Coolier - 新生・東方創想話

うっかりと早とちりが合わさり最強に見える?

2011/11/26 11:23:45
最終更新
サイズ
42.47KB
ページ数
1
閲覧数
2333
評価数
12/47
POINT
2860
Rate
12.02

分類タグ

 
 
「屠自古よ、一つ訊ねたいことがある。我は……我は、太子様の御側にいるべきではないのだろうか」

 復活を遂げた日出処の天子と彼女を慕う者達が暮らす不思議な場所、仙界。役目を終えた太子の霊廟はこの地へと移され、彼女達の住居兼道場として生まれ変わっている。
 飛鳥の香りを色濃く残すその建物の一室で、物部布都はそう寂しげに言った。



「ちょ、ちょっと待ってよ。経緯がわかんない、何がどうなったらそこに行き着くわけ?」

 突然の告白に驚いたのだろう、蘇我屠自古は手から滑り落ちそうになった自身の湯呑を卓袱台に戻しつつ訊ねる。
 彼女が取り乱すのも無理はない。相談したいことがあるという呼び出しに応えて部屋について行った彼女を迎えた布都の第一声が、この突拍子もない発言だったのだから。

 いつも前向きで行動的。少しせっかちな面もあるけれど、決して落ち込んだりはしない。そんな布都の明朗闊達な性格を、屠自古はよく知っている。
 二人は昔から親しく、冗談を言い合う関係は尸解仙と亡霊となった今でも変わっていない。互いの気持ちを推察する必要もないくらいに、二人は互いを理解し合えている。少なくとも、屠自古はずっとそう思ってきた。
 しかしながら、その布都が急に弱気な悩みを打ち明けてきたのだ。それも、彼女が誰よりも尊敬し大切に考えているであろう太子様、豊聡耳神子の側にいるべきではないのだろうかなどという、普段の彼女ならば抱くはずのない悩みを。突然こんな状況に直面すれば、誰だって多少は動揺するものだろう。
 屠自古の問いに、布都は申し訳なさそうな顔で答える。

「すまない、説明が不足したな」
「不足なんてもんじゃないでしょうよ、ゼロよゼロ。さっきのじゃ根拠も推論もなしにいきなり結論言われたようなものだもの」
「ふむ、確かにそれでは訳が分からないな」
「だから早く説明しろって言ってんでしょうが」
「す、すまん。実は先日、青娥殿に言われたのだ。『急いては事を仕損じますよ』と」

 青娥の名が出た瞬間、屠自古は思わず溜息を吐いていた。
 霍青娥。布都や神子に道術を教えた道士で、己の欲望に忠実な邪仙。優秀な人材に惚れ込んだりキョンシーと戯れたりするのが趣味の彼女には、もう一つはた迷惑な悪癖がある。

 ごく小規模な悪巧みを考えては、それを他人に実行するという悪行――要するに、悪戯である。

 己の愉しみのためならば何事にもとらわれることなく動き、その過程で起こった問題さえも悦びに変えてしまう。そんな生き方をしてきた青娥が悪戯に興味を持つのは、ごく自然なことであった。神子の復活を見届けて暇を持て余している彼女の関心は、今や“誰にどんな悪戯をするのが一番楽しいか”という一点に集約されているのだ。


「はじめは、青娥殿が何を言わんとしているのか分からなかった。何の脈絡もなくそう言われたのだからな。だが、よくよく考えてみるとあの方の言う事は的を射ていると思う。今まで気づかなかったが、我は様々な場面で勘違いや早とちりをすることが多いらしい。太子様の復活の際も、霊廟まで入ってきた者を遣いや同胞と勘違いしてしまったしな」

 暗い顔でそう呟くように言う布都。青娥の術中に見事嵌められた彼女は普段の快活さをすっかり失くしてしまっている。
 いつもの涙目とは違う、寂しそうな瞳。それを見た屠自古の心にたちまち熱い思いが湧き上がる。

 布都をからかうのは駄目でしょう。この子はなんだって真に受けちゃうんだから。

 青娥への非難を心の中で呟きつつ、俯く布都に屠自古は言う。

「まあ、布都の早とちりは今に始まったことじゃないけどね。でも、どうしてそれが太子様の側にいないほうがいいのかなんて疑問に結びつくわけ? まさか青娥様に言われたんじゃ」
「いや、青娥殿が言ったのは先程も話した『急いては事を仕損じますよ?』だけだ。その前に世間話くらいはしていたが」
「じゃあどうして悩む必要があるのよ」
「我のせいで、太子様に迷惑がかかるような気がするのだ」
「は? なんで?」
「早とちりや勘違いは、誰にでもあることだ。そういう意味では屠自古の言うように、気にする必要もないことなのかもしれない。だが、我は太子様に仕える身だ。誰よりも気高く聡明で、この世を治めるに最もふさわしいお方に仕えているのだ。そういう者が失敗を重ねるなど、許されるべきではなかろう」
「……つまり、自分がいることでいつか迷惑がかかるんじゃないかと思ったわけね」
「ああ」
「でも、あんたはそれでいいの? 太子様にずっと仕えるんだって言ってたじゃない」
「……できることなら、我も太子様から離れたくはない。だが屠自古よ、このままでは駄目なのだ。我の勘違いで太子様に迷惑をかけてからでは何もかも遅い。今のうちに身を引くより他にないであろう」

 自身の湯呑を寂しげに見つめる布都。まるで子供のようにコロコロと変わる彼女の表情も、この時ばかりは哀しみに染まったまま変わろうとはしない。

 頬を無理やり吊り上げたりすれば、こいつはいつものように怒り出すだろうか。友の寂しそうな横顔を見ながら屠自古はそんな事を考える。
 方法などはどうでもいいのだ。ただ、彼女が哀しみを忘れてくれさえすれば。柄にもなく抱いてしまった彼女の悩みが解消されさえすれば。

 けれど、この願いがそう簡単に叶うものではないことを屠自古は知っている。今布都が抱いているのは、自身の生き方そのものに対する疑問なのだから。
 どこまでも一途で、思いついたら止まらない。そんな布都の真っ直ぐ過ぎる性格は彼女の長所でもあり、短所でもある。そこが疑問の端緒である以上、ちょっかいを出すくらいでは彼女の心を変えることは不可能だろう。

 どうしてやればいい。そんな思いが屠自古の胸で空回りする。
 それを察したのか、俯いていた布都は顔を上げると申し訳なさそうに言った。

「すまなかったな。こんな相談、されても困っただろうに」
「いや、そんなことないよ。それよりあんたに気を遣われるほうが気味悪いし」
「手厳しいな」

 そう言いながら布都が力なく微笑むのを見て、屠自古はついに唇を噛みしめた。

 いよいよもって、打つ手がない。
 普段なら、挑発に乗って騒ぎ出すはずだった。子供のように怒り出して、悩みなど忘れてしまうはずだった。
 けれど、布都は微笑を浮かべただけだ。しかも、今にも消えてしまいそうな儚い微笑を。感情が揺れ動かないほどに、彼女は落ち込んでいるというのか。

 こんなの、布都じゃない。どこまでも単純で明るい奴。それが物部布都だったはずだろう。
 どうすればいいんだよ。どうやったらいつもの布都が帰ってくるんだよ。
 ああ、こんな時に太子様がいてくだされば――





「あのー、お取り込み中すみません」

 突如聞こえた声に振り向いた二人が目にしたのは、申し訳なさそうに頬を掻く豊聡耳神子の姿だった。
 屠自古の心に広がっていた暗雲が、神子を目にした途端にかき消されていった。湧き起こる希望と安堵の思いが、自然と彼女の心から溢れ出す。

「太子様! ああ、よかった」
「あら、私に用事でしたか」
「え? あ、ああ、いえその……太子様こそ、何か御用があったのでは?」
「ええ、実は布都に頼みがあるのです」
「わ、我にですか?」
「はい。先日命蓮寺の方がこの屋敷にいらしたでしょう?」
「ああ、『復活の邪魔をしてしまったお詫びに』などと言ってましたね」
「あの時いただいた土産のお礼を忘れていたことを先程思い出してね。明日挨拶に向かおうと思うのですが、その時君にもついて来てほしいのですよ。お願い、この通り!」

 両手を顔の前で合わせ、子供のような仕草で布都に頼み込む神子。その姿を見た屠自古の胸には、最早不安など微塵も残っていなかった。

 太子様がこんな仕草をするのは、本当に誰かを頼りにした時だけだ。
 布都、あんたはこんなにも太子様に信頼されているんだよ。だから悩みなんて忘れて、自分のできることをやったらいいじゃない。

 そう心の中で呟きつつ、屠自古は布都の表情を窺う。
 しかしながら、彼女の視線の先にあったのは先程と何ら変わらぬ布都の悲しげな表情であった。
 唇を噛みしめて、彼女は言葉を絞り出す。

「それは……できません」
「え? それはまた、どうして?」
「我には、太子様のお供をする資格などないからです。いかにこれが太子様直々のご命令であろうと、我にはできないのです」
「ちょ、ちょっと馬鹿布都!」
「さっきも言ったであろう、屠自古。我はもう……」
「うーむ、困りましたねえ。先方のご希望だというのに」

 布都の言葉を強引に遮った神子。その口調はどこかわざとらしく、まるで二人の関心を引こうとしているようだった。

「先方のご希望、とは?」
「明日お礼に伺いますという言伝をした際白蓮さんが言っていたのよ。いつも私の側にいる布都とも話してみたい、とね。だから話くらいならいつでも、とお答えしたのだけれど」
「……申し訳ありません」
「来てもらえないのですか……ああ、白蓮さんに何とお伝えすればいいでしょうか」

 そう物憂げに呟く神子。その仕草からわざとらしさは消えず、寧ろよりいっそう芝居がかったようにも見える。主の意図が読めない屠自古はその様子を怪訝な表情で見つめていたが、やがてあることに気がついた。
 不思議な仕草の間、神子は屠自古に何度も視線を送っていたのだ。

 チラチラと屠自古の方を確認しつつ、目が合うと優しげな微笑みを浮かべる神子。
 それを見た瞬間、屠自古は全てを理解した。

 太子様は、布都の悩みに気づいているんだ。命蓮寺にお供するようにというのも、彼女を元気づけるための作戦か何かなのだろう。
 そうだとしたら、協力しないわけにはいかない。布都のため、太子様のため。
 屠自古の心に、再び熱い思いがこみ上げる。

「このままでは太子様の名に傷がついてしまうのでは」
「な、なんだと!?」
「だって、太子様はもう向こうと約束しちゃってるのよ? それを破ることになったら太子様が悪く言われちゃうんじゃないかな」
「し、しかしこれは我の勝手な都合で」
「そんなの言い訳にもならないわ。命蓮寺の人達はその勝手な都合を知らないんだもの」
「そうですねえ、このままだとキズモノですねえ、私」
「いや太子様、それちょっと違います」
「いやいや、傷がついた者ですからキズモノですよ」
「あー……そ、そんなことより布都! わかったでしょ、あんたのせいで太子様に迷惑がかかるの!」
「迷惑が……」
「そう! それでもまだ意地を張るわけ?」
「……いや、それでは駄目だ。太子様、やはり明日は私もお供いたします」

 二人の拙い芝居が功を奏したのか、布都はついに神子の頼みを受けた。
 その言葉を聞いた屠自古は思わず喜びの声を上げる。

「やった……じゃなくて、やっとその気になったのね」
「我の我儘で太子様に迷惑をかけるわけにはいかない。それでは本末転倒だからな」
「ふむ、これでひとまず一件落着ですね。それでは明日、よろしく頼みますよ」
「ええ。太子様の名に恥じぬよう頑張ります」
「まあまあ、そう気を張らずに。さてと、私はそろそろ戻りましょうかね」
「あ、それじゃあ私も。布都、また明日ね」
「ああ。おやすみ、屠自古。おやすみなさい、太子様」

 それぞれ軽く挨拶を交わした後、神子に続くようにして屠自古は布都の部屋を出た。
 部屋からある程度離れるのを待って、少し先を行く神子に訊ねる。

「ご存知だったんですね」
「ええ。ここ最近の布都は様子が変だったので、ちょっと調べました」
「き、気づかなかった……しかし、よく青娥様に行き着きましたね」
「あれは運がよかった。たまたま青娥と芳香がじゃれているところに出くわしたのですが、青娥の笑顔がいつにもまして黒かったのですよ。尤も訳を聞いても『あらら、豊聡耳様でも知り得ないことがあるのですねえ』などと言うばかりでしたが」
「まあ、あの人がそう簡単に口を割るわけないですよね……」
「仕方がないので芳香に訊ねたところ、あっさり教えてくれました。『青娥は布都でたっぷり遊んだからご機嫌なんだぞ』とね」
「素直というか、何というか……それで、布都のことですが」
「大丈夫、私にいい案があるのです。白蓮さんにもこの件を伝えてありますし、心配は無用ですよ」

 笑顔で答える神子に、屠自古は釈然としない思いを抱く。
 どうして神子は命蓮寺に協力を求めたのか。その一点が屠自古にはどうしても理解できなかったのだ。自身の復活を妨げた宗教を信仰する者達に協力を仰ぐ意図は、いったいどこにあるのだろうか。
 そんなことを考える屠自古に、神子は静かな口調で言う。

「仏教徒である彼女に協力を仰いだことが納得いかないのですね」
「え? い、いえ、その」
「屠自古、今はかつてのように宗教間で争うような時代ではありません。この幻想郷に来て、そこで暮らす人々の姿を見て、それは実感したでしょう?」
「それは……確かにそうですが」
「ならば私を信じてください。大丈夫、きっとうまくいきますから」

 そう言って微笑む神子。この穏やかな笑顔を見せられては、黙って従うより他にない。
 反論の言葉を失くした屠自古は不服そうに顔をしかめた後、無愛想に言う。

「分かりました。それでは太子様、おやすみなさい」
「ええ。おやすみ、屠自古」

 自室へと歩いていく神子を見送って、屠自古は溜息を吐く。
 神子がくれた希望と、同時にもたらされた不安。相反する思いを抱えて自室へと向かう屠自古の後姿は、まるで彼女自身の心のようにふよふよと揺れ動いていた。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
「おお、外はすっかり秋に染まってますね」

 まるで蓋を開けるかのように石畳を軽々と手で押し開けた後、神子は眼前に広がる秋の風景にそう言葉を漏らした。
 彼女が現れたのは命蓮寺の山門前。参道の石畳の隙間に出口を繋げ、まるで仕掛け扉から現れるかのように境内へインしたというわけだ。
 紅や黄に染まる木々や風の香りは、閉じた空間である仙界では感じることはできない。神子の声がいつになく踊っているのも、久々の秋を楽しんでいるからなのだろう。
 神子に続いて外に出た布都は彼女と同じように風景を眺め、同じように声を漏らした。

「紅葉など久しぶりですね。何年ぶりか、しかしやはり綺麗だ……ときに太子様、何故わざわざ山門前を出口にしたのですか? どこでも出口にできるのだから、本堂の側でもよかったのでは」
「確かにその方が早いですね。けれど、それでは風景を楽しむ時間がないでしょう。復活して初めての紅葉ですし、ゆっくり眺めたって罰は当たりませんよ」
「なるほど、それもそうですね。では、ゆっくりと眺めつつ向かうといたしましょう」
「ええ。ゆったりたっぷりの〜んびり、ですね」

 神子の妙な言い回しに首を傾げつつも、布都は歩き出した彼女に続く。
 秋の雰囲気を存分に楽しみながら、二人は参道を進む。
 やがて本堂の前辺りまで行くと、中から人影が現れた。この寺の代表でもある尼僧、聖白蓮だ。

「これは白蓮さん、お出迎えありがとうございます」
「いえ、こちらこそわざわざお越しいただきありがとうございます。では、こちらへ」

 軽く挨拶を交わした後、白蓮に従って二人は本堂に入った。
 廊下を進み回廊を渡り、白蓮達が暮らす建物へと向かう。何も話さず、ただ笑顔を浮かべて進む白蓮に導かれながら。

 何故、白蓮は何も話しかけてこないのだろうか。
 神子と共に歩く布都の頭にそんな思いが浮かぶ。

 我と話したいと言ったのは白蓮だ。ならば、出会って早々に何か話しかけてきたりするはずであろう。けれど、未だに彼女は一切声をかけてきていない。それには何か理由があるのだろうか。
 それに、ただ笑顔を浮かべているだけというのも気になる。それほど我と話すのを楽しみにしているのかもしれないが、何か隠しているようにも見える。太子様も黙ったままだし、いったいどうしたというのだ。

 湧き上がる疑問符に答えを出せないまま、布都はただ歩き続ける。
 そうしているうちに、白蓮が居間らしき部屋の前で足を止めた。くるりと振り向いた彼女は、布都に微笑みかけながらようやく口を開いた。

「さあ布都さん、こちらへ」
「え? い、いや、しかし太子様より先に我が中に入るというのは」
「大丈夫、私達は入りませんから」
「……え?」

 予想外の言葉に、布都の思考は完全に停止していた。
 彼女の頭が再起動するよりも早く、神子の両手が布都の背中を押す。

「さあ、早く早く!」
「い、いえ、ですが太子様、我には訳がわかりませぬ」
「考えてはいけません、感じるのです!」
「そんな無茶な……」
「もう、相変わらず頑固ですね……仕方ない、白蓮さんお願いします!」
「はい! 布都さん、すみませんがちょっと我慢してくださいね」
「え? いったい何を」
「それではいざ、南無三!!」
「ぎゃあっ!?」

 謎の掛け声とともに白蓮が繰り出したのは、鋭い掌底のような一撃。あまりの速度に反応すらできず、布都はそれをまともに受けてしまった。
 衝撃に耐えきれず吹き飛ぶ布都。神子や白蓮と比べると華奢な彼女の体は宙を舞い、居間の鴨居に激突してようやく止まった。
 打ちつけた腰をさすりながら、顔をしかめた布都が唸る。

「いたた……なんで我がこんな目に遭うんだ。これが世に言う罰ゲームとやらなのか……?」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫なはずが……む? お主は何者ぞ」

 顔を上げた布都の目に映ったのは、見覚えのない女性だった。髪の色は金と黒が交互に交ざった虎柄模様で、臙脂色の生地に羽衣のようなものが付いた服を着ている。
 彼女もここに住む妖怪だろうか。そんなことを考える布都に女性はどこか困ったような様子で答える。

「私は寅丸星と申します。あの……物部布都さん、ですよね? 今日あなたとお話しするよう言われたのですが」
「我と? 妙だな、我は白蓮と話すはずだったのだが」
「え? で、でも聖が……」

 眉を寄せてそう呟く星。彼女の背中越しに見えた卓袱台には、見慣れぬ形の湯呑とこれまた見慣れぬ外見の茶請けがそれぞれ二つずつあった。
 星と名乗る女性の言い分と、昨夜の神子の頼み事。加えて、先程の白蓮の行動。布都の頭の中で様々な情報が吟味され、統合されていく。

 時間にして数秒後。自信に満ち溢れた表情で、布都は口を開いた。


「なるほど、わかったぞ。お主が本物の聖白蓮……だな?」
「……はい?」


 既にハの字になりつつあった眉を険しい山のようにいっそう寄せて、星は首を傾げる。
 そんな彼女の様子にも気づかずに、布都はどこか誇らしげな表情で続けた。

「隠さずともよい、我にはお見通しなのだからな。太子様は“白蓮”と話すよう仰っていたのだから、こうして話す場を設けてくれたお主が“白蓮”でないはずがない。そう考えると先程の者が何者か気になるが、我が思うにあやつは表向きの“聖白蓮”なのではないか? いや、そうに決まっておる。そうでなければわざわざ名乗らせたりはしまい」
「ええと、あの、その……」
「いやいや、謝罪など要らぬぞ。相手を警戒するのは仕方のないことだ、影武者を立てることなど我は無礼とも思わぬ」
「いえ、そうではなくてですね……言いにくいんですが、私は聖白蓮ではありません。先程名乗ったように、私は寅丸星です。毘沙門天様の代理をしている、寅丸星なんです」
「え? そ、そういえばその名、聞いたことがあるな。そうか、お主があの寅丸星だったか」
「分かっていただけましたか」
「ああ。すまなかった、我の勘違いだ……あっ」

 布都は小さく呟くと、それきり何も言わなくなってしまった。
 明るかった表情はたちまちに暗くなり、俯いたまま顔を上げようとしない。
 彼女の心は、いまや再び繰り返してしまった自身の過ちを責める気持ちでいっぱいだった。

 この落ち込みようは尋常ではない。布都の姿を見た星はそう直感した。普段から責任を感じたり落ち込んだりすることの多い彼女だからこそ、布都が今抱えている心の重圧を感じ取ることができたのだろう。
 布都の抱えた傷を癒す方法をあれこれと考えるも、中々いい答えは見つからない。心の奥に根差した苦しみは、そう簡単に消えてはくれないのだ。

「……すまない、邪魔をしたな」

 布都の言葉に顔を上げる星。視線の先の彼女は立ち上がり、悲しげな表情でこちらを見ている。
 このまま彼女を帰らせてはいけない。心が傷だらけになる前に、なんとかしてあの悲しみを消してやりたい。そんな思いが星の心に湧き上がる。
 反射的に立ち上がった星は、思いを振り絞るように叫んだ。

「待ってください!」

 背を向けて部屋を出ようとしていた布都が思わず足を止める。

「せめて、お茶だけでも飲んでいきませんか?」
「気遣いはありがたいが、生憎我は今そのような気分ではないのだ」
「むむ……こ、このお菓子を見てください!」

 そう言いながら茶請けを指す星。
 苦し紛れに振った話題ではあったが、意外にも布都にはこれが有効だった。暗かった布都の表情が、少しだけ明るくなったのだ。

「そ、そういえば目に入ってから気にはなっていたのだが……これは何なのだ? 少なくとも我の知っている菓子ではないが」
「これはケーキといって、洋菓子の一種です」
「洋菓子? 初めて聞くな」
「洋菓子とは外国のお菓子のことですよ」
「外国……隋のものか?」
「え? ああ、そうではなくて、ヨーロッパが発祥のものがほとんどです。このショートケーキと呼ばれるものは日本独特のものだそうですが」
「よ、よーろっぱ? いかんな、我らが眠っているうちに世界においていかれたらしい。まだまだ学ぶべきことが多いな」
「さあ、召し上がってください。ケーキに合わせてお茶も紅茶にしましたから」
「ほう、この妙な色の茶は紅茶というのか。それにこの入れ物、初めて見るな」
「それはカップといって、紅茶などを飲むときに使う物です。日本茶における湯呑ですね」
「おお、つまりなくてはならないものか。興味深いな……」

 感慨深そうに呟きつつ、先程の暗い顔とは正反対の明るい笑みを浮かべた布都は用意されたフォークでケーキに切れ込みを入れた。
 おぼつかない手つきでそれを口へと運び、一口。
 その瞬間、布都の笑顔がよりいっそう輝きを増した。

「な、なんだこれは! ふわふわした甘い白い部分や甘酸っぱい苺の層、そしてそれを支える生地。それぞれが絶妙なバランスで味覚を刺激してくるとは。こんなにもおいしい菓子があるというのか!」
「ふふ、気に入っていただけてよかったです。さあ、紅茶も飲んでみてください」
「う、うむ……おお、爽やかな香りが広がるな。普段飲む茶とはまた違う味わいがあるし、このけぃきとやらにはぴったりだな」
「そうでしょう? では私も……うーん、おいしい!」

 喜ぶ布都を見て安心したのか、ケーキを口に含んだ星は満面の笑みを浮かべた。

「いや、これは本当に素晴らしい。現代の者達は皆こんなにおいしい物を食べているのか?」
「少し前まではそうでもなかったみたいですよ。布都さんもご存知だと思いますが、ここは外の世界とは切り離された場所ですからね、文化の流入が以前はあまりなかったようなんです。今では楽しめるこういった文化も、かつての幻想郷ではありえないものだったんです」
「そうなのか。では、この時代に復活できたことを感謝しなければな」
「ふふ、ナズーリンも同じようなことを言ってました。ああ、私の従者をしてくれている者のことです」

 従者という言葉を聞いた瞬間、布都の表情が強張った。
 先程とは明らかに違う声色で、彼女は星に相槌を打つ。

「ほう、お主にも従者がいるのか」
「ええ、いつも助けられてばかりなんですけどね」
「優秀なのだな」
「はい、それはもう。いつだって細かく気配りしてくれるし、いつも側にいてくれます。おかげで自信を持って代理の仕事ができますし、私にはもったいないくらいですよ」

 うれしそうにそう語る星。大切に思うナズーリンの姿を思い浮かべ喜びに包まれていたからか、彼女の瞳に再び俯いてしまった布都の姿が映ることはない。
 目の前の客人が再び抱いた悲しみに彼女が気づいたのは、その力ない声を聞いてからだった。

「……そうか。やはり、我は太子様から離れるべきだな」

 我に返った星の目に飛び込んできたのは、今にも泣き出しそうな布都の姿だった。
 たちまちに自省と後悔の念が湧き上がる。

 彼女を助けたい。そう思ったのは自分じゃないか。なのに、どうしてそれを一瞬とはいえ忘れたりしたんだ。せっかく笑ってくれた彼女を、どうしてまた悲しい顔にさせてしまったんだ。
 話を聞こう。泣きたい理由がなくなれば、悲しい思いなんてしないで済むはずだから。

 心の中でそう自分に言い聞かせながら、星は口を開いた。

「すみません。せっかく気持ちが変わっていたのに」
「そんな、やめてくれ。そんな顔をされては我が困る」
「でも、私は布都さんの力になりたいんです。苦しんでいるあなたを救いたいんです。聖が話をするよう言ったのも、きっとそれを望んでのことなのでしょう。だからせめて訳くらい聞かせてもらえませんか?」
「……気持ちはありがたいが、これは我の問題だ。お主はいい奴だし、心配させるわけにはいかない」

 視線を逸らしつつ布都はそう寂しげに言う。
 相手への気遣いから救いの手を拒み、その重圧に苦しみながらも一人で抱え込もうとする。
 布都のそんな姿に、星はある種の共感を覚えていた。


 星が優秀だと評される最大の理由は、彼女の真面目さにある。
 誰よりも強い責任感と固い意思を持ち、何事にも全力で取り組む。そういう姿勢が、妖怪である彼女を毘沙門天代行たらしめているといえる。
 しかし、この強さは同時に欠点でもある。その責任感の強さゆえ、星は問題を一人で抱え込んでしまう癖があるのだ。

 一般的には、悩みは一人で抱え込まずに誰かに相談したりしながら解決するものだ。
 しかし、星にはそれができない。彼女の強すぎる責任感が、悩みを共有することで相手に迷惑がかかってしまうのではないかという思いを生み出してしまうからだ。
 何度指摘されても、この癖は治ることがない。その気遣いは相手を傷つけるだけだとナズーリンに幾度となく言われても、星はそれをやめられずにいる。
 相談するのを躊躇うくらいに、彼女が大切な存在だから。


 そんな一面を持つ星は布都の気遣いに深く共感した。
 布都が悩みを話そうとしない理由、それはおそらく二人が出会ったばかりだからなのだろう。互いのこともよく知らない相手に相談して迷惑をかけることなど、彼女の真面目な心は許さなかったのだ。

 人のことを言える立場ではないが、真面目過ぎる性格とはつくづく厄介なものだな。
 俯く布都を眺めながら星はそんなことを考える。
 小さく溜息を吐いた後、彼女は静かに口を開いた。


「真面目に生きるというのは、本当に辛いですよね」
「え……」
「相手に迷惑をかけたくないから無理をして、重圧に耐えきれなくなりそうになっても一人で頑張って。でも、そういう時って本当は誰かに助けてほしいって思ってるんですよね」
「星……お主……」
「私もそういう性格なんです。ですから、今布都さんが抱えている苦しみは誰よりも理解できますよ」
「ならば分かってくれるはずだ。我はお主に」
「迷惑をかけたくないのでしょう? でもそれって逆に相手を傷つけちゃうんですよ。私もナズーリンによく言われました、『頼ってもらえないのは何より辛い』って。相談してもらえなければ私はただ布都さんの悲しそうな顔を見ることしかできないわけですし」
「むむ……それもそうだな」

 静かにそう言う布都。自分と同じだという星の言葉が功を奏したらしく、ずっと暗かったその表情は心なしか明るくなったように見える。
 それを見て安心したのか、星の声は弾んでいた。

「話していただけませんか? 一人で抱え込んでも解決しませんよ。それにほら、私一応主ですから。従者の気持ちも分かるかもしれませんし」
「……ならば、すまないが聞いてもらえるか」
「ええ、いくらでも。お茶とケーキもありますし、ゆっくりじっくり伺いますよ」
「そうか。星、ありがとう」
「私こそ、勝手な事を言ってすみませんでした。布都さんにも色々思う所があったでしょうに」
「気にしないでくれ。お主の言った通り、本当は我も誰かと相談したいと思っていたのだ。屠自古……旧知の友とは違う視点で話を聞いてくれる者とな」
「なるほど。確かに、ずっと一緒にいると簡単なことがうまく伝わらなくなったりしますよね」
「そう、そういうことだ。それで、相談なんだが……我は、太子様の御側から離れようと思っているのだ。我の勘違いしやすい性格が太子様に災いをもたらすようなことはどうしても避けたいからな」
「太子様というのは、神子さんのことですよね」
「あ、ああ。我も本当は太子様の下を去りたくないのだが、かといって勘違いを無くせるとは思えぬ。正直、我にもどうすべきなのか分からないのだ。なあ星、お主ならどうする?」

 弱々しい声でそう訊ねる布都。
 潤んだ瞳が抱いていた葛藤の激しさを物語る。

 自らの性がもたらした葛藤とはいえ、もう悩むのは疲れた。
 どちらを選んでも、辛い思いをするのは変わらない。ならば、こうして相談に乗ってくれた星に全てを委ねよう。
 そんなことを考えながら、布都は星の答えを待った。

 しかしながら、星がすぐさま寄越した返答は布都の想定とは大きく異なっていた。


「考えるまでもありません。布都さんはずっと神子さんの側にいるべきです」

 そう言って微笑む星。
 告げられた不可解な答えと、意図のまったく読めない微笑。
 悩みを抱えていた心労が残る布都の頭では、星の取った面妖な態度を処理しきれなかった。
 一瞬間が空いた後、彼女はたまらず訊ねる。

「すまん星よ、少し聞きたいことがあるのだが」
「ええ、どうぞ」
「『考えるまでもない』とはどういうことだ。我は真剣に悩んでいるのだが、まさかふざけているのではあるまいな。それに何故そんなにうれしそうに微笑むのだ。我にはさっぱり分からぬ」
「すみません、布都さんの反応が見たかったのでわざと同じ言い方をしてみたんです。私がナズーリンに言われた時と同じ言い方をね」
「お主の従者? よく分からぬが、そのことは我の悩みと関係あるのか?」
「ええ、もちろんですよ。だって、私が当時抱えていた悩みは布都さんと同じなんですから」

 星はそこまで言うと言葉を区切り、目を伏せた。
 昔を懐かしむように、かつての過ちを悔いるように。
 紅茶を一口飲んで間を落ち着かせた後、彼女は静かに自身の記憶を紡ぎ出した。

「以前、ナズーリンに言ったことがあるんです。『あなたにこれ以上苦しみを背負わせたくないから、私の従者を辞めてくれ』と。共に過ごしてきた仲間が皆封印されてしまい、私達二人が山奥の寺に隠れ住んでいた頃の話です」
「む、その話は太子様から聞いたぞ。妖怪を匿っていることが人間にばれて、裏切られたと感じた人々が白蓮達を封印したのだったな」
「ええ。それ以来寺を訪れる人はいなくなり、聖に託された信仰も守れなくなってしまいました。寺は荒れ果て、仲間もいない。後に残ったのは絶望と悲哀だけでした」
「だから、お主から従者を辞めるよう言ったのだな」
「そうです。ナズーリンが私のために必死になって奔走し苦しんでいく姿を私は見たくなかった。私のせいで、彼女に迷惑をかけたくなかったんです」
「……そうか、つまりは我の悩みと立場が逆だったということか」

 納得したように頷く布都。
 主のために従者を辞めようと考えた布都と、従者のために主であることを辞めようとした星。主従の立場は逆だが、二人は同じ悩みを抱え同じ答えを模索していたのだ。
 そうであれば、布都の悩みに対する答えは簡単だ。かつて星とナズーリンが導き出した答えが、そのまま布都と神子への答えになるのだから。

 それに気づき一瞬はっとした表情を浮かべた布都だが、すぐにその表情は疑問の色に染まった。怪訝な顔をしたまま、彼女は星に訊ねる。

「ということは、当時お主はそのナズーリンから言われたのか。『考えるまでもない、自分は主の側を離れない』と」
「ええ、その通りです。より正確に言うと『いくらご主人様でも冗談はよしてくれよ。……私はあなたの従者だ。たとえあなたがそれを拒んだとしても、私はずっとあなたを支えると心に決めたんだ』でしたが」
「よ、よく覚えているな……」
「印象的でしたから。まあ、はじめは何を言われているのか分からず質問攻めにしてしまったんですけどね。先程の布都さんみたいに」
「ああ、反応を見たかったというのはそれでか。つまり、我とお主はそういう面でも似ているというわけか」

 布都はそう言うとどこか恥ずかしそうに頬を掻いた。
 それを見て自身も恥ずかしくなったのか、星は照れ笑いを浮かべていたが、その直後彼女は急に身を乗り出した。

「布都さん!」
「な、なんだ?」
「ここからが一番大事なところです! 心して聞いてくださいね!」
「あ、ああ、わかった」
「さて……布都さん、あなたは神子さんの迷惑にならないために仕えるのを辞めようとしたんですよね」
「そうだ。我の勘違いで太子様の御心を痛ませるわけにはいかないからな」
「では、神子さんはどう考えているんでしょうね」
「え?」
「神子さんは、早とちりをする布都さんを疎んじているでしょうか」
「太子様がそのようなことを思われるはずがない! しかし……」

 何も言えないまま、布都は俯いてしまった。
 答えようがなかったのだ。彼女は、神子に自分がどう思われているかを知らないのだから。

 早とちりをすれば、いつか神子に迷惑がかかるかもしれない。純粋過ぎる布都にとって、その事実はあまりに衝撃的だった。神子の気持ちを確認せず、彼女の側を離れるべきだと考えてしまうほどに。

 太子様は、我をどう思ってくださっているのだろう。やはり、側に置くに値しないとお考えだろうか。俯きながら布都はそんなことを考える。
 彼女の心は、悲しみとも不安とも違う不思議な感覚に包まれていた。

 布都のそんな様子を見た星は、何かに納得したように一人頷いた。
 小さく溜息を吐いた後、彼女は言う。

「やっぱり、神子さんの気持ちをよく分からないまま判断しちゃったんですね。なんだか本当に昔の自分を見ているみたいです」

 そう言うと星は恥ずかしそうに頬を掻いた。
 その言葉に布都は思わず顔を上げ、彼女に訊ねる。

「ど、どういう意味だ? 先程の話のことか?」
「ええ。あの時、私もナズーリンの気持ちをまったく考えていなかったんですよ。彼女が私をどう思ってくれているかも知らないまま、一緒にいないほうがいいと一方的に決めつけてしまったんです」
「我も、太子様のお気持ちを知らない……しかし、聞いたところで何になる。我が勘違いしやすいのは変わらぬ、結局太子様の迷惑になるのも変わらないではないか」
「駄目ですよ、そうやって決めつけては。そもそも、迷惑に感じるかどうかなんて人それぞれです。いくら考えたって、相手の気持ちには辿り着けないものですよ。直接聞いてみなければ」
「そういうものなのか?」
「ええ。やはり一人で抱え込まないで話をしないと」
「……確かに、そうかもしれぬな」
「ええ、そうですよ! 経験者が言うのだから間違いありません!」

 星はそう言いながら微笑んでみせる。それに釣られるように、いつしか布都も笑顔を浮かべていた。

「はは、そうだな。助かったぞ星、お主……いや、そなたのおかげで気が楽になった」
「それはよかった。私も布都さんとお話しできてよかったです」
「さて、では太子様に話をしに行かねばな。どこにいるか分かるか?」
「いいえ、それはちょっと……多分聖と一緒にいるでしょうし、探しに行きましょうか」
「その必要はないわ!」

 突然聞こえた声とともに、畳がガタッと音を立てて跳ね上がった。
 驚いた二人が思わず向けた視線の先には、畳を持ち上げる神子と彼女に続いて下から現れる白蓮の姿があった。
 動揺する二人をよそに、現れた二人は楽しそうに話し始める。

「ああ、楽しかった! 神子さん、今度またやってみていいですか?」
「ええ、もちろんです。やっぱり仙界からこちらへインするのは嵌りますよね、思わず『みこたんインしたお!』と叫びたくなります」
「あら、でもそれ見ていた誰かが言う台詞だったと思うけど」
「そうでしたっけ。なら私が白蓮さんを見ていて『あ、ひじりんインしたお!』とでも言うとしましょう」
「うふふ、なら『あ、みこたんインしたお!』は私の担当ですね」
「ちょ、ちょっとお二人とも! いい加減にしてください!」

 ふざけているようにしか見えない二人に、星がたまらずそう叫ぶ。
 さすがにこれ以上からかうのはまずいと判断したのか、白蓮は普段の落ち着いた口調に戻って答えた。

「あらあら星、そんなに強く言わなくてもいいじゃない」
「そういうわけにはいきません! そもそも、どうして畳の下から出てくるんですか!」
「いやー、普通に出てきたら面白くないでしょう。それにせっかく布都が私の気持ちを聞いてくれるんですから、私達がふざけて気を楽にしてあげないと。ねえ、白蓮さん?」

 神子がそう言って微笑むと、白蓮も彼女に微笑みを返した。
 思いもしなかった言葉に驚きを隠せない布都は、反射的に神子に訊ねる。

「ま、まさか太子様、どこかでご覧になっていたのですか?」
「ええ、もちろん。隣の部屋でこっそりと、ね」
「そんな近くに……ならば、どうして我と星を二人きりにしたのです。星の話を聞くなら太子様が間に入ってくれてもよかったのでは」
「それでは星が話しにくいと思ったのだそうよ。でも私も神子さんも二人を見守らずにはいられなくて、ついつい覗いちゃったというわけです。ごめんなさいね、布都さん」

 そう言って微笑む白蓮に、布都は反論の言葉を失くす。心配してもらった上に謝罪までされてしまっては、これ以上文句を言うことはできない。

 仕方なく口を閉じる布都。「内緒で覗くなんてひどいですよう」と言いながら微笑む星。「ごめんなさい。でも、立派だったわね」と言いつつ笑顔を浮かべる白蓮。
 神子は三人の様子を一人頷きながら眺めていたが、やがて静かに口を開いた。

「……布都、何か大事なことを忘れていませんか?」
「大事な……ああっ!? そうでした、危うく忘れるところでした!」
「あら、ならそのまま悩みも忘れてしまえばよかったかしら」

 そう言いつつ、神子はわざと微笑んでみせる。

「君が苦しまずに済むのなら、それもいいかもしれませんね」
「……いいえ、それでは駄目です。このままうやむやにしても、悩みの根源は消えませぬ。ですから太子様、一つだけお聞かせください。太子様は、我を……この物部布都を、どのようにお考えですか?」

 勇気を振り絞り、布都はそう訊ねた。

 未だに不安はあった。神子が布都を疎んじている可能性がゼロになることはない。布都がこのまま神子に仕えていていいという保証はどこにもないのだ。
 けれど、布都は神子を信じていた。
 “君が苦しまずに済むのなら”と言ってくれる彼女を、いつまでも支えていきたい。布都の心は、そんな思いでいっぱいだった。

 そんな布都の思いに気づいていたのか、神子はすぐさま答えを返した。
 優しい微笑みを浮かべながら、彼女は静かに言う。

「……あなたがいてくれなかったら、今の私は存在していないでしょう」
「え? ええと、太子様?」
「もう千年以上の時が流れたのですね。『貴方のためならば、喜んでこの身を捧げましょう』とあなたが言ってくれたあの日から」

 そう言うと神子は目を伏せ、感慨深そうに息を漏らした。


 尸解仙となって世のため生き永らえようとするも、一度死ぬというその過程から実行するのを躊躇ってしまったかつての神子。既に秘薬で体を蝕まれていた彼女が悩み相談した相手、それが側近である布都だった。

 ――いやあ、自分の意気地の無さにはびっくりですよ。君と一緒だったら、踏み出す勇気が湧くかもしれませんけどね。

 深刻な場面ほどふざけてみせるのは神子の悪い癖だった。当初、彼女には布都を自分の道連れにするつもりなどなかった。

 けれど、この真面目過ぎる側近に冗談など通じるはずもなく。
 側近は敬愛する太子様のために何を成すべきか考え、微笑む彼女を見て決意を固めた。

 ――我がお役に立てるのなら、何でもいたします。それが太子様のためならば、喜んでこの身を捧げましょう。

 そう誇らしげに言う布都を見た瞬間、神子の心が後悔の念に染まる。
 成功するか分からない秘術になど、付き合わせる気はなかった。大切に思っていたからこそ、神子は布都にそんな賭けをさせる気はなかったのだ。
 けれども、既に彼女は決意を固めてしまった。そうであれば、今更それを覆すわけにはいかない。自分を実験台として使ってくれという彼女の尊い意志を無視するわけにはいかない。

 ――ありがとう、布都……ごめんなさい。

 悲しみに染まった涙を見せないよう目を逸らしつつそう呟いて、神子は術の準備に取り掛かるのだった。


 千年以上前の“あの日”に布都が下したこの決断が、二人の今を作り出した。布都が自分を犠牲にしていなければ、日出処の天子はとうの昔に死んでいたのだ。

 回想を終えた神子が、優しい眼差しで布都を見つめる。
 布都を巻き込んだことを未だに申し訳なく思っているのだろう、彼女の頬を雫が伝っていた。

「あの時から、あなたはずっと変わりませんね。いつも私のことを考えてくれて、どんな時でもすぐに動いてくれて。だからこそ、あなたに辛い思いをさせてしまったことでしょう」
「いえ、そんなことはありませぬ。我が先に眠りについたのだって、それが太子様のためになると考えたからです。実際こうして太子様の術は成功し、我々はここに生きているのです。苦痛になど思うはずがありませぬ」

 そう言って誇らしげに胸を張る布都。そんな彼女を見て、少し暗くなりつつあった神子の表情も晴れ渡った。
 いつもの温かい微笑みを浮かべて、彼女は言う。

「よかった! それなら、ずっとあなたに側にいてもらえますね」
「え? あの、太子様、それはつまり」
「布都、私はあなたの真っ直ぐな心が大好きです。これからもずっと私を支えてくれたらどんなにうれしいでしょう」
「で、でも、我はすぐ早とちりをしてしまいますよ? そのせいで太子様にご迷惑をおかけするかもしれませんよ?」
「そのくらい問題ありませんよ。私のことで早とちりするということは、それだけ私を一番に考えてくれているということでしょう? それで問題が発生するというならそれもやむなしです」
「太子様……我は……うう」
「おっと」

 泣き崩れそうになる布都を神子が支える。まるで子供のように顔をくしゃくしゃにする大事な側近を見て、彼女は思わず吹き出した。

「はは、何もそんなに泣かなくてもいいじゃないですか」
「だって、たいしさまが、ひっく」
「あらあら、うれしくて泣いちゃったのね。なんだかかわいい」
「な、何を言う!?」

 かわいいと言われたのが相当心外だったのか、布都は急に泣き止んだ。
 自身の体を支える神子の手をやんわりと解きつつ、微笑む白蓮に不満を漏らす。

「我はかわいくなどない! からかうのはやめてくれ!」
「あらあら、怒った顔もまたかわいいわ。布都さんって子供みたいなんですね」
「我を子供扱いするな!」
「あら、私も時々子供っぽいなあと思う時があるんですが」
「た、太子様まで……そんなぁ……」
「まあまあお二人とも、それくらいにしてあげましょうよ。布都さんがかわいそうです」
「うう、我の味方をしてくれるのは星だけだ……」
「ふふ、星もよくからかわれるから気持ちが分かるのでしょうね」
「うう、やめてくださいよぅ」

 星はそう言うと恥ずかしそうに頬を染めた。そんな彼女を見て白蓮達は微笑みを浮かべる。
 その様子を満足そうに眺めて微笑んだ後、神子はさて、と呟いた。

「用も無事に済んだことですし、私達は帰りましょうか。屠自古が心配して待っていますからね」
「そうですね。星、そなたのおかげで本当に助かったぞ。ありがとう」
「お役に立つことができてうれしいです。また遊びに来てくださいね」
「協力していただきありがとうございます、白蓮さん。おかげで私もやっと布都にうまく気持ちを言えました」
「いえいえ、私こそ楽しかったですよ。また今度観察しませんか、星と布都さんを」
「おお、それはいいですねえ」
「やめてください!」
「太子様も戯れが過ぎますよ!」
「はっはっは、ならばたわむれはおわりじゃ! よいしょっと」

 間の抜けた掛け声とともに神子は畳を翻す。彼女が隙間を開けてしまえば、そこはもう仙界の入り口というわけだ。

「今日は本当にありがとうございました。また是非二人で遊びましょう」
「ええ、是非とも」
「いやいやいや、次はないぞ、ないからな! まったく……とにかく、今日は世話になったな」
「いつでも遊びにいらっしゃいね、布都ちゃん」
「ちゃんを付けるんじゃない! まあ、星と茶を呑みに来るくらいならいいが」
「布都さんならいつでも大歓迎ですよ」
「ああ、是非ともまた来よう。さらばだ、星」

 あらあらうふふと笑う白蓮を無視して星に手を振りつつ、布都は神子の後に続いて畳の下へと消える。

 互いの気持ちを知ることができたおかげで、余計な心配をすることなく神子の側にいられる。しかも、星という気の合うよき理解者も得ることができた。
 もはや布都の心に悲しみはない。
 悩みを解消できたことへの安堵感と新たな友を得たことへの喜びに包まれた彼女は、幸せそうに笑っていた。
 
 
 
   *   *   *
 
 
 
「そういうわけで、我の悩みは無事に解決したのだ!」

 仙界の屋敷に帰った布都は、すぐさま屠自古の部屋へと向かうと早々に話を始めた。
 星と話をしたことや神子の気持ちを聞いたこと、そしてこれらは全て神子と彼女の相談を受けた白蓮が悩みの解消法を考えてくれたおかげだということ。
 ひとしきり話し終えた布都は、最後にそう言って胸を張った。命蓮寺へと出発する前の暗い表情からは想像できないような、普段通りの満面の笑みを浮かべながら。
 それを見た屠自古はどこか不満そうな顔で素っ気なく答える。

「そりゃよかったわね」
「む、どうした屠自古。なぜ不服そうにする?」
「別に不服そうになんかしてないわよ。ただ布都がすぐ元気になっちゃってがっかりしただけ」

 そう言って屠自古はわざと目を逸らした。

 布都がいつもの元気を取り戻してくれたのは屠自古も素直に喜んでいる。彼女にとっての問題は、布都が新たに見つけた理解者の存在だった。
 星の話をする際、布都はうれしそうに笑っていた。他の話をする時には見せないような笑顔を彼女が浮かべたことに、そしてその笑顔を取り戻してやることができなかった自分自身に、屠自古は苛立っていたのだ。

 話を聞く限り、命蓮寺の人達は悪い連中じゃない。太子様の言う通り、敵対意識なんて持つだけ無駄だというのはよくわかった。
 けど、なんで布都は星って人の話になるとあんなにうれしそうに笑うんだろう。あんな笑顔、私や太子様くらいしか知らないはずなのに。
 やっぱりすごい人なんだろうな。私は布都から相談を受けて何もできなかったのに、きちんと布都を導いたんだもの。
 そう、私は布都に何もしてやれなかった。
 あーあ、親友失格かなあ、私。

 一人そんなことを思いつつ屠自古は溜息を吐く。
 そんな様子にはまったく気づかない布都は、少しむっとしたような表情で彼女に言った。

「ふ、それは残念だったな。しかしそんな言い方をしなくてもよかろう、我はお主に感謝しているのだから」
「ふぇ?」

 感謝している。
 思いもしない言葉にたじろいだ屠自古はすぐに聞き返すが、口から出た言葉は意味を成してはくれなかった。
 謎の声を聞いた布都が怪訝そうな顔をして言う。

「なんだそれは、言霊の一種か?」
「馬鹿、違うわよ! それより何、感謝してるって。私は何もできなかったのに……布都に、何もしてあげられなかったのに」
「何を言う、太子様に話をしてくれたのは屠自古ではないか」
「え? いや、何を言ってるの?」
「昨晩我の部屋を出た後、お主は太子様に我の悩みを相談してくれたのだろう? それを聞いた太子様は白蓮……殿と方法を考え実行してくださった。そう太子様から聞いたぞ。確かにお主が直接悩みを解消してくれたわけではないが、お主が話をしてくれなければきっと今も我は苦しんでいただろう。礼を言うぞ、屠自古」

 そう言って微笑む布都。それを見た途端、屠自古の心の暗雲が晴れ渡っていった。昨晩に引き続いて二度目の離散である。

 太子様には頭が上がらないな。それにしても、その言い分を信じちゃったってことは太子様の芝居にも気づいてないんだ。しょうがないなあ、布都は。
 どこまでも単純で、純真で、不器用で。そんなあんただからこそ、私達は互いの氏姓の垣根を越えて付き合うことができたのかもしれない。
 なんにせよ、あんたと一緒にいられてよかったよ。こっちこそありがとう、布都。

 そう心の中で呟きつつ、屠自古はニヤリと微笑んだ。

「やっぱり布都にお礼言われるとなんだか気持ち悪いわ」
「くっ、やはりお主なんぞに礼を言うべきではなかったな!」
「そうそう、あんたはいつも通りお子ちゃまらしくぎゃーぎゃーしてればいいのよー」
「ぬう、我を子供扱いするなといつも言っているだろう!」
「やーいやーい、聖童女聖童女ー」
「屠自古ぉおおおおお!!!」

 我慢の限界に達した布都が先に手を出す。それをかわした屠自古が今度は布都に掴みかかる。そんなふうにして、いつもの取っ組み合いが始まる。

 喧嘩するほど仲がいい。この言葉は、二人のためにあるのかもしれない。

 互いに引っ張り合いながら騒いでいる二人の表情が、こんなにも活き活きと輝いているのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その頃、窓の外には――

「ふふ、やっぱりあの二人はああしているのが一番ね。からかった相手が物部様で本当によかったわ、こんなに楽しいことになったんだもの」
「青娥、なんでさっきからニヤニヤしてるんだ?」
「それはね、うれしいからよ。芳香も誰かの素敵な顔を見られたら幸せでしょ?」
「うん? よくわかんないけど青娥がうれしいなら私もうれしいぞ」
「ああんもう、この子ったら! よしよし、いいこいいこ」
「うおう、くすぐったいぞう」
「いやはや、どこもかしこも微笑ましいですねえ」
「と、豊聡耳様!? いつからここに、いえそれよりも」
「まあまあ、いいじゃないですかそんなことは。それよりもあの仲睦まじい二人を眺めて楽しむとしましょう。こうなったのも、あなたのおかげですからね」
「うう、やはりこの方に隠し事をしようとしたのはまずかったかしら……」
「青娥、隠し事はいけないことだって前に誰かが言ってたぞ。あれ、誰だったっけ?」
「ああ、それ私です。青娥、分かりましたか?」
「すみませんでした……反省はしませんが」
「はあ、君らしいですねえ」
「けれどこの状況を楽しんでいるのは豊聡耳様も同じでしょう」
「まあ、それはね」
「でしたらここは一つ」
「生温かい目で見守るのがベストですね」
「さすが豊聡耳様、いい判断ですわ」
「はは、二人の観察は眠りにつく前からの趣味ですからね」
「あら、それは初耳ですね」
「昔から二人は仲良しですからね、色々なエピソードがあるんですよ。そう、“色々な”ものがね」
「素晴らしい! 豊聡耳様も中々いいご趣味をお持ちのようで」
「ふふ、青娥ほどではありませんよ」
「……なんかよくわかんないけど、青娥も神子も楽しそうだからいいや」

 ――などと話す三人の姿があったとか。
 
 
拙作を読んでいただきありがとうございます。

星と布都が出会ったら色々とすごいことになりそうだなあという思いから書いてみた作品です。今回はあくまでも二人の出会いということで、いずれはこの先の話も書いてみたいと思ってます。主に布都をめぐる星と屠自古のあれこれとか。

1/17追記
こっそりと誤字を修正。皆さんコメントありがとうございました。
でれすけ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1680簡易評価
2.90奇声を発する程度の能力削除
みんな可愛かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
落ち込んでる布都ちゃんだと……新鮮でイイッ!
焼きもち焼いてる屠自古ちゃんも可愛い!

>>二人の色々なエピソード
詳しく話を聞こうか……いや何、遠慮することはない、一晩、いやもっと掛かっても構わないからゆっくりと聞かせてくれたまえ(ぉ
6.100名前が無い程度の能力削除
このメンバーの絡みが見たかった!
ナイスな作品でした。
9.90とーなす削除
敵対勢力同士、同じ五ボス、どじっ子属性と何かと比較される気がする星ちゃんと布都ちゃんですが、SSでの絡みとなると初めて見た気がします。
どのキャラも可愛らしくて小ネタも充実していて楽しかったです。

>「ええ。ゆったりたっぷりの〜んびり、ですね」

懐かしいCMが脳内再生されたw
14.100名前が無い程度の能力削除
これは良い作品!
15.100名前が正体不明である程度の能力削除
いいねいいね。
17.100カンデラ削除
原作エピソードを主軸にここまで面白い話を書けるのがスゴイ…!
各キャラクターの行動や考え方に「なるほど納得」と感じさせられました。
23.100スピードスター削除
 いい作品だ、評価は100点にしておいてやる。
25.100名前が無い程度の能力削除
畳の下から出てくる聖と神子様の脳内再生率が完璧すぎてすぎて…!
ほのぼのと終わってよかったです
29.100名前が無い程度の能力削除
良い
30.100名前が無い程度の能力削除
この組み合わせはありそうでなかった。
いい作品でした
47.100理工学部部員(嘘削除
もこたんインしたお!
取られた…ね

とにかく面白かったです!
神霊廟組最高だZE☆