Coolier - 新生・東方創想話

新月の般若湯と偽満月

2015/06/18 03:45:23
最終更新
サイズ
6.02KB
ページ数
1
閲覧数
2234
評価数
5/24
POINT
1360
Rate
11.08

分類タグ

 「本当の悟りに至った覚者であれば、酒などに呑まれて不義を為すことは決してないはず。だから私は酒を飲んでは己の弱い心と向き合い、酒に呑まれることのない強い心を得ようと日々頑張っているのです」

一輪は夜雀の店でいつもの仲間と酒を呑んでいた。
そこを聖に見つかり、説教が始まったところで、一輪がとっさに発したのが件の妙に強気な言い訳である。

 「仮に酔って間違いを起こしたとすればそれは私の心が弱いため。間違いについての拳骨は覚悟していますが、酒を飲むことそのものが悪いわけではない以上、飲酒を咎められるのは筋違い」

 それを傍で聞いていたぬえとマミゾウは一輪の理屈におおーと声を上げて感心した。
 酒飲み仲間の彼女たちは聖に飲酒の現場を押えられた場合、一輪が問答で時間を稼いでいるうちにぬえとマミゾウが目の前の一升瓶の酒をできるだけ味わい尽くすのが常であった。
 一輪が稼いだ時間の長さに応じて、後日の飲み会で一輪は2人から奢ってもらうという寸法である。
 この間は瓶の半分もいけなかったが、今回はことによると全部呑み干せるかもしれない。

 だが聖も余裕で返す。

「これ、一輪。仏陀は悟りを得るまで絶食し、滝に打たれ、自分を痛めつけることで悟りを得ようとしたというではありませんか。しかし結局苦行では真理にたどりつくことはできないと分かり、村の娘の差し出したミルク粥を食べて身体を整え、菩提樹の下で悟りを開いたのです。般若湯は身体を冒し、精神と身体のバランスを乱すものです。未だ悟らざる身であえて般若湯を飲むなど、悟りの道から遠ざかるだけですよ」

 仮にも仏門の徒、一輪。仏陀の有名な逸話を持ち出されては、なかなか抗弁しがたいものがある。
 むむむと唸りながら雲山に無言で視線を送るが、雲山は悟ったような表情で聖の小言が過ぎ去るのを待つばかりである。

 「おい、マミゾウ。形勢が不利だ」ぬえが眉をよせ、隣りの古だぬきの肩を小突く。
 「まあまあ。我々は仏陀のごとく苦行と思って呑んでいるんじゃない。むしろ仏陀にとってのミルク粥とは我々にとっては酒じゃ。悟りの道には、ほどほどに楽しさも必要ってのがその逸話の教訓じゃろが?」

 これはマミゾウの言い分であった。相手の持ち出したたとえ話を逆手にとってやり込める見事な返しである。
 伊達に佐渡の狸の大将をしていたわけではない。だがそれがかえって聖の怒りに油を注いだ。 

 「あら、貴方もそのような禅問答にも満たない屁理屈をおっしゃるのですね? 問題はミルク粥と酒の違いを心身に及ぼす影響という点で冷静に見極め、中庸たるを知ること。その区別を放棄することは詭弁にすぎず、仏の教えにかなうものではないことぐらい分かりそうなもの」

 こうなれば売り言葉に買い言葉。命名決闘で決着をつけるしかないということになった。
 憐れな夜雀の店主は客同士の喧嘩を止めるに止めれず右往左往。
 ぬえはいつものことだから大丈夫とにやりとした笑みを彼女に向け、隣の席にそーっと戻ってきた一輪のお猪口にこの店一番の名酒・雀酒を注いでやる。一口飲んで「うん、これは良いお酒だわ」と一輪。現金なもので、そのまま八目鰻を肴にぐいぐい飲み進める。

 決闘は、小休止も挟みながら半時ほども続いた。
 結局、マミゾウが化けた茶釜を聖がバイクで無慈悲に轢いたところで、ちょうど聖の頭にUFOっぽい何かが落下して来て、うやむやのうちに引き分けとなった。
 それでオチがつき、くたくたになった聖が屋台のカウンターにマミゾウと一緒に座る。
 ぬえと一輪はとっくに酔い潰れて可愛い寝息を立てている。
 聖はきちんと一輪たちを叱るのは明日にしましょうと静かに言った。
 マミゾウはそれを合図とみて雀酒の入ったお猪口をぐいと差し出す。

 「お前さんも肩ひじ張らずにたまには酒を呑んだらどうじゃ。ほら、どこかの半霊のじいさんも言っておったろう。『飲めばわかる』と」
 「初耳です。ともかく私が飲むと飲酒運転になってしまいますから。弟子たちにも示しがつかなくなりますし」聖は勧められたお猪口を丁寧に辞すと、バイクのハンドルを握るような仕草をしてふふふと笑った。

 「ははは、冗談を言うのお……。なあ、本当はお前さんは暴れるのが好きなんじゃろ。酒だって好きな性質とみた。あのバイク、ターボババアなんてオカルトを使っとるのがその証拠じゃ。ところが何かがそれを邪魔している。昔何かあったのかい」マミゾウは核心を尋ねた。丑三つ時の人里の外れ。鳥頭の店主しかこの話を聞くものはいない。

 「それを分かっていながら酒をすすめすなんて、悪い人ですね」聖ははっきりとは答えなかった。

 「狸じゃからな」マミゾウもおどけて返す。

  かつて聖白蓮は人間と妖怪の平等を説き、人間たちに地底に封じられるに至った。
 つい最近まで弟子たちは散り散りになり、不遇に甘んじていたという。だが、封印されるまでに具体的に何があったのか、マミゾウは寺に来てから一度も尋ねたことはない。

 かつて弱い妖怪たちが人間たちの手で危機に陥り、聖は選択を迫られた。
 妖怪を見捨て人間とうまく付き合っていき寺を存続させる道、妖怪を助け人間と対立することで寺や弟子たちの立場を危険にさらす道。
 聖は今日のような月も出ていない夜に、独り自室で酒を呑みながら、弱い自分を叱咤激励して決断を下したに違いない。
 だが、その結果に彼女は後悔を重ねていたのかもしれない。あのとき、私が暴走していなければ、と。

 むろんこれはマミゾウの勝手な想像である。
 だが同じく上に立つ者として、マミゾウには聖の過去にそんな夜があったような気がしてならなかった。
 狸の総大将でありながら好き勝手する術もうまく身に付けられた自分とは違い、聖は少し責任感が強すぎる。 

「大人は大変じゃな」
「そうですね。でも弟子たちが育ってくれるのは本当に嬉しいですから」
「ふむ。それにしてもずいぶん酔ったせいで眠たくてかなわん。儂は今からここで寝るとしよう。起きたときにこの杯が空になっていようがいまいが、儂が知ることではないぞい」そういうとマミゾウは返事も聞かず、カウンターに突っ伏してすぐにぐうぐうと寝息を立て始めた。

「きっと狸寝入りなのでしょうけど、でも、ありがとう」聖は目元をぬぐうと、お猪口をそっと口に運んだ。
 
 ここで戒律を曲げるのは、徳を以て接してくれた友人に応えるためであり、けっして住職が古だぬきに偽念仏を教わるようなものではないのだと、自分に言い聞かせながら。

 仏陀も衆生を救うため、自らの教えを方便として分かりやすく、時には誤りも含む形に翻訳して伝えたこともある。
 聖にとって仏の道とは結局よりよく生きるがためのもの。そのためには方便も使うし拳も使う。だが、なにがより良い方便なのか、何をすべきなのか、いまだ悟れておらず新月の夜のような迷いの中にある。

 聖は夜の暗闇を見つめながら、月のない晩、僧侶が満月に化けた狸に化かされる昔話を思い出していた。あれは僧侶が狸が化けたのを見破ってからかったがために狸が可哀想な目に遭う落ちだったか。狸と僧侶の間にあるユーモラスな関係を、いまの聖は壊したくはなかった。

 ずいぶんと久しぶりなお酒の味は、ふわふわと身体が浮かび上がるような心地だった。
 やっぱり化かされちゃったかも、と聖は誰ともなくつぶやき、店主に美味しいですと笑いかけた。
 明け方からやたらとハイテンションで雀踊りを踊る命連寺の妖怪が目撃され、その中に人格者で知られる寺の住職もいたらしいと人里で噂になったのはまた別の話。この失敗の後、禁酒令はふたたび厳格化されたそうな。

 なぜかお寺には狸がつきもの。鈴奈庵の小噺でもそうですが、昔話はこの取り合わせ定番ですよね。
 
よみせん
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.900簡易評価
1.100かんなのこ削除
素晴らしい作品との出会いに感謝。
3.100名前が無い程度の能力削除
こういう話読みたかった
5.70名前が無い程度の能力削除
聖りん多分モンクタイプだから形を重視すると思う
宗教なんて暴力以外の日常じゃあ形に需要の大半があるハズだし形を重んじるから宗教だと思うし
あと酒を単純に避けるべきって考えは世界中の歴史の中で見受けられしかもそこそこ成功しているからそういう考えも案外馬鹿にならない
だが禁酒法、てめえはダメだ

13.100名前が無い程度の能力削除
聖が頑なに飲酒を禁止している理由は確かに気になりますね
彼女の経歴からしたら「飲酒も世のならい」と許してしまいそうなのに
20.90名前が無い程度の能力削除
好み