Coolier - 新生・東方創想話

風見幽香地獄篇(上)

2006/07/07 09:38:08
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 初夏の折、水無月の半ば。
 金色の満月を朧雲が覆っている。
 隙間を縫って刺す柔らかな光が、夜風にそよぐ草原をぼんやりと照らし出す。
 揺れる葉先と戯れる蛍たちが描く幾筋もの煌きは、まさしく光の芸術と呼ぶに相応しい。
 そんな風情あふるる素敵な夜だというのに、我等がラブリープリティーフラワーマスターこと風見幽香の心は土砂降りだった。
「まずい……これはまずいわ……非常にまずいわ……」
 夢幻館の自室のすみっこで何かから隠れるように縮こまって怪しい紙切れを握り締めながら、幽香は悩んでいた。
 心の底から悩んでいた。
 頭をひねりすぎてそのままねじ切れてしまうくらいに悩んでいた。
 チルノが相対性理論を勉強するのと同じような勢いで悩んでいた。
 とにかくもう、いっそこのまま全てを捨てて逃げ出したいくらい悩んでいたのだ。
「くっ……こんな事になるなら最初に会った時殺しておけばよかった……!」
 言っている事は非常に物騒だが、その声はそれが虚勢であることを隠し切れずに震えている。
 おまけに閻魔相手に啖呵を切った時とは似ても似つかぬ、今にも泣きそうな表情を浮かべて焦燥しきっている。
 普段の彼女を知っている者が見れば泡を噴いて卒倒するか、もしくはあまりのギャップにうっかり恋に落ちかねないナイトメア極まる艶姿だが、あの自称最強、他称男気のないジャイアンな幽香がここまでうろたえるのにはそれ相応の理由があった。

 ──話は十数分前に遡る。

『たっだいまー! お腹すいたー! ねぇエリー、ご飯まだぁー!?』
 けたたましい声とともに、くるみが食堂に飛び込んでくる。
 まるで無邪気な幼子のようなその笑顔および行動とは対照的に、
背に生えた巨大かつ凶悪な形の羽は吸血鬼としての本性を垣間見せているようでもあり。
『はーい、もうちょっと……って、くるみ? あなた門番の仕事はどうしたの?』
『途中で帰ってきちゃった。だって誰も来なくて暇だったんだもん』
『……ようするにまたサボったのね? まったく、すっかりサボり癖がついちゃって……』
『いーじゃん、侵入されたらされたで改めてやっつければいいんだし、今日はもうお仕事終わり~』
 調理場からエリーがひょっこりと顔を出す。
 フリルのついたかわいらしいエプロンを着て、いつものでけぇ鎌を包丁に、飛ばす床板をまな板に持ち替えての完全なるクッキングスタイル。
 本人は常々「ほっとくと他に誰もやろうとしないから仕方なく」と言っているが、なかなか堂に入った姿である。
 とは言え何かの弾みで調理場から転げ出てきた腕らしき肉塊を見る限り食材は人間なので、せっかくの家庭的な雰囲気が消し飛んでいるのが残念なところだがこの際それは関係ない。
『もう……幽香様が帰って来たときに怒られても知らないわよ?』
『ふん、この私がいつまでも下っ端でいると思ったら大間違いよ! 見てなさい、いつか絶対出世してやるんだから!』
『……ふうん、出世ねぇ。それは下剋上の意志ありって受け取ってもいいのかしら』
『あったり前だのコンコンチキよぉ! 自己中とわがままこそが私達吸血鬼のアイデンティティ! いつまでもこんなショッボい地位に甘んじてると思ったら間違い千万マイマイカブリだってーのぉ! ゆくゆくはあの伝説の新月時に幼女化する奥義、その名も『くりゅみ化』を身に付けてこの館を乗っ取り……って、ゲェー! ゆ、幽香様ァ──────ッ!?』
 声のした方を振り向くと、いつの間にやら緑髪の悪魔。
 まるで計ったようなタイミングで幽香が帰ってきていた。
 その顔に浮かんでいるのは聖母の如き優しい微笑だが、滲み出す妖気は悪鬼羅刹の如き禍々しさだ。
 よりにもよって乗っ取り宣言の直後に幽香帰還という考えうる限り最悪のシチュエーションに、くるみの背中を嫌な汗が伝う。
『ふふ……そうね、確かに門番なんて地味な仕事だから飽きる気持ちも分かるわ』
『い、いえ、あの、これはですね、あの、つい本音が、じゃなくてうっかりモロバレ、じゃなくて、ああ、うう』
『でもまさかくるみが反乱を企てているなんて思いもしなかったわ。まあ、それ位の覇気があった方がこっちとしても嬉しいけどね』
『へ? あ、あの……じゃあ、その、なんというか……その、み、見逃してく』
『潰しがいがあって』
『一瞬でも期待した私が馬鹿だあひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!』
 ごんぶとレーザーに押し流されて天井を突き破り、そのまま遥か彼方へと吹き飛ばされるくるみ。
 人の世を生きていく上では本音と建前をしっかり使い分けねばならないということが証明された感動的な瞬間である。
 ちなみにその感動の九割は飛んでいく際露になったくるみのスカートの中身に起因するのだがそれはこの際どうでもいい。
『まったく……私に反旗を翻すなんて二、三百年早い』
 天井に開いた大穴を見上げながら、ほんのちょっとだけ胸を張って幽香がそう言う。
 ほんのちょっととは言っても元々が花で言えばラフレシア級なため、強制的に己の限界に挑まされているブラウスのボタンが非常に哀れかつある意味羨ましい。
 その誇らしげな姿を見ていたエリーは「たぶん三百年後も同じ事言うんだろうなぁ、揉みたいなぁ」と思ったがあえて口には出さなかった。
『まあ、それはそれとして……お帰りなさい、幽香様』
『ただいま、エリー』
『ご覧の通りお食事の準備をしていますので、もう少しだけお時間を下さいな。出来たらお呼びいたします』
『ええ、ご苦労様』
 軽くねぎらいの言葉をかけて、踵を返す。
『……っと、そう言えば幽香様宛に手紙が来てましたよ』
『手紙? 私に? 珍しい事もあるものね』
『お部屋に届けておきましたから、気が向いたら読んでくださいね』
『ん』
 背中に受けた言葉に振り向く事も無く、ひらひらと手を振りながら離れていく幽香。
 その恐ろしいほどの実力からは想像できない華奢な背中に抱きつきたくなる衝動を抑えきれなくなるエリーだったが、右手に包丁を持ったこの状態でそんな事をしたら求愛行動を通り越して宣戦布告と取られかねないのでなんとか我慢した。
『静かね……夢月達はまだ寝てるのかしら? まあ、愛想よく出迎えられても気持ち悪いだけだけど』
 そんな従者の煩悶を知る由もなく、幽香は勝手知ったる我が家の廊下を優雅に闊歩する。
 やがて辿り着いた自室の扉を開けるとすぐ、テーブルの上に置かれた封筒が目に入った。
 手にとって裏返すと、そこには聞き覚えのある名前が記されていた。
『レミリア・スカーレット……って、あの超絶若作りの暴虐小娘じゃない。もしかして果たし状かしら?』
 チェックのベストをえもん掛けにかけながら、そう一人ごちる幽香。
 レミリアの性格上、それもあり得ない話ではない。
 巻き起こるかもしれない血みどろの戦いに心躍らせながら豪奢なベッドにぼふんとダイブし、お洒落なつくりの封筒を乱暴に破り捨て、中身を取り出す。
 側の小さな鉢植えに咲く花から滴る蜜を溜めた器に左の小指を浸し、ぬらりと濡れたそれをなめずりながら右手だけで器用に手紙を広げた。
 その、次の瞬間。
『ジュボォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!』
 何の因果か寝そべっていたベッドごと盛大にひっくり返る幽香。
 恥も外聞も無くズッコケたせいで以前はもんぺ、今はロングスカートという鉄壁の守りに阻まれた絶対領域がこぼれ見えたのだが、あいにくその詳細を確認できた者が誰もいなかったのでその大事件が歴史に残る事はなかった。
 ちなみにどうでもいい事ではあるがこの衝撃で幽香の寝相を盗撮しようとベッドの下に潜んでいたどこぞのパパラッチがものの見事に押し潰された。
『う……うど、うんど、うどん粉、じゃなくて、う、う、運動会ですってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?』
 幽香が驚くのも無理はなかった。
 なんとその手紙にはとても五百歳の筆跡とは思えないキュートな丸文字で『運動会を開催します』と書いてあったのだ。
 五百歳の幼女から手紙が来たと思ったら運動会のお誘いだった。
 事実を淡々と綴っただけの文章なのになんだか危ない人の妄想に見える。これはそれほどの異常事態である。
 ちなみにそのすぐ下に『当日はぶるま禁止』という夢も希望も風情も情緒も情けも容赦も血も涙もないことが書いてあるのだがそれはこの際関係ない。

 ここでひとまず話は冒頭に戻るのだが、そもそもいったい何故このような事態になったのか。
 それを説明するためには、また少々時を遡らねばならない。

 今更言うまでもないことだが、レミリアは吸血鬼である。
 あの自分中心でわがままなせいで人間からも妖怪からも無条件で嫌われる吸血鬼である。
 その例に漏れず、今までレミリアはその性格と実力を幻想郷の人妖達に恐れられ、そして嫌われていた。

 ……そう、「今まで」は。

 それは青天の霹靂。
 第百十九季、文月の四付けの文々。新聞に恵方巻きを頬張るレミリアの写真が載ってから状況は一変した。
 紅い悪魔というからどれだけおぞましいバケモノかと思ったら中々どうして、ひっくり返るほどにかわいらしいロリっ子ではないか。
 さらに続けて出るわ出るわの紅魔館の住人達の見目麗しきヴィジュアル群。
 そこにいたのは天候さえ操る強大な魔力を持った恐ろしき魔女でも、如何なる屈強な戦士だろうと歯牙にもかけず屠り去る剛健たる門番でも、ましてや女子供とて容赦なく狩って主に捧げる悪魔の狗たる侍女長でもなく、抱きしめたら砕けてしまいそうに華奢な、細雪のように儚い病弱美少女と神の設計ミスとしか思えない完璧に豊満なバディを誇るセクシー美女、そして極点に煌く無垢なる氷の如き美貌から瀟洒さ溢れるクールビューティ。
 実際にまみえてみるとまた色々と怖い部分やおかしい部分が見えてくるのだが、新聞に載った写真くらいしか情報源のない人妖達はそんなことを知る由もない。
 外見から受けるイメージだけが先行し、やれあの魔女はある日突然現れた自分とはまったく違うタイプの強引な魔女っ娘にメロメロだとかあの門番はそのあまりにもでか過ぎるベテルギウス・バースト・バストを妬んだ侍女長に日夜いびられまくっているとか、挙句の果てにあの侍女長は一見真面目そうに見えてその実主に対して只ならぬ欲望を抱いているなどという風評が飛び交うことになった。

 そして第百二十季、弥生の四。
 満を持して掲載された、悪魔の妹ことフランドール・スカーレットのあまりにも乳臭すぎるご尊顔。
 最初のレミリアの時点で既に十分アレだったというのに、それを上回るアルティメットウェポンが隕石の如く現れたのだ。
 これが完全に紅魔館の威厳にトドメを刺した。
 紅魔館は一度入ったら出られないどころか入る事すらあたわぬ悪魔の館という噂は消し飛び、美少女が跋扈するちょっぴりスプラッタな桃源郷というアイドルグループも同然の評判を立てられてしまった。
 未確認情報ながら人里にはレミリアの「ふぁんくらぶ」なるものまである始末である。
 そんなぜんぜん嬉しくないといえば嘘になるけどそれでもやっぱりあんまり嬉しくない扱いをされてレミリアが黙っていられる筈もない。
 彼女は悩んだ。
 自分達の見た目がアレなのは認めるが、だからと言ってそれが実力に関係するはずはない。
 なのにどうしてどういう訳でよりにもよってアイドルグループなどと言われねばならぬのか、と比喩ではなく文字通りにない脳味噌で悩みに悩みぬいた結果、ある結論に辿り着いた。

 それは『自分達は実力を示す方法を間違っていた』ということである。

 考えてもみろ。
 霧を出しただの天候を操っただの隕石を破壊しただのでは、凄いことは凄いがあまりにも現実味がなさ過ぎる。
 咲夜の人攫いにしたってよくよく考えれば幻想郷では別段大騒ぎするような事でもないし、美鈴に至ってはそもそも仕事の性質上目立って恐れられるような事をしていない。
 もっと分かりやすく力を示さねばならなかったのだ。
 見た目の可愛さを補って余りある直接的かつ本能的な、「逆らったら殺される」という恐怖を与えなければいけないのだ。

 と、ここまで考えてレミリアはふたたび思考の渦に囚われた。
 原因が判明したのはいいが、具体的な打開策が見つからなかったからだ。
 極端な話、強さを示すだけなら自分が直々に人里のひとつでも壊滅させてやればいい。
 だがそんな真似をすればマジ狩るモードに入った霊夢が間髪入れずにかっ飛んでくることは火を見るよりも明らか。
 それでは本末転倒である。

 だが、レミリアがもはやこれは万事休すかと諦めてアイドルグループとしての活動を選びかけたその時である。
 着やせ、ムダ知識のかたまり、頭でっかちの机上の空論野郎、万年ひきこもりのタダ飯ぐらいと紅魔館内外で大絶賛の我らがパチュリーが例によって例の如く図書館の文献を調べている時になんとも都合のいい大発見を成し遂げたのだ。
 何を隠そう、その発見こそが「運動会」だったのである。
 パチュリー曰く、外の世界には「運動会」なる催しがあり、そこでは体力自慢の猛者どもが己の力を見せびらかす事、そして並み居るライバルを打ち倒して最強の称号を手にする事を夢見て日夜激しい戦いを繰り広げているという。
 過分に情報の錯綜が見られるトンデモインフォメーションだったが、これにレミリアの乙女レーダーがズッキューンと反応した。
 これを使おう。
 この運動会というイベントを通して、自分の力を見せ付けてやろう。
 怪我の功名というべきか、人を集めるには今の状況はちょうどいい。
 美少女達が集まって飛んだり跳ねたり走ったりするお祭りだと言えば、まさしく雲霞の如き衆生が集まってくるだろう。
 そいつらの見ている前で並み居る実力者達を蹴散らしてみせれば、以前霊夢にのされた事で傷付いた名誉の挽回もた易い。
 それどころか「かわいくて怖いスーパーカリスマ吸血鬼」という、前にも増して素敵なイメージを与えることだって夢ではない。
 れみりゃ感激!

 もはや迷う必要もなかった。
 計画はすぐさま実行に移され、会場の設営やら競技の選考やら招待状の送付やらの作業は滞りなく進行していった。
 どこぞのパパラッチの協力を得て幻想郷中にばら撒かれた招待状は人妖の区別なくあらゆる者の手に渡り、ある者は期待を、またある者は野望をとそれぞれの思いを胸に、来るXデイに向けて着々と準備を進めていた。
 だが、ただ一人だけ。
 家持ちのくせにあっちこっちフラフラしている幽香にだけは情報が伝わるのが遅れてしまった。
 文がどこにいるか分からない相手を探すより手っ取り早いからと夢幻館に招待状を届けたからだ。
 その更に数日後、つまり今日。
 幽香が久しぶりに帰宅してこの手紙を読み、しかる後ベットもろとも転倒した。

 そして今に至る、というわけである。

「(みんなの見てる前で走るなんて……そんなみっともない事絶対に出来ないわ……!)」
 決意とも強迫観念とも付かぬ想いを胸に抱く幽香。
 これが彼女が悩んでいる唯一にして最大の理由。
 そう、幽香の足は遅いのだ。
 足も遅いし、飛ぶのも遅い。
 今までは余裕の表れとか弾幕ごっこで本気になっても、などと誤魔化してきたが運動会となればそうはいかない。
 ひた隠しにしてきた驚愕の真実が白日の下にさらされる事になるのだ。
 だったら運動会なんか出なければいいじゃないかという見方もあるが、それは「運動会」という生物の最も根本的な能力である「体力」を競う勝負の場から逃げたという事に繋がり、幻想郷で誰が一番強いか白黒はっきりつけてやるなどと言っていたのは何だったんだという事になってしまう。
 それこそ運動の苦手ないじめられっ子でもあるまいし、それはできない。いや、したくない。
 しかし出たら出たで、もし万が一チルノ辺りにかけっこで負けるという事態になったらうっかりその場で首を吊ってしまうかもしれない。
 よってここに「出なくてもいいけど出たいんだけど出たらまずいけど出なくちゃいけない」というゆうかりん包囲網が完成したのである。
 人、それを八方ふさがりという。
「あらあら、こりゃまた大変なことになっちゃったわねぇ」
「はにゃっ!?」
 そんな幽香の切ない乙女心をさらに鞭打つかの如く、夢月がいつの間にか背後に立って肩越しに覗き込んでいた。
 突然の闖入者にこれまた突然声を掛けられ、慌てて飛びのいたせいで頭を思い切り壁にぶつけてしばし悶絶する幽香。
 それでも手紙の中身だけは見られまいとして懸命に夢月から隠そうとしているのが健気で涙を誘う。
「あいたた……な、な、何よ夢月! め、メイドのくせにいきなり私の部屋に入ってこないでよ!」
「誰がいつあなたのメイドになったのよ。この格好は単なる趣味だって前から言ってるでしょう?」
「そ、そんな事はどうでもいいわ! せ、せめてノックくらいしてから入ってきなさい!」
「まさかあなたに礼儀を説かれるとは思わなかったわ。こりゃ明日は大地震が降ってくるわね」
「天変地異(アーマゲドン)!?」
「はい、隙あり」
「あっ……!?」
 状況が状況なのでめずらしく必死にツッコむ幽香だが、こういうツッコミ方には慣れていないせいかそのことごとくを流されてしまう。
 それどころか逆に夢月のボケに圧倒されると言う体たらくである。 
 挙句の果てにはその隙を狙われて右手に持った手紙を掠め取られてしまった。
「ちょ、ちょっと! 勝手に人の手紙を読まないでよ! か、返しなさい!」
「しかし運動会とはまた、なんとも健康的な催しねぇ。吸血鬼がやる事じゃないでしょーに」
「かえせー!」
「ほらほら、取ってみろー……って、子供か私ら」
 なんとか奪い返そうとするも、その身長差は絶望的。
 ちょっと夢月が手紙を高く掲げただけで、幽香の手はむなしく空を切り続けた。
 端から見れば仲の良い姉妹が戯れているようで実に微笑ましい光景だが、そこは彼女達も妖怪および悪魔。
 わずかでも両者のパワーバランスが崩れると殺し合いに近い大喧嘩に発展しかねないので視姦……ではなく見学の際には十分な注意が必要だ。
「で、まぁ、こんな寸劇はどうでもいいとして……どうするの?」
 しばし幽香の反応を楽しんだ後、おもむろにそう尋ねる夢月。
 ──来た。
 もっとも恐れていた展開に、幽香が内心頭を抱えて悶え転がる。
 ……いや、何も問題はない。
 閻魔のお墨付きを貰ったほどの永い人生で経験した数々の戦いや事件その他諸々に比べれば、この程度はまったくの瑣末事。
 いつだか会った頭の悪そうな氷精でもあるまいし、こんなアホらしい事でいつまでもうろたえていては風見幽香の名が廃る。
 そう、何も問題はない、ないったらない。
 努めて冷静を装って何事も無かったように淡々と対処すれば何も問題は……
「?ヲニナ……ナ」
 失敗した。
 超失敗した。
 元々高い声が裏返ってさらに高くなり、一人で使うにはいささか広すぎる幽香の部屋にむなしく響く。
 かててくわえて言葉それ自体まで裏返ってしまった。
 これはもはや「手術室」を「ちゅぢゅちゅしちゅ」と言ってしまうのにも匹敵する失態である。
 あまりの恥ずかしさといたたまれなさに、瞬時にして幽香の頬にぱぁっと薄紅が散る。
「何って、運動会に決まってるじゃない。出るの? 出ないの?」
 気を遣ったのかどうかは分からないが、声のことには触れずに話を進める夢月。
 とは言えこういう場合はスルーされる方がある意味キツいのでまったくの逆効果なのが切ないところだ。
 幸か不幸か、当の幽香はそんな細かい事を気にする余裕もないほど焦燥していたのではあるが。
「え……あ……そ、そんなの……で、で、出るにきまっ……決まって…………」
 しどろもどろな返答は、みるみるうちに尻切れとんぼ。
 出るに決まってるでしょ、と言ったらもう戻れないような気がして、二の句が継げなくなる。
 もはや退路など無に等しいのだが、それでも幽香は僅かな希望に縋らざるをえなかった。
 そんなよく言えば健気な幽香の姿を見て、夢月がふう、と小さく溜息を付き。
「あなた足遅いもんねぇ」
「何で知ってるのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
 悲しみのあまりヘソを中心に美しく虚空を回転しながら叫ぶ幽香。
 いつだかの花の異変の際に彼女が撃ったでけぇ花にも勝るその高速回転はもはやどこぞの魔女がぶん回している回転ノコギリの域にも達している。
 とは言え人生をかけて守り通してきたはずのトップシークレットをこうもた易く看破されてしまっては驚くなと言うのが無理な話ではあるのだが。
「え、まさかバレてないとでも思ってたの? 私だけじゃなくて姉さんもエリーも、勿論くるみも知ってるわよ」
「だ、だって……わ、私、貴方達の前で走った事なんて一度も……」
「そうだけど、あなたの場合飛ぶのも普通に遅いじゃない。ついでに言えば歩くのも遅いわね、
 飛び方と足取りだけはそれなりに優雅だから一瞬分からないけど」
「そ、そんな……」
 知りたくもなかった真実を突きつけられて愕然とする幽香。
 しかしそれも無理はない。
 これはつまり今まで彼女がしてきた隠蔽に関する努力はまったくの無意味だったということになり、幽香にとってそれは人生の三割を無駄に過ごしてしまったも同然なのだ。
 たった三割じゃないかと侮るなかれ。
 地球上で陸が占める割合だって三割だし、人間だって体表の三割を火傷すればあっさりくたばるのだから。
 話がそれた。
「まあ、どっちでもいいけど早く決めなさいよね。本番は明後日だし」
「あ、明後日!? 嘘!?」
「嘘じゃないわよ、この手紙に書いてあるじゃない」
 ほれ、と差し出された手紙をひったくってよくよく見てみれば、そこに記された日付は確かに明後日のもの。
 運動会という単語だけに囚われて視野狭窄になっていたせいで気付けなかったのだ。
 さらによく見れば手紙の上部に記された差出日はなんと二週間以上も前なのだが、それはこの際どうでもいい。
「あ、あの吸血鬼……後で殺す!」
「今更そんな事言っても遅いわよ。今はどうやってこの運動会を乗り切るのか考える方が先でしょう?」
「言われなくても分かってるわよ!」
 そう、夢月の言うとおり。
 現実問題として目の前に迫った運動会に対処する事こそが現時点での至上命題。
 もっと早く帰ってきておけばとか、もう少し遅く帰ってきておけばなどと考えてみてももはや後の祭りなのだ。
「走る練習するなら付き合うわよ? 一人で、おまけに一日でじゃ色々ときついだろうし」
「あ、貴方には関係ないじゃない! ほっといてよ!」
「あっそ。じゃあせいぜい頑張って無様な姿をさらしてくる事ね」
「えっ……な、ちょ、ま、待ちなさい!」
 手のひらを返したように冷たくなる夢月に戸惑う幽香。
 勝手に首をつっこんでさんざん引っ掻き回した挙句にこれとは釣り上手にも程がある。
 ちなみにこの「いつもはウザいだけのあいつだけどいざいなくなってみると何だかとっても寂しいの効果(仮)」はスタンダートな利用法である恋の駆け引きにはもちろん、応用すればこの様にいじめにも使えるテクニックなのでいざという時のために覚えておいて損はない。
 話がそれた。
「待ってあげてもいいけどさ、人にものを頼む時はなんて言うんだっけ? 私もあなたも人じゃないけど」
「なっ……む、夢月……い、いい加減にっ……!」
「それとも一人で頑張ってみる?」
「(くっ……こんな奴に……く、くやしいっ……!)」
 目の前でニヤつくなんちゃってメイドをごんぶとレーザーで消し飛ばしたくなる衝動を必死で抑える幽香。
 握り締めた手がぶるぶると震え、新雪のように白い掌に爪が食い込む。
「……おね、お、おお、おね、おね、お、おねが……」
「あれぇ、どうしたのかなぁゆーかちゃん? 声が小さいわよー(はぁと)」
「(こ、この……メイドコスプレマニアの変態悪魔が調子に乗って……!!)」
 幽香のほっぺたをふにふにとつつきながら、幼子をあやす様にそう言う夢月。
 あの傲岸不遜に手足が生えて歩いているような風見幽香が、ここまで屈辱的な扱いを受けたのにただ心の中で毒づくことしかできないとはいったいどこの誰が想像出来たであろうか。
 力を誇示するものはより大きな力を持ったものに打ち倒されるといういい例である。
 諸行無常のゆうかりん、盛者必衰のことはりをあらわす。
「……お願い、します……」
「よく出来ました」
 振り絞った力にはまったく見合わない小さな声が、そのままぽとりと地に落ちるように掠れて消えた。
 ……ぽんぽんと戯れに頭を撫でる夢月の手が、やけに重く感じる。
 何でこんな事になったんだろうなどと考えてみても、それでこの現実が変わる訳でもない。
 幽香は怒りと悔しさと切なさと哀しさと、何故かほんのちょっぴりの快感にその身を焼かれながら、このまま生きていてもろくな事にならないという閻魔の言葉を今更ながらに噛み締めるのであった。


 § § §


 幽香の乙女心が木っ端微塵に打ち砕かれたその十数分後、一同は夢月によって夢幻館内部に突如出現した運動場に集められた。
 床には木目を表現した長方形のタイルが敷き詰められ、スタートラインと走るべきコースを示す白線が引かれている。
 そこからおよそ二十米ほど離れた辺りに、おそらくは折り返し地点の目印であろう旗が置かれていた。
 ちなみに言うまでもないことだがこれらは全て夢月と幻月の力によるものである。
「……という訳なのよ」
「よくわかんないけど、サザエのつぼ焼きがおいしいから海王星生物が大爆発って事でいいんだよね」
「全然ちが……いや、まあ、もうそれでいいわ」
 夢月の懇切丁寧、つまり幽香にとっては聞いてるだけで首を吊りたくなるような状況説明を受けた幻月が頷く。
 さすが自分の世界の中で巫女やら何やらがドンパチやっていても、いざ自分の身に火の粉が降りかかるその瞬間までよくわかんないけど云々という大ボケをかましただけの事はある、実に流麗かつ華麗な回答だ。
 かわいい悪魔、未だ健在。
「ご安心ください幽香様、例えいつも威張っている幽香様の正体が単なるドジでのろまなカメであろうと私の心は微塵も揺らぎはしません!」
「もががはひゃもふフニャニフャふぇみゅみゆなっちゅちょーフカフカ」
「(こ、こいつらは……)」
 さりげなく酷い事をほざくエリーとくるみ。
 くるみは先程ぶっ飛ばされた時に外れたアゴがまだはまっていないらしく言語が不明瞭だが、内心幽香を小馬鹿にしている事はそのニヤついた表情から十分読み取れる。
 ちなみにくるみは幽香に吹き飛ばされた後たまたま落下地点にあった古井戸にはまって出られなくなっていたのでわざわざエリーが救出に向かったと言う心温まるエピソードがあるのだがそれはこの際関係ない。
 そして普段の幽香ならここらで弾幕の一つでもぶっ放しそうなものだが、今の彼女にはそんな事をしている余裕はなかった。
「そ、それより……な、なんなのよ、この格好は……」
「何をおっしゃいます! なるべく自然の姿に近い方が走りやすいじゃないですか!!!!!!」
 今にも消え入りそうな声で呟く幽香とは正反対の、!マークで言えば六つ分くらいの勢いで力説するエリー。
 その視線の先には、上はいつものブラウス一枚に下は黒スパッツ一枚という必要以上に破廉恥な格好の幽香がいた。
 ちなみにどうでもいい話ではあるが提案したのがエリーで衣装を用意したのが夢月で着せたのが幻月である。
 まさに恐怖の同時攻撃(トリプルアタック)だ。
「それはそうだけど……こ、このまま走ったら見えちゃうかもしれないじゃない」
「なにを女同士で恥ずかしがってるのよ。それとも何、あなたもしかしてレズ?」
「! ばっ……馬鹿なこと言わないで! そういう問題じゃなくてもっとこう嗜みとか、は、恥じらいとか……
 その、それなりに文化的な発展を遂げた生物としてのきょ、矜持とか……」
 夢月のデリカシーのない発言に言い返そうとするも、普段いじめられた経験が無い為か反論が尻すぼみになる幽香。
 羞恥に頬を染め、どちらを優先的に隠すべきか迷っている細い腕が上下に行ったり来たり、虚空を彷徨っている。
 そんな状態でいつもの調子で弾をブチまけてしまったが最後、一歩間違えたら服の下の何かまで公衆の面前にブチまける破目になってしまう。
 普段の威厳はどこへやら、もはや今の彼女は手足をもがれた獅子のようなものだった。
「いやぁ……幽香もようやく嗜みとか考えられるようになったのね。鬼も十八番茶も出花とはよく言ったものだわ」
「それより幽香の通り名の方がよっぽど恥ずかしいと思うけどねー。死期を悟ったふざけ屋マイケルだったっけ?」
「マイケル!? 誰その必要以上に哀愁漂う空想世界の登場人物!? って言うか全然違うわよ!
 死期じゃなくて四季! 季節の四季! 四季のフラワーマスター!」
「あらあら、自分で自分の通り名について力説するだなんて、これじゃ眠れる恐怖どころか怖くて眠れない幼女ね」
「うすら寒ーい」
「なっ……そ、それは貴方達がくだらないことを言うから……!」
 何故か妙に感慨深そうに呟く夢月と、かわいい笑顔で悪魔的なことを言い放つ幻月。 
 表面上は特別馬鹿にしている様には見えないのだが、それが逆にナメられているようで幽香の気に障った。
 幽香の纏う妖気が増大し、あわや弾幕戦勃発かとエリーが思ったその時。
「あのぉ、盛り上がってるところ申し訳ないんですけどー……練習しなくていいんですかー?」
「うっ……く……わ、分かってるわよそんな事!」
 絶妙のタイミングでくるみが割って入った。
 台詞だけ見れば事態の円滑な解決に一役買ったナイスアシストなのだが、その顔に浮かんだニヤニヤ笑いは彼女が真に思うところを如実に表している。
 薄情極まりない部下を心の中でギッタギタのケチョンケチョンにしつつ、重い足取りでスタートラインへ向かう幽香。
「それじゃまあ、とりあえず速度を計るから普通に走ってみて。まずは正確な現状を把握しないとね」
「え、ええ……って、そ、そんなにじっくり見ないでよ」
「見なきゃどこが悪いのか分からないでしょうが。つべこべ言わずにさっさと走る」
「うぅ……わ、分かったわよぅ……」
 出走直前まで夢月に言葉責めを受け、もはやその心はボロボロだ。
 それでも決して逃げ出そうとはしないのは自称最強としての矜持か、はたまた単なる諦念か。
 その煤けた背中を見つめながら、四人はある共通の考えを抱いていた。
 即ち、なんだかんだいってもそれほど遅くはないんだろうなぁというある種の信頼にも似た想いである。
 いくら足が遅いと言っても限度があるし、第一幽香は妖怪だ。
 道具を使うようになってふぬけた人間とはわけが違う。
 単純な速度では天狗や吸血鬼には及ばないかもしれないが、少なくともカンガルーくらいのスピードは軽く出せるだろうと、そう勝手に思っていた。
「準備はいいわね? よーい……スタート!」
 だが、夢月がスタートの合図をぶっ放した次の瞬間。
 彼女達は自身の認識が甘かったことを思い知らされることになる。
「(……あれ?)」
「(なんか……)」
「(これって……)」
「(もしかして……)」
「「「「(……歩いてんの?)」」」」
 それは「走っている」と表現するにはあまりにも遅すぎた。
 確かに普通に歩くよりは早くなっていたが、ただそれだけ。
 走ると言う観点から見れば、背後からどこぞのアル中のブラックホールにでも引っ張られていないと説明のつかない超スロースピードである。
 それだけならまだしも、生まれてはじめて立ち上がった赤子と見紛わんばかりに足取りもおぼつかない。 
 二十米強離れた折り返し地点で、よたつきながら方向転換した後もそれは変わらず。
 そう大した距離でもない筈なのに、一向に近付いてくる気配がない。
 それどころか額からは輝く汗を流し、なにやら肩で息までしている。
「……酔っ払ってるの?」
「っ! う、うるさいわよ幻げタピャ!」
 挙句の果てには幻月の言葉で「走り」から意識を逸らしたせいか、何もないところで足をもつれさせてズッコケた。
「………………」
「………………………………」
「………………………………………………………………」
「な、何よ……なんで黙ってるのよ!? 何か言いなさい! ねえ! な、何か言ってよ! 嘘でもいいから笑顔を見せて!」
 耳に痛い沈黙が蔓延する。
 筆舌に尽くし難いとはまさにこのこと、予想の遥か斜め上を亜光速で突っ走るその醜態に笑う事もツッコむ事も出来ず圧倒される一同。
 その顔には哀れみも嘲りも同情もない、ただ純粋な驚愕のみに支配された表情が浮かんでいる。
 未だ床に手を付いた、いわゆるショックのポーズのままの幽香が叫ぶが反応は芳しくない、というか無い。
「あのっ…………………………………………………………………………………………………………」
「そこまで言葉に詰まるの!?」
 しまいにゃ重い空気ををかき分けてなんとかフォローしようと開いたエリーの口がそのまま塞がらなくなった。
 無残なる事、ここに極まれり。
「ねえ、幽香……あなたまさかわざとやってる?」
「わざっ……」
「ごめん私が悪かったわホントごめんいやマジでごめんだからそんな傷付いた小鹿みたいな目で私を見ないで逆に怖いからいやほんと怖いって」
 なんとかゆうかりん☆ショックから復帰した夢月がそう尋ねるも、色々と許容範囲外な幽香の視線にまた別の衝撃を受け、あえなく撃沈される。 
 この走る→こける→見つめるという一連のコンボを駆使(つか)えば博麗の巫女ですらたやすく仕留められるような気もするが、万が一霊夢が外見と内面のギャップに弱いという性癖を持っていた場合は性的な意味で仕留めてしまう可能性もあるので実用性は限りなく低いと言うかそもそもこの際そんな事はどうでもいい。
「ひっどいねー」
「なっ……!!」
 そして幻月があっからかんとそう言い放ったのと時を同じくして。
 ドブシャア、と。
 何かが何かを突き刺す音が聞こえた、ような気がした。
 風見幽香、人生……ではなく妖怪生初のハートブレイクである。
「ちょ……この……げ……あ……げ、幻月……貴方……ちょっ……そんな、ちょっ、待……たーらこー、たーらこー……」
「たらこ!? ゆ、幽香様! お気を確かに!」
「ああ……ごめんねエリー、第三地獄トロメーアまで踏破したはいいもののうっかりとうもろこしとモモヒキを間違えてたーらこー、たーらこー……」
「幽香様ァ──────────────────────────────ッ!」
「ゲボッハ!」
 もはや息も絶え絶えといった様子でふらふらと立ち上がる幽香だったが、あまりにもストレートかつ的を得た言葉ゆえにダメージが想像以上に大きかったのか結局何も言い返せないどころか異世界との交信までおっぱじめてしまう。
 エリーの愛情あふるる渾身のワンハンドバックブリーカーによりかろうじて正気は取り戻したものの、もはやその表情には生気の欠片もなくなっていた。
「はぶぶ……もういいわよ……どうせ私はドジでのろまで最強マニアで孤高という言葉で性格の悪さに起因する人望の無さを隠した寂しいカメなんだから……」
「誰てめ……じゃなくて、ま、まだ諦めちゃだめです! いろいろと試してみてからでも遅くはありません!」
「ふん……私なんか……どうせ……でも……しょせん……べつに……無理……もう……どうでも……」
「だ、だめです幽香様! そんなネガティブ極まりない言葉を発していてはいずれご自分まで蝕まれます!」
「もう遅い気もするけギャボ!」
 従者の腕に抱かれたまま、うつろな瞳で青少年の健全育成にふさわしくないことを口走る幽香を必死で慰めるエリー。
 その背後で空気を読まずに本音をぶちまけたくるみの口にどこからともなく飛んできた床板がぶちこまれた。
 どうやら彼女は先程幽香にぶっ飛ばされた経験から何も学んでいなかったようである。
「でも……あと一日っていう条件付きじゃ厳しいんじゃないかなぁ」
「確かに時間さえあれば幽香ならいくらでも……って、ないものねだりしてもしょうがないか」
「じゃあもう無理ってことで」
「そうね」
 冷静というより冷徹に近い会話を平気で交わす悪魔の姉妹。
 夢幻館構成員のこんにゃくより固くヒヒイロカネより柔軟な絆がひしひしと感じられるなんとも微笑ましいワンシーンである。
 ちなみにその思いやりに溢れた言葉を聞いた幽香が感動のあまり血の涙を流したのだがそれはこの際関係ない。
 何はともあれ、この面子の中では飛びぬけて主想いの某門番がこんな怠慢プレーを目の当たりにして黙っていられるわけも無かった。
「お二人とも何を言ってるんですか! ちょっとやってみてうまくいかないからってすぐ諦めるなんて、そんなのいけま……」
「誰も諦めるとは言ってないでしょ。やり方を変えるだけよ」
「やり方を……? 何か画期的な練習方法でも思いついたんですか?」
 果敢にも主の友人に食ってかかるエリーだったが、返ってきたのはなんとも意外な言葉。
 ああは言ったものの具体的な解決策が思いつかないのは当のエリーも同じだったため、希望に満ち溢れたその台詞に期待を膨らませる。
 が、続けて夢月が発したのはまた別のベクトルに意外な言葉であった。
「ふぬけてるわねぇ、エリー。もうちょっと血生臭い発想は出来ないの?」
「血生臭い……って、もしかして……」
「そ。幽香を速くするんじゃなくて、周りを遅くすればいいのよ。手っ取り早く言えば闇討ちだわね。足の二、三本でも粉々にしてやれば、いくら妖怪だって一日じゃ治りきらないわ」
「や……闇討ち!? あ、あの、でも、ちょっとそれはまずいんじゃ……」
「事前に不安要素や敵対要素を排除しておくのは事を起こす時の基本でしょ? どこに問題があるの?」
「いえ、まあ、それはそうですけど……」
「料理だって下ごしらえをするじゃない。誰かをぶっ飛ばすのもそれと大して変わらないわよ」
 実に過激な意見を臆面も無く言い放つ夢月。
 その口ぶりには迷いも遠慮も、ましてや罪悪感などあろう筈もない。
 なぜなら彼女はこれでも悪魔。
 人間の命、ひいては他者の命などなんとも思っていないのだ。
「いいですねぇそれ、私も一緒に行きたいなぁ~」
「くるみまで……もう、幽香様も何か言ってあげてくださ……って、幽香さ……ま……!?」
 呑気に呟く同僚を見て「まじめに頑張る派(仮)」の旗色の悪さを悟り、最後の希望である腕の中の幽香に縋るような目を向けるエリー。
 が、その瞬間、彼女の全身を強烈な悪寒が駆け巡った。
 それは言うなれば蛇に睨まれた蛙のような、圧倒的な存在を前にして萎縮する弱者の風情。
 その原因が己が主の発する妖気である事に気付くまでそう時間はかからなかった。
「ふふ……うふふ……そうね……そうよね……あは、あはははは! そうよねぇぇ! あはは! あはぁは!」
 エリーの肩に手をかけて、ゆらりと幽香が立ち上がる。
 ついさっきまでは仮面のように空虚だったその顔には、今や狂気に満ちた笑顔が張り付いていた。
 可憐な唇は下弦の月のように裂け、見開かれた両の瞳が焔のように燃え盛る。
 ──何を悩んでいたのだろうか。
 何を迷っていたのだろうか。
 運動会だろうが何だろうが、自分のやり方を曲げる必要などどこにもなかったのだ。
「ふふふ。素敵よ夢月、とっても素敵。うん、うん、それくらいやらなくっちゃぁねぇ」
 そう言いながら至極楽しそうに、嬉しそうに、うんうんと何度も頷く幽香。
 それはまるで初めての逢瀬に浮かれる乙女のように、それでいて久方ぶりの獲物に沸き立つ地獄の鬼のように。
 妖怪を妖怪たらしめているモノを全て丸出しにして垂れ流しているような、禍々しいという概念がそのまま服を着ているような偉容である。
 ただひとつ問題なのは着ている服がブラウスとスパッツだけというひどい取り合わせであることだが、それは別に大勢に影響がないことなのでとりあえずスルーしておく。
「さっすがぁ……分かってるわね。やっぱり幽香はそうでなくっちゃ」
「うん、最近なんだかみょーに丸くなっちゃってたからねー」
「わからいでか……あなたたち、だれに向かってものを言ってるつもり?」
 悪戯っぽい笑顔を浮かべる悪魔シスターズに、幽香がにやりと笑い返す。
 もうさっきまでの弱く、頼りなく、牙を抜かれた手負いの狼も同然だった鈍足妖怪はどこにもいない。
 いつもの彼女を通り越して、「あの頃」の幽香が帰ってきた。
 髪を切って、お洒落なスカートを履いて、花畑の中で眠る四季のフラワーマスターではなく、眠れる恐怖と呼ばれていた頃の、最強のオリエンタルデーモンとしての幽香が帰ってきた。

 ……そう、幻想郷を飛び出して、遥か彼方の西方の地でまでも暴れまわった最強の妖怪が帰ってきたのだ。

「わたしは……」

 自称最強、風見幽香──

「風見 幽香よ!」

 ──これより本領発揮である。

(続)
ゆうかりんをネチッこくいじめられればそれでよかった。
今は反省したふりをしてゆうかりんの胸の谷間に飛び込む隙を狙っている。

どうでもいい話ですが行間を詰めたら一気にファイルサイズが小さくなってびっくらこきました
下っぱ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~snmh/
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コメント



0.4890簡易評価
2.80幻想と空想の混ぜ人削除
最近めーりんよりもゆうかりんに惹かれます
4.100削除
ゆうかりんの可愛さにどうにかなってしまいそうです
6.90某の中将削除
ゆうかりんは果たしてカリスマ的強キャラなのか、それともいぢられっ娘なのか判断に困る。でもイイ。
続きでもいぢられているゆうかりんに期待。あ、ごんぶとレーz(ここから先はすりきれていて読めない
10.90名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんはドジっ娘属性持ちかも……
14.80翔菜削除
突っ込みたい事はたくさんあるけどとりあえずゆうかりんかわいいよかわいいよゆうかりん。
16.80名前が無い程度の能力削除
ゆうかりーん!ゆぁー!ゆぁー!
20.70ABYSS削除
普段Sッ気のあるいじめっ子は懐に入られると打たれ弱いのは定説ですね!(どこの定説ですか
それはともかくゆうかりん可愛いよ!
22.90名前が無い程度の能力削除
やっぱり
ゆうかりんは
エロカワイイ
24.90紅白削除
ゆうかりんの弄られっぷりが可愛すぎます♪
25.無評価おやつ削除
続きにワクテカしております
29.100名前が無い程度の能力削除
この話が終った後にもしたっぱさんの夢幻館が見たいです

弄られるゆうかりん萌え 夢月、幻月も、エリー、くるみもいいキャラしてます
31.100印度削除
たーこたーこたーらこー…違った。

>「たぶん三百年後も同じ事言うんだろうなぁ、揉みたいなぁ」
思考の前半と後半に全く脈絡がないけど、激 し く 同 意。
32.100名前が無い程度の能力削除
いつも強気な子を苛めるって萌えるよね
あのギャップがたまらない
あれ、俺何かいてるんだろう
33.70ちょこ削除
たーらこー、たーらこー、たーっぷりー たーらこー
まさかこの歌をゆうかりんの口から聞く事になろうとは…
37.80黒うさぎ削除
この苛められっ子はある意味最強ですね。
ネガティブゆうかりんにこの世の真理を垣間見た。
51.90名前が無い程度の能力削除
いぢられるゆうかりんも凶悪に可愛いのだと認識いたしました。
62.100削除
ゆうかりんテラカワイス
63.70変身D削除
普段強気な人ほど嬲るほど可愛いというのはやはり真実だったのですn(殺
それはそうと『ぶるま禁止』……あ、明日から何を信じて生きていけばOTZ
78.100煌庫削除
ゆうかりん、ふぁいと。
79.100空欄削除
ゆうかりんは
しょくぶつにちかいから
あしがおそい
だけなんだよ!!
96.80ラキア削除
幽香の「はにゃっ!?」に悶えたw
続編にwktkしてます
113.80名前が無い程度の能力削除
good