Coolier - 新生・東方創想話

朱鷺色の未来

2010/01/16 17:53:36
最終更新
サイズ
19.91KB
ページ数
1
閲覧数
1457
評価数
20/77
POINT
4640
Rate
11.96

分類タグ


 式神とは使役者の命令通りに動く道具の事である。“式”とは“用いる”という意味であり、式神とは神を使役する事を現している。
 神と言っても巫女が降ろす格の高い神霊などの事ではない。動物や妖怪変化の類に式を打ち、使役するのが式神である。
 この幻想郷にも式を使う人間や妖怪が存在する。同様に外の世界に於いても式神は存在し、使役されているのだ。
 現に僕の店には外の世界の式神「コンピュータ」が置かれている。あれこれ考えたが結局コンピュータの使い方は判らなかった。いや、そもそも現時点で僕に使える筈が無いのだ。
 僕はコンピュータの埃をサッと払い、書棚に目を移す。そしてそこにある十五冊セットの本に手を伸ばす。

 ──カランカラン。
 その時店の扉が開く音がした。僕は入って来た人物を見て「いらっしゃいませ」と言おうかどうか躊躇った。
 そこには見覚えのある小さい女の子が立っていた。黒っぽい服装をし、頭と背から生えた朱鷺色の翼が印象的なその少女。
 そう、かつて霊夢に襲われ、本を強奪されたあの妖怪だ。
 女の子は黙ったままジッと僕を見つめている。今更何の用件があると言うのだろうか。
 彼女の視線が僕の手を伸ばした先に移動した。そこにあるのはかつて彼女が所有していた三冊を含む十五冊の本だ。
 このタイミングでこの来客とは。そういえば今日は茶柱が一本も立たなかった事を思い出した。読み終えたとはいえ、本を返す気は毛頭無い。返すも何もとっくに僕の物なのだが。
「いらっしゃい。何かお探しですか?」
 僕は本から手を離すと素知らぬ顔で少女に話し掛けた。
「その本……」
「おや、この本に目を付けるとはお目が高い。先日漸く全巻揃いましてね。今なら全巻セットで非常にお買い得な──」
「うう、酷い……」
 商品の解説を始めようとした所で何故か彼女が泣きだした。何か辛い事でもあったのだろうか。恐らくあったのだろう。今目の前で。
「まあまあ、泣くのはお止しなさい。君がこの本を手に入れる事の出来る方法が無い訳ではない」
「グスッ、なに?」
「方法は二つ。一つは代金を払って手に入れる方法だ」
「お金持ってない……」
「だろうね。二つ目はお金以外の対価を払う方法だ」
「対価?」
「ああ。この商品と見合うだけの価値ある物と物々交換するんだ」
 とはいえお金を持ってないこの妖怪の少女が何か価値のある物を持っているとは到底思えなかった。
 いつかの幽霊使いの少女同様に何かしら肉体労働をさせても良いのだが今の所やってもらう様な事は何もない。
 それに僕は最初からこの本を手放す気など全く無いのだ。
「それならあるわ!」
 そう言うと彼女は自分のスカートを勢いよく捲り上げた。
「ちょっと待て、何で払う気だ?」
「これよ!」
 彼女はスカートの中をゴソゴソとまさぐり、そこから一冊の本を取り出した。この少女は何処に何を仕舞っているのだか。
 僕は「ちょっと拝見」と言ってその本を受け取る。本は妙に生暖かかった。
「ふむ、どうやらこれも外の世界の魔術書の様だね」
 少女は「どうだ」と言わんばかりに自慢げに無い胸を反らしている。
「面白そうな本だが、これ一冊ではあの十五冊と釣り合いは取れないよ」
「全部じゃなくていいのよ! 私が持ってた三冊だけ返してよ!」
「生憎とバラ売りはしていないんだ。交渉は決裂のようだね」
「うう、しくしく……」
 そう言うと彼女はまた泣き出した。きっと辛い事でも思い出したのだろう。可哀想に。
 とは言えこれではまるで僕がこの娘を苛めているようでどうにも気分が悪い。そこで一つ妥協案を出す事にした。
「仕方ない、特別に十五冊全部読ませてあげようじゃないか」
「本当!?」
 彼女はパッと顔を輝かせた。こうして見ると結構可愛らしい顔立ちをしている。
「代わりに君のその本を読ませてくれ。それが条件だ」
 彼女は十五冊の本を読んで満足し、僕は商品を失う事なく新たな知識を得る事が出来る。双方にとってこんなに素晴らしい条件があるだろうか。
 本が自分の手に戻る訳ではないと判ると彼女は不満の声をあげたがそこは無視した。
 それにしても何故彼女は外の世界の魔術書に興味があるのだろうか。僕でさえ完全に理解出来なかった本の内容を彼女が理解出来るのかは甚だ疑問だ。
 恐らく文字列が面白いとか挿絵が綺麗とかそんな理由であろう。本を読んでいる間は実に大人しいのでしばらく放っておく事にする。僕も読書に集中する事が出来る。




 読書を楽しんでいる内にすっかりと日は落ち、窓から見える外の景色は夜の帳に包まれていた。
 僕は読書に夢中の朱鷺色の羽に向かって「まだ帰らないのかい?」と問うと「もう少し」という答えが帰って来た。
 彼女が夢中になって読んでいるあの本のタイトルは「非ノイマン型計算機の未来」という。
 僕なりの考察だがこの本は外の世界の高名な魔術師「ジョン・フォン・ノイマン」が編み出した術式とそれに代わる新たな術式について記されたものである。
 このノイマンという魔術師が作り出した式の操り方はとても画期的なものらしく、外の世界の式神の殆どはノイマン型と呼ばれる術式で動いているらしいのだ。
 式神は基本的に使役者の命令通りに動く物だ。あらかじめ指示を出しておけばその通り忠実に、そして確実に命令を実行する事が出来る。これが外の世界で言うノイマン型の式神らしい。
 だが指示を出していない事柄や式神が全く知らない事象に遭遇した場合、自分で考え、行動する事が出来ない。つまり自律行動が出来ないのだ。
 このコンピュータと呼ばれる式神は道具の様な物で生きている式神とは違う。恐らく式を打つ事で仮初の命を与えられ活動出来る様になるのだろう。
 それが原因かどうかは判らないが外の世界ではノイマン型に変わる新たな術式を用いた式神の研究が行われているらしい。
 幻想郷の住人である僕が外の世界の魔術を使う事は極めて難しいだろう。
 僕がコンピュータを式神として扱える様になるには外の世界に行きその方法を習得するか、ノイマンの術式が幻想になるのを待たなければならない。
 今こうして幻想郷に居る僕には『現時点で使える筈が無い』魔法なのだ。
「どうだい、面白いかい?」
 僕は夢中で本を読む少女にお茶の入った湯呑を差し出した。
「ありがとう。あの三冊だけでは判らない事がいっぱいあったから」
「それで、何か判ったのかい?」
「この本に書いてある非ノイマン型の式神って自分で物事を判断して勝手に動き回る式神の事だよね?」
「ん? ああ、ニューロコンピュータとかDNAコンピュータとか呼ばれているやつの事かい?」
 幻想郷の式神の多くは非ノイマン型と言えるだろう。元が動物や妖怪の類なので自分で物を考え、学習する事が出来る。
 つまり僕の知っている幻想郷の式神は外の世界の進んだコンピュータに当て嵌める事が出来る。
 幻想郷より進んでいる筈の外の世界の式神が、どういう訳か幻想郷の式神より遅れていると言うのだ。外の世界の魔術は本当に謎が多い。
「なら変じゃない。式神は使役者の命令通りに動く事で使役者と同等の力が発揮出来るんでしょ。自分勝手な行動をしては本来の力が出せなくなる筈だわ」
「……なんだって?」
 何という事だろう。彼女は字が読めるうえに内容をちゃんと理解しているではないか。加えて実に的を射た事を言っている。
 ならば非ノイマン型よりノイマン型の式神の方が力は上なのではないだろうか? ならば何故外の世界では非ノイマン型の式神が未来の式神として研究されているのだろうか。
 僕は目の前にちょこんと座っている少女の顔をジッと見つめた。
「な、何?」
 彼女は頬を朱鷺色に染めながら僕の顔を見つめ返した。
「驚いたな。しかし君は何故本外の世界の魔術書に興味があるんだい?」
「……好きだから。貴方は違うの?」
 単純に好きというのもあるが、それだけではない。僕はもっと色々な事を知りたいのだ。外の世界の道具、魔法、歴史、まだ自分の知らない多くの事を。
「君はただ好きという理由で読んでいるのかい? だったら別に外の世界の本じゃなくてもいいんじゃないのかい?」
「……貴方はどうして外の世界の物を集めているの?」
 質問を質問で返すなと言いたくなったが相手は子供(?)である。僕は仕方なく理由を話してやる事にした。自分の能力の事、そしてこの能力を活かすには未知の道具を扱う事が最も適している事を。
「貴方はそうやって一人で外の世界の本を読んで来たんでしょ? 寂しくなかったの?」
「寂しいだって?」
 これまでそんな感情を抱いた事など無かった。外の世界の道具を集め、外の世界の本を読む。それだけで僕の心は満たされていたのだ。
 元々一人で居る事の方が好きなのだ。寂しいなどという感情が湧いて来る筈が無かった。
「私は、寂しかったから……」
「ん?」
「私は、一人が寂しかったから……」
「あー、その話は長くなるのかな?」
 僕は自分語りを始める彼女へ露骨に嫌そうな表情を向けた。蘊蓄を語るのは好きだが人の長話を聞くのはあまり好きではない。
 すると彼女は「あなたが聞いてきたから話してるんでしょうが!」と怒鳴り散らしてきた。実に感情の起伏が豊かな娘だ。見ていて飽きない。
「私ね、ずっと見てたの。森で一目見た時から、貴方の事ずっと」
「……僕の事を?」
「うん。一人で変な道具を集めて、一人で誰にも理解出来ない本を読む貴方の姿を」
 ランプに照らされた少女の顔がどこか神秘的に見えた。真っ直ぐな瞳で僕を見つめている。
「他の人から見たらさぞかし変な様子だったろうね。それとさっきの質問とどういう関係があるんだい?」
「誰か一人くらい同じ世界を見てる人が居てもいいかな、と思って。だって、一人は寂しいから……」
 僕の為とでも言いたいのだろうか。それは要するに自己満足の為でもある。素直に自分の為と言えばいいのに僕を出しに使うとは。僕は少しこの娘を苛めてやる事にした。
「知った風な口を利かないでくれ。君が僕の何を知っているっていうんだい?」
「あ、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
「勝手に可哀相な奴扱いした上に同情かい? それこそ余計なお世話というやつだよ」
「ち、違う! 私は……」
 一気に捲し立ててやると彼女は目に一杯の涙を溜め始めた。勿論本気で怒ってる訳ではない。だが少し苛め過ぎたか。
「ああ、いや、すまない。少し言い過ぎたね」
 僕は涙が零れそうになった少女の顔に手巾を押し付けた。彼女は顔をゴシゴシと拭い、最後に思いっきり鼻をかむとその手巾を僕に付き返して来た。
「……いや、それは君に進呈しよう」
 少女は「ありがと」と言って手巾を折り畳み、スカートのポケットに仕舞うと再び僕の顔を見つめてくる。
「ある日ね、一冊の本を拾ったの。それはある人が落とした物で、外の世界の事が書いてあった。最初は訳が判らなかった」
 僕は「そうだろうね」と相槌を打つ。
「それは私が知っている外の世界の知識とは全く違うものだった。高度な技術、高度な魔法を持つ全く未知の世界。でも私はその人と同じ事が知りたいと思った。共有出来る何かが欲しかった。だから外の事について調べ始めたの。でも、皆は一人本を読む私を、外の世界に関心を向ける妖怪を受け入れてはくれなかった……」
 僕は自分以外にもこんなにも外の世界に興味を示している者が居る事に少し驚いた。しかもこんな妖怪の少女が、である。
「それは仕方のない事だ。知っての通り妖怪は外の世界では幻想となりつつあるからね」
 だが僕は違う。僕ならば外の世界に行ってもその知識を吸収し、生きて行けるという自身がある。僕の半分が人間である限りは。
「……ん、ちょっと待ってくれ。その本を落とした人と言うのはひょっとして」
「貴方よ」
「そうか」
 全く記憶に無い事だった。実際これまでに多くの本を拾って来た。そのうちの一冊くらい無くしていたとしても余程僕の興味を引く物でもない限り一々覚えていないだろう。
 この少女はそんな大した価値の無い本の為に努力をして来たと言うのだろうか。
「だったら、もっと早くに僕に接触していれば良かったんじゃいのか? 何故今更になって?」
「それは……自信が無かったの。出来れば貴方と対等に話がしたかった。知識が足りなければ貴方は私に興味を示さないと思ったから」
 確かにそうかもしれない。今回にしても僕が興味を抱いたのは彼女自身ではなく彼女の持つ本である。だが今はこうして彼女が僕と議論を交わせる域にある事が証明された。現に僕は少しだけ彼女に興味を抱きつつある。
「それで、つまり君が外の世界の魔術書に興味を持った理由は僕が落とした本が原因という訳だね」
 そう言うと少女はぽかんと呆れた様な表情を見せた。
「……は? 貴方、今まで何を聞いてたの?」
「君の話だが?」
 かと思うと顔を伏せ、肩をわなわなと震わせ始めた。
「どうしたんだい? お腹でも痛くなったのかい」
「今の話聞いてれば判るでしょ!? す、す、す、好きなのよ!!」
「ああ。だから外の世界の本が好きな事は良く判ったよ」
「わざとはぐらかそうとしてるの!? そうなのね!? そうなんでしょ!! そうって言いなさいよ!!」
 少女は物凄い剣幕で僕に詰め寄って来る。やはり好きな本を僕に奪われた事が相当頭に来ているのだろうか。
 だがここらでハッキリと言ってやらなければならない。僕は詰め寄って来る彼女の手を掴み、真顔で言い放った。
「悪いが、もう僕の物だ。手放す気はない。君が何と言おうともだ」
「…………へ? え? え!? ええええ!?」
 どうやらあまりのショックに少しパニックを起こしてしまったらしい。「そんな突然」だの「そんな強引に」だの呟いている。可哀相だがこういう事はハッキリとしておかなければならないのだ。
 少女は深呼吸を繰り返し息を整え、やっとの事で落ち着いた様子だった。そして上目遣いで僕の事をおずおずと見つめてくる。さっきから表情がコロコロ変わって実に面白い。
「も、貰ってくれるの?」
 僕は先程まで読んでいた本を見つめる。この本を譲ってくれると言うのだろうか。何の見返りも無しで大事な本を譲ってくれるとは思えない。恐らく何か裏があるのだろう。
「貰えるのなら有難く頂戴するが……代わりに何を求めるんだい?」
 その問いに答えるかのように、少女は人差し指を僕に向ける。他の商品ではなく明らかに僕を指している。
「……僕か?」
 少女はこくりと頷く。何かの冗談だろうか。僕は思わず苦笑する。
「はは、僕に君の式神になれって言うんじゃないだろうね?」
「式神とは少し違うんだけど……」
「いいだろう。僕にくれると言うのなら一度だけ君の命令を聞いてあげるよ」
「い、一度だけ?」
「君の大切な物だと言う事は理解している。だが一度だけだ」
「私の大切な物を貴方に……」
「但し、僕に実現不可能な事や釣り合いの取れない様な命令は不可だ。その判断は僕が下す」
 例えば「この店をくれ」とか「一生奴隷になれ」等の命令は当然認めない。嫌な事は難癖付けて全て不可とすればいい。彼女には悪いが完全に僕に有利な条件だ。
「う、うん。私の大切な物……貴方にならあげてもいい。でも、その代わり強く抱き締めて」
「ん? そんな事でいいのかい?」
 少女は顔を真っ赤にしてこくりと頷く。一体何を考えているのか理解出来ないが、そんな事で本が手に入るのなら安いものだ。それで済むなら二回でも三回でも抱き締めてやりたいくらいだ。
 僕は彼女に一歩近付き、肩に手を掛ける。何故か緊張している彼女の体がビクッと震える。
「ちょっと待って! こ、ここでするの!?」
「別に何処でだっていいじゃないか」
「ま、待って。まだ心の準備が──」
 何か言い掛けた彼女の体をギュッと抱き締めてやる。緊張していた彼女の体からフッと力が抜けるのを感じた。温かい体温が直に伝わってくる。
 女の子というのはこんなにも柔らかく温かいものだったろうか。非力な僕でももっと力を込めたら壊れてしまいそうだ。
 久しく忘れていた心地良い感触にしばし時間の経つのを忘れ、僕は少女の体を抱き締め続けた。
 抱きあった僕達の姿がランプに照らされ、その影が店の壁をキャンバスに大きく描かれている。
 ふと彼女の体の異様な脱力感に気付き、体を離してその表情を窺った。
「眠っているのか?」
 何とも器用な妖怪だ。彼女は僕に体重を預け、立ったまま寝息を立てていた。その寝顔は安らぎに満ちている。
「やれやれ」
 僕は溜息を付くと彼女の体を抱き抱え、店の奥の寝室へと運ぶ。
 布団を敷き、少女の体を横たえた。いつもなら叩き起こして追い出している所だが、この幸せそうな寝顔を見ている内に腹立たしさも失せてしまった。
 良く見ると彼女の服は所々ボロボロで継ぎ接ぎだらけだ。以前霊夢と魔理沙にやられた物だろうか。それにしても裁縫が下手だ。
 僕は少女を起こさない様に慎重に服を脱がす。抱き締めてやるだけでは安すぎる。せめてこの服を繕ってやろうと思った。あの本にはそれくらいの価値はある。だが宿泊料は別だ。いずれ頂戴するとしよう。
 下着姿の少女にそっと布団を掛けてやる。理由はどうあれ、彼女はこの幻想郷に於いては珍しい向上心ある妖怪なのかもしれない。
 店内に陳列されたコンピュータに目を移す。やはりどれも面白味に欠ける外見だ。
 外見に拘らず、黙々と仕事をこなす式神が良いと言う者も居るだろう。実際外の世界の大多数の人間がそうなのであろう。
 だが僕は式神にはもっと面白味が必要だと思う。自身で考え、時に悩む感情豊かな式神こそ、今の外の世界の人々に必要な存在なのではないだろうか。
 それに気付き始めた僅かな人々が求めているのが非ノイマン型コンピュータに他ならないのだ。僕はそう考える。
 例えばこの少女の様に表情豊かな式神が側に居ればきっと毎日が楽しくなるだろう。
 今後外の世界でどんな式神が生み出されるのかが楽しみだ。
 そして、いつの日か訪れるであろう外の世界に素晴らしい未来が訪れる事を僕は願う。




「やあ、おはよう。良く眠っていたね」
 翌日。目を覚ました下着姿の少女に声を掛ける。
 すると彼女は僕から視線を逸らし、両方の人差し指を合わせてもじもじしだした。昨夜あのまま眠ってしまった事が恥ずかしくなったのだろうか。
「し、したの?」
「何をだい?」
「だって、服脱がされて……」
「ああ、したよ」
 繕い直しの事を言っているのだろう。何故か耳まで真っ赤にして慌てふためいている。何か気に入らない所でもあったのだろうか。
 彼女は僕に背を向けるともぞもぞと体を動かし、何やら確認している様子だった。
「あ、あれ? でも何にも……」
「さっきから何を言ってるんだ。朝食は食べるかい?」
「あ、うん。食べる」
 少女は服を着た後も何処か呆けた様子だった。その視線は暫く宙を泳いだ後、店の陳列棚へと移る。そこに置いてある昨夜まで彼女の物だった本に視線が止まる。
「あ。ちょっと、人の本を勝手に商品にしないでよ」
「何を言ってるんだ君は。抱き締めてやる代わりにあの本をくれる約束だったろう」
「…………は?」
 彼女は酷く間の抜けた顔でポカンと口を開けている。本当に間抜けな表情だ。実に面白い。
「な、何よそれ……」
「覚えていないのか? 今更惚けたって返すつもりはないよ」
「だ、だって私の大切な物を……あれ? 貴方が私の事……え?」
 何故か酷く混乱している様子だ。それとも演技のつもりか。何にせよ僕は約束を果たした。文句を言われる筋合いは全く無い。
「ひ、酷い! 私の気持ち弄んで……最初から本が目当てだったのね!?」
「ああ。そうだが」
 あっさりと即答してやる。酷いも何も僕の目的は最初から本だと言っていた筈だ。寝ぼけているのだろうか。
「な、何よそれ!? 私は貴方の事を本当に──」
「まあまあ、取り敢えずお茶でも飲んで目を覚ましなさい」
 何か言い掛けた彼女に湯呑を差し出す。彼女は「ありがと」と言ってお茶を啜って一息つく。
「……違ぁう!!」
 少女は飲み終えた湯呑を卓袱台の上にドンと叩き付け、立ち上がって声を荒げる。
「私との事を無かった事にしようとしてるの!? そうなのね!? そうなんでしょ!! そうって言いなさいよ!!」
 物凄い剣幕で唾を飛ばしながら僕に詰め寄って来る。朝っぱらから何とも元気な事だ。
「無かった事にしようとしているのは君の方だろう」
「……そう、判ったわ。私はまだ貴方に相応しくないって言いたいのね」
「別にそんな事は言っていないが」
「いいわ! ならもっと沢山本を読む! そしていつか貴方に認めてもらう!」
「僕の話を聞いているのか?」
「その時は、今度こそ、今度こそ……」
 涙ぐむ彼女の頭にポンと手を乗せてやる。そしてグシャグシャと髪の毛を撫で回してやった。
「良くは判らないが泣くのは止しなさい。君は泣き顔より笑い顔や怒り顔の方が面白い」
「お、面白いって何よ!? 人を珍獣みたいに言わないでよ!」
 少女の顔が泣き顔から怒り顔へと一瞬で変わる。凄い早技だ。この芸で食っていけるのではないか。
「うん、その顔だ。僕は君のその顔が好きだよ」
「なっ……!?」
 今度は顔を真っ赤に染めて動揺している。本当に見ていて飽きない。
「な、何が可笑しいのよ!?」
 どうやら自然とニヤけていたらしい。そんな僕を見て少女はムスッとなって頬を膨らませている。
「いや失敬。しかし、君は本当に面白い奴だ」
「ば、馬鹿にして! 今に見てなさいよ! 今度は貴方が驚いて腰を抜かすような本を持って来るわ!」
 そう言って彼女はあっと言う間に店の中から飛び出して行ってしまった。
「おい、朝ご飯は!?」
 返事の代わりにドアのベルがカランカランと音を立てている。
 後を追って店の外に出るが既にその姿は見えなくなっていた。霊夢や魔理沙並に人の話を聞かない娘だ。また厄介な知人が増えたものだ。
 ふと空に目を遣ると朱鷺の群が羽ばたいているのが見える。青空に広がる鮮やかな朱鷺色の羽。以前にも増して朱鷺の数が増えて来ているような気がした。
「……そう言えば、まだあの娘の名前も聞いていなかったな」
 本当に不思議な魅力がある少女だ。僕は彼女の事をもっと知りたいと、もっと語り合いたいと思った。
 もっと知識を深め、僕と同等に語り合える様になったなら共に外の世界に行くのも悪くないかもしれない。
 もしかしたら彼女が「一人は寂しい」と言った様に外の世界で一人暮らす事に寂しさを感じるかもしれない。だがあの娘が側に居れば決して寂しいなどと言う気持ちは抱かないだろう。寧ろ鬱陶しいくらいだ。
 外の世界の人間達は大切な何かを幻想にする事で高度な魔法と技術を手に入れた。
 だが心に余裕を無くし、全てを幻想にしてしまうのはとても詰まらない事だ。 
 もし朱鷺が外の世界で幻想となりつつあるのなら、彼女の朱鷺色の羽は外の世界の未来を拓く翼になるかもしれない。
 時移り事去り、近い将来全ての朱鷺が幻想になってしまっても、あの色を見れば外の世界の人間達は大切な何かを思い出し、心に余裕を取り戻す事が出来るに違いない。
 僕の幻想郷での経験と彼女の翼があれば、外の世界に新たな風を吹き込む事が出来るだろう。その時が来るのが楽しみでならない。
 朱鷺が落とした羽根が一枚、翩翻しながら舞い落ちて来る。僕はそれに向かって手を伸ばした。
 朱鷺色の未来はきっとこの手の届く距離にある。






 ──カランカラン。
 店のドアが開き、見慣れた紅白の少女が不機嫌そうに入って来る。
「やあ、霊夢。いらっしゃい」
「聞いてよ霖之助さん! さっき森を通って来たんだけど、そしたら妖怪が暢気に座っていたのよ。それに楽しそうに本を読んで!」
 いつか何処かで聞いた様な話だ。これが既視感というやつだろうか。
「……まあ、そいつはけちょんけちょんに退治して来たんだけど」
 霊夢の手には外の世界の物と思しき本があった。彼女がこれを何処でどうやった入手したのかは容易に想像が付く。そしてこの後の展開も。
 そう言えば今朝は倉庫の荷物が崩れ落ちたりして在庫の品が幾つか破損してしまった事を思い出した。
 その時、店のドアをドンドンと強く叩く音が響いた。嫌な予感に限って良く当たる物だ。そもそも近年良い予感などと言う物に巡り合った事が無い。
「さっきの紅いの! 居るのは判ってるわ!」
 聞き覚えのある少女の声。
「霖之助さん、何を笑ってるの?」
 ああ、今日も賑やかな一日になりそうだ。
 
  
 

 
2010年、遂に朱鷺色の春が……来るッ!(予定)→(確定?)→(延期?)

追記の追記:感想ありがとうございます&誤字指摘感謝です。
山車でも出汁でもなく普通に「出し」ですね・・・普通こんな誤字あり得ないんだぜ!
ちゃー
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2690簡易評価
3.100七人目の名無し削除
良い朱鷺霖を見せて頂き感謝の極み!!
>>2010年春……もう、ぬか喜びはしたくないなあ。
4.100名前が無い程度の能力削除
蘊蓄が霖之助さんらしくて良かったです
あととっきゅんかわいすぎるでしょう
10.100名前が無い程度の能力削除
この霖之助悪人すぎるぜ
11.100名前が無い程度の能力削除
今回は発売期待してもいいのかな……。
それはともかく、素晴らしい朱鷺霖をありがとう。
ごちそうさまでした。
18.80名前が無い程度の能力削除
こ、この超絶朴念仁め!! 

そして2010年春…ようやく来たのですね。発売(予定)が。
19.100名前が無い程度の能力削除
ごごごごちそうさまでした
20.100名前が無い程度の能力削除
朱鷺子さん一途で可愛いですね~
そして霖之助さん本気パネェw
面白かったです!
22.100名前が無い程度の能力削除
また……春か……。
28.100名前が無い程度の能力削除
これはいい朱鷺霖だ。

誤字報告
>「それは……自身が無かったの。
自身→自信です。
29.100名前が無い程度の能力削除
やっと春が…。
37.100名前が無い程度の能力削除
なんというあくどい商人な霖之助w
まあでも実際こんな感じなんだろうけど。

そして遂に春か……期待しすぎは駄目なんだが……いやしかし……。
41.100名前が無い程度の能力削除
春、楽しみです!
44.70名前が無い程度の能力削除
香霖堂発売(予定)
もう……信じてもいいよね?
48.100ぺ・四潤削除
あー本当にいつか中ボスでもいいから登場してくれないかなー。
「本は妙に生暖かかった。」受け取った瞬間つい無意識に匂いを嗅いでしまいそうだ。
「僕を山車に使うとは」ダシですかね。あまり漢字で見ないけど使うなら出汁ですか。
49.100名前が無い程度の能力削除
良かったかなと
51.無評価ぺ・四潤削除
何度か読み返してみたけど、読めば読むほどいい話だ。傍若無人なメンバーの中での朱鷺子さんの一途さと生真面目さと可愛さは特級品だと思う。
今でも十分とろけそうなほどなんですが、告白後の別バージョンストーリーを脳内想像してたらのた打ち回りそうなんですが、ぜひ書いてください。お願いします。
53.100名前が無い程度の能力削除
なにこれかわいい
58.100名前が無い程度の能力削除
新手の結婚詐欺を見てる気分だったぜ……
61.100名前が無い程度の能力削除
春じゃ、じきに春じゃ……
朱鷺子にも訪れるといいんだが。
62.100読む程度削除
朱鷺子かあいよぉ朱鷺子
一途だなぁ
63.100名前が無い程度の能力削除
霖之助さんってば外道だなマジ外道。
でも霖之助さんなら苦笑で済ませ、生温かい目で見れる不思議!