Coolier - 新生・東方創想話

雪月花によせて  後半

2009/06/25 05:38:31
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    5.オーロラ




 人の訪れることの無い八雲の屋敷とはいえ、律儀に蝉は鳴いている。
 余裕のある時ならこれも風流とたのしむのだけれど、たった一人でちゃぶ台に突っ伏しているだけとなるとそうもいかない。
 どうにか暑気を凌ぐ方法はないかと考えて、藍を呼ぶことにした。

「藍、らーん?」
「はい、お呼びでしょうか」

 水屋から手を拭いながら歩いてくる。
 洗いものでもしていたのかもしれない。
 そうか、井戸水は冷たいのだ。
 まあ、それは後の楽しみとっておこう。

「暑いわ」
「それだけ着込んでおられれば当然です」
「これでも布を減らしているし、生地は麻なのだけれど」
「そうは言っても冬の格好と大差ないではありませんか」
「それをいうならあなたもよ。見ているだけで暑いわ」
「まあ、獣は毛皮を脱げませんからね。暑いのには慣れています」
「猫の鼻と女の尻は大暑三日の外は冷たい、と言うわね」
「脱ぎませんよ」
「誰もあなたの尻を触らせろとは言ってないわ」
「じゃあなんですか」
「橙を呼びなさい」
「橙の愛らしい鼻は触らせませんよ」
「触らないわよ。猫の暑いのは土用の三日ともいうから、あれなら涼しい場所も知っていると思っただけ」
「そんなことで呼ばないでください。最近は猫が言うことを聞くようになってきたって頑張っているんですから」
「まだやっていたのね。根気だけは及第点かしら」
「ありがとうございます」
「褒めてないわよ」
「で、暑いのですか」
「暑いの」
「水浴びでもなさったらいかがです」
「乙女の柔肌を衆目に晒すわけにはいかないわね」
「ここには誰も来ませんよ」
「あら、言葉の並びだけ聞くといやらしい台詞ね。流石は三国伝来金毛白面九尾、傾国の美女」
「からかわないでください」
「あの天狗が来るかもしれないでしょう」
「ああ、それは拙いですね。……いやいや、誰が庭先で水浴びしろと言いました。ちゃんとお風呂場がありますから」
「めんどくさいわ。それに安直ね」
「そう言われましても」
「ああ、氷があったわね。あれを食べましょう」
「かき氷ですか」
「確かコンデンスミルクがまだあったはずだから、それをかけて」
「橙にあげました」
「え」
「猫を懐かせるのに使うからって」
「……及第は取り消しね」
「ですよね」
「ところでお昼はどうするのかしら」
「お素麺でもいかがでしょう。つるつるっと」
「藍、藍」
「るー」
「何?」
「いえ、別に」
「まあいいわ。ここ一週間の献立を言ってみなさい」
「冷やし茶漬けに盛り蕎麦、ざるうどん、冷やし中華、冷麺、つけ麺、素麺、冷麦、冷汁、冷飯、冷奴、変わり種で冷やしラーメンですかね」
「ぬくもりがないわね」
「そうですか? 丹精こめて作っていますが」
「分かり易く言いましょう。全部冷えてるじゃない」
「夏ですからね」
「飽きたわ」
「そうですか」
「ええそうよ。まるで家事に疲れた主婦のメニューじゃない」
「そうですね」
「そうよ」
「だから、そうですよ」
「……そう。疲れてるのね」
「獣とはいえ夏はつらいですから」
「分かったわ。今日の家事は私が代わってあげる」
「そんな、畏れ多い」
「代わりに永遠亭の薬師と竹林の不死者に用事があるから……」
「いえ、誠心誠意家事に努めさせて頂きます」
「そう? じゃあ、とりあえずかき氷ね。この間北極から拾ってきたやつで」
「何をかけますか?」
「砂糖を水に溶いたものでいいわ。くどいのは気分じゃないから」
「畏まりました」

 さっと会釈をすると、藍はそのまま水屋に戻る。
 この季節、あの尻尾にダニが潜んでいるのではないかと思うと顔を埋める気にはならない。
 そもそも暑苦しいから夏場はあまりやらないのだが。

「紫様、そういえば何故北極に?」
「観光よ、観光。サイトシーイング」
「はあ、何を見に」
「極光をね」
「オーロラですか。この時期はあまりよく見えないのでは」
「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」
「そうですか」
「まあ、運よく見えたのだけれどね」
「そうですか」
「ああ、藍を連れていけば寒くなかったのかしら」
「というか、暑いのでしたら冥界や山へお出になればよいのでは」
「いやよ、めんどくさい」
「そうですか」
「冥界は不自然な涼しさだし、山に私が入ろうものなら天狗が騒ぐのは必定」
「なにかと不自由な立場ですからね」
「何より面倒だもの」
「そうですか」

 なんだか藍の返事がぞんざいな気がするのだけれど、まあいい。
 がりがりと氷を削る音がする。
 時々軒先に吊るした風鈴の音も混ざって、なかなか涼やかな音色だ。
 やがて音が止み、ガラスの器に氷を盛ったものがちゃぶ台に置かれる。

「あら、藍は食べないの」
「氷は得意ではなくて」
「ゆっくり食べればキーンと来ないわよ」
「いえ、そうではなくて冷たすぎるのはあまり」
「そう。不便なものね」
「舐めているだけならいいのですけど」
「ああ、犬はそういうの好きよね」
「いや、まあ。イヌ科ですが」
「それでもいいわ。一人で食べるのも味気ないから持ってきなさいな」
「流石に行儀が悪いので」
「そう。じゃあ、一口あげましょう。はい、あーん」
「あー」
「なんちてー」
「ですよね」
「冗談よ。はい」
「はあ、では」

 無防備に口を開けている姿を見ると、やることは決まっている。
 ひょひょいと素早く三度ほど匙を動かし、口の半分を氷で埋める。

「ひゅ、ひゅはひひゃは!?」
「吐き出すのはお行儀が悪いわよね」
「うー」

 恨めしそうな瞳でこちらを見ている。
 やがて観念したのか渋々と口を閉じ、出来るだけゆっくりと溶かしながら飲み込んでいく。
 口がきけるようになる前に、こめかみのあたりを押さえて俯いてしまった。

「あら、どうしたの?」
「信じた私が愚かでした」
「信じる者は儲かるのよ」
「配当金はいつ入るのでしょうね」
「短気は損気」
「はあ」

 洗い物が残っているからととぼとぼと水屋に戻る姿を見て、少々悪戯が過ぎたかと思う。
 思うだけ。
 さて、と匙を構えなおして氷を軽くすくう。
 ゆっくりと口元まで運び、小さく口を開いて食べる。
 うん。
 ……。
 練乳の気分だっただけに、多少味気ない。
 確かに美味しい氷だし、砂糖水だけで十分に食べられる。
 自然の味というやつだ。
 だけど、たまにはごてごてとしたのも食べたいじゃないか。
 ごてごてした服を着たいじゃないか。
 そう思う。
 思うだけ。
 とても美味しいかき氷でした。

「藍、出かけてくるわ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
「夕飯には戻るから」
「何か食べたいものは」
「そうねぇ。うなぎかしら」
「土用はまだですが」
「じゃあ、さっぱりしていないものが食べたいわ」
「油ものは体によくありません」
「じゃあ油揚げ禁止ね」
「そうですね、たまにはしっかりしたものが食べたいですね」
「じゃあ、楽しみにしているわ」

 そう言って、スキマを開く。
 藍の事だ、いなり寿司や揚げ出し豆腐くらいは出してくれるだろう。
 あの子も演算能力は高いのだけれどファジーな部分がまだまだ未熟だ。
 発想を飛躍させられないうちは、しばらく目が離せない。
 そんなことを考えながら片足をスキマに突っ込む。
 何の抵抗もなく、するりと抜けた先は。

「呼ばれて飛び出てぇ」
「呼んでないし飛び出てないわよ」
「あら冷たいですわね」

 八意のラボだ。

「そういえば今日だったわね。ウドンゲ」
「はい。失礼します」

 傍にいた弟子の兎を退出させる。
 あの兎も物の分かった子だから、人払いはきちんとするだろう。

「で、どうしたのかしら」
「いいえ特に何でもありませんわ。ただ、お加減はいかがかと思いまして」
「お陰様で、医者の不養生とは無縁よ」
「そうですの」
「はぁ。やりづらいわね、あなた」
「あらひどい」
「姫様の退屈が紛れて助かっているわ。ウドンゲも最近はあちらに打ち込んでいるみたいだし」
「それはそれは」
「あなたこそどうなのかしら。目的は達成できて?」
「目的だなんて。ただ、そちらの姫様とお箏を弾いてみたかっただけですわよ」
「それで、私たちは溶け込めているのかしら」
「……八意に謀の通じるわけもなく、ですわね」
「謀るつもりなんかなかったくせに悔しがるのはやめて頂戴な。貴方はそういうモノでしょう」
「あら、まるで私が人でなしみたいな」
「だってあなた、妖怪じゃない」
「そうでしたわね」
「あなたまで人間の振りをするのかしら。人間でも無いくせに」
「あなたは人間なんですの?」
「姫様も私も藤原の娘も、人間よ。地球の、かは保証しないけれど」
「あらあらあら。まあまあまあ」
「そうね。在り方としては貴方達に近いのかもしれない。でも人間ね」
「狂ってますわね」
「そう、狂った人間たちなのよ。正気を作り出すのがマジョリティである以上、私たちは狂気に分類されて然るべき。でも、生きているもの」
「まあ、そうですわね。うふふ。人間」
「世慣れたふりをするのは人間でなくともできるものね。むしろ、人間でない者は世慣れた風に振る舞わなければならない。でないと人の形でいられない。そういう点では藤原の娘はあなたよりも人間らしい」
「そうですわね。ねえ八意の、あなた死のうと思ったことは?」
「死ねないもの、仕方ないわ。死ねたとしても姫様がいる限りは」
「そう。……そう」
「で、本日のご用向きは?」
「いえ、なんでもないのよ。さっきも言ったでしょう。こちらの姫様のご様子を、ね」
「相も変わらず。昨日はウドンゲと三味線のお稽古よ。この間なんか合奏に人が足りないかも知れないって、私も三絃を弾かされたわ」
「あら、そう。弾けたの?」
「全然。まあ、少し練習したらそこそこに弾けるようにはなったけれど」
「いやみね」
「そんなことはない。それから何度か弾いてみたけれど、難しいものね。そんな具合で、最近の姫様といえば暇な時間は盆栽と庭いじり、それに楽器を弾いているかしら」
「そう。ああ、姫様の音色、変わってきましたわね」
「あら、幻想郷風に?」
「ええ、そうですわね。不思議な事に」
「言ったじゃない。私たちは、“在ること”は永遠に変わらない。でも“在り方”は常に変わっていかざるをえない」
「まるで人間ですわ」
「だから人間なのよ。在り続けるだけで。在り方を変えられない貴方達とは違う」
「認識を改める必要は……。ありませんわね」
「そう」
「でも、面白いお話でしたわ」
「ああ、そう」
「次の集まりも楽しみにしているとお伝えください」
「ええ。それとなく」
「藤原の娘は?」
「相変わらず。いや変わっているのだけれど」
「まあ構いませんわ。これから向かいますもの」

 用は果たしたのでスキマを開く。
 そのままスキマにもぐろうとしたところで、呼び止められる。

「ところで」
「何ですの?」
「お茶でもどうかしら」
「ビーカーで紅茶を飲む趣味はありませんの」
「ティーセットくらいあるわよ」
「では、お呼ばれいたしましょうかしら」
「あと、その慇懃無礼な喋り方も止して頂戴」
「お気に召しませんの?」
「ええ、お気に召しませんの」
「そう。なら失礼するわね」
「ああ、こっちの方が気楽」
「ところでそのお茶は?」
「ゲルセミウム・エレガンス入りのハーブティーよ。夏だからアイスティーで」
「ぶー猛毒」
「まだ飲んでいないでしょう」
「お約束というやつよ。この香りは……、ローズヒップかしら」
「そう。美容にいいという評判の、ね」
「気休めだけれど」
「気休めでもいいのよ。私は人間なのだから」
「私は妖怪よ」
「でも効くのじゃない? 精神に作用するのだし」
「そんなものかしら」
「薬師の言う事は聞いておくものよ」
「そうね、長生きしたいもの。妖怪は人間がいなくなったら生きていられないのだけど」
「じゃあ、永遠の命が保証されているわけね。少なくとも私たちが忘れない限り」
「人間は忘れるものよ。今も数多くの妖怪が死んでいる」
「そう」
「妖怪殺すにゃ刃物はいらぬ、ってことね」
「あなたは死ななそうね」
「まあ、人間がいる限り生きてるつもりだけど」
「幻想郷がある限り、でしょう?」
「さあ」

 八意は手ごわい。
 弁えてはいるようだからそれほど危険ではないけれど。
 と、飲み終わったグラスに再びお茶が注がれる。
 口をつけないのも不調法なので、礼をいってから少し口に含む。

「そう言えばあなた、独楽回しが上手だったものね」
「見せたことがあったかしら」
「姫様が盆栽いじりをする程度には」
「本当に。人間だというのなら、それで何故生きていられるのかしら」
「死なないから、かしらね」
「生を憎まず死を恐れず、ということかしら」
「未だ生を知らず、焉ぞ死を知らんや」
「まあ、古い」
「若者の言うことも偶には当たっていると思わないかしら」
「そうね。あなたからすれば荘子休も孔仲尼も酷く年下だものね」
「短い時間で世代交代を繰り返すからこそ発展してきたのだもの。人間の精神は揺らめきすぎるからこそ変化が続く」
「成長ではなく変化?」
「成長と言うとある程度変化のベクトルを定めないといけないじゃない」
「そうね。面倒」
「面倒な事をやっているくせに、今更何を」
「面倒な事をやっているからこそ、もうこれ以上はいらないわ」
「そう。お疲れね」
「まあ、式を使えるところはそれで楽をしているもの」
「あらあら」
「まあまあ」
「うふふ」
「では、そろそろお暇するわね」
「ええ。まあ、そのうちに」
「それでは」

 お茶はまだ残っているけれど、次の用事もあるのでそろそろ出ようと椅子を立った時。

「ああ、ちょっと待って」
「また?」
「藤原の娘を姫様にけしかけたの、あなたでしょう」
「いつの話よ」
「お箏の時」
「ああ、そうよ。というか、ワーハクタクづてにね」
「最近は殺し合いもしないし。あのとき何か言ったのでしょう」
「別に。去年のことなんて覚えてないわ」
「たった一年じゃない」
「されど一年よ。長生きするとこれだから」
「あなたが言えた義理じゃないわ」
「そうでしたわね。私もあなたも、もう若くないんでしたわ」
「ああ、また」
「では、御機嫌よう」

 そう言うと、スキマを開き滑り込む。
 出た先は竹林にぽつんと建つ簡素な庵の付近。
 多分この時間なら。

「野山にまじりて竹を取りつつよろずの事に使いけり。名をば」
「藤原妹紅となむ言いける、ってか。あいにく私はまだ若い。それに男でもないね」
「あら、ご無沙汰していますわね、蓬莱の人形」
「こっちとしては永遠にご無沙汰でも構わないんだがね、スキマ妖怪」
「嫌われたものですわねぇ」

 不機嫌そうに腕を組みながら、藤原妹紅が庵から出てきた。

「てっきり野良仕事をしているのかと思いましたわ」
「今日の分はもう終わったよ。私一人暮らしていけるだけあればいいから手を掛けてもたかが知れている」
「それで、何を?」
「お前に関係ないだろう」
「まあ。つれないですこと」
「気にかける義理は無いからね」
「義理ばかりでは窮屈ですわよ」
「人情に絡めとられると痛い目を見るんだよ」
「あら、人間がお嫌い?」
「いんや。世話を焼く誰かさんがいるから人間嫌いじゃやってけない」
「ではついでに妖怪も好きになって頂けませんこと?」
「断る」
「やっぱりつれないですわ」
「で、何の用事だ。ここはお前みたいなのが来る場所じゃないだろう」
「別に。暑気払いに散歩をしていたら偶然こちらに出てしまいましたの」
「偶然ねぇ。お前みたいなのが使っちゃいけない言葉だと思うがな」
「でしたら偶々」
「変わらないよ。用があるなら早めに済ませてもらえないか」
「急いては事をし損じますわ」
「それはそっちの都合だね」
「ええ、ですから」
「ん?」
「まずは座ってお話したいですわ」
「あのなぁ」
「勝手にお邪魔してもよろしくて?」
「……はあ。好きにしなよ」

 そんな事を言いながらも、庵に入り囲炉裏に鉄瓶をかけるあたりが可愛らしい。
 自在かぎで高さを合わせて、囲炉裏に薪をくべている。

「あら、おかまいなく」
「気にするな。ただの白湯だ」
「夏ですのに」
「なんならもっと暑くしてやっても構わないんだがね」

 そう言いながら、掌にめらめらと燃える炎を出す。
 本当に、暑くないのかしら。

「そもそも、その見てる方が暑苦しくなる服はどうにかならないのか」
「女心ですわ」
「面倒だな」
「面倒ですけど、少女ですもの」
「あー、そういやあんたも少女だったな」
「ええ。とれとれのぴちぴちでしてよ」
「まあ、いいけどな」
「なんですの?」

 半眼でこちらを睨んでいる。
 何かおかしなことを言ったかしら。

「で、何の用だ。私としては、あんたと一緒にいるくらいなら輝夜といた方がまだ気が楽なんだ」
「ああ、永遠亭の姫でしたら、最近は私達とお箏に興じていますわ」
「なに?」
「退屈なさっているようでしたからお誘い申し上げたら、思いのほか気に入られたようで。望月の夜毎に集まってはあれこれと」
「……ああ、そうかい」
「そちらはご無沙汰なのかしら」
「何が」
「勿論、逢瀬のことですわ」
「ふざけるな」
「ふざけてなどいませんわよ。蓬莱山の姫君はお箏にかかりきりでお相手して下さらないのね。持て余しもしますわ」
「喧嘩を売りに来たのか」
「いいえ。暑気払いの散策ですわ」
「ならさっさといなくなるんだね。ここはじきにカンカンの鉄火場になる」
「まあまあ、お話はまだ済んでませんわよ」
「だったら、用事を済ませてさっさと出て行くがいいよ」
「では手短に。あなた篠笛をなさるんでしょう? 民謡もなかなかのものだと伺いましたわ」
「誰がそんな事を」
「上白沢に」
「何でお前が慧音と」
「この幻想郷で、歴史に最も詳しいのは誰かしら」
「そりゃ、稗田の小娘だろう。縁起を見れば分かる」
「そう。上白沢の歴史は稗田の歴史。ところで、稗田に協力しているのは?」
「……あー」
「そういうことですわ。阿礼乙女づてに知己を得る。何も不思議はありませんもの」
「協力ってのは語弊があろうがよ。それで、なんでまた」
「いえ、このところ人里の祭も活気が今一つ。囃子方の担い手は減るばかり。そこで白羽の矢を」
「私に立てた、と。なんで慧音じゃなくてお前が来るのかね」
「私も良くは知りませんわ。ただ、一人が言うより二人が言った方が信憑性も高いと思ったのでしょう」
「あんたの発言に信憑性なんて、無いに等しいと思うがね」
「でも事実ですわよ」
「……人情に絡めとられるのは面倒だって言ったろ」
「しがらみの無い人間なんて人間じゃありませんわ。あなたは人間なのでしょう?」
「はン、前に会った時は人外呼ばわりしておいて、どの口が」
「あら、自分で人外だと認めるのかしら」
「……」
「何にせよ、お願いしますわね。人里に活気が無くなっては困りますの。私はそういう役割なので」
「……ほら、白湯だ。飲んだらさっさと帰るんだね」
「ええ、では頂きますわ」

 飾りも何もない湯呑に、お湯が並々と注がれている。
 何の変哲もない、少しだけ鉄の匂いのするただのお湯だ。
 ほっと温まり外気との差で涼を得る。
 古風な方法だけれど、これはこれで良い。
 見やると、彼女もお湯を冷ましながらちびりちびりとやっていた。
 お湯を飲んで頭を冷やすというのもおかしな話だが、温もりは人を落ち着かせる。
 視線が合う。
 やはり、心安くはないらしい。

「ああ、えっと……」
「どうしましたの?」
「輝夜は、あー」
「ええ」
「どうだ?」
「良い暇つぶしをされてますわよ。あなたと殺し合わないのが何よりの証拠ですわ」
「そ、か」
「あなたも」
「ん」
「いえ、なんでもありませんわ」
「……無理だね。千年憎んできたものは、忘れるのにも千年かかる」
「貴方達にとって千年なんてそれこそたかだか」
「一人で生きるなら、たかだか千年。人と共に生きるなら途方もない年月だ」
「長いか短いかはその人次第ですわ。薬師に言わせれば、変わり続けなければ人では無いと」
「は、あいつらしい」
「あなたが一番人間らしい、とも」
「あー、それはあれか。からかってるのか」
「さあ。人の心は読めませんもの」
「良く言う」
「では、御馳走様でした。御機嫌よう」
「できれば会いたくないけどな。ああ、慧音に今度からは直接言うように言っておいてくれ」
「ええ。では」

 言い終えるくらいに、足もとにスキマを開き潜る。
 白湯は半分くらい残して。
 流石に何杯も水ばかり飲めませんもの。
 そのまま居間に戻ると、水屋からいい香りがしてくる。
 
「らーん、今日のお夕飯は何かしら」
「お帰りなさいませ。あと三時間ほどかかりますので居間でお待ち下さい」
「随分張り切ったのね。何かしら」
「滋養のあるものということで、仏跳牆を」

 ふぁってぃおちゃん?
 それは確か。

「スープですから、よく煮なければ」
「スープ、ね」
「美味しいですよ。得意料理ですから」

 満面の笑みで言う藍を前に、表情にこそ出さないものの苦悩していた。
 また水分か。

「さ、楽しみに待っていて下さい」

 とても嬉しそうで。
 まさかいらないとは言えなかった。
 スープは確かに美味しいだろう。
 いつも美味しい藍の料理の中でも特別に。
 流石に得意料理と言うだけはあるのだ。
 ただまあ。
 巡り合わせが悪かったのだと、たぽんたぽんと鳴るお腹を摩りながら思うことにした。




    6.道中囃子




 篠笛を手に取り、思う。
 人に教えるだなんて。
 私ひとりで笛方として吹く分には構わない。
 唄だって、頼まれれば喜んで唄おう。
 だけど、笛を人に教えるなんて。
 そこに「私」が残ってしまう。
 笛の癖は人それぞれで、それだけ様々な音色があるのだ。
 例えば打ち指の癖。息の切り方。拍子の取り方。入り方や切り方。
 そういうものが伝えられる。
 何代も何代も。
 今の人が忘れてしまった節回しも、今に残ってしまう。
 「私」が残ってしまう。
 それは、とても怖い。
 もうじき祭だ。
 楽しみなような、そうでもないような。
 そんな妙な気分になるのは、ここに至るいきさつがほんの少し込み入っているからだ。
 あのスキマ妖怪が来た翌日、今度は慧音が直々に頼みにきた。

 ~~~~~

「そういうわけだから、どうか頼まれてほしい」
「そうは言うけどさ」
「いや、とある丁内で囃子方の都合がつかなくなってしまってな。というのも、毎年頼んでいるところが疫病で、その……」
「ああ、それは御愁傷様」
「そこで丁内の若い衆から囃子方を出すことになったんだが、誰もまともにできないのだがどうにかできないかと相談を受けてな。以前竹林で妹紅が吹いていたのを思い出して」
「頼むから忘れてよ。恥ずかしいなぁ」
「何を言うんだ。とても上手だったじゃないか。それにいい声だったし」
「うーん。あんまり得意じゃないんだよね、そういうの」
「だが、昔は参加したこともあったんだろう?」
「あー、まあ、その、ね。若気の至りって言うかなんていうか。まあ、こういう体だからさ。いつまでもやり続けるわけにもいかないし」
「そこをなんとかお願いできないか」
「うーん」

 人里の祭というのは、いくつかある神社の例祭が重なる秋の時期に各町内から山車が出て練り歩くというものだ。
 狭い道を大きな山車が通るものだから、通行権をめぐっていさかいも起きる。
 普通は交渉役の人たちが話し合いでどうにかするのだけれど、決裂した場合山車をぶつけあって力づくで通るのだ。
 それがこの祭の華だったりもするんだけど。
 その祭に必要なのが囃子方と言って、お囃子が流れていなければその山車は動くことができない。
 だから非常に重要な役割になる。
 また、祭りに参加できないというのはその丁内にとって耐えがたいことなわけだ。
 祭りに参加できないと神社にお参りができないわけで、それはすなわち神様の恩恵に授かれないということでもある。
 神様には、山車に舞台をしつらえて手踊りを神社に奉納するのが習わし。
 その時にも囃子方が民謡を演奏し、踊り子さんが着飾って踊る。
 そうしてまた一年暮らせる。
 だから、祭というのは一年でもそれなりに重要な行事だ。
 それら諸々の事情はよく分かる。
 昔何度か囃子方として参加したことがあるし、その時はとてもよくしてもらった。
 笛を吹くのは好きだし、唄だって唄ってみたくもある。
 けれど。

「ごめん。やっぱりあまり人里と関わるのは……」
「そうか……。今日のところはこれで帰るけれど、また明日来るよ。考えが変わるかもしれないからな」
「慧音ぇ」
「そう言わずに。なんとか頼むよ。じゃあ、これで」

 そう言って帰って行った。
 その日の夜、私は久しぶりに竹林を散歩していた。
 慧音に言われたことが、頭の中から離れない。
 これが「笛方の手が足りないから入ってくれ」だったら、もしかしたら受けていたかもしれない。
 大勢いる中の一人なら、昔と同じ事をするだけだから。
 昔みたいに適当に飲んで食べて騒いで笛を吹く。
 祭が終われば「また来年も頼むよ」なんて言われながら、何時もの生活に戻る。
 そして気が向いたらまた祭に参加し、楽しんで。
 ところが今回の話はそんな気楽なものじゃない。
 私が笛を他人に教えるなんて。
 責任があまりにも違い過ぎる。
 あれやこれやと面倒なことが増えていく。
 人との関わり方も変わってしまう。
 前みたいにふらりと現れた笛方というものではなく、きちんとお囃子の社中の代表として関わらなければいけない。
 ううん。
 あれこれと悩んではみたものの、それで良い案が浮かぶわけでもないので気晴らしに笛を吹く。
 輝夜もここのところちょっかいをかけてこないし、私も何か別の楽しみを見つけるべきかもしれない。
 そんな事を考えながら吹いたのは、道中囃子。
 山車が神社への参拝を終えて丁内に戻るときに吹く曲だ。
 軽快な拍子で、祭りの期間中に一番長い時間吹く曲かもしれない。
 参拝に向かう最中は、ゆったりと厳かな囃子で進む。
 神様に参るのだからと気を張って。
 代わりにお参りの後は軽やかに、華やかに。
 丁内に帰るまでの間、ずっと道中囃子を吹き続ける。
 昼頃に参拝を終えるのが通例だから、そこから日が暮れ日付が変わるくらいまで。
 それだけ笛方の負担が大きいので、何人かで代わる代わる吹く。
 太鼓なんかは一刻くらい一人で叩いたりしているけれど、息を使う笛はそうもいかないのだ。
 吹いているうちに、昔の祭りを思い出す。
 一緒に吹いていた人達は、もういないだろう。
 それ程に昔なのだ。
 何度か繰り返し吹いて、やめる。
 指は変わらず動いてくれた。
 息の吹き方は少し雑になってしまっていたけれど、吹いていればそのうち元通りになるだろう。
 調子はいい。
 次の曲を吹こうと笛を構えたところで、妙な音が耳に入る。
 これは、三味線か?
 新内の節のような気がする。
 いやいやいや。
 こんな竹林に新内流しはいないだろう。
 そう思って音のする方を見てみれば、なにやら黒い毛の塊が動いている。
 ああ、あれは見間違えようが無い。
 輝夜だ。
 蓬莱山輝夜、私の仇。

「ああやっぱり妹紅なのね」
「お前、妖しいぞ」
「失礼ね。こんな夜中に笛を吹いている方が余程迷惑なのだけれど」
「いや、それをいうなら三味線もな」
「去年あたりから夜に妙な音がすると思っていたのよ。虎落笛(もがりぶえ)かと思ったら篠笛だったなんてね」
「あー、聞こえてたのか。まあ、篠笛の音は通るからな」
「今年になってから聞こえないと思ったら、今日また聞こえだしたわけ。で、来てみたら」
「私がいた、と。久しぶりじゃないか。一年ぶりか」
「まだそんなに経たないわ。十か月くらいね」
「似たようなもんだよ。最近どうも楽しそうじゃないか」
「あら、気になるの?」
「別に」
「素直じゃないわね。気になるんでしょう」
「別に」
「寂しかったとか」
「……」
「あら、図星?」

 輝夜はびっくりしたような顔でこちらを見ている。
 ああ、恥ずかしい。なぜ動揺してしまったんだろう。
 多分顔は赤くなっている。

「妹紅は分かり易いのね」
「馬鹿にするな」
「褒めてるのよ。可愛いって」
「嬉しくないね」
「そう」
「で、やるのか?」
「止しておくわ。じきお箏の会だし」
「ああ。例の」
「気になるんでしょう」
「うるさいな」
「まあ、お箏の会と言っても三絃や尺八もあるのだけれど」
「随分入れ込んでるみたいじゃないか」
「楽しいもの。楽器は誰かと演奏してこそね」
「ああそうかい」
「そういえば、妹紅は笛が吹けるのね」
「まあ、別段上手くはないけどな」
「尺八は?」
「民謡なら少しは」
「丁度いいわ。足りなくて困っていたのよ」
「あ?」
「全部で七人必要なのだけれど、尺八があと一人足りないの。幽々子が一箏、私が二箏、紫が十七絃でイナバが三絃。あと白玉楼の庭師が幽霊部分も含めて二人分尺八をやってるのだけれど、竹は三本必要なのよね。入らない?」
「は? いや、何をいきなり」
「いい曲なのに人数が足りないと締まらないのよ。ね」
「ね、じゃない。そもそも私とお前は」
「終わったらたっぷり相手してあげるから」
「あのなぁ……」
「決まりね。じゃあ、明日尺八を持ってうちに来て頂戴」
「勝手に話を進めるな」
「いやなの?」
「いやだ」

 いきなり何を言い出すんだ。

「私だってそうそう暇なわけじゃない」
「嘘ばっかり。最近私と会えなくて寂しがってたのに?」
「だからそれは……。そうだ! 里でお囃子を教えることになったんだよ。囃子方の人間が疫病で死んじまったらしくてな。だからお前の相手はしてられない」
「あら、じゃあ丁度いいじゃない。この辺りの民謡なら弾けるわよ、三絃」
「あ?」
「私が妹紅を手伝ってあげるから、妹紅も私を手伝う。これで条件は対等よね」
「だれが手伝ってくれって言った」
「だって、三絃弾けないでしょ。あ、お囃子なら三味線って言うのよね」
「いや、それは、まあ」
「三味線の無いお囃子なんて華が無いわよね。中途半端に教えられる人たちが可哀想だわ」
「いや、あのな……」
「そういうわけだから、明日の夜に尺八を以っていらっしゃい。楽譜の読み方なら教えてあげるから」
「あのなぁ」
「ああ、なんていい日なのかしら。早速明日幽々子に教えてあげようっと」
「……ずいぶん仲良くなったみたいじゃないか」
「あら、嫉妬?」
「だッ、誰が!!」
「妹紅ったら真赤よ。大丈夫。私の一番は妹紅だから」
「おい、そういうことじゃなくて。待て、こら」
「じゃあねー、マイダーリン。来なかったらひどいから」
「誰がダーリンだアホー!」

 輝夜は人の話も聞かずにすたすたと永遠亭に帰って行った。
 途中でスキップなんぞしているのがなんともいらいらさせる。

「人の、話を、聞けこの馬鹿」

 なんだかよく分からないうちに手伝うことになってしまった。
 いまから永遠亭に向かってもどうしようもないし、笛を吹く気分にもなれない。
 しょうがないから帰って寝ることにした。

 翌朝の目覚めはそれなりに悪かった。
 夢で輝夜といっしょにお囃子を演奏していた。
 しかも楽しそうに。
 輝夜は綺麗だった。
 長い髪を軽く結いあげ、祭りの衣装に着飾って。
 それが普段とは全然違う癖に妙に似合っているから腹が立つ。
 いやいやいやいや。
 なんだこれは。
 なんなんだこれは。
 ああ、もういい。寝なおそうにも日は高いし、慧音は今日も来ると言っていた。
 大人しく起きて身支度をしよう。

「妹紅、いるか? 今日こそは返事を」
「ああ、慧音。上がってよ」
「あ、ああ」

 すんなり通されるとは思っていなかったのか、面食らった様子で入ってくる。

「でだな、お囃子の件なんだが」
「やるよ」
「そこをなんとか……? おい、本当か!」
「うん。色々と事情が変わった」
「そうかそうか。いや、それは良かった。早速里の者に伝えてこよう。妹紅、ありがとう。きっとあいつらも喜ぶ」
「あー、それでね。輝夜も一緒になんだ」
「……は?」

 唖然とした表情の慧音。
 無理もない。納得されても困るし。

「すまん。今なんだか幻聴が」
「いや、私もそうであってほしいんだけどさ。昨夜輝夜に会ってかくかくしかじかというわけなんだ」
「いつのまに和解したんだ」
「和解なんかしてないけど、話の流れでね」
「そう、か。まあ、いざこざさえ起こさなければ私としては歓迎するが」
「宜しく頼むよ」
「いや、こちらこそ。引き受けてくれてありがとう。日程はまたあとで決まったら連絡する」
「うん。じゃあ」
「ああ」

 複雑な表情をしながら慧音は帰って行った。
 話してるこっちだって訳が分からないのだから当然だろう。
 それからは、畑の手入れをして水をやり、尺八を引っ張り出して軽く吹いていたら程好い時間になった。
 なにはともあれ行ってみなければ始まらない。

「お邪魔するよ」
「妹紅さん、お待ちしてました。姫様がお待ちです。こちらへどうぞ」

 玄関には、耳がへにょっとなった兎がいた。確か月から来たんだったか。
 この屋敷に客として来たことなどないから、なんだか妙にむずがゆい。
 廊下で兎達とすれ違う度に妙な顔をされる。
 そりゃそうだ。いつもなら客を送り届けた後は屋敷に入らず門のあたりで待っているのだから。

「こちらです」
「はいよ」

 案内したままその場に控える兎。
 まあ、不意打ちなんかは無いだろうけれど、それでも慎重に障子を開ける。

「あら、いらっしゃい。遅かったじゃない」
「そりゃお前が暇だからだよ。仕事をしてる人間にはこれでも早いくらいだ」
「仕事ねぇ。おいしいのかしら」
「一説によるとうまいらしい」
「じゃあ間違ってるのね、その説」

 相変わらずああ言えばこう言う。

「さ、座って頂戴。これがその曲の楽譜なんだけど」
「おいおい、結構あるな」
「それなりに長いから」
「あー、縦譜な。民謡は全部指と音で覚えてるからまともに読んだこと無いんだよ」
「この曲は拍をきちんと取らないといけないから、読めないと困るわね」
「分かった分かった。覚えるよ」
「あら、素直」
「それよりもな、お前本当にお囃子の方に来る気か?」
「勿論」
「民謡が弾けるって言っても、お囃子は民謡だけじゃないぞ」
「大丈夫よ。その辺は因幡に聞いて覚えたから」
「因幡ってどの因幡だよ。……いやいい。言うな。どうせ覚えられないから」
「まあ、安心してもらっていいわよ」
「待て、心配だから一度合わせるぞ。ちょっと下り藤弾いてみろ」
「えー、今日?」
「私の知ってるのと違ったらことだからな」

 輝夜は渋々と三味線の支度を始める。
 念のために篠笛も持って来ててよかった。

「音頂戴」
「あ?」
「音を合わせるから吹いて」
「ああ、分かった」

 平調子、二上がり、三下がりと三味線の調弦には三種類ある。
 普通は調子笛でも使うのだろうが、笛と合わせるときには笛ごとのクセに合わせて調弦する。
 なんだ、意外と大丈夫そうじゃないか。
 音を三つ吹いてやると、それに合わせて調弦を直す。

「いいか?」
「どうぞ」
「じゃあ、とりあえず」

 多少ゆっくり目に吹く。
 心配していたようなもたつきはなく、上手く合わせてくる。
 所々記憶と音色が違うのは、社中ごとにそうやって特色を出しているためよくあることだ。
 ある社中の吹き方や叩き方が別の社中とは全然違うなんてのはざらだ。
 慣れてくるとお囃子だけでどこの山車か分かるようになる。
 とりあえず大きな問題もなく吹き終わった。
 合わないのは、教わった相手が違うのだから仕方がない。
 気になった部分について、笛を吹きながら合わせていく。

「あのな、ここのところとここのところの弾き方なんだが上げるんじゃなくて下げて弾いてくれ」
「こう?」
「そう。そうじゃないとこの吹き方に合わない」
「へえ、そうなのね。わかったわ」
「あとここと……」

 そうやって、お囃子の半分くらいをさらった。
 輝夜の飲み込みが早いのですらすらと進む。
 なんだろう。
 なんていうか、こう……。
 いや。
 別に楽しくなんかない。
 そう、楽しいわけがない。
 これは仕方なくやっているんだ。
 うん。仕方ない。慧音と約束してしまったし。
 ふと気が付くと、もう結構いい時間だ。

「じゃあ、今日はこれで終ろう。そろそろ夕飯だし」
「あら、食べていったらいいのに」
「は?」
「イナバ、いるかしら」
「はい」

 障子を開けて入ってきたのは先程のへにょ兎だ。
 もしかしたらずっと控えていたのかもしれない。
 おいおい。

「夕飯を持って来て頂戴。妹紅の分も」
「畏まりました」

 それだけ言うと、障子をきちんとたてて出ていく。

「いや、帰るぞ?」
「いいから食べて行きなさい。今日中におさらいを終わらせましょう」
「なんでそんなに元気なんだ」
「一度にやってしまえば楽じゃない」
「結局楽か否かなのか」
「妹紅だって何回も来るのは手間でしょう?」
「まあ、ね。あまり来たいところでもないし」
「嫁いできてもいいのよ」
「何の冗談だ」
「さあ」

 くすくすと笑う輝夜を見て、嫌な気分になる。
 やっぱりこいつは嫌いだ。
 笛の手入れをしながら待っていると、妙に立派なお膳が運ばれてきた。

「さあ、夕餉にしましょう」
「最初からそのつもりだったのか」
「まあ、そうね。何度も来たくないのは分かっていたから一回の時間を延ばすのが普通じゃない?」
「お優しい事で」
「さあ、遠慮なく食べて頂戴」

 ご飯に吸い物、焼き魚と煮物にお新香。普段私が食べているものより上等の夕飯だ。
 普段なら玄米に糠漬け、気分次第で岩魚あたりを釣って塩焼きにする程度なのだけれど。
 今日は立派な夕飯に、お銚子までついている。

「ささ一献」
「あ、悪い」
「いえいえ。うふふ、お酌をするのは初めてなのよ」
「そう、なのか」
「ええ。大体いつもはお客様がいても因幡達がするから」
「今日はそうしないのかよ」
「ええ。ほかならぬ妹紅だもの」
「……わけがわからないな」
「そういうものだと思いなさいな」
「ふん」

 いつもは仇としかみていなかったけれど、よくよくみればそこは流石になよ竹のかぐや姫。
 なんというか、こう。
 うん。

「さ、たんとおあがりなさい」
「うるさい、食べてるんだから静かに」
「あら、自然な会話くらいいじゃない」
「なんだよ自然な会話って」
「例えば、イナバの耳って本物かしら、とか」
「食事中に夢に出てきそうな話題を振るな」
「難題を解いても結婚しないの、とか」
「知ってるよ」
「私って実はかぐや姫だったのね、とか」
「むしろ知らなかったのか」
「妹紅大好き、とか」
「ゴホッ」
「あら、冗談なのに」
「いきなりそんなことを言うな。冗談だと分かっててもびっくりする」
「妹紅は可愛いわねぇ」
「黙って食え」
「はーい」

 何だろうこの怒りにも似た怒りは。
 怒りだな、それ。
 間違いない。
 こいつは私をからかって遊んでいるんだ。
 こういうところが好きになれない。
 いや、別に好きになる必要なんかこれっぽっちもないから問題ないんだけれど。
 ああ、なんだ。じゃあ今のままでいいじゃないか。
 いいわけあるか。
 ん? なんでこのままじゃよくないとか思ったんだろう。
 こいつは仇で、仇なんだから嫌うのが当然で。
 え?

「お口に合わなかったかしら?」
「いや、うまいよ」
「そう、よかった」
「なんでお前が安心するんだ。大体、残したら作ってくれた兎がかわいそうだしな」
「兎が料理を作るわけ無いじゃない。おかしな妹紅ね」
「え? じゃあもしかしてこれを作ったのは」
「そうよ」
「あー、まあ、なんだ。人には取り柄の一つくらい……」
「因幡達妖怪兎が腕によりをかけて」
「なんなんだお前は」
「兎と妖怪兎は違うでしょう」
「ああ、そうだな。確かにそうだな」
「なんで怒っているのかしら」
「なんで怒らないと思うんだ」
「美味しいご飯を食べて怒る理由に心当たりはないけれど」
「あのなぁ」

 輝夜がクスクスと笑う。
 全部分かっててやってるんだ。
 こいつはそういう女だった。
 そうだ。
 見た目に可愛らしいからとか、長い黒髪が奇麗だとか、そう言うことに惑わされちゃいけない。
 あとくりくりと動く悪戯っぽい瞳に魅入られるとか、ちょっとした仕草に視線を奪われるとか、そう言うことも考えるな。
 って、何考えてるんだ私。

「ごちそうさまでした」
「あ、ああ。えっと、御馳走様」

 妙な会話と変な思考が入り混じって訳が分からなくなっているうちに、食事は終わっていた
 なんだか妙に疲れた食事だった気もするけれど、気を取り直しておさらいに戻る。

「食べた後は食休みよ」

 戻る。

「焦らなくても時間はあるのだから」

 黙れ。

「イナバ、囲碁を出してきて」
「はい」

 だからおさらいするって言ってんだろ。

「さ、妹紅」
「いや」
「連珠でもいいけれど」
「あのな、食休みに囲碁なんか打ったらそれで一日終わるだろ」
「じゃあリバーシ」
「白黒好きか」
「嫌いではないわね」
「そうか。私は嫌いだ」
「チェスね」
「却下」
「将棋」
「駄目」
「大将棋」
「人の話を聞け」

 詰まらなそうにする輝夜を無視して篠笛を手に取る。

「ほら」
「分かったわよ。妹紅ったらせっかちね」
「いや、意味が分からない」

 それから半刻ほどでおさらいを済ませ、更に半刻後には輝夜の用事も済ませた。
 民謡くらいしか吹いたことが無かったけれど、合奏するというのも悪くなさそうだ。
 問題は楽譜を読めるようになるか。
 確かにこの曲は、笛の入りを間違えると台無しになってしまう。
 そう何度も合わせる機会もないだろうから、そこそこ程度には読めるようにならなければ。

「そういやお前、松づくしできるか?」
「一本目には、ってやつ? まあ、できなくもないけれど」
「御目出度いことがあった家ではそれを踊ることもあるからな。出来るなら有り難い」
「まあ、妹紅にお礼を言われちゃったわ。今夜は雨かしら槍かしら」
「誰も礼なんか言ってないだろ。からかうのも大概にしろ」
「それにしても、あれって殆ど曲芸よね」

 松づくしというのは、有名な松を数え上げる端唄だ。踊りは扇を松の枝に見立て、歌詞の松が増えるごとに手やら足やら様々なところに増やしていくという、なんとも曲芸じみた踊りだったりする。

♪  唄い囃せや 大黒 一本目には 池の松、二本目には 庭の松、
    三本目には 下がり松、四本目には 志賀の松、五本目には 五葉の松
   六つ昔は 高砂の 尾上の松や 曽根の松 七(ひち)本目には 姫小松 
    八本目には 浜の松、九つ 小松を植え並べ、十で 豊久(とよく)の伊勢の松
   この松は 芙蓉の松にて なさけ有馬の 松ヶ枝に 口説けば なびく
    相生の松、また いついつの約束を 日を松、時松、暮れを松
     連理の松に契りをこめて 福大黒をみさいな

 勿論踊りにも唄にも様々な違いがあるが、大体こんな感じになっている。
 まあ滅多にやらないし、やる時は事前に頼まれるのでそれほど問題ないのだけれど。

「口説けばなびくわよ」
「お前が言うとなんとも嘘くさいな」
「連理の松とも言うのだし」
「天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝とならん、ってか。楊貴妃と玄宗皇帝だな。生憎そういう男性に当てはない」
「妹紅が玄宗になったらいいわ」
「ならお前は楊貴妃か。大きく出たな」
「小さいくらいよ」
「ああ、そうかい」

 美人と言えば楊貴妃に小野小町あたりが適当だろう。
 尤も、かぐや姫と言えば確かにその二人に並んでも引けは取らないかも知れないが。

「ところで次回だけど」
「次回?」
「そうよ。まさか一度だけで終わりな筈が無いでしょう」
「ああ、まあそうだよな」
「じゃあ、また明日ね」
「は?」
「覚えるなら一度にやらないと。時間をおくと忘れてしまうもの」
「あまり来たくないって言っただろ」
「ああ、中途半端にお囃子を教えられる人たちがかわいそうね」
「……」
「じゃあ、また明日。楽しみにしているわよ、妹紅」
「あーはいはい」

 少々手荒に襖を開ける。
 控えていたへにょ兎が驚いていた。

「今日はもう帰るよ。お邪魔したね」
「では、玄関までお見送りを」
「ああいい。構わないでくれ」
「そうですか」

 それだけ告げると、早足で永遠亭を出る。
 また明日、か。嫌な台詞だ。

 ~~~~~

 そうして今に至る。
 あのあと慧音と話をして、週に二度ほど教えに行くことになった。
 太鼓は叩ける奴がいたから良かったけれど、笛や三味線は全く出来ないようだった。
 輝夜に三味線の教わっているのは二人ほどだったが、一度に一曲、多くて二曲という有様だった。
 勿論覚えるのが難しいのもあるのだけれど、それ以上にあいつの態度がひどい。
 稽古を始めても暫くは世間話しかしないし、やっと弾き始めたと思ったら自分でさらっと弾くだけ。
 教わっている男どもも、鼻の下を伸ばしてにやついている。
 あれで弾けるようになるのかと思っていたが、案の定四、五曲くらいしか出来ていない。
 むしろあれで弾けるようになったのが驚きだったりするのだけれど。
 輝夜は、「気が向かなければ覚えないからこれでいいのよ。一度に全部は無理だもの。気長にね」と言っていたけれど。
 お前は来年もやるつもりなのか。
 そりゃお前や私なら時間はいくらでもあるんだが、人間はそうもいかない。
 そう言ったら、「人間が一度にできることなんて限られているのだから、焦ってもいいことなどないわ」と来た。
 まあ、確かにその通りなのだが。
 稽古の途中で、その丁内の偉い人が様子を見に来たことがある。
 かなりお年を召した方で、私の笛を聞いて「懐かしい囃子だ」としきりに呟いていた。
 ……だから嫌なんだ。
 何の因果か、私が昔笛方としてついていた山車に乗っていたことがあるらしい。
 私を見ながら、「昔も君によく似た子が笛を吹いていたことがある」と懐かしそうに言う。
 そりゃそうだ。本人だからな。
 まさかそう言うわけにもいかないので、「孫です」と誤魔化しておいた。
 そう言うと。「そうかい。君のおばあさんもとても笛が上手だったんだよ。いや、君に似て綺麗な人だった」と嬉しそうに語る。
 褒められて悪い気はしないけれど、素直には喜べない。
 輝夜が、「よかったじゃない、おばあちゃん」とからかってきたので燃やしておいた。
 そんなこんなで色々ありながらも、祭りまでにはどうにか形にすることが出来た。
 勿論まだまだ心配なので、本番の祭りも囃子に参加する。
 それを聞いた輝夜が、私もと言いだした。
 確かに三味線は今のままでは不安だし、参加してくれるなら助かるのだが。

「お姫様がこんなことしてていいのか」
「今はお姫様がどうのという時代でもないでしょう」
「そりゃそうだけどな」
「衣装も揃えちゃったからね」
「おい」
「妹紅の分も用意してあげましょうか」
「私はいいよ。昔着てたのがあるからな」
「そう、残念ね」

 何が残念なのかは知らないが、祭の前の最後の稽古も恙無く終わった。
 祭りはいよいよ来週だ。
 久し振りのことでもあるし、庵に帰ると昔の衣装を引っ張り出して着てみる。
 ぴったりと身体に合うそれは、着てみると気が引き締まる。
 同時になんとも言えない高揚感に包まれた。
 今から楽しみだ。




    七、信濃路




 今年最後のお箏の会は、永遠亭が会場になった。
 初雪がちらつき始めるかという頃、いつも通りの望月の夜に。
 八雲紫の都合もあって、冬の間はお箏の会はお休みになる。
 けれど、最近は色々なことが起こって退屈しない。
 イナバにお箏や三絃を教えたり、幽々子や紫とお箏を弾いたり。
 秋には妹紅とお祭りにも参加した。
 髪を結い上げお祭りの格好をして、山車に乗ってお囃子を演奏する。
 幽々子達と弾いているのとはまた違った雰囲気の楽しさだった。
 お箏の会は優雅に、そして静かに楽しむもの。
 お囃子は、少しくらい間違えようが拍子がずれようが、とにかく賑やかにわいわいと楽しく。
 お酒を飲みながら笛を吹いたり太鼓を叩いたりするので、熱気がすごい。
 鼓を打たせてもらったりしたけれど、慣れないからなかなか上手に出来なかった。
 それでもぽんぽんと打つのは楽しい。
 打楽器も覚えてみようかしら。
 祭が終わっても、お囃子のお稽古は続けるみたい。
 農閑期に入るから時間は出来るし、月に二度ほどに頻度は落ちるらしいけれど。
 来年もまた参加してみたいと思う。
 趣味が増えるのは良いことだ。
 閉じ込められていた時間が長かった分、一人で出来ることは大概してきたつもりだ。
 これからは誰かと集まって出来る趣味を増やしていこう。

「姫様、明日のことですが」
「ああ、イナバ。明日のトリはあなたと庭師だったわね」
「ええ。あの、いいのでしょうか」
「いいんじゃない。幽々子も紫もいいと言ったのでしょう。それに、楽しみにもしているのよ」
「ですが、やはり……」
「堅苦しい会ではないのだし、緊張することは無いわ。気楽におやりなさい」
「はい」
「で、明日がどうかしたの?」
「会場は広間でよろしかったのでしょうか」
「ええ。なぜ?」
「師匠が、大広間の方がいいんじゃないかって」
「入って十人かそこそこなのに? それに、あまり広いと音がね」
「いえ、その……。てゐ達も聞きたがっていまして」
「因幡たちが。そう」
「だから師匠も広い方が、と」
「イナバも責任重大ね。そんな中で最後の曲をやるなんて」
「姫様ぁ」
「そういうことなら、いいんじゃないかしら。じゃあ、食事も増やさなければね」
「はい。炊事係にも伝えておきます」
「用件はそれだけ?」
「はい。では、失礼します」

 イナバも以前より硬さがなくなってきた。
 いい傾向だと思う。
 やはりペットは可愛げがなければいけない。

「で、私はなんで今からここにいなけりゃいけないんだ?」
「あら、明日になって気が変わったなんて言われたら困るもの」
「言わないから帰るぞ」
「いいじゃない、一晩くらい」
「お前といると居心地が悪いんだ」
「あら、ひどい。でも紫といるよりいいのでしょう?」
「……言いやがったのか」
「言葉が汚いわよ」
「ああはいはい」
「将棋でもどう?」
「遠慮しとこう。お前の指し方はこずるくて好きじゃない」
「ひどい言い方ね。妹紅こそ、真正直すぎるわ」
「正直は美徳なんだよ」
「正直者は馬鹿を見るわ」
「なら尚更やる理由が無いだろ」
「それもそうね」
「あのなぁ」
「じゃあ歌でも詠む?」
「いつの時代さ」
「それもそうね」

 ああ、退屈。
 妹紅がここにいるのは、私が呼んだから。
 明日のことで話があると言ったら、意外にも素直に訪ねてきた。
 と言っても、実は用事なんて無いのでこうして手持無沙汰に話をしている。

「お前は本当に外に出ないんだな」
「出してもらえなかったもの」
「そうだったな」
「妹紅だって似たようなものじゃない」
「私は里にいられなかっただけだ」
「出かけないのは同じでしょう」
「一緒にするな」
「それに、私だって閉じこもっていただけじゃないわ」
「はいはい」
「庭いじりとか盆栽とか、外には出ているのよ」
「そんなんでいいなら、私だって野良仕事してるよ」
「そうだ、散歩しましょう」
「あ?」
「天気もいいのだし、お外もいいものよ」
「はいはい」

 なんだかんだと言いながらも、妹紅はよく付き合ってくれる。
 縁側に出て、ぽっくりを履いて庭に下りる。
 妹紅は簡素な杉の下駄。
 飛び石の上を歩きながら、周囲の風景に目をやる。
 あまり頻繁に手を入れている訳では無いけれど、見苦しくない程度に整っている。
 からころと歩くたびに音を立てるのが、静かな庭に丁度いい。

「しかし、よくもまあこんな広い庭を拵えたもんだ」
「植樹なんかは因幡達に任せたけれど、手入れは私がしてるの」
「……へぇ。大したもんんだ」
「もっと褒めてもいいのよ」
「誰が」

 急に不機嫌になってしまう。
 よく分からないのだけれど、そこが可愛い。

「あちらに小さな囲いがあるでしょう。あそこで盆栽をいじっているのよ」
「趣味のためなら苦労は厭わないんだな」
「趣味ってそういうものでしょうに」
「ん。かもな」

 からころと、囲いのある場所に向かう。
 大小様々に、20個ほどの鉢が並んでいる。
 そのうちの一つを持ち上げて、妹紅に見せた。

「へえ、いい枝ぶりじゃないか」
「そうなんだけど、もう少しここは控えめでもいいように思うのよね」
「ああ、成程。確かに形が崩れてしまうな」
「というわけで」

 ばちんと枝を落とす。

「いや、隣の枝を切った方がいいんじゃないか」
「いいのよ、これで。この鉢はそう言う風に育てているのだから」
「そんなもんかね。ところで、一番手をかけているのはどれだ?」
「そうねぇ。最近は玉の枝の盆栽かしら」
「盆栽にしてるのかよ」
「ええ。優曇華の花を咲かせようかと」
「あー」
「楽しいわよ、盆栽は。手をかければ応えてくれるもの」
「そりゃ結構なことで」
「妹紅も一鉢どう?」
「遠慮しとこう。そういう趣味はないんだ」
「そう。残念ね」
「とんだ光源氏だな」
「あら、私は女よ」
「そりゃそうだろうよ」

 それから池の周りを歩いたり。岩に腰かけて休んだりと日が暮れるまで庭で過ごした。
 秋から冬になるこの季節は、外にいるだけで体が冷えてくる。
 それだけに自然と距離が近付いていく。
 吐く息が白い。
 呼吸の音も聞こえてきそうな距離。

「寒いわね。そろそろ入りましょう」
「ああ、そうだね」

 いい加減体も冷えてきたので部屋に戻る。
 丁度お風呂が沸いたようなので一緒に入ろうかと言うと、真っ赤になって断られた。
 仕方がないのでさっと温まって上がる。
 髪を濡らすと面倒なので、そこは気を使う。
 長い髪も気に入っているのだけれど、色々なところで面倒が多いのは困ったことだ。
 髪を切ろうと思ったこともあったけれど、永琳に泣いて止められた。
 また伸びるのに。

「そりゃ止めるだろう」
「なんで?」

 お風呂上りに髪を拭きながら話していたら、妹紅にそう言われた。

「なんでってお前……」
「伸びるんだからいいじゃない」
「いや、あのね」
「妹紅も長い方がいいのかしら」
「まあ、お前はそれで似合ってるからいいんだよ」
「あら、妹紅に褒められた」
「一々そういうことを言うな」
「切るつもりもないのだけれどね」
「お前、馬鹿だな」
「何よ」
「なんでも」

 何だか妹紅が疲れているようにいるように見える。
 庭を歩いただけなのに、何か疲れるよなことがあったのだろうか。

「お風呂に入ってきたら。草臥れているみたいよ」
「気疲れだ。気にするな」
「とにかく入っていらっしゃいな」
「……ああ、いただくよ」

 イナバに案内を任せて、私は部屋でのんびりする。
 ふと、三絃を取り出す。
 調弦を済ませ、弾くともなしに爪弾く。
 二の絃をどこも押さえず弾く。
 ぺん、と音が鳴る。
 音が消える頃にもう一度弾く。
 そうやって繰返し、満足できる音が出るまで弾く。
 これが私の音。
 そして、おもむろに弾き始める。

 水篶刈る 故郷はよし 千曲川

 と、イナバが入ってきた。

「姫様、勘弁して下さい」
「あら、どうしたの?」
「明日やる曲を弾かないでください。自信を無くしますから」
「ああ、ごめんなさいね。そういえばそうだったわ」
「お願いします、本当に」
「はいはい。で、どうなの? あの庭師と息は合ってきた?」
「ええ、まあ。よく会って練習していますから」
「そう。そんなに仲良くなっていたなんて知らなかったわね」
「別にそういう訳では」
「仲は良くない、と」
「そういうわけじゃないですけど」
「合奏することだけを目的にしては駄目よ。つまらなくなってしまうから」
「はい」
「楽しい?」
「ええ。色々と新しいことばかりで面白いです」
「そう。仲善きことは美しき哉、と」
「姫様は、その」
「何?」
「いえ」
「ところで庭師とはどういう関係なのかしら」
「関係って……。別に、ただの仲のいい友達です」
「友達ね。友達は大事よね」
「はい」
「大事になさい」
「はい」

 イナバも可愛らしくなったものだと思う。
 友人というのは、それだけ影響のあるものだ。
 そんな事を話していたら、妹紅がお風呂から上がってきた。
 髪を乾かしてあげたり、櫛を通してみたりする。
 綺麗な白髪だ。少し羨ましくもある。
 その後でご飯を食べて、今日はもう休むことにした。

「いや、同じ部屋かよ」
「嫌なの?」
「客間とかさ……」
「明日の支度で色々とあるのよ。荷物と一緒に寝せるわけにもいかないわ」
「そうは言ってもだな」
「因幡達と同じ部屋というわけにもいかないし。ああ、永琳の部屋もあるけど。永琳と寝たい?」
「寝ている間に腹を開かれそうだな」
「さ、寝ましょう。大丈夫よ。布団は二組あるから」
「当然だ」

 ひどく不機嫌そうだけれど、渋々といった様子で布団にもぐる。
 私も布団に入る。
 明日が楽しみ。

 ・・・---・・・

「おい、いい加減に起きろ」
「んー?」
「なんで客が主人を起こさないといけないんだ」
「あれ? 妹紅」
「いつまで寝てるんだ。布団剥ぐぞ」
「待ってよ。血圧低いんだから」

 何故か妹紅の顔が目の前にある。
 これが噂に聞く夜這いというやつなのかしら。
  
「夜這いならもっと静かにお願い」
「黙れ寝ぼけるなさっさと起きろ」
「なに?」
「お前、いつもこんな時間まで寝てるのか?」

 はて、そんなに寝ていただろうか。
 ついさっき布団に入ったばかりだというのに。

「もう日が昇ってるぞ」
「そうね」
「何で寝てるんだ」
「何で起きてるのよ」
「日が昇ったら起きるだろ、普通」
「早起きね。お年寄りみたい」
「年のことは言うな」

 ぶつくさと文句を言う妹紅を見て、自然と笑顔になる。

「何だよ。何かおかしいか?」
「いいえ。んー、おはよう妹紅」

 伸びをして、布団から這い出る。
 朝はやっぱり寒い。

「いい天気だな」
「朝から元気ね」

 布団に戻りたくなるのをこらえて、襖を開けて空気を入れ換える。
 冬の朝独特の香りがする。
 きりりと引き締まった空気だ。
 だめだ寒い。

「おい、布団に潜るな」
「いやー。寒いのよ」
「寒かったら動け」
「やめてー、誰かー」
「馬鹿、呼ぶな。こんなところ誰かに――」
「あらあら。朝からお盛んね」

 見られていた。永琳に。
 口元を手で隠し笑っている風だけれど、目が恐い。
 
「やーね。ちょっとしたじゃれ合いじゃない」
「全く、珍しくこんな時間に起きてるかと思えば」
「やっぱりこいつ、いつも昼まで?」
「そうでもないわよ。朝ごはんまでには起きるから」
「なら、何でまだ寝てたんだ」
「朝食までまだ一刻ほどあるのよ」
「随分と遅いんだな」
「数が数だもの、時間もかかるわ」
「そうそう。だから寝るわ。おやすみ」
「待て、寝るな」
「そうね。とりあえず顔を洗ったら目も覚めるんじゃないかしら」
「まだ早いわ」
「そうは言っても、今日は演奏会でしょう。早く支度を終わらせてしまうためにも今から、ね」
「はあ、わかったわ。顔を洗って来ましょう。妹紅、こっちよ」
「ああ」

 妹紅を連れてひたひたと廊下を歩く。
 足が冷たい。
 
「足が冷たいわ」
「飛べばいいだろ」
「いやよ。面倒だもの」
「なら我慢しなさい」
「はいはい。妹紅は体温が高そうでいいわね」
「何言ってるんだ。これでも冷え症で困ってるんだよ」
「すぐ温められるからいいじゃない。いざとなったら燃えればいいし」
「それじゃ意味がないだろ」
「そんなもんかしら」
「燃やしてやろうか」
「火傷は跡が残るのよね。さ、洗面所はここよ」
「昨日も来たよ」
「そうだったかしら。ああ、やっぱり水が冷たいわね。妹紅」
「嫌だ」
「何も言ってないわ」
「温めろってんだろ。やらないよ」
「あら、心が通じ合ったのかしら」
「冗談」
「冗談だもの。さ、顔を洗って着替えを済ませてしまいましょう」

 髪を後ろで結わえ、水をすくって顔を洗う。
 この季節は顔を洗うのでさえ億劫になる。
 ぱしゃぱしゃと軽く洗ったら、手拭いで顔を拭く。
 妹紅の方を見ると、水を跳ね散らかし髪も結構水に浸かっている。

「もっと綺麗に使いなさいな」
「いつもこんなもんだ」
「外で顔を洗うならいいかも知れないけれど」
「悪かったよ」
「全く、しょうがないわね」

 言いながら、濡れた髪を拭いてやる。
 されるがままの妹紅が可愛い。

「さ、これでよし。ついでに着替えてしまいましょうか」
「あ、私の服」
「洗ったらしいわ。泥が付いていたりしたから」
「ああ?」

 ちなみに、妹紅は今私の寝巻きを着ている。
 
「どうするんだ」
「着物くらい貸してあげるわ」
「いいよ」
「遠慮しなくてもいいのに。別に十二単を着せようってわけじゃないのだから」
「そうじゃなくてな」
「そもそも、あの恰好で演奏会に出るつもりだったのかしら」
「別にいいだろ。服で演奏するわけでもなし」
「だって着飾りたいじゃない。妹紅には何が似合うかしら。黒の正絹に紫の鉢巻?」
「それじゃ助六だ」
「赤姫?」
「そんな可愛らしいのが似合う柄かよ」
「いいと思うけど。八重垣姫とか」
「やだよあんなごてごてした」
「揚巻」
「花魁はもっと嫌だ」
「雲の絶間姫」
「それはお前の方が似合いだろ」
「私は色仕掛けで殿方を騙したことなんてないけれど」
「そもそも歌舞伎から離れろよ。ていうか、そんな服持ってるのか」
「まあ。それはそれとして、何がいいかしら」
「普通でいいよ」
「じゃあ紫の振袖ね」
「どこかの誰かとかぶるだろ」
「じゃあ、桜色」
「同じく却下」
「我儘ね」
「ピンポイントでかぶせてくる奴が悪い」
「仕方ないから赤かしら。モンペも赤だし」
「モンペって言うな」
「とにかく、支度させるから部屋に戻っていて」

 妹紅を部屋に返すと、丁度近くにいた因幡に着物を持ってくるように言う。
 黒の着物に江戸紫の鉢巻、ちらりと見える緋縮緬の褌。
 助六の格好は似合うと思うけれど、流石に男装は嫌なのだろう。
 そんな事を思いながら廊下を歩いていると、永琳と行き合う。

「目は覚めた?」
「おかげさまで」
「それにしても、妹紅を泊めるなんて何があったの」
「何も。ただ、恋と憎しみはいつ終わってしまうか分からないものだと言うし、燃料の補給をね」
「そう。そのマメさをいつも持っていてくれれば助かるのだけれど」
「興味が湧かないことは永琳に任せるわ」
「慣れてるからいいけれど」
「ああ、朝ご飯はまだかしら」
「じき出来上がるから持っていかせるわね」
「お願い。じゃあ、妹紅を着飾らせに行くわ」
「程々に」

 クスリと笑って、永琳と別れる。
 着せ替え人形になる妹紅を想像すると、わくわくしてくる。
 うふふ。

 ・・・---・・・ 

 結局、妹紅がどうしても嫌と言うので至極大人しい格好になってしまった。
 赤の振袖だけは着せたのだけれど帯もかんざしもあまり派手なものは嫌がる。
 非常に不本意ながら、どうにも無難としか言いようのない出来だ。
 
「詰らない妹紅ね」
「面白い私とやらがどこにいるんだか知らないが、詰らなくて結構」
「それに、なんだか窮屈そう」
「着慣れないんだから仕方ないだろ」
「もう。もっと可愛くすれば良かったわ」
「これ以上は御免こうむる」
「つれない」
「付き合ってやっただけ感謝しろよ」

 それでも恥ずかしげに頬を染める妹紅が見れたのでよしとする。
 支度に思った以上に時間がかかってしまい。もうお昼過ぎだ。
 
「お前は着替えないのか」
「まだいいわ。ご飯を食べてから」
「おい、私は」
「そのまま食べればいいじゃない」
「お前、分かっててやったな」
「何のことかしら」
「燃やすぞ」
「それ、私の着物」
「ぐ」

 悔しそう。面白い
 うくくくく。

「万が一にも汚さないように、おむすびにしてもらったわ。なんなら食べさせて差し上げるわよ」
「けっこうです」
「はい、あーん」
「けっこうですっつってんだろ」
「けっこうですって、いいですよってことよね」
「いりませんってことだ」
「でももう手に持っちゃったわよ」
「お前が食べればいいだろ」
「いや、私はお膳があるから」
「よし、決めた。やっぱり燃やす。ていうか燃えろ」
「焼きおにぎり?」
「誰が食い物の話をしてる」
「してるじゃない、今」
「そうだったな」

 妹紅が疲れたような表情で口を開ける。

「どうしたの?」
「あー」
「ああ、食べるのね。はーい、妹紅ちゃん。お口をあーん」
「あーん」
「それ」
「ぐご」

 左手で口を固定し、右手に持っていたおむすびを丸ごと放り込む。

「んがぐぐ」
「おいしい?」
「息の根止める気か」
「まあ」
「まあ、じゃないだろ。しまいには帰るぞ」
「寧ろなんで帰らないのか不思議だけど」
「おい」
「何?」
「詫びの一言も無しかい」
「ああ、御免なさいね。大きなお口だったから」
「凄まじく腹が立つ」
「そう。大変ね」

 それから宴が始まるまで、始終この調子でからかい続けた。
 やっぱり可愛い。


 □■□■□


 お昼を少し過ぎて日も傾いてきたころ、段々と集まり始めてきた。
 八雲の紫はまた寝坊したらしい。夕方近くに始まる会に寝坊ってどういうことだろう。
 西行寺の幽々子は、今日も華やかに着飾っていた。水色の地に桜の花びらを散らした意匠の振袖だった。いつ見ても豪奢な亡霊だ。
 一緒に来た庭師もいつぞやの花見の時に着ていた振袖姿だった。
 そういえばイナバの服はどうしたかしら。
 今日は着物を着るといていたように思うけれど……。

「妖夢、いらっしゃい」
「ああレイセン。着物が良く似合っていますね」
「そう? 師匠に勧められて着てみたんだけど」

 イナバは青に近い藍色の振袖を着ていた。
 あんなのを永琳が持っていたとは驚きだ。

「姫様、場の支度が整いました」
「あら永琳。ご苦労さ、……ま?」

 声をかけられて振り向いた先には、何時もの服と似通った配色の振袖を着た永琳がいた。

「きっつい」
「何か言った?」
「いえ、何でもないわ。似合ってるわよ、永琳」
「そう。それならいいのだけど」

 恐かった。
 なんていうかもう。
 恐かった。
 似合っていないわけではなく、間違いなく綺麗なんだけど。
 威圧してどうするのよ。

「お待たせしましたわ。道が混んでまして」
「紫様、スキマに混雑はありません」
「こら、あなたが突っ込んでは駄目でしょう」

 永琳の艶姿に気おされている間に、玄関に八雲紫とその式が現れた。
 玄関の開く音はしなかったから、大方直接来たのだろう。

「待っていたわ。さ、上がって頂戴な」
「ええ、お邪魔します」

 八雲紫はその名の通り、淡い紫の振袖だ。その式はと言うと……。
 ああ。
 イナバ、残念。丸かぶりよ。
 藍色の振袖を優美に着こなしている八雲の式は、確かに美しかった。
 流石は三国伝来。
 身のこなしも優雅で、好ましい。
 ただ、どうやって振袖から尻尾を出しているかは分からないけれど。
 今日は皆華やかに着飾っている。
 私はと言えば、普段着ている服の意匠が散りばめられた薄紅色の振袖だ。
 帯はお気に入りの茜色ので、似合っていると自分でも思う。
 それにしてもみんな気合が入っているなと思いながら、大広間の襖を開ける。
 わらわらといる因幡達の一角が、一際鮮やかに彩られている。
 明らかに他と違う雰囲気。
 これは世に言う、結婚披露宴で花嫁より目立つ女性たちというやつかもしれない。
 別にそんなことないか。
 こほんと咳払いをして、姿勢を正す。
 視線が私に集まる
 
「今日はようこそいらっしゃいました。今年最後となりましたが、心ばかりの料理と御酒など用意いたしました。どうぞお楽しみください」

 私が挨拶を終えると、イナバと妹紅、八雲の式と白玉楼の庭師が立って支度を始める。
 大広間の隣にある控えの間でお箏と三絃の調弦を済ませるのだ。
 やがて、小間遣いの因幡達に楽器を持たせてイナバ達が入ってくる。
 上手から尺八を持った妹紅、その横に三絃を抱えた庭師、そして下手には八雲の式とイナバがお箏の前にそれぞれ座る。
 楽器を持ってきた因幡のうち一匹がめくりをめくる。
 最初の曲は、三段の調だ。
 段物の中では最も初歩的な曲になる。習い始めて、最初にやる段物といえばこれだろう。
 だから、イナバも三絃ではなく箏を弾いているし、庭師も尺八ではなく三絃を手にしている。
 弾くだけならば難しい曲でもないし、まずは手始め、軽いお遊びといったところか。
 妹紅と八雲の式は付き合いだ。前日に話したというのに、快く引き受けてくれたらしい。
 揃って礼をすると、イナバが箏爪でお箏をかつかつと叩く。始まりの合図。
 八雲の式は箏に対して真正面に座っているけれど、イナバは斜めに構えている。
 流派の違いだ。そういえば八雲紫も正面に構えていた。
 爪の形も違う。
 けれど、合わせるのにそう不都合はない。
 要は弾けて音が出せればいいのだから。
 多少暴論ではあるけれど。
 そんな事を思いながら聞いていると、無難に一段目が終わる。
 この曲は、八雲紫が言うには大正デモクラシーの雰囲気がするそうだ。
 よく分からないけれど、確かに新しい気がする。
 速くもなく、けれど遅すぎもせず。
 舞踏会で流れているような曲のように思える。
 二段目の少し早いあたりが危なっかしかったけれど、それ以降は特に乱れることなく弾ききった。
 やはりイナバと庭師はなんとか弾ききったという感が強いけれど、慣れない楽器だしよく頑張った方だと思う。
 礼をすると四人はそのまま自分の座っていたあたりに戻る。
 その間にさっきの因幡達が小物を片付け、めくりをめくる。

「お疲れさま、イナバ」
「ありがとうございます。お箏は難しいですね」
「来年はお箏かしら」
「はあ。でも三絃もまだまだですから」
「じゃあ、また来年ね」
「はい」
 
 いい笑顔だ。
 イナバはそのまま座らずに、永琳を連れて控室に行ってしまった。
 次は私も演奏するので、そろそろ支度に移る。
 そうは言ってもすぐに次の曲を演奏しなければいけないわけでもないので焦ることはない。
 おちょこを飲み干すと、ゆっくりと控え室に向かうことにした。
 控室では、今日演奏する全員が調弦などの支度をしていた。
 八畳間を二部屋つなげて控室にしているけれど、それでも手狭に感じる。
 私も自分が使うお箏の調弦をすることにした。
 隣では、八雲紫が十七絃(じゅうしちげん)の調弦をしている。
 普通の箏の二回り以上はありそうな大きな楽器で、名前の通り絃が十七本張ってある。
 弾くのに普通の箏よりも力がいるが、低くてよく響く素敵な音が鳴る。
 一度弾いてみたことがあるけれど、お箏とは記譜法も違うのでなかなか難しかった。
 と、つらつら考えを巡らしながらも手はいつも通りに調弦を進める。
 やがて全員の調弦が終わると、因幡達にお箏や小物を運ばせる。

「じゃあ、行きましょう」

 設置し終わった頃に、永琳を先頭に舞台に上がる。
 上手から永琳とイナバが三絃、真ん中にお箏が三面と十七絃それぞれに、私、幽々子、八雲の式、紫。そして下手に妹紅と庭師が尺八を手に座った。
 真ん中に座った私に合わせて、客席に礼をする。
 なんていうか、客席が真っ白もこもこだ。
 舞台から見るとまるで雪原のよう。
 などといらぬことを考えていると、八雲紫が十七絃に手をかける気配がした。
 始まる。
 箏爪と胴がぶつかって、カチカチと拍子をとる。
 何度も練習しただけあって、始まり方はぴたりと合った。
 この曲は先程の三段の調とは違って速い。
 きちんと拍が合わないと綺麗に聞こえないのだ。
 そのあたりは大したもので、皆しっかりと走らず遅れず演奏している。
 特に八雲紫の弾いている十七弦は拍を正確に刻むことが求められる楽器だ。
 そこは流石の安定感で、安心して演奏できる。
 この曲は、和楽器の曲の軸のようなものを表現したものだそうだ。
 確かに三曲合奏らしくない曲ながらも、しっかりと和がある。
 やがて第一章が終わると、三絃の調子を変えるため少しの間を開ける。
 イナバは生身で調子笛の代用が出来るらしいので、それに合わせて永琳も調子を合わせている。
 休んだうちにも入らないくらいの間を開けて、二章が始まった。
 勢いで駆け抜けた感のある一章と違い、二章の始まりはゆったりとしている。
 段々と楽器が増えていき、賑やかさが増す。
 子守唄にも似たゆったりとした旋律が続いていき、一転して華やかなものに変わる。
 そして尺八が力強い旋律を吹くと、一旦曲が終わってしまうかのように落ち着く。
 十七絃の独奏だ。
 深く響く音が、しんろ静まった会場に響いている。
 それもゆっくりおさまって、再びお箏が華やかにかき鳴らされる。
 そのまま一章の始まりと同じように皆が息を揃えて、終わる。
 会場のイナバ達からは喝采が起こった。
 普段音楽を楽しむことの無い兎達ではあるけれど、楽しい曲は周囲を楽しくさせる。
 礼を済ませると、お箏はそのままに自分の座っていた席に戻ることにした。
 しばらく出番はないのでのんびりしていよう。
 次の曲は幽々子と庭師の曲だ。
 二人は舞台から降りずに、幽々子はそのまま調弦、庭師は幽々子の隣に座る。
 それ以外は、自分の席に座り御酒を飲んだり料理をつまんだりと思い思いに過ごす。

「永琳、お疲れ様」
「本当に。まさか楽器を弾くことになるなんて思わなかったわ」
「でも上手だったじゃない」
「それは、練習もしたもの」
「イナバ、お疲れ様」
「姫様もお疲れ様でした」
「大勢で合奏すると楽しいわねぇ」
「ええ。独奏や二重奏では味わえないですね」
「ねえ、永琳」
「やらないわよ。私は私の仕事があるもの」
「暇な時にでも、ね」
「あそこに妹紅がいるじゃない」
「あら、それもそうね」
「こっちに来るな」

 私と視線が合うと、不機嫌そうに顔を背けた。
 そうまであからさまにやるなら、こちらにも考えがある。

「ねぇ、妹紅ぅ」
「うわ、しなだれかかるな」
「いいじゃない。そんなにつれなくしないでよ。昨日は一緒に寝た仲なのに」

 私の言葉に、耳聡い兎が何匹か耳を動かしている。
 ひそひそと噂し合っている中に、何故か八雲紫の姿もあった。

「誤解を招くような事を言うな」
「事実は事実よ。はい、お酒」
「え? あ、ああ。悪い」

 素直に杯を受ける妹紅。
 変なところは素直なんだから。

「ねぇ、また合奏しましょうね」
「あ? いや、その……」
「ねえ、いいでしょ?」
「お前酔ってないか? やけに近いぞ」
「酔ってなんかないわよ。さ、もう一杯」
「いや、あんまり飲むと吹けなくなるから」
「まだまだ大丈夫でしょう。さ」
「あのな、もう準備出来たみたいだぞ」
「あら本当」

 舞台を見ると、幽々子が箏柱を動かし終えるところだった。
 私も席に戻り、正座する。
 めくりが次の曲目に変わり、礼をする。
 曲名は、雨。
 甲が主の尺八の音に、お箏の音色が良く合う。
 確かに雨の日のような寂寥感を感じる。
 それも、尺八からではなくお箏から。
 尺八は感情を載せやすい分だけ下手を打つと安っぽくなってしまう。
 そこはあの庭師も慣れたもので、上手に抑制出来ているから大したものだ。
 しかし、お箏の音色に悲しみが乗っている。
 幽々子の音色はあまり揺れることが無いのだけれど、この曲は何か特別な思い入れがあるのだろうか。
 二人で演奏しているにもかかわらず、私の視線は幽々子ばかり追っている。
 やがて、静かに曲が終わる。
 何だか勢いのある曲でもないのに飲み込まれてしまった。
 礼をして立ち上がった幽々子が、紫と何か話している。
 あまり紫の前では演奏したくない曲だったようだ。
 あの二人には色々とあるのだろう。

「なあ、西行寺のやつ、3曲続けてか?」
「いいえ。これが終わったら休憩だけど、その後も出るわ」
「うわぁ、4曲続けてか。よくやるもんだ」
「幽々子が一番楽しみにしていたから。もともと箏の会も八雲づてに幽々子から誘われたのだもの」
「へぇ。随分と西行寺には親切なんだな」
「嫉妬? ねえ、嫉妬? ねえねえ」
「黙れ。ほっとけ」
「またまた。妹紅ったら最近すごく可愛いわ、どうしたのかしら」
「別に、どうもしない」

 ああ、不貞腐れてしまった。折角面白い妹紅が見れていたというのに。
 長生きしている割にはデリケートなのね。

「しかし、もう半分か。早いな」
「まだ半分よ。もっとも、後半は殆どお祭りみたいなものだけれど」
「堅苦しくないんだが、これでいいのか?」
「いいのよ。別に妹紅だっていつもの服で参加しても良かったくらいだし」
「ならなんでこんなもん着せたのさ」
「私が着飾らせたかったから」
「ああ、そう」
「照れた? 怒った?」
「うるさい。酒でも飲んでろ」
「酔えないのよね」
「私もだよ」
「でも飲むのよね」
「ああ。酔うために飲むわけじゃなし」

 妹紅の表情が柔らかい。
 いい、顔。
 活気に満ちた表情。

「ん、始まるな」
「そうね。大人しく耳を傾けましょう」

 舞台の上では、幽々子と紫が並んでお箏の前に座っている。
 片や正面を向いて。片や斜めに。
 そういえば幽々子も私と流派は同じだった。 
 ゆっくりとお辞儀をし顔を起こす。数秒間の静寂の後、幽々子がかつかつと合図をする。
 曲名は麗韻。れいんと読むらしい。
 雨に閉じ込められた室内で耳を澄ますと、雨だれの音とともに祭り囃子がぼんやりと聞こえてくる気がする。
 そんな情景を元に作られた曲だそうだ。
 曲自体の持つ繊細さに加え、二人の技巧の巧みさが光る。
 この二人の演奏技術は掛け値なしに一流だ。
 強弱、緩急、間の合わせ方。
 全てが練り上げられている。
 ただ演奏を聴くだけでも十分に楽しめる曲だ。
 さらに曲も終盤に差し掛かると、ピチカートで旋律が奏でられる。
 お箏の絃に指を引っかけて持ち上がるように弾くので、自然とお箏が琴台から浮いては落ちるを繰り返す。
 そのコトコトという音さえも、曲の一部となって聞こえてくる。
 丁度、障子を隔てた外でお囃子が鳴っているかのように。
 どこまでも計算された、それでいて巧まざる上手さが見える曲。
 いつか弾いてみたいと思うけれど、誰とでも弾けるものではない。
 演奏者同士の関係も見えてくるような曲なのだから。
 どこまでも端正な、しかし情緒あふれる演奏が終わった。
 因幡がめくりをめくると、休憩という文字が見える。
 暫く演奏は休んで、料理やお酒を楽しむ時間だ。
 ずっと閉め切っていたからか、部屋に熱気が籠ってしまっている。
 暖かいだけならいいのだけれど、湿気も高くあまり気分は良くない。
 換気がてらにちょっと庭に出ることにした。

「姫様、どちらへ?」
「火照ってきてしまったから、庭へ」
「分かりました。四半刻後くらいから再開するそうです」
「ええ。それまでには戻ってくるわよ」

 庭師と楽しそうに会話しているイナバに軽く手を振ると、縁側に出る。
 振袖の上から外套を羽織ると、ぽっくりを履いて庭へ下りる。
 酔ったわけでもないのに顔が火照って仕方無い。
 雰囲気に当てられたのだろう。冷たい空気が気持ちいい。
 だいぶ顔色も戻ってきた。これ以上外にいたら逆に冷えてしまう。
 ん、と一伸びしてから戻ろうとすると、縁側に妹紅がいた。

「風邪ひくぞ」
「今入るわ。妹紅は?」
「ん。花を摘みにな」
「もう咲いていないでしょう」
「分かっててからかうな。底意地の悪い」
「あら、私は割と素直よ」
「何がどう割となんだか分からないけどな」
「色々とこう、割となのよ」
「へえへえ。ほれ」

 縁側の上から妹紅が右手を差し伸べてくる。
 掴まれということだろう。
 それは男性がやってこそ様になるのに。
 妹紅は可愛らしく振袖なんか着て。
 むう。
 差し出された手をぎゅっと掴む。
 そして。

「四方投げ」
「いってぇ!?」

 投げた。
 縁側から庭に叩きつけられる妹紅。

「輝夜、お前何すん――」
「似合わないことするからよ」

 言い捨てて、大広間に戻る。
 落ち着いたはずの頬が再び火照っている。

「姫様、大丈夫ですか?」
「ええ。ちょっと皆の熱気にね」
「色が白いですから、赤い頬は目立ちますね」
「そうなの。困ったものよね」

 適当に誤魔化し、席に着く。
 しばらくすると、妹紅も戻ってきた。

「大丈夫?」
「自分でやっといて大丈夫も何も無いだろ」
「いや、死なないから心配はしてないけれど」
「まあ、大丈夫だ。それより、そろそろじゃないのか? 兎たちはもう控室に行ってるぞ」
「あら本当。でも幽々子達はまだよ」
「あいつらに合わせてたら今日が終わるだろ。みろよあの食欲」

 確かに、幽々子の目の前に置いてあるお膳は綺麗に片付いていた。
 今はお酒をちびりちびりと舐めている。

「あの二人が行かないのはそれだけじゃないわね。今控室にはイナバと庭師が二人だけ」
「ああ、あいつら今夜のトリだったな。緊張してるだろうし時間までそっと……」
「あなた何年人間やってるの」
「ざっと千年以上?」
「誰も年齢なんか聞いてない」
「じゃあ何だよ」
「別に。忘れて頂戴」

 なんだろうこの生き物。
 というか、なんなんだろうこの妹紅。
 
「もういいわ。時間だし行きましょう」
「あ? ああ」

 私たちが立った頃、幽々子達も立ち上がり控室に向かう。

「うちのイナバが面倒になって」
「いえいえうちの妖夢こそ」
「うふふ」
「おほほ」

 そんな訳の分かったような分からないようなやり取りをしながら控室に入る。
 部屋の中には当然二人がいた。
 別々に調弦や尺八の準備をしながら。

「イナバってば」
「妖夢ったら」

 幽々子と二人、そんな呟きを漏らす。
 まあ、大体予想は出来ていたけれど。
 頭を切り替えて調弦を始める。
 次の曲はオーロラ。
 お箏が二面、十七絃が一面、三味線一棹に竹が三本。
 それにしても、あの庭師も一人で竹を二本吹くなんて器用なまねをする。
 やはり半分幽霊だと、人間とは違うものが見えるのだろう。
 珍しいけれど羨ましくはない。十人芸じゃあるまいに。

「用意はいいかしら」
「ええ、大丈夫みたい」

 八雲紫が音頭を取って舞台に上がる。
 調弦はもう済ませてしまった。
 事実上この曲が今年最後の合奏になる。
 後は御負け。付録のようなもの。
 けれど、トリが二人の曲なのも本当。
 演奏会とはまた別の意図の元に用意された舞台だ。
 まあ、細かいことはどうだっていい。
 ただ楽しくお箏を弾ければ、私はそれで満足なのだから。

「続いての曲は、オーロラです」

 何故かアナウンスが入る。
 喋っているのは年嵩の因幡だ。
 あれやこれやとこの曲について解説しているけれど、どうでもいい。
 礼を済ませ、すっと構える。
 始まる合図を聞きながら、意識する前に指が動いていた。
 とても静かな曲だ。
 オーロラとは北極で見ることのできる虹のカーテンのようなものらしい。
 らしい、というのは見たことが無いから。
 けれど薄い薄い羅稜が幾重にも重なっているようで、色は螺鈿に似るそうだ。
 そのように、音を重ねていく。
 各々の楽器の弾き方、特色が重なり螺鈿を成す。
 それは固まることなく空中に音の極光を映し出す。
 単なる幻想だけれど、確かに今ここにある。
 やがて曲が十七絃の独奏に移る。
 そして尺八のみの部分へと。
 それぞれの箇所が、各々のらしさを纏いながらも新しい色を見せていく。
 刻々と変化を絶やすことが無いという、オーロラのように。
 やがて、ぴたりと拍を合わせ演奏が終わる。
 お箏から手をどけて深呼吸をひとつ。
 聞いていたイナバ達からは割れんばかりの拍手が起きていた。
 礼をしてから席に戻る。
 ひとまず今年の合奏はおしまいだ。
 妹紅や他の皆もやり遂げた表情をしている。
 あとは各々で楽しむだけだ。
 緊張の糸がどっと緩む。
 まずはお酒でも一口飲みながら、ゆっくりするとしよう。
 そう思っていると、隣の席に妹紅が戻ってきた。

「お疲れ様」
「あら、お疲れ様ね、妹紅」
「盛大だったな」
「そうね。今年最後だもの」
「次もあるんだけど」
「でももうあんなに気を張らなくてもいいじゃない。次はお囃子でしょう?」
「ん。準備はいいのか?」
「調弦なら舞台上でも出来るわ。いまはちょと緩ませて」
「なんだか前の輝夜に戻ったみたいだな」
「失礼ね。流石にこんなにだらっとして無かったわ」
「楽しそうだな」
「ええ。妹紅は楽しくないの?」
「いや、まあ」
「楽しんでくれなかったとしたら悲しいわ」
「あー、いや。楽しかったには楽しかったんだが」
「が?」
「なんでもない。楽しかったよ」
「なんか、……気持ち悪い」
「何だよ、人が折角」
「妹紅は妹紅で無理しなくてもいいのよ。そりゃ、付き合わせてるのは私だけど」
「別に無理もしてないな」
「そう。優しいわね」
「輝夜」
「そろそろ行きましょう。あと2曲よ」
「ああ」

 私は三味線を、妹紅は篠笛を手に舞台へと上がる。
 他には大太鼓に庭師、小太鼓に永琳、鼓がイナバで摺鉦(すりがね)は一番年嵩の因幡が持っている。
 特別な合図もなく、妹紅が吹き始める。
 皆それに合わせてばらばらに弾き始めるが、それらがきちんと合っている。
 いや、合っていること自体はそれほど重要じゃない。
 ときにはてんで好き勝手に。だけど、みんなでわいわいと騒いで。
 気がついたら因幡達が太鼓や鼓に集まって代わりばんこに叩いている。
 イナバと庭師は自分たちの支度に向かったようだ。
 私も三味線を永琳に変わり、妹紅と笛を交代する。
 少し疲れているようだったけれど、妹紅はとてもいい顔をしていた。
 幽々子達も鼓を打ってみたり太鼓を叩いてみたりと、てんでに楽しんでいる。
 一通りお祭り騒ぎが収まったあたりでお囃子を止める。
 いよいよトリだ。

「ねえ輝夜、ウドンゲはどうかしら」
「どうかしらって、大丈夫でしょう。何度も繰り返し練習していたみたいだし」

 席に戻ると、めくりの文字が変わっている。
 最後の曲は信濃路だ。
 それにしても、永琳は意外と弟子を気にかけるタイプらしい。
 まるで我が事のように気をもんでいる。
 一番年嵩の因幡が、舞台の前で何やら喋っている。
 今日の最後を飾るのは云々。
 そう。きちんと締めてもらわなければ。

「では最後の曲。信濃路です」

 因幡がそう言うと、会場が拍手に包まれる。
 今日の主役たちの登場だ。
 やや緊張した面持ちで、三味線を片手に入ってくるイナバ。
 こちらも負けず劣らず硬くなっている庭師。
 舞台の中心に置かれた座布団にそれぞれ座ると、正面を向いて礼をする。
 それに合わせて拍手が止み、会場はしんと静まり返った。
 静かに楽器を構える二人。
 信濃路は二つの和歌を題材に作られた唄だ。
 最初は、「千曲川」。
 尺八と三味線が鳴り、曲が始まる。
 そしてイナバの声が会場に響く。
 
水篶(みすず)刈る 故郷(ふるさと)はよし 千曲川 清き調べを 弾く人は誰(た)そ

 美篶刈る、は信濃にかかる枕詞。ここでは故郷となっている。
 一秒に一拍程のゆっくりとした拍子で進む曲。
 イナバの声は張りがあって実によく通る。
 ただ音程が合っているばかりではなく、心に残る調子だ。
 一曲目がさらりと終わり、少し間が空く。
 イナバと庭師がチラと目配せし合い、二曲目が始まる。
 二曲目は、「遠山の」。

遠山(とおやま)の 雪消え 冬も去りゆきぬ 新芽(にいめ)のいぶき 童 ふえ冴ゆ

 一曲目とは違って速い曲だ。
 尺八も三味線も勢いがある。
 けれどもイナバの姿勢はぶれていない。声もしっかりと出せている。
 庭師の尺八も乱れない。
 それどころかイナバと息がピタリと合っている。
 想像以上によくできた曲だった。
 下の句を二度繰り返して唄い、二曲目が終わる。
 礼をして戻ってきたイナバに声をかける。

「お疲れ様。よかったわよ」
「ありがとうございます」
「ええ、よく頑張ったようね、ウドンゲ」
「師匠」

 イナバは泣きそうになっている。
 庭師はと見れば、あちらはあちらで幽々子や紫となにやら話している。
 労いの言葉をかけられているのだろう。いい笑顔だ。
 無事演奏会も終わったことだし、一度この場を締めよう。

「皆様大変にお疲れ様でした。本日の会は一旦ここでお開きとしたいと思います。また来年会うことを今から楽しみとして、お箏の会を閉じます。お疲れ様でした。よいお年を」

 そうしてやっと肩の荷が下りる。
 ぺたんと座布団に座ったところに、紫と幽々子が訪れる。

「お疲れ様。楽しかったですわ」
「そうねぇ。また来年もやりたいわぁ」
「ええ。今度はここではなくてどちらかのお屋敷でお願いしたいものね」
「私は春にやったわねぇ」
「じゃあ、私かしら。そんなに広い家では無いですわよ」
「あら、紫の寝室は結構広かったじゃない」
「寝室は勘弁願いたいですわ」
「ですって。次も幽々子のところでいいんじゃないかしら」
「そう? じゃあ、来年のお花見はまたうちでやるのね。いまから楽しみだわ」
「幽々子が楽しみなのは花よりお団子でしょう。涎が垂れそうですわよ」
「あらまあ、はしたないわ」

 笑いながら口元を拭うふりをしている。
 いつまでもこの調子なのだろう。

「では、私は失礼致しますわ。用事も控えていることですし」
「用事と言っても紫の場合は冬眠でしょう。その前に送って行ってくれないかしら。今日あたり降りそう」
「あら、初雪? よく分かるわね」
「亡霊にも寒いと思えるくらいの気温ですもの。きっと降るわ」
「そう。丁度いいのか悪いのか」
「では、失礼しますわね」
「せめて玄関から出てもらえないかしら。形だけでも」
「あら、そうでしたわね。失礼」

 言いながら、式を呼ぶ。
 幽々子も庭師を呼んでいる。
 そういえばイナバはと見てみると、庭師と手を取り合って喜んでいた。
 あら、あのイナバは可愛いわね。
 いつもああいう顔をしていればいいのに。

「お呼びですか」
「そろそろお暇するわよ。お友達に挨拶してきなさい」
「はい、では」

 庭師はそれだけ言うとまたイナバと何事か話している。
 若いっていいわね。

「では、一足先に玄関へ」
「ああ、送るわ」

 幽々子が襖を開けて出ていくので後を追う。
 廊下を歩きながら、あれやこれやと他愛もない会話で盛り上がった。

「それにしても、誘ってくれてありがとう。感謝しているわ」
「あら、誘ったのは紫でしょう」
「あなたが紫以外とも合奏したがっていると聞かされたのだけど」
「あら、そう。紫らしい物言いだけれど」
「違ったのかしら」
「いいえ。そういう言い方をすれば確かにそうなるわ」
「何か?」
「紫って冬の間あまり出てこないじゃない。だから、私が退屈しているとでも思ったんじゃないかしら」
「ああ、それで」
「新年は春の海でも弾きましょうか」
「いいわね。海辺の巌」
「ええ。二人きりだけど」
「もともと二人で弾く曲じゃない」
「それもそうね」

 うふふと笑い合いながら玄関に着いた。
 履き物を履いて、戸を開け見送る準備をする。

「幽々子様、お待たせいたしました」
「あら、もう少しゆっくりしていても良かったのよ」
「いえ、きちんと挨拶を済ませて参りましたから」
「そう。紫は?」
「永琳さんと何かお話していたようですが」
「あら、紫にはあんまりのんびりしてほしくなかったのだけれど」
「ああ、幽々子。当たりよ。降ってきたわ」
「ええ? あら本当。雪ね」
「もう冬なのね」
「ええ。顕界でこれなら冥界はきっと積もっているわ」
「ああ、樹の冬囲いがまだなのに」
「明日一番に済ませなさいね」
「はい、畏まりました」

 慌てふためく庭師と、その様子を優しく見つめる幽々子。
 これもいい関係だ。

「呼ばれて飛び出てぇ」
「呼んでないわぁ」
「飛びだしてもいないですし」
「ああん、冷たいですわ」

 そんな二人の前に、ぬっと八雲紫が現れる。
 相変わらず胡散臭いが、以前のような不快感はない。

「それでは、今日はお邪魔しました。また来年お目にかかれることを祈っていますわ」
「ええ、それじゃあまた」
「らーん、置いていくわよ」
「待って下さい。荷物が……」

 むこうから大荷物を抱えて金色のもふもふしたのが近付いてくる。

「ほら妖夢」
「はい」

 言われ手伝いに行くが、お箏が二面に十七絃が一面だ。
 二人で持つにも少し荷が勝ちすぎる。

「仕方無いわね。ほら」

 そう言うと、紫が二人の足もとにスキマを開く。
 突然出来た落とし穴に落ちる格好になった二人は、悲鳴を残して消えて行った。

「大丈夫かしら」
「大丈夫よ。藍も妖夢も頑丈だから」
「いえ、お箏」
「そうですわね。傷でもついたらお折檻かしら」
「それはまた理不尽ねぇ」
「いいのですわ。しつけは厳しくしなければ」

 そんな事を言いながら、二人入れる大きさのスキマを開く。

「では、また来年。ご機嫌よう」
「ええ、また。よいお年を」
「楽しみにしているわぁ」

 玄関からと言ったら、本当に玄関をでたほんの少し外にスキマを開いて帰って行った。
 律儀なわけではない。単にお道化ているのだろう。
 やれやれと伸びをしながら振り返ると、そこには普段着に着換えた妹紅がいた。

「もう帰るのかしら」
「ああ。いい時間だしな」
「今日も泊まっていけばいいのに。寒いわよ」
「今夜こそ腹を切り開かれそうだ」
「肝が冷えるわね」
「ああ。今日は楽しかった。ありがとな」
「あら、別にお礼なんて」
「じゃあ」
「ええ。また明日」
「は?」
「あら、つい癖で。もう終わったのよね」
「そうだな」
「暇ならいつでも来ていいわよ。久しぶりに相手をしてあげるから」
「退屈で死にそうになったら来てやるよ」
「そのまま死ねばいいのに」
「断る。生憎私は死ねないんだ」
「あら奇遇ね。私もなの」
「まあ、そのうちにな」
「ええ。また」

 手を振りながら妹紅が出ていく。
 私はじっとそれを見つめる。
 はらはら舞う雪に紛れても、妹紅の姿は消えないように思えた。
 なんだかもう毎回初めましてでいいような気がしてきました。
 三度目まして。ヰと申します。
 実はプチにも一回投稿してますが、まあそれはそれ。
 まずはお疲れ様でした。こんなに長い文章を読んで頂いてありがとうございます。
 終りに近付くにつれてgdgd度が上がっています。
 山も落ちも意味もありません。やおいですね。やった、やおいが書けるようになったよ。
 喜べないです。ただでさえ単調だのまわりくどいのと言われているのに。
 馬鹿なの? 死ぬの?
 過去最長です。と言っても投稿数もたかが知れているのであまり意味は無いですが。
 こんな分かりにくい話を読んで頂いてありがとうございます。
 少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
 弾いたことのない楽器をネタに書くんじゃなかった。
 とヘボ尺八吹きが申しております。

追記:誤字報告有難うございました。
   ここ数日バタバタしていて、対応が遅れました。申し訳ありません。

※参考までに(6/29追記)
 「雪月花によせて」はようつべに動画があるようです。
 お箏だけの編成のと三曲合奏の動画を確認しました。
 他にもあるかもしれませんが見つけられませんでした。
 気になった方がいらっしゃいましたら、どうぞ。

http://hachisuba.blog122.fc2.com/
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
読んでいるとあまり雅楽などに詳しくない自分が悔やまれますね。
情景を想像するのが非常に楽しかったです。
5.100j削除
すごく良かったです!
15.100名前が無い程度の能力削除
最高としか言いようがない。

この雰囲気超好き。楽しませていただきました。
18.100名前が無い程度の能力削除
感無量。最高でした。
20.90道標削除
和楽器の知識がない為、作者様の描き出した光景がきちんと想像出来ず、其処が少し残念に思いました。
加えて、季節の廻りがさらりと流れていっているので、風景も追い付かず……あぁ、悔しい。
台詞の応酬は前作と変わらずテンポよく、登場人物の数だけ増え、より一層楽しめました。
特に、鈴仙と妖夢がじれったくてじれったくて。そんな所ばかりが思い浮かぶ。
面白いお話を、ありがとうございました。

誤字の報告。
「だから人間なのよ。在り続けるだけで。在り方を変えられい貴方達とは違う」
変えられい→変えられない、でしょうか。
22.100名前が無い程度の能力削除
むーー。なんというか・・・
楽器に対する造詣が深いようでうらやましいですね。

後半はてるもこだったけど、それだけではない部分も多く楽しめました。
これはもっと評価されてもいいなぁ。
23.無評価名前が無い程度の能力削除
誤字報告

さこは流石→そこは流石
24.無評価名前が無い程度の能力削除
誤字報告

× さこは流石
○ そこは流石
27.無評価削除
コメント返信です。
よーし、パパ全レスしちゃうぞー。
とか言ってんの。見てらんない。

名前が無い程度の能力 ■2009/06/25 08:55:12 様
 雅楽は私も詳しくないです。
 でも、楽しんで頂けたようで何より。


j ■2009/06/25 12:35:40 様
 ありがとうございます。
 なんだか馬から落ちて落馬するくらい心があたたかハートウォーミングです。
 
名前が無い程度の能力 ■2009/06/26 02:55:39 様
 雰囲気って、結構難しいですよね。
 ついふいんきって言ってしまいます。嘘ですけど。
 そういう難しさでは無い、と。

名前が無い程度の能力 ■2009/06/26 16:13:22 様
 感無量ですか。なんだか褒められすぎて照れてしまいます。
 ところで感無量って結構古い語彙ですよね。
 いや、人のことは言えませんが。

道標 ■2009/06/27 00:43:35 様
 毎度レス下さいましてありがとうございます。あなたの作品大好きです。
 危惧していたことが現実に。ががん。
 和楽器の知識を前提としないように頑張ったつもりなのですが、力不足でした。すみません。
 季節があっさり流れ過ぎてるのは、題材の選び方の問題かなと思います。もっと丁寧に書けばよかったかしらん。
 台詞は書いてて楽しいです。台詞だけにしたいです。筆力足らんので出来ませんが。
 書きながらうどみょんに目覚めかけました。てるもことゆかゆゆにはとうに目覚めてます。

名前が無い程度の能力 ■2009/06/27 23:53:06 様
 実は書きながら自分の知識の無さに苦しんでました。
 結構な部分を『春の海 宮城道雄随筆集』(千葉潤之介 編  岩波文庫緑168-1)を参考にしています。
 盲人独特の感性が垣間見えて、非常に興味深いですよ。
 色々な個所を楽しんで頂けたようで、SS書きとしては本当に有り難いことです。
 
名前が無い程度の能力 ■2009/06/28 02:41:07 様
名前が無い程度の能力 ■2009/06/28 02:41:55 様
 同一人物でしょうか。もし別人でしたら、君達結婚しちゃいなYO!
 すみません、調子に乗りました。
 訂正しました。ありがとうございます。
31.100名前が無い程度の能力削除
人物どうしの絡みが素晴らしかったです
34.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷に箏の音が響きわたる幻聴を聴いた……!!
豊かで広がりがある、そして非常に雅やかなSS、読み応えがありました。
出自や背景を考えれば輝夜や幽々子、そして妹紅も貴人なのですよねえ。いやあ優雅なこと優雅なこと。
生真面目さが愛らしいうどみょんと、ツンデレ妹紅が可愛いてるもこも良かったです。
心が洗われるような素敵なものを読ませていただきました。
37.100名前が無い程度の能力削除
最後までいい雰囲気でした。
もこたんかわいいよもこたん。