方向を見据えた。何か特別な建造物ができているなら、上から見ればわかる。そう判断し高い位置から先を探ってみれば……

「……む、丸い、屋根?」

 布で出来た色鮮やかな円が二つ。
 主柱を中心とし、放射状に紐を張って作った簡易な家。
 瓦や木とはまるで違う、表面に光沢のある布で覆われた巨大な掘っ建て小屋のような異物が、人里の中央に堂々と、その存在感をアピールしていた。




 ◇ ◇ ◇




「はぁーい、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! こちらで繰り広げられたる感動の世界、まるで夢のような世界を体験するなら今しかないよ! さぁさぁ、そこの可愛らしいお嬢ちゃんたち、準備はいいかな?」
「まあ、一人、お嬢ちゃんでは厳しい外見の輩がおるがのぅ……いたぁっ!?」
「あはははは、仲がよろしいですねぇ、お二方」

 口を滑らせた小さい妖狐の尻尾の付け根を大きな妖狐が笑顔で抓る中、その光景を見守る男は営業スマイルを貼り付けたまま立っていた。ただ、問題はその姦しい3人の後ろに並ぶ列から溢れる黒い意志。『はやくしろ』という苛立ちが限界に達し始めた人間たちの感情だろうか。

「悪いね、連れが騒がしくて。静かにさせておくから話を続けてくれないか?」
「ああ、いいとも。ここでは動物や人間達が自分の肉体だけで芸を披露する場所なんだよ。空は飛べないけれど、飛べないからこその迫力がみんなを魅了するはずさ」
「いたたたぁ……外の世界で言う、さぁかす、というやつじゃな……」
「ふむ、これは記事になりそうですな。見せ物小屋とは」

 長机の対面側に立ち、笑顔で説明を続ける受付の男。
 その後ろには、やはり衣服に使われているものとは別の、光沢のある布が日差しを浴びてうっすらと輝いている。巨大な円状のテントとでも言うべきその存在は、他の家と比較するとその巨大さが際立って見える。とんがり帽子に似た天井の簡易な建物であるため、確かに建設費はあまり掛かっていないようには見えるが。

「本当に入場料は払わなくてもいいのかい?」
「ああ、もちろん大丈夫だとも。普段人里で生活していない妖怪たちはお金を持っていることが少ないからね。そんな人にも見てもらいたいから、妖怪、妖獣の皆様は期間限定入場無料さ!」
「あ~、それで人間たちの視線が痛いわけか、タダで入れるなど羨ましいと」
「天狗社会では人間たちの使う通貨を利用することもありますが、ふむ。大半の妖怪はまとまったお金などもっていないでしょうし。良い判断といえば、良い判断かもしれませんな。新聞で宣伝しても?」
「ええ、よろこんで。ただあの光るのは抑えて欲しいかな。がんばってる動物や人間がびっくりするからね。はい、これ入場券。あと、中に入ったら不自由になるかもしれないけど、あくまでも万が一のためだから許してね」

 カメラのフラッシュが禁止されては、屋内での撮影はほぼ封じられたと言ってもいい。仕方なく文は外観だけ一枚写真に収めると、素直に入場券を受け取った。     
 続く藍と楠乃葉も入場券を受け取り、お互い尻尾を揺らしながら文の後ろに続く。
 大きく口を開けた長方形の入り口、新しい行列の最後尾に並び改めて受付を振り返れば、藍が体験したことのない数の人間の集団がそこにある。
 すでに中に入った数を入れるなら、100や200程度では済まないだろう。それがまだ行列を作っているのだから、加速度的に増えるのは確かだ。新しい娯楽の効果に対し素直に驚愕しつつ、白い長髪を太陽に照らされている楠乃葉を見下ろした。

「腰が抜けたのではなかったのかな?」
「う、うむ、治った」
「……へぇ、じゃあ、そんなに早く回復するなら帰りも特訓かな?」
「と、特訓じゃと?」
「落ちるのと、速いの、どっちがいい?」

 もちろん両方とも空を飛ぶことが大前提。
 それを感じ取った楠乃葉は大袈裟に身を縮め、耳と尻尾を力なく垂らした。

「う、ううう、す、すまぬ。腰を抜かしたと嘘をついて楽をしたことは認める! 認めるからそれだけはぁ……」
「ほらほら、お二人とも私たちの番ですよ」
 
 涙目になって訴える楠乃葉と、それをからかう藍。当事者である藍はこんな奴同類ではないと訴え続けてはいるが、文の目から見ればただの姉妹のやり取りにしか見えず、思わず苦笑してしまった。出来の悪い妹を叱る姉、出来の良い姉に頼りっきりの妹。
 思わず写真として残したくなる映像ではあるが、カメラを動かそうとすると藍が鬼神の如く睨み付けるのでもうどうしようもない。
 どうしようもないので、一足早くテントの中に足を踏み入れて……

「っっっ!」

 気が付けば、無意識に足を引いていた。
 大きな口をあけて人間たちを飲み込んでいく、そんな巨大な簡易建築物の入り口のちょうど足を踏み出す前の位置。時間が巻き戻ったかと錯覚するほど、自然な動きで身を引いていた。
 狐の似非姉妹を見ていたときのほがらかな表情などどこかに吹き飛び、その顔に張り付くのは作り物の面を思わせる無表情。

「さて、文もやっと気づいたようだね」

 文の変化を敏感に感じ取り、後ろの人間に順番を譲る形で藍は列を離れる。そして同じく列から離れた文の横に立った。そして周囲を視線だけで探りながら、人ごみから離れていく。

「……っ! ら、藍殿ぉっ!」
「まぁ、最初に藍さんが新しくできた見世物小屋に行こうと言ったときは耳を疑いましたが……こういう仕掛けでしたか」
「そうだよ、おそらく私と紫様のような、『式』を扱える者しか遠目からではわからないだろう。運命の持ち主や、鋭すぎる直感を持った人間は別にしてね」
「ふむ、受付でも伝えられたとおりあれは確かに不自由になりますな。このテント事態が強力な陣を形成していると仮定すれば、やはりあれは――」
「ああ、妖力封じ。しかもその効力は」
「私が思わず身を引くほど、ということでしょう? それを確かめるためにわざと歩を遅めるとは、実に嫌らしいことで……」

 比較的に嫌っているはずの楠乃葉と急に普通の声音で話を始めたのは、『天狗』である文に確かめさせるため。それに気づいた文は営業スマイルなどどこ吹く風で顔を顰める。藍に対してではない、その策に気づけなかった己に対して、苛立ちを覚えたから表情を歪ませた。
 つまり、文すら束縛する可能性のある強力な陣であるなら。
 白狼天狗の椛にも効果があって必然。
 
「おそらくあの空間に足を踏み入れれば人間と同程度か、それよりも少し強い程度に力は封じられる。妖力の調整が私より不得意な椛ならひとたまりもないでしょう」
「結論で言うなら、この建物であれば天狗を監禁することは可能かい?」
「……悔しいですが、十分すぎるほどに」

 苦虫を噛み潰したような顔で、文は答えた。
 椛が失踪してから10日以上過ぎた今、もしここに椛がいるとするなら。これと同じ結界の中にずっと前から封じられていたとするなら。
 五体満足でいる可能性は極めて低い。
 いや、たとえ肉体的には健康であったとしても、内面が崩壊している恐れが――

「文らしくないね、そう暗いイメージに捕らわれては嫌な事が本当に起きてしまうよ?」
「……驚きですね、まさか九尾に悟り妖怪と同じ能力があるとは」
「誰でもわかるよ、その青い顔色を見ればね。さて、まずは行動だ。単体で動くのは危険だからね、そちらは一旦妖怪の山へ戻った方がいいだろう。あの結界の中を対策なしでウロウロしたいなら話は別だが?」
「ふむ、それは遠慮しておきましょう。口惜しいですが……一歩引くべきかと。天魔様の書状の書き直しもそろそろできるでしょうし」
「うん、冷静なようだね。安心した。この建物の本来の目的がどこにあるかまだわからない現状では過剰反応するのは厳禁だ。もし、また大勢の天狗でテントごと破壊するなんて言い出したら人里と妖怪の関係を保つ必要性を講じている紫様が私に何を命じるか、わかるだろう? さきほど協力を取り付けた命蓮寺の面々にも手伝ってもらうことになるだろうし」
「……肝に銘じておきますよ。あ、でもその代わり」

 飛び去ろうとする文が振り返るより早く、藍は続く言葉を予想し微笑みを浮かべる。

「何か進展があればこちらからも妖怪の山に届ける。それでいいかい?」
「はい、お互い約束を違わぬことを祈りますよ」
「ほほぅ、神様にかい?」
「ええ、ありがたみがないほど近くに軍神がいらっしゃいますからね。ではまた」

 結局一度も手帳を取り出さず、テントの写真を一枚だけ取って人里を後にする。そんな本来の文らしくない行動からしても、彼女の焦り様は本物。

「あの毘沙門天の弟子が動いたのは、偽りのない仲間意識からかもしれないね。それが時に危険だから困るんだが……楠乃葉、お前も妖狐の端くれならこんなときくらい案の一つでも」

 あの構造物が妖怪に仇成すものであれば放っておくことはできない。
 しかしただ安全面を考えて、馬鹿力の妖怪を抑えるものと考えることもできる。
 料金の問題からしても友好的に受け取る方が素直ではあるが……

 狐の本能が告げている。
 
 何かある、と。
 そのため同じ妖狐である楠乃葉に意見を問うてみたが、返事がない。
 仕方ないので後ろを振り返ったら、

「おい、楠乃葉。黙ってないで何か……おや?」

 姿もない。
 後ろにあるのは、少し離れたテントへ向かう行列。
 びっしりと、隙間のないくらいに密着した。壁にも見える人の一団。
 
 そういえば、楠乃葉が何か叫んでいた気がするが……
 まさか、あれは……

「ふむ……」

 藍は困り果てた顔でテントの方、入り口の近くで行列を整理していた男の一人に話し掛ける。

「すまない、ちょっといいかな?」
「あ、はい、何か?」
「私と同じような耳を持ち尻尾は二本、毛並みは白く背は低い。そんな妖狐はみなかったかな?」
「えーっと、中に入ろうとしておりましたが、何が気に入られなかったのか帰りになられたと思いますよ?」
「……そう、か。ではどちらの方に飛んでいったか、覚えているかな?」
「確か、東の空へ飛んでいったかと」
「ほぅほぅ、そうか。飛んで、行ったんだな?」
「はい、間違いなく」
「ありがとう、私はこれから連れを探しにいかないといけないからね。残念だが今は見せ物を我慢して、また今度来るとするよ」
「はい、是非またいらしてください!」
「ああ、そのときはよろしく頼むよ」

 藍は、人間の男がどきりと胸を高鳴らせるほど妖艶に微笑み、尻尾を揺らしながらその場を後にした。
 縛:様々な束縛ということでひとつ。


 お付き合いいただきありがとうございます。
 少々、体調を崩し、同時にパソコンもダウンいたしまして、長期間何もできずにいた作者でございます。皆様は健康に気をつけて、、
 

 一話 → ttp://coolier.sytes.net:8080/sosowa/ssw_l/?mode=read&key=1273938423&log=113
 
pys
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コメント



0.760簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
待ってました! 続きが気になる終わり方ですね。次も待ってます。
9.80名前が無い程度の能力削除
これは続きが楽しみです!!
11.100名前が無い程度の能力削除
誤字:葛乃葉→楠乃葉

このシリーズの雰囲気大好きです。
次回も楽しみに待っています。
作者様も体にお気をつけて。