「ひやしちゅうか……うん、アリね」
容赦ない太陽がきらりと光る夏のことだ。
連日のとどまることを知らぬ猛暑は順調に幻想郷を焼き、住む人々を困らせ、氷精の乱獲へ向かわせる。
紅魔館も例外ではなく、嫌な蒸し暑さとけだるい雰囲気に飲み込まれていた。
心なしか、涼しい陰を作ってくれる木々にも元気がないようにみえる。
「確かにそれならこの暑さでも食べやすいし……咲夜さんも喜ぶかも」
門の近く、木陰となっている一角で美鈴と魔理沙は暑苦しく肩を寄せて話し合っていた。
盗みの打ち合わせでもなければ、乳の大小について論じているわけでもない。
珍しく美鈴が悩んでいることがあると言うので、魔理沙が話を聞いていたのである。
「そうだろう? さすが私だぜ」
「冷やし中華かぁ」
そう言って、美鈴は紅魔館の方を向いた。
美鈴は他人の気を感じ取れる。
細かいことは分からなくとも、そういう元気がないだとか体調が悪いだとか、そんなことなら相手が隠していても分かると彼女は豪語している。
そんな彼女の目から見て、最近の咲夜は元気がなかった。
おそらく、咲夜の場合は夏バテであると彼女は踏んでいる。
今年は例年より暑いし、咲夜も人間である。
いくら咲夜と言えど妖怪に比べ体が弱いのだ。
そして自分にしてやれることはないだろうかと考え出たものが、精のつく料理。
土用のウナギの例もあるように、夏は食事が大切だ。
また美味しいものは人に活力を与える。
いい案だった。
完璧だと思った。
もしかして自分は天才かもしれないとレミリアに打ち明けてみた。
働けと怒られた。
そんな大変素晴らしい案だったのだが、すぐ問題が浮上した。
美鈴の料理のレパートリーが非常に少ないのだ。
ウナギどころか精進料理のひとつも知らない。
簡単な料理をいくらか知っているだけだ。
元々料理をするような業務ではないし、そういうことに興味のある性格でもない。
実に根本的で、初歩的で、考える前に気付けそうな問題だが浮上してしまった。
美鈴は悩んだ。
料理以外の方法も考えたのだが、やはり料理以上の代案は考え付かなかった。
そして、気分転換に昼寝でもしようかと考え始めたころ、ちょうど魔理沙が訪問してきたというわけだ。
美鈴の話を聞いた魔理沙は計画に乗ってやることにした。
普段口に出さないが魔理沙だって咲夜のことは好きであるし、よき友人でもあると思っている。
なにより美鈴をからかうのは楽しい。
「夏と言えば冷やし中華だな」
冷やし中華。
魔法使いの一言は、美鈴の心に魔法のような衝撃を与えた。
木々のスキマを縫って漏れ出す紫外線、お肌の敵、いわゆる木漏れ日を背にする魔理沙が、美鈴には後光の差す女神に見えたという。
美鈴でも冷やし中華ならば作ることが出来た。
調理自体が簡単なのだ。
それに冷やし中華は具に野菜が多く、炭水化物もあり、おまけに冷たい麺類で食べやすい。
夏にはもってこいの逸品である。
今まで考え付かなかったのがおかしい、いや、だからこそ考え付かなかったのだろう。
他人にあえて指摘されて初めて気がつくことがある。
魔理沙が友達でよかったと美鈴は思った。
そんな魔理沙の咲夜を心配し、美鈴を助けようとする優しい心から生まれた名案に美鈴は素直に喜んだ。
(実際は魔理沙自身が美鈴の冷やし中華を食べてみたいだけだが、疑うことを知らない美鈴の純真のためにあえてこのような表現を使わせていただく。)
このような経緯を経て、冒頭に至る。
美鈴はポンと膝をひとつ叩き、元気よく立ちあがった。
魔理沙もそれに続く。
「じゃあ、さっそく厨房を借りよう」
「そうだな、味見は任せろ」
ふたりの挑戦が始まった。
+++
咲夜は悩んでいた。
夏バテのことだ。
しかし誤解しないでほしい、咲夜自身のことではない。
瀟洒な彼女は夏バテなどはしない。
最近レミリアの体調がすぐれないのである。
原因はおそらく猛暑による夏バテ。
毎年この時期になると「昼間は寝苦しい」といって完全に昼夜逆転生活になるレミリアだが、今回はそれに加え食事量の減退が目立った。
既に数日に一食程度にまで落ちている。
元々小食のレミリアである、これ以上はいくら吸血鬼とはいえ危険だろう。
無理にでも食べてもらおうとしたら、元気のない声で、裸エプロンで仕事をしたら食べてやると言われた。
「裸エプロン、ねぇ」
「はい。しかし、しても召し上がってくださらなくて」
「……」
召し上がるってどっちをだ。
パチュリーはその言葉を寸でのところで止めることに成功した。
真面目な顔をしてぶっちゃける咲夜が、なんだか可哀想だったから。
それにどういう状況においても真面目が一番であるというのがパチュリーの持論だ。
裸エプロンに疑問を持たずとも。
「なので、パチュリー様の知恵を、どうか」
そういって咲夜は頭を下げた。
地下図書館にて、咲夜は悩みを打ち明けていた。
他の者では頼りないし、咲夜が就業中行ける範囲では、図書館が限度なのである。
「考えてはおくけれど、時間がかかるわ。今日からアリスと魔理沙と……あと河童と合同研究をする予定なのよ」
「研究、ですか」
「ええ、守矢神社の連中に聞いた『すぷらしゅまうんてん』っていうのを作ってみたくてね。どんな山になるのかしら」
そう笑うパチュリーの後ろでは、小悪魔が水を次から次へとビニルプールに入れている様子が見えた。
咲夜にはそれがなんの為なのかは分からなかったが、とにかく迷惑なものであることはなんとなくわかる。
紙に水は禁じ手だが、大丈夫であろうか。
「小悪魔、魔理沙たちが来るまでに終わらせなさい。トーキョードーム10杯分が目標よ」
声に反応した小悪魔が、水を運ぶスピードを上げる。
半分以上は積まれた本の上にこぼれていた。
すでに致命傷を負った図書館だが、パチュリーはさらなるスピードを求める声を上げた。
魔法使いは目標しか見ないのだ。
「そうですか……」
咲夜は心の中でため息をつく。
パチュリーの言っていることもやっていることもよくわからなかったが、どうやら協力は出来ないらしいことは感じ取れた。
お辞儀をひとつしてから、出口に向かう。
扉を開けて、外に出た。
厚い扉の向こうは湿気と熱気でゆがんでいた。
咲夜の顔は、依然として暗い。
+++
「ええい、駄目だ! 全然ダメだ!」
中を覗くのを躊躇われるような奇声が厨房にこだました。
魔理沙である。
「そ、そんな……っ!」
魔理沙の言葉に美鈴はがっくりと膝をつく。
17度目の挑戦も、失敗に終わった。
調理台には失敗作らしき冷やし中華が大量に並んでいる。
先ほどから幾度となく美鈴が作っては魔理沙が食べ、ボツ宣言を食らっていた。
正直、魔理沙は冷やし中華を食べたいだけであり、味の云々なんぞこれっぽっちも分からないが、美鈴がノってくれるので止まらない。
「もう一度だ、美鈴」
「はい!」
凛々しい笑顔と歯切れのよい返事を携え、美鈴は18度目の挑戦を開始した。
彼女は未だ突っ込み役のいない恐ろしさに気付かない。
気付かないばかりか、真剣に悩んでいる。
レパートリーはないにせよ腕はそれなりのつもりであったが、もしかしたら普通より下なのではないのか。
こんなことで、咲夜が喜んでくれる立派な冷やし中華を育て上げることが出来るのか。
「くそう!」
自責と共に美鈴の心の汗が頬を伝った。
青春、という言葉が隣に座る魔理沙の脳内に浮かぶ。
でも多分違うだろう。
「……」
汗だくになって麺を茹でる美鈴を見て、さすがに魔理沙もちょっと可哀想になってきた。
自分の悪ノリにも気付かないようだし、真剣に悩んでいるようだし、なにより腹が膨れた。
少し悩んだ後、ひとつアドバイスをすることにした。
「美鈴」
「なに?」
「お前の料理には足りないものがある」
ありがちな言葉ではあるが、美鈴は真剣な顔で聞く。
彼女は真面目なのである。
「足りない……もの?」
そうだ。と魔理沙は頷き、人指し指を立てた。
美鈴はその指先を見る。
足りないものとはなんだろうか。
技術?
隠し味?
愛情?
それとも……。
「ズバリ」
たっぷり溜めてから、魔理沙は言った。
「さくらんぼだ!」
「さくらんぼっ!?」
瞬間、美鈴の中で何かが光った。
夏と言えば冷やし中華。
それと同じように、冷やし中華と言えば枝付きさくらんぼだ。
サイダーにも、白クマアイスにも入っているさくらんぼ。
時にはホットケーキにすら乗っかっているさくらんぼ。
それが彼女の中華にはなかった。
さくらんぼがなくてなにが中華だ。
そんな華のない中華なんてあるか。
全てをひとりで勝手に理解した美鈴が叫ぶ。
「魔理沙、私……分かったよ!」
「ああ、お前ならきっと分かってくれると思ってたぜ」
そしてふたりはがっしり抱き合った。
全米を感動させるアツい抱擁だった。
デザートに食べたいものを言っただけだったんだけどな……。
魔理沙は、嬉しくて涙を浮かべる美鈴を見ると口が裂けても言えないなと思った。
「じゃあ、ぱぱっと作ろうかなー」
気を取り直して、腕まくりしながら冷ました麺に手をかけたその時である。
一匹の妖精メイドが厨房の扉を勢いよく開けた。
「大変です!」
何事かと振り向くと、メイドの顔が真っ青だった。
ただ事ではない様子に美鈴は驚く。
「どうしたの?」
「お嬢様が、倒れられました」
+++
永遠亭の薬師曰く、夏バテによるものであるという。
つまり、吸血鬼を殺すような病気ではない。
その言葉に一同は安堵のため息をついたが、咲夜の表情はは依然として強張ったままであった。
「ただし薬でどうにかなるものではないわ。なにせ原因は気候です。出来るだけ涼しい部屋にいるよう心がけて。当面はそれで様子を見ましょう」
永琳の説明に、はい、はい、と咲夜は真剣な顔で頷く。
普段見せないようなその態度が、紅魔館の混乱を表していた。
「じゃあ、そういうことで。お大事に」
性格によるものかなんなのか、機械的にそう言って永琳は帰った。
永琳の出て行った門が、小さく軋みながら閉まる。
それから、残された咲夜らを重い静寂が包んだ。
白い顔をさらに白くして咲夜は手を自分の額に当てている。
レミリアが倒れた。
それはレミリアを誰よりも愛おしく思っている咲夜の精神を脅かすのに十分なものだった。
自分の咲夜への感情がそれに似ているためだろうか、美鈴には咲夜の気持ちがよくわかった。
まさかこんな事態になるなんて思っていなかった。
元気がないのは咲夜で、咲夜の夏バテが原因だとばかり思っていたのに。
「咲夜さん……」
どうしていいか分からぬ美鈴は、いつもより小さく見える咲夜の背中にそっと手を置く。
美鈴の手が触れた瞬間、咲夜がバネ仕掛けのようにハッと顔を上げた。
「そうだ、なにか食べてもらわないと。いや…………でも」
なにを?
その声は声にならない。
見るからに狼狽している咲夜に、美鈴はもはやかける言葉が見つからない。
彼女の後ろで、見ているほかない。
妖精メイドたちは既に持ち場へ戻したため、辺りはいやに静かだった。
今は無性に静けさが怖い。
大変なときこそ明るくならねばいけない、というのはこういうことだからだろうか。
「なぁ、美鈴」
なにか言わないとと焦っていると、魔理沙が彼女の袖を引っ張った。
成り行きでついてきていたのである。
「ん、ああごめんね魔理沙。ちょっと今日はもう」
「いやそうじゃない。……チャンスだろう? アレ」
「え?」
聞き返す美鈴に、魔理沙はニヤリと笑いかけた。
+++
「失礼します」
レミリアの寝室は薄暗い。
あるのはロウソクの火だけだ。
ベッドの横にはパチュリーが即興で作った冷風機が設置されている。
それからは涼しい風が送り出されているようだった。
その風に当てられ横になっている少女がひとり。
赤い瞳が咲夜を見つけた。
風になびく銀の髪が起き上がる。
「悪いわね、こんなことになってしまって」
いつもとは違い、覇気のない声に咲夜の胸が締め付けられる。
「お食事をお持ちしました」
「血だけでいいよ」
「血液だけでは体に触ります」
美鈴が作った中華を片手に、咲夜はレミリアの横に立つ。
ベッドの横には水や寝酒を置いておく小さなテーブルがあり、そこに皿を置いた。
「なに、それは」
レミリアの声に、咲夜は無理矢理笑顔を作った。
「冷やし中華にございます」
「今は固形物なんて入らないわ」
「でも召し上がりたくなるようなことがございましたら」
「ならそのままにしておいて。……ああ、もういっていい」
食べてくれるのかと思ったが、ただの会話の切り口でしかなかったらしく、落ち込んだ。
レミリアは手でヒラヒラ退室のサインを出して再び横になる。
それから咲夜は少し待ったが、もちろん何も言われなかった。
「あっ、まって」
「はい?」
仕方なく退室しようとした咲夜に、再び声がかかった。
咲夜はすばやく振り返る。
「これはなに?」
「ああ、さくらんぼにございます」
「冷やしナントカっていうのはデザートじゃないのでしょう?」
「ええ、でもそれがよいのですよ」
「ふぅん」
そして。
+++
弱った自分を見せたくないのだろう、咲夜以外はレミリアの自室に入ることを禁じられていた。
そのため、美鈴も部屋の前で咲夜を待つしかなかった。
やはり成り行きで魔理沙も隣にいるけれど、一言もしゃべることはなかった。
その画はまるで手術のワンシーンのようだったが、それを言う者も知る者もここにはいない。
ギギィっと扉が開いた。
続いて失礼しましたの声、咲夜だ。
咲夜が扉を閉めると同時に美鈴は口を開こうとした。
言いたいことが山のようにあったのだ。
だが、それは叶わなかった。
「ありがとう!」
勢いよく咲夜が美鈴に抱きついたのだ。
美鈴は自分の顔が赤くなるのが分かった。
そして次に青く変わった。
咲夜の細腕が的確に首を締めたようだ。
咲夜が気付かないので、美鈴は我慢する。
「あなたの料理、お嬢様が気にいってくれて。全部食べてくれたわ」
「ごほっ……、本当ですか?」
なんとか息が出来るように腕をずらさせると咲夜は嬉しそうに笑っていた。
その感情をまっすぐ反映させた笑顔の咲夜を、美鈴は久しぶりに見た。
やっぱりこの人の笑顔は綺麗だな、と素直に感じる。
「本当よ。さくらんぼのおかげでね」
さくらんぼ。
その言葉で美鈴は魔理沙を思い出す。
今回のことは彼女の助言があったからこそ、だからだ。
自分の後ろ、魔理沙の座っている場所に目をやった。
しかし、すでに彼女はいなかった。
先ほどまでは確かにいたはずなのだが、もう気配もない。
見ているのが恥ずかしかったのかもしれないと美鈴は思った。
それとも気を利かせてくれたのか。
彼女はあれで割と分かる奴なのだ。
本当に魔理沙が友達でよかったと美鈴は思った。
そこで首の圧迫感がなくなっていることに気付いた。
咲夜の方を見ると、顔を赤らめている。
はしゃぎ過ぎたことに気付いたらしい。
しかしその仕草すら綺麗と思う美鈴である。
「えぇ……と、まぁ、ね。今回は助かったわ、今回は」
「えへへ」
「で、ひとつ聞きたいのだけど」
そう言って咲夜は美鈴の目をじっと見つめた。
ガラス玉のように綺麗な瞳だ。
顔が凄く近い。
まつ毛の数までわかるようだった。
しかし、咲夜はまだ近づく。
あまりにも顔が近くなるので、美鈴のなかで変な想像が広がる。
(え? いやまさかそんなこんなところでいやいやえへえへえへへ)
咲夜の唇が耳元に。
思わず息を止める。
真剣な眼差し。
顔が赤くなるのが分かった。
そして、
「厨房がやたら散らかってた理由、知らない?」
美鈴は土下座した。
+++
「浮かない顔ね、集会に遅れてきて」
「ああ、すまんな。さくらんぼを集めてたんだ」
そう言って、魔理沙はアリスの不機嫌な顔に、厨房から大量に拝借してきたさくらんぼを見せた。
そのまま無理矢理アリスの口に突っ込む。
「ちょ、やめなさい」
「鼻に入れられなくてよかったわね」
10個ほどネジこまれて苦しそうにするアリスにパチュリーは言う。
フォローのつもりなのか、皮肉なのか。
その無表情からは読み取れない。
話の真ん中にいるはずの魔理沙は、なぜか客観的にその情景を見ていた。
というより、別のことを考えていたのである。
今回は失敗だった、と。
抱きつかれた美鈴の困ったような、嬉しそうな顔を思い出す。
彼女を手伝えたのはラッキーであったし、相談相手として選んでくれたのも嬉しかった。
その他にも好印象になるポイントは沢山あった。
なのに結果がアレである。
いったいどこを間違えたのか、魔理沙はため息をついた。
「嫉妬しているの?」
後ろでパチュリーの静かな声が聞こえた。
「ほっとけ」
振り向いて、そう言って、パチュリーの顔を見たが無表情だった。
どんな意図でいったのか、全く読み取れない。
魔理沙はさくらんぼをひと房手に取って、ひとつをにとりに食わせた。
もうひとつを自分の口に放り込む。
「あれ、まだ熟れてないよこれ」
酸っぱそうに顔を歪めたにとりが唸った。
酸味が苦手のようだ。
たしかにさくらんぼは、甘酸っぱかった。
おわり
容赦ない太陽がきらりと光る夏のことだ。
連日のとどまることを知らぬ猛暑は順調に幻想郷を焼き、住む人々を困らせ、氷精の乱獲へ向かわせる。
紅魔館も例外ではなく、嫌な蒸し暑さとけだるい雰囲気に飲み込まれていた。
心なしか、涼しい陰を作ってくれる木々にも元気がないようにみえる。
「確かにそれならこの暑さでも食べやすいし……咲夜さんも喜ぶかも」
門の近く、木陰となっている一角で美鈴と魔理沙は暑苦しく肩を寄せて話し合っていた。
盗みの打ち合わせでもなければ、乳の大小について論じているわけでもない。
珍しく美鈴が悩んでいることがあると言うので、魔理沙が話を聞いていたのである。
「そうだろう? さすが私だぜ」
「冷やし中華かぁ」
そう言って、美鈴は紅魔館の方を向いた。
美鈴は他人の気を感じ取れる。
細かいことは分からなくとも、そういう元気がないだとか体調が悪いだとか、そんなことなら相手が隠していても分かると彼女は豪語している。
そんな彼女の目から見て、最近の咲夜は元気がなかった。
おそらく、咲夜の場合は夏バテであると彼女は踏んでいる。
今年は例年より暑いし、咲夜も人間である。
いくら咲夜と言えど妖怪に比べ体が弱いのだ。
そして自分にしてやれることはないだろうかと考え出たものが、精のつく料理。
土用のウナギの例もあるように、夏は食事が大切だ。
また美味しいものは人に活力を与える。
いい案だった。
完璧だと思った。
もしかして自分は天才かもしれないとレミリアに打ち明けてみた。
働けと怒られた。
そんな大変素晴らしい案だったのだが、すぐ問題が浮上した。
美鈴の料理のレパートリーが非常に少ないのだ。
ウナギどころか精進料理のひとつも知らない。
簡単な料理をいくらか知っているだけだ。
元々料理をするような業務ではないし、そういうことに興味のある性格でもない。
実に根本的で、初歩的で、考える前に気付けそうな問題だが浮上してしまった。
美鈴は悩んだ。
料理以外の方法も考えたのだが、やはり料理以上の代案は考え付かなかった。
そして、気分転換に昼寝でもしようかと考え始めたころ、ちょうど魔理沙が訪問してきたというわけだ。
美鈴の話を聞いた魔理沙は計画に乗ってやることにした。
普段口に出さないが魔理沙だって咲夜のことは好きであるし、よき友人でもあると思っている。
なにより美鈴をからかうのは楽しい。
「夏と言えば冷やし中華だな」
冷やし中華。
魔法使いの一言は、美鈴の心に魔法のような衝撃を与えた。
木々のスキマを縫って漏れ出す紫外線、お肌の敵、いわゆる木漏れ日を背にする魔理沙が、美鈴には後光の差す女神に見えたという。
美鈴でも冷やし中華ならば作ることが出来た。
調理自体が簡単なのだ。
それに冷やし中華は具に野菜が多く、炭水化物もあり、おまけに冷たい麺類で食べやすい。
夏にはもってこいの逸品である。
今まで考え付かなかったのがおかしい、いや、だからこそ考え付かなかったのだろう。
他人にあえて指摘されて初めて気がつくことがある。
魔理沙が友達でよかったと美鈴は思った。
そんな魔理沙の咲夜を心配し、美鈴を助けようとする優しい心から生まれた名案に美鈴は素直に喜んだ。
(実際は魔理沙自身が美鈴の冷やし中華を食べてみたいだけだが、疑うことを知らない美鈴の純真のためにあえてこのような表現を使わせていただく。)
このような経緯を経て、冒頭に至る。
美鈴はポンと膝をひとつ叩き、元気よく立ちあがった。
魔理沙もそれに続く。
「じゃあ、さっそく厨房を借りよう」
「そうだな、味見は任せろ」
ふたりの挑戦が始まった。
+++
咲夜は悩んでいた。
夏バテのことだ。
しかし誤解しないでほしい、咲夜自身のことではない。
瀟洒な彼女は夏バテなどはしない。
最近レミリアの体調がすぐれないのである。
原因はおそらく猛暑による夏バテ。
毎年この時期になると「昼間は寝苦しい」といって完全に昼夜逆転生活になるレミリアだが、今回はそれに加え食事量の減退が目立った。
既に数日に一食程度にまで落ちている。
元々小食のレミリアである、これ以上はいくら吸血鬼とはいえ危険だろう。
無理にでも食べてもらおうとしたら、元気のない声で、裸エプロンで仕事をしたら食べてやると言われた。
「裸エプロン、ねぇ」
「はい。しかし、しても召し上がってくださらなくて」
「……」
召し上がるってどっちをだ。
パチュリーはその言葉を寸でのところで止めることに成功した。
真面目な顔をしてぶっちゃける咲夜が、なんだか可哀想だったから。
それにどういう状況においても真面目が一番であるというのがパチュリーの持論だ。
裸エプロンに疑問を持たずとも。
「なので、パチュリー様の知恵を、どうか」
そういって咲夜は頭を下げた。
地下図書館にて、咲夜は悩みを打ち明けていた。
他の者では頼りないし、咲夜が就業中行ける範囲では、図書館が限度なのである。
「考えてはおくけれど、時間がかかるわ。今日からアリスと魔理沙と……あと河童と合同研究をする予定なのよ」
「研究、ですか」
「ええ、守矢神社の連中に聞いた『すぷらしゅまうんてん』っていうのを作ってみたくてね。どんな山になるのかしら」
そう笑うパチュリーの後ろでは、小悪魔が水を次から次へとビニルプールに入れている様子が見えた。
咲夜にはそれがなんの為なのかは分からなかったが、とにかく迷惑なものであることはなんとなくわかる。
紙に水は禁じ手だが、大丈夫であろうか。
「小悪魔、魔理沙たちが来るまでに終わらせなさい。トーキョードーム10杯分が目標よ」
声に反応した小悪魔が、水を運ぶスピードを上げる。
半分以上は積まれた本の上にこぼれていた。
すでに致命傷を負った図書館だが、パチュリーはさらなるスピードを求める声を上げた。
魔法使いは目標しか見ないのだ。
「そうですか……」
咲夜は心の中でため息をつく。
パチュリーの言っていることもやっていることもよくわからなかったが、どうやら協力は出来ないらしいことは感じ取れた。
お辞儀をひとつしてから、出口に向かう。
扉を開けて、外に出た。
厚い扉の向こうは湿気と熱気でゆがんでいた。
咲夜の顔は、依然として暗い。
+++
「ええい、駄目だ! 全然ダメだ!」
中を覗くのを躊躇われるような奇声が厨房にこだました。
魔理沙である。
「そ、そんな……っ!」
魔理沙の言葉に美鈴はがっくりと膝をつく。
17度目の挑戦も、失敗に終わった。
調理台には失敗作らしき冷やし中華が大量に並んでいる。
先ほどから幾度となく美鈴が作っては魔理沙が食べ、ボツ宣言を食らっていた。
正直、魔理沙は冷やし中華を食べたいだけであり、味の云々なんぞこれっぽっちも分からないが、美鈴がノってくれるので止まらない。
「もう一度だ、美鈴」
「はい!」
凛々しい笑顔と歯切れのよい返事を携え、美鈴は18度目の挑戦を開始した。
彼女は未だ突っ込み役のいない恐ろしさに気付かない。
気付かないばかりか、真剣に悩んでいる。
レパートリーはないにせよ腕はそれなりのつもりであったが、もしかしたら普通より下なのではないのか。
こんなことで、咲夜が喜んでくれる立派な冷やし中華を育て上げることが出来るのか。
「くそう!」
自責と共に美鈴の心の汗が頬を伝った。
青春、という言葉が隣に座る魔理沙の脳内に浮かぶ。
でも多分違うだろう。
「……」
汗だくになって麺を茹でる美鈴を見て、さすがに魔理沙もちょっと可哀想になってきた。
自分の悪ノリにも気付かないようだし、真剣に悩んでいるようだし、なにより腹が膨れた。
少し悩んだ後、ひとつアドバイスをすることにした。
「美鈴」
「なに?」
「お前の料理には足りないものがある」
ありがちな言葉ではあるが、美鈴は真剣な顔で聞く。
彼女は真面目なのである。
「足りない……もの?」
そうだ。と魔理沙は頷き、人指し指を立てた。
美鈴はその指先を見る。
足りないものとはなんだろうか。
技術?
隠し味?
愛情?
それとも……。
「ズバリ」
たっぷり溜めてから、魔理沙は言った。
「さくらんぼだ!」
「さくらんぼっ!?」
瞬間、美鈴の中で何かが光った。
夏と言えば冷やし中華。
それと同じように、冷やし中華と言えば枝付きさくらんぼだ。
サイダーにも、白クマアイスにも入っているさくらんぼ。
時にはホットケーキにすら乗っかっているさくらんぼ。
それが彼女の中華にはなかった。
さくらんぼがなくてなにが中華だ。
そんな華のない中華なんてあるか。
全てをひとりで勝手に理解した美鈴が叫ぶ。
「魔理沙、私……分かったよ!」
「ああ、お前ならきっと分かってくれると思ってたぜ」
そしてふたりはがっしり抱き合った。
全米を感動させるアツい抱擁だった。
デザートに食べたいものを言っただけだったんだけどな……。
魔理沙は、嬉しくて涙を浮かべる美鈴を見ると口が裂けても言えないなと思った。
「じゃあ、ぱぱっと作ろうかなー」
気を取り直して、腕まくりしながら冷ました麺に手をかけたその時である。
一匹の妖精メイドが厨房の扉を勢いよく開けた。
「大変です!」
何事かと振り向くと、メイドの顔が真っ青だった。
ただ事ではない様子に美鈴は驚く。
「どうしたの?」
「お嬢様が、倒れられました」
+++
永遠亭の薬師曰く、夏バテによるものであるという。
つまり、吸血鬼を殺すような病気ではない。
その言葉に一同は安堵のため息をついたが、咲夜の表情はは依然として強張ったままであった。
「ただし薬でどうにかなるものではないわ。なにせ原因は気候です。出来るだけ涼しい部屋にいるよう心がけて。当面はそれで様子を見ましょう」
永琳の説明に、はい、はい、と咲夜は真剣な顔で頷く。
普段見せないようなその態度が、紅魔館の混乱を表していた。
「じゃあ、そういうことで。お大事に」
性格によるものかなんなのか、機械的にそう言って永琳は帰った。
永琳の出て行った門が、小さく軋みながら閉まる。
それから、残された咲夜らを重い静寂が包んだ。
白い顔をさらに白くして咲夜は手を自分の額に当てている。
レミリアが倒れた。
それはレミリアを誰よりも愛おしく思っている咲夜の精神を脅かすのに十分なものだった。
自分の咲夜への感情がそれに似ているためだろうか、美鈴には咲夜の気持ちがよくわかった。
まさかこんな事態になるなんて思っていなかった。
元気がないのは咲夜で、咲夜の夏バテが原因だとばかり思っていたのに。
「咲夜さん……」
どうしていいか分からぬ美鈴は、いつもより小さく見える咲夜の背中にそっと手を置く。
美鈴の手が触れた瞬間、咲夜がバネ仕掛けのようにハッと顔を上げた。
「そうだ、なにか食べてもらわないと。いや…………でも」
なにを?
その声は声にならない。
見るからに狼狽している咲夜に、美鈴はもはやかける言葉が見つからない。
彼女の後ろで、見ているほかない。
妖精メイドたちは既に持ち場へ戻したため、辺りはいやに静かだった。
今は無性に静けさが怖い。
大変なときこそ明るくならねばいけない、というのはこういうことだからだろうか。
「なぁ、美鈴」
なにか言わないとと焦っていると、魔理沙が彼女の袖を引っ張った。
成り行きでついてきていたのである。
「ん、ああごめんね魔理沙。ちょっと今日はもう」
「いやそうじゃない。……チャンスだろう? アレ」
「え?」
聞き返す美鈴に、魔理沙はニヤリと笑いかけた。
+++
「失礼します」
レミリアの寝室は薄暗い。
あるのはロウソクの火だけだ。
ベッドの横にはパチュリーが即興で作った冷風機が設置されている。
それからは涼しい風が送り出されているようだった。
その風に当てられ横になっている少女がひとり。
赤い瞳が咲夜を見つけた。
風になびく銀の髪が起き上がる。
「悪いわね、こんなことになってしまって」
いつもとは違い、覇気のない声に咲夜の胸が締め付けられる。
「お食事をお持ちしました」
「血だけでいいよ」
「血液だけでは体に触ります」
美鈴が作った中華を片手に、咲夜はレミリアの横に立つ。
ベッドの横には水や寝酒を置いておく小さなテーブルがあり、そこに皿を置いた。
「なに、それは」
レミリアの声に、咲夜は無理矢理笑顔を作った。
「冷やし中華にございます」
「今は固形物なんて入らないわ」
「でも召し上がりたくなるようなことがございましたら」
「ならそのままにしておいて。……ああ、もういっていい」
食べてくれるのかと思ったが、ただの会話の切り口でしかなかったらしく、落ち込んだ。
レミリアは手でヒラヒラ退室のサインを出して再び横になる。
それから咲夜は少し待ったが、もちろん何も言われなかった。
「あっ、まって」
「はい?」
仕方なく退室しようとした咲夜に、再び声がかかった。
咲夜はすばやく振り返る。
「これはなに?」
「ああ、さくらんぼにございます」
「冷やしナントカっていうのはデザートじゃないのでしょう?」
「ええ、でもそれがよいのですよ」
「ふぅん」
そして。
+++
弱った自分を見せたくないのだろう、咲夜以外はレミリアの自室に入ることを禁じられていた。
そのため、美鈴も部屋の前で咲夜を待つしかなかった。
やはり成り行きで魔理沙も隣にいるけれど、一言もしゃべることはなかった。
その画はまるで手術のワンシーンのようだったが、それを言う者も知る者もここにはいない。
ギギィっと扉が開いた。
続いて失礼しましたの声、咲夜だ。
咲夜が扉を閉めると同時に美鈴は口を開こうとした。
言いたいことが山のようにあったのだ。
だが、それは叶わなかった。
「ありがとう!」
勢いよく咲夜が美鈴に抱きついたのだ。
美鈴は自分の顔が赤くなるのが分かった。
そして次に青く変わった。
咲夜の細腕が的確に首を締めたようだ。
咲夜が気付かないので、美鈴は我慢する。
「あなたの料理、お嬢様が気にいってくれて。全部食べてくれたわ」
「ごほっ……、本当ですか?」
なんとか息が出来るように腕をずらさせると咲夜は嬉しそうに笑っていた。
その感情をまっすぐ反映させた笑顔の咲夜を、美鈴は久しぶりに見た。
やっぱりこの人の笑顔は綺麗だな、と素直に感じる。
「本当よ。さくらんぼのおかげでね」
さくらんぼ。
その言葉で美鈴は魔理沙を思い出す。
今回のことは彼女の助言があったからこそ、だからだ。
自分の後ろ、魔理沙の座っている場所に目をやった。
しかし、すでに彼女はいなかった。
先ほどまでは確かにいたはずなのだが、もう気配もない。
見ているのが恥ずかしかったのかもしれないと美鈴は思った。
それとも気を利かせてくれたのか。
彼女はあれで割と分かる奴なのだ。
本当に魔理沙が友達でよかったと美鈴は思った。
そこで首の圧迫感がなくなっていることに気付いた。
咲夜の方を見ると、顔を赤らめている。
はしゃぎ過ぎたことに気付いたらしい。
しかしその仕草すら綺麗と思う美鈴である。
「えぇ……と、まぁ、ね。今回は助かったわ、今回は」
「えへへ」
「で、ひとつ聞きたいのだけど」
そう言って咲夜は美鈴の目をじっと見つめた。
ガラス玉のように綺麗な瞳だ。
顔が凄く近い。
まつ毛の数までわかるようだった。
しかし、咲夜はまだ近づく。
あまりにも顔が近くなるので、美鈴のなかで変な想像が広がる。
(え? いやまさかそんなこんなところでいやいやえへえへえへへ)
咲夜の唇が耳元に。
思わず息を止める。
真剣な眼差し。
顔が赤くなるのが分かった。
そして、
「厨房がやたら散らかってた理由、知らない?」
美鈴は土下座した。
+++
「浮かない顔ね、集会に遅れてきて」
「ああ、すまんな。さくらんぼを集めてたんだ」
そう言って、魔理沙はアリスの不機嫌な顔に、厨房から大量に拝借してきたさくらんぼを見せた。
そのまま無理矢理アリスの口に突っ込む。
「ちょ、やめなさい」
「鼻に入れられなくてよかったわね」
10個ほどネジこまれて苦しそうにするアリスにパチュリーは言う。
フォローのつもりなのか、皮肉なのか。
その無表情からは読み取れない。
話の真ん中にいるはずの魔理沙は、なぜか客観的にその情景を見ていた。
というより、別のことを考えていたのである。
今回は失敗だった、と。
抱きつかれた美鈴の困ったような、嬉しそうな顔を思い出す。
彼女を手伝えたのはラッキーであったし、相談相手として選んでくれたのも嬉しかった。
その他にも好印象になるポイントは沢山あった。
なのに結果がアレである。
いったいどこを間違えたのか、魔理沙はため息をついた。
「嫉妬しているの?」
後ろでパチュリーの静かな声が聞こえた。
「ほっとけ」
振り向いて、そう言って、パチュリーの顔を見たが無表情だった。
どんな意図でいったのか、全く読み取れない。
魔理沙はさくらんぼをひと房手に取って、ひとつをにとりに食わせた。
もうひとつを自分の口に放り込む。
「あれ、まだ熟れてないよこれ」
酸っぱそうに顔を歪めたにとりが唸った。
酸味が苦手のようだ。
たしかにさくらんぼは、甘酸っぱかった。
おわり
できればお嬢様の回復具合等のエピローグが続くと嬉しいですねぇ(笑
あと、魔理沙がんばれ、きっとチャンスはあるぞ